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12月 14 2017

結婚初夜に夫に性病を移された女性②

こういう女性に対し、正法(法)ではどういう解決方法を取るのでしょうか?

同じく正法誌の1980年十月号から抜粋します。

<ある教師夫人の手紙

先月号に「正法は一体これをどう指導するのか」ということである教師夫人の手紙を載せておいた。

(中   略)

この教師夫人の手紙のように、夫は自分が浮気するだけでなく妻にも浮気をすすめる、という人に対して霊能に偏った考え方をする人たちはそれは憑依霊のせいであるというであろう。しかし、この問題は憑依霊のせいではない。性に対する心理的なコンプレックスである。

われわれが人を見る場合、過去が立派であったという人はそれはそのまま讃嘆(さんたん)すればよいが、過去に失敗した、罪を犯したという人があったとしたらその人の過去の失敗や罪によって現在のその人を評価してはならないのである。愛とは相手の欠点を温かく真綿で包んでその傷にふれず、その人の本当の魂を見つめていくことである。どんな人もみな神の子である。

過去の失敗によって現在のその人を悪い人だと見てはならないように、自分自身についても過去に失敗したからといっていつまでも自分を罪人だと思ってはならないのである。人の罪を赦すと同時に自分自身の罪も自分で赦さなければならないのである。

過去にどうあったかということによってその人を評価することはやめなければならない。その人が現在どうあるかということを大事にしなければならないのである。

私はその教師夫人にあって次のような話をした。

「あなたはこんなひどい主人はいないと思っていられるでしょうが、ご主人に浮気をさしているのはあなたなのです。結婚初夜の晩にご主人に性病を移されたあなたの悲しみがどんなものであったか、男の私でも想像できます。そのことでご主人はあなたに大きな負い目を感じてしまわれたし、妻に性病を移したという罪悪感を持ってしまわれたわけです。

あなたはそれ以来、ご主人を拒否してしまわれた。妻に拒否されてしまった男はどこかにか掃け口をみつけることになります。金があれば金で女を買うでしょう。金がないとなれば自分たちの行為を自分たちで正当化する理由をつけてどこかで発散することになります。

悪いと知りつつ自分を正当化しようとすることがどんなにつらいものであるか。女に弱目を見せたくない男は虚勢を張るものです。どんなに愛する努力をしても妻がその努力に対して喜びの表現をしてくれない場合、男は、自分には妻を愛する力はない、自分は妻を愛する資格はないと思うのです。愛するがゆえに別れたくないと思っている夫は、自分の行為が妻を喜ばせることができないならば、妻の喜びのために妻が喜ぶ自分以外の男性を妻に提供しよう、そういう機会をつくってやろうと思うのです。酔ったご主人を送ってこられたその友人と関係せよと迫られたということは実はご主人があなたを心から愛していられるその愛の倒錯した表現なのです。普通の人は表面だけを見て心の奥にどういう心が働いているのかを知りません。

夫が自分の代わりに妻を満足さしてくれる男を選ぶという場合、その男は自分の分身として自分でも好感を持つことが出来る男性を選ぶのです。

自分の血も肉体も汚されたという悲しみと怒りとがあなたの心の中にはあるでしょう。実は夫を赦さないあなたの心があなたの家庭を暗くし、娘が男の人と家出したというその原因も実はあなた自身がつくってしまったのです。四回も手術して自分の身体はずたずたになってしまったと思っていられるでしょう。しかし二人も立派な子供さんが生まれていられるということは、既にその病気は治っているということではないでしょうか。

われわれはこの肉体を使い、この地球という環境で魂を偉大に成長させるために生まれてきたのです。死んだ時に一番最初にあの世の入り口できかれることは「あなたは、どれだけ人を愛してきましたか」ということなのです。愛の行為こそが私たちの魂を偉大に成長させるのです。この肉体は、愛の行為を実践することによって魂を成長させるための道具なのです。肉体をどんなに清潔に保ったとしても、心が暗かったら地獄行きです。この肉体がどんなに性病菌によってずたずたに汚されて灰になったとしても、自分をご主人の前に完全に投げ出されることによってご主人の心が満たされ、ご主人のそういう行為がなくなり、ご主人の心が安らかさに満たされたとしたら、その方が人生の勝利です。あなたが自分のすべてをご主人の前に投げ出されれば、そこから家庭の中に明るさが甦り、娘さんの問題も全部解決します」

「しかし、先生、私の身体はもう主人を受け入れることは出来ないのです。身体が固くなってしまっているのです」

「それはあなたの夫を赦さない心の固さが肉体の固さとなっているのです。赦す心になれば肉体はやわらかくなります。われわれは魂を磨くためにお互いに相手を選んで生まれてくるのです。肉体はどこでどういう方法で朽ちて灰になってもいいのです。魂が救われて魂が生まれてくる時よりもひと回り大きく成長していけばそれで人生の目的を達したことになるのです」>

追伸…昨日はたくさんの人に待ち伏せされました。(苦笑)

小、中学生の団体さんが(三~六人)三、四組、それにオッちゃんが二、三人でしょうか。

昨日など庄内川から歩いて帰って来る三、四十分の間だけでそれだけいました。もう相当出ているのではないでしょうか?危ない現象がです。

しかも大人から子供までです。

もう分かりますからね。待ち伏せしている連中はです。だから先に声をかけるのです。

昨日など暗いところに座って(夕方の六時頃でしたのでこの時期はもう真っ暗です)資料を見ているオッちゃんがいました。(この寒いのにです。だいたい、そんな暗いところでは資料が見えないでしょうし。〔苦笑〕)

その向こうを見ると中学生たちが三人かたまって話しています。暗いところで資料を見ているおっちゃんといい、暗い中でかたまって話している中学生といい明らかに不自然です。(苦笑)

だからそちらに向かって歩きながら「あんたらみたいな人たち見たこともないけど、見たこともない祈ったこともない人たちに何かあっても俺のせいなのか。悪いことをみな俺のせいにしているようだけど本当に大丈夫か」と声をかけます。

そのとたん、ビクッとして、何か私にしようとしていた人の動きが止まります。そこで畳み掛けます。

「人のブログを読んでいながら、感謝もせず、嫌がらせなどしていたら悪いことは起きるぜ。あなたたち自分のそういう行いを考えたことがあるのか?」「もう心が汚いと悪いことが起きるの。そういう時代なの。心が汚いにもかかわらずそんな行いまでしていたら、悪いことは起きて当然だろう。それが何で俺のせいなんだ」「いちいち、自分たちに何か起きたからと俺のところに八つ当たりをしに来ても悪いことは止まらんぜ。お前のせいではなく、助けてくださいなんだよ。もう汚い心のままでは悪いことが次々に起きる、そういう時代になっているからな」「人のブログを読んでいるのならもっとしっかり読めよ。自分たちが間違っているから悪いことが起きているんだぜ。こっちは正しいから奇跡が起きているんだ。とりあえず、心を救われた者には感謝しないといけない。そういう自分たちの態度をまず改めないといいことは起きんわな」

と立て続けに話しました。

そういう話をしながら歩いていくと、そのオッちゃんも中学生たちも嫌がらせをしたくても出来ないようで(自分たちが悪いと分かるので)少々かたまっているようでした。

しかし、段々増えていますね。こういう人たちがです。(プラス怒っている人、プラス引いている人ですから)しかも、昨日など子供の待ち伏せがこれだけ多いというのですから、もう大人だけではなく子供にまで恐ろしい現象が次々に現れているということになります。

この法を実践している私たちのような心にならない限り、悪いことは止まらないのですが……それでもまだ自分たちの態度を変えようとはしませんか?

頑なに「お前が悪い」を続けますか?

しかしそれでは、悪いことは起きてもよいことは起きないのです。(そういう態度がいかに間違っているのか?明日のブログを読めば分かります。そういう責任転嫁の間違いを園頭先生がしっかり解説してくれるからです)

子供も(私のブログを読んでいる子供が多いのだから)私にあったら頭ぐらい下げて感謝しないといけない。(最近はこういう子供はゼロではありません。ほんの少しですがいます。そういう〔心の〕子に悪いことが起きることはないでしょうが、大半は私の顔を見ると怒って嫌がらせをしてきます。これでは子供に起きる悪いことは止まらないでしょう。その子たちは大間違いをしていて心が悪いままであるからです)

大人はもちろん、感謝して布施くらいしないといけない。(ほとんどの人が私のブログを読んでいるのですから)

それが災いが起きない秘訣(ひけつ)なのです。

それが出来ないというのであれば、何が起きても私のせいにしないでください。(いちいち私のところに来られても迷惑です…嫌がらせしかしないんだから)自分の行いが悪いからです。(どこかの会社も人が変わったように静かになってしまいました…相当やばそうです。〔汗〕)

よい行いをしない限り、よいことは起きてきません。自分のことだけしていても悪いことは起きるのです。(自分のことだけしているなど悪いことだからです)

よい行いをしませんか。それ以外救われる道はないからです。

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12月 13 2017

結婚初夜に夫に性病を移された女性①

前回、前々回と子供のことを書きましたが、最近はその子供をほっておいてすぐに別れる(離婚する)親たちが増えました。(子供の気持ちなど考えずにです。私は体験者ですから)

そんなに簡単に別れるのではなく、ずいぶん苛酷な夫婦生活を続けていて、園頭先生のご指導を仰ぐことにより、幸福になった夫婦の例が正法誌の中に出てきます。

その苛酷な例を一つ書いておきましょう。そういう夫婦を知れば、そんなに簡単に離婚する人たちも減ると思うからです。

1980年九月号から抜粋します。

<正法は人生をどのように解決するか

お釈迦様が説かれた八正道こそは、人生のすべての問題を解決する道である。正法によって解決出来ない問題はない。ある時、次のような手紙が来た。あなたたちならこれをどのように解決されるであろうか。

「前略、先生に思い切って何度となくご相談したかったのですが、書こうとするとすぐに涙があふれてしまい、なかなか書けませんでしたが、本日思い切ってペンを取りました次第です。

結婚して二十四年です。気性の激しい、欲望を満たすためには手段を選ばないそんな主人ですが、反面気の小さな情の厚いところに私は引かれたのかもしれません。結婚して子供を育てるのと、酒を飲んで少ししか給料を入れてくれないそのやりくりに精一杯で、子供を捨てるわけにはいかないと意地で頑張ってきました。結婚十七年目にOO市に出て家を求め(借金で)ホッとしたところに突然主人が「好きな女がいるからその女に子供を生ませる。その子供は私に育てさせてその女はこの家から働きに出させる」といいだしました。びっくりしたのです。中三の娘の高校受験を眼前にして、毎晩のように酒飲みに明け暮れ、深夜主人の友人が送ってくると、私にその友人と俺の前で関係しろというのです。その友人の人を玄関まで送って部屋に帰るとなぜ関係して来なかったかと怒るのです。そのような日が約三年つづきました。その後、主人は飲んで帰ってきては私に浮気しろとせめるのです。そうしているうちに娘の家出です。娘が男と夜逃げしたのです。娘の問題でごたごたしている間はおとなしそうにしていたのがまた突然「若さを保つために若い女がほしい家庭はこわさないから」といいだしたのです。いい年をしていて服装容姿と派手さを加え、まるで不良青年なみでございます。

ある日突然、ある人妻の人が私に泣いて訴えて来られたのです。「お宅の先生(このご主人は学校の教師である)が、わしは家内と別れるから、あなたはご主人と別れて私と一緒になってくれと泣いて頼まれたのです」と。彼女との関係は去年の夏からこの春まで続きました。やれやれと思っていると今度はPTAのご婦人のお宅に入りびたりの日が訪れたのです。そこはご主人もあり、子供さんも三人もあるのですが、主人は学校帰りにその家に寄って、日が暗くならないと家に帰って来ないのです。私が苦しい余りに信仰を求めていろいろ会合に出ると「そこで知り合った男といつでも関係してきていいよ」というのです。

私は四十八才になりました。こんな動物みたいな人と暮らすのはもうご免です。いつまでも主人の犠牲になりたくありません。どこの学校にいても、女の先生と問題を起さなければPTAのご婦人と関係が出来て、それがばれてその学校にいられなくなるということのくり返しで、今は教育委員会で学校には置けないということになり教育主事をしております。まだ四十代であったら女一人生きていく道を探されると思います。五十になったらだめだと思いますので別れるなら今のうちだと思います。私はどうしたらいいでしょうか教えてください。

二十七日                            O O O O

園頭先生へ

申し添えますが、私は結婚二日目、初夜に主人に性病を移され、それが原因で四回手術をしています。病気も一度ではないのです>

このような相談の手紙が来たら、このブログを見ている人たちならどうされますか?

こんなメチャクチャな旦那ならすぐに別れろと、夫も子供も捨てて(どうせ子供は家出してしまっているのだし)女一人で生きていけばいいではないかと、今の人たちならそういうでしょう。

それが一番、この人にとってよいことであるはずだからです。

しかし、それは違うのです。園頭先生は続けてこう書いていられます。

同じく1980年九月号から抜粋します。

<新聞雑誌などの人生問題担当者や婦人運動家たちは、人権じゅうりんも甚だしい、女性侮辱である。即刻離婚して自分一人で生きて行きなさいという指導しかしないであろう。こういう人が家を飛び出して千石イエス(この時ちょうど千石イエス問題が話題になっている時でした)の下に走ったとしたら、地獄から逃れたみたいでほっと救われた気持ちになるであろう。しかしそれは逃避であって解決にはなっていない。道徳的という人たちは心を考えずに上辺の形だけで解決しようとする。正法は心の面から解決して行くのである。人間は何のためにこの世に生まれてきたのかという人生の原点に立って一切を解決して行くのである。逃避した人の心の中には安らぎはない。たとえばどんなに自分を正当化する理由があろうとも「夫を捨てた」「子供を捨てた」という心の暗さ、悔いは最後まで残るはずである。正法の基準は真の心の安らかさである。一見、表面上はどんなに穏やかに見えていても、心の内面に穏やかでない暗さ、悲しさ、さびしさが潜んでいるとしたらそれは本当の正しい解決ではない。

では一体、正法ではどんな解決方法をとるのであるか>

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12月 12 2017

子供の教育

まったくよく怒っていますね。特にこの近所などひどいものです。(近所づきあいもへったくれもありませんね)

しかも、怒っている人たちが百パーセント被害者面(づら)して怒っているのですから本当に呆れます。

どこまで勘違いがひどいのでしょう。百パーセントの被害者は怒られている私の方であるからです。

あくまで怒っている人たちは加害者なのです。(そりゃそうでしょう。怒っている人たちは、私に一方的に嫌がらせをしてきているのですから。しかもブログだけは読んでいてです)

自分のことしかしなかったり、感謝一つせずに嫌がらせばかりしている人たちにいいことが起きるわけがありません。

少しは損得ぬきで世のため人のために尽くされたらどうですか?そういうこともすればよいことも起きてくるからです。(善因善果です)

自分の行いを変えない限りいいことは起きてきません。(皆さんが大嫌いな)私を見習ったらどうでしょう。私は奇跡しか起きていないからです。(災いが起きるのが嫌なら嫌でもそうするしかありません。奇跡が起きている人を見習うなら奇跡が起きてくるからです)

さて、そういう責任転嫁ばかりしている人たちの相手はこれくらいにしまして、前回、赤ちゃんのことを書いたのですが、もう少し子供のことを書いておきましょう。

そういう子供の教育真っ最中の人たちもこのブログを見ているからです。そうして正しい教育には園頭先生が書かれたものを読むのが一番であるからです。(おかしな教育書など読むよりです。奇跡を次々に現されていた方の書いたものを読んでその通りにするなら、子供に奇跡が起きるからです。少なくともおかしな育ち方はしないということです)

正法誌の1979年十一月号より抜粋します。

<第四十五章 泥んこ遊びはさせた方がよい

幼児は泥んこ遊びや粘土遊びやにちゃにちゃしたものをもてあそぶのがすきである。幼児はそのにちゃにちゃした手指の感触の中に、お母さんの膝に抱かれてお乳を飲みながら一方の手をお母さんの胸に入れ、空いた方の乳房をまさぐっていたあの時の感触を感じ、その時に抱いた心の安らかさを味わっているのである。するなと叱られても幼児が泥んこ遊びをするのはその心の安らかさを味わっていると同時に、何でも自分の思う通りにこね廻してつくれる創造の喜びを体験しているのである。服が汚れて洗濯の手間がかかるのをおそれて、子供に泥んこ遊びをさせない母親は、子供の大事な心の成長を妨げているのであり、泥んこ遊びをさせられなかった子供は心の安らかさを体験させられないから情緒不安定になる率が高いのである。落ち着きのないいつもはしゃいでばかりいる子供は母親によって心の安らかさの体験を奪われた子供なのであって、いくら「静かにしなさい」と叱ってみても直らないのである。これを直す道は、子供をしかと抱きしめて、母親の膝の上で心の安らかさを体験させる以外にないのである。

第四十六章 ミルクは抱いて飲ませなさい

ソ連が共産党の闘士を育てるというので、生まれたばかりの赤ちゃんを母親の手から引き離し、国家で養育するということをやったことがある。これは完全に失敗に終わりました。抱かれることもなく機械的にミルクを飲まされた幼児たちがハイハイをはじめるようになると幼児たちはお互いに相手にかみついて血だらけになってしまって、その血の中を這いずり回って相手を見てはかみつくということをやり、結局育児を共産主義的考え方と手段でやるのは失敗だということになり、母親の手にかえされることになりました。情緒不安定児、自閉症児は母親の膝に抱かれる時間が少なく、また母親が言葉をかけることの少なかった子供たちである。うちの子はおとなしくて泣きもしない育てやすい子供だということでテレビの前に寝かされていた子供が自閉症になりやすいのである。いつも耳に入るのはテレビを通して出ている声と音だけで、テレビの方はよく見るが、お母さんの生の声をきく機会が少ないのでお母さんから自分の名前を呼ばれても、自分の名前を呼ばれたことに関心がない子供になってしまう。

赤ちゃんは必ず名前を呼んで声をかけて抱き上げて、しっかり胸に抱いてミルクを飲ませるようにしないといけない。お母さんの膝に抱かれていた時に味わう心の安らかさ、その安らかさが人間を落ち着きのあるものにするし、その安らかさが実は禅定をする時の心の安らかさになるのである。だから禅定をする人は、お母さんの膝に抱かれていた時の自分の姿を想像して心の安らかさを取り戻せばいいのである。

第四十七章 幼児に愛しすぎる弊害

かわいい、といってはお母さんは赤ちゃんに頬ずりしたり抱擁したりする。その肌と肌のふれ合いによって相手に対する自己同一化すなわち愛の感情が培われていく。ところが幼児を愛撫する母親の感情の中に、また子供が小学生から中学生となり性徴が出てくるその中で、母親が幼児を愛撫する中で性的快感を味わい、また、夫によって満たされない性的欲求不満を、子供を見、世話をする中で満足させたいというような性的感情が入ってくると、その子供は性的に早く目覚め、ませて性に普通の子供以上の関心を持つようになる。性的非行に走る子供たちは、知らず知らずのうちに親によってそのようにしむけられたのであり、非行に走る勇気を持たない内向型の子供は、頭の中は性のことで一杯になり、性以外のことが考えられず逆にノイローゼになるのである。甘やかされて育った男の子がノイローゼになるのは、原因は性の葛藤にある。母親は、特に男の子供の性的興奮を誘発するような愛撫の仕方をしてはいけない>

以上、園頭先生が書かれた正法誌から、いくつか子供の教育面で気をつけなければいけないことを書いておきました。

子供を教育する時に気をつけなければいけないことはいくつもあるのであって、今よく問題になっている性犯罪など実は小さな時に、その原因がつくられているということは案外多いのです。(三つ子の魂百までもです。だから小さい時の教育はしっかりしないといけないのです)

だから女性は、妻としても、母としてもしっかり愛を出さないといけないのです。

夫に愛を出すなら、妻が欲求不満になることもないし(別に性的な面だけではなく様々な面でです)妻が欲求不満にならないのであれば、子供をしっかり育てることも出来るからです。

子供をしっかり育てることさえ出来れば、犯罪は激減するでしょう。そのような犯罪を犯す原因の多くは小さい時につくられているからです。

小さい時にしっかり母親が子供を教育しているのなら、その子は立派な人間となって世の中を救います。

だから母親の仕事は大事なのです。今ではなく女の(母の)仕事は未来社会を救うからです。(今はイクメンとかいって夫が教育に参加することが善のようにいわれますが、とんでもありません。母の愛に勝る愛などないのです。小さな時に父親の中途半端な愛など子供に入れたら、その子は愛のない子に育つのです。小さい時にこそ母の深い愛をその子に入れておかないといけないのです。それでこそ愛深い子に育つからです)

母親の仕事は片手間に出来ることではありません。

今は女性を家庭から出すことばかりをいわれますが、しかし、その家庭での母、妻の役割をもう少ししっかり理解してもらいたいものです。

そうすれば、今のような(愛のない)おかしな世の中にはならないからです。

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12月 11 2017

リズム

古来より次々に奇跡が現れている教えを伝えてもらっていながら、嫌がらせや無視を平気でしている。

今日からまた北日本や西日本の日本海側などが大荒れの天気になるとのことですが(大雪や強風でですが、ほんと多いですね。こういう荒れた天気がです)そういうことも起きるでしょう。

これだけ天の思いを無視している罰当たりな人たちが多ければです。

どれだけひどい天気や現象を現されても反省しようとはしないのですか?自分たちのことが優先なのでしょうか?

いい加減、そのような自分本位な態度を反省されてはどうでしょう。そうしないと今回もまた多くの人が大きな被害に遭うからです。

このような荒れた天気などいくらでも防げるのです。人々の心一つでです。しかし、誰も神を思おうとしません。

では、こういう荒天は続くということになります。そのような荒れた天気は、人の心と天の心を現しているからです。

夏は猛暑に長雨(今年など、こういうことが同時に起きているというのですから信じられませんよね。西日本は猛暑で関東や東北など長雨でした)ゲリラ豪雨に台風、冬は爆弾低気圧に凄まじい寒気、ほんと休む暇がありません。(何せ最近は春と秋がなくなりましたし。すぐ暑くなってすぐ寒くなります。ということは、こういう天気がずっと続いているということです。そういえば今年は、五月晴れとか秋晴れの日ってほとんどなかったんではないですか?あった記憶がありませんけどね。〔猛暑はありましたが〕天気が悪い日が多くてです)

これだけの天気が現されているのに、何で皆さんそれだけ自分のことばかり出来るのでしょう。少しくらい神に手を合わせようとは思わないのでしょうか?

いくら無神論の人が多いとはいえ、もう少し神秘的な部分も考えてもよさそうなものですが(全然、私の話に乗ろうとしないのですから。このブログを見ている人たちはです)そういえば、二、三日前にウナッシーさんから命のことでコメントをもらいました。

そのような自分本位なことだけしていることがいかにまずいのか、少しその命とも絡めて書いておきましょう。

園頭先生が、何か生まれる時には必ず一定のリズムがあると正法誌に書いていられます。

自分本位ではいけない、そのようなリズムに合わせる(神の波動に合わせる)ということが、いかに大事なことであるのかということを、その正法誌から抜粋しておきます。

1980年十二月号より抜粋します。

<神は決してこの自然をでたらめに創造されたのではないのであって、一定のリズムをもって創造されたのであり、そのリズムある創造の原則を「法則」というのであります。

お母さんが一定のリズムのある子守唄を歌って、赤ちゃんの背中やお尻を一定のリズムで軽く叩いたりさすったりすると、赤ちゃんはスヤスヤねむります。それはそのリズムによって生命の本源の世界へ心が帰って心が安らかになるからであります。

(中   略)

ニューヨーク科学アカデミー主催の国際バイオ・リズム学会で、ユタ大学産婦人科教室のカイザー博士は、約六十万人の産婦の出産をした時の時間を統計にとった結果「赤ちゃんはリズムに乗って夜うまれる」ということを発表したといいます。赤ちゃんの発育には一定のリズムがあるというのです。生まれたばかりの赤ちゃんは一日のうち二十時間は寝ていて、起きている時間が合計四時間である。その四時間を七回にわけてお乳を飲む。母親は夜は寝て昼は起きているわけですが、母親が夜ねている間にも赤ちゃんが何回か目を覚ましてお乳を欲しがる。だから母親は、赤ちゃんの発育のリズムに合わせて世話をし、お乳をやらなければならない。ところが育児ノイローゼになる母親は、大人である自分の生活のリズムに赤ちゃんを合わせようとする。いくらそうしようとしてみても、生まれたばかりの赤ちゃんは自然の生育のリズムに従って寝て、目を覚まして起きた時はお乳を欲しがるということで、赤ちゃんが、母親の生活のリズムに合わせることなど絶対にできるはずがない。そこで自己中心主義の我の強いわがままな母親は「この子は自分の生活のリズムを狂わせる」ということで「養いにくい子だ」とわが子を憎むことになる。いわゆる育児ノイローゼという人たちは、赤ちゃんの発育にはリズムがあることを知らないからで、母親は自分の生活を、赤ちゃんのリズムに合わせて生活しなければいけないのであります。

こういうところにも、自然のリズムを尊重しなければならないことが現れております>

赤ちゃんが生まれてくるのも自分勝手に生まれてくるわけではなく、ある一定のリズム(神の波動)があって、そのリズムに乗って生まれてくるそうです。

そうして、赤ちゃんが育っていく過程でも、そのようなリズムがあって、決して赤ちゃんは自分勝手に泣き出してお乳を欲しがるわけではないということです。(だから母親は、その赤ちゃんのリズムさえ分かれば夜泣きもさほど気にならなくなるということです。その赤ちゃんのリズムに合わせてお乳をあげればいいからです)

法を実践するということは、そのようなリズム(神の波動)に合わせるということなのです。

そのリズムに合わせれば合わせるだけ奇跡が現れ、外れれば外れるだけ災いが現れるということです。

そういうリズムを無視し、自分勝手にやっている人が多いから、天気が悪くなるのです。

法にリズムを合わせれば奇跡が起きてきます。

そのような神の波動に合わせてはどうですか?そういう人が増えてくるのなら、これだけ起きている災いも段々減っていくからです。

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12月 10 2017

歴史が証明している法の偉大さ

しかし、人の意見を素直にききません。(少しはウナッシーさんの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいです。〔笑〕)昨日もまだ怒っている人が何人もいました。(でも、静かに歩いていく人も挨拶してきた子供もいたことはいましたが…早く理解してもらいたいものです)

運転手連中はもちろんですが(何か、私の顔を見ると嫌がらせをしないといけないとでも思っているのでしょうか?そういう連中が多そうで呆れます。そんなことをしていれば後で自分がどれだけ損をするのか分からないのにです)私が歩いていると、家の前で(わざとらしく)ガタガタやっているオバちゃんを何人か見かけました。(オッちゃんもいましたが)

そういうオバちゃんたちに「人のブログを見て怒るくらいなら最初から読まんといてな。こちらが読んでくれと頼んでいるわけではないのだから。気に食わないブログを書くと怒るくせに心が救われるブログには感謝一つしないんだな」というと、コソコソ家の中に入っていってしました。

本当にこのような人たちは救われませんね。自分のことしか考えていないからです。

感情だけで動いているのです。哀れなものです。こんな小さな発想でいていいことが起きるわけがありません。

だから、自分たちに悪いことが起きているにもかかわらず(その自分たちの罪は絶対に認めようとせず)すべて責任転嫁です。

もっと大きな視野で全体を見て物事を考えないといけないのです。そうしないと正しいことは分かってこないからです。

昨日も書きましたが、法を説いている人に対する態度を間違えているから、こんなことが起きているのです。

その法を説いている人への態度を正せば多くの人に奇跡が起きてくるのです。

その人が説いている教えは、それほど偉大であるからです。

その法の偉大さをまったく理解しようとせず、自分たちに起きている悪いことだけをとらえて、こうなったのはお前のせいと、その一点張りです。

だからダメなのです。全体を見る視野がまったく欠けているからです。

もういい加減それを認めて、頭を下げてはどうでしょう。そうすれば(少なくとも)災いは起きなくなるからです。

そうして、心を救われていることも認めて布施くらいされてはどうですか?そうすれば今度は奇跡が起きてくるからです。

実際起きているではないですか。そういうことをしている人たちにはです。

それにもったいないですよ。この教えを素直に実践しないとです。

そういう奇跡が起きた実績はたくさんあるからです。しかも、その数はすでに天文学的な数字であるからです。

ハァ、大げさなことをいうな、という人も多いのかもしれませんが(笑)そういう実績の多さも、そのような視野の狭い人たちには分からないのです。

今のことしか見ていないからです。

よく考えてみてください。そのような実績は、私たちだけでなく園頭先生や高橋先生が現された奇跡も同じなのです。

両先生はこの法を実践されていたから、そのような奇跡が次々に起きたわけであり、もし、両先生であっても法を実践されていなかったなら、奇跡など起きなかったのです。

それは釈尊もキリストも同じなのであり、すべては、この法を実践するか、しないか、その一点なのです。

それを行うなら奇跡が起き、行わないのなら何の奇跡も起きないということです。

では、この教えを実践することで起きた奇跡の数は天文学的な数になりませんか?預言書といわれる方々は、もう数百年も、数千年も、もっと前から存在していたはずであるからです。

そのような人たちはすべて、この法を実践することにより奇跡を現された人たちばかりであったからです。

これまで名を遺していられる預言者といわれる方々は、皆、この法を実践したがため歴史に名を遺すほどの奇跡を現されたのです。(もちろん、この法を多くの人に伝えることで多くの人が救われたことは申すまでもありませんが)

それ以外のものではありません。他のどのよう教えもこの法が元であり、そこから分かれていったもであるからです。(だから、奇跡が起きなくなるのです。純粋な法〔神の心〕でない限り神の奇跡は現れないからです)

すべて、この法が元であり、この教えが存在しなければ、そういう人たちも存在しなかったのであり(法を知らなければ奇跡を起こせませんから)この法がなければこれまでの多くの人が救われることもなかったのです。

それほどの教えを伝えられいるにもかかわらず、何でこの辺りの人たちはそれを行おうとはしないのですか?(特別この辺りの人たちだけではありませんが)

無視したり、逆らったりしているのでしょう。

本当にもったいない話です。この法を勉強し行うなら、多くの人が救われ、次々に奇跡が起きる、それは、それを行っている私たちも、そうして歴史的にも証明されていることなのにです。

このブログを見ている多くの人たちは、そういうことまで考えが至っていないのです。何か私たち一人や二人がおかしなことをしている程度にしか思っていないのです。

だから平気で私たちのいうことを無視しているのですが、しかし、それはまったく違うということです。

この法の(正法神理の)歴史は、はるか昔から存在し、すでに数え切れない方々が奇跡を現されているということです。

このブログを見ている人たちは、釈尊やキリストのようになりたくはないのでしょうか?モーゼのような大奇跡を現したくはないのですか?(ないかもしれませんね。このブログを見ている人たちはお金儲け第一の人が多そうですし。〔笑〕)

少なくとも私はなりたいですね。あのような偉大な方々は私の最終的な目標であるからです。

ああいう人に興味はないという人もいるかもしれませんが、しかし、そういう人は一部でしょう。あのような偉大な方々のようになれるものならなりたいと思う人は多いはずです。

そのような偉大な方々に追いつける教えがこの教えであるということです。この教えは、そのような偉大な方々も学んでいた同じ教えであるからです。

そのような偉大な教えが日本に出現しているにもかかわらず(だから、これほどの現象が現れているのです。よいことも悪いことも含めてです。本当の神の教えが出現した時は次々に神の業が現れるからです。それに対し個人的な感想は持たない方がいいでしょう。〔こんなことは起きなくていいみたいなです〕このような現象は神の大きな計画の中で進められていることであるからです)金儲けや仕事が優先なのですか?

そうして悪いことは皆、人のせいですか。

何をしているんですか?物事の本質をお分かりでないのでしょうか?

私たちの本当の幸せは心の安らぎなのです。その本当の安らぎを得る教えが今ここに存在しているのです。

それなのにボケッしている場合なのでしょうか。

少しずつでもされてはどうでしょう。そうすればいずれ歴史に名を遺す、そういう人も出てくるからです。(何度もいいますが、自分たちの使命の大きさに早く気づいてください。それに気づかぬままでいれば、違う意味で歴史に名を遺すことになります。これ以上ない汚名としてです)

それほどの教えがいま現在、ここにあるのです。

このブログを見ている人たちはいつまでボケッとしているつもりなのですか。しかし、そのような態度は、全人類にとっての大きな罪となるということを自覚すべきなのです。

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