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	<title>霊性発揮　悟るということ へのコメント</title>
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	<description>名古屋市でのコーチング・カウンセリング。GTS心の研究所　自己の能力向上とお悩みの相談</description>
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		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450&#038;cpage=1#comment-4868</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 07 Apr 2023 01:00:11 +0000</pubDate>
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		<description>それはそれは頑張って祈りも続けてあげてください。そのような現象を通して多くの人の心は向上していくからです。
しかし、その心の向上が信じられないくらい遅い。（笑）まあ、こちらは見ていて呆れますけどね。この人たち何度同じ間違いを繰り返せば気がすむのかとです。
こちらなど、どれだけ天罰を食らっても、それでも嫌がらせを繰り返している人もいれば、一度ひどい天罰を食らって、それでピタリと嫌がらせをやめたかと思ったら、しばらくしたらまた始めたとか、嫌がらせとドン引きを交互に繰り返しているとか、まあ、多士済々です。（笑）
しかし、いまだ、自分が間違っていましたと、素直に頭を下げ布施を持ってきた人はいません。（そのような潔い人はです）
そこは本当に残念です。もう十年以上もこんなことが起き続けているのに、それでも分からない（自分の間違いを認めない）人たちばかりであるからです。
こういう人たちが、素直に頭を下げ、そうして布施するようになるには一体何年（何十年）かかるのだろうと先が思いやられますが、まあ、気がつくのをこちらは待つしかありません。（神は、もっと長く、もっと辛抱強く人間たちが気がつくのを待ち続けていられるのですから）
ですからウナッシーさん、私たちは自分たちのすることにベストを尽くしましょう。そのうちに気がつく人は気がつくからです。
しかし、昨日でもやっと勝っていましたからね。我が地元プロ野球チームはです。（苦笑）
こういう人たちもまるで気づかない。私が何度も警告していたのにです。神理に感謝しないといけないとです。あの数十年ぶりの日本一は神理のお陰でなれたのだからです。
そう私がいったことが証明されているのではないですか。実際このチームが日本一になってからもう十五年もたつのです。しかし、それから優勝はもちろんのこと（もちろん出来ていません）Aクラスも数年ほどでしょう。後はずっとBクラス。（ここ十年などです）
私があれほど神理に感謝（布施）しないといけないといったにもかかわらず無視していたからです。そうして私は、もし私のいうことを無視するなら、もうこのチームにいいことは起きないだろうといっておきましたが、その通りのことが起きています。十五年たったいま現在でもです。
誰が監督になろうが、どんないい選手を取ろうが、まったくいいことが起きないからです。このチームはです。
ですから、これほど私がいったことを証明している野球チームもありません。（ほんとお礼をいいたいくらいです。これだけ分かりやすく私のいうことを証明してくれてありがとうとです。〔苦笑〕）このチーム、去年は最下位、そうして今年も出足は去年とさほど変わりません。投手は抑えるが打てないのです。去年最下位に終わった後、あれだけトレードして、新外国人選手も入れ、ドラフトなどでも多くのよい選手を取ったにもかかわらずです。それでも機能しないのです。
まだ、始まったばかりではありますが、しかし、もう観えませんか。今年もまたこのチームはよくない（打てない）ということがです。ここから打線が爆発するなどもう想像がつかないからです。それほど爆発的に打つ選手などこのチームには見当たらないからです。
そればかりでなく、このチームなど私の家からも近いところに球場があるので、たまに私はその球場の近くを通るのですが、その時に嫌がらせしてきた選手に天罰までくだっているのです。（骨折や大けが）
そういうことも起きているのに、それでも分からない。自分たちが神理に背を向けているばかりにこういうことが起きているとです。
こういう人たちばかりですから。（苦笑）だからウナッシーさんも気長に頑張ってください。ただ、ちょっとやそっとで人は（神理に）気づかないということだけは知っておいてください。そうしないと嫌気（いやけ）もさすからです。（私などもう何度嫌気がさしたか分からない。〔苦笑〕）
どちらにしてもです。私のいっていることが次々に証明されています。それでも多くの人たちは気づこうとしないのですが、今日はこちらの天気など大荒れです。（雨も風も強くて）
いつまでも神理に気づこうとしなければこのような悪いことはいつまでも続きます。早く気づいた方がいいでしょう。
私たちは、その神理に気づいて行うため、この世に出てきているからです。
（次回からはもう一つ前のブログのコメント欄に書くことにします。皆が神理に気づいてもらわねばコメント欄にしかブログを書けません。早く気づいてください。そうしないと神理流布にも大きな支障をきたすからです。そんなことになるならまた神の怒りが増すからです）</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>それはそれは頑張って祈りも続けてあげてください。そのような現象を通して多くの人の心は向上していくからです。<br />
しかし、その心の向上が信じられないくらい遅い。（笑）まあ、こちらは見ていて呆れますけどね。この人たち何度同じ間違いを繰り返せば気がすむのかとです。<br />
こちらなど、どれだけ天罰を食らっても、それでも嫌がらせを繰り返している人もいれば、一度ひどい天罰を食らって、それでピタリと嫌がらせをやめたかと思ったら、しばらくしたらまた始めたとか、嫌がらせとドン引きを交互に繰り返しているとか、まあ、多士済々です。（笑）<br />
しかし、いまだ、自分が間違っていましたと、素直に頭を下げ布施を持ってきた人はいません。（そのような潔い人はです）<br />
そこは本当に残念です。もう十年以上もこんなことが起き続けているのに、それでも分からない（自分の間違いを認めない）人たちばかりであるからです。<br />
こういう人たちが、素直に頭を下げ、そうして布施するようになるには一体何年（何十年）かかるのだろうと先が思いやられますが、まあ、気がつくのをこちらは待つしかありません。（神は、もっと長く、もっと辛抱強く人間たちが気がつくのを待ち続けていられるのですから）<br />
ですからウナッシーさん、私たちは自分たちのすることにベストを尽くしましょう。そのうちに気がつく人は気がつくからです。<br />
しかし、昨日でもやっと勝っていましたからね。我が地元プロ野球チームはです。（苦笑）<br />
こういう人たちもまるで気づかない。私が何度も警告していたのにです。神理に感謝しないといけないとです。あの数十年ぶりの日本一は神理のお陰でなれたのだからです。<br />
そう私がいったことが証明されているのではないですか。実際このチームが日本一になってからもう十五年もたつのです。しかし、それから優勝はもちろんのこと（もちろん出来ていません）Aクラスも数年ほどでしょう。後はずっとBクラス。（ここ十年などです）<br />
私があれほど神理に感謝（布施）しないといけないといったにもかかわらず無視していたからです。そうして私は、もし私のいうことを無視するなら、もうこのチームにいいことは起きないだろうといっておきましたが、その通りのことが起きています。十五年たったいま現在でもです。<br />
誰が監督になろうが、どんないい選手を取ろうが、まったくいいことが起きないからです。このチームはです。<br />
ですから、これほど私がいったことを証明している野球チームもありません。（ほんとお礼をいいたいくらいです。これだけ分かりやすく私のいうことを証明してくれてありがとうとです。〔苦笑〕）このチーム、去年は最下位、そうして今年も出足は去年とさほど変わりません。投手は抑えるが打てないのです。去年最下位に終わった後、あれだけトレードして、新外国人選手も入れ、ドラフトなどでも多くのよい選手を取ったにもかかわらずです。それでも機能しないのです。<br />
まだ、始まったばかりではありますが、しかし、もう観えませんか。今年もまたこのチームはよくない（打てない）ということがです。ここから打線が爆発するなどもう想像がつかないからです。それほど爆発的に打つ選手などこのチームには見当たらないからです。<br />
そればかりでなく、このチームなど私の家からも近いところに球場があるので、たまに私はその球場の近くを通るのですが、その時に嫌がらせしてきた選手に天罰までくだっているのです。（骨折や大けが）<br />
そういうことも起きているのに、それでも分からない。自分たちが神理に背を向けているばかりにこういうことが起きているとです。<br />
こういう人たちばかりですから。（苦笑）だからウナッシーさんも気長に頑張ってください。ただ、ちょっとやそっとで人は（神理に）気づかないということだけは知っておいてください。そうしないと嫌気（いやけ）もさすからです。（私などもう何度嫌気がさしたか分からない。〔苦笑〕）<br />
どちらにしてもです。私のいっていることが次々に証明されています。それでも多くの人たちは気づこうとしないのですが、今日はこちらの天気など大荒れです。（雨も風も強くて）<br />
いつまでも神理に気づこうとしなければこのような悪いことはいつまでも続きます。早く気づいた方がいいでしょう。<br />
私たちは、その神理に気づいて行うため、この世に出てきているからです。<br />
（次回からはもう一つ前のブログのコメント欄に書くことにします。皆が神理に気づいてもらわねばコメント欄にしかブログを書けません。早く気づいてください。そうしないと神理流布にも大きな支障をきたすからです。そんなことになるならまた神の怒りが増すからです）</p>
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		<title>うなっシー より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450&#038;cpage=1#comment-4867</link>
		<dc:creator>うなっシー</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Apr 2023 22:02:36 +0000</pubDate>
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		<description>こんにちは、お久しぶりになります。いよいよ来週から第二のスタートを切ります。視覚障がい支援学校の勉強がいよいよ始まるのです。そのタイミングで新しい気付きをいただきました。それは、すべての物事へ祝福の祈りをするには自分がまず心から感謝しなければ到底祝福の祈りなど程遠いものである、という気付きです。これまでの己を振り返り反省を繰り返すうちに、自分でも気付かないうちに感謝から入っていたのです。不思議なことですよね、普通は教えてもらうか勉強してから実践に入り習得するのがセオリーかと思うのですがね。前にお話しさせていただきましたが、お世話になっている方々への祝福の祈りをしたら、友達一人と義母が体調が悪くなり病院へ行っても尚回復しないと言ってます。これもきっと縁のある方なので、より明確なその現れだと思ってます。当初は少し祈るのを止めようと思いましたが、私のやるべき事をやらねば心の成長にもならないとの思いから、早く気付いてと願いも込めているところです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>こんにちは、お久しぶりになります。いよいよ来週から第二のスタートを切ります。視覚障がい支援学校の勉強がいよいよ始まるのです。そのタイミングで新しい気付きをいただきました。それは、すべての物事へ祝福の祈りをするには自分がまず心から感謝しなければ到底祝福の祈りなど程遠いものである、という気付きです。これまでの己を振り返り反省を繰り返すうちに、自分でも気付かないうちに感謝から入っていたのです。不思議なことですよね、普通は教えてもらうか勉強してから実践に入り習得するのがセオリーかと思うのですがね。前にお話しさせていただきましたが、お世話になっている方々への祝福の祈りをしたら、友達一人と義母が体調が悪くなり病院へ行っても尚回復しないと言ってます。これもきっと縁のある方なので、より明確なその現れだと思ってます。当初は少し祈るのを止めようと思いましたが、私のやるべき事をやらねば心の成長にもならないとの思いから、早く気付いてと願いも込めているところです。</p>
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		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450&#038;cpage=1#comment-4866</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Apr 2023 01:39:58 +0000</pubDate>
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		<description>長野にある善光寺の本堂から仏像が盗まれたそうですね。（びんずる尊者…この人、釈尊の弟子だとかいわれているそうですが、一体誰？）
触れると病気が治るとかいわれて親しまれていたそうですが、この仏像に触れてそれで病気が治った人が本当にいるんでしょうか？　そこは大いに疑問なんですが（治らない、治らない。こういう迷信は信じる人が多いんですね。〔笑〕）こういうところにお参りして、それで、そんな仏像を触っている暇があるならです。自分の心を反省して、そうして病院にいった方が、よほどその病気は治ります。（だから、このような仏像を触って、それで病気は治ったと単純に思い込んで、それでその病気が本当に治ってしまったということはままあるでしょうが、しかしそれはこの仏像の力で治ったわけではなく、自分の心が変わったことで治ったのです。ただの木の塊に人の病気を治す力などありません。偶像崇拝もいい加減にしてほしいものです）
正しいことを早く多くの人に知ってもらいたいものです。そうすれば多くの人が幸せになれるからです。
しかし、その仏像を持っていかれたからと、それで罰が当たるなどといって怒っていた人もいますが、ただの木の塊を持っていたところで大した罪にはならないでしょう。したがってその程度のことで罰は当たりません。（もう犯人は捕まったようですが）
罰が当たるとは私の周りで起きているようなことをいうのです。本当の神の教えに逆らい続けているのなら、本当に罰が当たります。早く反省してほしいものです。そのような不遜な態度の人たちはです。そうしないとどれだけ不幸になるか分からないからです。
昨日もそんな不遜な人がたくさんましたが、最近はマンションなどの外壁塗装ですか。それをしているところが多く、そういうところは作業員がたくさんいるので必ずいますね。そんな罰当たりな大バカ者がです。
昨日も一昨日も（その前もだったかな）いました、工事現場で私に向かいガンガンやってきた大バカ者がです。
そういう工事現場で工事が止まってしまったところもあります。あまりに私にちょっかいをかけすぎてです。（それで病人が出すぎてでしょう。多分ですが）だから、そのような工事現場はもう分かったことでしょう。私に嫌がらせするならすぐに罰が当たるということはです。（すでに病人が出ているはずだから）
そうであるなら、もう二度と私には嫌がらせはしないことです。そうするならまだ傷は浅くてすむからです。（少し天罰を食らうくらいですむからです）
しかし、何度も何度も私に嫌がらせを繰り返すなら、一生後悔することになります。なぜなら、そのように何度も嫌がらせして起きだした天罰は、その場所の工事が終わろうが終わるまいが、もう反省するまで（布施するまで）出続けるからです。
そういう人がすでにどれだけいるかしれません。そういう勉強もいいというならそれは別にかまいませんが、それが嫌ならです。一度で学ぶことです。そのようなことはしてはいけないということをです。
しかし、こちらなど何度天罰を受けてもそれでも分からない。バカや哀れを通り越して、もう言葉にならない人も多いんですが（もう表現する言葉がありませんから）こういう人たちは死んでからが大変です。
だから神理には従った方がいいですよ。無視や逆らっているとろくなことが起きてはこないからです。
しかし、それをどれだけいってもきこうとしない。だからこちらはそういう人たちが分かるまで言い続けるしかないのです。
なぜなら、たとえ私がいわなくなってもです。それで起きている天罰が止まるわけではないからです。先ほども書きましたが、分かるまで（反省するまで）その天罰は出続けるからです。それもどんどんひどくなってです。
だからこちらはいい続けるしかないのです。そうしないとまだこれから神理を無視している人たちに、どれだけひどいことが起きてくるかしれないからです。そのひどいことを少しでも減らすためには一刻も早く正しいことを理解させ、それを行ってもらうしかないからです。
しかし、もう理解するのが早いのか、それとも滅びていくのが早いのかという、そんな恐ろしい競争になっていますけどね。こちらなどです。（なんか、滅びていく人の方がどう考えても早そうですが…）それだけ不幸な話もないのですが、本当の神の存在や神の教えを早く理解されることです。それが出来た人から、本当の幸せが現れてくるからです。
寺や神社などいって、どれだけ祈ったり仏像を触ったりしても、それで幸せになることはありませんが、神理に合わせて心を変えるなら、必ず幸せになれます。
その唯一幸せになれる神理にいつまでも逆らい続けているからいつまでも不幸なのです。
WBC、WBCと騒いでいましたが、もうプロ野球も開幕しました。地元チームは相変わらず弱いです。（打てないです。〔苦笑〕）何でこれだけこのチームは打てないのか？（これもまた不幸です）
それは、私は前からいっていますが、このチームが何年か前に日本一になったのはこの神理のお陰もあったのに、そのお返しをしていないからです。
だからこれだけ不幸が続く。もうどれだけBクラスにいるのでしょう。このチームはこんなチームではなかったはずなのにです。Aクラスの常連であったはずなのにです。それがいつの間にかBクラスの常連になってしまった。
あの日本一になった時（私もずいぶん神理を伝えたのにです。あの打者とか、あの投手とかにもです）神理に対し何の感謝もなかったからです。
だから、それをするまでは（神理に感謝するまでは）このチームはいいことが起きないのです。だからこれだけ打てない。何年たっても、どれだけ監督を代えても、どれだけコーチを代えても、それでも打てない。神の呪いがかかっているからです。（別に呪いではありませんが。〔苦笑〕そう書いた方が分かりやすいからそう書いているのです）
だから私に感謝の布施をする選手が出てくるなら、一発で打てるようになるということです。このチームはです。少なくともここまで打てないということはないのです。それなりに実力のあるチームであるからです。
まあ、特別このチームの選手だけではありませんが神を信じてです。その本当の神の心を説いている私に感謝してみませんか。そうすれば必ずです。
必ずよいことは起きてくるからです。（そりゃそうですよ。だって私に悪いことをした人には必ず悪いことが起きるのです。その逆は当然起きますから）</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>長野にある善光寺の本堂から仏像が盗まれたそうですね。（びんずる尊者…この人、釈尊の弟子だとかいわれているそうですが、一体誰？）<br />
触れると病気が治るとかいわれて親しまれていたそうですが、この仏像に触れてそれで病気が治った人が本当にいるんでしょうか？　そこは大いに疑問なんですが（治らない、治らない。こういう迷信は信じる人が多いんですね。〔笑〕）こういうところにお参りして、それで、そんな仏像を触っている暇があるならです。自分の心を反省して、そうして病院にいった方が、よほどその病気は治ります。（だから、このような仏像を触って、それで病気は治ったと単純に思い込んで、それでその病気が本当に治ってしまったということはままあるでしょうが、しかしそれはこの仏像の力で治ったわけではなく、自分の心が変わったことで治ったのです。ただの木の塊に人の病気を治す力などありません。偶像崇拝もいい加減にしてほしいものです）<br />
正しいことを早く多くの人に知ってもらいたいものです。そうすれば多くの人が幸せになれるからです。<br />
しかし、その仏像を持っていかれたからと、それで罰が当たるなどといって怒っていた人もいますが、ただの木の塊を持っていたところで大した罪にはならないでしょう。したがってその程度のことで罰は当たりません。（もう犯人は捕まったようですが）<br />
罰が当たるとは私の周りで起きているようなことをいうのです。本当の神の教えに逆らい続けているのなら、本当に罰が当たります。早く反省してほしいものです。そのような不遜な態度の人たちはです。そうしないとどれだけ不幸になるか分からないからです。<br />
昨日もそんな不遜な人がたくさんましたが、最近はマンションなどの外壁塗装ですか。それをしているところが多く、そういうところは作業員がたくさんいるので必ずいますね。そんな罰当たりな大バカ者がです。<br />
昨日も一昨日も（その前もだったかな）いました、工事現場で私に向かいガンガンやってきた大バカ者がです。<br />
そういう工事現場で工事が止まってしまったところもあります。あまりに私にちょっかいをかけすぎてです。（それで病人が出すぎてでしょう。多分ですが）だから、そのような工事現場はもう分かったことでしょう。私に嫌がらせするならすぐに罰が当たるということはです。（すでに病人が出ているはずだから）<br />
そうであるなら、もう二度と私には嫌がらせはしないことです。そうするならまだ傷は浅くてすむからです。（少し天罰を食らうくらいですむからです）<br />
しかし、何度も何度も私に嫌がらせを繰り返すなら、一生後悔することになります。なぜなら、そのように何度も嫌がらせして起きだした天罰は、その場所の工事が終わろうが終わるまいが、もう反省するまで（布施するまで）出続けるからです。<br />
そういう人がすでにどれだけいるかしれません。そういう勉強もいいというならそれは別にかまいませんが、それが嫌ならです。一度で学ぶことです。そのようなことはしてはいけないということをです。<br />
しかし、こちらなど何度天罰を受けてもそれでも分からない。バカや哀れを通り越して、もう言葉にならない人も多いんですが（もう表現する言葉がありませんから）こういう人たちは死んでからが大変です。<br />
だから神理には従った方がいいですよ。無視や逆らっているとろくなことが起きてはこないからです。<br />
しかし、それをどれだけいってもきこうとしない。だからこちらはそういう人たちが分かるまで言い続けるしかないのです。<br />
なぜなら、たとえ私がいわなくなってもです。それで起きている天罰が止まるわけではないからです。先ほども書きましたが、分かるまで（反省するまで）その天罰は出続けるからです。それもどんどんひどくなってです。<br />
だからこちらはいい続けるしかないのです。そうしないとまだこれから神理を無視している人たちに、どれだけひどいことが起きてくるかしれないからです。そのひどいことを少しでも減らすためには一刻も早く正しいことを理解させ、それを行ってもらうしかないからです。<br />
しかし、もう理解するのが早いのか、それとも滅びていくのが早いのかという、そんな恐ろしい競争になっていますけどね。こちらなどです。（なんか、滅びていく人の方がどう考えても早そうですが…）それだけ不幸な話もないのですが、本当の神の存在や神の教えを早く理解されることです。それが出来た人から、本当の幸せが現れてくるからです。<br />
寺や神社などいって、どれだけ祈ったり仏像を触ったりしても、それで幸せになることはありませんが、神理に合わせて心を変えるなら、必ず幸せになれます。<br />
その唯一幸せになれる神理にいつまでも逆らい続けているからいつまでも不幸なのです。<br />
WBC、WBCと騒いでいましたが、もうプロ野球も開幕しました。地元チームは相変わらず弱いです。（打てないです。〔苦笑〕）何でこれだけこのチームは打てないのか？（これもまた不幸です）<br />
それは、私は前からいっていますが、このチームが何年か前に日本一になったのはこの神理のお陰もあったのに、そのお返しをしていないからです。<br />
だからこれだけ不幸が続く。もうどれだけBクラスにいるのでしょう。このチームはこんなチームではなかったはずなのにです。Aクラスの常連であったはずなのにです。それがいつの間にかBクラスの常連になってしまった。<br />
あの日本一になった時（私もずいぶん神理を伝えたのにです。あの打者とか、あの投手とかにもです）神理に対し何の感謝もなかったからです。<br />
だから、それをするまでは（神理に感謝するまでは）このチームはいいことが起きないのです。だからこれだけ打てない。何年たっても、どれだけ監督を代えても、どれだけコーチを代えても、それでも打てない。神の呪いがかかっているからです。（別に呪いではありませんが。〔苦笑〕そう書いた方が分かりやすいからそう書いているのです）<br />
だから私に感謝の布施をする選手が出てくるなら、一発で打てるようになるということです。このチームはです。少なくともここまで打てないということはないのです。それなりに実力のあるチームであるからです。<br />
まあ、特別このチームの選手だけではありませんが神を信じてです。その本当の神の心を説いている私に感謝してみませんか。そうすれば必ずです。<br />
必ずよいことは起きてくるからです。（そりゃそうですよ。だって私に悪いことをした人には必ず悪いことが起きるのです。その逆は当然起きますから）</p>
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		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450&#038;cpage=1#comment-4865</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 05 Apr 2023 01:14:33 +0000</pubDate>
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		<description>昨日は伊藤さんから感謝の布施をもらいました。ありがとうございました。
今日も朝から微妙に怒っているところがありますが、伊藤さん同様、感謝の布施をしてくれないと、その怒っていることは止まりません。昨日もやたら怒っている人がいましたが、それで激しく音を立てると自分だけでなく自分の周りにも（会社や家族にも）その怒っていることが現れてきます。
そんなことが起き続けているのですから、少しは神を恐れ神理を信じて感謝の布施をされませんか。そうすればその災いは止まるからです。しかし、それをしない限り、その災いは出続けるからです。
昨夜（というか、今日の朝方なんですが）面白い夢を観ましたので書いておきます。
その夢は私が営業をしていた時の夢でした。私がある会社に営業にいくと、その会社の社長さんが知らない人と一緒にいて何か話をしていました。
そこに私がいったものですから、その社長が「大矢さん、今日はお客さんがきていて忙しいから、またにして」といわれます。
それで私も「ああ、それはすいません。では、請求書を持ってきていますので、それだけ渡しておきます」といって、そこの社長に請求書を渡したのです。
するとその社長はすぐにその請求書を確認していました。そうしてその請求金額を見て「これだけ上がっては、もうおたくから買えなくなるかもしれないな」といいました。
私は「社長、たしかに安く買う努力は大事なことですが、しかし、これからはです。（これだけ物価が上がりだしたので）少し高く売る努力もしてくれないといけませんよね」といいました。
すると、その社長はハッとして「これだからあんたと話すのは面白い」といって、横にいる人に目配せしてニヤリと笑っています。
それで、少し話そうかということになって、こちらにきてと別の場所に歩いていくのですが、その間、社長と一緒にいた人は「社長、こちらの話の方が大事でしょう」といった顔つきで少々戸惑っています。その人は私のことを知らなかったからです。
そうして私とその社長は歩きながらいろいろ話していくのですが、その社長が度々、こういうことについて何か気がついたことない、ああいうことについて何か気がついたことないと、きいてくるので、ああ、これはこうした方がいいのではないですか、あれはこうした方がいいのではないですかと、私が気がついたことをいいながら歩いていくというところで目が覚めました。
何かその夢が気になったのでここに書きました。だってその夢のようにです。このブログを読んでいる人は、神の様々なことを私から知らされただけでなく、いろいろな気づきももらっているはずだからからです。とても自分では気づかなかったような気づきもです。（そのことを知らされた夢だったのでしょう。だから天上界から観せられた霊夢であったということです。今日の朝方観た夢はです）
それでも感謝の一つもしないわけですか。少しの布施もされないと、そういうのでしょうか。しかし、それではあまりに器が小さい。やはり知らないことを教えられ、自分が気づかないようなことに気づかされたのならです。
少しの感謝くらいはすべきでしょう。それが人の道というものであるからです。
その人の道から外れたことばかりするから、これだけ天罰も食らうのです。それを、このブログを見ている多くの人たちは認めようとしませんが。
昨日はまた堀川にいっていたらたくさんの魚たちが跳ねていました。私が声をかけるとより一層跳ね回ります。そうして横にある桜の木にはスズメたちがとまってピィピィ鳴きながら飛び回り、カラスや他の鳥たちも鳴きながら飛び回って、私の周りはにぎやかなものでした。
そういえば今年はまだツバメを見かけませんが、どうしたんでしょうね。いつもの年ならもうきているはずだからです。早いツバメなどもう三月末頃に見るのもいるくらいだからです。
しかし、そのツバメももうくることでしょう。そうするとまた一層にぎやかになります。ツバメもずいぶんうるさいからです。ギャーギャーギャーギャー鳴きながら飛び回るからです。
鳥や魚たちでも、このように神理には感謝してくれています。（感謝しているから、神理を説いている私を見るとこれだけ喜ぶのです。そのような愛ある表現が他の生き物たちの感謝の態度だからです。言葉をしゃべることが出来ない他の生き物たちのです）それが人間だけは神理に感謝しないでは、万物の霊長として示しがつきませんよね。（笑）
少しの感謝くらいされませんか。神理に対してです。他の生き物たちはすべて神理に感謝してくれているからです。（ほんと私のいうことを素直にきけといいたい。ずいぶん危ない人たちもいるからです。というか、多いからです）</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>昨日は伊藤さんから感謝の布施をもらいました。ありがとうございました。<br />
今日も朝から微妙に怒っているところがありますが、伊藤さん同様、感謝の布施をしてくれないと、その怒っていることは止まりません。昨日もやたら怒っている人がいましたが、それで激しく音を立てると自分だけでなく自分の周りにも（会社や家族にも）その怒っていることが現れてきます。<br />
そんなことが起き続けているのですから、少しは神を恐れ神理を信じて感謝の布施をされませんか。そうすればその災いは止まるからです。しかし、それをしない限り、その災いは出続けるからです。<br />
昨夜（というか、今日の朝方なんですが）面白い夢を観ましたので書いておきます。<br />
その夢は私が営業をしていた時の夢でした。私がある会社に営業にいくと、その会社の社長さんが知らない人と一緒にいて何か話をしていました。<br />
そこに私がいったものですから、その社長が「大矢さん、今日はお客さんがきていて忙しいから、またにして」といわれます。<br />
それで私も「ああ、それはすいません。では、請求書を持ってきていますので、それだけ渡しておきます」といって、そこの社長に請求書を渡したのです。<br />
するとその社長はすぐにその請求書を確認していました。そうしてその請求金額を見て「これだけ上がっては、もうおたくから買えなくなるかもしれないな」といいました。<br />
私は「社長、たしかに安く買う努力は大事なことですが、しかし、これからはです。（これだけ物価が上がりだしたので）少し高く売る努力もしてくれないといけませんよね」といいました。<br />
すると、その社長はハッとして「これだからあんたと話すのは面白い」といって、横にいる人に目配せしてニヤリと笑っています。<br />
それで、少し話そうかということになって、こちらにきてと別の場所に歩いていくのですが、その間、社長と一緒にいた人は「社長、こちらの話の方が大事でしょう」といった顔つきで少々戸惑っています。その人は私のことを知らなかったからです。<br />
そうして私とその社長は歩きながらいろいろ話していくのですが、その社長が度々、こういうことについて何か気がついたことない、ああいうことについて何か気がついたことないと、きいてくるので、ああ、これはこうした方がいいのではないですか、あれはこうした方がいいのではないですかと、私が気がついたことをいいながら歩いていくというところで目が覚めました。<br />
何かその夢が気になったのでここに書きました。だってその夢のようにです。このブログを読んでいる人は、神の様々なことを私から知らされただけでなく、いろいろな気づきももらっているはずだからからです。とても自分では気づかなかったような気づきもです。（そのことを知らされた夢だったのでしょう。だから天上界から観せられた霊夢であったということです。今日の朝方観た夢はです）<br />
それでも感謝の一つもしないわけですか。少しの布施もされないと、そういうのでしょうか。しかし、それではあまりに器が小さい。やはり知らないことを教えられ、自分が気づかないようなことに気づかされたのならです。<br />
少しの感謝くらいはすべきでしょう。それが人の道というものであるからです。<br />
その人の道から外れたことばかりするから、これだけ天罰も食らうのです。それを、このブログを見ている多くの人たちは認めようとしませんが。<br />
昨日はまた堀川にいっていたらたくさんの魚たちが跳ねていました。私が声をかけるとより一層跳ね回ります。そうして横にある桜の木にはスズメたちがとまってピィピィ鳴きながら飛び回り、カラスや他の鳥たちも鳴きながら飛び回って、私の周りはにぎやかなものでした。<br />
そういえば今年はまだツバメを見かけませんが、どうしたんでしょうね。いつもの年ならもうきているはずだからです。早いツバメなどもう三月末頃に見るのもいるくらいだからです。<br />
しかし、そのツバメももうくることでしょう。そうするとまた一層にぎやかになります。ツバメもずいぶんうるさいからです。ギャーギャーギャーギャー鳴きながら飛び回るからです。<br />
鳥や魚たちでも、このように神理には感謝してくれています。（感謝しているから、神理を説いている私を見るとこれだけ喜ぶのです。そのような愛ある表現が他の生き物たちの感謝の態度だからです。言葉をしゃべることが出来ない他の生き物たちのです）それが人間だけは神理に感謝しないでは、万物の霊長として示しがつきませんよね。（笑）<br />
少しの感謝くらいされませんか。神理に対してです。他の生き物たちはすべて神理に感謝してくれているからです。（ほんと私のいうことを素直にきけといいたい。ずいぶん危ない人たちもいるからです。というか、多いからです）</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450&#038;cpage=1#comment-4864</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 04 Apr 2023 01:36:55 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450#comment-4864</guid>
		<description>今日は朝から静かですね。（笑）毎回こうだといいんですがもう災いが止まらないんで観念しましたかね。さすがにどこかの会社もです。（笑）
などと書いているとまたやりだすんでしょうが（苦笑）もう本当に観念した方がいいですよ。こんな（傲慢な）態度をし続けているのは現代の人たちだけであるからです。
だいたい、次から次に癌になる人が出ていて、なんでそれを人のせいにして怒っていられるのでしょう。怖くはないのでしょうか？
また有名人が癌で亡くなったということでずいぶんニュースになっていますが、あの人など最後はその癌でずいぶん苦しんだんでしょう。
亡くなる二、三日前には「もう逝かせてくれ」と懇願していたそうではないですか。それで亡くなって、その苦しみがなくなればいいのですが、まずなくならないですからね。その苦しみはそのままあの世まで持っていって、今度はあの世でも苦しみ続けるのです。自分が何でそんな（苦しい）死に方をしなければいけなかったのか、それが分かるまでです。
同じようになりますよ。神理に逆らい続けて癌で死んでいった人たちはです。というか、死後はもっとひどい目に遭います。（それは私が保証します）神理に逆らうくらいの悪いことはこの世にないからです。
だから、これだけ悪いことも起きる、それが『道理』というものであるからです。
今回のことでもそうなんですが、あの癌で亡くなった有名人は、ずいぶんよいことをして死んでいったようにテレビではいわれていますが、あの方は環境問題とか平和問題、脱原発などにもかなり言及していたようですね。
しかし、その中に間違えていたところがあったということです。大いにです。だからあの人はあれほど苦しんで死ぬことになった。その間違いが、最後にそのような苦しみをその人に与えたからです。
そういうことが分からないから、みな偶然こうなったみたいなことをいうわけですが、しかし、もし、そのようなことがみな偶然でたまたまであるならです。人はよいことをしようと思うでしょうか？
よいことをしても悪いことをして、偶然ひどい事故に遭う人もいれば、このようなひどい病気になる人もいる。どれだけ悪いことをしても何の天罰も当たらず、どれだけよいことをしても何の奇跡も起きず、その後の人生はすべて偶然で、よいことをしようが悪いことをしようが、その後よい人生を送れるかどうかは、すべて運で決まるなどとなったらです。
それではよいことをする気もなくなるでしょう。しかし、これまではそう思われてきた。みな運がいいか悪いかで、自分の人生は決まるのだと、そう考える人が多かった。
どれだけ正しいことをしても、どれだけ努力を重ねても、金持ちになれる人もいればなれない人もいて、よいことが起きる人もいれば起きない人もいて、それでよいことが起きた人は運がよかった、よいことが起きなかった人は（それだけ努力しても成功しなかった人は）運が悪かったと。
しかし、仮に成功したとしても、そんな成功者の中にも突然病気になって苦しんで死ぬ人もいれば、あまりよくない人生の中で病気などせず一生健康に暮らせた人もいる。よいことをしていたのに事故ですぐ死ぬ人もいれば、悪いことをしていてひどい病気をしていたのに、それが奇跡的に治った人もいる。こんな理不尽もないので、そのようなことはすべて運が左右しているのであり、これまでの自分の人生に関係なく、よいことが起きるか悪いことが起きるかはすべて偶然と、それで納得していたわけです。これまでの多くの人たちはです。
しかし、よくそれでいいことをしようとか、努力しようとか思いましたよね。（笑）
そんな一寸先は闇の人生など、悪いことをしても楽に生きた方が得なのではないですか。いいことをしても悪いことをしても、それにふさわしいことが起きてこないなら、そうする意味がないからです。（それとも正義感だけでやっていたわけですか。これまでよいことをしようと努力していた人はです…いやご立派。〔笑〕）
では、因果応報、善因善果、悪因悪果という言葉は嘘ということになりますが、そのような言葉はすべてよいことをさせるため、あるいは悪いことをさせないための方便でそういっているのであって、本当はそんなこと起きないのであると、それは全部偶然でそうなっているだけなのであると、そういっていたわけです。これまで偶然論を主張してきた人たちはです。
だから悪いことをする人も多かった。そんなすべて偶然なら、よいことをしても悪いことをしても同じであり、また努力などしてもしなくても同じであり、そうであるなら、よいことであろうと悪いことであろうと、警察に捕まらなければそれでよいのであって、出来るだけ楽に儲けて面白おかしくこの世を過ごした方がよいからです。（こういうのって世紀末思想ですよね…そんな考えの人が多いから滅ぶのです）
しかし、そのようなことがすべて間違いであったということが、神理の出現によって分かったのです。これまですべて偶然で起きていたと思われていたことが、実は必然であったということが次々に証明されていっているからです。いま現在です。
だから、どれだけよいことをいっていても、またしているように見えても周りによいことが起きてこないのであれば、それはよいことをしていないのであり（よいことの中に悪いことが必ずあるのであり）よいことをすれば奇跡が、悪いことをすれば天罰が、実は必ず起きてくるのであり、本当によいことをしているのなら、様々な災いから守られ、悪いことをしているのなら、その悪いことに応じて、自分の周りに悪いことは起きてくるのであり、正しく努力するなら、それは報われ（ある程度の時間差はあるにせよです）悪いことをし続けるなら末路は哀れになる。そのようなことはすべて必然で起きてくることであり、この世に偶然はない。因果応報、善因善果、悪因悪果という言葉は正しかった。
そのようなことが次々に証明されていっているのです。いま現在、この正法神理の出現によってです。
だから人間は正しいことをしないといけない、悪いことをしてはいけない。よいことをすればよいことが、悪いことをすれば悪いことが、必ず自分に起きてくるからです。
と、こう筋の通ったこともいえるわけです。神理を知ったのならです。その通りのことが起きているからです。
それにまだ異を唱える人がいますか？　いるなら私にそういってください。その証拠はお見せしますから。いくらでもです。別にご自身の身体を通して体験してもらってもいいですし。（そういう人が多いんですけどね。勝手に私に嫌がらせしてきてです。〔苦笑〕）
これまでの皆さん方の（無神論の）考え方を大転換させる、そのような正しい教えが（これこそ真実ですから。これまでのような〔例えば無神論のような〕迷信ではなくです）ここに語られているのですが、その教えを説いている者を無視に、じゃまに、嫌がらせですか。
よく恐ろしくない、そんなことをしていてです。
それでずいぶん恐ろしい結果が次々に現れているんですが、それでもまだ分からない。自分たちのしていることの恐ろしさ、愚かさがです。
それに早く気づいてください。そのことにいつまでも気づかないでいるとです。この後、大後悔をしないといけなくなるからです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>今日は朝から静かですね。（笑）毎回こうだといいんですがもう災いが止まらないんで観念しましたかね。さすがにどこかの会社もです。（笑）<br />
などと書いているとまたやりだすんでしょうが（苦笑）もう本当に観念した方がいいですよ。こんな（傲慢な）態度をし続けているのは現代の人たちだけであるからです。<br />
だいたい、次から次に癌になる人が出ていて、なんでそれを人のせいにして怒っていられるのでしょう。怖くはないのでしょうか？<br />
また有名人が癌で亡くなったということでずいぶんニュースになっていますが、あの人など最後はその癌でずいぶん苦しんだんでしょう。<br />
亡くなる二、三日前には「もう逝かせてくれ」と懇願していたそうではないですか。それで亡くなって、その苦しみがなくなればいいのですが、まずなくならないですからね。その苦しみはそのままあの世まで持っていって、今度はあの世でも苦しみ続けるのです。自分が何でそんな（苦しい）死に方をしなければいけなかったのか、それが分かるまでです。<br />
同じようになりますよ。神理に逆らい続けて癌で死んでいった人たちはです。というか、死後はもっとひどい目に遭います。（それは私が保証します）神理に逆らうくらいの悪いことはこの世にないからです。<br />
だから、これだけ悪いことも起きる、それが『道理』というものであるからです。<br />
今回のことでもそうなんですが、あの癌で亡くなった有名人は、ずいぶんよいことをして死んでいったようにテレビではいわれていますが、あの方は環境問題とか平和問題、脱原発などにもかなり言及していたようですね。<br />
しかし、その中に間違えていたところがあったということです。大いにです。だからあの人はあれほど苦しんで死ぬことになった。その間違いが、最後にそのような苦しみをその人に与えたからです。<br />
そういうことが分からないから、みな偶然こうなったみたいなことをいうわけですが、しかし、もし、そのようなことがみな偶然でたまたまであるならです。人はよいことをしようと思うでしょうか？<br />
よいことをしても悪いことをして、偶然ひどい事故に遭う人もいれば、このようなひどい病気になる人もいる。どれだけ悪いことをしても何の天罰も当たらず、どれだけよいことをしても何の奇跡も起きず、その後の人生はすべて偶然で、よいことをしようが悪いことをしようが、その後よい人生を送れるかどうかは、すべて運で決まるなどとなったらです。<br />
それではよいことをする気もなくなるでしょう。しかし、これまではそう思われてきた。みな運がいいか悪いかで、自分の人生は決まるのだと、そう考える人が多かった。<br />
どれだけ正しいことをしても、どれだけ努力を重ねても、金持ちになれる人もいればなれない人もいて、よいことが起きる人もいれば起きない人もいて、それでよいことが起きた人は運がよかった、よいことが起きなかった人は（それだけ努力しても成功しなかった人は）運が悪かったと。<br />
しかし、仮に成功したとしても、そんな成功者の中にも突然病気になって苦しんで死ぬ人もいれば、あまりよくない人生の中で病気などせず一生健康に暮らせた人もいる。よいことをしていたのに事故ですぐ死ぬ人もいれば、悪いことをしていてひどい病気をしていたのに、それが奇跡的に治った人もいる。こんな理不尽もないので、そのようなことはすべて運が左右しているのであり、これまでの自分の人生に関係なく、よいことが起きるか悪いことが起きるかはすべて偶然と、それで納得していたわけです。これまでの多くの人たちはです。<br />
しかし、よくそれでいいことをしようとか、努力しようとか思いましたよね。（笑）<br />
そんな一寸先は闇の人生など、悪いことをしても楽に生きた方が得なのではないですか。いいことをしても悪いことをしても、それにふさわしいことが起きてこないなら、そうする意味がないからです。（それとも正義感だけでやっていたわけですか。これまでよいことをしようと努力していた人はです…いやご立派。〔笑〕）<br />
では、因果応報、善因善果、悪因悪果という言葉は嘘ということになりますが、そのような言葉はすべてよいことをさせるため、あるいは悪いことをさせないための方便でそういっているのであって、本当はそんなこと起きないのであると、それは全部偶然でそうなっているだけなのであると、そういっていたわけです。これまで偶然論を主張してきた人たちはです。<br />
だから悪いことをする人も多かった。そんなすべて偶然なら、よいことをしても悪いことをしても同じであり、また努力などしてもしなくても同じであり、そうであるなら、よいことであろうと悪いことであろうと、警察に捕まらなければそれでよいのであって、出来るだけ楽に儲けて面白おかしくこの世を過ごした方がよいからです。（こういうのって世紀末思想ですよね…そんな考えの人が多いから滅ぶのです）<br />
しかし、そのようなことがすべて間違いであったということが、神理の出現によって分かったのです。これまですべて偶然で起きていたと思われていたことが、実は必然であったということが次々に証明されていっているからです。いま現在です。<br />
だから、どれだけよいことをいっていても、またしているように見えても周りによいことが起きてこないのであれば、それはよいことをしていないのであり（よいことの中に悪いことが必ずあるのであり）よいことをすれば奇跡が、悪いことをすれば天罰が、実は必ず起きてくるのであり、本当によいことをしているのなら、様々な災いから守られ、悪いことをしているのなら、その悪いことに応じて、自分の周りに悪いことは起きてくるのであり、正しく努力するなら、それは報われ（ある程度の時間差はあるにせよです）悪いことをし続けるなら末路は哀れになる。そのようなことはすべて必然で起きてくることであり、この世に偶然はない。因果応報、善因善果、悪因悪果という言葉は正しかった。<br />
そのようなことが次々に証明されていっているのです。いま現在、この正法神理の出現によってです。<br />
だから人間は正しいことをしないといけない、悪いことをしてはいけない。よいことをすればよいことが、悪いことをすれば悪いことが、必ず自分に起きてくるからです。<br />
と、こう筋の通ったこともいえるわけです。神理を知ったのならです。その通りのことが起きているからです。<br />
それにまだ異を唱える人がいますか？　いるなら私にそういってください。その証拠はお見せしますから。いくらでもです。別にご自身の身体を通して体験してもらってもいいですし。（そういう人が多いんですけどね。勝手に私に嫌がらせしてきてです。〔苦笑〕）<br />
これまでの皆さん方の（無神論の）考え方を大転換させる、そのような正しい教えが（これこそ真実ですから。これまでのような〔例えば無神論のような〕迷信ではなくです）ここに語られているのですが、その教えを説いている者を無視に、じゃまに、嫌がらせですか。<br />
よく恐ろしくない、そんなことをしていてです。<br />
それでずいぶん恐ろしい結果が次々に現れているんですが、それでもまだ分からない。自分たちのしていることの恐ろしさ、愚かさがです。<br />
それに早く気づいてください。そのことにいつまでも気づかないでいるとです。この後、大後悔をしないといけなくなるからです。</p>
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		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450&#038;cpage=1#comment-4863</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 03 Apr 2023 01:08:37 +0000</pubDate>
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		<description>しかし、大丈夫なんですかね。誰も布施しなくて。
どこかの会社などしないとどう考えても危ないと思うんですが、まあ、したくないなら仕方ありません。お大事にというか、お気をつけてというしかないですね。それだけ危ない状況であるにもかかわらずまったく態度を変えようとしないからです。それではまた今日も同じことが起きるからです。（なぜ、それが怖くない。まったく不思議ですね？？？）
早く理解してほしいものです。自分たちの（神に対する）不遜な態度をです。それを理解し反省しないといつまでも災いは続くからです。
そういう（危ない）ところが多数あるんですが、まあ、それはともかくです。いよいよ統一地方選が始まりましたね。あちこちで候補者の名を連呼している選挙カーをよく見かけます。
しかし、維新がずいぶんこちら名古屋にも進出してきているようですね。本当にまずいです。こんな緊縮財政＆他国売渡し政策の（公共事業削りまくり＆IR推進などの）維新が名古屋までこられてはです。
河村市長率いる減税日本も、こんな維新などと組むとかいっていた時は終わってんなと思っていましたが（苦笑）その維新からも振られ本当に終わりましたね。（笑）減税日本はです。残念ではありますがもはや昔の面影はなくなったようです。
出てきた当初はずいぶん勢いもあり期待もしましたがね。減税はよかったからです。そうして楽市楽座もよかったからです。
しかし、私もあれから、少々政治の方も勉強しました。（ユーチューブなどでですが。〔笑〕）だから減税だけではどうにもならないということも学びました。（楽市楽座はやらないし）
今は減税＆積極財政をしないといけないとよく分かりました。ですから、もう応援出来なくなりました。減税日本はです。減税＆緊縮財政ではどうにもならないからです。
別に減税日本はそれだけとはいいませんが（名古屋城復元工事もされていますから）しかし、あの超緊縮の中国維新の……間違えました、日本維新の会と組みたかったということは緊縮財政ですよね。河村市長もです。それでは応援出来ませんよね。そんなブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような政策ではです。
だいたい、市職員や市議の給料を下げろ下げろと（自分の給料もそうですが）そんなことばかりいっているんですから（こんなとこなど削ることしか知らない維新にそっくり）そりゃまずいでしょう。
これだけ不況が続いているのです。今は皆の給料を上げて、それを使わせ経済を活性化させないといけない。そうしないといつまでたっても日本経済はよくはならないからです。
河村市長は徳川宗春を支持されていたはずです。だったら積極財政でしょう。自分の給料も市議の給料も市職員の給料も上げて、名古屋に金をばらまいて名古屋の経済を活性化させないとダメでしょう。あの宗春の時のようにです。江戸時代で宗春ほど積極財政であった方もいないからです。
あの享保の改革当時（八代将軍吉宗が行ったです。もちろんこれは緊縮財政です）停滞していた日本の中で唯一名古屋だけは活気を得ていて、その繁栄ぶりは「名古屋の繁華で京（興）がさめた」といわれたほどであったとか。
では、それくらいしてもらわないと困ります。そうすれば名古屋は一躍全国の注目の的となり、さらに活況を得るからです。
しかし、維新同様、削れ削れなどとされた日にはです。やはり大阪の維新同様、新型コロナの死者がダントツのトップなどということにもなりかねないのです。公共事業など削りすぎてはです。（そういうことを大阪の人たちは知っているんでしょうか？　IRなどの事業を含めた維新の危なさをです。ただ、町がキレイになっただの便利になっただの、そういう目先のことだけにとらわれていては分からない、そのような大事なことをです）
だから減税日本が減税＆積極財政に転じてくれれば（これは今の日本で一番しなければいけない政策ですから）ぜひ河村市長の減税日本をまた応援したいと思いますが、どうもそう簡単にはなりそうもありません。
では、自民党に入れるしかないんですかね。他の選択肢もなさそうであるからです。（参政党とか国民民主とかです。そこらへんは今のところ〔今のところではありますが〕左翼ではなさそうだからです）
とりあえず自民党は最近は積極財政派議員も増えてきています。そちらの議員が増えてきてくれることを願ってやみません。
いま日本の危機を（不況やら様々な安全保障やらの）救えるのは、その積極財政派の議員の人たちだけであるからです。（可能性があるのはということですが。少なくとも緊縮財政派の議員では絶対に無理だからです）</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>しかし、大丈夫なんですかね。誰も布施しなくて。<br />
どこかの会社などしないとどう考えても危ないと思うんですが、まあ、したくないなら仕方ありません。お大事にというか、お気をつけてというしかないですね。それだけ危ない状況であるにもかかわらずまったく態度を変えようとしないからです。それではまた今日も同じことが起きるからです。（なぜ、それが怖くない。まったく不思議ですね？？？）<br />
早く理解してほしいものです。自分たちの（神に対する）不遜な態度をです。それを理解し反省しないといつまでも災いは続くからです。<br />
そういう（危ない）ところが多数あるんですが、まあ、それはともかくです。いよいよ統一地方選が始まりましたね。あちこちで候補者の名を連呼している選挙カーをよく見かけます。<br />
しかし、維新がずいぶんこちら名古屋にも進出してきているようですね。本当にまずいです。こんな緊縮財政＆他国売渡し政策の（公共事業削りまくり＆IR推進などの）維新が名古屋までこられてはです。<br />
河村市長率いる減税日本も、こんな維新などと組むとかいっていた時は終わってんなと思っていましたが（苦笑）その維新からも振られ本当に終わりましたね。（笑）減税日本はです。残念ではありますがもはや昔の面影はなくなったようです。<br />
出てきた当初はずいぶん勢いもあり期待もしましたがね。減税はよかったからです。そうして楽市楽座もよかったからです。<br />
しかし、私もあれから、少々政治の方も勉強しました。（ユーチューブなどでですが。〔笑〕）だから減税だけではどうにもならないということも学びました。（楽市楽座はやらないし）<br />
今は減税＆積極財政をしないといけないとよく分かりました。ですから、もう応援出来なくなりました。減税日本はです。減税＆緊縮財政ではどうにもならないからです。<br />
別に減税日本はそれだけとはいいませんが（名古屋城復元工事もされていますから）しかし、あの超緊縮の中国維新の……間違えました、日本維新の会と組みたかったということは緊縮財政ですよね。河村市長もです。それでは応援出来ませんよね。そんなブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような政策ではです。<br />
だいたい、市職員や市議の給料を下げろ下げろと（自分の給料もそうですが）そんなことばかりいっているんですから（こんなとこなど削ることしか知らない維新にそっくり）そりゃまずいでしょう。<br />
これだけ不況が続いているのです。今は皆の給料を上げて、それを使わせ経済を活性化させないといけない。そうしないといつまでたっても日本経済はよくはならないからです。<br />
河村市長は徳川宗春を支持されていたはずです。だったら積極財政でしょう。自分の給料も市議の給料も市職員の給料も上げて、名古屋に金をばらまいて名古屋の経済を活性化させないとダメでしょう。あの宗春の時のようにです。江戸時代で宗春ほど積極財政であった方もいないからです。<br />
あの享保の改革当時（八代将軍吉宗が行ったです。もちろんこれは緊縮財政です）停滞していた日本の中で唯一名古屋だけは活気を得ていて、その繁栄ぶりは「名古屋の繁華で京（興）がさめた」といわれたほどであったとか。<br />
では、それくらいしてもらわないと困ります。そうすれば名古屋は一躍全国の注目の的となり、さらに活況を得るからです。<br />
しかし、維新同様、削れ削れなどとされた日にはです。やはり大阪の維新同様、新型コロナの死者がダントツのトップなどということにもなりかねないのです。公共事業など削りすぎてはです。（そういうことを大阪の人たちは知っているんでしょうか？　IRなどの事業を含めた維新の危なさをです。ただ、町がキレイになっただの便利になっただの、そういう目先のことだけにとらわれていては分からない、そのような大事なことをです）<br />
だから減税日本が減税＆積極財政に転じてくれれば（これは今の日本で一番しなければいけない政策ですから）ぜひ河村市長の減税日本をまた応援したいと思いますが、どうもそう簡単にはなりそうもありません。<br />
では、自民党に入れるしかないんですかね。他の選択肢もなさそうであるからです。（参政党とか国民民主とかです。そこらへんは今のところ〔今のところではありますが〕左翼ではなさそうだからです）<br />
とりあえず自民党は最近は積極財政派議員も増えてきています。そちらの議員が増えてきてくれることを願ってやみません。<br />
いま日本の危機を（不況やら様々な安全保障やらの）救えるのは、その積極財政派の議員の人たちだけであるからです。（可能性があるのはということですが。少なくとも緊縮財政派の議員では絶対に無理だからです）</p>
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		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450&#038;cpage=1#comment-4862</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 02 Apr 2023 01:39:15 +0000</pubDate>
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		<description>昨日はいい天気でした。もう歩いていると暑いくらいでしたからね。（汗もずいぶんかいたし）
しかしそれは昨日だけの話ではなく本当に今年は暖かい。先月の三月からそうですので（というか、正確にいうなら二月から）何か今年は三月をすっ飛ばして四月、五月の陽気がずっと続いているようにも思えますね。それくらい暖かい日が多いからです。一月を過ぎた辺りからです。
しかし、私のいう通りになりましたよね。もうこれから暖かくなると、二月にそういったはずですが、そのいった通りになりました。結局、皆さん方が（新しい人は）一人も布施してくれなかったからです。
新しい人が布施してくれないなら、もうあまり寒くなることはないだろうと（ひどい寒の戻りはないだろうと）そう書いておきましたが、その通りになりました。三月は記録的な暖かさだったようであるからです。
まだ正式な発表はされていませんが、そんなようなことをもうテレビではいっていますから、そうなんでしょう。今年の三月は記録的な暖かさだったんでしょう。皆さん方が布施してくれなかったからです。（布施してくれなくて寒いままでは、それでよけいに使う高い電気代を払えませんから。貧乏な私はです。いま現在でもきついのにです…あの貧乏人に配ってくれるという三万円はいつもらえるんでしょうか？　もうすぐにでも欲しいくらいです）
しかし、布施してくれなくてはねぇ。私も困るんですが、本当に困るのはそちら（布施してくれない人たちの方）なんではないですか。昨日でも夕方帰ってくると、またすさまじい怒り方をしていましたから。どこかの会社などです。
ガチャーンなどと凄い音を立てていたのもいたし、あれ完全に出てんでしょうね。また癌がです。（ほんとリアルに分かります）
だから私はいっているのです。特にこの会社にはです。早く布施した方がいいとです。この会社など休み以外の時はほぼ毎日のようにこのブログを書くのをじゃましていますし、ブログを書いていない時でもしょっちゅう嫌がらせをしてくるのがいるのです。
そんなことをし続けていて罰が当たらないわけがない。私が普通に歩いている時にトラックやバスがブシュブシュやってきたり、でかい音などわざと（ここが大事です）立てただけでも罰が当たるのにです。（ということは、わざとしていなかったら、別に罰は当たらないということです。つまり、私が近くを歩いている時にでかい音を立てていても、それが本当に仕事だけしている時とか、たまたま歩いている時にでかい音を立ててしまい、私がその音を勘違いしてまた嫌がらせしていると思ったとしてもです。その音を立てた人がまったくそんな気がなかったのなら、その人に罰が当たることはないのです。私はそういう人を〔でかい音を立ててきた人を〕正しく導いてほしいと祈っているだけであるからです。では、嫌がらせをしているわけでもない人に天罰がくだることはないのです。私はその人を呪っているわけではないからです。〔私が呪いをかけているとしたら、そんなことしてきた人、全員に災いは現れるでしょうけどね。もちろん私はそんなことしません。そんなことしたら自分も危ないからです〕）
では、そんな危ない嫌がらせを毎日してくるんですから、この会社の人に天罰が（癌になる人が）続出しないわけがない。本当にそうなっているんですから、だから、そういう私を迫害している人は仕方ないにしてもです。（レベルの低い人は何をいってもききませんから）
それをしない人もいるはずです。そういう人は、その会社で働いているのなら、布施はしておいた方がいいですよ、といっているのです。そうすれば（それだけ徳あることをしておけば）自分は守られるからです。
「私は関係ない」ではすまないからです。その会社の人間はずいぶん罪をつくってしまっているからです。神に対し、そうして私だけでなく、その周りの人たちに対してです。（ずいぶん近所迷惑なことをし続けていますから。この会社はです）
だから自分は関係ないではすまないといっているのです。そのような自分たちがつくったたくさんの罪がまだこれからたくさん返ってくるからです。その会社にはです。ちょっとやそっとではとても返しきれないくらいの罪をすでにつくってしまっているからです。この会社はです。（というか、つくり続けていますからね。今もってです）
だから、どんどんどんどん癌になる人が出るのです。そのつくり続けている罪はもうすさまじいものとなって、そのすさまじい罪がもの凄い勢いで返ってきているからです。自分たちのところにです。（ほんと恐ろしい）
実際にその罪が目に見えたのならずいぶん怖いんでしょうが、しかし、運の悪いことに罪は見えない。だから人によっては罪をつくり続けてしまう人もいるのですが、それがどれほど大きな罪なのかということが、神理が出現している今は目に見えるように分かります。（すぐに起きてくる天罰により）
これほどよい時代もないと思うんですけどね。自分の間違いがよく分かるからです。悪いことをしているから悪いことが起きているからです。
しかし、今の人たちはそれを絶対に認めようとしない。私のせいにするか、自然現象とか、他のもののせいにするか、とにかくすべて責任転嫁して自分の罪は絶対に認めない。
それが、これほど大きな不幸が現れている何よりの原因であるということをよく知ってください。
昔の人ならです。これだけ悪いことが起きてきているのです。自分だけでなく周りにもです。（もう日本など災害大国といわれていますから）
これだけ悪いことが起きてきたのなら、もう自分が悪いと誰だって悟り、自分の悪いところを反省されたのです。自分が悪いから、それだけ自分にも自分の周りにも悪いことが起きてくるとよく理解してです。
それが神がつくられた法則であると（因果応報、善因善果、悪因悪果）みな知っていたからです。
しかし、本当にそれが分からないんでしょうか？　これだけ自分の周りに悪いことが起きてきていてです。それをいつまでも責任転嫁していられるものなんでしょうか。今の人たちはです。昔の人も今の人も同じ人間であるはずなのにです。
それが昔の人たちには分かって、今の人たちにはまるで分らない。もし、本当にそうだとしたらです。これほどの不幸はないのです。それが分からないばかりに（神の法則や自分が悪いと分からないばかりに）これほど多くの不幸が現れているからです。
自分や自分に現れる不幸はすべて自分のせいであり、そうして、天気などもです。自分が望むなら、自分の希望通りにもなるのです。そのようなものすべてに意識があるからです。（また私がそれを証明していますが…今回は気温によってです）
しかし、それには神の存在や神の法則を正しく認識し、その神の通りの心を実践しないとそのようにはならないのです。
これだけ悪いことが起きてきて、それが自分のせいとまだ分からない、これだけ不幸なこともありません。
この世のことはすべて偶然で、それが積み重なって今のようなことが起きている。
この考え方はまったく違います。いま起きていることはすべて必然で起きていることであり、悪いことが起きてくる時は、その悪いことの原因を取り除くなら、その悪いことは起きなくなるのです。
それを私は口だけでなく、起きる現象でも証明しています。
いつまで私のいうことを無視しているのですか。それだけ不幸なこともないのです。（だからこれだけ不幸になる。私のいう「正しい」ことを無視しているからです）</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>昨日はいい天気でした。もう歩いていると暑いくらいでしたからね。（汗もずいぶんかいたし）<br />
しかしそれは昨日だけの話ではなく本当に今年は暖かい。先月の三月からそうですので（というか、正確にいうなら二月から）何か今年は三月をすっ飛ばして四月、五月の陽気がずっと続いているようにも思えますね。それくらい暖かい日が多いからです。一月を過ぎた辺りからです。<br />
しかし、私のいう通りになりましたよね。もうこれから暖かくなると、二月にそういったはずですが、そのいった通りになりました。結局、皆さん方が（新しい人は）一人も布施してくれなかったからです。<br />
新しい人が布施してくれないなら、もうあまり寒くなることはないだろうと（ひどい寒の戻りはないだろうと）そう書いておきましたが、その通りになりました。三月は記録的な暖かさだったようであるからです。<br />
まだ正式な発表はされていませんが、そんなようなことをもうテレビではいっていますから、そうなんでしょう。今年の三月は記録的な暖かさだったんでしょう。皆さん方が布施してくれなかったからです。（布施してくれなくて寒いままでは、それでよけいに使う高い電気代を払えませんから。貧乏な私はです。いま現在でもきついのにです…あの貧乏人に配ってくれるという三万円はいつもらえるんでしょうか？　もうすぐにでも欲しいくらいです）<br />
しかし、布施してくれなくてはねぇ。私も困るんですが、本当に困るのはそちら（布施してくれない人たちの方）なんではないですか。昨日でも夕方帰ってくると、またすさまじい怒り方をしていましたから。どこかの会社などです。<br />
ガチャーンなどと凄い音を立てていたのもいたし、あれ完全に出てんでしょうね。また癌がです。（ほんとリアルに分かります）<br />
だから私はいっているのです。特にこの会社にはです。早く布施した方がいいとです。この会社など休み以外の時はほぼ毎日のようにこのブログを書くのをじゃましていますし、ブログを書いていない時でもしょっちゅう嫌がらせをしてくるのがいるのです。<br />
そんなことをし続けていて罰が当たらないわけがない。私が普通に歩いている時にトラックやバスがブシュブシュやってきたり、でかい音などわざと（ここが大事です）立てただけでも罰が当たるのにです。（ということは、わざとしていなかったら、別に罰は当たらないということです。つまり、私が近くを歩いている時にでかい音を立てていても、それが本当に仕事だけしている時とか、たまたま歩いている時にでかい音を立ててしまい、私がその音を勘違いしてまた嫌がらせしていると思ったとしてもです。その音を立てた人がまったくそんな気がなかったのなら、その人に罰が当たることはないのです。私はそういう人を〔でかい音を立ててきた人を〕正しく導いてほしいと祈っているだけであるからです。では、嫌がらせをしているわけでもない人に天罰がくだることはないのです。私はその人を呪っているわけではないからです。〔私が呪いをかけているとしたら、そんなことしてきた人、全員に災いは現れるでしょうけどね。もちろん私はそんなことしません。そんなことしたら自分も危ないからです〕）<br />
では、そんな危ない嫌がらせを毎日してくるんですから、この会社の人に天罰が（癌になる人が）続出しないわけがない。本当にそうなっているんですから、だから、そういう私を迫害している人は仕方ないにしてもです。（レベルの低い人は何をいってもききませんから）<br />
それをしない人もいるはずです。そういう人は、その会社で働いているのなら、布施はしておいた方がいいですよ、といっているのです。そうすれば（それだけ徳あることをしておけば）自分は守られるからです。<br />
「私は関係ない」ではすまないからです。その会社の人間はずいぶん罪をつくってしまっているからです。神に対し、そうして私だけでなく、その周りの人たちに対してです。（ずいぶん近所迷惑なことをし続けていますから。この会社はです）<br />
だから自分は関係ないではすまないといっているのです。そのような自分たちがつくったたくさんの罪がまだこれからたくさん返ってくるからです。その会社にはです。ちょっとやそっとではとても返しきれないくらいの罪をすでにつくってしまっているからです。この会社はです。（というか、つくり続けていますからね。今もってです）<br />
だから、どんどんどんどん癌になる人が出るのです。そのつくり続けている罪はもうすさまじいものとなって、そのすさまじい罪がもの凄い勢いで返ってきているからです。自分たちのところにです。（ほんと恐ろしい）<br />
実際にその罪が目に見えたのならずいぶん怖いんでしょうが、しかし、運の悪いことに罪は見えない。だから人によっては罪をつくり続けてしまう人もいるのですが、それがどれほど大きな罪なのかということが、神理が出現している今は目に見えるように分かります。（すぐに起きてくる天罰により）<br />
これほどよい時代もないと思うんですけどね。自分の間違いがよく分かるからです。悪いことをしているから悪いことが起きているからです。<br />
しかし、今の人たちはそれを絶対に認めようとしない。私のせいにするか、自然現象とか、他のもののせいにするか、とにかくすべて責任転嫁して自分の罪は絶対に認めない。<br />
それが、これほど大きな不幸が現れている何よりの原因であるということをよく知ってください。<br />
昔の人ならです。これだけ悪いことが起きてきているのです。自分だけでなく周りにもです。（もう日本など災害大国といわれていますから）<br />
これだけ悪いことが起きてきたのなら、もう自分が悪いと誰だって悟り、自分の悪いところを反省されたのです。自分が悪いから、それだけ自分にも自分の周りにも悪いことが起きてくるとよく理解してです。<br />
それが神がつくられた法則であると（因果応報、善因善果、悪因悪果）みな知っていたからです。<br />
しかし、本当にそれが分からないんでしょうか？　これだけ自分の周りに悪いことが起きてきていてです。それをいつまでも責任転嫁していられるものなんでしょうか。今の人たちはです。昔の人も今の人も同じ人間であるはずなのにです。<br />
それが昔の人たちには分かって、今の人たちにはまるで分らない。もし、本当にそうだとしたらです。これほどの不幸はないのです。それが分からないばかりに（神の法則や自分が悪いと分からないばかりに）これほど多くの不幸が現れているからです。<br />
自分や自分に現れる不幸はすべて自分のせいであり、そうして、天気などもです。自分が望むなら、自分の希望通りにもなるのです。そのようなものすべてに意識があるからです。（また私がそれを証明していますが…今回は気温によってです）<br />
しかし、それには神の存在や神の法則を正しく認識し、その神の通りの心を実践しないとそのようにはならないのです。<br />
これだけ悪いことが起きてきて、それが自分のせいとまだ分からない、これだけ不幸なこともありません。<br />
この世のことはすべて偶然で、それが積み重なって今のようなことが起きている。<br />
この考え方はまったく違います。いま起きていることはすべて必然で起きていることであり、悪いことが起きてくる時は、その悪いことの原因を取り除くなら、その悪いことは起きなくなるのです。<br />
それを私は口だけでなく、起きる現象でも証明しています。<br />
いつまで私のいうことを無視しているのですか。それだけ不幸なこともないのです。（だからこれだけ不幸になる。私のいう「正しい」ことを無視しているからです）</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450&#038;cpage=1#comment-4861</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Sat, 01 Apr 2023 01:41:00 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450#comment-4861</guid>
		<description>いやいやいやいや、昨夜も凄かったですね。毎回こんな同じような書き出しにしたくはないんですけどね。（苦笑）
しかし毎日やられますからね。凄い（凄くうるさい）ことをです。では、そうなってしまいますよね。ついついこちらもそれにつられて書いてしまいます。というより、そのままほっといては本当に危ないからです。そんなことをしている人たちがです。
昨夜などガンガンガンガンガンと狂ったようにでかい音を立てていましたからね。どこかの会社のキレた奴がです。もう末期的症状です。
今も微妙にやっていますが（まだ冷静な）今のうちにいっておきます。また今日も（当然）昨日怒っていたようなことは起きますが、頭を下げ布施しないとその災いは止まりません。
その災いを止めたければです。（自分に起きたくなければです）私のいうことをきくべきでしょう。それ以外で救われる道はないからです。今のような行いを反省しないというなら、確実に起きてくるからです。（降りてくるからです）その天罰はです。
本当は災いが起きたくなければではなく、そのような態度を改めろということなんですが、そういう言い方をしても絶対にききませんからね。この連中はです。だから方便で、そういう（脅すような）言い方しか出来ないんですが、似たようなところが昨日もありました。そうして、それほどのことが起きていることを知ってか知らずか、まだ嫌がらせしてくる人もいましたが、それはどこも同じなのです。
神理を説いている者に感謝し布施しないと、起きてくる天罰は止まりません。早くそうされることです。そうしない限り、その天罰は止まらず、また天罰がくだり、難病奇病にかかった人なども、その難病奇病は治らないからです。
それは何も今だけの話ではないからです。昔からそうであったからです。
昔から神理を冒涜するような態度を取るなら、そのような天罰はくだされていたのです。自分たちがそのことを反省するまでです。
だから、そこまでのことが起きていない人たちもです。それを他人事のように考えず自分のこととして考えていた方がいいでしょう。黙って（感謝もせず）神理を見続けている人たちにも、やがて、そのような天罰はくだってくるからです。そのような態度は神理を冒涜していることには変わりがないからです。
だから神理と巡り合い、それを知ったのなら、心からの感謝は忘れてはならないということです。
こちらはそれが分かるまでいい続けるしかありません。なぜなら、神理を知るだけ知ってもです。その神理に感謝出来ないくらい不幸なこともないからです。
だから、このブログを見ている多くの人たちが不幸になっているのです。普通であるなら神理を知ったのなら幸福にならないといけいない。数百、数千年に一度しかこの世に現れない、それほど有難い本当の神の教えを知ったのですから。
しかし、それほど有難い神の教えもです。それに感謝出来なければ、逆にこれほど不幸なものはないのです。
本当の神の教えに感謝出来なければ、その人はまだその本当の神の教えに巡り合うべき魂ではなかったと、巡り合うにはまだ早すぎたと、そのように天は判断され、天罰もくだされるからです。
そういう順序を与えれられるということです。そういう人は、そのような順序をもらわないと感謝出来ないからです。神理に対してです。
だから不幸な導きを得るわけです。神理に感謝出来ない人はです。天罰がくだらないと、そこまで（神理に感謝出来るまで）魂が向上しないからです。
だから天はそこまで魂が向上するまでは何度でも天罰をくだすのです。そうすることが、その人のためであるからです。
だから、何度も天罰を食らうということもまた神の慈悲であるということです。そのような人は、そういうことが起きないと神理に感謝出来るようにはならないからです。つまり、そこまでしないと心が向上しないということです。
神理に感謝出来なかった人が感謝出来るようになる、これほど心が向上したということもないからです。
だから、それが出来るようになるまでは天は何度でも天罰をくだします。だから私は、早く感謝の布施をしなさいといっているわけです。神理を読んでいる人たちは昔から、そうしてきましたし、またそれをしないと、昔から不幸になっていたからです。
まあ、その不幸もです。自分が幸福になるための過程ではありますが、そんな不幸な過程など少ない方がいいでしょう。だから私はそういっているのです。早く布施しないさいとです。
神理にしっかり布施が出来るようになるなら、そこでやっと幸福へのスタートラインに立つことになるからです。
もちろん、そこからが勝負なんですけどね。そこから神理をどこまで実践出来るかが本当の（自分がどれだけ幸福になれるかの）勝負なんですが（勝負という言い方も変ですが。〔苦笑〕）このブログを見ている多くの人たちは、そのスタートラインにもまだ立てないでいるのです。だから不幸な人が多いということです。
幸福へのスタートラインに立てもしないのなら、不幸になるのも道理であるからです。
しかし、神理の幸福への道を歩みだすならです。様々な奇跡も起きてきます。昨日も一昨日も、堀川では多くの魚たちが跳ねていました。私が声をかけるとよけいたくさんの魚たちが跳ね回ります。
そうして桜の木など眺めていると、その桜の木の中にスズメがとまって飛び回っています。それで私が「いいな、桜に囲まれて」などと、そのスズメたちに声をかけると、すずめたちがいきなりピィピィ鳴きだし、よけい嬉しそうに飛び回るのです。
こういう態度を見ていても分かりますが、生き物たちは、みな人間の言葉が分かるのです。普通に意思疎通が出来るのです。だから私の言葉にすぐに反応するのです。そのような愛の言葉が嬉しいからです。
しかし、こういう体験など私は普通にしていますが、そういう愛ある体験をした人などほとんどいないのではないですか。だからいっているのです。（神理に感謝出来ないということは）愛が足りないので、まだ本当の幸福のスタートラインにも立てていないとです。
私たちがもっと愛を持つならいくらでも応えてくれるのです。その愛に生き物たちはです。
早くそれくらいの（もう少し広い）愛を持ってください。そうすれば周りに起きる不幸はなくなり、多くの生き物たちの愛も感じることが出来るようにもなるからです。
自分が愛を持たなくては多くの人はもちろんのこと、生き物たちの愛も感じることは出来ません。周りの愛を感じるくらい楽しいこともないのですよ。私に嫌がらせをしているような、そうして神理に感謝も出来ないような、そんな人たちには分からないでしょうが。そのような深く広い愛はです。
しかし、それほどの不幸もありません。そんな不幸を教えるのも私の役目であるのです。
もう少し広く深い愛を持ってください。そうすれば私がいっている愛の本当の意味も分かってくるからです。皆さん方がいったり感じたりしている愛は非常に狭く浅い、そんな愛しか感じていないのです。自分たちが分かっていないだけでです。
それでは感じられないのです。本当の愛はです。本当の愛とは、そんなケチなものでなくもっと広く深いからです。その広く深い愛を感じるためには自分の心をもっと広く深くしないといけません。
そんな愛を感じてみませんか。それほどの幸福もないからです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>いやいやいやいや、昨夜も凄かったですね。毎回こんな同じような書き出しにしたくはないんですけどね。（苦笑）<br />
しかし毎日やられますからね。凄い（凄くうるさい）ことをです。では、そうなってしまいますよね。ついついこちらもそれにつられて書いてしまいます。というより、そのままほっといては本当に危ないからです。そんなことをしている人たちがです。<br />
昨夜などガンガンガンガンガンと狂ったようにでかい音を立てていましたからね。どこかの会社のキレた奴がです。もう末期的症状です。<br />
今も微妙にやっていますが（まだ冷静な）今のうちにいっておきます。また今日も（当然）昨日怒っていたようなことは起きますが、頭を下げ布施しないとその災いは止まりません。<br />
その災いを止めたければです。（自分に起きたくなければです）私のいうことをきくべきでしょう。それ以外で救われる道はないからです。今のような行いを反省しないというなら、確実に起きてくるからです。（降りてくるからです）その天罰はです。<br />
本当は災いが起きたくなければではなく、そのような態度を改めろということなんですが、そういう言い方をしても絶対にききませんからね。この連中はです。だから方便で、そういう（脅すような）言い方しか出来ないんですが、似たようなところが昨日もありました。そうして、それほどのことが起きていることを知ってか知らずか、まだ嫌がらせしてくる人もいましたが、それはどこも同じなのです。<br />
神理を説いている者に感謝し布施しないと、起きてくる天罰は止まりません。早くそうされることです。そうしない限り、その天罰は止まらず、また天罰がくだり、難病奇病にかかった人なども、その難病奇病は治らないからです。<br />
それは何も今だけの話ではないからです。昔からそうであったからです。<br />
昔から神理を冒涜するような態度を取るなら、そのような天罰はくだされていたのです。自分たちがそのことを反省するまでです。<br />
だから、そこまでのことが起きていない人たちもです。それを他人事のように考えず自分のこととして考えていた方がいいでしょう。黙って（感謝もせず）神理を見続けている人たちにも、やがて、そのような天罰はくだってくるからです。そのような態度は神理を冒涜していることには変わりがないからです。<br />
だから神理と巡り合い、それを知ったのなら、心からの感謝は忘れてはならないということです。<br />
こちらはそれが分かるまでいい続けるしかありません。なぜなら、神理を知るだけ知ってもです。その神理に感謝出来ないくらい不幸なこともないからです。<br />
だから、このブログを見ている多くの人たちが不幸になっているのです。普通であるなら神理を知ったのなら幸福にならないといけいない。数百、数千年に一度しかこの世に現れない、それほど有難い本当の神の教えを知ったのですから。<br />
しかし、それほど有難い神の教えもです。それに感謝出来なければ、逆にこれほど不幸なものはないのです。<br />
本当の神の教えに感謝出来なければ、その人はまだその本当の神の教えに巡り合うべき魂ではなかったと、巡り合うにはまだ早すぎたと、そのように天は判断され、天罰もくだされるからです。<br />
そういう順序を与えれられるということです。そういう人は、そのような順序をもらわないと感謝出来ないからです。神理に対してです。<br />
だから不幸な導きを得るわけです。神理に感謝出来ない人はです。天罰がくだらないと、そこまで（神理に感謝出来るまで）魂が向上しないからです。<br />
だから天はそこまで魂が向上するまでは何度でも天罰をくだすのです。そうすることが、その人のためであるからです。<br />
だから、何度も天罰を食らうということもまた神の慈悲であるということです。そのような人は、そういうことが起きないと神理に感謝出来るようにはならないからです。つまり、そこまでしないと心が向上しないということです。<br />
神理に感謝出来なかった人が感謝出来るようになる、これほど心が向上したということもないからです。<br />
だから、それが出来るようになるまでは天は何度でも天罰をくだします。だから私は、早く感謝の布施をしなさいといっているわけです。神理を読んでいる人たちは昔から、そうしてきましたし、またそれをしないと、昔から不幸になっていたからです。<br />
まあ、その不幸もです。自分が幸福になるための過程ではありますが、そんな不幸な過程など少ない方がいいでしょう。だから私はそういっているのです。早く布施しないさいとです。<br />
神理にしっかり布施が出来るようになるなら、そこでやっと幸福へのスタートラインに立つことになるからです。<br />
もちろん、そこからが勝負なんですけどね。そこから神理をどこまで実践出来るかが本当の（自分がどれだけ幸福になれるかの）勝負なんですが（勝負という言い方も変ですが。〔苦笑〕）このブログを見ている多くの人たちは、そのスタートラインにもまだ立てないでいるのです。だから不幸な人が多いということです。<br />
幸福へのスタートラインに立てもしないのなら、不幸になるのも道理であるからです。<br />
しかし、神理の幸福への道を歩みだすならです。様々な奇跡も起きてきます。昨日も一昨日も、堀川では多くの魚たちが跳ねていました。私が声をかけるとよけいたくさんの魚たちが跳ね回ります。<br />
そうして桜の木など眺めていると、その桜の木の中にスズメがとまって飛び回っています。それで私が「いいな、桜に囲まれて」などと、そのスズメたちに声をかけると、すずめたちがいきなりピィピィ鳴きだし、よけい嬉しそうに飛び回るのです。<br />
こういう態度を見ていても分かりますが、生き物たちは、みな人間の言葉が分かるのです。普通に意思疎通が出来るのです。だから私の言葉にすぐに反応するのです。そのような愛の言葉が嬉しいからです。<br />
しかし、こういう体験など私は普通にしていますが、そういう愛ある体験をした人などほとんどいないのではないですか。だからいっているのです。（神理に感謝出来ないということは）愛が足りないので、まだ本当の幸福のスタートラインにも立てていないとです。<br />
私たちがもっと愛を持つならいくらでも応えてくれるのです。その愛に生き物たちはです。<br />
早くそれくらいの（もう少し広い）愛を持ってください。そうすれば周りに起きる不幸はなくなり、多くの生き物たちの愛も感じることが出来るようにもなるからです。<br />
自分が愛を持たなくては多くの人はもちろんのこと、生き物たちの愛も感じることは出来ません。周りの愛を感じるくらい楽しいこともないのですよ。私に嫌がらせをしているような、そうして神理に感謝も出来ないような、そんな人たちには分からないでしょうが。そのような深く広い愛はです。<br />
しかし、それほどの不幸もありません。そんな不幸を教えるのも私の役目であるのです。<br />
もう少し広く深い愛を持ってください。そうすれば私がいっている愛の本当の意味も分かってくるからです。皆さん方がいったり感じたりしている愛は非常に狭く浅い、そんな愛しか感じていないのです。自分たちが分かっていないだけでです。<br />
それでは感じられないのです。本当の愛はです。本当の愛とは、そんなケチなものでなくもっと広く深いからです。その広く深い愛を感じるためには自分の心をもっと広く深くしないといけません。<br />
そんな愛を感じてみませんか。それほどの幸福もないからです。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450&#038;cpage=1#comment-4860</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 31 Mar 2023 01:22:33 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450#comment-4860</guid>
		<description>昨日もまた凄かったですね。どこかの会社はもちろんそうだったんですが（夜までうるさかったです）昨日の主役（？）は別の会社です。
昨日は白鳥公園の辺りにいっていたんですけどね。今あそこは桜が満開で花見客もきているので昨日でも公園内にはたくさんの人がいました。
そういう時は私は出来るだけ人とあわない、人通りが少ない場所を選んで歩いていくのですが（あまりにちょっかいをかけられると病人続出になるので）そんな場所でです。
なんとそこで工事をしている連中が、でかい音でガッチャンガッチャンやりまくってきたのですから驚きました。もちろん公園内を歩いている私に向かってです。
そこは前に書いた、それほど音を立てていなかったところが翌日はガンガンやってきたというあの工事現場で、そこがこの前ガンガンやっていた時よりもさらに怒っているようなのです。
だから、あの後（この前、怒っていた後）また出たんではないですか。癌になる人がです。だからそんな態度はやめとけといったんですが（頭を下げて布施しないと止まらないといったんですが）とにかくこの前より怒っているようで、公園内には大勢の人がいるというのに一切無視でガッチャンガッチャンでかい音を立てまくりです。
何をいってもかまわずやってくるので適当なところで切り上げましたが、私が離れていくと、急にでかい音を立てるのをやめるのですから露骨な態度です。さすがにあのような人の多い場所であまりにでかい音を立てていては迷惑です。私一人に嫌がらせすることが目的なのですから、そりゃ私が離れていけばやめるでしょうね。そんなバカな態度はです。
しかし（神理を説いている）私に露骨に嫌がらせした（迫害した）ということは神を迫害したということになります。
また大変でしょうね。これからあの工事現場はです。たくさんの天罰がくだるからです。
それは本当によく分かります。なぜなら昨日はやはり前に書いたすさまじい怒り方をしていたところも通ったんですが、そうしたら昨日はです。私が何をいってもコトッとも音がしてきませんでした。その前に通った時はあれほど怒っていたのにです。
それがコロリと態度が変わっています。だからすぐに出たのでしょう。激しく怒っていたのと同様の激しい天罰がそこにです。因果応報です。
だから怒っていても仕方ないのです。というか、非常に危ないのです。そんな無反省な態度はです。怒れば怒るほどくだるからです。天罰はです。天罰は自分たちが悪いからくだるのです。その悪いところを反省しない限り天罰はくだり続けるのです。（分かりますか？　どこかの会社の皆さん…今日も神理のじゃまに精を出しているようですが、それではまたくだるのです。それも今日の今日にです。恐ろしい天罰がです）
そういえば昨日はもう一つ分かったことがあります。昨日は天気もよかったのであちこちの家で布団を干しているところが多かったんですが、それででしょうか。私が歩いていくと、あちこちの家から人が出てきてバンバン布団を叩いて、ほこりを払っています。しかし、その布団を叩く音がやたらでかいのです。町中に響くような音を立ててやっている家もあります。（バンバンバンバンとかやけくそ気味にです。〔苦笑〕）
だからすぐに分かりました。ああまた嫌がらせしているなとです。
それで「そんな嫌がらせばかりしているとまた癌になる奴が出るぞ」などと声をかけるとよけい怒ったようにバンバンやってきます。それでその後に続けて「でも癌になったのなら、もうその人は死ぬしかないからな。布施する以外で助かる道はないからな」などというとです。
そんなことをしてきたどこもそうなんですが、それをいうとピタリと音がやみどこもドン引きしてしまうのです。
それで「あれ？」と思ったわけです。やっぱりみんな癌が出ているのかなとです。それでブシューとかやってきた会社とか、ガンガンやってきた会社に同じことをいったわけです。
癌になったらもう死ぬしかないからと、そうして助かりたいのならもう布施するしかないと、そうです。
そうしたら家だけではなく、どこの会社も同じでどこも皆ドン引きしてしまうではないですか。ということは、やはりどこも皆、癌が出ているということになります。
「ええ、こんなに出ていたの」とその時、改めて思いました。そんなくだらない嫌がらせをしてきた普通の家から会社から、皆が同じような態度を取ったからです。
では、そういうところすべて癌になる人が出ているということになります。
まあ、そういう中にはです。私に嫌がらせしたその天罰で癌になったという人ばかりでなく、なるべくしてなったという人もいるのでしょうが（だってもう二人に一人が癌になる時代でしょう）どういう理由で癌になったにせよです。
そういう大病を患ったのなら、神理に布施して祈ってもらった方がいいですよ。その方が、その大病が治る確率もぐんとよくなるからです。それはそうでしょう。本当の神の癒しがあるのとないのとでは全然治り方が違うからです。
どちらにしても、私に嫌がらせなどして（または神理を見るだけ見ていてまったく感謝もせず）それで癌になった人たちは、私が祈らぬ限り（神理に感謝しない限り）その癌が完治することはありません。
やっていて間違いはないと思うんですけどね。この本当の神の教えである正法神理に対する感謝の布施はです。
それを頑なにしようとしないため（多くのこのブログを見ている人たちが）それでこれだけ世にも奇妙なことが起きているからです。特にこちらはです。（こちらだけではないのかもしれませんが）
癌になった人たちが、手遅れになってからではもうどれだけ祈ろうが、どれだけ布施しようが遅いのです。だから、どうか癌になった人はです。（その周りにいる人たちでも結構ですが）少し愛を出して感謝の布施をしてみてください。この正法神理にです。
そうすれば奇跡は起きるからです。
しかし、いつまでも、その頑なな心を変えず（お前のせいとか、そんなこと知らんとかいい続けて）そのままいくなら、昨日も書きましたが、これからまだまだ苦しみの人生は続き、その苦しみは死んだ後まで続くのです。
少し愛を出してはどうですか。そうすれば自分も周りも救われていくからです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>昨日もまた凄かったですね。どこかの会社はもちろんそうだったんですが（夜までうるさかったです）昨日の主役（？）は別の会社です。<br />
昨日は白鳥公園の辺りにいっていたんですけどね。今あそこは桜が満開で花見客もきているので昨日でも公園内にはたくさんの人がいました。<br />
そういう時は私は出来るだけ人とあわない、人通りが少ない場所を選んで歩いていくのですが（あまりにちょっかいをかけられると病人続出になるので）そんな場所でです。<br />
なんとそこで工事をしている連中が、でかい音でガッチャンガッチャンやりまくってきたのですから驚きました。もちろん公園内を歩いている私に向かってです。<br />
そこは前に書いた、それほど音を立てていなかったところが翌日はガンガンやってきたというあの工事現場で、そこがこの前ガンガンやっていた時よりもさらに怒っているようなのです。<br />
だから、あの後（この前、怒っていた後）また出たんではないですか。癌になる人がです。だからそんな態度はやめとけといったんですが（頭を下げて布施しないと止まらないといったんですが）とにかくこの前より怒っているようで、公園内には大勢の人がいるというのに一切無視でガッチャンガッチャンでかい音を立てまくりです。<br />
何をいってもかまわずやってくるので適当なところで切り上げましたが、私が離れていくと、急にでかい音を立てるのをやめるのですから露骨な態度です。さすがにあのような人の多い場所であまりにでかい音を立てていては迷惑です。私一人に嫌がらせすることが目的なのですから、そりゃ私が離れていけばやめるでしょうね。そんなバカな態度はです。<br />
しかし（神理を説いている）私に露骨に嫌がらせした（迫害した）ということは神を迫害したということになります。<br />
また大変でしょうね。これからあの工事現場はです。たくさんの天罰がくだるからです。<br />
それは本当によく分かります。なぜなら昨日はやはり前に書いたすさまじい怒り方をしていたところも通ったんですが、そうしたら昨日はです。私が何をいってもコトッとも音がしてきませんでした。その前に通った時はあれほど怒っていたのにです。<br />
それがコロリと態度が変わっています。だからすぐに出たのでしょう。激しく怒っていたのと同様の激しい天罰がそこにです。因果応報です。<br />
だから怒っていても仕方ないのです。というか、非常に危ないのです。そんな無反省な態度はです。怒れば怒るほどくだるからです。天罰はです。天罰は自分たちが悪いからくだるのです。その悪いところを反省しない限り天罰はくだり続けるのです。（分かりますか？　どこかの会社の皆さん…今日も神理のじゃまに精を出しているようですが、それではまたくだるのです。それも今日の今日にです。恐ろしい天罰がです）<br />
そういえば昨日はもう一つ分かったことがあります。昨日は天気もよかったのであちこちの家で布団を干しているところが多かったんですが、それででしょうか。私が歩いていくと、あちこちの家から人が出てきてバンバン布団を叩いて、ほこりを払っています。しかし、その布団を叩く音がやたらでかいのです。町中に響くような音を立ててやっている家もあります。（バンバンバンバンとかやけくそ気味にです。〔苦笑〕）<br />
だからすぐに分かりました。ああまた嫌がらせしているなとです。<br />
それで「そんな嫌がらせばかりしているとまた癌になる奴が出るぞ」などと声をかけるとよけい怒ったようにバンバンやってきます。それでその後に続けて「でも癌になったのなら、もうその人は死ぬしかないからな。布施する以外で助かる道はないからな」などというとです。<br />
そんなことをしてきたどこもそうなんですが、それをいうとピタリと音がやみどこもドン引きしてしまうのです。<br />
それで「あれ？」と思ったわけです。やっぱりみんな癌が出ているのかなとです。それでブシューとかやってきた会社とか、ガンガンやってきた会社に同じことをいったわけです。<br />
癌になったらもう死ぬしかないからと、そうして助かりたいのならもう布施するしかないと、そうです。<br />
そうしたら家だけではなく、どこの会社も同じでどこも皆ドン引きしてしまうではないですか。ということは、やはりどこも皆、癌が出ているということになります。<br />
「ええ、こんなに出ていたの」とその時、改めて思いました。そんなくだらない嫌がらせをしてきた普通の家から会社から、皆が同じような態度を取ったからです。<br />
では、そういうところすべて癌になる人が出ているということになります。<br />
まあ、そういう中にはです。私に嫌がらせしたその天罰で癌になったという人ばかりでなく、なるべくしてなったという人もいるのでしょうが（だってもう二人に一人が癌になる時代でしょう）どういう理由で癌になったにせよです。<br />
そういう大病を患ったのなら、神理に布施して祈ってもらった方がいいですよ。その方が、その大病が治る確率もぐんとよくなるからです。それはそうでしょう。本当の神の癒しがあるのとないのとでは全然治り方が違うからです。<br />
どちらにしても、私に嫌がらせなどして（または神理を見るだけ見ていてまったく感謝もせず）それで癌になった人たちは、私が祈らぬ限り（神理に感謝しない限り）その癌が完治することはありません。<br />
やっていて間違いはないと思うんですけどね。この本当の神の教えである正法神理に対する感謝の布施はです。<br />
それを頑なにしようとしないため（多くのこのブログを見ている人たちが）それでこれだけ世にも奇妙なことが起きているからです。特にこちらはです。（こちらだけではないのかもしれませんが）<br />
癌になった人たちが、手遅れになってからではもうどれだけ祈ろうが、どれだけ布施しようが遅いのです。だから、どうか癌になった人はです。（その周りにいる人たちでも結構ですが）少し愛を出して感謝の布施をしてみてください。この正法神理にです。<br />
そうすれば奇跡は起きるからです。<br />
しかし、いつまでも、その頑なな心を変えず（お前のせいとか、そんなこと知らんとかいい続けて）そのままいくなら、昨日も書きましたが、これからまだまだ苦しみの人生は続き、その苦しみは死んだ後まで続くのです。<br />
少し愛を出してはどうですか。そうすれば自分も周りも救われていくからです。</p>
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	</item>
	<item>
		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450&#038;cpage=1#comment-4859</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 Mar 2023 01:44:08 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50450#comment-4859</guid>
		<description>また今日も朝からお怒りですね。どこかの会社はです。
でしょうね。昨夜もずいぶん遅い時間にガッチャンとかでかい音を立てて怒っていたのがいましたから。止まらないんでしょう。癌になる人がです。
しかし、もう癌になってしまったのなら頭を下げるしか（布施するしか）ないんですけどね。もし、それでもまだ布施をしないというのならです。
もうその人は助かる見込みはないからです。そのまま癌んで（苦しんで）死ぬしかないからです。
そういう人を私はすでに何人も見ています。（未来で）だから、もうそんな不運に見舞われたのなら、少しでも心を入れ替え感謝の布施をされませんか。それが最後のチャンスであるからです。そうするなら、その人は助かるからです。
そんなことは死んでも嫌だというのならです。それはそれでいいでしょう。黙っていても、もうその通りになるからです。その人は死ぬまで神理に逆らい続け苦しんで死んだと、そうなるからです。
しかし、そんなくだらない（小さな）意地をはりとおした結果のその人の行き先は、苦しい苦しい地獄の世界なのです。神理に逆らい死んでいった人たちはみな地獄に堕ちるからです。
その地獄の世界は高橋先生や園頭先生のご著書の中にも書かれてありますが、それはそれは苦しい世界であるのです。
真っ暗な世界にずっと一人でいたり（自殺などするとこのような世界に堕ちていくそうです。そのような孤独な世界で勝手に自分の命を捨てた間違いを徹底的に反省させられるのです）火炎地獄で地獄の業火に焼かれたり、血の池地獄で血の海におぼれたり、とそのようなです。
そういう世界が本当にあるのです。それを自分が実体験するのです。この世の修行を失敗した人たちはです。
いま名古屋は桜が満開ですが、高橋先生がいかれた（幽体離脱されて）ある地獄界など、そのような草木はあるにはあるのですがみな精気がなくじめじめとした薄暗い場所であったそうです。
そこは村のような場所で、ほったて小屋のような粗末な家がいくつも並んでいて中に明かりがついていて人も住んでいるようであったそうです。
中の住人と話をしようかと迷った高橋先生でしたが（やはり気持ち悪いですからね。そんなところに住んでいる人と話をするのはです）意を決して一軒の家の入口のドアを叩いたそうです。
そうすると中から一人の男が出てきて、高橋先生の顔を見ると顔をクイッと動かし合図したそうです。中に入れとです。
それで高橋先生がその家の中に入ると、中には数人の男たちがいて、その真ん中に口が耳まで裂けた鬼婆が座っていたのです。その鬼婆が「これはまたうまそうな奴がきた」と高橋先生の顔を見るなり嬉しそうに高橋先生に話しかけます。
その鬼婆とそこにいた男たちは高橋先生を食べる気でいたのです。というより、その地獄界は食べる物が何もないので人間を食べるしかなかったようです。
しかし、だからといって高橋先生もそのまま食べられるわけにもいきませんから「あなたたち私を食べる前に少し私の話をきいてくれないか」と声をかけました。
神理をその者たちに伝えようとされたのですが、その者たちはいいたいことがあるならさっさといえと、こちらは腹がへって仕方がないのだと、お前が食べたくて仕方ないのだと、もう高橋先生を食べることしか考えていないようでした。
それを見ていた慈悲深い高橋先生は、なにかその人たちが哀れになってきて、それだけ腹をすかしているのならとです。神理を伝る前にまず自分を食べてもらおうと、そうであるならまず私を食べてくれと、自ら自分の腕をその者たちに差しだしたのです。
まずこの腕からでも食べてくれとです。
そうしたらです。そうしたら、その鬼ような表情で高橋先生を食べたがっていた鬼婆の顔がいっぺんに普通の人の顔に戻り、その周りにいた男たちの顔も先ほどまでの怒りに満ちていた顔とは打って変わって普通の顔に戻ってしまっていたそうです。
高橋先生の愛が即座に地獄の住人たちの心を癒したのです。
高橋先生の愛でまともに戻った地獄の住人たちに高橋先生はじゅんじゅんと法を語り、その神理をきくことにより、そこの住人たちの多くが自分の非を悟り、反省し、天上界へと昇っていったそうですが、そういう苦しい世界であるということです。地獄の世界とはです。
この地獄界の住人などは食べる物がないので、常に腹を減らし、それでお互いに殺しあい食いあいを重ね、それがどれだけ愚かで周りの者に愛を出すことが大切なのかということが分かるまで（つまり高橋先生のような態度が周りの人たちに取れるまで）その地獄界にとどまり苦しむのです。何度も何度も生き死にを繰り返してです。
あの世ではもう死ぬことは出来ません。この世の死とは単にこの世の肉体がなくなるにすぎず、あの世の肉体（霊体）は永遠であるからです。永遠に生き続けているからです。だから殺され食われ、一時、その肉体（霊体）はなくなりますが、すぐにまた再生され生き返り、またその苦しみを（食いあい殺しあいを）繰り返すのです。自分の間違いに気づくまでです。
そんな世界でです。（火炎地獄に血の池地獄、こんな殺しあい食いあうところで）自分の間違いに気づくと思いますか？　しかし、そういう世界で自分の間違いに気づくまで、その世界で苦しむのです。この世の修行に失敗した人たちはです。その自分の失敗の程度によっていく世界は違いますが。（だから火炎地獄など堕ちる人は生前怒ってばかりいた人がいくのでしょうし〔怒るということは怒りの炎を燃やすということですから、その怒りの炎で自分が焼かれるのです〕殺しあい、食いあいなどの世界にいく人はです。
人を切り刻んで殺したり、食い物ばかりに執着し、あれも食べたい、これも食べたいなどと思っていた人がいく世界でしょう。そのような人は最後には人間を食べざるを得なくなるのです。あまりにいろいろな食べ物に執着などしていたらです。
だから、この世で単に自分の意地だけ通して間違ったことをし続けることがどれだけ損なことなのか（恐ろしいことなのか）少しはお分かりいただけないでしょうか。このブログを見ている人たちはです。神理に逆らうくらいの悪いこともないからです。
それをしていた人たちは皆（地獄界の最下層である）無間地獄に堕ちると、そういわれているからです。
無間地獄とは無間に苦しみが続くという意味であり、どんな苦しみが待っているか分からないほどなのです。だから文字には書けない（絵にも描けない）苦しい世界であるということです。（だから大悪人も、もちろんこの無間地獄に堕ちるのです）
だから特にこちらの人たちなどもう現実をよく観ましょう。そのままではいつ恐ろしい病気になるやもしれず、その病気で苦しんで死んだ後は確実に、このような地獄の世界が待っているのです。
だから昔の人たちは神理に逆らわなかった。誰もそうなることを知っていたからです。
昔の人たちが恐れていたことは本当であったということを現代の多くの人たちがどんどん証明しています。しかし、これだけ愚かな証明もないのです。
私は昨日など庄内川にいくと多くの魚たちが出てきて、あちらでピチャピチャこちらでドボーンと元気なものでした。その周りを多くの鳥たちが飛び回っていました。天気もよくて暖かかったし、何かそこがそのまま天上界のようにも思えました。
神理を実践するなら、これだけ楽しいこと（心癒されること）が起き、その心のまま死ねるなら、その心の通りの世界にいくことが出来るのです。楽しく心が常に癒される天上界で暮らすことが出来るのです。
地獄に堕ちるのとはずいぶん違うのではないでしょうか。地獄ほど心と肉体（霊体）が苦しむ場所もないからです。
少し自分の心を変えるだけずいぶん世界が変わってきます。早くそうされませんか。そうするなら本当に心が楽になり救われてもいくからです。（今なんかヒヤヒヤでしょう。常に心がです。神理を行うなら心は癒され周りに奇跡も起きてくるのです。災いではなくです。皆さん、いつまでも神理の無視はやめましょう）</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>また今日も朝からお怒りですね。どこかの会社はです。<br />
でしょうね。昨夜もずいぶん遅い時間にガッチャンとかでかい音を立てて怒っていたのがいましたから。止まらないんでしょう。癌になる人がです。<br />
しかし、もう癌になってしまったのなら頭を下げるしか（布施するしか）ないんですけどね。もし、それでもまだ布施をしないというのならです。<br />
もうその人は助かる見込みはないからです。そのまま癌んで（苦しんで）死ぬしかないからです。<br />
そういう人を私はすでに何人も見ています。（未来で）だから、もうそんな不運に見舞われたのなら、少しでも心を入れ替え感謝の布施をされませんか。それが最後のチャンスであるからです。そうするなら、その人は助かるからです。<br />
そんなことは死んでも嫌だというのならです。それはそれでいいでしょう。黙っていても、もうその通りになるからです。その人は死ぬまで神理に逆らい続け苦しんで死んだと、そうなるからです。<br />
しかし、そんなくだらない（小さな）意地をはりとおした結果のその人の行き先は、苦しい苦しい地獄の世界なのです。神理に逆らい死んでいった人たちはみな地獄に堕ちるからです。<br />
その地獄の世界は高橋先生や園頭先生のご著書の中にも書かれてありますが、それはそれは苦しい世界であるのです。<br />
真っ暗な世界にずっと一人でいたり（自殺などするとこのような世界に堕ちていくそうです。そのような孤独な世界で勝手に自分の命を捨てた間違いを徹底的に反省させられるのです）火炎地獄で地獄の業火に焼かれたり、血の池地獄で血の海におぼれたり、とそのようなです。<br />
そういう世界が本当にあるのです。それを自分が実体験するのです。この世の修行を失敗した人たちはです。<br />
いま名古屋は桜が満開ですが、高橋先生がいかれた（幽体離脱されて）ある地獄界など、そのような草木はあるにはあるのですがみな精気がなくじめじめとした薄暗い場所であったそうです。<br />
そこは村のような場所で、ほったて小屋のような粗末な家がいくつも並んでいて中に明かりがついていて人も住んでいるようであったそうです。<br />
中の住人と話をしようかと迷った高橋先生でしたが（やはり気持ち悪いですからね。そんなところに住んでいる人と話をするのはです）意を決して一軒の家の入口のドアを叩いたそうです。<br />
そうすると中から一人の男が出てきて、高橋先生の顔を見ると顔をクイッと動かし合図したそうです。中に入れとです。<br />
それで高橋先生がその家の中に入ると、中には数人の男たちがいて、その真ん中に口が耳まで裂けた鬼婆が座っていたのです。その鬼婆が「これはまたうまそうな奴がきた」と高橋先生の顔を見るなり嬉しそうに高橋先生に話しかけます。<br />
その鬼婆とそこにいた男たちは高橋先生を食べる気でいたのです。というより、その地獄界は食べる物が何もないので人間を食べるしかなかったようです。<br />
しかし、だからといって高橋先生もそのまま食べられるわけにもいきませんから「あなたたち私を食べる前に少し私の話をきいてくれないか」と声をかけました。<br />
神理をその者たちに伝えようとされたのですが、その者たちはいいたいことがあるならさっさといえと、こちらは腹がへって仕方がないのだと、お前が食べたくて仕方ないのだと、もう高橋先生を食べることしか考えていないようでした。<br />
それを見ていた慈悲深い高橋先生は、なにかその人たちが哀れになってきて、それだけ腹をすかしているのならとです。神理を伝る前にまず自分を食べてもらおうと、そうであるならまず私を食べてくれと、自ら自分の腕をその者たちに差しだしたのです。<br />
まずこの腕からでも食べてくれとです。<br />
そうしたらです。そうしたら、その鬼ような表情で高橋先生を食べたがっていた鬼婆の顔がいっぺんに普通の人の顔に戻り、その周りにいた男たちの顔も先ほどまでの怒りに満ちていた顔とは打って変わって普通の顔に戻ってしまっていたそうです。<br />
高橋先生の愛が即座に地獄の住人たちの心を癒したのです。<br />
高橋先生の愛でまともに戻った地獄の住人たちに高橋先生はじゅんじゅんと法を語り、その神理をきくことにより、そこの住人たちの多くが自分の非を悟り、反省し、天上界へと昇っていったそうですが、そういう苦しい世界であるということです。地獄の世界とはです。<br />
この地獄界の住人などは食べる物がないので、常に腹を減らし、それでお互いに殺しあい食いあいを重ね、それがどれだけ愚かで周りの者に愛を出すことが大切なのかということが分かるまで（つまり高橋先生のような態度が周りの人たちに取れるまで）その地獄界にとどまり苦しむのです。何度も何度も生き死にを繰り返してです。<br />
あの世ではもう死ぬことは出来ません。この世の死とは単にこの世の肉体がなくなるにすぎず、あの世の肉体（霊体）は永遠であるからです。永遠に生き続けているからです。だから殺され食われ、一時、その肉体（霊体）はなくなりますが、すぐにまた再生され生き返り、またその苦しみを（食いあい殺しあいを）繰り返すのです。自分の間違いに気づくまでです。<br />
そんな世界でです。（火炎地獄に血の池地獄、こんな殺しあい食いあうところで）自分の間違いに気づくと思いますか？　しかし、そういう世界で自分の間違いに気づくまで、その世界で苦しむのです。この世の修行に失敗した人たちはです。その自分の失敗の程度によっていく世界は違いますが。（だから火炎地獄など堕ちる人は生前怒ってばかりいた人がいくのでしょうし〔怒るということは怒りの炎を燃やすということですから、その怒りの炎で自分が焼かれるのです〕殺しあい、食いあいなどの世界にいく人はです。<br />
人を切り刻んで殺したり、食い物ばかりに執着し、あれも食べたい、これも食べたいなどと思っていた人がいく世界でしょう。そのような人は最後には人間を食べざるを得なくなるのです。あまりにいろいろな食べ物に執着などしていたらです。<br />
だから、この世で単に自分の意地だけ通して間違ったことをし続けることがどれだけ損なことなのか（恐ろしいことなのか）少しはお分かりいただけないでしょうか。このブログを見ている人たちはです。神理に逆らうくらいの悪いこともないからです。<br />
それをしていた人たちは皆（地獄界の最下層である）無間地獄に堕ちると、そういわれているからです。<br />
無間地獄とは無間に苦しみが続くという意味であり、どんな苦しみが待っているか分からないほどなのです。だから文字には書けない（絵にも描けない）苦しい世界であるということです。（だから大悪人も、もちろんこの無間地獄に堕ちるのです）<br />
だから特にこちらの人たちなどもう現実をよく観ましょう。そのままではいつ恐ろしい病気になるやもしれず、その病気で苦しんで死んだ後は確実に、このような地獄の世界が待っているのです。<br />
だから昔の人たちは神理に逆らわなかった。誰もそうなることを知っていたからです。<br />
昔の人たちが恐れていたことは本当であったということを現代の多くの人たちがどんどん証明しています。しかし、これだけ愚かな証明もないのです。<br />
私は昨日など庄内川にいくと多くの魚たちが出てきて、あちらでピチャピチャこちらでドボーンと元気なものでした。その周りを多くの鳥たちが飛び回っていました。天気もよくて暖かかったし、何かそこがそのまま天上界のようにも思えました。<br />
神理を実践するなら、これだけ楽しいこと（心癒されること）が起き、その心のまま死ねるなら、その心の通りの世界にいくことが出来るのです。楽しく心が常に癒される天上界で暮らすことが出来るのです。<br />
地獄に堕ちるのとはずいぶん違うのではないでしょうか。地獄ほど心と肉体（霊体）が苦しむ場所もないからです。<br />
少し自分の心を変えるだけずいぶん世界が変わってきます。早くそうされませんか。そうするなら本当に心が楽になり救われてもいくからです。（今なんかヒヤヒヤでしょう。常に心がです。神理を行うなら心は癒され周りに奇跡も起きてくるのです。災いではなくです。皆さん、いつまでも神理の無視はやめましょう）</p>
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