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11月 20 2017

確実に現れる奇跡と災い

前回、私が近くを通るとガンガン音を立てて嫌がらせをしてくる大工たちのことを書いたんですが、補足して書いておきますと、その大工連中でも何もしてこないところには何も起きていないようなのです。

たまに私が歩いていても、何もしてこないところもあって(本当にたまにですけどね。めったにそういう大工はいませんが)そういうところはいつまでたっても態度が変わらないからです。(まあ、静かにしているんだったら態度も何も分からないだろうと思われるかもしれませんが、雰囲気で分かります。何か起きたところは雰囲気も変わりますから)

ところが、そういう(静かな)大工たちでも嫌がらせを我慢しているところもあるのです。

私も何かしそうなところには(そういうところは、もう遠くからガチャガチャ音を立て始めますから)歩きながらいろいろいうので(「何かしたら、百パーセント悪いことが起きるぞ」とか「俺に何かして何も起きなかったところはないぞ」とかです)すると中には静かにしているところもあるのです。(しかし、ほとんどの大工は私のいうことを無視してやってきます。ほんと愚かです。私は大工たちのためにいっているのにです)

そういう嫌がらせを我慢するところもあるにはあるんですが、そういうところは一度や二度、私が通っても何とか我慢するんですが、それ以上、私が近くを歩いているともう我慢ならなくなるのでしょう。途中からガンガンやり出すところもあるのです。

そういうところは「なんだよ、この前まで何もしていなかったのに」と思うんですが、バカな噂しか信じていない連中なんだから仕方がないとも思い「じゃあ何が起きても知らないからな」とことわって、そのまま私は行ってしまうんですが、次にその場所を通る時は必ず静かになっています。

そんなことをしたとたん、その大工連中に何か起きるようで、それで一変に雰囲気が変わり静かになるようなのです。

嘘のような話ですが、これは本当のことなのです。(体験談です。だいたい、このブログに嘘など書けませんし)

とにかく、この辺りで家をつくっている大工連中が、それまでは何も起きていなかったのに、私に嫌がらせをしたとたん何か起きるのは事実のようで、その後、私に同じような嫌がらせをしてきた大工たちはいません。

ただ、たまに少し間をおいてから急にまた私が通ると怒りだす大工連中がいます。

そういうところは、その後もまた何か起きたのでしょう。だから怒りだしたのでしょうが、私に嫌がらせをしたばかりに何か起きたからと、それを私のせいにして私の悪口ばかりいっていれば、その後もまた悪いことは起きるのです。

その悪いことが起きたのは私のせいではなく、悪口をいっている自分(大工)たちのせいであるからです。

だから、そういうことが起きた大工さんたちは、私に嫌がらせをしたのが悪かったと、私を悪く思っているのが悪かったと反省し、それだけ現れる神の力を畏れないといけないのです。

まあ、そういう人たちは普段からの(悪い)クセで、神など二の次にして(自分たちの嫌がらせなどの悪い行いは棚に上げ)悪いことが起きるとすぐにそれを責任転嫁して人の悪口などいってしまうんでしょうが、そういう悪いところを直すため、その現象は現れているのです。

そうであるなら、そういう現象が現れたのなら人のせいにするのではなく、自分が悪かったとしっかり反省しないといけないのです。

それが出来れば、その後、そのような人たちには必ず奇跡が起きるからです。

それが出来るか否かが、その人たちの心の修行であるからです。

とりあえず、大工連中だけをピックアップして書いてみましたが、これに加えて昨日書いたあっちこっちの会社の連中や学生連中、それにあちこちの家の連中から運転手連中まで(こんな感じだから運転手連中はすごいと思いますよ。メチャメチャ起きているんじゃないですか。ずいぶんブシュブシュやられましたから)私に嫌がらせをして、災いが起きている人が一体どれくらいいるのか想像できないくらいなのです。

それくらい多くの人たちが、私に嫌がらせをしてきたからです。

大工連中を見ても分かりますが、私に嫌がらせをしてきた人(ところ)にはまず災いが起きるのです。(すぐに起きない人もいますが、そういう人は自分ばかりでなく身内にそれが現れたり、すごく運の悪いことが起きたり、何か不幸なことは必ず起きるのです)

まして何度も私に嫌がらせをしているところなど(この近所にはたくさんありますけどね。そういう会社や家など)すべて何か不幸が起きているはずなのです。

それだけの悪行もないからです。

私に対する(多くの人の心を救っている者に対する)嫌がらせなどの悪いことは、それだけ大きな罪になるからです。

だから、それだけの災いが起きるのです。それだけ大きな罪を自分たちでつくっているからです。(自分たちがまったく自覚がないだけでです)

そういうことを無神論の人たちは知らないだけなのです。(いつまでも理解しないだけという方が正確ですが)

この世で神のことを教え心を救うことほどの徳行はないのです。

それにもかかわらず、多くの人たちは、その行いを軽く見て認めようとしません。(自分たちは心が救われているにもかかわらずです)それでいて変わったことが起きると、それには反応して怒ったり嫌がらせしたりだけはしてくるのです。

こういう態度を取り続けている人がほとんどなのです。これではいいことが起きるわけがないのです。そういう態度が根本的に間違っているからです。

もう何度もそのような話は書いていますので、これ以上は書きませんが、その起きてくる現象の違いは明らかなのです。

私に悪いことをしてくる人には必ず災いが起き、私によいことをしてくる人には必ず奇跡が起きるのです。

そうして、その肝心の私には次々に奇跡が起きているのです。

それだけは確かなのです。

これだけたくさんの例が現れているのですが、それでもまだ態度を変えずに今のような(罰当たりな)態度を取り続けるのですか?

それは本人の自由ですが、しかし、態度を変えない限り、自分たちに起きてくることも変わらないのです。

自分を救うのは自分しかいません。周りはどうあれ自分一人でも態度を変えませんか?

その態度を変えた人から救われていくからです。

(どこかの会社が異様な静けさなんですが……終わりましたね)

追伸…何度もいいますが、これだけの災いが現れているのです。この法に逆らう人たちにです。

では、この法に従う人たちがたくさん出てくれば、たくさんの奇跡が現れてくるということになります。奇跡も災いも神の力には変わりがないからです。

後は多くの人たちの行いを変えるだけなのです。いま法に逆らっている人たちが、法に従うなら多くの奇跡が現れてきます。

自分を救うということでも、多くの人を救うということでも、このブログを見ている人、一人、一人の行いが大きな意味をなしてくるのです。

少しでいいので法に従ってもらえませんか。

そうすれば少しずつでも奇跡は現れてくるからです。

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11月 19 2017

天罰を食らっている人たちへ

どこかの会社の連中があまりにひどそうなので書いておきます。(あまりに悪いことが起きすぎて、烈火のごとく怒っていることと、思いっきり引いていることを、同時にやっています。この連中、本当に器用です)

この辺りは、そんなどこかの会社だけではなく天罰を食らっている人がずいぶん多そうです。だから、そのような人たちのためにも書いておくのですが、前回も書きましたが、私に嫌がらせをして病気になった人は、その私によいことをすれば、今度はその病気は治るということになります。(理論的にはそうですよね。私に悪いことをして病気になったのなら、私によいことをすればその病気は治るということになります)

もし、私のせいで病気になったという人がいるのなら(なんかずいぶんいるようですが)試しに私によいことをしてみてはどうでしょう。

そうすれば、その病気は治るかもしれないからです。

庄内川の工事の連中もそうなんでしょう。私に一方的に嫌がらせなどするから、病人が多発して(癌かどうかそこまでは分かりませんが)工事が出来なくなったんではないでしょうか。

それで工事を休止したのであろうし、その後また工事は始めたのですが作業員も少なく私に対する態度も変わったのです。

まあ、これは私の推測ですが、しかし、そういう人がこの辺りにはたくさんいるはずです。それは次のようなことからでも分かるのです。(ちょっと私に普段何が起きているのか書いておきます)

この辺りはよくあちこちで大工が家をつくっているのですが(最近はほんと増えました。家をつくったり改築したりするところがです…いいですね。お金があって。ほんとうらやましいです。〔笑〕)私がそういう家の近くを通るとまず大工連中がガンガンやってくるのです。(やってこないところはないですね。皆、必ずやってきます)

ところがそれから何日かして、同じところを通るとガンガンやってきたところは皆無といってもいいくらいないのです。

少しくらいは無理してやって来るところもありますが、二回目に通って同じようにガンガンやって来るところは百パーセントありません。

なぜか知りませんが、一度目と二度目では大工たちの態度が変わるからです。

不思議なほど変わるのですが、どうも私が歩いている時に、そういう嫌がらせをしてきた大工たちには後で必ず何か起きるようで、それで次に通った時には、大工たちもそのような嫌がらせをやらなくなるようなのです。

もう何度も(何十度ですね。数を数えていないのではっきり分かりませんが)そういうことが起きています。だからその連中に何か起きたことがすぐに分かるのです。

私は、その大工連中を祈っているわけでもなんでもないのです。

それなのに、とにかく私に嫌がらせをして来る大工たちに次々に災いが起きているようで、それでどの大工たちも二回目に私が通るとおとなしくなるようなのです。(これは本当の話です。この辺りで家を建てたことがある大工にきいてみてください。まず何か起きているはずだからです。私に嫌がらせをした大工たちにはです)

だから、一番分かりやすいのがこの大工連中で、他はマァ、会社の連中とか学生連中ですかね。みな、二度目、三度目は態度がずいぶん違うからです。(ただ同じところにいる連中はよく態度を変えるので分かりにくいのです。しかし、大工連中は一時、その場所にいて仕事をしているだけです。だから、一度、何か起きるともう私に何もしてこなくなる者が多くて分かりやすいのです)

こういうことが私の周りには数え切れないくらい起きているのです。(もう何年にも渡ってです)

だから、この辺りで天罰を食らっている人はたくさんいるはずだと書いているのです。それが体験として分かるからです。

そういうのは全部天罰です。いちいちそういう人たちを私は祈らないからです。(だって数が多すぎて、そういう人たち全員を祈れるものではないですから)

しかし、祈った人も祈らない人も、とにかく私にちょっかいをかけてきた人の多くに災いが起きるようなのです。(だから皆、態度が変わるのです。何も起きていないのに態度が変わるわけがありません)

では、それは天罰でしょう。私の祈りで何か起きているのなら、私が祈っていない人にまで何か起きることはないからです。

しかし、祈りにかかわりなく私に嫌がらせをしている人たちに災いが起きているのです。

ではそれは確実に天罰です。

だから、この辺り私に関するだけでも多くの天罰がくだっているようなのですが、それ以外でも悪いことが起きているようなのです。(サイレンがよくしていたことなど、その典型ですが、だからそこらじゅうの人が怒っているのです。子供も含めてです)

しかし、私にかかわった人に何か起きたというのなら、それは私のせいといわれても仕方ありませんが、私が何もかかわっていないのに(顔も見たことなければ祈ったこともない人に)悪いことが起きて、それまで私のせいにされてもこちらも困ります。

そういう人は、自分たちに何か問題があったのではないですか?病気は誰でもするからです。(それは世界各国共通です。この辺りで病気になった人たち全員を私のせいにされても、それはいくらなんでもやりすぎでしょう。そんなことをいっている人たちを被害妄想というのです)

何でも私のせいにしている暇があるなら、そういう人たちの心はどうであったのか。

まずそれを反省してみることです。そのような心に病気の原因は隠されているからです。(病気は気の病ですから。自分たちが勝手にストレスをためたり頑固すぎて、それで癌になっているのに、そういうのまで私のせいにされてはかないませんから)

または、例えばそのような人たちが私のブログを読み、反発ばかりしていたとします。(文句ばかりいう人はどこでもいますから。〔苦笑〕)

そういう人はたしかに病気になります。本当の神の教えに対し文句ばかりをいうなら、それもまた罰は当たるからです。(それは間違いであるという気づきの現象は現れるからです)

だから、このブログをずっと読んでいるのなら、ボケッとただ読んでいるだけでも、それはかまいませんが(苦笑)少なくとも反発はしない方がいいですね。反発などすれば、それは神の心に逆らっているということになり、よい事は起きてこないからです。(だいたい反発するくらいなら読まなきゃいいんだし)

まあ、とにかくです。法を説いている者によいことをしている人には奇跡が起きますが、その法をきかされているのに、何もしようとしなかったり、嫌がらせしたり、反発などしている人にはいいことは起きないということです。

それは起きている現象ではっきりしているのです。

そのような自分たちの行いを棚に上げ、起きてくる悪いことをいくら私のせいにされても、それは自分の行いが悪いからそうなっているのであって、私のせいではありません。

悪いことが起きるのが嫌なら(それは誰でも嫌なんでしょうが)自分の行いを正せばいいのです。(私のいうことに従うとかしてです)

ただ、この教えを無視すれば無視するだけ、逆らえば逆らうだけ、悪いことは起きてきます。

本当の神の教えを知ったのなら、その教えを勉強し実践するのが、この世に出てきた人の(神の子の人間としての)最低限の義務であるからです。(これは最低限のことですから)

その義務を果たさなければ(そういう人が多ければ多いほど)気づきの現象は激しく現れるのです。(いま現在、大変激しく現れています。その気づきの現象がです。最低限の義務さえ果たさない人がほとんどであるからです)

皆、お前のせいというのなら、では、その私のいうことをきくのなら悪いことは収まるでしょうし、お前のいうことなどきけるかというのなら、何が起きても人のせいになどしてはいけないのです。

すべて自己責任で自分の判断が悪かったと納得すべきなのです。

そのような人たちは、その私のいうことをきかないという判断を自分でしているからです。

しかし、多くの人は、自分でそのような判断をしておきながら何か悪いことが起きると、お前のせいでそうなったと、すぐに責任転嫁します。

それがいけないのです。そういうことをいうのであれば、最初から私のいうことをきいておけばよかったからです。

その私の意見をまるできこうとせず、悪いことが起きた時だけ、その悪いことを私のせいにするなど筋違いもいいとこです。

そういう筋の通らないことを多くの人がしているから悪いことが止まらないのです。

いい加減、この法を信じていただけないでしょうか?

この法を信じ行うなら、必ず、多くの奇跡が現れてくるからです。

(この辺りは、これだけ悪いことが〔天罰が〕現れているようなのですが…それでもまだ私に対する態度は変えないといわれるのでしょうか?しかし、そのような態度を続ければ続けるだけ天罰はくだるのです。〔本当に皆さん、礼儀がなっていません。心を救われている者に嫌がらせしかしないというのですから。それでは天罰がくだって当然なのです〕)

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11月 18 2017

気づきの現象

昨日はまた怒っている人がたくさんいましたね。(みんな私のせいですか?本当に呆れます)毎日毎日、怒ったり引いたり、皆さん大変そうです。

私に怒るのではなく、感謝して布施するという人はいないんでしょうか?そういう人がいれば、その怒っているようなことも起きなくなるのにです。

私のブログを読みはしても、誰も行おうとはしない。私のブログに書いてあることを行うなら、誰も奇跡が起きるのにです。

昨日は庄内川に行ってきましたが、三日ほど前にその庄内川のことをブログに書きました。(川岸の工事が止まっているとです)そうしたら、その日(ちょうどそれを書いた日にも庄内川に行ってきたものですから)何か知りませんが川岸の工事が再開していました。

たしか、それまではしていなかったはずですが(先週まではです)急に始めたようにも思えました。(マァ、私のブログを読んだから始めたわけではないんでしょうが。〔笑〕)

ところが昨日のことです。私は工事を始めたらその場所は通らないことにしているのです。(その区間だけ川岸から外れた外側の道を通ることにしています。あまり工事の近くを通ってまた嫌がらせをされてはかなわないし、向こうが病気でもしたら気の毒だからです)それで今日はやっているのかと思って川岸をのぞいたんですが(また中止しているかもしれませんから)作業員が一人か二人いて何か作業をしていました。

ところがです。その作業員が私の顔を見るなり、おかしな顔をしてやっている作業を急に止めたのです。そうして突っ立って私の方を見ているので、なんか変だなと思ったのですが、そのまま川岸に行くのをやめてすぐ外側の道を歩いて行ったのですが、あの作業員、何で私の顔を見て急に作業をやめたのかとちょっと不思議でした。

この前まで(工事を中止する前までは)私の顔を見ると、その作業をしながらガンとか、ゴンとか、やって来る作業員ばかりであったからです。

それなのにさっきの作業員は変な顔でこちらを見て作業も急に止めてしまった。明らかに態度がおかしいのです。

それに工事をしている作業員も妙に少ないのです。二、三人くらいしかいません。(三日ほど前に見た時もたしか二人くらいでやっていただけのようでした。その時はずいぶん遠くでやっていたのであまり気にもしませんでしたが)これもまた工事を中止する前までは十人近くの作業員がいたはずですが、ずいぶん少ないのです。

工事を中止する前と後では、作業員の数も態度も全然かわってしまいました。

一体どうしたんでしょうね。やはり私が前に書いた通り、あそで工事をしていた作業員の多くが癌になって、それで作業員も減り態度も変わってしまったのではないでしょうか。

などという冗談はともかく、もし、本当にそうなった人がいるのなら、早く私に謝って、そうして布施くらいした方がいいと思います。あなたたちがした嫌がらせはひどいものであったからです。(ずいぶんうるさかったですから)

そのように反省し、私によいことをするのなら(その罪は許され)その癌になった人の癌は様々な奇跡が起き治っていくでしょうが、そのまま私に対し知らん顔をしているだけなら、そうなった人たちの癌は治ることはないでしょう。(私に嫌がらせをして癌になったのなら、私によいことをすればその癌は治る、当たり前のことなのではないでしょうか)

仮に一時は治っても、必ずどこかで再発して最後は苦しんで死ななくてはいけなくなるのです。

そういう順序しかつかないのです。あなたたちは恩を仇で返しているからです。(しかも相当な恩を〔何度もいいますが、この世で法を伝えられる以上の恩はありませんから〕仇で返しています。相当苦しんで死ななければいけなくなりますね)

本当の神の教えを説いている者に感謝もせずに嫌がらせなどしていれば、そのような最悪の順序しかつかないのです。

だからこの辺り、そういう順序をもらう人が(癌になる人が)多いのです。皆そのような(大変)愚かなことを平気でしているからです。

それをどれだけ私のせいにしても自分が悪いからそうなるのです。

だから何も悪くない(いいことしかしていない)私には奇跡が起き、悪いことをしているこの辺りの多くの人たちには次々に災いが起きているのです。

自分のしていることが悪いからです。

だから、私によいことをすればよいことが起きてくるといっているでしょう。何でそれを誰もしようとしないのですか?だから、この辺りの誰にもいいことが起きないのです。

誰一人、心を救ってくれた私によいことをしないからです。恩を恩で返す人が一人もいないからです。(こういうことを書けば中にはゾッとする人もいるのでしょうが、そういう人は完全に悪魔に憑かれています。恩がまるで分からないからです。憑いた悪魔に人の恩を分からなくされているのです)

だから大人から子供まで災いが起きているのです。大人から子供までが(私のブログは見ているくせに)嫌がらせしかしないからです。

これだけ起きてくる現象が違うのです。いい加減、自分たちの間違いを認め、私に謝罪しませんか。

そうすれば、いいことも起きてくるからです。

しかし、それはどうしてもしないと、悪いのはお前だと、そういい続けるのなら、それはそれで結構です。(本人の自由ですから)しかし、そうやって突っ張っている限りはいつ自分に癌が現れるか知れません。

その覚悟だけはしておいた方がいいと思います。実際にそのようなことが(たくさん)起きているからです。

そうして、その現象は段々激しくなっているはずであるからです。

どれだけ意地を張ろうと自分たちの態度を直さない限り、起きてくる現象は変りません。どれだけ怒っても無駄なのです。

悪いのは自分たちの方であるからです。

何か起きないと分からないでは遅いのです。(マァ、この辺りの人たちは起きても分からないようですが)起きる前に気づかないといけないのです。自分が悪いということをです。

自分が悪くないのであれば、自分たちに災いは起きないのです。自分たちが正しければ自分たちに奇跡が起きてこないといけないからです。しかし、この辺りで奇跡が起きている人は誰もいません。(誰かいますか?私には奇跡ばかりが起きているという人がです)

では、この辺りに正しい人は誰もいないということになります。

それは、この辺りばかりでなくて他も同じですが、せっかく奇跡が起きたのに、その後、起きなくなった人もいて、本当にもったいない話です。

そのまま、私のいうことに従えば(法に従えば)奇跡は起き続けたはずであるからです。しかし、あの奇跡が起きた人たちのほとんどが、一度や二度、奇跡が起きただけで、その後、奇跡が続かず、けがまでしてしまったからです。

これは心のあり方がなっていなかった何よりの証拠なのです。表面上だけで法を知り、その後、しっかり法の実践を行わなかった(心を変えなかった)そのため、せっかく天が力を貸して現してくれた奇跡が、けがに変わってしまった。

その奇跡の反動がけがとして現れたのです。

それもまた気づきの現象であるからです。

天は、そこかしこに気づきの現象を現してくれています。この地上にいる人たちは、それに気づいていないだけなのです。

せっかく天が心を向上するチャンスを与えているのにむざむざ無駄にしているのが、この地上界に出てきている人たちなのです。

その気づきの現象に気づいて、一歩一歩心を向上させていく者こそ、人生の勝利者となり奇跡も現れてくるのです。

この時代は奇跡が現れて当然なのであり、奇跡が現れていない人など、どれだけみっともないか知れないのです。(それだけ心が悪いということですから)

だから、この時代に災いが起きるなど論外です。(どれだけ心が汚くやっていることが間違っているか知れないからです)

いつまで、その気づきの現象を無視するつもりですか?

しかし、気づきの現象を無視している間は、心の向上はなくその起きる不幸も止まりません。

気づきの現象に気づいて、心と行いを正せば、今度は奇跡が起きてきます。

またこれから気温がずいぶん下がり、北日本など荒れた天気が続くようですが、いつ心と行いをかえるのですか?(心と行いが悪いから悪いことが起きているのですから)

その心と行いをかえない限り、気づきの現象は止まらないのです。

(大丈夫ですか?どこかの会社は。ずいぶん社内で派手に騒いでいるようですが。〔汗〕早く詫びを入れないと滅ぼされますよ)

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11月 17 2017

心の向上

しかし、皆さん本当に大丈夫なんでしょうか。

昨日など引いている会社も多かったんですが、半分べそをかきながら嫌がらせをして来る人や、必死の形相で嫌がらせをして来る運転手などいて本当に悲惨でした。(何か、そういう人たちがかわいそうになって来てです)

そこまでして人に嫌がらせをしなければいけないものなのでしょうか?

悔しいからしているのか、それとも今さらお前に頭など下げられないと意地になってやっているのか、それは知りませんが本当に哀れです。

そのような人たちに、次々に恐ろしい現象が現れているというのに、怒って嫌がらせをして来ることしか出来ないからです。

子供のようですね。それでは。(みんないい大人なのにね。そういうことをして来た人はです)

いつまでも同じところにいるからダメなのです。心が向上して行くのなら段々よいことも起きてくるのです。

この辺りの人たちは皆そうなのです。進歩がないのです。いつまでも「お前のせい」ばかりで少しも自分が悪いとは考えようとしない(他の考え方をしようとしない)それでは心も向上しません。

だからいいことが起きてこないのです。

何が起きても考え方を変えようとしないからです。それでは心も成長しません。だからいつまでたっても悪いこと(気づきの現象)が起き続けているのです。

その悪いことといえば、今、相撲界でも横綱が暴力を振るったとかで問題になっていますが(いろいろな話が出てきて何が正しいのかよく分かりませんが)しかし、横綱に品格を求めるのなら強さだけを追っていてはいけないでしょう。(横綱になる条件が二場所連続の優勝か、それに準ずる成績)

そうであるなら、横綱になる時に相撲の強さだけではなく心の面も条件に入れるべきなのです。(例えば、普段からの周りの評判とか、稽古の姿勢とかです。それが悪い人はいくら相撲が強くても横綱にしないとかです。そういう条件をしっかり入れるべきです)

立場が人をつくるという部分もたしかにありますが、そのように成長しない人が昨今はあまりに多いのです。(ほんとしみじみそう思います)

特別それは相撲取りだけではありませんが、強さばかりでなく(仕事が出来るというだけではなく)もっと心の面も鍛えるべきなのです。

そうしないと立派な人にはならないからです。

これまでは仕事が出来ればいいとか、強ければいいとか、そういう部分が強かったんですが、これからの時代それだけではいけません。

物心両面でよくならないといけないのです。

結局、SNSが流行り出したのもそうでしょう。SNSのせいで、普段の態度から何からよくしないといけなくなったのです。(すぐに世間にばらされますから。ということは、心をよくしないといけないということになります。心を変えないと普段の態度もよくなりませんから)時代の流れと共にそういう順序をもらうのです。

心まで変えないといけないという順序をです。

しかし、相撲界もこういう問題が出るのはある意味よいことなのではないですか。

表面的にはよくありませんが(またかとかいわれて。〔苦笑〕)こういう問題でも出ないと、相撲取りは相撲だけ取っていればいい、相撲さえ強ければそれでいいというまた相撲だけしか分からない、相撲バカみたいな相撲取りも増えるからです。

しかし、こういう問題が出てくると、相撲だけではいけないと、こういう問題をどう収め、調和していくのかということを(親方たちはもちろんですが)一人一人の力士も考えるようになるからです。

そのような問題をいろいろ考えるなら、その分、人の幅も広がります。何度もいいますが、相撲取りとはいえ相撲はただの手段なのであって、相撲取りはその相撲を通して自分の心を磨いていかないといけないからです。

こういう問題が起きれば力士たちも嫌でも心が磨かれていくからです。(こういうことでも起きないと、力士たちも人の幅を〔心の幅を〕広げなければいけないようなことなどしないでしょうから。力士など相撲とファンサービスくらいしとけばいいだろうくらいしか思わずです)

だから、そういう意味で、こういうことも起きてよいのではないかと書いたのです。

決して相撲界が揉めて面白いという意味ではありません。そこは誤解のないようにしてもらいたいものですが、最初に書きましたが、要は心が向上しないといいことは起きてきません。(同じ位置にいては、そこによどみが生じ何か問題が起きてくるのです。このようなことも天の配剤です。そういう様々な問題が現れることで〔それを解決していくことで〕心が成長していくからです)

今回の問題で、また一層、相撲界が調和、発展していくことを一相撲ファンとしては願わずにはいられません。

しかし、相撲界よりよほど深刻なのがこの辺りの人たちです。

何度もいいますが、いつまでも(心が)同じ位置にいるから悪いことが起きるのです。心が常に成長していかないとよい事は起きてきません。

ソロソロ心の向上を目指されてはどうでしょう。そうすれば、半べそや必死の形相で人に嫌がらせなどしなくてすむようになるからです。

実際、このブログを読んでいる人ならば、ウナッシーさんというよい手本もあります。

少しは見習ってはどうでしょう。そうすれば悪いことは起きなくなるからです。

ウナッシーさんは私のいうことをちゃんときいてこの法をコツコツ実践し、その結果、次々に奇跡が起きているのです。

このような現象(奇跡)は、特別ウナッシーさんだけではなく、法を実践している人たちには前から起きていました。

園頭先生が指導されていた正法会では、奥さんが法を実践され愛を出すことで、夫の酒乱が直ったとか、浮気癖が直ったとか、何十年も帰ってこなかった子供が家に帰ってきたとか、そういう奇跡も起きていましたし(だから北朝鮮の拉致被害者の方々などこの教えをしっかり勉強し実践すればいいのです。そうすれば、子供が北朝鮮から帰ってくるような奇跡も起きてくるからです。本当ですよ。例えば日本だけが動いてもダメかもしれませんが、中国が動いたり、韓国やロシアが動いたりして不思議とそのような順序がついてくるのです。神の力はそれだけ大きく偉大であるということです)園頭先生の癒しの奇跡は凄まじかったですからね。(次々に病気やひどいけがを治されていましたから)

そういう奇跡が次から次に起きるのです。この法を実践して心を向上していく人たちにはです。(ただしそれも、心の向上がなくなると全部ダメになります。高橋先生や園頭先生の弟子たちが今は全然ダメ〔まったく奇跡が起きない〕ということでもその事実が分かります。常に心は向上し続けないといけないのです。だから難しいのであり、だからよけい成長するのです。この法の実践はです)

皆さんはいつまで同じところにいるのですか?

それは個人の自由ですが、そういうことをしているようではこの世に出てきた意味もありません。

少しずつでも向上していきませんか?

それには正しい実践をしないといけないのです。

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11月 16 2017

法の大事さ

昨日は思ったよりたいしたことなかったですね。

少し前までなら、昨日のようなブログを書いたら烈火のごとく怒っている人があちこちにいて、嫌がらせをされまくっていたでのですが、昨日は怒っている人がいるにはいましたが少なかったです。(トラックの運ちゃんなどが怒っているのが多かったくらいです)

なら、もう素直に私のいうことをきいて、この法に従ってはどうでしょう。そうすれば救われるからです。

しかし、無視を続けるなら災いがいつ自分に現れるか分からないのです。どこに逃げようが逃げる場所などなく、心をいれかえなければ最後にはその災いは自分に現れます。

今のままではもう不幸になるのが分かりきっているのです。

しかし、それは特別この辺りの人だけではありません。

法のないところに災いは必ず現れます。だからこそ早く、この法の大事さに気づかなければいけないのです。

まだ分かりませんか?法を知ろうとしないから、そのような悪いことが起きているのです。(法のないところには神の光も現れてこないからです)

それはこの辺りだけではなく、今や全国各地で起きている激しい天変地変や異常現象を見てもその事実が分かるのです。

皆、法を知らないからです。法を知らないからそのような不幸に見舞われるのです。

それは法を知っている人を見れば分かるのです。

昨日ウナッシーさんからまたコメントをいただきましたが、昨日のコメントなど、心から浮かんできた思いを話したら上司がその話した通りのことをしてくれて、上司の方も変わられたというのです。

普通は自分の上司などがそう変わるものではないでしょう。部下のいうことをきく上司などほとんどいないのですから。

しかし、それが変わってしまうのです。

法を実践しているとこのような奇跡も起きるのです。

そのようなこと以外でも、仕事のスピードが一変にはやくなったり、出来た製品が見違えるようによくなったり、奥さんの心が変わったり(世の亭主の皆さん、これこそ本当の奇跡です。〔笑〕)病気がよくなったりと、次から次に奇跡が起きてよい方に行くのです。

これこそ幸せの道なのではないですか?(神の光が現れているからこうなるのです)

もちろん私でも、どこに行っても、そこらにいる生き物が嬉しそうに寄ってくる愛ある現象が、それこそ、そこらじゅうで起きるのですから、これだけ幸せなこともありません。

周りに愛があふれているからです。(しかし、それ以上に周りの人に愛がないから少々不幸なだけです。動物より人の方が愛がないというのですから、それだけ愛のない人たちが幸せになれるわけがありません)

法を知っていれば幸せなことが次々に起き、知らなければ不幸なことが次々に起きる。

そのような現象が実際に現れているのです。(これだけ分かりやすい話もないと思うのですが)

それにもかかわらず、法を知ろうとしない人たちが、そういう事実を理解しようともせず、法を無視している自分が悪いにもかかわらず(法を無視して神の光が届かないばかりに起きている)不幸をいくら私のせいにしたところで、その不幸は止まりません。

法を知ろうとしないことがその不幸の原因であるからです。

そういう時代になったのです。正法の世とは法(正法神理)を知らなければ不幸になる時代なのであり、法を知っているなら奇跡が起きる、そういう時代なのです。

それをほとんどの人がいつまでたっても理解しようとしないのです。

だから、不幸が続くのです。

幸福になりたいのであれば、この法を勉強し実践するしかないのです。

責任転嫁をしている暇があるなら、法を勉強してください。

そういう努力をした人だけが救われていくからです。

(今のままではドンドン不幸になりますよ。やればいいのです。本当の神の教えをです。他のどんな教えを勉強したところでもう幸せにはなれません。それは起きている現象で分かるはずです。この教えの勉強が遅れれば遅れるだけ不幸になります。幸せになりたいのであれば、この教えを勉強することです)

追伸…昨日また東京で電車が止まったそうですね。(田園都市線が停電でストップしたそうですが)

何度こういうことが起きたら分かりますか?東京の人たちもです。(何か他人事のように、何でこうなったのか原因を追究しないといけないみたないなことをいっていますが、その原因はそういっているあなたのせいです。〔笑〕)

これは霊の作用ですよね。だって、その電車が止まった停電の原因が送電ケーブルがショートしたらしいのですが、そのショートした原因がまるで分からないようだからです。

老朽化でショートしたわけでも何でもなく、何でいきなり送電ケーブルがショートしたのか原因不明だそうだからです。

こういうのってポルターガイスト現象みたいなものでしょう。(ポルターガイスト現象とは、物理的な原因なしにいきなり家具が動いたり音を立てたりする現象をいうのですから)

だから私は霊の作用ですよ、といっているのです。(あの電車の窓ガラスがいきなり割れるのもそうですが)

東京の皆さんは、悪霊ではなく善霊を相当怒らせているからです。(苦笑)

東京の方々も早く法を実践してもらえませんか?名古屋のようになってからでは遅いからです。

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