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	<title>原因は一つ へのコメント</title>
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	<description>名古屋市でのコーチング・カウンセリング。GTS心の研究所　自己の能力向上とお悩みの相談</description>
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		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=30137&#038;cpage=1#comment-1790</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 06 Oct 2017 04:59:55 +0000</pubDate>
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		<description>愛ある厳しさは必要であると思いますよ。この辺りなど神についてまるで勉強していない人たちばかりであるのです。
そういう人たちに神は厳しい修行の機会を与えています。（どこかの会社の連中など昼にも何か起きたようです。昼休みにも騒いでいたし今など午前中と打って変わって静かです。どうも恐ろしい現象が〔昼休みも何も関係なく〕起きまくっているようです）
神でさえ人に厳しい修行の機会を与えているのです。（神が与える修行はちょと厳しすぎますけどね。下手すると命を落としますから）では、人が人を教育する時にあまりに甘くしてしまっては教育にならないということになります。
園頭先生はよく物はつくり直しが出来るが、子供はつくり直しが出来ないといわれていました。
先生を蹴飛ばすような子供は、その時点で親が子育てに失敗しているのですから、先生は愛の心で、そのような間違った行いをしている子供を全力で教育してあげないといけないのです。
先生だからとはいえ、愛がないのに叩くのはただの体罰でしょうが、愛の心を持って叩くのであれば（子供があまりにひどい行いなどしている時はです）それは教育なのです。
園頭先生も母と子の研修会の時など、あまり悪さをする子供にはげん骨を食らわせていました。
少しでも先生が生徒に手を出せば体罰。そういう極端な体罰論は私は間違いであると思います。
だから最近は学級崩壊が止まらないのです。中道の教育をしていないからです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>愛ある厳しさは必要であると思いますよ。この辺りなど神についてまるで勉強していない人たちばかりであるのです。<br />
そういう人たちに神は厳しい修行の機会を与えています。（どこかの会社の連中など昼にも何か起きたようです。昼休みにも騒いでいたし今など午前中と打って変わって静かです。どうも恐ろしい現象が〔昼休みも何も関係なく〕起きまくっているようです）<br />
神でさえ人に厳しい修行の機会を与えているのです。（神が与える修行はちょと厳しすぎますけどね。下手すると命を落としますから）では、人が人を教育する時にあまりに甘くしてしまっては教育にならないということになります。<br />
園頭先生はよく物はつくり直しが出来るが、子供はつくり直しが出来ないといわれていました。<br />
先生を蹴飛ばすような子供は、その時点で親が子育てに失敗しているのですから、先生は愛の心で、そのような間違った行いをしている子供を全力で教育してあげないといけないのです。<br />
先生だからとはいえ、愛がないのに叩くのはただの体罰でしょうが、愛の心を持って叩くのであれば（子供があまりにひどい行いなどしている時はです）それは教育なのです。<br />
園頭先生も母と子の研修会の時など、あまり悪さをする子供にはげん骨を食らわせていました。<br />
少しでも先生が生徒に手を出せば体罰。そういう極端な体罰論は私は間違いであると思います。<br />
だから最近は学級崩壊が止まらないのです。中道の教育をしていないからです。</p>
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		<title>ウナっしー より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=30137&#038;cpage=1#comment-1789</link>
		<dc:creator>ウナっしー</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 06 Oct 2017 03:41:19 +0000</pubDate>
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		<description>昨日の続きですが、なるほど教育には愛のある厳しさが必要なのですね。すると普段何気に、まっ良いか等と許す行為も相手の立場になって考え、しかもその考えには愛がなければ正しく教育できないということですね。所謂、過保護とかは良い例とでも言いましょうか。親子でさえ他人事として余計な詮索をしないような今の時代に、幼児をあやすのにスマホを与えているうような親のもとに産まれた子などは心の勉強では苦労する事も考えられますね。自分の心、子供の心、縁ある人の心を、その立場になって考えると真剣にならざるを得ません。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>昨日の続きですが、なるほど教育には愛のある厳しさが必要なのですね。すると普段何気に、まっ良いか等と許す行為も相手の立場になって考え、しかもその考えには愛がなければ正しく教育できないということですね。所謂、過保護とかは良い例とでも言いましょうか。親子でさえ他人事として余計な詮索をしないような今の時代に、幼児をあやすのにスマホを与えているうような親のもとに産まれた子などは心の勉強では苦労する事も考えられますね。自分の心、子供の心、縁ある人の心を、その立場になって考えると真剣にならざるを得ません。</p>
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