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1月 19 2018

愛と調和と中道

今日は朝からサイレンがたくさんきこえていました。近くで火事でもあったんでしょうか?

同じように朝から怒っている人たちもたくさんいるし、相変わらずこちらは荒れ模様なのですが、この辺りだけではなく、来週からはまた猛烈な寒さとなり十年に一度の大雪になるところまであるとか。(十年に一度って…。〔汗〕)

荒れた天気はまだまだ続くようです。(無反省な人が多いですから)

昨日は堀川に行ってきたんですが、その帰りに一人の男子小学生とばったり会いました。(四年生くらいの子です)

その小学生は、少し前から何度か堀川の帰りに会ったことがあるんですが(下校時間が合うとです)私が唯一話が出来る小学生なのです。(その小学生も最初は私に嫌がらせをして来たのですが、私が懇々〔こんこん〕と話をしたら、最後は「すいませんでした」と謝って頭を下げて帰っていったものですから、それから堀川の帰りに会った時など、ちょこちょこ話をするようになったのです)

その小学生と昨日久しぶりに会ったものですから、少し話をして、家がこの近くだというので「分かった。じゃ、頑張って帰ってくれ」と肩をポンと叩いて別れたのですが「はい、さようなら」とその小学生は元気よく帰っていきました。

その小学生と別れた後です。私はその小学生が通っている小学校と同じ小学校(船方小学校)に小さい時に通っていたのですが(三年生までです。その後、引っ越しました)その小学校に通っていた時の前田という名前の先生のことをふと思い出したのです。

その当時、前田先生は船方小学校では一番有名な先生であったのです。

有名というか、生徒の間では一番人気のある先生がこの前田先生で、その一番人気がある前田先生が私が三年生の時にクラスの担任になったのです。

もう私たちのクラスは生徒全員、大喜びでした。(笑)

何でこの先生がそんなに人気があったのか?

もう時効ですので書いておきますが、この先生は自分の担任のクラスの生徒全員に菓子を買ってくれたり、夏の暑い日などアイスクリームを買ってくれたりするものですから、それで人気があったのです。

今なら考えられないでしょうが(その当時もそんな先生は他にいませんでしたが)この先生は、自腹でクラスの子全員に菓子やアイスなどを授業中に買ってくれるのです。(業者に頼んで学校まで届けさせていました。授業中にですよ。〔笑〕)

そういうことを度々していたから、生徒に大人気で前田先生のことは生徒間では噂になっていたのです。

まあ、今こんなことをしたら非難ごうごうで大騒ぎになるのでしょうが(えこひいきだとかいわれてです。〔苦笑〕)しかし、勉強嫌いだった私のような者でも前田先生が担任であった時は学校に行くのが楽しみで、学校に行くのがこれだけ楽しみだった時は、後にも先にもこの時だけでしたね。

後はもう嫌な時の方が断然多かったです。なんせ、勉強嫌いだったものですから。(笑)

まあ、こういうことがいいか悪いかは別にして、昔はこのような愛のある先生もいましたし(だからといって、前田先生は甘やかしてばかりの先生ではありませんでしたよ。授業中に話していてひっぱたかれたこともありましたし。そういうのも含めて楽しかったのです)またそういう話をきいても、めくじらを立てて今のように、えこひいきだの、あのクラスだけ特別だの、そういう小さなくだらないことをいう人も少なかったのです。(ゼロではなかったですけどね。そういう人がです)

生徒間でこれだけ噂になっていたのですから、学校中の人が(だから先生もということです)そのことは知っていたのです。

しかし、前田先生が問題になったことはありませんでした。

たまに「何であのクラスだけ」などという親がいて、それで校長先生に前田先生が注意されたということはありましたが(だから、授業中にアイスを食べたとか、そういうことはいうなと前田先生は生徒たちにいっていました)休み時間などに他のクラスの生徒が、そのクラスの担任の先生に「先生も前田先生みたいに生徒に菓子を配ってよ」などといって、その先生が「俺そんなに給料が高くないから無理だわ」とかいって笑っているくらいでした。

私が何をいいたいかといえばです。昔はこのようにおおらかであったということです。学校から何からすべてです。

しかし、今はどうでしょう。小学校などで、いま前田先生みたいな人がいたらつるし上げを食らうでしょう。

何でも四角四面で息がつまりそうです。

夏休み明けや冬休み明けに学校が嫌でよく生徒が自殺するのも、そういう面白みのない四角四面のところに問題があるのではないでしょうか。

あまりに愛がないのです。どのような世界にもです。

それは、いま問題になっている映画界のセクハラ問題でもそうでしょう。

たしかにセクハラは問題ですが、しかし、そのようなプロデューサーや監督、同じ俳優仲間には自分もお世話になったのです。

そういう人たちがいたから、今の自分はあるはずなのに、そういう感謝はせず(この辺りの人たちみたいです。〔笑〕)ずいぶん前のことまで許すこともせずにほじくりだして問題にするのはどうなのでしょう。

やはり、そのような問題もあまり極端にいい過ぎるのは愛がないのであって、ほどほど(中道)にするのがよいのではないでしょうか。

お互い様という部分は誰もあるからです。(だから、このセクハラ問題を批判している女優さんが一人、二人いますが、なかなかこういう時に声はあげにくいものですが〔ご自身も同じ女優であるからです〕ああいう方々は愛のある立派な方々であると思います)

それは日本も同じで、大相撲の問題でもあれほど騒ぐことなんでしょうか?(細かいとこまでです。〔話題だから乗っかったという部分はマスコミはあるんでしょうが〕)

しかし、あれも一人の親方があそこまで黙らなければここまで大きな問題となっていなかったように思います。

法の観点から見れば(愛、調和、中道)やはり黙っていた親方が、もっとはっきりいいたいことをいって、堂々と改革を進めるなら進めるでやってほしかったですね。

あのようなやり方は、調和できるようなやり方ではなかったからです。

昔は、わざわざそんなことをいわなくても、愛や調和や中道、そうして許しということは皆さんわきまえて、そのような中で生活していました。

だから、天気もこれだけ悪くなかったし、異常現象など起きていなかったのです。そういう(ほどほどの)心の人が多かったからです。

しかし、最近は、そのような大事なものがことごとくなくなり、愛も調和もなく、極端で許すこともしない、そのような人が増えてきました。

だから、このような極端な天気にもなり、異常現象も次々に現れているのです。

人としての大事な心(愛と調和と中道)を多くの人が忘れてしまったからです。

その心をもう一度思い出しませんか?

それ以外で今の異常現象を止める手立てはないからです。

追伸…昔は小学校など一クラス四十人ほど生徒がいたのです。(今は少子化でそんなにいないとききましたが)そのクラスの生徒全員にアイスを配る。(夏の暑い日などほんと嬉しかったです。当時はもちろん教室にクーラーなどなかったですから。そういう暑い中で食べるアイス。最高でしたね。〔笑〕)

一個百円として四十人で四千円。

そういうことを月に何度か前田先生はしてくれていました。いま考えると、決して安くない出費であったと思いますが、その出費以上に生徒の喜ぶ顔が嬉しかったのでしょう。

そういう愛のある先生もいたのです。

またそういう先生がいたから勉強嫌いの私でも学校に行くのが楽しみだったのです。

物につられようが何につられようがよいではないですか。バカな小学生が一人でもやる気を出すならです。(笑)

そういう愛のある先生が少なくなったから、自殺する子供も増えているのでしょう。

そのような愛を実践しないことには、この世は殺伐としよいことも起きなくなるのです。今がまさにそのような状況でしょう。

せっかくこのブログを読んでいるのです。もう少し愛を出す実践をされてはどうですか。

そうすれば(災いどころか)奇跡が起きてくるからです。

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1月 18 2018

目先の利

ここ二、三日は暖かいんですが(今日も暖かいんでしょう。少し楽です)急に暖かくなれば雪が多い地方は雪崩や落雪など心配です。

そうして、このまま暖かくなってくれればまだいいのですが、また、来週から強い寒気が入ってきて大雪になるところがあるとか。

本当に極端な天気が続いています。

いい加減、罰当たりな行いはやめたらどうでしょう。日本の人たちが罰当たりな行いを改めない限り、異常な天気は(罰は当たり)続けるからです。(本当に当たり続けています)

こう天気が極端では(お年寄りなど)病気になる人も出てくるのではないかと思われますが、しかし、この辺りは、これだけ病気になっている人が多いのです。(この辺りは年寄りにかかわらず老若男女がです。それだけ罰当たりな人が多いからです)

案外、私のマネをしてやっている人もいるのかもしれませんね。私を病気にさせようと、そのような祈りをです。

しかし、いつまでたっても私は病気にならない。そういう祈りをしていた自分が病気になって、ああやはりそういう祈りをすると自分が病気をするのだなと、分かった人がいるのかもしれません。

昨日ふとそういう人がいるかもしれないなと思えたからです。

まあ、私のいうことを信じない人は試してみればいいのです。私はあちこちで嫌がらせをしてくる人を祈っています。

では、私のマネをして私を祈ったらどうですか?私が病気になるようにとです。(もちろん私はそういう祈りはしていませんが)

そういう祈りをすれば自分がどうなるか分かるからです。別に私は全然かまいませんよ。どれだけ祈られてもです。

この辺りは、私に祈られるとムッとする人が多いのですが(苦笑)じゃあ嫌がらせなどしなければいいのです。私は何もしてこない人を祈ったことなど一度もないからです。

まあ、私がいっていることが嘘だと思うなら(人を病気にするような祈りをすれば自分が病気になる)自分でやってみてください。

そうすれば、私のいっていることが嘘ではないと分かるからです。

しかし、私を祈る祈らないはともかく、私に嫌がらせなどしている間は、そのような人は絶対に幸せになれないのです。

まだ、分かりませんか?そういう事実がです。

事実ではないですか。だって私に嫌がらせをしている人でいいことが起きた人などいないでしょう。

病気になっている人が多いようですし、自分が病気にならなくても家族や友達がなったという人はたくさんいるはずです。(この辺りなどその典型でしょう)

病気になって幸せという人もいないでしょうから、そういう病気になる人など出たら(自分や周りに)それだけで不幸です。

では、私に嫌がらせをして幸せな人などいないのではないですか。そういう人たちに、そのような不幸は必ず起きているはずだからです。

しかし、残念ではありますが、そのような人たちはそれだけですまないのです。

その後、人に騙されたり、行きたいと思っていた学校に入れなかったり、会社が倒産したり、家庭内がうまくいかなくなったり、今すぐに本人に病気が出なくても、例えば、結婚したとたんに病気になるとか、子供が生まれた時に病気になるとか、そういう(非常に)運の悪い順序をもらうのです。

法を説く人に嫌がらせなどしている人たちはです。

法を説く人によいことをしている人たちは、非常に運のよいことが起きるのですから、当然、その逆が起きるわけです。

だから、私に(法を説いている人に)嫌がらせなどしている人たちは絶対に幸せになれないといっているのです。

法を説く人に嫌がらせをしているということは、神に逆らっていることと同じであるからです。(神に逆らっていてはいいことは起きません。そうして最終的には〔死ねば〕地獄行きです。最後の最後まで悪いことは続くのです)

それが事実なのです。その事実を多くの人たちはいつまでたっても理解しないのです。

今のことしか見ていないからです。

昨日も私が歩いていると怒ってガンガンやっているのがいました。(ある工事現場でです)昨日書いたブログが気に食わなかったのでしょう。

それで私が「今日書いたブログを見て怒っているのか?智慧がないと書いたのが気に食わなかったのか?一回や二回書いたくらいのブログで怒るのはいいが、じゃあその前に書いたブログはどうなんだ。そのずっと前から書いていたブログで心が救われたことはなかったのか?神や心のことで知らないことを知ったことはなかったのか?そういうブログには感謝一つしないくせに、一度や二度書いたブログには怒るんだな。勝手なもんだな」といってやりました。

そうしたら、とたんに静かになりました。(苦笑)

こういう短絡的なことをしているから、私は智慧がないといっているのです。

私のブログを見ている人は、これまでのことも考えなければ、先々のことも考えない、その時、その時のことしか考えない、そういう人が多いようで、だから不幸になるのです。(だから悪いことしか起きないのです)

目先のことしか考えていない人ばかりであるからです。

そんな目先のことしか考えていない人たちがどうして幸せになれるでしょう。

これまで受けた恩も考えなければ、先のことも考えない、今の感情だけで動く、そんな自分本位な人が幸福になるわけがないからです。

昨日も少し書きましたが、保育園をつくるなとか、風鈴がうるさいとか、そういう自分の都合しか考えない人は、その時はそれでよくても(それで保育園がつくれなくなったり、風鈴をはずしたりしてです)いずれ、それ以上の苦しみが(保育園の子供がうるさいとか、風鈴がうるさいとか以上のです)その人に現れてきて、その人は苦しむことになるのです。

そういう順序をもらうのです。

そういう人たちは、自分たちが同じことをしてきたという恩を忘れ、自分の都合だけの間違った行いをしているからです。(善因善果、悪因悪果、そのような法則は必ず作用します)

だから、目先の利だけを追っていてはいけないというのです。

過去のことも、今のことも、そうして先のことも総合して考えて、自分の行動は行わなければいけないのです。

そのどれを考えなくても、その人は不幸になるからです。

このような異常現象が日本に起き続けているのも、あまりに短絡的で自分本位な考えの人が増えたからです。

そのような人が多い間は(そのような人が考え方を反省し、変えない間は)異常現象は起き続けるのです。

心と行いを変えませんか?

それ以外で、この日本から異常現象をなくす方法はないからです。

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1月 17 2018

智慧のない人

昨日は予想通り怒っている人が……多いと思ったのですが、怒っている人より引いている人の方が多かったように感じましたね。

さすがにやばいと思い始めたんじゃないですか。癌になった人を知っている人もこの辺りはずいぶん多そうであるからです。

引き始めた人が増えてきたのはいいんですが、怒っている人たちは相変わらず怒っています。そういう人たちはもう危ないですね。いつ災いが現れるか、こういう状況になると分からないからです。(神をなめすぎです)

昨日、大工のことを書いたものですから悔しかったのか知りませんが、最近、静かになったところが(大工連中が)またガンガンやり始めたのには呆れました。

自分たちがどうなってもよいのでしょうか?(こういう人は自分さえ粗末にしているのです)

そういう大工連中は、現象が起きることを知っているのです。(自分たちにも現れたはずであるからです)

それにもかかわらずまたそんなバカなことを始めたのです。愚かというしかありません。絶対にそこにはまた現象が現れるからです。

それが分かっているのに、まだやってくるのです。残念ではありますが、そういう連中は(またこのブログを見て怒るんでしょうが)智慧がないとしかいいようがありません。

智慧がないから、そんなバカことをまた始めるのです。

智慧があるなら、もうそこには現象が起きているのですから、同じことが起きると分かるはずです。ところが、智慧がない人たちは、その智慧より先に感情が来てしまうのです。

そうなると正しい判断は出来ません。また同じ間違いを繰り返すのです。するとそこには不幸しか起きないということになります。

そのような不幸がこの辺りにはあふれているのです。

それも分かっているはずなのに、それでも怒りを抑えることが出来ない、本当に智慧がない人は哀れです。

不幸になると分かっていても、その不幸の道を突き進んでしまうからです。

そのような現象は人が起していることなのでしょうか?(やれることなのですか?人の力でです)

人が起せるはずのない現象を人のせいだと思い込み、怒りまくって嫌がらせをし続ける、本当に智慧のない人たちは哀れです。

知らずに神に逆らい続けているからです。

少し考えれば分かるのです。そんなことはとても人がやれることではないとです。

それが分かるのなら、そんな人がやれることではないことが起きているのです。いい加減、神を信じ、自分が悪かったと、頭を下げることも出来るはずです。

そのくらいの考えは智慧がある人なら(知性、理性が発達している人なら)いくらでも浮かんでくるはずだからです。

しかし、そういう人がいつまでたっても出てこないのです。(ということは、知性、理性が発達した人がこの辺りにはいないということでしょうか?)

いつまでたっても「悪いことは皆お前のせい」と同じことをし続けているのです。

その結果、同じ不幸がずっと起き続け、その不幸がドンドン増えているという状況なのです。

多くの人がいつまでたっても智慧を働かせることなく、同じところで同じ間違いを繰り返しているからです。

この世界は神がつくられたのです。(少なくとも人間がつくったわけではありませんよね。人間は、大宇宙も、この地球も、その地球にある空気や水も、何一つつくれるものなどないのですから)

そのような神がつくられた世界だから、まず神のことを思わないといけないと、だから神の心を知らないといけないと、そういう正論を私はいっているだけなのに、それに一切、耳を貸そうとせず、自分たちの好きなことをやっている、だから、このようなこと(それではいけないという気づきの現象)が起きているにもかかわらず、それでも神のことを無視しているから、ドンドン悪いことが起きているのです。

何でそれをみな責任転嫁しているんですか。いつまでたってもです。

どれだけ責任転嫁したところで、その悪い現象は収まらないのです。そのような心(責任転嫁)がいけないからです。

その(いけない)心を直さない限り収まらないのです。悪い現象はです。

だから、これだけ不幸が増えていっているのに、そういう(深く広い)考えにはいつまでたってもならず、ただ、お前のせいの一点張り、そこから一切、考えを変えようとしない、だから智慧がないと私はいっているのです。

少し物事を大きく考え、少しの智慧を出すなら、私のいっていることは誰でも分かるはずだからです。(すべての人は皆、神の子であるからです)

それが分からないのは、物事を小さくとらえ、自分のことしか考えないからです。そういう小さな考えのままだから、私のいうことがいつまでたっても分からないのです。(本当に今の人たちの悪い考え方です。「保育園をつくるな」「風鈴がうるさい」など、その最たるもので、本当に自分のことしか考えていません。このように考えが段々、小さく小さくなっていっているから、ドンドン不幸が増えているのです。そういう小さな考えが間違っているからです)

しかし、もうそのようなことが分からなければ、次々に不幸が現れる、そういう時代になったのです。

それは少し周りを見渡せば分かるはずです。(分かりますよね。これだけ周りには不幸が起きているのですから。多くの人の考え方が間違っているからこれだけの不幸が起きているのです)

しかしそのような不幸は、物事を大きく見て、少し智慧を出すならいくらでも防ぐことができるのです。

いつまでも、それをしようとしないから不幸が止まらないのです。

誰にでも心の奥深くには内在された心の智慧が眠っています。(これまでの輪廻転生の記録です)

それを出せるか、出せないかで(どれだけその智慧を出せるかで)今生の修行の結果は大きく変わってくるのです。

(いま現在、日本に不幸が増えているのは、先ほども書きましたが、多くの人が自分のことしか考えない、考えが小さく小さくなっていっているからです。考えが小さくなればなるだけ神の心から離れていくのです。神は広く大きく豊かな心であるからです。だから不幸が増えているのです。神の心から離れれば離れるだけ不幸になるからです。そういう小さな心を変えないといけないのです。この教えが拡がれば多くの人が幸せになれるのです。それを我がことのように喜べるそういう大きな心にならないといけないのです。小さな心を大きく変えるには、この教えの実践が一番なのです。いつまで自分さえよければよいとやっているのですか。そういう小さな考えでいては必ず不幸になるのです。少し考えを広げ智慧を出しませんか。それをしない限りは本当の幸せは手に入らないからです)

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1月 16 2018

身の毛がよだつほどの恐ろしい現象

最強寒波が終わったと思ったら、今度は急に気温が上がるそうですね。(平年以上にです)

そうして来週からはまた異常な寒さとなるとか、これだけ(天気だけでなく)気温まで極端な傾向が続きますと体もおかしくなります。(それに雪が多いところなど雪崩が心配ですし)

ほんと、いい天気になりませんが、しかし、こういう天候も現されるでしょう。これだけ神の心に背いている人が多いとです。

それにしても次から次に現れてきます。(ちょっと驚くほどの起き方です)相当罰当たりな人が多い証拠でしょう。

それはこの辺りで起きている現象を見ても分かるのです。

四~五日前の話です。

ある場所を通るとやたら怒って(ドンとガンとか音を立てながら)家をつくっている大工連中がいるのです。そこはもう何ヶ月も前からそういう態度で、それだけしつこく私に嫌がらせをしてくる大工はこの連中だけです。

だいたいは、一度ガンガンやってくると(必ず何か起きるようで)二度とやらないところがほとんどなんですが、たまに何度もやって来るところもあるのです。(意地になってです)

そういうところでも三回か四回ほど通るともう何もしなくなるのですが(それだけ何度も現象が現れるということです。何度もして来るところには何度も現れるようです。どの大工も、現象が現れなければ嫌がらせをやめるような連中ではないからです。それに変な顔で私の方を見ている大工もたくさんいるからです)しかし、この連中だけは、何度私が通っても通るたびにガンガンやってきます。(もう十回近く通ったんじゃないですか。その連中が家をつくっている近くをです)

とはいえ、何も起きていないわけではなく、この連中にも何か起きてはいるようなのです。それにもかかわらず、その現象によけい腹を立ててよけい怒ってやってくるのです。(少し前までのどこかの会社のようです)

四~五日前もそうでした。その大工連中はメチャクチャ怒っていたのです。

いつもより怒っているような気もしましたが、私が何をいっても嫌がらせをやめようとせず、四、五人の大工が物を投げたくっていました。

あまりのうるささに(あのやかましさ、もう町中にきこえていましたね)呆れるのと腹が立つのと両方で「お前ら、徹底的に祈るからな」と捨てゼリフを残して私は歩いていきました。

そうして昨日また、その連中の近くを通ることがあったものですから(その連中がカンカンに怒っていたのはまだ三日ほど前のことでしたから)さぞ怒っているのだろうと「ずいぶん祈っているけど大丈夫か」とか何とかいいながら、私は近くを歩いていきました。

そうしたらです。昨日は私が近づいていっても物音一つしないのです。

「あれ、今日は休みかな」と思ったくらいです。しかし、つくりかけの家の中を見ると電気はついています。

では、いるんでしょうが、全然音がきこえてきません。三日前とは大違いです。(三日前どころかこれまでとはです)

「おい、どうした、何かあったのか」「もう祈りはやめておくか、あんまり祈っても危ないからな」とかいろいろ声をかけましたが、まったく無反応です。(この連中がこんなこと初めてです)

「とりあえず祈るのはやめるけど、祈りをやめたくらいではその現象は止まらないからな。布施くらいせんとな。ずいぶん恩を仇で返しているからな」などと声をかけながら歩いていきましたが(この連中も私のブログは読んでいるようですから)あれだけ騒がしかった連中がです。

まったく音を立てなくなってしまったのですから驚きました。

この三日ほどの間に一体何が起きたのでしょう。この前、騒いでいた連中全員が一変に癌になったとかですかね。(汗)

それくらいのことが起きなければ、これだけ長いこと私が通るたびに嫌がらせをして来た連中が、急に静かになるなど考えられないからです。

何が起きているのか知りませんが、とにかく身の毛がよだつほどの恐ろしい現象が、あちこちで起きていることだけは確かでしょう。

そうでなければ(この連中だけではなく)多くの大工連中が急に静かになるなど考えられないからです。

これまでずいぶん多くの大工たちがいましたから、中には気の強いのもいるでしょう。しかし、そういう者にかかわらずみな静かになりました。では、相当危ないことが起きていると想像できます。

我と思わん人は試してみたらどうですか?(私が近くを通ったら、ガンガンしてきたらどうでしょう)そういう人には必ず何が起きるからです。

などという、くだらない冗談はともかく、間違ってほしくないのは、こういうことはすべて天罰であるということです。

それだけは間違えないでほしいものです。(決して私がしているわけではないのです。もし私がしているのなら、私にもその身の毛がよだつほどの恐ろしい現象が現れないとおかしいからです)

法を説く者ほど多くの人(の心)を救う者はいません。その法を説いている者にそういう態度を取ればことごとく罰が当たるのです。(これは事実です。この辺りで家をつくっている大工にきいてみてください。私が嘘をいっていないと分かるからです。〔一緒にやっている誰かに罰が当たっているのです〕後は運転手連中だけですが、運転手連中は場所を移動しているため、そういう事実がはっきり分からないだけなのです。運転手連中にもずいぶん罰は当たっていると思いますよ。〔怒っている運転手も多いですから〕多くの人が私に嫌がらせをしているからです)

本当に当たるのです。(勝手に当たってしまうのですから、こちらはどうしようもないのです)だから、私にちょっかいはかけるなといっているのですが、どれだけいってもちょっかいをかけてきます。(多くの人が大人から子供までです)

いい加減、理解してもらえませんか。自分が悪いとです。そうしないと罰は当たり続けるからです。

それはともかく、このような身の毛がよだつほどの恐ろしい現象が勢いを増しているのだけは確かなようです。

今日は久しぶりにどこかの会社の連中もお怒りです。先ほど物を投げたくって怒っているのがいましたから。(昨夜もずいぶん怒っているようでしたし)

しかしもう、怒っていてもダメなのです。

ここまでくれば(ここまで現象が現れてくれば)それはもう誰でも分かることでしょう。ただ、他にやりようがないから怒っているだけなんでしょうが、やりようがないなら私のいうことをきくしかないでしょう。

自分たちの判断が間違っているから、恐ろしいことが起き続けているからです。

判断が正しければ、恐ろしい現象が現れることはないからです。奇跡が現れてくるからです。私のようにです。(悔しいでしょうが事実です)

多くの人が、私のいうことをきかないばかりに次から次に災いが現れているのです。そうしてその災いは(ここに具体的に書いているように)段々増えていっているのです。

このように天気もドンドン悪くなり、この辺りで起きている恐ろしい現象もドンドン増え、日本に起きる災いは増える一方なのです。

しかしそれも私が知っている範囲内で書いているだけで、私の知らないところではもっと、その恐ろしい現象は起きているはずです。

この辺りだけでも、そこらじゅうに怒っている人があふれているからです。では、他の地域でも、もっと悪いことは起きているでしょう。

それはこういう状況を見れば分かります。(どう考えてもいいこと起きていませんよね)

申し訳ありませんが、そうなったのはすべて自分たちの責任なのです。自分たちが(日本の人たちが)本当の神の教えを無視している結果、このような災いが次々に現されているのです。

本当の神の教えを無視するということは、神を無視していることと同じです。では、罰も当たるでしょう。

いま起きている現象は、そのような神に対して不遜な態度を取っている人々に、次々に天罰がくだっている、そのような状況であるからです。

それだけのことなのです。それ以上でも、それ以下でもありません。それが事実なのです。

それを無神論の日本の人たちは理解しようとしないだけなのです。

神を認めないから、起きていることも認めない、これはお前が(人が)やっているなどと(または温暖化などの自然現象)バカげた漫画のような発想をいつまでもしているのです。

多くの人が神を認めないからです。

神を認めないから、神に頭を下げようともせず、神の心を知ろうともしない、その結果、次々に天罰がくだっている、今の状況はまさにそれなのです。

いつまでも神に逆らっていてよいのですか?

多くの人が神を認め、神の心に従わない限り、起きる災いは増えることはあっても減ることはないからです。

それでも神を無視しますか?

しかし、それ以上愚かな行いもないのです。

(これ、天気も悪いままだし、この辺りの恐ろしい現象も増える一方です。いいんですか本当に、今の状況のまま何も変えようとせずにいてです。知りませんよ。あまりに神を怒らせ、どういうことを起こされてもです)

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1月 15 2018

本物と偽物の違い

もうお分かりであると思います。本物の教えと偽物の教えの違いはです。

本物の神の教えは、よいことも悪いことも(その教えに従えば奇跡が、逆らえば災いが)凄まじい数が現れるということです。

大奇跡を現されたモーゼはもちろんですが、キリストもそうですし釈尊もそうです。

本当の神の教えを説かれた方々は、その教えを説いている間だけでも凄まじい数の奇跡を現されていたのです。

それは聖書や仏典を見れば分かります。しかしそれも、お三方のすべての奇跡が記録されているわけではないということです。(起こされた奇跡を全部記録できるわけがありませんから。そのような書物には弟子たちが覚えていた一部の奇跡が記録されているだけでしょう。弟子たちが知らない奇跡も、お三方はたくさん起こされていたと思うからです)

それに対し、偽の教え(を説く人)はたまに奇跡が起きることもありますが(悪魔も奇跡を起こしますから)たいした数ではないということです。

それに悪魔は、どちらかというと驚くような奇跡を起こすことが多いのです。

あのユリ・ゲラーがやっていたようなスプーン曲げとか、オウム真理教がしていた座ったままピョンピョン跳ねたり、金粉を出したり、予言をしたりです。

悪魔は、このような現象をよく起すのですが、しかしこれは奇跡でも何でもなく、魔が現している悪魔の現象であると知るべきなのです。

なぜなら、こういうことは一つも人のためにならないからです。

スプーンなどいくら曲げても、スプーンがもったいないだけですし、座ったまま跳ねたところで大道芸人ではないのですから、そんなことをいくらしたって何の気づきも得られません。

金粉が現れたとしても不思議なことではありますが、そういう現象を見たからと、それで心が向上するわけではありません。(ただし、本当の神の教えを説く人にも自然に金粉が降ってくるということはありますが〔高橋先生が説法をしていられる時に金粉が降ってきたことがありましたし、釈尊の像が金色に塗られているものがありますが、それは釈尊が説法をしていられた時にも同じようなことが起きたからです〕しかしその金粉は本物の金ですし〔偽者が出す金粉は本物の金ではありません。だからしばらく時間がたつと金粉の色が変色してくるのです〕それは天上界が本物と証明するために現すのであって、本物に現れる金粉と偽者に現れる金粉は根本的に違うのです)

偽者は予言もするのですが、その予言は悪いことばかりでたまによい予言もしますが、それは当たらないのです。(または当たってもすぐその後に悪いことが起きるとかです。とにかく悪魔の予言はよいことが起きるようなことはいいません)

だから、同じようなことを説いていても起きてくることが全然違うのです。(いっていることだけはさも神理を説いているかのように見せかけますが。偽者もです。それに偽者は仰々しいことをいうわりには抽象的で、あまり具体的なことはいわないのです。偽者は、適当なことをいうのでいっていることがよく外れるからです。抽象的にいっておけば、後でいくらでもごまかせるからです)

あとは、派手な服など着て、大袈裟に説法をする人もいますが、これも偽者の特徴です。

偽者はそのような他のものでごまかすのです。自分に力がないのがばれてもいけないからです。

自分に力があるのなら、派手な服など着る必要もないですし、大袈裟にしゃべらなくても、出来るだけ分かりやすくしゃべればいいのです。

その方が多くの人に神理が伝わるからです。

しかし、偽者は自分に力がないのが分かっていますから(話の内容もなく何の奇跡も現せない)派手な服で人々の目を引き、大袈裟にしゃべって中身のない話をごまかすのです。(釈尊やキリストはもちろんですが、高橋先生も園頭先生もいたって普通の背広姿で説法などしていられました。〔背広の色も黒とか紺とか、グレーとかくらいです〕派手な服など着られたことはありませんでした。だいたい芸能人でもあるまいし、神理を説く人が、そんな派手な格好をしてどうするんでしょう。心は格好に現れます。おかしな格好をしている人は心もおかしいのです)

いくつか書きましたが、このような違いから、その人が説いている教えは本物か偽物かは分かりますし、それに私生活も偽者は(人の道から)外れているところがよくあるのです。

その点、本物は起きてくる現象だけではなく普段の生活から人の道から外れた行為はしないのです。

生活態度もいたって普通なのです。

こういう諸々の点を考えるならです。誰が本物であるのかは分かるはずです。

その本物の神の教えを説いている者にです。嫌がらせをしたり、無視したりしていたら、よいことが起きるわけがないのです。

この辺りで起きている数々の異常現象も、そうして日本各地で起きている異常気象も(今回の最強寒波もそうですが)本物の神の教えを説いている者に、そのような不遜な態度を取っている人が多ければ、十分、起きえる現象であるということです。(本物の神の教えを説いている者に不遜な態度など取れば、何が起きてくるか分からないということです。〔それ以上に神を怒らせる行為はありませんから〕実際そういうことが起き続けています。何年にも渡ってです。それを知らない人があまりに多いからです)

では、態度を変えるしかないのではないですか?

その本物の神の教えを説いている者に対する態度を、その不遜な態度を取っている人たちがです。(その本物の神の教えをそういう人たちは皆きいていることですし)

不遜な態度を改めない限り異常現象は続きます。早く反省してください。

そのように神を怒らせているのは、すべて、不遜な態度を取っている人たちの方であるからです。

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