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	<title>知るべきことを知らない罪 へのコメント</title>
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	<description>名古屋市でのコーチング・カウンセリング。GTS心の研究所　自己の能力向上とお悩みの相談</description>
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		<title>うなッシー より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814&#038;cpage=1#comment-4434</link>
		<dc:creator>うなッシー</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 11 May 2022 20:51:28 +0000</pubDate>
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		<description>おはようございます、いつもお世話になってます。今日は奇跡的なお話をします。1つ目は、会社での出来事です。
私は仕事の中でパソコンを使って事務処理をすることがあります。後輩が事務処理をしたときに製品の数が合ってないことに気づき上司に相談しました。上司はその処理はこの私がやったのだから気づけばわからない、と言ったそうです。
それで私のところにその伝票を持ってきて説明をしてくれました。そしてその伝票を見ると、そこにはその伝票を事務処理した上司の名前があったのです。なので私はそれを待って、この伝票どうやって処理しますかと聞きました。結果はもう、お分かりの通り上司が自分で処理していました。またもう一つは、今度ボランティア団体の代表になりました。その引き継ぎの時でした。私が頼まれてもいない資料作りを間際になって作って持って来いと言うんです、その前の代表は
自分勝手で人のことを考えないワンマンな人でした。半ば強引な形で有名でした。そんな人に言われた私は、引き継ぎの中で議事録があったことを思い出しました。それを見ると本人が自分でやるとの明記がやはりありました。なのでそれを話して確認してもらい、この資料私がやりますか?と尋ねました。結果はお分かりの通り、私の勘違いでした私がやります、と言う返事でした。この2つとも明らかに答えが出ていたものであり、周りが思うほど大変な問題解決ではありませんでした。ほんの些細な出来事でしたが取り上げてみました。今日もこれから仕事へ行ってきます。仕事に感謝し周りに感謝し、神に感謝し行って参ります。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>おはようございます、いつもお世話になってます。今日は奇跡的なお話をします。1つ目は、会社での出来事です。<br />
私は仕事の中でパソコンを使って事務処理をすることがあります。後輩が事務処理をしたときに製品の数が合ってないことに気づき上司に相談しました。上司はその処理はこの私がやったのだから気づけばわからない、と言ったそうです。<br />
それで私のところにその伝票を持ってきて説明をしてくれました。そしてその伝票を見ると、そこにはその伝票を事務処理した上司の名前があったのです。なので私はそれを待って、この伝票どうやって処理しますかと聞きました。結果はもう、お分かりの通り上司が自分で処理していました。またもう一つは、今度ボランティア団体の代表になりました。その引き継ぎの時でした。私が頼まれてもいない資料作りを間際になって作って持って来いと言うんです、その前の代表は<br />
自分勝手で人のことを考えないワンマンな人でした。半ば強引な形で有名でした。そんな人に言われた私は、引き継ぎの中で議事録があったことを思い出しました。それを見ると本人が自分でやるとの明記がやはりありました。なのでそれを話して確認してもらい、この資料私がやりますか?と尋ねました。結果はお分かりの通り、私の勘違いでした私がやります、と言う返事でした。この2つとも明らかに答えが出ていたものであり、周りが思うほど大変な問題解決ではありませんでした。ほんの些細な出来事でしたが取り上げてみました。今日もこれから仕事へ行ってきます。仕事に感謝し周りに感謝し、神に感謝し行って参ります。</p>
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		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814&#038;cpage=1#comment-4419</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 May 2022 01:31:33 +0000</pubDate>
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		<description>今日は普通の日なんですが休みのところが多いようですね。この辺りはです。まあ、こちらとしては静かで助かります。（苦笑）
このままずっとこの辺りの会社が休みなら私もずいぶんブログが書きやすいんですが、それにしても相変わらずの態度ですからね。この辺りの皆さん方はです。心を入れ替え態度を改めれば起きてくることも変わるのに、そこは本当に残念です。それは頑としてきかない人たちばかりだからです。（苦笑）
しかし、それで怒りまくっていられてもねぇ（悪いことは全部私のせいにされて）こちらが迷惑です。私もこれだけかまわれなければこれだけ祈りもしないのですが、それを考えると嫌がらせしてくる人にも感謝ですかね。だって、何もしてこない人たちをいきなり祈ることなど出来ないからです。嫌がらせなどしてくるから、そのような人たちを祈れるからです。
それで何か現象が現れてこなければ現代の人たちなど口だけでは何をいっても信じません。（まあ、どんどん儲かりますとか、よいことばかり起きてきますとか、そんな欲望を刺激されることばかりいうなら信じる人は多いでしょうけどね。がめつい人が多いから。〔笑〕しかし、そんな嘘をついてこちらに興味を持たせることなど出来ないし。神理を説いているならです）そういう意味では嫌がらせしてくる人たちに感謝ですね。そういう人たちがいなかったら、これだけ天罰がくだるということもなかったはずであるからです。では、そのような証明も出来なかったからです。神理に逆らうなら天罰がくだるという証明もです。
それを考えるなら、嫌がらせしてくる人たちも神理を証明してくれているのですね。（天罰を食らって）だから、そこは感謝なんですが、しかし、天罰を食らいっぱなしではね。それではただの愚か者にしかすぎません。これだけ天罰がくだれば昔の人たちならもうとっくにそんな態度は改めて神理に従っていました。いい加減、現代の人たちもそのような素直な態度を取りませんか。神理に逆らえば逆らうだけよいことは起きてはこないからです。
実際にその通りのことが起きているんですが（それも数えきれないくらい）それに比べて（神理に従っている）私など二、三日前にも庄内川にいき川べりに座っていたんですが、その日は雨上がりで川の水がずいぶん濁っていたのです。
しかし、それでもしばらく座っているとあちこちから細かい魚たちがもうわいてくるかのように川底から上がってきて、あちらに真っ黒な塊が、こちらにも真っ黒な塊がと、あちこちにそんな小魚たちの塊が出来てきて（細かい魚たちが固まって上がってくるのです。水が濁っていたので急にそんな黒い塊が川底からぶわっとあっちからこっちから上がってくるのでこちらは少々驚きましたが）私がそのような魚たちに「お前ら元気か」などと声をかけていると、そのうちにその塊が列のようになって、私の右側から左側にどんどん泳いでいくのです。たくさんの細かな魚たちがです。
もうすさまじい数の細かい魚たちが私の前を泳いでいきます。凄いですよ。細かい魚とはいえあれだけ数がいると迫力がです。
どんどん泳いでいくので「お前らどんだけおるねん」などと声をかけながら見ていましたが（笑）しかし、その数が全然途切れないのでいい加減私も飽きてきて「分かった、分かった。もう分かったからそろそろいくわ」と、その泳いでいく魚たちに声をかけて歩いていきました。
さすがにあれだけの数の魚を見続けているとなんか気持ち悪くもなってきたからです。（さすがにわんさと見すぎでしょう。細かい魚ばかりたくさんです。あれだけ魚ばかりを見ていると気持ち悪くなります。〔苦笑〕）
その間、スズメやらツバメやらカラスやらムクドリやらも私の周りを飛び回っていたんですが、もうこの時期は賑やかすぎて川べりになど落ち着いて座っていることも出来ませんね。
あまりに多くの生き物が私に周りに出てきて寄ってもくるからです。（特にこの時期は〔四月～六、七月くらいまでは〕細かい魚たちが死ぬほど出てきますし、他にもカニやらトビハゼやらも〔九月くらいまでは〕たくさん出てきますから）
ずいぶん違うと思いませんか。神理に逆らい天罰ばかりくだっている人たちと神理に従っている私とではです。
このようなこと以外でも神の光を自分の回りに描いて、その神の光に包まれているイメージを常にしているのなら（光の防護壁をつくっているのなら）様々な災難から守られます。車によく乗る人はそのイメージを車全体に、そうして台風などきた時にはそのイメージを家全体にするなら、車に乗っていても事故に遭わないし、どんな台風がきても自分の家が壊れるということはありません。（私の家のようなボロ家でも〔多分、この近所で一番ボロいでしょう〕あの地球史上最大の十九号台風がきた時でも耐えられたのですから。どこも壊れないでです）
自分も家も車もなんでも守られるのです。そのような光の防護壁をつくっているのならです。そうして祈るのならその祈りもきかれます。（それが正しい祈りであるならです）病気でもです。不治の病が治ったり、長引くはずの病気がすぐに治ったりという奇跡も起きてくるのです。
このように考えるなら、神理に従うくらいよいこともないのではないですか。悪いことは避けることが出来、よいことばかりが起きてくるからです。
神理に従っている人と、逆らっている人とではこれだけ起きてくることが違うのです。そういう面だけ見てもです。（それ以外では、そのような生きている時だけでなく、神理に従っているのなら死んだ後まで救われていきます。〔すぐに天上界にいけて〕しかし、神理に逆らい続けるなら、死んだ後まで不幸になります。それも大変なです。〔深い深い地獄に堕ちて〕）神理に従うくらいよいこともないのではないでしょうか。誰彼の区別なく、すべての人を救うことが出来るのがこの正法神理であるからです。
このゴールデンウイークの間によく考えてみることです。神理に従うか、それともまだ逆らうかをです。
このブログを（コメントを）見ている人は、この正法神理に従うことの有難さをもっともっと理解すべきなのです。
（次回からもう一つ前のブログのコメント欄に書くことにします。しかし、いつまでこんなコメント欄に神理を書いているのでしょう。皆さん方が少しずつでも布施してくれるなら、ちゃんとしたブログが書けるのにです）</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>今日は普通の日なんですが休みのところが多いようですね。この辺りはです。まあ、こちらとしては静かで助かります。（苦笑）<br />
このままずっとこの辺りの会社が休みなら私もずいぶんブログが書きやすいんですが、それにしても相変わらずの態度ですからね。この辺りの皆さん方はです。心を入れ替え態度を改めれば起きてくることも変わるのに、そこは本当に残念です。それは頑としてきかない人たちばかりだからです。（苦笑）<br />
しかし、それで怒りまくっていられてもねぇ（悪いことは全部私のせいにされて）こちらが迷惑です。私もこれだけかまわれなければこれだけ祈りもしないのですが、それを考えると嫌がらせしてくる人にも感謝ですかね。だって、何もしてこない人たちをいきなり祈ることなど出来ないからです。嫌がらせなどしてくるから、そのような人たちを祈れるからです。<br />
それで何か現象が現れてこなければ現代の人たちなど口だけでは何をいっても信じません。（まあ、どんどん儲かりますとか、よいことばかり起きてきますとか、そんな欲望を刺激されることばかりいうなら信じる人は多いでしょうけどね。がめつい人が多いから。〔笑〕しかし、そんな嘘をついてこちらに興味を持たせることなど出来ないし。神理を説いているならです）そういう意味では嫌がらせしてくる人たちに感謝ですね。そういう人たちがいなかったら、これだけ天罰がくだるということもなかったはずであるからです。では、そのような証明も出来なかったからです。神理に逆らうなら天罰がくだるという証明もです。<br />
それを考えるなら、嫌がらせしてくる人たちも神理を証明してくれているのですね。（天罰を食らって）だから、そこは感謝なんですが、しかし、天罰を食らいっぱなしではね。それではただの愚か者にしかすぎません。これだけ天罰がくだれば昔の人たちならもうとっくにそんな態度は改めて神理に従っていました。いい加減、現代の人たちもそのような素直な態度を取りませんか。神理に逆らえば逆らうだけよいことは起きてはこないからです。<br />
実際にその通りのことが起きているんですが（それも数えきれないくらい）それに比べて（神理に従っている）私など二、三日前にも庄内川にいき川べりに座っていたんですが、その日は雨上がりで川の水がずいぶん濁っていたのです。<br />
しかし、それでもしばらく座っているとあちこちから細かい魚たちがもうわいてくるかのように川底から上がってきて、あちらに真っ黒な塊が、こちらにも真っ黒な塊がと、あちこちにそんな小魚たちの塊が出来てきて（細かい魚たちが固まって上がってくるのです。水が濁っていたので急にそんな黒い塊が川底からぶわっとあっちからこっちから上がってくるのでこちらは少々驚きましたが）私がそのような魚たちに「お前ら元気か」などと声をかけていると、そのうちにその塊が列のようになって、私の右側から左側にどんどん泳いでいくのです。たくさんの細かな魚たちがです。<br />
もうすさまじい数の細かい魚たちが私の前を泳いでいきます。凄いですよ。細かい魚とはいえあれだけ数がいると迫力がです。<br />
どんどん泳いでいくので「お前らどんだけおるねん」などと声をかけながら見ていましたが（笑）しかし、その数が全然途切れないのでいい加減私も飽きてきて「分かった、分かった。もう分かったからそろそろいくわ」と、その泳いでいく魚たちに声をかけて歩いていきました。<br />
さすがにあれだけの数の魚を見続けているとなんか気持ち悪くもなってきたからです。（さすがにわんさと見すぎでしょう。細かい魚ばかりたくさんです。あれだけ魚ばかりを見ていると気持ち悪くなります。〔苦笑〕）<br />
その間、スズメやらツバメやらカラスやらムクドリやらも私の周りを飛び回っていたんですが、もうこの時期は賑やかすぎて川べりになど落ち着いて座っていることも出来ませんね。<br />
あまりに多くの生き物が私に周りに出てきて寄ってもくるからです。（特にこの時期は〔四月～六、七月くらいまでは〕細かい魚たちが死ぬほど出てきますし、他にもカニやらトビハゼやらも〔九月くらいまでは〕たくさん出てきますから）<br />
ずいぶん違うと思いませんか。神理に逆らい天罰ばかりくだっている人たちと神理に従っている私とではです。<br />
このようなこと以外でも神の光を自分の回りに描いて、その神の光に包まれているイメージを常にしているのなら（光の防護壁をつくっているのなら）様々な災難から守られます。車によく乗る人はそのイメージを車全体に、そうして台風などきた時にはそのイメージを家全体にするなら、車に乗っていても事故に遭わないし、どんな台風がきても自分の家が壊れるということはありません。（私の家のようなボロ家でも〔多分、この近所で一番ボロいでしょう〕あの地球史上最大の十九号台風がきた時でも耐えられたのですから。どこも壊れないでです）<br />
自分も家も車もなんでも守られるのです。そのような光の防護壁をつくっているのならです。そうして祈るのならその祈りもきかれます。（それが正しい祈りであるならです）病気でもです。不治の病が治ったり、長引くはずの病気がすぐに治ったりという奇跡も起きてくるのです。<br />
このように考えるなら、神理に従うくらいよいこともないのではないですか。悪いことは避けることが出来、よいことばかりが起きてくるからです。<br />
神理に従っている人と、逆らっている人とではこれだけ起きてくることが違うのです。そういう面だけ見てもです。（それ以外では、そのような生きている時だけでなく、神理に従っているのなら死んだ後まで救われていきます。〔すぐに天上界にいけて〕しかし、神理に逆らい続けるなら、死んだ後まで不幸になります。それも大変なです。〔深い深い地獄に堕ちて〕）神理に従うくらいよいこともないのではないでしょうか。誰彼の区別なく、すべての人を救うことが出来るのがこの正法神理であるからです。<br />
このゴールデンウイークの間によく考えてみることです。神理に従うか、それともまだ逆らうかをです。<br />
このブログを（コメントを）見ている人は、この正法神理に従うことの有難さをもっともっと理解すべきなのです。<br />
（次回からもう一つ前のブログのコメント欄に書くことにします。しかし、いつまでこんなコメント欄に神理を書いているのでしょう。皆さん方が少しずつでも布施してくれるなら、ちゃんとしたブログが書けるのにです）</p>
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		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814&#038;cpage=1#comment-4418</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 May 2022 02:00:30 +0000</pubDate>
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		<description>昨日も罰当たりな人たち多かったんですが、大丈夫ですか。死んだ後まで祟りますよ。私におバカな嫌がらせをし続けているとです。
もうことごとくくだります。そういうくだらいないことをしてくる人たちには天罰がです。昨日でもやたら怒っている現場がありましたが、そういう態度を取り続けているのなら確実にくだることでしょう。そういうところにはまた天罰がです。
こういうことを書けば書くだけ（子供のように意固地になって）嫌がらせをしてくる人もいるのでしょうが（というか多いですね。そういう人がです）早くそのような（子供）レベルから成長され、自分の心に素直な態度を取ってほしいものです。（ということは神理に頭を下げるということです）そういう態度を取った人から救われていくからです。しかし、くだらない態度を取っている限り絶対に救われることはないからです。
もう天罰が（凄い勢いで）次々にくだっています。そのような傲慢な人たちが少しでも謙虚になってくれることを願ってやみません。
昨日は京都で震度３の地震が起きたようですがどんどん災いが現れてきますね。このような災いがです。
最近のその震度３～４クラスの地震の多さは尋常じゃないそうですが（異様に多いとか）またでかいのがきそうですね。このままではです。
最近京都もよく地震が起きますが（そのクラスの）あるかもしれませんね。京都大地震もです。あの辺りは生臭坊主が特に多いからです。
だって私のような体験をしている坊さんなどいないんでしょう。あの辺りの坊さんなどです。
いますか。私と同じように自分に何か嫌がらせなどしてくるような人がいたら、その人にすぐに天罰がくだるとか、鳥や魚たちがいっぱい寄ってくるとか、そんなことが起きる坊さんがです。
一人もいないでしょうね。そんな坊さんはです。（特別京都だけではなく他のところの坊さんもそれは同じなんでしょうが）だから生臭坊主だと私はいっているのです。私にさえ起きるようなことが坊さんたちには全然起きないというのですから。
それでは神の使い、仏の使いとは名ばかりで詐欺師ということになってしまいます。坊さんに何のお陰も加護もないなら普通の人と何も変わらないからです。そんな人のどこが神の使いで仏の使いなのかということになってしまうからです。（そういうことが現れての神の使いであり、仏の使いですからね。〔当然釈尊やキリストはそのような現象がたくさん現れましたから〕何も現れないでは普通の人と同じです）
それどころか中には自分を神だ、仏だなどといっている恐れ多い人もいるようですが（ほんと終わってます）しかし、そのような人は身の程知らずにもほどがあるでしょう。なんのご加護もないのにそういう人の一体どこが神であり、仏であるのでしょう。
もうそのような嘘がよく分かる時代となりました。（現れる現象で）そのような時代になっているにもかかわらず、そのような（口だけの）時代遅れの人たちもまた本当に哀れです。
だからもうそのような人たちは自覚しないといけないのです。自分たちはまったく間違ったことをしているという自覚をです。そういう自覚が出来ないともうどんどん罪が増えていくからです。
しかし、中には確信犯もいるのでしょうね。自分は神の使いでも仏の使いでもなく、ただ神や仏の教えを使って（利用して）金儲けしているだけだと開き直っている人もです。しかし、どういう考えの人がいようとです。私のような神のご加護やお陰があってこそ本当の神の使いであり、仏の使いであるのです。
そういう自覚はもう持つべきなのです。そうしないと、そのような（坊さんがいる）ところにどれだけお参りしても不幸な人が幸せになることはないからです。不幸な人がよけい不幸になるだけだからです。
しかし、そのような（私のようなことはまったく起きない、ただ仏教で金儲けしているだけの）生臭坊主が特に京都は多い。だから京都大地震も起きるのではないかと私は書いているのです。あまりに罰当たりな坊さんが多いからです。
だからもうよく考えないといけないのです。坊さんだけでなく私たちもです。そういうことをです。そんな何の神のご加護もお陰もない人たちのいうことをきいていて、それで本当に神のご加護がもらえると思いますか？　
ここにお参りするとこれほどの神のご加護がもらえますとか、必ずお陰がありますとかいっているその本人にまったく神のご加護もお陰もないのです。
それはその神社やお寺にです。（特に京都など）たくさんの人々がお参りにくるわけですから、いいことが起きた人もいるでしょう。しかし、それは前にも書いたように単にそうなる順序があっただけで、そこにお参りしなくても起きたかもしれないのです。というより、起きた可能性の方が高いのです。そのようなよいことはです。
なぜなら、そんなにご利益があるところであるなら、そこにいる人たちはその数倍も、数十倍も、そのご利益を受けていなければいけないはずであるからです。そういうご利益を多くの人に分け与えているのですから、それだけ徳を得ている人たちにご利益がないわけがないからです。
だから、そういうご利益があるという噂の神社やお寺にいったのならです。これからはまずお参りする前にそこにいる坊さんや神主さんにご自身はどんなご利益があったのかと、そのことをよくきくことです。
そうしてそのような人たちに加護やお陰がたくさん現れているのなら、そこにお参りすればいいし、そういうことは自分たちには現れていないくせに（多分そういう人たちばかりでしょうが）こういう加護があるとか、ああいうお陰があるとか（あるいは人にあったとか）そういう口だけのところにはお参りするだけ無駄であるということです。
そこにいる人たちに何の加護もないのに、お参りにきた人たちに加護があるわけがないからです。
このように少し考えればおかしいと思えることが、これまでは見過ごされ、何のご加護もお陰もないものを一生懸命信仰していたというのが、これまでの私たちであったのです。
しかし、そのような偽の信仰の化けの皮が剥がれる時がもうきているのです。本当の神の教えである正法神理が出現したからです。この正法神理を行うなら、そのようなご加護やお陰がバンバン現れてくるからです。それは、それをしている私が何よりの証拠であるのです。
ここまではっきり信仰の善し悪しが分かるのはこの正法神理が出現したからこそです。にもかかわらず、いつまでその本物の信仰を無視しているつもりなのですか。未だ多くの間違った信仰に騙されている人たちはたくさんいるのにです。
何度もいいますが、この教えを知った人たちは、それだけ大きな責任を与えられるのです。多くの人たちを間違った信仰から正しい信仰に目覚めさせるという、そのような大きな責任もです。
そのようなことが分かってきても、それでもまだです。それでもまだ無視するというのでしょうか。この正法神理をもう知っている多くの人たちはです。
その罪の重さがいい加減お分かりになりませんか。だから、そのような人たちに多くの天罰がくだっているのです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>昨日も罰当たりな人たち多かったんですが、大丈夫ですか。死んだ後まで祟りますよ。私におバカな嫌がらせをし続けているとです。<br />
もうことごとくくだります。そういうくだらいないことをしてくる人たちには天罰がです。昨日でもやたら怒っている現場がありましたが、そういう態度を取り続けているのなら確実にくだることでしょう。そういうところにはまた天罰がです。<br />
こういうことを書けば書くだけ（子供のように意固地になって）嫌がらせをしてくる人もいるのでしょうが（というか多いですね。そういう人がです）早くそのような（子供）レベルから成長され、自分の心に素直な態度を取ってほしいものです。（ということは神理に頭を下げるということです）そういう態度を取った人から救われていくからです。しかし、くだらない態度を取っている限り絶対に救われることはないからです。<br />
もう天罰が（凄い勢いで）次々にくだっています。そのような傲慢な人たちが少しでも謙虚になってくれることを願ってやみません。<br />
昨日は京都で震度３の地震が起きたようですがどんどん災いが現れてきますね。このような災いがです。<br />
最近のその震度３～４クラスの地震の多さは尋常じゃないそうですが（異様に多いとか）またでかいのがきそうですね。このままではです。<br />
最近京都もよく地震が起きますが（そのクラスの）あるかもしれませんね。京都大地震もです。あの辺りは生臭坊主が特に多いからです。<br />
だって私のような体験をしている坊さんなどいないんでしょう。あの辺りの坊さんなどです。<br />
いますか。私と同じように自分に何か嫌がらせなどしてくるような人がいたら、その人にすぐに天罰がくだるとか、鳥や魚たちがいっぱい寄ってくるとか、そんなことが起きる坊さんがです。<br />
一人もいないでしょうね。そんな坊さんはです。（特別京都だけではなく他のところの坊さんもそれは同じなんでしょうが）だから生臭坊主だと私はいっているのです。私にさえ起きるようなことが坊さんたちには全然起きないというのですから。<br />
それでは神の使い、仏の使いとは名ばかりで詐欺師ということになってしまいます。坊さんに何のお陰も加護もないなら普通の人と何も変わらないからです。そんな人のどこが神の使いで仏の使いなのかということになってしまうからです。（そういうことが現れての神の使いであり、仏の使いですからね。〔当然釈尊やキリストはそのような現象がたくさん現れましたから〕何も現れないでは普通の人と同じです）<br />
それどころか中には自分を神だ、仏だなどといっている恐れ多い人もいるようですが（ほんと終わってます）しかし、そのような人は身の程知らずにもほどがあるでしょう。なんのご加護もないのにそういう人の一体どこが神であり、仏であるのでしょう。<br />
もうそのような嘘がよく分かる時代となりました。（現れる現象で）そのような時代になっているにもかかわらず、そのような（口だけの）時代遅れの人たちもまた本当に哀れです。<br />
だからもうそのような人たちは自覚しないといけないのです。自分たちはまったく間違ったことをしているという自覚をです。そういう自覚が出来ないともうどんどん罪が増えていくからです。<br />
しかし、中には確信犯もいるのでしょうね。自分は神の使いでも仏の使いでもなく、ただ神や仏の教えを使って（利用して）金儲けしているだけだと開き直っている人もです。しかし、どういう考えの人がいようとです。私のような神のご加護やお陰があってこそ本当の神の使いであり、仏の使いであるのです。<br />
そういう自覚はもう持つべきなのです。そうしないと、そのような（坊さんがいる）ところにどれだけお参りしても不幸な人が幸せになることはないからです。不幸な人がよけい不幸になるだけだからです。<br />
しかし、そのような（私のようなことはまったく起きない、ただ仏教で金儲けしているだけの）生臭坊主が特に京都は多い。だから京都大地震も起きるのではないかと私は書いているのです。あまりに罰当たりな坊さんが多いからです。<br />
だからもうよく考えないといけないのです。坊さんだけでなく私たちもです。そういうことをです。そんな何の神のご加護もお陰もない人たちのいうことをきいていて、それで本当に神のご加護がもらえると思いますか？　<br />
ここにお参りするとこれほどの神のご加護がもらえますとか、必ずお陰がありますとかいっているその本人にまったく神のご加護もお陰もないのです。<br />
それはその神社やお寺にです。（特に京都など）たくさんの人々がお参りにくるわけですから、いいことが起きた人もいるでしょう。しかし、それは前にも書いたように単にそうなる順序があっただけで、そこにお参りしなくても起きたかもしれないのです。というより、起きた可能性の方が高いのです。そのようなよいことはです。<br />
なぜなら、そんなにご利益があるところであるなら、そこにいる人たちはその数倍も、数十倍も、そのご利益を受けていなければいけないはずであるからです。そういうご利益を多くの人に分け与えているのですから、それだけ徳を得ている人たちにご利益がないわけがないからです。<br />
だから、そういうご利益があるという噂の神社やお寺にいったのならです。これからはまずお参りする前にそこにいる坊さんや神主さんにご自身はどんなご利益があったのかと、そのことをよくきくことです。<br />
そうしてそのような人たちに加護やお陰がたくさん現れているのなら、そこにお参りすればいいし、そういうことは自分たちには現れていないくせに（多分そういう人たちばかりでしょうが）こういう加護があるとか、ああいうお陰があるとか（あるいは人にあったとか）そういう口だけのところにはお参りするだけ無駄であるということです。<br />
そこにいる人たちに何の加護もないのに、お参りにきた人たちに加護があるわけがないからです。<br />
このように少し考えればおかしいと思えることが、これまでは見過ごされ、何のご加護もお陰もないものを一生懸命信仰していたというのが、これまでの私たちであったのです。<br />
しかし、そのような偽の信仰の化けの皮が剥がれる時がもうきているのです。本当の神の教えである正法神理が出現したからです。この正法神理を行うなら、そのようなご加護やお陰がバンバン現れてくるからです。それは、それをしている私が何よりの証拠であるのです。<br />
ここまではっきり信仰の善し悪しが分かるのはこの正法神理が出現したからこそです。にもかかわらず、いつまでその本物の信仰を無視しているつもりなのですか。未だ多くの間違った信仰に騙されている人たちはたくさんいるのにです。<br />
何度もいいますが、この教えを知った人たちは、それだけ大きな責任を与えられるのです。多くの人たちを間違った信仰から正しい信仰に目覚めさせるという、そのような大きな責任もです。<br />
そのようなことが分かってきても、それでもまだです。それでもまだ無視するというのでしょうか。この正法神理をもう知っている多くの人たちはです。<br />
その罪の重さがいい加減お分かりになりませんか。だから、そのような人たちに多くの天罰がくだっているのです。</p>
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		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814&#038;cpage=1#comment-4416</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Sat, 30 Apr 2022 01:18:03 +0000</pubDate>
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		<description>しかし、そんなに自分たちの周りに災いが現れているのならです。
人のせいになどしていないで（そんな暇があるなら）手を合わせて神にでも祈ればいいのに、そういう発想さえ出てこないようです。現代の罰当たりな人たちはです。
そういう人たちはゴールデンウイークがデス（死の）ウイークにならないようお気をつけください。ずいぶん亡くなっている人もいるようであるからです。（死んだ奴が出たのかときくとシーンとなったりするところも多いので）
それにしたって見や分かりそうなものですけどね。災いは増えているとです。だって他の地域だって地震や大雨などこれだけ増えているのです。では、この辺りに起きる個々の天罰が増えるのも道理なのです。ただでさえ災いが増えているのにプラス神理に対する感謝もない。それではよけい災いは増えるでしょう。もうそういう時代になっているからです。
だから私はいっているです。そういう人たち（自己中で傲慢で罰当たりな人たち）ばかりでは、これからは心と時代が合わなくなってどんどん災いは増えてくるとです。
その通りのことが起きているだけです。これからまだまだ正法の世は深まっていきます。そうなればもっと災いは増えるでしょう。多くの人たちの心と時代との乖離（かいり）が激しくなっていくからです。
それであまりに災いが多いからと寺や神社やなどいってお参りしたところで、この前も書きましたが、それで救われるわけではありません。それどころかそんなことをして（心が汚いまま祈って）おかしな霊に憑かれてしまうような人も増えてきます。（この辺りもたくさんいますから。地獄霊に憑かれた人がです。私の周りの人たちも皆おかしな霊に憑かれています）
しかし、それではよけい不幸になるということです。地獄霊は最後にはその（憑いている）人を不幸にしてしまうからです。
そうして、その憑かれた人が死んでいく先は、その憑かれた霊と同じ地獄に堕ちるのです。その地獄霊に最後の最後まで導いていかれるということです。それこそ死んだ後までです。
そういう悲惨な目に遭ってもよいというのでしょうか？　しかし、現実にそういう悲惨な目に遭っている人はたくさんいるのです。生きている人が知らないだけでです。
それではそういう悲惨な目に遭わないためにはどうしたらいいのでしょうか？　その方法を園頭先生が正法誌に書いていられます。そこをちょっと抜粋しておきましょう。哀れな皆さんのためにです。（苦笑）
１９８１年一月号より抜粋します。
＜魔、または魔に支配された人にぶち当たった場合はどうすればいいか、その場合は高橋信次先生が教えていられますように「あなたも神の子であります」と祈ることであります。それと同時に我々の身体の廻りに神の光の防壁をつくることです。
自分の身体が、神の光に包まれていることを心の中に描き、その神の光の中に自分があることをいつも想念することです。そうすると、自分の身体の廻りに光の壁が出来ます。
車に乗っていられる人は、車全体が神の光に包まれていることを想念することです。そうすると事故に遭わなくなります。このような光の想念を持つようになると、自分の周囲には自分を幸せにしてくれる人ばかりが集まってきて、自分を不幸にするような考えを持った人は自分に近づけなくなります。
商売をしていられる人たちはいいお客だけが集まるようになり、自分に損害をかけるような人は自然にこなくなります。損得を先に考えてするのはよくありませんが、まず人間は神の子であることの自覚が先にないといけません。
もし、仮に相手が自分を害しようと思っていた場合であっても、自分が光に包まれ、また相手も神の光に包まれていることを想念すると、相手は自分を害することが出来なくなります。あるところにやくざの人に脅迫されて金をせびられている人がありましたが、それを続けているうちに自然にその人はこなくなりました。こういう時は相手に対する恐怖心を持ってしてはならないのです。自分の心の中をまず安らかにして光を描かないといけないのです＞
要は神の光を心の中に描いて、その神の光が自分を包んでいるという想念を常に持っていると守られるということです。
しかしこれは自分の心から光が出ていないと、単にそう思っているだけでは神の光は現れてはこないので、結局、神理の実践がないとそうはならないということなんですが、しかし、ここに抜粋している園頭先生のお言葉は正法会の会員に対していわれていることであり、神理の実践をされている人たち限定でありますので、そこはご了承ください。
それ以外（神理の実践以外）で災いから守られる方法はないからです
だから、もうこういう時代（正法の世）になっているのです。神理の実践は必須であるということです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>しかし、そんなに自分たちの周りに災いが現れているのならです。<br />
人のせいになどしていないで（そんな暇があるなら）手を合わせて神にでも祈ればいいのに、そういう発想さえ出てこないようです。現代の罰当たりな人たちはです。<br />
そういう人たちはゴールデンウイークがデス（死の）ウイークにならないようお気をつけください。ずいぶん亡くなっている人もいるようであるからです。（死んだ奴が出たのかときくとシーンとなったりするところも多いので）<br />
それにしたって見や分かりそうなものですけどね。災いは増えているとです。だって他の地域だって地震や大雨などこれだけ増えているのです。では、この辺りに起きる個々の天罰が増えるのも道理なのです。ただでさえ災いが増えているのにプラス神理に対する感謝もない。それではよけい災いは増えるでしょう。もうそういう時代になっているからです。<br />
だから私はいっているです。そういう人たち（自己中で傲慢で罰当たりな人たち）ばかりでは、これからは心と時代が合わなくなってどんどん災いは増えてくるとです。<br />
その通りのことが起きているだけです。これからまだまだ正法の世は深まっていきます。そうなればもっと災いは増えるでしょう。多くの人たちの心と時代との乖離（かいり）が激しくなっていくからです。<br />
それであまりに災いが多いからと寺や神社やなどいってお参りしたところで、この前も書きましたが、それで救われるわけではありません。それどころかそんなことをして（心が汚いまま祈って）おかしな霊に憑かれてしまうような人も増えてきます。（この辺りもたくさんいますから。地獄霊に憑かれた人がです。私の周りの人たちも皆おかしな霊に憑かれています）<br />
しかし、それではよけい不幸になるということです。地獄霊は最後にはその（憑いている）人を不幸にしてしまうからです。<br />
そうして、その憑かれた人が死んでいく先は、その憑かれた霊と同じ地獄に堕ちるのです。その地獄霊に最後の最後まで導いていかれるということです。それこそ死んだ後までです。<br />
そういう悲惨な目に遭ってもよいというのでしょうか？　しかし、現実にそういう悲惨な目に遭っている人はたくさんいるのです。生きている人が知らないだけでです。<br />
それではそういう悲惨な目に遭わないためにはどうしたらいいのでしょうか？　その方法を園頭先生が正法誌に書いていられます。そこをちょっと抜粋しておきましょう。哀れな皆さんのためにです。（苦笑）<br />
１９８１年一月号より抜粋します。<br />
＜魔、または魔に支配された人にぶち当たった場合はどうすればいいか、その場合は高橋信次先生が教えていられますように「あなたも神の子であります」と祈ることであります。それと同時に我々の身体の廻りに神の光の防壁をつくることです。<br />
自分の身体が、神の光に包まれていることを心の中に描き、その神の光の中に自分があることをいつも想念することです。そうすると、自分の身体の廻りに光の壁が出来ます。<br />
車に乗っていられる人は、車全体が神の光に包まれていることを想念することです。そうすると事故に遭わなくなります。このような光の想念を持つようになると、自分の周囲には自分を幸せにしてくれる人ばかりが集まってきて、自分を不幸にするような考えを持った人は自分に近づけなくなります。<br />
商売をしていられる人たちはいいお客だけが集まるようになり、自分に損害をかけるような人は自然にこなくなります。損得を先に考えてするのはよくありませんが、まず人間は神の子であることの自覚が先にないといけません。<br />
もし、仮に相手が自分を害しようと思っていた場合であっても、自分が光に包まれ、また相手も神の光に包まれていることを想念すると、相手は自分を害することが出来なくなります。あるところにやくざの人に脅迫されて金をせびられている人がありましたが、それを続けているうちに自然にその人はこなくなりました。こういう時は相手に対する恐怖心を持ってしてはならないのです。自分の心の中をまず安らかにして光を描かないといけないのです＞<br />
要は神の光を心の中に描いて、その神の光が自分を包んでいるという想念を常に持っていると守られるということです。<br />
しかしこれは自分の心から光が出ていないと、単にそう思っているだけでは神の光は現れてはこないので、結局、神理の実践がないとそうはならないということなんですが、しかし、ここに抜粋している園頭先生のお言葉は正法会の会員に対していわれていることであり、神理の実践をされている人たち限定でありますので、そこはご了承ください。<br />
それ以外（神理の実践以外）で災いから守られる方法はないからです<br />
だから、もうこういう時代（正法の世）になっているのです。神理の実践は必須であるということです。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814&#038;cpage=1#comment-4415</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 Apr 2022 01:59:17 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814#comment-4415</guid>
		<description>前回あれだけ書いてもまだくだらない嫌がらせをしてくる人が多いようですが（まあ、そういうレベルの低い人たちは必ずいるので仕方がない話なんですが）しかし、昨日などまた凄かったですね。
昨日は洗濯ついでに荒子川公園にいっていたんですが、その荒子川公園の裏の道にはずらっと工場が並んでいるのです。何社もです。ところが昨日など、その工場のほぼすべてがです。私が近くを歩いていくと怒ってゴンゴン、ガンガン、ガシャーンとやってくるのです。
全部の工場からではなかったのでしょうが、それくらいあの辺りの多くの工場（の人たち）が私に対し怒っていたということです。昨日はです。
こんなこと初めてですね。その辺りの工場の中のいくつかのところが怒ってそんなことをしてきたということはこれまでも何度もあったんですが、これほど多くのところがいっぺんに怒っていたなど初めてです。昨日など一斉（いっせい）にやられましたからね。その辺りの工場の連中に嫌がらせをです。よほど出ているのではないでしょうか。ひどい災いがです。
そればかりか、荒子川公園の行き帰りのいくつかの工場もやたら怒っているところがありましたし、もう相当出ているのでしょう。多くのところで多くの災いがです。
しかし、それにしてもおかしな話ですよね。そうではないでしょうか。だって、その起きている災いをこのような多くの（工場の）人たちがみな私のせいにしているのです。しかし、そのような怒っている人たちがいる工場の中には私がまったく祈ってもいないところも含まれているのです。
こちらが祈ったところならともかくです。何で祈ったこともないところにまで起きている災いを私のせいにしているんでしょう。そんな起きてくる災いを全部私のせいにされても私も知らないですよね。そんなすべてのところのことまでです。私は神ではないのですから。（苦笑）
しかし、つくづく思いますね。本当にこういう人たちは都合がいいとです。だって、そう思いませんか。ならこのような人たちの人生は私に支配されているということなのでしょうか？　そういうことになりませんか。自分たちに起きてくる悪いことを全部私のせいにしているのならです。
では、その人たちに起きる悪いことは、私の意志でいくらでも起こるということになり、そうであるなら、その人たちの人生は私が支配しているということになります。その人たちに起きる悪いことを私が自在に出来るなら、その人たちの人生がよくなるのも悪くなるのも私の胸三寸ということになるからです。
そういうことなら、よけい私に胡麻をすってたくさん布施しないといけないでしょう。（笑）私の機嫌をそこねるなら、その人たちの人生は悪いことばかりが起きることになるからです。
そのような解釈でよいのでしょうか？　その割には誰も私に胡麻をするわけでも布施するわけでもありませんね。胡麻をするどころか、平気で嫌がらせをしてくる人も多いんですが大丈夫なんですか。私がそのような人たちの人生を握っているにもかかわらず、そんなことをしていてです。（苦笑）
だから都合がいいといっているのです。こういう人たちはです。
この人たちは自分の人生は自分が支配していると誰も知っているからです。別にお前に自分の人生を支配されているわけではないと分かっているからです。
にもかかわらず、この人たちは悪いことだけは私のせいにして怒っているのです。ではこれだけ都合のいい話もないのではないでしょうか。だって、自分の人生の支配者が自分自身なら、自分の人生に起きてくるよいことも悪いこともすべてです。すべて自分に責任があるはずだからです。他の誰の責任でもないはずだからです。その自分の人生を支配している者は他ならぬ自分自身であるからです。
では、全部自分の責任でしょう。自分の人生に起きてくることはです。
私が力ずくで何かしているのというのならともかくです。（力ずくで自分の人生を変えられるというのはよくある話ですから。例えばいま起きているロシアウクライナ紛争のようなです）そうではないのに、悪いことだけを人のせいにするなどどれだけ間違っているのか、そう考えるなら分かるはずです。自分の人生は自分に全責任があるからです。
自分の人生は自分が主役であり自分が支配者なのです。それが分かるなら自分の人生をよくすることも悪くすることも全部自分次第であるということも分かるはずです。
だから責任転嫁している人はよい人生を送れないのです。その考え自体が大きな間違いであるからです。
自分の人生は自分が主役であり支配者である。そのことをくれぐれも忘れないことです。それを忘れなければ自分の人生に起きてくるすべてのことは他ではなく全部自分自身に責任があるということも分かるはずであるからです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>前回あれだけ書いてもまだくだらない嫌がらせをしてくる人が多いようですが（まあ、そういうレベルの低い人たちは必ずいるので仕方がない話なんですが）しかし、昨日などまた凄かったですね。<br />
昨日は洗濯ついでに荒子川公園にいっていたんですが、その荒子川公園の裏の道にはずらっと工場が並んでいるのです。何社もです。ところが昨日など、その工場のほぼすべてがです。私が近くを歩いていくと怒ってゴンゴン、ガンガン、ガシャーンとやってくるのです。<br />
全部の工場からではなかったのでしょうが、それくらいあの辺りの多くの工場（の人たち）が私に対し怒っていたということです。昨日はです。<br />
こんなこと初めてですね。その辺りの工場の中のいくつかのところが怒ってそんなことをしてきたということはこれまでも何度もあったんですが、これほど多くのところがいっぺんに怒っていたなど初めてです。昨日など一斉（いっせい）にやられましたからね。その辺りの工場の連中に嫌がらせをです。よほど出ているのではないでしょうか。ひどい災いがです。<br />
そればかりか、荒子川公園の行き帰りのいくつかの工場もやたら怒っているところがありましたし、もう相当出ているのでしょう。多くのところで多くの災いがです。<br />
しかし、それにしてもおかしな話ですよね。そうではないでしょうか。だって、その起きている災いをこのような多くの（工場の）人たちがみな私のせいにしているのです。しかし、そのような怒っている人たちがいる工場の中には私がまったく祈ってもいないところも含まれているのです。<br />
こちらが祈ったところならともかくです。何で祈ったこともないところにまで起きている災いを私のせいにしているんでしょう。そんな起きてくる災いを全部私のせいにされても私も知らないですよね。そんなすべてのところのことまでです。私は神ではないのですから。（苦笑）<br />
しかし、つくづく思いますね。本当にこういう人たちは都合がいいとです。だって、そう思いませんか。ならこのような人たちの人生は私に支配されているということなのでしょうか？　そういうことになりませんか。自分たちに起きてくる悪いことを全部私のせいにしているのならです。<br />
では、その人たちに起きる悪いことは、私の意志でいくらでも起こるということになり、そうであるなら、その人たちの人生は私が支配しているということになります。その人たちに起きる悪いことを私が自在に出来るなら、その人たちの人生がよくなるのも悪くなるのも私の胸三寸ということになるからです。<br />
そういうことなら、よけい私に胡麻をすってたくさん布施しないといけないでしょう。（笑）私の機嫌をそこねるなら、その人たちの人生は悪いことばかりが起きることになるからです。<br />
そのような解釈でよいのでしょうか？　その割には誰も私に胡麻をするわけでも布施するわけでもありませんね。胡麻をするどころか、平気で嫌がらせをしてくる人も多いんですが大丈夫なんですか。私がそのような人たちの人生を握っているにもかかわらず、そんなことをしていてです。（苦笑）<br />
だから都合がいいといっているのです。こういう人たちはです。<br />
この人たちは自分の人生は自分が支配していると誰も知っているからです。別にお前に自分の人生を支配されているわけではないと分かっているからです。<br />
にもかかわらず、この人たちは悪いことだけは私のせいにして怒っているのです。ではこれだけ都合のいい話もないのではないでしょうか。だって、自分の人生の支配者が自分自身なら、自分の人生に起きてくるよいことも悪いこともすべてです。すべて自分に責任があるはずだからです。他の誰の責任でもないはずだからです。その自分の人生を支配している者は他ならぬ自分自身であるからです。<br />
では、全部自分の責任でしょう。自分の人生に起きてくることはです。<br />
私が力ずくで何かしているのというのならともかくです。（力ずくで自分の人生を変えられるというのはよくある話ですから。例えばいま起きているロシアウクライナ紛争のようなです）そうではないのに、悪いことだけを人のせいにするなどどれだけ間違っているのか、そう考えるなら分かるはずです。自分の人生は自分に全責任があるからです。<br />
自分の人生は自分が主役であり自分が支配者なのです。それが分かるなら自分の人生をよくすることも悪くすることも全部自分次第であるということも分かるはずです。<br />
だから責任転嫁している人はよい人生を送れないのです。その考え自体が大きな間違いであるからです。<br />
自分の人生は自分が主役であり支配者である。そのことをくれぐれも忘れないことです。それを忘れなければ自分の人生に起きてくるすべてのことは他ではなく全部自分自身に責任があるということも分かるはずであるからです。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814&#038;cpage=1#comment-4414</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 28 Apr 2022 01:55:34 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814#comment-4414</guid>
		<description>昨日は途中までコメントを（ブログを）書いていたんですけどね。
ところが隣の家のオバちゃんが急に出てきて家の横でガタガタ音を立てて嫌がらせを始めましてね。たまにやるんですよ。隣のオバちゃんは家の横ででかい音など立ててこのブログの書くじゃまをです。自分も見ているくせにです。
だから私の周りにはどこかの会社だけではなくたくさんいるのです。神理を説くじゃまをする悪魔に憑かれた人たちがたくさんです。本当にこのような人たちは哀れです。自分がどれだけ罪深いことをしているのか分かっていないからです。
しかし、そういう哀れな人たちはたくさんいて、このオバちゃんは一昨日もそんなことをしてきて昨日もまたしてきたものですからね。二日も続けてされるとさすがにこちらも癪（しゃく）にさわって、それでガンガンやり返していたら書いてるコメントが急に消えてしまいました。
それでもう書く気がなくなって書くのをやめたんですが、ダメですね。バカを相手にバカなことをしていると神の教えが消えてしまうからです。（苦笑）
それにしてもこりませんね。このような哀れな人たちはです。これだけ多くのところで多くの天罰がくだっているにもかかわらずです。それでもまだこんなことをしてくる。私が知っているだけでも数（かぞ）えきれないところでどれだけ多くの天罰がくだっているかしれないのにです。
それなのに、それだけ大きな力を平気で人にせいにして平気で逆らっている。よく、それほどの巨大な力に逆らっていて怖くありませんね。分かっているのでしょうか？　いま全体で何が起きているのかです。
個々で見ているだけなんじゃないですか。起きていることをです。（自分に起きたこととか、自分の周りに起きていることだけをです）今の多くの人たちは全体を見る力に欠けている人が多いからです。（単に視野の狭い人が多いといっているだけなんですが。〔苦笑〕）本当にとんでもないですね。現代の人たちはです。とても人間には不可能と思えることでも平気で人のせいにして怒っているだけだからです。
よく考えてみてください。この名古屋の一部だけでも数限りなく現れているのですよ。そのような天罰と思われる現象がです。私が実際に知っていることなど名古屋のほんの一部で起きていることだけでしょうから。しかし、それだけでも凄い数なのです。
その部分だけ見たって全部合わせるなら巨大な力が現れているということになるのに、それほどの巨大な力をです。
人が現わしているなどとよくそんなことがいえますね。昔の人たちなら絶対に思わなかったでしょう。そんなことはです。出来るわけがないからです。ただの人間がそんなことをです。そんな強大な力を人間が現わすことなど絶対に不可能なことであるからです。
しかし、今の人たちは神のせいには出来ないので（さすがに怖いから。というか、認めていないので神のせいにしようがない）とても人間が出来ないようなことまで全部人のせいにして（または自然現象。もうこれだけ起きてくるとたまたま、偶然とはいえないから）責任転嫁しています。本当によくそんなデタラメなことをし続けているものです。
こんな巨大な現象、人が起こせるはずがないのにです。とても不可能なことであるのにです。それを無理やり私のせいにしているんですから呆れますが、もうやめたらどうですか。そんな明らかに違っている責任転嫁などです。自分たちに悪いことがよけい起きてくるだけだからです。よけい神を怒らせてです。
神は存在しますし、神が存在するから、そのような神の力も現れているのです。いま現在その神の力が現れているではないですか。多くの人たちの目の前にです。それはもう認めざるを得ないでしょう。現れているものは現れているからです。それは釈尊やキリストの時代と同じであるからです。
天罰であろうと癒しであろうと同じなのです。同じ神の力なのです。だからそれほど多くの現象が現れるのです。神の力（エネルギー）は超巨大であるからです。
それは多くの人を癒されたキリストも認めています。キリストは多くの癒しの奇跡を現わしましたが、それを一度でも自分の力といわれたことなどないのです。
神がこれを起こされているとしかいわれていないのです。それは釈尊も同じで、もちろんそれは大奇跡を起こされたモーゼも同じなのです。一度も奇跡を自分が起こしたなどといわれたことはないのです。
すべて神が起こしているからです。そのような奇跡はです。釈尊やキリストの後ろにいられた神がです。だからあれほど多くの奇跡も現れたのです。神の力は無限であるからです。どれだけ巨大か分からないからです。
だから今もこれほど多くの天罰も現れる。（動物たちの奇跡も含めてです）私の後ろには釈尊やキリストの後ろについていられた同じ神がついていられるからです。同じ神理を説いているのなら同じ本物の神がつくのは当然のことであるからです。
その本物の神の力が現れているから、これほど多くの現象も現れてくるのです。何度もいいますが、神の力は無限であるからです。どれほど巨大かしれないからです。
これだけ多くの現象が現れていることが（釈尊やキリスト、モーゼと同じようにです）私が本当の神の教えを説いているという何よりの証拠なのです。だから認めるしかないのです。もう私のいうことをです。これだけ現れている数多くの奇跡が私のいっていることの正しさを何より現わしているからです。
その本当の神が後ろにいる者に対し逆らい続けているのです。このブログを見ている多くの人たちはです。
もう少し大きく観られませんか。そうすれば、いま起きていることのすさまじさ、いっていることの正しさはよく分かるからです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>昨日は途中までコメントを（ブログを）書いていたんですけどね。<br />
ところが隣の家のオバちゃんが急に出てきて家の横でガタガタ音を立てて嫌がらせを始めましてね。たまにやるんですよ。隣のオバちゃんは家の横ででかい音など立ててこのブログの書くじゃまをです。自分も見ているくせにです。<br />
だから私の周りにはどこかの会社だけではなくたくさんいるのです。神理を説くじゃまをする悪魔に憑かれた人たちがたくさんです。本当にこのような人たちは哀れです。自分がどれだけ罪深いことをしているのか分かっていないからです。<br />
しかし、そういう哀れな人たちはたくさんいて、このオバちゃんは一昨日もそんなことをしてきて昨日もまたしてきたものですからね。二日も続けてされるとさすがにこちらも癪（しゃく）にさわって、それでガンガンやり返していたら書いてるコメントが急に消えてしまいました。<br />
それでもう書く気がなくなって書くのをやめたんですが、ダメですね。バカを相手にバカなことをしていると神の教えが消えてしまうからです。（苦笑）<br />
それにしてもこりませんね。このような哀れな人たちはです。これだけ多くのところで多くの天罰がくだっているにもかかわらずです。それでもまだこんなことをしてくる。私が知っているだけでも数（かぞ）えきれないところでどれだけ多くの天罰がくだっているかしれないのにです。<br />
それなのに、それだけ大きな力を平気で人にせいにして平気で逆らっている。よく、それほどの巨大な力に逆らっていて怖くありませんね。分かっているのでしょうか？　いま全体で何が起きているのかです。<br />
個々で見ているだけなんじゃないですか。起きていることをです。（自分に起きたこととか、自分の周りに起きていることだけをです）今の多くの人たちは全体を見る力に欠けている人が多いからです。（単に視野の狭い人が多いといっているだけなんですが。〔苦笑〕）本当にとんでもないですね。現代の人たちはです。とても人間には不可能と思えることでも平気で人のせいにして怒っているだけだからです。<br />
よく考えてみてください。この名古屋の一部だけでも数限りなく現れているのですよ。そのような天罰と思われる現象がです。私が実際に知っていることなど名古屋のほんの一部で起きていることだけでしょうから。しかし、それだけでも凄い数なのです。<br />
その部分だけ見たって全部合わせるなら巨大な力が現れているということになるのに、それほどの巨大な力をです。<br />
人が現わしているなどとよくそんなことがいえますね。昔の人たちなら絶対に思わなかったでしょう。そんなことはです。出来るわけがないからです。ただの人間がそんなことをです。そんな強大な力を人間が現わすことなど絶対に不可能なことであるからです。<br />
しかし、今の人たちは神のせいには出来ないので（さすがに怖いから。というか、認めていないので神のせいにしようがない）とても人間が出来ないようなことまで全部人のせいにして（または自然現象。もうこれだけ起きてくるとたまたま、偶然とはいえないから）責任転嫁しています。本当によくそんなデタラメなことをし続けているものです。<br />
こんな巨大な現象、人が起こせるはずがないのにです。とても不可能なことであるのにです。それを無理やり私のせいにしているんですから呆れますが、もうやめたらどうですか。そんな明らかに違っている責任転嫁などです。自分たちに悪いことがよけい起きてくるだけだからです。よけい神を怒らせてです。<br />
神は存在しますし、神が存在するから、そのような神の力も現れているのです。いま現在その神の力が現れているではないですか。多くの人たちの目の前にです。それはもう認めざるを得ないでしょう。現れているものは現れているからです。それは釈尊やキリストの時代と同じであるからです。<br />
天罰であろうと癒しであろうと同じなのです。同じ神の力なのです。だからそれほど多くの現象が現れるのです。神の力（エネルギー）は超巨大であるからです。<br />
それは多くの人を癒されたキリストも認めています。キリストは多くの癒しの奇跡を現わしましたが、それを一度でも自分の力といわれたことなどないのです。<br />
神がこれを起こされているとしかいわれていないのです。それは釈尊も同じで、もちろんそれは大奇跡を起こされたモーゼも同じなのです。一度も奇跡を自分が起こしたなどといわれたことはないのです。<br />
すべて神が起こしているからです。そのような奇跡はです。釈尊やキリストの後ろにいられた神がです。だからあれほど多くの奇跡も現れたのです。神の力は無限であるからです。どれだけ巨大か分からないからです。<br />
だから今もこれほど多くの天罰も現れる。（動物たちの奇跡も含めてです）私の後ろには釈尊やキリストの後ろについていられた同じ神がついていられるからです。同じ神理を説いているのなら同じ本物の神がつくのは当然のことであるからです。<br />
その本物の神の力が現れているから、これほど多くの現象も現れてくるのです。何度もいいますが、神の力は無限であるからです。どれほど巨大かしれないからです。<br />
これだけ多くの現象が現れていることが（釈尊やキリスト、モーゼと同じようにです）私が本当の神の教えを説いているという何よりの証拠なのです。だから認めるしかないのです。もう私のいうことをです。これだけ現れている数多くの奇跡が私のいっていることの正しさを何より現わしているからです。<br />
その本当の神が後ろにいる者に対し逆らい続けているのです。このブログを見ている多くの人たちはです。<br />
もう少し大きく観られませんか。そうすれば、いま起きていることのすさまじさ、いっていることの正しさはよく分かるからです。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814&#038;cpage=1#comment-4412</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 26 Apr 2022 01:47:42 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814#comment-4412</guid>
		<description>ウナッシーさんや北海道の方からまた布施をいただきました。ありがとうございました。もう何度もらっているかしれませんね。こういう方々からの感謝の布施はです。さぞ多くの徳を得ていることでしょう。このような方々はです。
それに引き換えです。こちらの人たちなど昨日でもいきり立って嫌がらせをしてくる人たちが何人もいました。ほんと真反対のことをしているんですから呆れます。
なんですか。昨日書いたコメントのせいでしょうか？　そんないきり立つほど怒っている人が多かったのはです。何が理由かは分かりませんが神理をきいているのに、そんな子供のような態度を取っていては百パーセント天罰がくだります。（もう百パーセントくだるでしょう。親にまでくだるのです。他人にくだらないわけがない）
それだけ重い罪もないからです。だから覚悟だけはしておいてくださいね。そういう人たちはこれからどんなひどい天罰がくだるかしれないからです。
本当に哀れですね。本当の神の教えを説いている者にわざわざ嫌がらせをしてくるんですから。それだけ罰当たりな行いもありません。どうせ嫌がらせをするなら間違った教えを説いている人たちにすればいいものを、それならまだ罪も軽いからです。
しかし、本当の神の教えを説いている者に嫌がらせをしているのです。その罪はどれだけ重いものとなるかしれません。だから死ぬ人まで出ているのです。この世で最悪のことをその人たちは（それと知らずに）しているからです。だから最悪の結果が現れている。それだけしていることの罪が重いからです。結果がそれを物語っているのです。
それを考えるならです。私に布施してくれている人たちがどれだけ多くの徳を得ているのかは想像に難くないでしょう。ひどい嫌がらせをしてくる人に最悪のことまで起きているのです。では、何度も布施してくれている人に与えられる徳は一体どれだけ多くのものかしれません。それこそ天にも届くほどの宝がそのような人たちには与えられることでしょう。
そうして、その宝は腐ることも盗まれることもなく天にどんどん積まれていきます。それだけ多くの果報が与えられるということです。それだけ徳ある行いをしている人たちにはです。
それは死ねば分かります。神理を説いている人への感謝の布施は、それほど有難いものであるのです。
にもかかわらず、そんな有難いものまで一切無視して、神理をきくだけきいて知らん顔をしている人がなんと多いことか。本当にもったいないことをしています。知らない（理解しない）とはいえです。そのような人たちはむざむざ計り知れないほどの宝を逃しているからです。
それで地獄霊がいっぱいいるお寺や神社などいきそこで賽銭を投げてお参りして気分がすきっりしたとか、パワーをもらったなどといって喜んでいますが、残念ではありますが、そんなことをしても何の徳も宝も得られることはありません。だからそういうことはやるだけ無駄だということです。（とうか、本当は危ないんですけどね。心も正さずにそういうことをしていてはです）
まあ、お参りなどしてそれでよいことがあったという人もいるにはいるんでしょうが、しかし、それはお参りしたお陰ではありません。なるべくしてそうなったということです。だから別に、そのようなところにいってお参りしなくてもそのよいことは起きたのです。
なんでそんなことが分かるのか？　それはそのような信仰の仕方は間違いであるからです。間違った信仰の仕方をしていて、それで本当のお陰があるはずがないからです。もし、それでお陰があったとしたなら、それは最初からそうなるような順序があったか、または地獄霊がそうしたかのどちらかであるということです。（地獄霊もよいことはしますから。悪いことばかりしていたら誰もそこに寄り付かなくなるからです。そうなると地獄霊はそこにきた人に憑けなくなるからです）
ついでにいっておきますが、よく神社やお寺などいって、ここはパワーが凄いとか、ここにくると不思議なことが起きるとかいっている人たちがいますが、そのような神社やお寺で感じることや起きる不思議なことはほぼ百パーセント地獄霊が起こしていることなのです。善霊（光の天使）が起こしていることではありません。
そこは間違えない方がいいでしょう。まずそんな場所に光の天使がいることはないからです。
なぜそんなことがいえるのかといえばです。そういうところにお参りしにくる人たちはよい（正しい）祈りをしていない人たちばかりであるからです。
こういうところにお参りにくる人たちは、自分たちが幸せになりますようにとか（家内安全、交通安全など）よい会社に（またはよい学校に）入れますようにとか、お金持ちになりますように（宝くじが当たりますように）とか、そんな自分たちの欲望の祈りしかしないのです。
まず、世界や日本の人たちの平和や調和の祈りなどする人はいません。（まあ、今のようにロシアとウクライナの紛争など起きていれば、そういう祈りをする人もいるかもしれませんが）そういう多くの人たちの幸せを祈る人たちばかりなら、光の天使たちもその場所に降りてくるのかもしれませんが（そのような多くの人の平和を祈る場所なら霊域がよくなるので）そんな自分の欲望ばかりを祈るような祈りの場はです。
もうずいぶん霊域が悪くなっているのです。その場所は人々の欲望渦巻く場所として、そのような邪悪な念が渦巻いているからです。そのような場所は相当霊域が悪くなっています。そのような人々の邪悪な念が、その場所の霊域を悪くするということです。
そういう霊域が悪い場所には絶対に善い霊が降りてくることはありません。というか、降りてこれないのです。あまりに霊域が悪いところに光の天使たちはです。自分たちの波動とその場所の波動とが違いすぎているからです。そういう場所には善霊は降りられないからです。（ただ、使命を持ってそういう場所に降りてくる光の天使もいます。〔その霊域をきれいする役目を持ってとかです〕そういう霊はまた別です）
だから、そのような場所で（お寺や神社などそのような場所ばかりでしょう。そこにお参りにくる多くの人たちは欲望の祈りしかしないのですから）起きる不思議な現象は地獄霊が起こしているといっているのです。そういう場所に光の天使は降りてはこれないからです。そういう霊域の悪い場所にいられるのは悪霊だけであるからです。
だから多くの人たちは霊域の悪い場所にいき、そうしてそこで悪霊の波動を善霊の波動と間違えて、それをパワーだとか何とかいっているのです。悪霊のパワーを善霊のパワーだと思い込んでです。
これもまた哀れなものなんですが（大間違いをしていますから。ずいぶん違いますよね。悪霊のパワーと光の天使のパワーとではです）何の力かよく分からないものを何でもかんでも信じない方がいいでしょう。結局、そういうことをしていては最後には不幸になるからです。悪霊は最初はよいことをしても最後にはその人を（憑いている人を）不幸にしてしまうからです。（だから心も正さずそんなことをしていると危ないといっているのです。心さえ正しければ、そのような悪霊からも守られるからです）
だから、そんな訳の分からないものをお参りしにいくよりもです。ここに次々に奇跡が起き、そうして本当に徳になるものがあるのです。
それをお参りしませんか。その方がよほど自分たちのためになるからです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>ウナッシーさんや北海道の方からまた布施をいただきました。ありがとうございました。もう何度もらっているかしれませんね。こういう方々からの感謝の布施はです。さぞ多くの徳を得ていることでしょう。このような方々はです。<br />
それに引き換えです。こちらの人たちなど昨日でもいきり立って嫌がらせをしてくる人たちが何人もいました。ほんと真反対のことをしているんですから呆れます。<br />
なんですか。昨日書いたコメントのせいでしょうか？　そんないきり立つほど怒っている人が多かったのはです。何が理由かは分かりませんが神理をきいているのに、そんな子供のような態度を取っていては百パーセント天罰がくだります。（もう百パーセントくだるでしょう。親にまでくだるのです。他人にくだらないわけがない）<br />
それだけ重い罪もないからです。だから覚悟だけはしておいてくださいね。そういう人たちはこれからどんなひどい天罰がくだるかしれないからです。<br />
本当に哀れですね。本当の神の教えを説いている者にわざわざ嫌がらせをしてくるんですから。それだけ罰当たりな行いもありません。どうせ嫌がらせをするなら間違った教えを説いている人たちにすればいいものを、それならまだ罪も軽いからです。<br />
しかし、本当の神の教えを説いている者に嫌がらせをしているのです。その罪はどれだけ重いものとなるかしれません。だから死ぬ人まで出ているのです。この世で最悪のことをその人たちは（それと知らずに）しているからです。だから最悪の結果が現れている。それだけしていることの罪が重いからです。結果がそれを物語っているのです。<br />
それを考えるならです。私に布施してくれている人たちがどれだけ多くの徳を得ているのかは想像に難くないでしょう。ひどい嫌がらせをしてくる人に最悪のことまで起きているのです。では、何度も布施してくれている人に与えられる徳は一体どれだけ多くのものかしれません。それこそ天にも届くほどの宝がそのような人たちには与えられることでしょう。<br />
そうして、その宝は腐ることも盗まれることもなく天にどんどん積まれていきます。それだけ多くの果報が与えられるということです。それだけ徳ある行いをしている人たちにはです。<br />
それは死ねば分かります。神理を説いている人への感謝の布施は、それほど有難いものであるのです。<br />
にもかかわらず、そんな有難いものまで一切無視して、神理をきくだけきいて知らん顔をしている人がなんと多いことか。本当にもったいないことをしています。知らない（理解しない）とはいえです。そのような人たちはむざむざ計り知れないほどの宝を逃しているからです。<br />
それで地獄霊がいっぱいいるお寺や神社などいきそこで賽銭を投げてお参りして気分がすきっりしたとか、パワーをもらったなどといって喜んでいますが、残念ではありますが、そんなことをしても何の徳も宝も得られることはありません。だからそういうことはやるだけ無駄だということです。（とうか、本当は危ないんですけどね。心も正さずにそういうことをしていてはです）<br />
まあ、お参りなどしてそれでよいことがあったという人もいるにはいるんでしょうが、しかし、それはお参りしたお陰ではありません。なるべくしてそうなったということです。だから別に、そのようなところにいってお参りしなくてもそのよいことは起きたのです。<br />
なんでそんなことが分かるのか？　それはそのような信仰の仕方は間違いであるからです。間違った信仰の仕方をしていて、それで本当のお陰があるはずがないからです。もし、それでお陰があったとしたなら、それは最初からそうなるような順序があったか、または地獄霊がそうしたかのどちらかであるということです。（地獄霊もよいことはしますから。悪いことばかりしていたら誰もそこに寄り付かなくなるからです。そうなると地獄霊はそこにきた人に憑けなくなるからです）<br />
ついでにいっておきますが、よく神社やお寺などいって、ここはパワーが凄いとか、ここにくると不思議なことが起きるとかいっている人たちがいますが、そのような神社やお寺で感じることや起きる不思議なことはほぼ百パーセント地獄霊が起こしていることなのです。善霊（光の天使）が起こしていることではありません。<br />
そこは間違えない方がいいでしょう。まずそんな場所に光の天使がいることはないからです。<br />
なぜそんなことがいえるのかといえばです。そういうところにお参りしにくる人たちはよい（正しい）祈りをしていない人たちばかりであるからです。<br />
こういうところにお参りにくる人たちは、自分たちが幸せになりますようにとか（家内安全、交通安全など）よい会社に（またはよい学校に）入れますようにとか、お金持ちになりますように（宝くじが当たりますように）とか、そんな自分たちの欲望の祈りしかしないのです。<br />
まず、世界や日本の人たちの平和や調和の祈りなどする人はいません。（まあ、今のようにロシアとウクライナの紛争など起きていれば、そういう祈りをする人もいるかもしれませんが）そういう多くの人たちの幸せを祈る人たちばかりなら、光の天使たちもその場所に降りてくるのかもしれませんが（そのような多くの人の平和を祈る場所なら霊域がよくなるので）そんな自分の欲望ばかりを祈るような祈りの場はです。<br />
もうずいぶん霊域が悪くなっているのです。その場所は人々の欲望渦巻く場所として、そのような邪悪な念が渦巻いているからです。そのような場所は相当霊域が悪くなっています。そのような人々の邪悪な念が、その場所の霊域を悪くするということです。<br />
そういう霊域が悪い場所には絶対に善い霊が降りてくることはありません。というか、降りてこれないのです。あまりに霊域が悪いところに光の天使たちはです。自分たちの波動とその場所の波動とが違いすぎているからです。そういう場所には善霊は降りられないからです。（ただ、使命を持ってそういう場所に降りてくる光の天使もいます。〔その霊域をきれいする役目を持ってとかです〕そういう霊はまた別です）<br />
だから、そのような場所で（お寺や神社などそのような場所ばかりでしょう。そこにお参りにくる多くの人たちは欲望の祈りしかしないのですから）起きる不思議な現象は地獄霊が起こしているといっているのです。そういう場所に光の天使は降りてはこれないからです。そういう霊域の悪い場所にいられるのは悪霊だけであるからです。<br />
だから多くの人たちは霊域の悪い場所にいき、そうしてそこで悪霊の波動を善霊の波動と間違えて、それをパワーだとか何とかいっているのです。悪霊のパワーを善霊のパワーだと思い込んでです。<br />
これもまた哀れなものなんですが（大間違いをしていますから。ずいぶん違いますよね。悪霊のパワーと光の天使のパワーとではです）何の力かよく分からないものを何でもかんでも信じない方がいいでしょう。結局、そういうことをしていては最後には不幸になるからです。悪霊は最初はよいことをしても最後にはその人を（憑いている人を）不幸にしてしまうからです。（だから心も正さずそんなことをしていると危ないといっているのです。心さえ正しければ、そのような悪霊からも守られるからです）<br />
だから、そんな訳の分からないものをお参りしにいくよりもです。ここに次々に奇跡が起き、そうして本当に徳になるものがあるのです。<br />
それをお参りしませんか。その方がよほど自分たちのためになるからです。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814&#038;cpage=1#comment-4411</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 25 Apr 2022 02:05:56 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814#comment-4411</guid>
		<description>母の腰がずいぶん悪いようです。最近は週一で医者にいっているだけで後はずっと家にいて全然外に出ていかなくなったからです。
前はちょこちょこ出ていっていたんですが（買い物がてら散歩にです）もう腰が痛くなってからはまったく外に出ませんね。まあ、座骨神経痛は私もやっていますのでどれだけ痛いかは知っています。もうまともに歩けませんからね。足が痛くてです。（腰より足が痛くなりますから。座骨神経痛はです。それも腰からきているのですが）それでは出てもいけないでしょう。外など出ていっても足の痛みで買い物どころではないからです。
だからいったのです。罰が当たるから祈りのじゃまはするなとです。しかし、何度いっても母はくだらないじゃまをやめませんでした。（どこかの連中と同じですね。〔苦笑〕）そうしたらこれほどのことが起きるのです。
歯が痛くなった時点でやめるべきだったのです。私の祈りのじゃまはです。そうしたらこれほどひどい目には遭わなかったのに私のいうことをきこうとせず、それでも祈りのじゃまをし続けた。その結果がこれだけの苦しみを与えられたということです。天から母はです。
年寄りなのに哀れなものですが、しかし、若かろうが、年を取っていようが、罰当たりな態度を取っている人には必ず当たるのです。天罰はです。
そこはわきまえた方がいいでしょう。もうそのような時代となっているからです。そのような悪いことをしていれば（特に神仏に対しては）すぐにでも天罰がくだる正法の世にです。
だから大丈夫ですか。親でもくだるのです。祈りのじゃまをしただけでひどい天罰がです。では、身内でもなんでもない、ただ、私のブログを読んでいるだけで面白くないからと私に嫌がらせなどしてくる人たちにはです。
一人残らずくだると思いませんか。よりひどい天罰がです。何度でもいいますが、親でも神理に逆らえば天罰がくだっているからです。
では、そのような私のブログを読むだけ読んで神理を教えてもらったくせに一切感謝せず、嫌がらせしてくるようなそんな恩知らずな道義を知らない人たちにはくだらないわけがないのです。よりひどい天罰がです。
それが筋であるからです。天上界はそのような筋は必ず通すからです。
それでずいぶんひどい目に遭っている人もいるはずですが（母を見てそれが一層よく分かりました）しかし、そういうひどい目に遭っている人たちはです。まだ滅ぼされていないのなら（もう最悪の目に遭っている人たちは滅ぼされていますから）反省することです。そのような（最低最悪の）行いをです。
そうすれば、そのひどいことは起きなくなりよいことも起きてくるからです。だから、私の母に例えるなら、母が私の祈りをじゃましたことを反省し二度とそのようなことは行わないと神に誓えるなら、その座骨神経痛は治ってくるということです。そのような心になるならです。
天が現わした病を天が癒せないはずがないからです。それが天罰というものであるからです。
だから私のいう通りのことが出来るなら、罰当たりな人たちに起きている様々な災い（天罰）は止まりますが、出来ないなら止まりません。そのような心になっていないから、そのような人たちにはそのような不幸が続いているからです。
実際その通りのことが多くの人に起きているはずです。もう反省されませんか、そうすれば、その苦しみはなくなるからです。
どれだけ私に怒ろうが、その起きている災いは私が起こしているのではなく天が起こしているのです。だから天罰というのであり、その天罰に怒っているということは天に怒っているということになるのです。
だから昔の人たちはそんなことはしなかったのです。天に怒るなどの恐ろしい行為を自分たちがするなら、その後どれだけそのような行為が自分たちに祟ってくるか分からないからです。
その通りのことがいま現在起きています。現代の多くの人たちがあまりに天に逆らっているばかりに（起きている災いを責任転嫁しているばかりに）すさまじいまでの数の災いがくだり、多くの人たちが不幸になっているのです。いま現在の多くの人たちがです。私の親も含めてです。
しかし、それでも現代の人たちは、昔の人たちのような考えをまったく持とうとせず、天が祟るなどあるわけがないと未だ多くの人が思って、起きている災いはみな自然現象と人が起こしているものであると勝手に思い込み、まったく自分の考えを改めようとせず、責任転嫁し続けています。
その結果、そのような災いは全然止まらず、どんどん増えている。
では、どちらの考えが正しかったのか？　ということになります。
今のような結果だけ見るならです。どう考えても昔の人たちの考えの方が正しいように思えますが、それでもまだです。それでもまだ認めないのでしょうか？　今の人たちは昔の人たちのような考え方をです。
天が怒っているからこういうことが起きているという考え方をです。
そんな考え一笑に付しますか。しかし、残念ながら、昔の人たちの考えの方が正しかったということが、次々に起きてくる現象で証明されているのです。もうすでに何度も何度もです。（何十度も何百度もです）こちらで起きている天罰を知るなら、それを認めざるを得ないからです。
得ないでしょう。こちらの天罰を知るならです。こちらで起きてくる天罰は私に嫌がらせをしてくる人に次々にくだっているのです。（親にまで）こんなことを人が起こせるはずもなく、では天が起こしている以外ないではないですか。
天以外でこんなことを出来る存在などないからです。何度でもいいますが、もし人が出来るというのなら、こちらで起きていることと同じことをしてみてください。そのようにいう人がです。しかし、そんなことが出来る人など誰もいないのです。そうして、そういうことが唯一出来ている私がいっているのです。
「こういうことは人ではなく天が起こしている」とです。
つまり昔の人たちの考え方が正しいと、そういうことが起きている私がいっているのですから、それを認めるしかないのではないでしょうか。現代の人たちはです。
現代の人たちで私と同じことが出来る人など一人もいないからです。出来ないのであれば認めるしかないからです。私のいっていることをです。
どれだけ自分たちの考えが間違っていたと証明されたら（より多くの災いが起きてくることによりです）自分たちの考えの間違いを認めるのですか、現代の多くの人たちはです。
しかし、そのような（傲慢な）心を悔い改めない限り、天の怒りがおさまることはないのです。つまり今のままの心の人が多いなら災いが収まることはないということです。
謙虚に悔い改めてください。自分の考えをです。そうして天の怒りを認め頭を下げてください。天に対してです。そうすれば、起きている災いは止まってくるからです。
昔の人たちの考えが正しかったのです。もうそれをはっきり認め昔の人たちと同じ考えを持ちましょう。現代の多くの人たちも神に対してはです。
そうすれば必ず神の怒りは解け起きている災いも止まるからです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>母の腰がずいぶん悪いようです。最近は週一で医者にいっているだけで後はずっと家にいて全然外に出ていかなくなったからです。<br />
前はちょこちょこ出ていっていたんですが（買い物がてら散歩にです）もう腰が痛くなってからはまったく外に出ませんね。まあ、座骨神経痛は私もやっていますのでどれだけ痛いかは知っています。もうまともに歩けませんからね。足が痛くてです。（腰より足が痛くなりますから。座骨神経痛はです。それも腰からきているのですが）それでは出てもいけないでしょう。外など出ていっても足の痛みで買い物どころではないからです。<br />
だからいったのです。罰が当たるから祈りのじゃまはするなとです。しかし、何度いっても母はくだらないじゃまをやめませんでした。（どこかの連中と同じですね。〔苦笑〕）そうしたらこれほどのことが起きるのです。<br />
歯が痛くなった時点でやめるべきだったのです。私の祈りのじゃまはです。そうしたらこれほどひどい目には遭わなかったのに私のいうことをきこうとせず、それでも祈りのじゃまをし続けた。その結果がこれだけの苦しみを与えられたということです。天から母はです。<br />
年寄りなのに哀れなものですが、しかし、若かろうが、年を取っていようが、罰当たりな態度を取っている人には必ず当たるのです。天罰はです。<br />
そこはわきまえた方がいいでしょう。もうそのような時代となっているからです。そのような悪いことをしていれば（特に神仏に対しては）すぐにでも天罰がくだる正法の世にです。<br />
だから大丈夫ですか。親でもくだるのです。祈りのじゃまをしただけでひどい天罰がです。では、身内でもなんでもない、ただ、私のブログを読んでいるだけで面白くないからと私に嫌がらせなどしてくる人たちにはです。<br />
一人残らずくだると思いませんか。よりひどい天罰がです。何度でもいいますが、親でも神理に逆らえば天罰がくだっているからです。<br />
では、そのような私のブログを読むだけ読んで神理を教えてもらったくせに一切感謝せず、嫌がらせしてくるようなそんな恩知らずな道義を知らない人たちにはくだらないわけがないのです。よりひどい天罰がです。<br />
それが筋であるからです。天上界はそのような筋は必ず通すからです。<br />
それでずいぶんひどい目に遭っている人もいるはずですが（母を見てそれが一層よく分かりました）しかし、そういうひどい目に遭っている人たちはです。まだ滅ぼされていないのなら（もう最悪の目に遭っている人たちは滅ぼされていますから）反省することです。そのような（最低最悪の）行いをです。<br />
そうすれば、そのひどいことは起きなくなりよいことも起きてくるからです。だから、私の母に例えるなら、母が私の祈りをじゃましたことを反省し二度とそのようなことは行わないと神に誓えるなら、その座骨神経痛は治ってくるということです。そのような心になるならです。<br />
天が現わした病を天が癒せないはずがないからです。それが天罰というものであるからです。<br />
だから私のいう通りのことが出来るなら、罰当たりな人たちに起きている様々な災い（天罰）は止まりますが、出来ないなら止まりません。そのような心になっていないから、そのような人たちにはそのような不幸が続いているからです。<br />
実際その通りのことが多くの人に起きているはずです。もう反省されませんか、そうすれば、その苦しみはなくなるからです。<br />
どれだけ私に怒ろうが、その起きている災いは私が起こしているのではなく天が起こしているのです。だから天罰というのであり、その天罰に怒っているということは天に怒っているということになるのです。<br />
だから昔の人たちはそんなことはしなかったのです。天に怒るなどの恐ろしい行為を自分たちがするなら、その後どれだけそのような行為が自分たちに祟ってくるか分からないからです。<br />
その通りのことがいま現在起きています。現代の多くの人たちがあまりに天に逆らっているばかりに（起きている災いを責任転嫁しているばかりに）すさまじいまでの数の災いがくだり、多くの人たちが不幸になっているのです。いま現在の多くの人たちがです。私の親も含めてです。<br />
しかし、それでも現代の人たちは、昔の人たちのような考えをまったく持とうとせず、天が祟るなどあるわけがないと未だ多くの人が思って、起きている災いはみな自然現象と人が起こしているものであると勝手に思い込み、まったく自分の考えを改めようとせず、責任転嫁し続けています。<br />
その結果、そのような災いは全然止まらず、どんどん増えている。<br />
では、どちらの考えが正しかったのか？　ということになります。<br />
今のような結果だけ見るならです。どう考えても昔の人たちの考えの方が正しいように思えますが、それでもまだです。それでもまだ認めないのでしょうか？　今の人たちは昔の人たちのような考え方をです。<br />
天が怒っているからこういうことが起きているという考え方をです。<br />
そんな考え一笑に付しますか。しかし、残念ながら、昔の人たちの考えの方が正しかったということが、次々に起きてくる現象で証明されているのです。もうすでに何度も何度もです。（何十度も何百度もです）こちらで起きている天罰を知るなら、それを認めざるを得ないからです。<br />
得ないでしょう。こちらの天罰を知るならです。こちらで起きてくる天罰は私に嫌がらせをしてくる人に次々にくだっているのです。（親にまで）こんなことを人が起こせるはずもなく、では天が起こしている以外ないではないですか。<br />
天以外でこんなことを出来る存在などないからです。何度でもいいますが、もし人が出来るというのなら、こちらで起きていることと同じことをしてみてください。そのようにいう人がです。しかし、そんなことが出来る人など誰もいないのです。そうして、そういうことが唯一出来ている私がいっているのです。<br />
「こういうことは人ではなく天が起こしている」とです。<br />
つまり昔の人たちの考え方が正しいと、そういうことが起きている私がいっているのですから、それを認めるしかないのではないでしょうか。現代の人たちはです。<br />
現代の人たちで私と同じことが出来る人など一人もいないからです。出来ないのであれば認めるしかないからです。私のいっていることをです。<br />
どれだけ自分たちの考えが間違っていたと証明されたら（より多くの災いが起きてくることによりです）自分たちの考えの間違いを認めるのですか、現代の多くの人たちはです。<br />
しかし、そのような（傲慢な）心を悔い改めない限り、天の怒りがおさまることはないのです。つまり今のままの心の人が多いなら災いが収まることはないということです。<br />
謙虚に悔い改めてください。自分の考えをです。そうして天の怒りを認め頭を下げてください。天に対してです。そうすれば、起きている災いは止まってくるからです。<br />
昔の人たちの考えが正しかったのです。もうそれをはっきり認め昔の人たちと同じ考えを持ちましょう。現代の多くの人たちも神に対してはです。<br />
そうすれば必ず神の怒りは解け起きている災いも止まるからです。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>gtskokor より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814&#038;cpage=1#comment-4410</link>
		<dc:creator>gtskokor</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 24 Apr 2022 01:44:51 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814#comment-4410</guid>
		<description>その通りですね。仕事でもなんでもそうですが、自分が考えているほどそのしていることは浅いものではありません。そのしていることを通して、自分の心を磨いていくのであり、そのことを通して私たちは成長していくのです。
心磨きと成長が一緒に出来ることが、そんなに単純なはずもなく、そういう身近なことに感謝出来ないからいいことも起きてこない（成長も出来ない）のです。もう心の成長が出来ていかない人にボンボン天罰が降りています。（そういう時代になりました）自分のしていることがうまくいっているということは心が成長出来ている何よりの証拠です。その調子で頑張ってください。
それに比べてこちらなど、いいことが起きてこない人たちが（全然心が成長しない、というか退化している人たちが）どんどん増えているようです。怒っている人たちがどんどん増えていることでそれがよく分かるからです。本当に情けない話です。ウナッシーさんとはずいぶんというか正反対であるからです。
最近は会社や工事現場、運転手連中だけではなくです。私が一度も入ったことがない店とか（飲食店など）でも前を歩いていくとガチャーンとかやってくるところがありますからね。
いきなりそんなことされると「おいおい、お前んとこなど入ったこともないだろう」と怒鳴りたくもなりますが（あんまりうるさくされると文句…じゃなくて辻説法しますけどね。その店の前でです。〔苦笑〕）しかし、そこで何が起きているのか知りませんが、そこで何が起きていても私には関係ありませんし（まさか何か悪いことが起きたからと、それを私のせいにしているんではないでしょうね。〔汗〕自分のそのようなひどい性格を〔すぐに責任転嫁する〕棚に上げてです。そんな心では残念ではありますが悪いことは起きてきます。自分の心が悪いからです）またその店の人が私のブログなど読んでいて私のことを知っているのならです。ガチャーンではなくて店から出てきて頭を下げて感謝して布施するべきでしょう。
それが神理を知らされている人の当然の取るべき正しい態度であるからです。
しかし、そんな態度を取る人など一人としていません。私の顔を見ると急にむっとしたり顔を引きつらせたりして逃げていくか、嫌がらせをしていくかのどちらかの人たちが多く、また最近は、そのような態度が一段と悪い人も増えてきたようです。
一週間ほど前にも歩いていてすれ違いざまに嫌がらせを自分からしてきたくせに、私が少し何かいうといきなりガーガー文句いってきた爺さんがいましたし、昨日は昨日でです。
ある家の前を通ると婆さんがこちらをチラチラ見ていました。それで何を見ているんだろうと、そちらを見ていたら「ジロジロ見るな」みたいなことをこちらに向かっていってきてまたこの婆さんもガーガー文句をいっています。
ほんと哀れですね。このような人たちはです。この後いいことが起きてくるわけがないのにです。（しっかり祈っておきますから。こういう人たちはあまりに哀れ〔自分勝手〕であるからです）それどころか、このような人たちは死んだ後まで苦しむことになるのです。深い地獄でです。
これは本当の話なのです。そんな本当の神の教えに出会っているのに感謝もせず、怒りまくって、その神理を説いている者に対して嫌がらせなどしようものなら、その人はそれはそれは深い地獄に堕ちていかなければいけなくなるのです。それだけお門違いで傲慢な態度もないからです。
自分の心は救ってもらっているのに、その恩を恩とも思わず、嫌がらせで返しているなど、鬼畜にも劣る行いであるからです。
そういう態度を取っていていいことが起きてくるわけがない。だから悪いことばかりがそこらじゅうで起きてくる。神理に対する間違った態度ほど重い罪もないからです。
そんな重い罪を背負うだけ背負えばです。いいことなど起きてくるわけがないのです。だから次々に悪いことが起きてくるところもあるのです。それだけ重い罪をどんどん重ねているからです。
だからもういつまでも間違ったことばかりするのではなくです。（本当に恐ろしいことをし続けているのですから。そのような人たちはです。それだけ重い罪を重ねているということはそれだけ恐ろしいことであるからです）せっかくこの神理とこの世で巡り合ったのです。これほど稀有な出会いもなく、これほど幸運なことはないのです。（この世でこれ以上の幸運はありませんから。神理に巡り合うほどのです）
その幸運を自ら手放しているから、それほどの不幸も起きてくるのです。最高の幸運が目の前にあるのに、それを受け取らずに手放してしまっては今度は最悪の不幸がくるのは必然であるからです。悪因悪果の最たるものであるからです。そのような行いはです。
しかし、もういい加減分かりませんか。ウナッシーさんのコメントなど見ていてもです。（私が書いているコメントはもちろんですが）この神理を実践することほど楽しいことはないとです。
それは楽しいでしょう。自分のやっていることがどんどんよくなっていき、周りともうまくやれていくのです。これだけ楽しい話もありません。自分のしていることがどんどんうまくいって周りも喜んでくれるなら、これだけよい話もないからです。
そういう楽しいことが神理を行ずるということなのです。神理を行うことは苦ではないのです。楽なのです。そこを何か勘違いしている人も多いのではないでしょうか。神理を行うことは非常に苦しいことであるとか何とかです。
しかし、それは違うのです。神理を行うくらい楽しく幸福なことはないのです。本当の神の心を行うことが神の子の人間である私たちにとって苦のわけがないからです。本当の神の心を神の子である人間が実践するなら、これ以上の喜びはないからです。
その喜びをわざわざ避けているから、塗炭（とたん）の苦しみが生じるのです。
だから逆なのです。その苦しみは神理を行わないから生じているものであり、神理を行うなら、その苦しみはなくなるのです。なくなるどころか、至上の喜びを得られるのです。神理を行うことによりです。
神理を行う楽しさと神理を行わない苦しさはウナッシーさんのコメントや私のコメントを見れば一目瞭然です。
これだけ分かりやすく神理を行っている人には楽しみが、そうして行わない人には苦しみが生じているのです。行わないという選択はないのではないでしょうか。それを無理やり行わないからそれほどの苦しみも生じてくるのです。自分の心とは裏腹なことをし続けているからです。このブログを見ている多くの人たちがです。（自分の心は知っていますから。この神理の楽しさ大事さはです）
自分の心に素直になり、一度神理を行ってみませんか。その楽しさは嫌でも分かってくるからです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>その通りですね。仕事でもなんでもそうですが、自分が考えているほどそのしていることは浅いものではありません。そのしていることを通して、自分の心を磨いていくのであり、そのことを通して私たちは成長していくのです。<br />
心磨きと成長が一緒に出来ることが、そんなに単純なはずもなく、そういう身近なことに感謝出来ないからいいことも起きてこない（成長も出来ない）のです。もう心の成長が出来ていかない人にボンボン天罰が降りています。（そういう時代になりました）自分のしていることがうまくいっているということは心が成長出来ている何よりの証拠です。その調子で頑張ってください。<br />
それに比べてこちらなど、いいことが起きてこない人たちが（全然心が成長しない、というか退化している人たちが）どんどん増えているようです。怒っている人たちがどんどん増えていることでそれがよく分かるからです。本当に情けない話です。ウナッシーさんとはずいぶんというか正反対であるからです。<br />
最近は会社や工事現場、運転手連中だけではなくです。私が一度も入ったことがない店とか（飲食店など）でも前を歩いていくとガチャーンとかやってくるところがありますからね。<br />
いきなりそんなことされると「おいおい、お前んとこなど入ったこともないだろう」と怒鳴りたくもなりますが（あんまりうるさくされると文句…じゃなくて辻説法しますけどね。その店の前でです。〔苦笑〕）しかし、そこで何が起きているのか知りませんが、そこで何が起きていても私には関係ありませんし（まさか何か悪いことが起きたからと、それを私のせいにしているんではないでしょうね。〔汗〕自分のそのようなひどい性格を〔すぐに責任転嫁する〕棚に上げてです。そんな心では残念ではありますが悪いことは起きてきます。自分の心が悪いからです）またその店の人が私のブログなど読んでいて私のことを知っているのならです。ガチャーンではなくて店から出てきて頭を下げて感謝して布施するべきでしょう。<br />
それが神理を知らされている人の当然の取るべき正しい態度であるからです。<br />
しかし、そんな態度を取る人など一人としていません。私の顔を見ると急にむっとしたり顔を引きつらせたりして逃げていくか、嫌がらせをしていくかのどちらかの人たちが多く、また最近は、そのような態度が一段と悪い人も増えてきたようです。<br />
一週間ほど前にも歩いていてすれ違いざまに嫌がらせを自分からしてきたくせに、私が少し何かいうといきなりガーガー文句いってきた爺さんがいましたし、昨日は昨日でです。<br />
ある家の前を通ると婆さんがこちらをチラチラ見ていました。それで何を見ているんだろうと、そちらを見ていたら「ジロジロ見るな」みたいなことをこちらに向かっていってきてまたこの婆さんもガーガー文句をいっています。<br />
ほんと哀れですね。このような人たちはです。この後いいことが起きてくるわけがないのにです。（しっかり祈っておきますから。こういう人たちはあまりに哀れ〔自分勝手〕であるからです）それどころか、このような人たちは死んだ後まで苦しむことになるのです。深い地獄でです。<br />
これは本当の話なのです。そんな本当の神の教えに出会っているのに感謝もせず、怒りまくって、その神理を説いている者に対して嫌がらせなどしようものなら、その人はそれはそれは深い地獄に堕ちていかなければいけなくなるのです。それだけお門違いで傲慢な態度もないからです。<br />
自分の心は救ってもらっているのに、その恩を恩とも思わず、嫌がらせで返しているなど、鬼畜にも劣る行いであるからです。<br />
そういう態度を取っていていいことが起きてくるわけがない。だから悪いことばかりがそこらじゅうで起きてくる。神理に対する間違った態度ほど重い罪もないからです。<br />
そんな重い罪を背負うだけ背負えばです。いいことなど起きてくるわけがないのです。だから次々に悪いことが起きてくるところもあるのです。それだけ重い罪をどんどん重ねているからです。<br />
だからもういつまでも間違ったことばかりするのではなくです。（本当に恐ろしいことをし続けているのですから。そのような人たちはです。それだけ重い罪を重ねているということはそれだけ恐ろしいことであるからです）せっかくこの神理とこの世で巡り合ったのです。これほど稀有な出会いもなく、これほど幸運なことはないのです。（この世でこれ以上の幸運はありませんから。神理に巡り合うほどのです）<br />
その幸運を自ら手放しているから、それほどの不幸も起きてくるのです。最高の幸運が目の前にあるのに、それを受け取らずに手放してしまっては今度は最悪の不幸がくるのは必然であるからです。悪因悪果の最たるものであるからです。そのような行いはです。<br />
しかし、もういい加減分かりませんか。ウナッシーさんのコメントなど見ていてもです。（私が書いているコメントはもちろんですが）この神理を実践することほど楽しいことはないとです。<br />
それは楽しいでしょう。自分のやっていることがどんどんよくなっていき、周りともうまくやれていくのです。これだけ楽しい話もありません。自分のしていることがどんどんうまくいって周りも喜んでくれるなら、これだけよい話もないからです。<br />
そういう楽しいことが神理を行ずるということなのです。神理を行うことは苦ではないのです。楽なのです。そこを何か勘違いしている人も多いのではないでしょうか。神理を行うことは非常に苦しいことであるとか何とかです。<br />
しかし、それは違うのです。神理を行うくらい楽しく幸福なことはないのです。本当の神の心を行うことが神の子の人間である私たちにとって苦のわけがないからです。本当の神の心を神の子である人間が実践するなら、これ以上の喜びはないからです。<br />
その喜びをわざわざ避けているから、塗炭（とたん）の苦しみが生じるのです。<br />
だから逆なのです。その苦しみは神理を行わないから生じているものであり、神理を行うなら、その苦しみはなくなるのです。なくなるどころか、至上の喜びを得られるのです。神理を行うことによりです。<br />
神理を行う楽しさと神理を行わない苦しさはウナッシーさんのコメントや私のコメントを見れば一目瞭然です。<br />
これだけ分かりやすく神理を行っている人には楽しみが、そうして行わない人には苦しみが生じているのです。行わないという選択はないのではないでしょうか。それを無理やり行わないからそれほどの苦しみも生じてくるのです。自分の心とは裏腹なことをし続けているからです。このブログを見ている多くの人たちがです。（自分の心は知っていますから。この神理の楽しさ大事さはです）<br />
自分の心に素直になり、一度神理を行ってみませんか。その楽しさは嫌でも分かってくるからです。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>うなッシー より</title>
		<link>http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814&#038;cpage=1#comment-4409</link>
		<dc:creator>うなッシー</dc:creator>
		<pubDate>Sat, 23 Apr 2022 16:14:56 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=50814#comment-4409</guid>
		<description>こんばんは。昨日の仕事中に思いついたことがあるので書きます。
それは仕事に対する感謝の心のあり方です。私は最近になって仕事のミスが大幅に減ってきているのです。そのことがずっと心に引っ掛かり、何故私は仕事ができるようになったのだろう、ミスが減ってきたのだろうと自分に問いかけてきていました。それが分かったのです。それは、それまで仕事を手順通りにやってきていたのですが、その手順に対してどのようにやったら完成度を高めて良い仕事ができるのか考えていることが、ミスを減らして結果的に良い結果を生み出していることになり、それは自分の作業が生かされてきているという結論になりました。ここが実は感謝のポイントであって、自分の与えられた仕事を通して、その仕事を生かすことができた、その機会を与えて下さった事に感謝することが正しい感謝なのではないかと思いました。盲目的に、仕事があることに感謝、仕事を与られている事に感謝。それだけでは良い仕事、つまり生かせる仕事が出来るはずもないです。ましてや上司や先輩に自分の仕事にケチを付けられたと思っているようでは良い仕事が出来るわけないと思いました、単に神に感謝せよ、と言われる事の奥深さを教えられました。でも、実はここからが本当の始まりになるのでしょうね。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>こんばんは。昨日の仕事中に思いついたことがあるので書きます。<br />
それは仕事に対する感謝の心のあり方です。私は最近になって仕事のミスが大幅に減ってきているのです。そのことがずっと心に引っ掛かり、何故私は仕事ができるようになったのだろう、ミスが減ってきたのだろうと自分に問いかけてきていました。それが分かったのです。それは、それまで仕事を手順通りにやってきていたのですが、その手順に対してどのようにやったら完成度を高めて良い仕事ができるのか考えていることが、ミスを減らして結果的に良い結果を生み出していることになり、それは自分の作業が生かされてきているという結論になりました。ここが実は感謝のポイントであって、自分の与えられた仕事を通して、その仕事を生かすことができた、その機会を与えて下さった事に感謝することが正しい感謝なのではないかと思いました。盲目的に、仕事があることに感謝、仕事を与られている事に感謝。それだけでは良い仕事、つまり生かせる仕事が出来るはずもないです。ましてや上司や先輩に自分の仕事にケチを付けられたと思っているようでは良い仕事が出来るわけないと思いました、単に神に感謝せよ、と言われる事の奥深さを教えられました。でも、実はここからが本当の始まりになるのでしょうね。</p>
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