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9月 19 2018

本当の神の教えを真剣に理解しない危なさ

今年起きた主な自然災害をちょっと書いてみましょう。

一月に群馬の白根山が噴火しました。

そして今年の一月、二月は異様に寒くて(例の何年に一度の寒気が何度も入ってきましたので)各地で大雪となり、特に北陸地方は記録的な大雪となりました。

三月からは、急に暖かくなったと思ったらまた急に寒くなったりで、寒暖の差が極端に激しく、凄まじい数のカミナリが起きた日がありました。(月の平均が八~九万回くらい、それが一日で十万回も起きた日がありました。カミナリの数が一日で月の平均を上回るというのですから、異常を通り越して、これは神の怒り以外のなにものでもありません)

四月には島根県西部地震、六月には大阪地震、七月には西日本豪雨、そのすぐ後に台風十二号が三重県から上陸し(例の逆走台風です)西日本を縦断しました。

その後、二十号、二十一号も上陸し(いずれも四国に)時期を同じくして異常な猛暑が続いて、その間、各地で激しいゲリラ豪雨は数知れず、九月には北海道地震です。

そうしていま現在も、台風や秋雨前線の影響で大雨になっているところがあるようです。

これ今年だけの話ですが、もう災いが止まらないといった感じですね。

それにこれは主な自然災害を書いただけですので、細かいところまで調べれば、もうどれだけ起きているのか分からないくらいです。(日照りで水不足のところもありましたし)

現在の日本は、天災は忘れた頃にやって来るではなく、天災は終わらぬうちにやって来る状態です。

もう起きている災いは他人事でもなんでもなく、自分たちがいつそれに巻き込まれるのか分からない状況なのです。

皆さん方が、このまま何もしようとしなければ、このような災いは増えることはあっても減ることはありません。

これほど天を怒らせているのは(何度もいっていますが)皆さん方(このブログを見ている人たち)であるからです。

実際、災いは増える一方なのです。それをいつまで責任転嫁してとぼけていても仕方ないでしょう。

い加減、認めてください。本当の神の教えを知りながら、まったくやる気を見せない、自分たちが悪いとです。

正味な話、心を向上させる気もない、この教えを学ぶ気もない、そのような人たちはこのブログを見ない方がいいのです。(それも、もう何度もいっていますが)

現にこの辺りでは、そういうやる気のない興味本位だけでこのブログを見ている人たちが、私に突っかかってきて、次々に天罰を食らっているのです。

そういうものなのです。

本当の神の教えを面白半分にしか理解せず、何をいっとるか、みたいな感じで、法を説いている者に平気で嫌がらせなどしてくれば、その反動は必ず現れ、ひどい天罰を食らうのです。

それを逆恨みして、もっとひどい天罰を食らっている人が続出しているのです。この辺りはです。

生半可にしか、この本当の神の教えである正法神理を理解しないからです。

それでは悪いことしか起きないのです。

それは他の地域の人たちも同じで、東京など昨日、一昨日と激しい雨になりましたが、これまでも東京はおかしな現象がたくさん起きています。

しかし(前回のようなブログを書いても)まだ誰も動こうとしません。天の怒りも現れるでしょう。

もちろん、大阪も同じなのです。大阪地震以来、西日本豪雨、台風十二、二十、二十一号とすべて関西は被害が出ているのです。これもまたいくらなんでも(悪いことが)続きすぎでしょう。(まあ、カジノ法案を主導したという罪もありますが)

この辺りだけではなく、東京や大阪にもこのブログを読んでいる人がたくさんいるからです。

そういう人たちがいつまでたっても動こうとしない、だから、これだけ激しい現象が現れるのです。

適当にしかこの教えを理解しないので、本当の神の恐ろしさがいつまでたっても分からず、どれだけ恐ろしい目に遭っても、それでもまだ平気で無視したり、突っかかったりしてくる、本当にありえない態度です。

現代の人の無神論のひどさ、神を恐れぬ態度は傲慢というより、むしろ異常さを感じてしまいます。(あまりに神を恐れないからです。この辺りもひどいですから。どれだけ悪いことが起きても誰も神を恐れることがないからです)

だからこそまずいのです。

これだけ神を恐れぬ態度は滅びの道へとつながってしまうからです。

だから、これほどの恐ろしい道がついてきたのです。

いま起きている恐ろしい現象は、日本全体で起きている天変地変だけではないのです。

こちらにはこちらで凄まじい現象がすでに現れているからです。

現れていますよね。この近所の人たちはよく分かると思いますが、もうはっきり書かなくても分かるでしょう。

癌になるような人たちがたくさん出ているのです。絶対に自分たちの罪を認めようとしない人が多いからです。

自分たちが罪をつくっているのに、どうしてもその罪を認めないなら、最後は死んで地獄で反省しろということになります。(最後にはそうなります。それ以外で反省のしようがないからです)

だから、そういうことが起きてきたのです。

どうしてもこの世で、自分たちの罪を認めないなら、もう苦しんで死んで行き、地獄に堕ちて、そこで反省するしかないからです。

それだけのひどい態度を、この辺りの人たちは神に対し取り続けているからです。(本当にひどいですよ。この近所は特にです。例えば、いま家の周りで工事をしているのですが〔後ろではアパートをつくり横の家では壁の塗り替えかなにかしています〕その工事に来ている大工連中が、このブログを書くのをじゃましまくっているのです。そういうことを最初に来た時からしているものですから、すでに癌になる人が出ているのです。それに怒ってよけいじゃましてくるものですから、それで次々に癌になる人が出ているようなのです。〔間違いないよな。うちの近所の大工の皆さん〕だから今は〔じゃまする連中が〕前の会社プラス周りの大工連中ということですので、このブログを書くのも大変なのです。これだけ神の教えを伝えるのをじゃましているのです。最悪の導きを得る人が次々に出てきても仕方がないのではないでしょうか。似たような態度を取る人が大人から子供までこの辺りはたくさんいるからです…どれだけ神に対し不遜なのでしょう)

激しい天変地変プラス、このような恐ろしい現象も次々に現れているのです。神の教えを無視し続けている人たちばかりであるからです。(実際そういうことは他地域でもすでに起きているのではないですか。最近の有名人で亡くなる人は癌で亡くなる人が多いからです)

このように、生半可な気持ちでこのブログを読んでいるのなら、そのような人たちはどれだけ不幸になるのか知れないのです。

いい加減、真剣にこの教えに向き合っていただけませんか。このブログを何年も前から見ている人たちなどはです。(それか、それが出来ない人はもうこのブログを読まない方がいいでしょう。本当に不幸になるからです)

布施くらいしていただけませんか。最低限それくらいの(善い)実践は、このブログを見ている人は(本当の神の教えを知らされている人は)必要なのです。

このブログを見ている人たちは、よい実践もしてください。(本当に悪い実践しかしない人たちばかりですから)

そうしない限り、よいことは決して起きてこないのです。

(もう決めたらどうですか。このブログを読むのをやめるか、それとも少しでも勉強して協力するかのどちらかをです。そうしないと〔いつまでも興味本位でしかこのブログを読んでいないと〕その人は必ず不幸になるからです…しかし、もう正法の世が深まって行きます。正法を知らないままでいれば、そのような人たちはどちらにしても不幸になるんですけどね。〔苦笑〕)

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9月 17 2018

易・占い

正法誌 1984年十一月号より抜粋

<高橋信次先生のことば

易・占い

〔問〕易、占いと、正法(正しい秩序、正しい法)との関係を、どのように理解したらいいものか、説明してください。

易、占いと、正法とはまったく関係がありません。人にはそれぞれ運、不運があり、明日の生命すらわからないのですから、易や占いによって開運をはかり、あやまち少ない人生を送りたいと願うのは人情であり、仕方のないことだろうと思います。

しかし、易・占いは、もともと、過去の統計を基礎にしてつくりあげられたもののようであり、また、これを見る人の条件と相手によって、その結果が違ってくるようです。そのために確率七分というような平均値が出てくるようです。もっとも人によっては、はずれたことはないと自信を持たれる方もあるようですが、しかし当たりはずれがあること自体が、易・占いの限界を示すと同時に、易・占いは現世のみ基本に置いて「ものを見る」という欠陥があります。

現世があるのは前世があるからであり、輪廻転生の歴史があるわけです。そのことを考えずに、ただ現世だけの運、不運を見立てようとするところに無理があるわけです。

人の一生が、占いや生年月日、姓名判断などによって決められ、あるいは変えられるとすれば、いったい人は何のために生まれてきたのか判断に苦しみます。ことに占いの目的が、人間が幸福を求めるのはそれはそれでよいとしても、不幸を避け、常に安楽を追求するとすれば、問題は非常に大きなものになります。

人生の目的は、魂の修行であります。己の魂を磨き、苦楽に対する執着から解脱し、平和に満ちた人間らしい人間としての自覚と、地上に仏国土を建設するのが人生の目的であります。

神の子である真実の人間であることを自覚するならば、易・占いに迷ってはならないのです。なぜかといいますと、人間は易・占いを越えていくものであるからです。

今月のいい方位は西南で、東は鬼門に当たる、今年は厄年だから静かにしていよう。星占いから見た生年月日では、いい年になっているからやりたいことをしよう、という具合に人が動くとすれば、占いは自己保存をつくりあげ、開運の名の下に、人は多くの執着を心の中に育て上げていくことになります。

人の一生は平坦ではありません。山あり谷ありで、好んで難を受ける必要はないし、難を避けたいのは人情ですが、だからといって開運に執着すると、今度は、ああしてはいけない、こうしてはいけないで、不自由な人間が出来上がります。そうなると開運のためだと思っていた占いが、ついに不運を招く原因をつくっていくことになります。

人生の目的は魂の修行にあるのですから、易や占い、生年月日で“悪い”という結果が出ていても、必要であれば決行しなければならないこともあるわけです。それを恐れていては何もできませんし、自分自身をよく知るのは、幸福な時よりもむしろ不幸な時であるのは事実です。

正しい生活には必ず現証がつきものです。

それゆえ正法を信じ、反省と正法の生活を送るならば、神は決してその人を見捨てることはされないでしょう。その不運を楽々と乗り越えられるようにされるでしょう。

人間は誰でも、ひとしく勇気ある人であってほしいと思います。

解  説

他力信仰をする人、易・占いに頼る人たちの共通的な欠点は、人はよいが気が弱いということと、知性・理性でものを考えるよりも、感情的にものを考えやすいということである。気が弱いということは自主性がないということであり、自主性がないというのは、自分で自分のことを決められないということである。

だからそういう人は、誰かがいってくれると、やっと腰をあげてやるということになる。

(中   略)

易・占いは「六千億産業」だといわれたのは昭和五十五年であるから、現在、日本人が易・占い、印相、墓相などに費やす金は「一兆円」を越しているかもしれない。

昭和五十二・三年、和泉宗章という人が「天中殺入門」を書いてブームになり、発行部数からして日本人の三人の内一人はこの本を読んでいるといわれたくらい売れて、和泉氏は何億という印税を儲けて金持ちになった。

金持ちになったとたんにこの人は易者をやめて、週刊読売に二二回にわたって「占い告発」を書き、易や占いは当たらないといい、それが「和泉宗章の“占い告発”」(読売新聞社刊)という本になった。この本の中には

大予言信仰の危険、病気、受験を占いで決めるのは傲慢、運命学で引き裂かれた夫婦、霊能者が誘った狂気、一人歩きする家相、相性のよい悪いはウソ、姓名判断のウソ、西洋占星術のウソ、易・占いのウソなど、とにかく運命学や易・占いの裏の手口がすっぱ抜いてある。

この本が出た以上、少しものを考える人ならもう絶対に易・占いに頼る人はなくなろであろうと思っていたのであったが、以前にもまして最近は特に西洋占星術が、それも小・中学生にまでひろがってしまって、ますますブームになっている。

「日本人はどうしてこうも無知なのか」

と思わざるを得ない。

人はそれぞれに過去の転生輪廻の経験が違い、また、この世に生まれてどういうことを勉強するのか、その目的も一人一人違えば、生まれた環境、その中での、しつけ、教育、また本人の心のあり方、努力、勉強の程度も違うのであるから、同じ星座の生まれだからといって、まったく同じ運命になるはずがない。

易・占いに頼る人の共通点は、起こった出来事に対してどうしてそうなったのか、反省しないということである。どうしたらいいのかということを真剣に考えないで、他力的に易や占いによって、あるいは名前を変えてみたり、印を新しくつくってみたりする。それでは一向に魂の進歩はないわけであるから、易や占いに夢中になればなるほど不幸が絶えないということになる。

自分を不幸といっている人の中には、個性が強く周囲の人々に順応できない人や、先見性、予見性があるために周囲に受け入れられないという人もあるから、そこは智慧を働かして周囲にしばらく同調するか、または自分を生かせる場所に移ればよい。

会社など、組織で仕事をするところでは、上役に人を見る眼があると能力のある個性の強い人は伸びるが、上役が無能で人を見る眼がないと、能力のある人ほどつぶされて不遇になりやすい。そういう時に不平をいわないで、余力を本業以外の自分の勉強したいことにふり向けて、自分の人間性を向上し、自分の知識を高めることに努力する方がよい。現在の日本の一流会社の社長でも、若い時に左遷されて、それでくさらないで一生懸命勉強しているうちに会社全体の風向きが変わって、出番が来て認められたという人が多い。

不遇な時に不遇だといって不平をいったり、易・占いに凝るよりも、じっくり自分の力をつける方が運命は早く開けていくのである。>

園頭先生は、よく正法誌の中に高橋先生のご著書の中から文章を抜粋されて、それに解説を加えていられました。

今回、抜粋したのも、そのようなところなんですが、前回のブログの追伸に現在のカトリック教会のおかしさ(異常さ)を書いておいたのですが、今回のブログも易や占いのおかしさを書いたものです。

黙って座ればピタリと当たる、などという、うたい文句で人を集めている占い師がいますが、その占いはこの世のことだけを対象にしたものであり、当たる人もいれば当たらない人もいるということです。

占いは、過去の統計を基礎にしたものであり、まったくのデタラメというわけでもないからです。

これまで、そうなる人が多いというのですから、そのような傾向性はあるのでしょう。そこに、その占いをききに来た人たちの性格をプラスするなら、だいたい、今生に起きてくることは予想できるのです。

人は皆やっていることは似たようなことが多いからです。

しかし、この教え(正法神理)を勉強し実践するなら、そのようなありきたりの運命を越えていくのです。

だから、この教えを勉強している人たちに対する占いは当たらないのであり(当てはまらないといった方が正確かもしれませんが)占いをされて当たっているなどといって、喜んでいる人たちは、まだまだ(この世の)修行が足りない人たちであるといっても差し支えないのです。

だから、厄年などよい例なのです。

あんなの何か起きるわけがないのです。(男は四十二で女は三十三とか何とかいわれていますが)この世で勝手につくりだしたものに過ぎないからです。(だから私は厄払いも何もしていませんが、その年に何も悪いことなど起きませんでした。園頭先生も同じようなことをいわれていました)

人は前世もあって、今世でも使命と役割、これまでの修行課程など全部違っているのですから、人と同じことが起きるわけがないのに、ありもしない厄などというものを怖がる、その怖がる心が厄を呼んでいるのです。(怖がる心も悪だからです)

前回のブログにも書きましたが、いつまでも間違った考えで間違った信仰など続けていて大丈夫なんですか。

それではもうよいことは起きてこないのです。

というより、そんな(末法の)心のままでいては、現在の日本は非常に危険なのです。

追伸…凄まじい災害が起きる『災害列島』と日本はかしてしまっているからです。

しかし、日本をこれだけの災害列島にしてしまったのは日本の人々なのです。(災害は天罰であるからです)

この辺りも含め、これだけ多くの災いを日本にもたらしている最大の原因は、このブログを見ている人たちにあるのです。

何年も前から平気で、このブログを(布施一つしないで)読み続けている人がたくさんいますが、そういう人たちにはもう多くの天罰がくだっているのです。(どこまでそれに気づいているのか、それは知りませんが)

これまでの常識がいかに間違っているのかはもう分かるはずです。(そういうブログを〔今回も含めてですが〕何度も書いていますので)

心を入れかえ行いを変えようとしないと、この先まだどんな悪いことが起きるか知れないのです。

自分たちに、その災いが起きてくる前に早く(このブログをボケッとただ見ているだけの人たちは)そのような危険な状況に気づいてほしいもです。

これだけの災いが日本に起きているのですから。

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9月 16 2018

福の神

だいたい、私が通っただけで悪いことが起きていたら、私はただの疫病神です。

法を説いている者が疫病神のわけがありません。法を説いている者は福の神なのであり、その福の神を疫病神にしているのは法をきいている人たちの行いが悪いからです。

だから、この辺りの人たちは悪いことばかりが起きるのです。福の神がいるのに、その福の神を(自分たちの行いが悪いばかりに)疫病神にしているからです。

本当に大丈夫なんでしょうか。この辺りの人たちはです。昨日も怒っている人がたくさんいました。

その怒っている人たちは、その怒っていることを本当に私一人がやっていると思っているのでしょうか?

そこらじゅうにそういう人があふれているんですが、それがみな私一人のせいなんですか?

凄い数ですよ。(分かっていますか、その数の多さをです)

例えば、その怒っている人たちの周りで病気になる人が出ていて、それを私のせいにして怒っているのだとしたら、それだけでずいぶん多くの人を私は病気にしているということになりますが、そういうことを一人の者がやれるものでしょうか?

それに、何でそんなことを私がしないといけないのでしょう。そんなことをしていたら(それだけ多くの人を病気にしていたら)一体どれだけ多くの人から怒りや恨みを買うか分からないのです。

そんなことをしていれば命まで狙われます。そんなバカなことをするわけがないでしょう。

そういうわけの分からない異常な噂をなぜ信じるのですか?(そこらへんほんと不思議です。よく真に受けますね、こんな話を)

縁もゆかりも恨みもない数多くの人たちを、次々に病気にするなど、ありえない発想でしかないのです。

そういう根も葉もないわけの分からないこじつけ話を(悪いことをすべて私のせいにしている無理やりなこじつけ話です)いつまでも信じるのもいい加減にしてはどうでしょう。

そんな大嘘話を信じていては不幸にしかならないからです。

もう少しまともに考えたらどうでしょう。そんなムチャクチャなことをする者などこの世にいないのです。(だいたい、そんなことを本気でしていたら精神的にも参ってしまいます。人間が、そんな考えをもち続けていられるわけがないからです。〔多くの人を病気にするなどという考えを常にもっていたら心に安らぎなどなくなります。そういう考えをもち続けていたら人は狂ってしまうのです〕それに、そんなおかしなことをし続けているのなら、自分の周りにもおかしなことが次々に起きてくるはずです。〔例えば、自分や家族が次々におかしな病気をしたり、大きな事故にあって死んだりです。因果応報です〕しかし、私はいったって健康ですし〔肉体的にも精神的にもです〕悪いことが起きるどころか、私の周りには常に奇跡が起きています。周りに起きることに嘘はありません。私が人を病気になどしていない、これ以上の証拠はないと思いますが…)

何度もいいますが、くだらない無理やりな責任転嫁はもうやめにして、もう少し広い視野で世の中を見てください。

そうすれば、今なぜこの辺りに不幸なことばかりが起きているのかも分かるからです。

残念ではありますが、すでに日本全体で、この辺りで起きているような不幸なことは多々、起きているのです。

激しい天変地変はもちろん、様々な病気は増えているし、癌だってずいぶん増えているそうではないですか。

そうして死んで行く人もどんどん増えているのです。(多死社会)

今この辺りで起きていることと、日本全体で起きていることと、一体、何が違うというのでしょう?

起きていることは何も変わらないではないですか。

この辺りにも激しい天変地変は起きているし(ゲリラ豪雨や台風、竜巻など)おかしな病気は増えている(もちろん癌も増えているでしょう。そういう話はいろいろなところからきくからです)そうであるなら、当然、死ぬ人も増えているでしょう。

天変地変やおかしな病気が増えているのに、死ぬ人が増えないわけがないからです。

では、何も変わらないではないですか。この辺りも、日本全体もです。

ただ、日本全体で起きていることが、この辺りでも起きているに過ぎません。それがなぜ、私のせいなのでしょう?

しかし、ただ一つ(この辺りと全国では)違うことがあります。それはこの辺りには私が(法を説く人が)いるということです。

その違いが、この辺りに起きていることに影響しているのは確かでしょう。しかし、全国的に見れば、この辺りに起きていることも、全国的に起きていることもさほど変わらないということです。

もし、この辺りで私のせいで特別悪いことが起きているというのなら、この辺りの人たちの人口が急激に減ったとか、この辺りだけ急激に癌になる人が増えたとか、救急車の出動が異常に増えたとか、そういうことになってもおかしくないはずであるからです。

しかし、何年たっても、そういうことは起きてこないのです。(だから、全国的にも悪いことはたくさん起きているということです)

ですが、先ほども書きましたが全然影響がないわけではありません。影響はあるはずです。それは見ていても分かりますし、これまで何度も書いていますが、そのような法を説いている人に嫌がらせなどすれば罰が当たるのが必然であるからです。

その罰の分は災いが多く起きているのでしょうが、では、法を説いている人に悪いことをしなければよいのであって、その法を説いている人のいうことに素直に従い、その説いている法を実践するのなら、そういう人には奇跡が起きるのです。

起きている罰を人のせいにしている暇があるなら(罰は自分が悪いから当たるのですから)自分の心と行いを反省し、せっかく法を説いている人がいるのですから、その法に従ってみませんか。

そうすれば、これほど悪いことが(全国的に)起きている世の中にあっても、自分の周りには奇跡が起きてくるからです。

このような(災いが激しく起きる)世の中になったからこそ、本当の神の教えであるこの教えはより大事になってくるのです。(この教えに従わない限り、救われる道はないということです。こういう世の中になればよけいです)

法を説いている人は福の神なのであって、決して疫病神ではありません。

その福の神を疫病神にしてしまっているのは、その周りにいる人たちなのです。

世の中は次々に災いが起きる、そのような世の中にすでに変わっています。

いい加減、福の神の話を真剣にきいてみませんか。

そうすれば、その人には必ず福が舞い込んでくるからです。

追伸…アメリカのカトリック協会の聖職者が何十年にもわたり、未成年者に性的虐待を加えていたと話題になっていますが、このようなことはアイルランドやメキシコ、ドイツのカトリック協会などでも行われていたとか。

もう完全に、このようなキリスト教の聖職者たちは悪魔にやられていますね。

キリストも泣いていることでしょう。(皆、悪魔になどにやられてしまってです)

このような問題が明るみに出ると、いよいよ、正しい教えは一体どこにあるのかということを、世界の人々も嫌でも考えなければいけなくなるということになります。

このようなタイミングで、日本に本当の神の教えが出現したというのも(そうして、神の業がこれだけ現れているというのも)神の導きといわざるをえません。

この教えを世界に拡げなければいけない時が刻々と迫っています。世界の人々が、本当の神の教えの出現を待ち望んでいるからです。

それなのに、この神の教えを知りながら、少しも勉強しようとしない(拡げようとしない)というのであれば、そういう人たちに起きる現象は益々激しくなるのは必然でしょう。

世界がこの教えを待っているからです。

いつまで私のいうことを無視しているのですか。それでは世界も困るのです。

日本の人々は(このブログを見ている人々は)早くこの教えに目覚め、世界にこの教えを伝えなくてはいけないのです。

私たちの使命は(このブログを見ている人たちの使命は)重大であるといわざるをえません。

(その重大な使命を〔平気で〕無視している。それでは罰も当たるでしょう。それを私のせいにされてもねぇ。〔苦笑〕)

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9月 15 2018

不幸な行い

昨日はまた東山動物園に行ってきたんですが(その三日前に行ったばかりですが)なぜこんなに私は動物園に続けて行ったのか?

別に動物たちにあいたかったからというわけではありません。(しかし、人にあうより動物たちにあった方が私としましてはよほど心が安らぐのですが。〔笑〕)他に理由があったからです。

だからすぐにまた東山動物園に行ったのです。

実は前回いった時にです。ずいぶん嫌がらせをされたのです。(凄かったですよ。そこらじゅうでされましたから)その連中に何が起きたか知りたかったからです。

といっても、動物園内でそういうことが起きたわけではありません。もちろん、動物園内でも嫌がらせはされたんですが、その帰りのことです。

私は東山動物園に行った時は毎回そうなんですが、帰りは歩いて帰って来るのです。(行きは地下鉄です)

動物園から家まで、だいたい二十キロくらいあるので(正確には分かりませんが)歩いて帰ってくれば四時間前後かかります。

その間、あちこちで辻説法をするのです。つまり動物園の帰りは辻説法をしながら歩いて帰って来るということです。

そうして前回いった時のことです。

いつも帰って来る道から少々外れたコースを歩いていったんですが(たまには違うところを辻説法してこようと思ってです)それが間違いのもとで(というか、よかったのかもしれませんが)そこらじゅうで工事をしているのです。(東山の辺りはもうあちこちでマンションか何かを建てているようです)

その、そこらじゅうで工事をしている連中から散々嫌がらせをされたのです。(もうドンドン、ガンガンやかましいことやかましいこと。そういうところが十ヶ所くらいありました)

それで頭にきて…ではなく、そういう人たちを哀れに思い「人のブログを読んでいながら、感謝もせずに嫌がらせをしていると罰が当たる。工事現場で嫌がらせをしたところで罰が当たらなかったところはないから、そんな嫌がらせはやめた方がいい」と、どこの工事現場でもいったんですが、私のいうことをきくところはありませんでした。(まぁ、どこもそうなんですが)

重ねて「本当の神の教えを伝えられているのに、その伝えている者に嫌がらせなどしたら、絶対に罰が当たるからやめとけって。じゃあ罰が当たってもいいんだな」ともいったんですが、いえばいうだけガンガンやって来るところばかりです。(これもまたどこもそうなんですけどね…なんかあおっているとでも思っているんでしょうか?こちらは本気で心配しているのにです)

では仕方がないと思い「こちらはいうだけいったんだからな。それでもそっちは嫌がらせをやめなかった。では、何が起きても人のせいにはするなよ。そんな悪いことをし続けている自分たちが悪いんだからな。悪いことが起きたらそれは天罰だからな。それだけは理解してくれよ。こちらのせいにはするなよ」と、どこの現場にもいってはおいたんですが、何か起きて私のせいにしなかったところなどこれまで皆無でしょう。

それで「じゃあ、何か悪いことが起きたら信じてくれよ。それは天罰であると。そうして俺が説いていることは本当の神の教えであると。だから、いった通りのことが起きるのであると。何も起きなかったら信じなくていいから、何か起きたらこちらのいうことを信じてくれよ」と、再三いっておきました。

そうして「何か起きたかは近いうちにまたききに来るから」ともいっておいたのです。それだけ一変に多くの工事現場で嫌がらせをされたことはこれまでなかったからです。(だから、どれくらいのところに災いが起きるのかも興味がありましたし)

それで、その言葉通り、その連中に何か起きていないかききにいったんですが(三日もあければ十分ですから)そうしたらです。

多分ですが、全部のところで起きているようでした。災いがです。

それぞれの場所で何度も確認しましたので間違いないでしょう。(「起きたんだろ」「悪いこと起きただろう」と何度もです。そういわれて引いているところと、やたら怒っているところの両極端な態度のところばかりでしたので、まず間違いなくどこの工事現場でも現れているでしょう。何らかの災いがです)

凄いですね。というか、凄まじいですね。(私に嫌がらせをした)すべての工事現場に災いが現れているというのですから。

そうしてまた分かりやすいこともあったのです。

その分かりやすいこととは、その嫌がらせをしてきた工事現場が固まってあるところから、もう少し先に行ったところにやはり工事現場があったのですが(そこもマンションか何かビルのようなものをつくっています)そこは私が通っても何もしてきませんでした。

何でそこは私に何もしなかったのか?

私が通ったのを知らなかったのか(この前、私が通った時は、たくさんトラックが止まって忙しそうでしたので)それとも嫌がらせをする気がなかったのかよく分かりませんが、そこの現場だけはこの前、私に対して何もしてこなかったのです。

ところが昨日は、その現場も私が通ると嫌がらせをして来たのです。

その場所を通る前に、もうその手前にあるいくつかの工事現場で私がわいわいやっていたので私のことに気づいたのかもしれませんし、トラックなんかもブシュブシュやっていたので、それにつられてやったのかもしれませんが、とにかく昨日はそこも嫌がらせをして来たのです。

だから私が、その工事現場の連中に「ここはこの前、何もしなかったんだから何も起きていないはずだろう。でも、嫌がらせをして来るのならここにも悪いことが起きるぜ」と声をかけたのです。

そうしたらです。一変にシーンとなりました。

ということは、やはり(私が近くを通っても何もしてこなかった)この工事現場には何も起きていなかった、ということが、そのシーンで証明されたのです。(何か起きているのなら、私がそういったのならよけい怒ってガンガンしてきたはずであるからです。お前のいうことは違っているという態度でです)

では、やはり私に悪意を持って嫌がらせをしてこなければ、工事現場の近くを通っても、その工事現場に何か悪いことが起きることはないということになります。

つまり、私が近くを歩いていても、その工事現場の人々の心と行い次第で、その工事現場に悪いことが起きるか、起きないかは決まるということです。

それだけ法を説いている者に悪いことをすることはいけないということであり、その者に嫌がらせなどすればもう即座に天罰がくだる、そういう時代になっているのです。(お分かりですか、この辺りの皆さん)

しかし、その者に布施などすればまた確実に奇跡が現れてきます。

では、その法を説いている者に何をしたら幸せになれるのかはもう誰だって分かるはずです。(だから、工事現場の皆さん、私が近くを通ったら感謝して布施しましょう。そうすれば災いも起こらず工期も早まって、楽にその現場が仕上がるという奇跡も起きてくるからです。これ、ほんとなんですけどね。私に嫌がらせなどするから災いが起こり工期も遅れて、その現場仕事も遅くなるのです。逆の態度を取れば当然逆のことが起きてくるのです)

この辺り、ずいぶん悪いことが起きているようですが、それは今回のブログを見れば、その理由がよく分かるはずです。

この辺りの人たちは、私に嫌がらせをして来る人たちばかりで、誰一人、感謝して布施などする人はいないのです。

だからよいことが起きないのです。(ただでさえ悪いことが集中して起きているこの日本にあってもです。特別この辺りは悪いことが起きています。この無神論の人が多い日本の中にあっても、特に神に対し不遜なことをしている人がこの辺りは多いからです。法を説いている者に嫌がらせをするということはそういうこと〔神に対する何よりの不遜〕なのです)

これからどんどん正法の世が深まって行きます。

そうなれば、心が汚い人たちには次々に不幸が起きてきます。

今のような心と行いで本当によいのですか?自分たちの心を直そうともせず、悪いことを責任転嫁しているだけでです。

それでは不幸にしかならないのです。

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9月 12 2018

北海道の大惨事と愛の力

北海道が急に寒くなったようですね。

稚内では観測史上最速タイで氷点下を記録し、北海道地震で大規模な土砂崩れが起きた厚真町では未明の気温が十月上旬並み(5・4度)の冷え込みになったとか。(昨日)

前回のブログで、原発を動かさなくては冬が来るのが早くなる(寒くなるのが早くなる)と書きましたが、その通りのことが起きています。

官房長官が、泊原発のただちにの再稼動はありえないなどといわれているからです。(天の心を逆なでです)

これ以上、天の心に逆らうようなことはされない方がいいでしょう。一変に天気がおかしくなるからです。(これだけ日本は天変地変が多発しているのです。日本の人々が天に逆らいまくりでもう天はカンカンだからです。これ以上、逆らうのはやめてください。〔恐〕)

早く泊原発を稼動させた方がいいです。(さっさと検査を終わらせてです)古い火力発電や水力発電など動かしても、結局、また何か(災いが)起きてきて様々な問題が現れてくるからです。(天がそのように導くのです)

泊原発を稼動させてください。そうしないと北海道は大変なことになるからです。今回の急な寒さはその警告なのです。

北海道が冬になるなら、マイナス何度というレベルではなく、マイナス何十度というレベルの世界なのです。それにくわえて大雪です。

北海道各地が大雪になり、そこで大停電が起きたらどうなるでしょう。

救助しようにも大雪のせいでそれもままならず、被害に遭っているところが分かっていても、すぐに救助が出来るかどうか分からず、そうして北海道全体で一体どれくらいの人が被害に遭っているのかも分からず、もし、そんなことになったら北海道に未曾有の大惨事が起きることになるのです。(春まで〔雪がとけるまで〕凍死した人が分からなかったということもあちこちで起きるでしょう)

北海道は他のところとはまったく違います。冬の北海道などもう(雪に覆われた)別次元の世界なのであり、そこで停電など絶対に起こしてはならないことなのであり、ぎりぎりセーフや何とかなるだろうではいけないのです。

絶対に電力不足は防がないといけないことなのです。冬の北海道はです。

では、泊原発を動かすことは必須なのであり、それを反対する人など北海道の人々の大量死を願っているか、または何も考えていない相当のバカかのどちらかなのであり、今の北海道の危なさは普通の人であれば誰だって認識できるのです。

だから原発の稼動を急がないといけないといっているのです。北海道の場合は、急ぎすぎなどという言葉はないからです。

すぐにもうその寒さはやって来るからです。

北海道の危なさを(それも非常なです)特に国のお歴々はよく理解しないといけないのです。

そのような北海道ばかりでなく、こちらも相当危ないのですが、いまだその認識が不足している人たちが多いのが残念です。(凄い出ているみたいです。〔血尿をはじめとした様々な病気がです〕どこかの会社を筆頭に〔ここは凄いです。もう出っ放しのようですぐ今もまた誰か出たようです。ねっ、どこかの会社の皆さん〕そこらじゅうで災いが起きているようです)

それを私一人のせいにされ続けても仕方ないんですが(それでは永遠に救われないでしょう)しかし、そのような(哀れな)人たちと違って私には相変わらず愛ある奇跡が次々に起きています。

昨日は久しぶりに東山動物園に行ったんですが、ああいうところに行くと本当によく分かります。

その愛ある奇跡が起きっぱなしであるということがです。

私が動物園に行くと、もうあちこちの動物が騒ぎ始めますので(おまけにそこにいるすずめたちまでです)すぐに分かるんですが、昨日はカンガルーを見ていたら、子供のカンガルーがこちらをジッと見ているので「お前、ちょっとこっちへ来い」と手招きして呼ぶと、最初もじもじしていましたが、そのうちに私の目の前までちょこちょこ跳ねて来たものですから、手を伸ばして鼻をつついてやりました。(もう触れる位置まで来ましたから)

そうしたら、くしゅんとかやりながら頭を振って逃げていきました。(笑)かわいいものです。

虎やオオトカゲを見ていたら、やはり私の前まで来て目の前のガラスにごしごし頭や顔を擦り付けてきます。(まるでなでてくれといわんばかりです)

それでこちらも、ガラスの上から手でなでるそぶりをしていましたが(こういう時にマジックが使えたらなと思います。よくガラスに手を通してしまうマジシャンがいるではないですか。〔笑〕それが出来れば頭を直接なでてやれるからです)猛獣や爬虫類が餌をやっているわけでもないのに(たまに観に行っているだけなのに)なついて甘えてくるというのです。(ライオンもそうです。雌のライオンなど私が見ているとよく地面に腹を上に向けて寝転がり、こちらを見ながらゴロゴロやっています)

猛獣や爬虫類でもそうなのですから、他の動物は何をいわんやです。

他の動物たちも個々でかわいらしことをしていますが、それを書いていたらキリがありませんので、これくらいにしておきますが、このような奇跡が起きるのです。

愛さえあればです。

これまでなつかないと思っていた動物たちも、すべてなつくのであり、どの動物たちも人間の言葉が分かり、みな人間のことが好きなのです。(専門家にこういうことをいうと笑われるかもしれませんが、実際に私にはそれと分かることが起きています。いくらでも証明できます。私のいっていることが正しいとです)

こういう奇跡は何も動物たちだけに限定するわけではありません。

動植物はもちろんですが、天にまで作用するのです。そのような愛の力はです。

つまり、今のように日本に集中して起きている天変地変も、いくらでも減らすことが出来るということです。(もちろんこの辺りで起きているおかしな病気もです)

多くの人々がもっと愛を出すならです。

その本当の愛の出し方をみな知らないのです。

だから、この教えを(真剣に)勉強しないといけないと私はくどいほどいっているのです。

この教えの実践ほど愛が現れる(ということは、奇跡が起きて、自分も守られる)教えもないからです。

とりあえず、悪いことが次から次に起きています。少しくらい愛を(もちろん本当のです)出されてはどうでしょう。(出していない人が多いからこれほどひどいことが日本に起きているのですから)

そうすれば、そこから救われる道がついてくるからです。

(この辺りの人たちも怒りばかり出しているのではなく、愛を出されてはどうですか?そうしないと本当に危ないのです。その怒りがまともに自分たちに返ってきてです)

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