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9月 30 2020

神理を実践する者と逆らう者との違い

この辺りの皆さん。もはや感謝して布施した方がいいのではないでしょうか。

なぜかといえばもうあらゆるところに出ているようであるからです。天罰がです。

昨日でも、そういえばここ(の会社)はこの前、何かそれらしいことを(嫌がらせみたいなことを)してきたよな、と思うようなところまで出ているようなのです。天罰がです。

そこは昨日、私が通るとシャッターを閉め切り中で怒りながら仕事をしていたので、それがよく分かったのですが、こういうところが他にもあり、もう、それらしいところにもすぐに天罰が現れるようです。

私がしっかり意識していなくても、天はすべてお見通しであるからです。

だから神理を見ていながら感謝もせず、嫌がらせなどしようものなら、もうそんなところには即座に現れるのです。

天罰がです。

そうであるなら、まともに嫌がらせをしてくるところなどもはや凄いでしょう。

昨日もやたらキレているところが何社もありましたが、そこはこの前、通った時もキレていました。それが同じようにキレ続けているのです。

では、出続けているんでしょうね。そういうところは天罰がです。もう地獄でしょうね。そういうところはです。

いつ誰が病気になるか知れない。そういう状況で仕事をしていて楽しいですか?仕事に対してやる気が出ますか?

まだ、分かりませんか。そのような状況で何を一としないといけないのかがです。

仕事でしょうか?それとも神の教えへの帰依なのでしょうか?

だからいっているのです。もはや感謝して布施した方がいいとです。もう凄い勢いでこの辺りなど天罰が現れているようだからです。

だいたい、神理に逆らい続けていればそうなるのです。(くどいくらいいっていますが)それは今だけの話ではないからです。過去からそのようなことは(神理に不遜な人に対する天罰は)起き続けていることであるからです。

だから、ここ数日、私に嫌がらせをしてきた人たちなどもうすぐに現れているんじゃないですか。多くの天罰がです。

運転手連中や感情的に怒っていたオバちゃんたちなど大丈夫でしょうか?そういう人たちはもうすぐにでも感謝して布施された方がいいでしょう。

そうしないとこのような勢いで天罰が現れているのです。そのような人たちにはもうどれだけ天罰が現れるか知れないからです。そうしてその天罰の程度もです。どれだけひどい現象が現れるか知れないからです。(最悪コロッですから)

しかし、この教えに帰依までしなくても、少しでも感謝して布施されるなら、その天罰も止まりますし、仮に天罰が出てしまっている人でもです。

軽くですむからです。その天罰の害がです。奇跡も起きてです。

しかし、頑なにそれを拒むなら、その天罰はドンドンひどさを増し、最後にはコロッと逝ってしまうのです。すでにそうなっている人もいるからです。

だからもう私のいうことを、神理を説いている者のいうことを真剣にきいてはどうでしょう。本当にそういう恐ろしいことが、この辺りにはたくさん起きて来ているからです。

あまりに神理に逆らう人が多いからです。

この辺りなど特にです。いつまでもくだらない意地を張り続けている場合ではないのです。

一刻も早く神理に対する態度を改めないといけないのです。それだけ恐ろしいことがこの辺りにはすでにたくさん起きているからです。

単に、そういう自覚がない人が多いだけなのです。多くの人は、そのようなことを考えないようしているからです。だから現実逃避しているだけなのです。この辺りの多くの人たちがです。

真剣に起きていることを知るならあまりに恐ろしいからです。その起きていることがです。(だいたい、トラックが激減してしまったということだけ取っても恐ろしいのにです。それに加えて次々に天罰がくだっているなど恐ろしすぎますからね。真剣にそんなことを考えたらです。しかし、起きているのです。そのようなことは本当にです)

しかし、その起きていることを真剣に考えないと、まだこれからどれだけ多くの天罰がくだるか知れません。

どれだけ恐れてもそれでも恐れきれない、そのような恐ろしい現象が実際にこの辺りにはたくさん出ているということです。

そうして、その恐ろしいことをはっきり書くなら、もうこの辺りには次々に病気になる人がたくさん現れているということです。

だからそういう自覚を多くの人が持たないといけないということです。この辺りの人たちはです。そういうすさまじいことが起きているのは事実であるからです。(だからキレている人が多いのです)

それでどうするかを真剣に考えないといけないということです。自分でです。

いつまでも心の低い人たちの大間違いな意見をまともにきいているのではなくです。

そのような心の低い人たちは、正しく現実を見ることも、神理に逆らう恐ろしさもまるで理解出来ない人たちなのです。

だからそのような人たちは平気で神理を、そうして神を、なめたような言い方も出来るわけです。

その心の低い人たちは、神の恐ろしさも、神理の正しさも、全然理解していないからです。

理解していないのなら、何とでもいえます。(適当なことがです)そういう何も分かっていない人の意見を多くの人たちはまともにきいているのです。だからこれほどの天罰もくだるのです。

それだけその人の意見は間違っているからです。

いい加減目を覚ましたらどうでしょう。そうして正しく見たらどうでしょう。今この辺りで起きている本当のことをです。

大変恐ろしいことが続いているからです。正しく見るなら、それが本当によく分かるからです。(自分でよく観ることです。そうして自分で判断することです。人の意見などきいているとその人の意見が間違っているなら自分も間違うからです。自分でよく観て正しい判断を自分でするのです)

だから正しく恐れないといけないということです。コロナ禍ではありませんが、何でも同じなのです。こちらで起きていることも、コロナ禍も、同じ禍には変わりがないからです。

しかし、こちらの禍の方がコロナ禍よりもはるかに恐ろしいのです。

こちらで起きている禍は、治す薬もなければ、マスクをしようが手をよく洗おうが、防ぎようがないからです。ドンドン広がっていくからです。心が変わらない限りはです。

しかし、私のように神理に合わせて心を変えている者はどうでしょう。

二、三日前でしたか私が庄内川にいくと、その日は何か知りませんが、やたら大きな魚が水面近くまでたくさん上がって来ていました。少し見渡しただけでも川のあちこちにでかい魚がいます。

今日はでかいのがたくさんいるなと思って川岸を歩いていくと、ずいぶん川の水も満ちていて、その水面のあっちからこっちから魚が川底から上がってきます。(ほとんど鯉のようでしたが)

その日は水が満ちていたので、川の水が私が歩いている岸のすぐ近くまで来ていて、だから私が歩いていくとすぐ横に大きな鯉がポッカリ浮いているのです。そんな岸のすぐ近くまで来ている、そんな鯉が何匹もいました。

「何やってんの、お前、そんなところで」などと声をかけて歩いていきますが、ほとんど逃げませんね。私が歩いているのをこの鯉たちはみな知っているようなのです。

だから、私が歩いているすぐ横まで寄ってくる鯉までいて、中には十匹くらいが固まって上がって来ている鯉たちもいました。大きさは三~五十センチくらいから大きいのは七~八十センチくらいのまでいました。

その鯉たちに声をかけていたら、いきなりデカいのがすぐ足元にぬっと現れ、こちらが驚いたということもありました。(笑)

こういう珍しい景色を私はよく見ます。本当に楽しいですよ。この正法神理を真剣にやっているとです。

ここにいろいろ書いていますが不思議なことが(愛ある奇跡が)次々に起きてくるからです。

そうして、この神理に心を合わせて生活するなら、悪いこともよい方に段々変わってきて(悪いことがいつの間にか起きなくなったとか、自分の悪い性格がいつの間にか直っていたとか、後で気づくのです。そういうことをです)そうして持病など持っている人でも、その持病が治る人までいて、もちろん不治の病が治った人もいます。

例えば、偏頭痛持ちの人など多いようですが、偏頭痛は考えが偏っているからなるのであって(だから頭の偏った一部分が痛くなるのです。考えが偏っているからです)だからそういう人は、神理に合わせてどちらにも偏らない中道の心になるなら、その偏頭痛は治るのです。

こういう例などその典型なのです。神理に合わせて心が中道に変わるなら、いつの間にか偏頭痛は治っているのです。そういうことがよく起きるということです。神理を実践しているとです。

段々心が変わってくるなら起きてくることは変わってきます。だから、よいことも起きてくるのです。心がよい方に変わればです。

神理に合わせるなら、当然心はよい方に変わります。だからこのようなよい現象も起きてくるわけです。その心に合わせてです。

いま書いたことは神理に従った場合のよいことの一例ですが、しかし、逆らい続けているのならです。

それだけ恐ろしいことも起きてくるということです。こちらで起きていることはその典型なのです。

もう少し真剣に考えてみませんか。

いま起きていることを、そうしてこの正法神理のことをです。いつまでも現実逃避などしていないでです。

ここ数年、起きて来たことを考えるなら、とてもこの正法神理を無視することなど出来ないと思うのですが、いかがでしょうか。

もう神理のことを真剣に考えなければいけない時が来ています。

この神理に従わなければです。まだこれからどれだけ多くの災いが起きてくるか知れませんが、もしこの神理に従うならです。

どれだけ多くの奇跡が起きてくるか知れません。

もう災いはいらないのではないですか。それだけ多くの災いをすでに私たちは体験しているからです。(この辺りだけではなく日本全国の災いも含めて)

一緒に奇跡を起こしませんか。この神理に従うならいくらでも奇跡は起きてくるからです。

少しずつでも実践しませんか。この神理をです。

そうすれば必ず奇跡は現れるからです。

(このブログは午前中、公開したはずなのになぜか公開されていませんでした。なぜ???)

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9月 29 2020

自殺はなぜいけないのか 魅力ある女性

有名な女優さんが自殺されたようですね。(まだはっきり分かりませんが)

最近は多いですね。有名人の自殺がです。当然有名人じゃない人たちの自殺も増えていますが、それはコロナ禍の不況が原因で政府がもっと手を打たないからそうなっているのであって、まあ、それはともかくです。

有名人の自殺などが増えてくると影響を受けて、その有名人のファンなどが同じように自殺でもされだしては大変です。

なんで自殺をしてはいけないのか?

その理由を園頭先生が正法誌に書いていられますので、それを抜粋しておきましょう。

1979年 三月号より抜粋

<「なぜ自殺はいけないか」

一、人間は神の子であり霊的存在である。われわれが輪廻転生の中で霊の自覚を深めていくようにされたのは神である。だから、自殺は神に対する反逆である。

二、われわれは今生において、自分自身の魂を向上させなければならない目的を持って生まれて来た。その目的を達せずに自殺することは魂の進歩のルールを破壊する自分自身に対する反逆である。自分の進歩を自分自身で停止、逆行させるものである。

三、この世界はいろいろな相関関係の中で魂の進歩を図っていかなければならない。その人が存在するということはその人が存在することによって魂の向上を果たしていかなければならない人たちがあるということなのであって、その人が自殺するということは、その人自身の魂の進歩を遅らせるだけでなくて、その人に関係したすべての人々の魂の進歩を遅らせることになるのである。

四、われわれはすべて、神より自由を与えられている。心中という形で自殺を相手に強制することは、生命存在の根本原則である相手の魂の尊厳の自由を阻害することになる。

このような自殺は、神また自分自身に対するルール違反即ち反逆なのである。

五、自殺する人たちは、現実の苦しみから逃れようとして、死ねば楽になるということで死んでいくのであるが、死後は確実にこの現実世界の延長線上にあるのであって、死んだからといって苦しみは解決しないのである。

六、死という形で現実逃避してみても、一切の運命は自分自身の責任なのであるから、どこかでその償いはしなければいけないのである。

(中  略)

自殺した霊魂は地獄界に堕ちて、神が定められた輪廻転生のルールに反したことをきびしく反省しなければなりません。

反省が終わって、許されて再び地上界に生まれ変わって来たとしたら、人生というものがどんなに大事であるかということを再び知るために、どんなに苦しいことがあっても、この人生を逃避するために絶対に死ぬわけにはいかないという、きびしい決心を持って孤独の一生を送らなければならないのです。孤独のきびしさの中で、人生を大事にすべきこと、人と人とのつながりを大事にすべきことを学ぶのであります>

自殺は神に対する反逆であり、自分に対する反逆であり、自分が自殺してしまうと、自分の魂磨きはもちろんのこと、自分がいることで魂を磨かなければいけない縁ある人たちの魂まで磨けないことになるのであり、今が苦しいからと自殺しても死んでもその苦しみは襲ってくるのであり、その苦しみは自分自身がつくったものであるのですから、自分自身で解決するまで、どこにも逃げ場はないということです。

だから自殺しても地獄に堕ちて苦しいだけで何も自分の苦しみは変わらないのであって、では、自殺は地獄に堕ちる分、よけい苦しみが増えるだけということになります。

そうして自殺した罪はそれだけにとどまらず、自殺した人が、その次に生まれ変わった人生はよりきびしい修行の場が与えられ、そのようなきびしい世界でも今度は自殺だけは絶対に出来きずに(そのように仕組まれるのです)そのきびしい世界で誰も仲間にはなってくれず、一生、孤独なまま、そのきびしい世界で人生の大事さ、人と人とのつながりの大事さを自分一人で学んでいかなければいけなくなるのです。

つまり、二重、三重のつらくきびしい修行を後々させられるということです。自殺した人はです。

それだけ自殺という行為は、神と、自分自身と、そうして縁ある人々に対する反逆行為もないからです。

だからそれだけきびしい修行も与えられるのです。それだけ自殺はしてはけない行為であるからです。自分だけではなく縁ある人にまで大きな(悪い)影響を与えてしまう行為であるからです。

だから自殺はしてはいけないといっているのです。これだけ多くの罪を一変につくってしまうからです。

だから自殺などしてしまった人は哀れなのです。こういうことを知らずに自殺していくのですから、死んだ後どれだけ後悔するか知れないからです。

こういうことを考えても、一日も早くこの正法神理を多くの人たちに伝えなくてはいけないのですが(これだけ自殺のことだけ取っても詳しく教えてくれる教えもないでしょうから)しかし、相変わらずこちらでは神理に対する反逆行為が続いています。(ほんと逆らう人が多いですから。〔苦笑〕)

昨日でも嫌がらせをしてくる人が多かったですからね。最近はおばはん連中がやたら感情的になって嫌がらせをしてきますが、最近の私のブログは、それだけいきり立つような内容が多いからでしょう。(特におばはんはすぐに感情的になりますから。〔苦笑〕)

しかし、女性が感情的に怒っているほど醜(みにく)いこともありません。(あれ?これまた女性差別ですか?しかし、正法神理に女性差別などという言葉はありません。神理に差別などないからです。だからこういうことを差別と見る方がおかしいのです)

女性であるならです。もっとおしとやかに優しくなってはどうでしょう。それが本来の女性の姿であるからです。

だから私など見たらです。「また、あんなブログを書いて、よしよし」くらいの愛と優しさを持たれたらどうでしょう。天上界の天女のようにです。(笑)醜く感情的に怒っているのでは地獄の鬼婆でしかないからです。

神理を知らされているのに、感謝も愛もなくてはこれほど魅力のない女性もないでしょう。

別に外見ではありません。外見がどれだけ年を取っていても、中身が(心が)愛深く優しいのであるならこれだけ魅力のある女性もありませんが、逆にどれだけ外見がよくても(きれいであっても)中身が鬼婆のように醜いのであればこれだけブサイクな女性もありません。

やはりそのような心と行いが大きく影響を与えると思いますよ。女性など特にです。

どうですか。女性の方もです。昨日ウナッシーさんから布施をいただきましたが、心からの愛ある布施をされたらです。(何度も書きますが〔理解されるまでです〕悪いのはそちらの方であるからです。神理を見ているのに感謝もせず、嫌がらせを一方的にしているのはそちらの方であるからです。だから、このような災いが起き出しているからです)

神理にそのような愛の心で感謝の布施をされるなら、美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに(そんなCMありましたが。〔笑〕)きれいになるからです。

身も心です。(心が変わると外見も変わりますよ。それは分かりますよね。ひどい心になればそのひどさが顔に現れてくるからです。だから逆もまたしかりで愛深くなれば、その愛深さが顔に現れるのです)

何度もいいますが、感謝も愛もない女性ほど魅力のない女性もありません。神理に感謝するくらい愛ある行いもありません。では、それをされてはどうでしょう。そうすればより女性としての魅力も深まり、よりよい男性も寄ってくるからです。(愛深い女性になればなるほどより愛深い男性が寄ってくるということです。類は類を呼ぶ、波長共鳴の法則です)

まあ、自殺もいけないなら、魅力のない女性もいけないでしょう。

感情的に怒っている暇があるなら、早くそのような心を反省し(愛のないです)もっと女性は愛を深めてください。

そのような女性の深い愛が男性を、ひいては世界を(そうして自殺者も)救うからです。

(こんなこと書くとよけい女性を怒らせますかね。しかし、最近はほんと多いのです。感情的に怒っているオバちゃんがです。怒っていても何も解決しません。今日はまたどこかの会社などドン引きしています。〔またコロッと逝くのが出たんじゃないですか。この感じではです〕愛がないからこれだけ災いも起きてくるのです。もっと愛を出してください。〔特に女性はです〕そうすれば災いは減ってくるからです。逆にそうしなければ〔愛を出さなければ〕絶対に災いは減ることはないからです。〔だから増える一方です。こちらなど災いがです。誰も愛を出そうとしないからです〕)

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9月 27 2020

天の眼(まなこ)とドッペルゲンガー現象

一昨日の夕方、帰って来た時のことです。

どこかの会社の連中が妙に引いて怒っているのです。おかしな怒り方をしてるなと思っていたら翌日の昨日も同じような怒り方をしていました。

それで私が「なんだコロッと逝くのが止まらないのか」と声をかけると、急に中の連中が怒り出しました。(ゴンとかガンとかやり始めてです)

本当にそうなのかと思って「そんなことしてたらもっと死ぬ奴が増えるぞ」といったら、もう凄い怒りようです。

本当に止まらなくなったようです。コロッと逝くのがです。だったら今日も出ているんじゃないですか。天罰に日曜日もないからです。

本当によく怖くないですね。この連中、実際に周りの人たちがドンドン死に始めているのにです。

しかし、この連中にこんなことが起きだしているんですから、他のところもさぞ出ているんでしょうね。多くの天罰がです。

そこらじゅうでコロコロ逝きだしたとは思いませんが(しかし、やたらキレたりドン引きしたり極端な態度を取るところが増えていますので分かりませんが。〔怖〕)ただ、私の周りで起きていることは正確に書いておきます。

このどこかの会社のような(本当に滅ぼされる、恐ろしい現象がたくさん現れだした)ところがあちこち出て来ているのは事実のようであるからです。

だから、それを知らずに軽い気持ちでこちらに嫌がらせなどして来てはあまりに危ないからです。

少し前に、あちこち歩いて辻説法をしていると、家の前にいて嫌がらせをしてくる爺ちゃん婆ちゃんがよくいたということを書きましたが、そういう爺ちゃん婆ちゃんをです。

まったく見なくなった人もいますが、たまにそういうことをしていた爺ちゃん婆ちゃんを見ることもあります。そうするとです。もうほとんどの人が(というか全員です)私の顔を見るとギョとして静かになります。前と同じような嫌がらせをしてくる人はまずいないのです。

たまに意地になって、私の顔を見ると嫌がらせをしてくる人もいますが「祈ってもいいんだな」などというと、もう顔を引きつらせておとなしくなります。

そういう態度を見ているとです。私に嫌がらせをしてきた人、全員に何か起きていると思うんですがどうでしょうか?多分、そうだと思いますよ。こういう(頑固な)爺ちゃん婆ちゃんなど自分たちに何か悪いことが起きて来なければ、私に対する嫌がらせをやめるとはとても思えないからです。

だからずいぶん長く私に嫌がらせをしていた人もいるからです。

しかし、そういう人が一人もいなくなったということは、そういうことをしていた人、全員に何か天罰がくだったということになります。

どういう天罰がくだったのか(病気にでもなったのか、それともけがでもしたのか)それは知りませんが、何か悪いことが起きたことだけは確かでしょう。だから態度が変わったのです。このような人たちのです。

しかし、だとしたらです。私に嫌がらせをしてきた人には、多かれ少なかれ何か天罰がくだるということになります。この近所の人たちも、私に嫌がらせをしている人で何も起きていない人などいなさそうであるからです。何か悪いことが起きているようであるからです。(もちろん亡くなった人もいますし)

そうであるならです。あのブシュブシュやってくる運転手連中も、そういうことをした運転手全員に天罰が現れていると私は思うんですがどうでしょうか。

多分、現れているでしょう。さすがに運転手連中はこちらでは確認しようがありませんが(どこのどいつか分かりませんので)これだけトラックなど減っているのです。

出ているでしょうね。ほとんどの運転手に確実に天罰がです。それはこちらの人たちを見ていれば分かるからです。

こういうことを多くの運転手は知らないのではないでしょうか。だから平気で私にブシュブシュやってくるのです。

私に少々ブシュとかやっても、別に自分に何か起きることはないだろうと軽く考えているからです。

だから、ずいぶん多くの運転手が私の顔を見ればブシュブシュやってくるのでしょうが、そんなに軽いものではないのです。神理を説いている者に嫌がらせをしていくということはです。

天は観ているからです。だからすべて知られているのです。そういうことをした人はどこの誰かはです。

だからそのような人たちは、どこかで(早い人はその日のうちにでも)確実に天罰がくだるということです。神理をきいていながら、感謝もせず嫌がらせをしている人たちなどです。

天はすべてを知っていられるからです。

こういうことを考えればです。

私に対し、嫌がらせをした方がいいのでしょうか。それとも感謝して布施した方がいいのでしょうか。どちらがいいのでしょう。

嫌がらせをしている人たちを天が観ているのなら、神理を知らされたことに素直に感謝して布施される人もしっかり天は観ているということになります。

やってなんぼです。やれば変わってきます。自分たちの周りに起きることも、そうして私に対することもです。しかし、同じことしかしなければ何も変わりません。

したらどうでしょう。感謝の布施くらいです。そうすれば、光の天使との関係も出来てくるからです。

「ドッペルゲンガー現象」というものをご存知の方も多いと思います。

このドッペルゲンガー現象とは、自分の姿を自分で見ることや、あるいは同じ人物が複数の場所に姿を現す、一種の幻覚(霊)のような現象をいっているわけですが、このドッペルゲンガー現象が現れると、その人物は近いうちに死ぬことになるといわれています。

実際にこういう現象があるのかどうか、それは知りませんが、私はこのドッペルゲンガー現象とはです。次のような現象が混同していわれているのではないかと思うのです。

私たちは、実際に死が近くなった人など、あの世の霊が観えるようになります。それは死の間際になると私たちは誰も心があの世と同通しだすからです。

だからそれまで観えなかった霊が観えるようになるのです。あの世と同通しだすなら当然あの世の霊は観える(霊視出来るようになる)からです。

結局、この世に出てくるとあの世のことを一度は忘れてしまいます。そうして中にはこの世のことだけしか信じない人も多くなるため(最近は特に増えました。そういう人がです)死んでいきなりあの世の霊とか出てくると、驚いて(パニくって)訳が分からなくなる人も出てきます。

それでなれさせているのです。死に際が近くなってくる人たちにはあの世の霊とか、あの世とかにです。

それで死が近くなるとあの世と同通しだすのですが、だから、死が間近い爺ちゃん婆ちゃんなど人がいないところを見て「あそこに立っている人は誰だ」とか「昨日死んだ母と話してきた」とかいう人がいますが、別にそれは嘘でも幻覚を観たわけでもないのです。

本当にそういう人(霊)を観たり(多分それはその人の守護霊でしょう)そういう人と会ったり(幽体離脱してあの世までいって死んだ肉親と話したり)しているのです。

ご本人はです。

そういうことは死の間際になれば誰にでも起きることであるからです。例外なくです。

こういうことからもあの世の存在は分かるのですが、このような現象を混同して、ドッペルゲンガー現象とかいわれているのではないかと私は思うのですが、そこはどうなんでしょうか?(死の間際になれば先ほども書きましたが、幽体離脱する人も出てきます。幽体離脱をすれば自分で自分を観ることは可能であるからです)

そこのところはよく分かりませんが、ただ、人の生き死には潮の満ち引きが関係しているといわれます。

満ち潮の時は人が生まれて来て、引き潮の時は人が死ぬとです。

そうであるならです。この辺りの人たちは(まあ、長くこのブログを見ている人たち全般かもしれませんが)引き潮の時間帯などせいぜいお気をつけください。

その時間帯に死神など観るならもうコロッと逝ってしまうかもしれないからです。そういうことがこちらでは頻繁に起き出したようであるからです。(その死神は私だったりして。〔苦笑〕)

そうであるならです。満ち潮の時間帯に神理を説いている私に感謝の布施でもされてはどうでしょう。

そういう人はです。

新しく生まれ変わることが出来るからです。

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9月 25 2020

神理の大事さと神権政治

昨日も皆さんずいぶんお怒りでした。

昨日は金山の辺りまでいってきたんですが、先週はずいぶん引いているところが多かったのに、今週はほとんどのところが怒っています。だからいっているのです。

『感謝して布施しないと災いは止まらない』とです。

だからみな怒っていたんでしょう。いつまでたっても災いが止まらないからです。次々に現れるからです。災いがです。しかし残念ではありますが、もう止まらないのです。

神理をきいているのに、感謝もせず嫌がらせをして、それをそのままにしていてはです。

それでは災いは現れるのです。もうそういう時が来ているからです。だから、これだけそこらじゅうで災いが(天罰が)増えて来ているのです。

神理に対する間違いをそのままにしておいて、それで普通に生活できる時代ではもうないからです。

日本全体を見てもこれだけ多くの災いが現れているのです。どちらにしてもこの神理に帰依するしかないのです。

そうしないともういつ自分に災いが現れるか知れない、そんな時代になっているからです。

だから私は最近は特に「感謝して布施しろ」とあちこちでいい回っているのです。そういう愛の行為を行わないと、そこらじゅうで起き出した災いは止められないからです。

しかし、本当に今生の人たちは物分かりが悪いですね。昔の人たちなら、もうこんなことが次々に起きてくればとっくに感謝して布施したのです。

そうした方が自分も救われるのだし、だいたい自分の方が間違っているのですから、反省するのが当たり前であるからです。

そういうことを素直に認め、すぐに心を入れ替えたのが昔の人たちでした。

しかし、今生の人たちはどれだけ自分たちが間違っていると分かって、多くの天罰がくだっていると分かっても、それでも絶対にそれを認めようとはしません。

そのような頑な心がこれほど多くの災いを呼んでいるのです。それだけ素直さ潔さを今生の人たちは忘れてしまっているからです。(それを忘れてしまっては失格ですよね。何かの映画ではありませんが人間失格です。〔苦笑〕)

昨日は電車の運転手連中もずいぶん怒っていました。この連中などたいそうくだっているのでしょう。天罰がです。

しかし、昨日は天罰がくだって怒っているのか、それとも昨日のブログを読んで怒っているのかよく分かりませんでした。やたらめったら怒っているのもいたからです。(私のすぐ横で思いっきりファンとかしていったのもいたし……そんなことをした運転手がいつまで無事でいられるか心配です)

JRなど左翼の運転手も多いんでしょう。だから、そういう連中は犯罪者とかわらないみたいなこと書けばやたら怒るのもいるでしょう。似たようなことをしているのも多分いるからです。

しかし、昨日のブログに書きましたが、もし本当に窃盗や暴行や盗聴などして来たのなら(なんか車のタイヤのネジをゆるめた奴までいるそうではないですか。そんなの殺人犯とかわらないですよね。もし、それが原因で大事故にでもなったらそういうレベルの犯罪になるからです)そういう人たちをされた人は愛の心で祈ってあげるといいのです。(神よ、このようなことをした人に様々な現象を現しこの方を正しくお導きください。この方に光をお与えください、調和と安らぎをお与えください、とです)

すると、そのような犯罪まがいの行いはストレートにやった人に返ります。そうするとこちらの人たちのように、そのようなことをした人に天罰がくだるということにもなるからです。

こういうことを知るならばです。いかにこの神理が大事かお分かりいただけると思います。

悪いことをした人にすぐに天罰がくだるなら、悪いことをする人も段々減ってくるからです。

そうして神理を実践する人が増えれば間違ったことをしている人たちも正されていきます。だからしないといけないのです。多くの人たちが本当の神の教えであるこの正法神理をです。

だから昨日の話ではありませんが、例えば政治などでも、おかしな政治をしている政治家がいるのなら正されていくのです。神理をする人が増えればです。

だっていま現在でもドンドン増えているんでしょう。(神理をする人ではなく)コロナ解雇がです。そればかりでなくそういうことをしている会社もドンドン潰れていて、それで失業者が増え、半失業者(コロナの影響で仕事が減り収入が激減した人)も増えていて、もうお金のない人たちが巷にあふれ出しているのです。

こういう人たちがまだこれからドンドン増えてくるといいます。こういう人たちが増えればどうなりますか?

当然、自殺者も増え犯罪に手を染める人も増えて来て、治安から景気から全部悪くなっていくのです。

だからいってるのです。今は自助、共助、公助とかいっている場合ではないでしょうとです。(そうして携帯料金を下げて喜んでいる場合でもないでしょうとです)

まず、そういう人たちを最優先で救わないといけないでしょう。それが出来るのは(通貨発行権がある)政府だけであるからです。

それなのに政権がかわってから、やれ縦割りの打破だの、規制改革だの、自助、共助、公助だの、今はそれじゃないでしょうといいたいわけです。収入がなくなった人を真っ先に救うべきでしょうといっているわけです。

未だ「バラマキなどすれば日本は財政破綻する~」などといっているトンチンカンな人たちはほっとけばいいのです。(もうそういう人たちはです。その国の借金〔?〕が、一体いくらくらいになったら日本は財政破綻を起こすのかその正確な数字を出してください。例えば、一千五百兆円とか二千兆円とかです。それをいわないと無責任でしょう。数字の確かな根拠もないのにいっているだけではです)

自国通貨建ての国債などいくら出しても財政破綻などするはずがないのですから、政府はそういう困っている人たちに自国通貨(円)をもっとばらまくべきなのです。(中国がいい例です。もうメチャクチャ出しています。自国通貨をです。しかし破綻しません)

ひどいインフレにならない限りはです。

今それをしなくて(この超非常時に)一体いつそれをするのでしょう。それをすれば(現金さえあれば)そういう不可抗力で困っている人たちが全員助かるからです。それに今それをしないと、この先(何度もいいますが)どれだけ景気が悪くなり治安も悪くなって、日本が悪い方向へいってしまうか知れないからです。

しかしそのようなことをどれだけここに書いてもです。それが政府に届くわけではありません。(今の調子ではです)

このようにいま現在、一番困っている人たちを助けることが出来るのに、助けようとしない、こういう政治の間違いも多くの人たちが正法神理を実践し、声を上げ(このブログに書いているようなことを皆で訴えるのです)祈るなら、正すことが出来るのです。

皆の苦しい声が確実に政府まで届くということです。神理が教える正しい祈りと行いを多くの人が実践することが出来ればです。

だから政治などもです。いま現在はやたら人権だの、民主政治だのいっていますが、本当はそれではダメなのです。

人のいうことは十人十色で皆それぞれ自分の事情があるからです。それに合わせていたら、どうしてもこっちはよくてもあっちがダメだとか、あるいは、力がある人の都合によってしまうからです。

人に政治を合わせるならそうなるでしょう。だから政治は神に(神の心に)合わせないといけないのです。

人権政治ではなく神権政治なのです。神の心を基とする政治を行わないといけないのです。

実際そのような政治をキリストは前世で行っています。キリストは七千年ほど前にエジプトのナイル渓谷で一大宗教国家をつくられたのです。

キリストがその神権政治を行われた当時は、そのナイル渓谷周辺には政治も宗教も違う大小の独立国がいくつもあり、絶えず紛糾(ふんきゅう)状態を続けていたそうです。

政治も宗教も違う国が近くにいくつもあれば、当然そのような戦争状態になるのでしょうが、キリストは(当時はアガシャという名であったそうですが)その中の一つの小さな国の宗教指導者であったそうです。

この時にキリストは、このような状態をいつまで続けている無意味さと愚かさを周りの国の人々によく説いて、そうして当時の一種のエジプト国際連合を形成する音頭を取り、ついに大小あった(当時三十七の国があったそうです)多くの独立国を統合し、唯一の連邦政府を樹立されたそうです。

この時に行った政治が神権政治であり、この神権政治を行ったお蔭で三十七もあった国々がみな納得して連邦政府を樹立することが出来たのであり、だからこの神権政治(ということは、この正法神理を基とした政治を行わないといけないということです。キリストが当時行った政治がまさにそれであったからです)を日本でも行わないといけないのです。

そうすれば、次々に奇跡も起きて来て、誰もが納得する政治が行えるからです。そういう実績がすでに七千年前につくられているからです。

三十七もの国がまとまって連邦政府をつくれるくらいです。では、日本をまとめることくらい朝飯前でしょう。神権政治であるならばです。

しかし、民主(人権)政治など行っているから、いつまでたってもまとまらないのです。皆がそれぞれ勝手な(自分に取って都合のいい)ことをいうからです。

それではまとまらないのです。神の心を基としないとまとまらないのです。

だからもう根本から(政治から経済から宗教から)変えないとけないのですが、その基となるのが、この正法神理であるということです。

どちらにしても、今のままでは政治、経済だけではなく、これだけ災いが多くてはまともに生活も出来ません。

その災いを防ぐのもこの正法神理を実践するしかないのです。

いい加減、分かりませんか。この正法神理の大事さがです。

神理を一としなければもう救われる道はないのです。そういう時代にすでになっているからです。

だからこそです。一日も早く、一人でも多くの人たちが、この正法神理に目覚めてくれることを願ってやまないのです。

神理に目覚めない限り、政治、経済はもちろん、自分たちの生活もままならないからです。あまりに災いが起きすぎていてです。

この正法神理の大事さにいい加減気づきませんか。それに多くの人が気づかない限り、日本に起きている不幸は止まらないのです。

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9月 24 2020

よい循環 悪い循環

昨日も午後から洗濯にいったので、空いた時間に辻説法をしながら荒子川公園までいったのですが、その途中やたら怒っている会社がありましたね。

そこは先週通った時もキレていました。もう怒りまくっているので、何度も感謝して布施しろといったのですが、きく耳を持たずキレまくっています。

キレていても、その天罰は止まらないのです。キレればキレるだけ災いは起きて来ます。もう引きまくっているところも多いのです。頭を下げたらどうでしょう。そうすればその天罰は止まるからです。

それをどれだけいってもきかないので、ほっといて歩いていきましたが、荒子川公園までいくと今度は荒子川公園のすぐ前にある会社の連中もキレています。

「まったくもうどいつもこいつも」と思いながら「だから感謝して布施しないとその天罰は止まらないんだよ。素直に感謝して布施しろ」と何度もいったのですが、ここも同じです。

キレまくっているのです。しかし、キレて災いが止まるくらいならもうとっくに止まっています。(一時はそこらじゅうの連中がキレていましたから)そういう態度を取り続けてきたから、これだけ災いが増えているのです。

神理をきいていながら嫌がらせしかしないなど、これだけ傲慢で罰当たりな態度もありません。もうそのような態度を反省する時が来ているのです。

反省しないといけないのです。もうそれを分かっている人も増えて来ているからです。

昨日もキレている会社の連中に神理をきいているんだから感謝して布施しろという話をしていたら、周りでそれをきいていた爺さん婆さんがオロオロし出すのです。

自分たちも神理をきいていながら布施しないから不安なんでしょう。

だから私が「そういうことをきいたのなら、すぐに布施すればいいじゃない。そうすればよいことも起きて来て天上界にも行けるんだから」などという話をすると、自分たちに話が向いてくるととたんにその爺さん婆さんたちは知らん顔をするのです。

ムッとしたり無視したりして歩いていきます。本当に残念です。そういう年寄りが勇気を出して私のいうことをきいて布施などしてくれれば、それにならう人たちも出てくるのにです。

そうしたら、よい循環も(災いではなく次々に奇跡が現れる)し出すのにです。

しかし、今のままでは災いしか起きて来ません。天罰を食らっている多くの人たちがキレて嫌がらせをしているだけで(またはドン引きしているだけで)それ以外のことをしようとしないからです。

それでは災いが増える一方なのです。

今日も朝からどこかの会社などキレまくっています。朝早くからまた「カーン」とかしていましたから、また出たのでしょう。

「コロッと逝く人がです」

ほんとよく怖くありませんよね。これだけ頻繁にそういうことが起きていてです。

キレているのなら、こんなことしか起きないのです。だから昨日キレていた会社など大丈夫ですか。

同じことが起きていませんか。どこかの会社とです。

もうそういう恐ろしいことがこちらなど頻繁に起きているのです。にもかかわらず、多くの人が同じ態度を取り続けています。

本当に恐ろしい態度なんですが(そういう態度は神をなめ切っているからです)では、悪い循環は変わらないでしょう。同じ態度を取り続けている限り、同じことしか起きて来ないからです。

愛を出しませんか。怒りではなくです。

愛を出さない限りよい循環は巡っては来ないからです。

追伸…何か、こちら名古屋では大村知事のリコール問題でずいぶん問題が起きているらしいですね。

そのリコール運動をしている人たちに盗聴や車の破損、窃盗、風評被害、暴行、サイバー攻撃とありとあらゆる妨害行為がなされているという話ではないですか。

本当ですか?

だとしたら、大村知事を支持している人たちは犯罪者集団なんでしょうか?普通しないでしょう。そこまではです。

そういうことをしてくる人たちもどうかしていますが、そういうことをしている人たちを大村知事は支援しているという噂までききます。(県税の使い道がずいぶんおかしいとです)

そういう話が出ているだけでも辞任もんなんですが、こういう人が知事をやっていて大丈夫なんでしょうか。愛知県はです。

大村知事のリコール問題は真剣に考えた方がいいのかもしれません。

そうして大阪は大阪でやってますよね。大阪市長が、今度の住民投票で大阪都構想が否決されたら引退するなどといいだしました。

これもまた卑怯なやり方です。そういうことをいうと情が入って正しい判断が出来なくなるからです。(前の時もそんなこといってませんでしたっけ?常套〔じょうとう〕手段ですね。維新のです)

こういうことをいいだす市長と、そうしてこの維新の会がいっていることをもっとしっかり見た方がいいと思いますよ。大阪市民はです。

だって大阪都構想って大阪市がなくなるかどうか(ということは、大阪市という政令指定都市の権利をなくすかどうか)の判断を住民投票でするということになるからです。

それで本当にいいのかどうか、正しい判断が求められるからです。

しかしまあ、となりの静岡もそうでが、どこもです。問題のありそうな首長がたくさんいます。(苦笑)

だからこそ我々一般市民は(新総理も含めてですが)よく政治家という人たちを見ていないといけないのです。

そうしないとどれだけ国益をそこね、日本が(ということは、我々が住んでいる地域が)ひどい方向にいってしまうか知れないからです。

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