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11月 14 2019

奇跡の起こし方

二、三日前の話です。元正法会だったという方から電話がありました。

それで正法会の時のことをしばらく話していたのですが「で、どういうご用件ですか?」ときくと、私のブログを見て、それで何で名古屋で正法を説いている人がいるのかと(その方は大分の方でした)それで心の正しい在り方をききたいから電話したとかなんとかいっていましたが、そのきき方があまりに傲慢そうで、それ以外のことはききたくないという口ぶりで、こちらがこういう奇跡とか起きていますよとかいっても、まったくきこうとしないのです。

奇跡は私も前に起きたことがあるとか、そういう話はいいとか、こちらがきいたことだけ答えろという感じがもろに現れていて、他の話はまったくきこうとしない口ぶりでしたので、それなら私のブログを読んでくださいと、そのブログにいろいろ書いてありますからといって早々に電話を切りました。

しゃべっているだけでこちらは気分が悪くなってきたからです。

まったくなんでこういう態度なんでしょうね。謙虚さがまるでなく傲慢さがアリアリと分かります。これで正法をしていたというのですから笑ってしまいます。(苦笑)

この人も奇跡は起きていたといわれますが、それもどの程度の奇跡なのかよく分かりませんし、それに前に奇跡が起きていても今はどうなんでしょう。

どれだけ前に(園頭先生がいられた時に)奇跡が起きていても(園頭先生がいられなくなった)いま起きていなくては、それは本物ではありません。

そのような正しい正法神理の指導者がいなくなった後でも、同じように奇跡が起きていなくては正しく正法神理を実践しているとはいえないからです。

この人は自分で前に奇跡は起きていたといっているのですから、今は起きていないのでしょう。そうであるなら、まず、そのような傲慢なところを直された方がいいのではないでしょうか。

そうすればまた奇跡は起きてくるからです。

正法神理とは、文証(文証とは簡単にいうなら文字で書いて正法神理を残すということです。このブログがそうです)理証(理証とは正法神理を言葉で伝えるということです。辻説法がそうです)現証(現証とはもちろん、様々な形で現れる奇跡的な現象をいうのであり、この現象〔奇跡〕がちゃんと現れるかどうかが問題なのです)が同時に現れてはじめて正法神理といえるのです。

それが揃っているのは私だけです。どうせ、電話してくるならです。(何かききたいのであればです)もう少し謙虚に(まず何でも私の話をきいておこうという態度でです)話をしてもらいたいものです。

そうすれば、自分で気づいていない悪いところも気づいてよい方向にも行くからです。

正法神理を知っていてもこの程度(我が強そうで傲慢)ですからね。知らない人は尚更(なおさら)なんでしょうが、しかし、こちらなどもう大変な状況です。

傲慢で我が強い態度を少しは反省されてはどうでしょう。そうしないと本当に命にかかわるからです。

昨日もそうでした。夕方帰ってくるとすさまじい怒りようです。どこかと思ったら、どこかの会社の次にコロッと逝く人が出た会社でした。

また出たようです。コロッと逝く人がです。(この会社とどこかの会社の二社がもう次々に現れて来ているようです)

だからいってやったのです。「もうこちらのいうことをきけ」とです。しかし、頑としてきこうとしないのです。

私が何をいってもすさまじい怒り方で何もきこうとしません。(ほんと我が強くて傲慢です)

しかし、よいのですかね。私のいうことを頭からきこうとしなくてです。

では、この人たちどうやって、その起きている現象を止めようというのでしょう。

止まるのでしょうか?自分たちだけでです。

そのまま、その現象が止まらなければ大変なことになるのはもう誰でも分かることなのです。(当然、滅ぼされます)

それでもきかないのでしょうか。お前のせいでこうなったでしょうか。

くだらない小さな発想をいつまでもしているものです。それでは順序が違っているでしょう。いい加減、正しい判断をされてはどうでしょう。

そうしないと本当に滅ぼされてしまうからです。

もうそんなこといっている場合ではないでしょう。たとえそれが誰のせいであろうとです。それだけ危ない現象が次々に現れているのは自分たちなのです。

もはやそうなったのなら何を一番にすべきなのですか?

それが全然分かっていないから、くだらない小さな発想をいつまでもしているといっているのです。

もうそういう状況になっているのならです。その危ない現象を止めることが一番最初にやらなければいけないことなのではないでしょうか。その起きていることを人のせいにしているのではなくです。

だから、順序が違うといっているのです。

責任転嫁しているだけの、そんな考えでは滅びるのを待っているのと同じであるからです。

火事が起きているのに、この火事はお前のせいなどといって人のせいにしているだけで、その火事を消そうとしなければ、すべて焼き尽くされてしまいます。

それと同じことをしているのです。この辺りの人たちはです。

それでも私のいうことをきかないのでしょうか?しかし、私のいうことをきかない限り、この辺りで起き出した(心の)火事の火は消せないのです。

早くそれを悟ってほしいものです。それが事実であるからです。

しかし、少しは(私のいうことを)きき始めた人たちも出始めましたかね。昨日など辻説法をしていて、そういう感じの人たちもいたからです。(私のいうことを黙ってきいている人たちがです。まだ五~六割の人たちが反発していますが、後の人たちは黙って私のいうことをきいているか、またはきいているのかいないのかよく分からない人たちです)

もっと愛を出さなければいけないのです。愛を出さなければ災いは止まらないからです。

しかし、愛を出すとはいえ、例えば、この前の台風十五号で倒壊した(千葉の)ゴルフ練習場の撤去作業をしている会社がありますが、あの会社はなんと無償でそれを行っているそうです。

台風十五号の被害で困っている人がいるからと、すべてこの会社の自費であのゴルフ練習場の鉄柱の撤去作業を行っているようですが、はたから見ればです。

これだけ愛のある行いもないわけです。あれだけ大規模な撤去作業を無償で行うというからです。(費用だけみれば数千万はかかるようですから)

そうであるなら、これだけの愛ある行いをこの会社はしているのです。この後は、さぞ愛ある奇跡が現れてくるであろうと、よいことが起きてくるのであろうと誰でもそう思うわけです。

それだけの愛ある行いをやれるところもそうはないからです。

しかし、実際はどうなのかといえばです。

実際は、奇跡が現れてくるかもしれないし、現れて来ないかもしれないとしかいいようがないのです。

何でそうなのかといえば、それは、その会社の普段の行いが加味されてくるからです。

つまり、今後、この会社に奇跡が起きるか起きないかは、このような愛ある行い以外の行いで決まってくるということです。

そうして、そのような愛ある行いをしている時の心も加味されるということです。

まあ、分かりやすくいうならです。このような行いを売名行為で、もしやっていたとしたら、もちろん奇跡など起きませんし(数千万円単位で寄付をする会社などいくらでもありますから)その撤去作業をしているところの会社の社員などが他の場所で愛のない行為をしているのなら(人の悪口ばかりいっていたり、嫌がらせなどしている人が多ければ)やはり奇跡は起きて来ないということです。

奇跡とは、愛の心で愛の行為を行い、そうして普段から愛のないことをしない人にだけ起きてくる、神の業であるからです。(奇跡とは、そういう人にだけ現れる神の力であるということです)

だから、多くの金額を寄付する人とか、あるいはボランティアの活動を熱心にしている人とか、そういう人も奇跡が起きてくることがないのです。(もちろん、起きている人もいるのでしょうが)

普段から、そのような愛を出す人たちであっても、そういう人たちの心と行いのどこかに、その愛の行為を帳消しにするような部分があるからです。

そういう部部がある人たちには奇跡は起きないのです。

だから、簡単にここで奇跡、奇跡と書いてはいますが、そんなに簡単に起きることではないのです。その奇跡はです。

だから、このブログを見ているの人たちでもウナッシーさん以外の人には起きないのです。その奇跡がです。

それにはそういう理由があるからです。どれだけ愛を出しても、自分の悪いところを直さないと奇跡は起きて来ないのです。

何で私がこの奇跡のことを長々と書いたのかといえばです。もちろんそれは不幸が次々に起きている人たちのためにです。

その不幸は、この起きにくい、奇跡が起きてくるような心にならないと止まらないからです。

その不幸がこちらだけではなく日本全国でもまた始まりだしました。これから北海道など猛吹雪となるようですね。

それほどの寒気が入ってきつつあるようです。(だから私はいっているのです。一週間も二週間もよい天気は続かないとです)

これだけ日本中に悪いことが続くのは、私がここに書いた奇跡を起こすような心になる人が(あまりに)少ないからです。

それでもまだ私のいうことを無視しますか?逆らうのですか?しかし、そんなことをしている限り悪いことは起き続けるのです。

少しずつでもよいから、私のいうことに従いませんか。そういう人から救われて行くからです。

しかし、こちらはこちらで命にかかわることが、そうして他の場所では他の場所で命にかかわることが(台風十五号や十九号や二十一号に伴う豪雨での被災地の人たちなど、これから寒くなって雪でも降りだしたら命にかかわります)もう次々に起きて来ています。(有名人は有名人でまたよく亡くなり始めていますから。落語家や俳優、漫才師やサッカーの元日本代表のGKなど最近は続々とです)

奇跡が起きてくるような心に変わらない限り(それが善人だからです)このような次々に起きてくる不幸からは逃れることは出来ないのです。(それでは悪人の人たちばかりだからです。悪人には天罰がくだります)

せっかくこのブログを見ているのです。少しずつでも奇跡が起きる心に変わって行きませんか。(その方法がここに書いてあるのだし)

そうすることが、まだまだこれから数多く起きてくるであろう不幸から逃れることが出来る、唯一の方法であるからです。

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11月 12 2019

改宗の時

もう頭を下げればいいのにね……どれだけ怒ろうが、泣こうが、わめこうが、ドン引きしようが止まらないからです。その災いはです。(また出たみたいですね。どこかの会社などです。朝からカーンとかしていたし、さっきは凄い怒りようだったのに今はドン引きしています。こんな両極端な態度を取っているのですからよく分かります。この会社、毎日とはいいませんが、一日置きくらいに出ているんではないでしょうか。コロッと逝く人がです。ほんと、怖くはないのでしょうか?)

あまりにそんなところが多いから書いていますが、頭を下げて感謝して布施しないと止まらないのです。そのような災いはです。

何度(何十度?何百度?)いったら分かりますか。それがです。

ずいぶん怒っているところや(昨日もすさまじく怒っているところがありましたが)やたら引いているところが多いのですが、そんな両極端な態度を取っているところは大丈夫ですか?

そのままではまた出ますよ。コロッと逝く人がです。(それが出ているからそんな両極端な態度を取っているんですよね。普通に怒っているところはよく分かりませんが)

そのような現象が、なにか有名人(落語家)まで出始めたみたいですからね。もうどこで出るか分かりませんよ。急死する人などです。(こちらはどれだけの人がなっているか知れないくらいですから)

普通に考えてもです。日本全体ですさまじい天変地変などが次々に起きているのです。では、癌や急死する人が日本に次々に出たとしても決して不思議ではないでしょう。

これだけ日本全体で災いが起きているのならです。

そんな国に様々な災いが起きてくるのはよく考えてみれば当たり前のことであるからです。(それだけその国の人々の行いが悪いんでしょう。だからそれだけ多くの罰が当たっているということです)

だから私は、この如来の教えに帰依しなくていいのですか?といっているのです。

これだけの災いから逃れる方法は(これだけの天罰から逃れる方法は)もう、この正法神理を実践する以外にないと思うからです。

だって、これまでのような信仰をしている人たちが、ドンドン不幸になって(罰が当たって)いるのです。

では、これまでのような信仰をいくらしたところで(そんな間違った信仰を続けていては)現在の日本では幸せになれないということになります。(罰が当たり続けるということになります。間違った信仰をし続けているからです)

そうであるなら、もう他の信仰をしないと(改宗して正しい信仰をしないと)幸せにはなれない(罰が当たらなくならない)のではないですか。

現在のすさまじい災いが起きている(すさまじい天罰がくだっている)日本ではです。

もうそういう時代になっているからです。(だから、こういうことが起きて来た。そのような〔間違いを正す〕時が来たということです)

では、どういう信仰をするのか?ということになります。

どういう信仰をすれば現在の日本で救われるのでしょうね。ユダヤ教でもやりますか?それともイスラム教などどうでしょう。

そのような日本でしている人が少ない宗教をやるなら、あるいはこれだけの災いが起きている日本でも救われるかもしれないからです。

などといっても、もう無理でしょう。既存の宗教ではです。なぜなら、日本に起きている激しい天変地変などすでに世界中で起きているからです。(では、世界中で罰が当たっているということになります)

ではもう世界のどこにいても、いつ激しい災いに見舞われるか知れないということになりますから、そうであるなら、もう世界のどんな信仰をしても救われないということでしょう。

それがはっきり分かるのが日本であるからです。(日本などその典型でしょう。これまでの信仰ではもうだめだということが本当によく分かります)

しかし、このブログを見ている人たちならもうお分かりでしょう。どのような信仰をすれば救われるのかはです。(ほんとラッキーですね。それが分かるなどです。〔笑〕)

はっきりいうならです。モーゼが説かれていた時のユダヤ教やキリストが説かれていた時のキリスト教なら、現在の日本でも救われたでしょう。

それこそが本当の神の教えであったからです。

しかし、現在のユダヤ教やキリスト教は日本に広がっている釈尊が説かれた仏教同様、垢(あか)やチリにまみれ、すでにモーゼやキリストが説かれた当時の正しい教え(本当の神の教え)ではなくなっているのです。

これまでのモーゼやキリストの弟子たちが、その教えをずいぶん曲げてしまい、垢やホコリやチリにまみれたものにしてしまっているからです。

だから、その(モーゼやキリストが説かれていた)当時の奇跡が起きなくなっているのです。

モーゼやキリストが説かれていた教えと、現在のユダヤ教やキリスト教は、すでに違うものになってしまっているからです。

一部は正しいものでも、他の部分は間違ったものになってしまい、それではとても正しい教えとはいえなくなっているからです。(ということは、そのような教えはすべて本当の神の教えではないということです)

だから奇跡も起きないのです。すべて正しくなければ(それでは本当の神の教えではないということになり)モーゼやキリストと同じ奇跡は起きないからです。

では、モーゼやキリストと同じ奇跡が次々に起きてくる教えに帰依しなければ、もう救われないということになります。

事ここに至り、これほどの災いが世界中に起きて来てはです。

その奇跡が次々に起きる教えこそ、私が説いているこの正法神理であり(だけであり)そうであるなら、必然的にこの教えに帰依する以外、救われる道はないということになります。

特に日本においてはです。この教えこそ唯一無二の本当の神の教えであるからです。(だから奇跡が起きるのです)

だから私はいっているのです。この教えを無視していてはいけないとです。一変に変えなくてもいいから、少しずつでもこの教えをされたらどうですか、とです。

そうしないと現在の日本ではもういつ不幸に見舞われるか知れないからです。(特にこちらの人たちなどそうでしょう。もういっているそばからドンドン不幸になっている人たちがいますから。誰とはいいませんが)

実際そうでしょう。このような状況で次々に奇跡が起きているのは、この教えを実践している私たちだけなのだし、この教えを知らない人たちや知っていても実践しようとしない人たちなど、次々に災いが起きて来ているではないですか。

その通りのことが日本で起きているのです。これ以上の正しい話もないわけです。

それにもかかわらずこのブログを見ている多くの人たちは、平気でそのような事実を無視し、この辺りの人たちは自分たちの責任をすべて私にかぶせ、他の地域の人たちは、全部責任転嫁、これではよいことが起きてくるわけがないのです。

唯一無二の人類を救える本当の神の教えを知っている、多くの人々が、世界を救える教えを完全無視しているからです。

だから、日本にこれだけ悪いことが起きてくるのです。

日本にはそのような人が多いからです。世界を救える唯一無二の教えをずっと無視し続けているという、そのような大罪を犯している人がです。(ということは、世界の人々にどれだけ悪いことが起きて来てもかまわないと、世界の人々がどれだけ不幸になってもかまわないと、そういっていることと同じなのですから)それだけ悪い行いもないのです。

だから(正法神理を実践し流布している)こちらには次々に奇跡が起き(それを無視している)そちらには次々に災いが起きているのです。

同じ正法神理を知っている者でもやっていることに天と地ほどの差があるからです。

それをどれだけいっても、このブログを見ている大方の人たちは認めないわけですが(本当にまあ大変な罪を犯していますね。私とウナッシーさん以外のこのブログを見ている人たちはです)しかし、そういう態度を取れば取るだけ起きる現象も激しくなります。

当然そうなるでしょう。何度もいいますが、大変な罪を犯しているからです。このブログを見ている大方の人たちはです。

私がいうことの無視を続けるのも、これまで通りの信仰を続けるのも、それは自由なんですが、しかし、その行いが悪いまま、そのような態度をし続けていてコロッと逝かないようお気をつけください。

もうお分かりになると思いますが、そういう現象がずいぶん現れて来ているからです。

何度もいいますが、少しずつでもこの教えを実践していきませんか?

そのような人から救われていくからです。

(ほんと、早くしないと、早く自分の〔大きな〕罪に気づかないと、大変なことになりますよ。もうなっている人もいますが……それだけこのブログを見ている人たちの責任は重大であるということです)

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11月 10 2019

一点

もう凄いみたいですね。どうするんですかね。どこかの会社などです。

昨日でも朝から「カーン」とかしてましたからね。(なんか今日も朝から〔誰か来ているようです〕そんなことしていますが、ドンドン出ていませんか?逝っちゃう人がです。〔汗〕)そうして、嫌がらせをしたくてもしているそばから何か現れて来ているようで、少し嫌がらせを始めるとすぐに電話がかかって来て、何か起きて、それでドン引きしていたようです。

昨日は洗濯(コインランドリー)に行ったんですが、その辺りの人たちもずいぶん引いていましたね。先週、行った時とは全然違いました。

先週は逆にずいぶん怒っている人が多かったからです。

昨日でも怒って嫌がらせをしてくる人はいましたが、そういう人たちに、今日もう何か起きているのではないかと心配ですね。近所の人たちを見ていると次々に何か起きて来ているようであるからです。(どこかの会社などその典型ですが)

この辺りの人たちなど、神のことをこれだけ教えてもらい、心も救ってもらって、そうして神の業まで見せてもらっているのに感謝するどころか嫌がらせをしてくるのです。

そこまでメチャクチャなことをしていてはよいことが起きてくるわけがない。それだけ人の道から外れた行為もないからです。

それをどれだけいっても認めませんが、そのようなデタラメな行為を反省しない限り、災いは止まりません。もうずいぶんひどいことがドンドン起きて来ています。

それを止めるには反省し行いを変えるしかないのです。(だから布施しろといっているのです。この辺りの人たちはもう布施する以外、災いを止める方法はないからです)

しかし、昔の人ならです。コロッと逝く現象まで現れて来ているのですから、もうそれだけで「へへー、自分が悪うございました」ということになるのですが、現代の人たちは、次々に天変地変が現れ、こちらにはこれだけの現象まで現れて来ているにもかかわらず、まったく反省しようとしません。

傲慢というにもほどがあると思うんですが、このような神の業の(天罰の)恐ろしさが全然理解出来ないのでしょうか。

現代の神を信じようとしない人たちはです。

だとしたら、ずいぶん恐ろしい話です。天罰が次々に現れていても、その偉大さや凄さ、そうして自分たちの大間違いがまるで分らないということだからです。

台風十五号、十九号(十号もありましたが)そうして二十一号に伴う記録的豪雨、そういうすさまじい天変地変が起きている最中でも、こちらではコロッと逝く人が次々に出ていたのです。

分かりますか?いっている意味がです。これだけすさまじい天罰が同時に起きていて怖くはないのですか?といっているのです。(女子供など少しは怖がれといいたいです。メチャメチャ危ないことが起きているからです)

そうして、これだけの天罰を一変に食らっていて、それでも反省しないのですか?といっているのです。(少しは反省しろ、自分たちがすべて悪いのだから、といいたいです。実際そうだからです)

こういうことを、もう、ただの自然現象だとか、病気にすぎないとか、ごまかせばごまかすだけ、そのような恐ろしい現象は現れてきます。

この次々に起きている現象は、ただの自然現象でも、ただの病気でもなく、神からの天罰以外のなにものでもないからです。

だから、それを理解し反省しない限り、この天罰は止まらないのです。

いい加減、理解しませんか?天罰を天罰として正しくです。(ほんと、いい加減にせいといいたいです)

そうしないと、やっと台風の季節が終わったからと、大雨の季節も終わったからと、安心などしていても、このままでは、今度はどこに大地震など(または火山の噴火とかです……桜島など激しい噴火がすでに起きていますが)起きてくるか知れないからです。

これは脅しでも何でもなく、本当にそうなるのです。(これまでもそうなったし)

今のまま、このブログを見ている人たちがまったく心も行いも変えようとしなければです。(そりゃ当然でしょう。こちらの人たちの災いは止まるどころかひどくなっているのです。それを見ていれば分かります。心も行いも誰も今のまま変えなければ、起きる天変地変はもっとひどくなります)

いつまでも、このブログを見ている人たちが心も行いも変えないからいけないのです。だから、日本の人たちも変えない。このブログを見ている人たちは、そのような日本の人々の縮図であるからです。

神に対する態度が、日本の人々は(大きく)間違っているのです。

だから、このブログを見ている人たちが神に対する態度を変えるなら、日本の人々も同じように神に対する態度を変えていき、災いも段々収まってくるということです。

このブログを見ている人たちが、即ち日本の人たちであるからです。

だから、このブログを見ている人たちがまず愛を出せと、そうすれば(自分たちもそうですが)日本に起きている災いは止まると、そう私はいっているのです。

実際にそうであるからです。

だから、例えば日本のデフレが二十年も続いて、その原因が緊縮財政にあると一部の学者たちは主張していますが、それが正しいのであるなら、それは神に対する緊縮が問題なのです。(まったく布施をしようとしないです)

それを直せば(自分たちが神に対する緊縮をやめれば)政府も緊縮財政をやめて、お金が回るようになるのです。

日本中にです。神がそのように導いてくださるからです。

すべてそうなのです。すべては神に対する態度、その一点なのです。そこを無視して自分たちだけでやっているからなかなか先に進まないのです。

それがどれだけよいことであってもです。それでは神の協力が得られないからです。

それはすべての面においていえることなのです。今のような大自然においても、政治、経済、教育、そうして、個々の健康面においてもです。

すべての面にいえるのです。

神に対する態度を間違えていては絶対によい方に行かないのです。この世は(この世界は)そのように出来ているからです。

すべては神がつくられた世界であるからです。

だから私は神を一としないといけないと、神を無視(粗末に)していてはいけないと、いい続けているのです。

すべての基は、そこに(その一点に)あるからです。

だから、そこを(神に対する態度を)直せば、日本に起きてくるすべてのことはよい方に変わってくるのです。

すべては神が基であるからです。

日本の人々は、そこを(その基の基を)間違っているから、よい方に行かないのです。

だから、私がいうようにです。その神に対する態度を(思いを)変えてみれば分かるのです。

自分たちの周りに起きてくることがどれだけ変わってくるかがです。

少し変えれば少しだけ、大きく変えれば大きく、周りに起きてくることは変わってきます。

では、変えてみてはどうでしょう。変えればです。

私のいうことが正しいと分かり、そうして神の存在も分かってくるからです。

追伸…しかし、千葉県知事のいいわけには呆れましたね。あの台風被害が出ているさなかに自分の車で千葉県内を視察に行っていたなどとです。(苦笑)

それは嘘ですということは、あの水を飲んでいた時の手の震えで分かるでしょう。(ずいぶん震えていましたね。コップを持つ手がです。私、アル中かと思いましたもん。〔笑〕)

あのような愛のない人を千葉県民は長く知事にしていました。その結果が今回のようなぶっ続けの大災害です。

愛のない人をいつまでも知事などにしていてはいけないということです。

とはいえ、愛知県もそうですが(愛知も左翼の大村知事ですから)他にする人がいない(例えば愛知県のように対抗馬が共産党しかいない)では選びようがないということになりますが、そういう時はです。

自分のところの知事をよく祈ってあげることです。知事がよい方に変わってくれることをです。(神に知事を正しくお導きください、と祈ればいいのです)そうして自分の出来ることはすることです。(例えば、こういうブログに知事のことを書いてもいいですし、自分たちでやれることをやればいいのです)

そうすれば、段々状況は変わってくるからです。

とにかく何もしないのが一番いけません。(知事が悪いのに〔そういうことも理解せず〕何もしないと、千葉のような悪いことが起きてくるのです)何か悪いことがあるなら、気づいて直さないといけないのです。

それをしないから(よくなる努力をしないから)いつまでたっても自分も、そうして自分の周りもよくなってこないのです。(ほんと、そのまんま皮肉ですね。〔笑〕)

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11月 08 2019

続、宗旨替え

昨日はさすがに引いた人が多かったですね。怒っている人などほんの一部でした。

もう多くの人が知っているのでしょう。この辺りの人々はこの教えに(正法神理に)帰依する以外、救われる道はないとです。

だから、引いている人が多かったのです。多くの人が昨日のブログを読んでいたからです。

昨日は金山に行ったのですが、あの悪名高い(私が勝手にそう思っているだけですが。〔苦笑〕)電車の運転手連中がずいぶん引いていたのには驚きました。

だから、いつもの場所で(金山駅のすぐ近くの公園です)走って行く電車に声をかけていました。

「もうこの教えに帰依しないと救われる道はないぞ。この教えに帰依し、感謝して布施しろ。そうしたら救われるから」とです。

電車の運転手連中にはずいぶん出ているはずであるからです。災いがです。

そうしたら、何十台という電車に声をかけましたが、ほとんどの電車が静かに走って行きましたね。いつもなら、そんな声などかけていれば走って行く電車、走って行く電車に、ブシュブシュやられるんですが、昨日はブシュとやってきた電車はほぼゼロでした。

ずいぶん走って行った後にブシュとかやっていたのが数台いたくらいです。

もう、私のいうことを理解しないとまずいと一番分かっているのは、この運転手連中だからでしょう。多分この運転手連中にも過ぎ越しの祭は現れているはずであるからです。

それを止めるには、この教えに帰依する以外ないからです。

その後、ナゴヤ球場の辺りを歩いて行ったんですが、ナゴヤ球場の近くで過ぎ越しの祭が出ていた会社がやたら怒っていましたね。

また、コロッと逝く人が出たのでしょうか?

もうそういうところは、そのままでは止まらないのです。ずいぶん私に嫌がらせをしているからです。(如来の教えをきいているのに感謝もせずにです)

この会社の人たちも早くこの教えに帰依した方がいいでしょう。もう、この正法神理を実践する以外で救われる道は(災いを止める方法は)ないからです。

もうこの辺りは、そこらじゅうで災いが起きているのです。様々なです。

では、真剣に考えてはどうでしょう。宗旨替えをです。そうしないと、どちらにしても危ないからです。

もう、そういう時代になっているのです。間違った信仰などしていたらいつ不幸が現れるか知れない、そのような正法の世にです。

正法の世になっているのなら、正法神理を実践する以外、救われる道はありません。では、やるしかないですね。

そうしないと、いつ全国で起きているようなすさまじい災いまで自分たちを襲うか知れないからです。(私がいなくなったら即ですよ。この辺りなどです)

この辺りは、一日帰依が遅れるなら、一日分の災いが確実に現れてきます。(多くの人々にです)きく耳を持たない人は仕方ないのですが本気で考えてみませんか。

正法神理への帰依をです。

すでに大きな不幸が日本中で起きています。しかし、このブログを見ている多くの人たちがこの教えに帰依するなら、日本にこれだけ起きている災いも段々減っていくのです。

真剣に考えてはどうでしょう。この教えへの帰依をです。

自分のためはもちろんですが、世のため、人のため、日本のため、そうして世界のため、この教えに帰依されませんか?

そうすればこれから多くの人たちが救われて行くからです。

この正法神理に帰依してもいいと思う人は「この教えに帰依します」と神に誓われることです。

そうして、心からの感謝の布施をされることです。(十八歳以下の子供らはこの教えに帰依すると神に誓って、そうして、この教えを少しずつでも実践していくことです)

そのような実践が出来た人から(神からこの教えに帰依したと認められ)神に守られて行くからです。

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11月 07 2019

宗旨替え(しゅうしがえ)

しかし、よいのですかね。この辺りの皆さんなど宗旨替えしなくてです。

だって危ないでしょう。ずいぶん出ているようだからです。過ぎ越しの祭がです。

こちらでは、白鳥公園や六番町の辺りにある会社なども出ているようですし、中川運河の辺りもそう。ナゴヤ球場の辺りもそう。家の近くでも怪しいところがいくつもあります。(なんかドンドン増えていきます)

そうして、どこかの会社や(また今日も朝からカーンとかしていました。〔汗〕)その次に出ているところなど、確実に出ていると思われるところが段々、引き出してもいます。(あれほど怒っていたのにです。今日のどこかの会社などドン引きです)

もう相当、出だしたんではないかと、このままでは本当に滅びるところが出てくるんではないかと(ほんと危ないと思うんですけどね。どこかの会社などです)そう思えるのです。

それでいっているのです。この辺りの人たちは宗旨替えしなくてよいのですか?とです。

だってこちらは、それを間違えていると(間違った信仰をし続けていると)本当に命が危ないからです。

だからこちらの人たちなどです。お寺や神社で祈っているだけとか、お経を上げているだけとか、仏像を拝んでいるだけとか、それで信仰していると満足していると(心そっちのけでです)もうコロッと逝ってしまうかもしれないのです。

そういう信仰をしていた人たちがすでにたくさんコロッと逝っているからです。もうコロッと逝った人は一人や二人ではないからです。

そのような信仰(?)など日本人なら誰だってしています。しかし、そういうことをしている人たちがこちらはドンドン急死しているのです。

では、そんな信仰などしていても意味がないということになります。

だって、もし、そのような信仰が正しい信仰であるなら、多くの人が、そんないきなりコロッと逝くようなおかしな死に方はしないはずであるからです。

何かお蔭があってもおかしくはないはずだからです。(もうちょっとまともな死に方したいですよね。いきなり死ぬのではなくです)

どちらにしても、そんないつコロッと逝くか分からないなど危なくて仕方ありません。

だから、ソロソロ正しい信仰をされたらどうですか、といっているのです。

正しい信仰をするなら、少なくともそういう(いきなりの)死に方はしないと思うからです。そうして奇跡も起きてくるからです。

正しい信仰とはもちろん、この如来の教えである正法神理しかありません。(奇跡が起きているのはこの教えしかないのですから)だから、ソロソロこの教えに帰依されたらどうですか、そうすれば安全ですよ、といっているのです。

それが事実であるからです。

この教えが本当の正しい神の教えであると、もうこの辺りの人たちなら誰だって分かるはずです。では、くだらない意地などもう捨てて宗旨替えされてはどうでしょう。

そうすればみな神から守られるからです。

いきなり宗旨替えしなくてもです。今している信仰と一緒にやればいいのです。今している信仰をすぐ捨てろとはいいません。(そんな極端なこといいません。別に一緒にやればいいのです。すぐに捨てろといわれても、何十年もしていた信仰をすぐに捨てられるわけがありませんから)

少しずつでもこの教えを実践されたらどうでしょう。そうすればこの教えのよさも、段々、分かってくると思うからです。

今のままではこちらの人たちなど、もういつどこで誰が急死してしまうか知れないからです。

だからもうやらないといけないのです。正しい信仰をです。

そういう時期がもう来ているからです。正しい信仰に目覚めなければいけない時がです。

もっとはっきりいうならもうその時期はとっくに来ていたのです。しかし、いつまでたっても目覚めようとしない。

それがため、神は数々の天変地変をこの日本に現し、それでも目覚めようとしないから、これほどの究極の現象も現し始めたのです。

何度もいいますが、この日本には、そうして、このブログを見ている人たちには大きな使命があるからです。

私はそれを何度も書いています。だからここでは書きませんが、このブログを見ている人たちが目覚めない限り、この起きている災いはひどくなることはあってもおさまることはないのです。

どれだけそれが認めがたいことであっても、それでも理解してもうらうしかないのです。

私がここに書いていることが事実であり、それが神の心であるからです。

だから私のいった通りのことが起きているのです。ここに書いていることが正しいからです。

そうして、日本で起きているのと同じような災いはもはや世界中で起きています。数々起きる、異常な天変地変など、世界ではみな温暖化の影響といって騒いでいますが、しかし、それは違うのです。

世界ではいま日本同様に(日本以上に)男女平等や同性婚、男性の育休などのこれまでの歴史上したことがない(認めたことがない)ようなことを、現代の人々は次々に認め始めています。

このような思想が間違っているのです。

このような数々の間違った思想が神の怒りを買い、それで、これほどの災いを世界中に起こさせているのです。

多くの人々の間違った思想が多くの災いを呼んでいるということです。

しかし、こういうことをいってもです。それが曲がりなりにも分かるのは、このブログを見ている人たちだけなのです。

このブログを知らない人たちは、それをどれだけいっても、頭からそんなこと信じないでしょう。そんなバカな話があるかといってです。

しかし、このブログを見ている人たちなら、まだ私のいうことを信じる人もいるはずです。私のいうことを頭から信じようとしない人たちばかりなら、このブログを見続けているということもないはずだからです。

そのような間違った思想が広がることも私たちは止めないといけないのです。そうしなければ世界で起きている(温暖化の影響などと騒がれている)激しい天変地変も止めることが出来ないからです。

つまり、日本だけではなく、世界中の人々が宗旨替えが必要な時がすでに来ているということです。

だから、それもしないといけないし、もうそのようなことを(私のいうすべてのことを)信じ行ってもらわなければいけないのです。

それがどれだけ現実離れのした話であってもです。それが事実であるからです。

そうして、そのような時が(もう私のいうことを信じなければいけない時が)とっくに来ているにもかかわらず、信じよとせず、私のいうことを行おうとしないから、日本には、これだけの災いが(気づきの現象が)次々に現れて来ているのです。

それだけ大きな使命が(この正法神理を世界中に拡げなければいけないという大きな使命が)日本の人々にはあるからです。

もうそれをしなければいけない時が来ています。どれだけそれが信じがたいことであっても、私のいうことを信じ行うなら必ず奇跡は現れてきます。(ということは、それが正しいということです)

災いが怖いではなく(また、おかしな意地などいつまでも張っているのではなく)多くの奇跡を起こしませんか。これからです。

それには宗旨替えは必要なのです。そうして、そこから私たちの本当の使命は始まるのです。

追伸…今日の中日新聞の週刊誌(週刊文春)の広告に千葉県知事のことが出ていました。

その広告を見ると、千葉県知事はあの台風(十五号)被害の最中に、公用車で別荘に行っていた疑惑があると書かれてありました。

もしそんなことが本当なら、これだけ愛のない行いもありません。(台風で千葉県民が大変な時に自分は別荘でくつろいでいたというのですから)

週刊誌が書いていることなので、それがどれだけ本当であるかは分かりませんが、しかし、この知事に愛がないことだけは確かでしょう。

そうでなければ(前にも書きましたが)あれだけの風水害が千葉県に出るわけがないからです。

千葉の人たちはもう少し知事を選んだ方がいいと思います。そんな愛のない知事を選んでいれば不幸になるのは千葉県民であるからです。

(愛知県民の〔愛知県はあの話題の大村知事ですから〕私がいうのも何ですが。〔苦笑〕)

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