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2010年11月

11月 29 2010

園頭広周師⑳

高橋先生が昇天されると、ある幹部が高橋先生の後継者は娘の桂子氏であると高橋先生は言われていた、ということを言い出します。

しかし、そんな話はGLAの他の幹部の誰も聞いたことがなく、その話はその幹部が高橋先生亡き後の、GLAの混乱を避けるためについたウソであったとすぐばれます。

高橋先生が、自分の後継者は誰とはっきり言われなかったため(もちろんそれには理由があり、高橋先生の性格を知っていれば、弟子たちはそれが誰であったかは理解できたはずなのに、高橋先生が後継者を誰にしたかったのか、ということを分かっていたのは園頭先生が一人でした)、園頭先生はじめGLAの幹部たちは、娘の桂子氏を中心に幹部たちの合議制で今後はGLAを続け、法を世の人々に伝えていこう、と決められGLAを続けていくことになったのですが……結局この後のGLAは、娘の桂子氏が勝手なことをやりだして大混乱を起こし、多くの人がGLAを離れていくことになります。(その後のGLAは混乱を避けるため、高橋先生の後継者は娘の桂子氏であったとデッチ上げます)

園頭先生は何度も「それではいけない」と苦言を呈しますが、一度も園頭先生の意見は聞き入れられることはなく、園頭先生も「このままでは高橋先生が説かれた法が消えてしまう」と思われGLAとは別に自ら会を立ち上げられることになります。

それが正法会(後に「国際正法協会」と改称)でした。

「高橋先生の教えを正しく継ぐ」と宣言されて、正法会を立ち上げられた園頭先生はそれから多くの人たちに法を伝え、奇跡を起こしていくことになったのです。

……。

終わり方が少し中途半端なのですが、園頭広周師はこれで一応の区切りといたします。

というのも園頭先生がGLAに入られそこであったこと、正法会を立ち上げそこであったことを、もっと詳しく書いておきたいのですが、現在の私は一人でこれを書いております。すると当然、GLA内や正法会内で起きたいろいろな事件を、あまりはっきり書いてほしくない人たちも周りに一杯おります。

そのような連中がどういう邪魔をしてくるか分からないからです。私が一人でやっていて私だけが邪魔をされ迷惑をこうむっても、それは承知でやっているのですから一向にかまいませんが、現在の私は文無しで両親の世話になっている状態です。

私が迷惑をこうむっても仕方がありませんが、両親にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないのです。

したがって現時点ではあまり事実をはっきり書くことはできません。できませんが、高橋先生が説かれた法(神理)がどのような形で園頭先生が継がれ、園頭先生が倒れられると同時にその法がなくなっていったのか、ということは、その当事者でもある私たちの誰かが世に伝えておかなければならないと思っております。

高橋先生が亡くなられた後、GLAが大混乱を起こし高橋先生の説かれた法が消えかかりました。その時、その法灯を守られたのは園頭先生でした。しかし、園頭先生お一人ではいかんともしがたく、その法灯が大きく燃え上がるまでには至りませんでした。多くの如来の弟子たちが、如来の教えを世に伝えようとせず、否定してしまったからです。

それは考えられないことでした。

釈尊の弟子たちが釈尊の教えを世に伝えずに否定してしまう、ということがありえるでしょうか?キリストの弟子たちがキリストは偽者であったと吹聴し、キリストの教えを世に伝えなかったということがありえるでしょうか?(二~三の弟子たちはそのような弟子もいたでしょうが、今回はほとんどの直弟子たちが高橋先生の教えを否定してしまったのです)

本物の如来がこの世に現れたときは、その如来の弟子たちも如来の言葉を、多くの迷える人々に伝えていきます。その弟子たちの功績により、如来の教えは世界中に拡がっていくことになります(モーゼのユダヤ教しかり、釈尊の仏教しかり、キリストのキリスト教しかりです)。

しかし、あろうことか今回の日本で、本物の如来の教えをその弟子たちが否定してしまう、というありえないことが起きてしまったのです。そのため世界中に拡がらなければならなかった高橋先生(釈尊)の法(神理)が、まったく伝わらない、という異常事態が生じてしまいました。そればかりか高橋先生の名を利用した偽者が、ここかしこに現れどれが正しい教えなのか分からず、迷える人々を数多く出してしまったのです。(昨今の世の中の混迷を見れば、それはよく分かります)

このようなことは、さすがに天も考えていなかったのでしょう、世界の宗教史上でもありえないことが、この日本で起きてしまったがため、天は今までにありえなかった、史上空前にして(おそらく)絶後であろうという、ある“大奇跡”を起こすことになります。

今までに考えられないような、如来の弟子たちが如来の教えを否定する、ということが今回の日本で起きてしまったがため、天が、今まででは考えられないような大奇跡を、この日本で起こすことになったのです。

そのようなことも含め、これからは大事なことの要点だけを分かりやすく書いていきたいと思っております。

いくら一人でやっているとはいえ、書くべきことは書き残していかなければならない、と思っておりますので、興味のある方は読んでみてください。

そしてこの後、私のことを支援してくださる方が現れれば、高橋先生と園頭先生のことを正しくしっかりと書き残しておきたいと思っています。もし私にそのことを正しく書き残していく使命があるならば、また支援する方も現れるでしょうし、法を多くの人に伝える順序も与えられるでしょう。

それをするのもしないのも天が決められることです。すべては天が導いてくださり、その道を私は進んでいくだけです。

「人事を尽くして天命を待つ」この心で、これからも精進していきたいと思っています。

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11月 26 2010

園頭広周師⑲

園頭先生は西日本本部長という肩書きは貰いましたが、あまり新入りがでしゃばってもいけないと思われ、また生来の遠慮深い性格もあって、GLAの先輩講師のやることには口を出しませんでした。

GLAの講師たちは園頭先生より年下の人が多く、また今生の体験でも園頭先生ほど多くの人を指導し、奇跡を起こされている人はいませんでした。今生でも過去世でも、園頭先生ほどの実力も実績もない人たちばかりなのに、園頭先生に指導を仰ぎにきた人は、講師の中では一人もいなかったのです。

園頭先生の眼から見れば、GLAの講師たちの会員たちへの指導は、なんと幼稚なものと思われていたでしょうが、だからといって園頭先生がでしゃばり「この人への指導はこうしたほうがいい」ということはされませんでした。しかし、高橋先生も同じ気持ちであったのでしょう、だからこそ園頭先生には期待をし、いろいろ相談もされていられたのだと思います。

しかし、園頭先生は自分から積極的に動こうとはされませんでした(シャリー・プトラーの時はそうではなかったのですが)。そのことが後の悲劇へと繋がっていくことになったのです。

園頭先生は、高橋先生が講演会や研修会をしていられる時、それにお供としてついていかれても、できるだけ先輩講師に花を持たせ、自分は遠慮していることが多かったのでした。

しかし、高橋先生は園頭先生がそれでは困る、という思いを常に持っていられました。(それはある研修会で園頭先生の態度を、高橋先生が非常にきつい言葉で、注意されたことでもその事実が分かります)

「あなたが未熟な講師たちを指導しなければ一体誰がそれをするのか、私ばかりに頼られていては困る、私はもうそれほど長くこの世にいるわけではないのだから」

キリストであるならば、はっきり園頭先生にそういわれたでしょう、しかし、高橋先生はそのようなことをいわれる方ではありませんでした。自分でそのことに気づくのをジッと待っていられる方であったのです。しかし、釈尊の時はそれでもよかったのですが(釈尊は四十五年の間この世で法を説いていられましたので)、今生は時間がありませんでした。(高橋先生は昭和四十三年に大悟され、それから多くの人に法を説き始め昭和五十一年に昇天されましたので、実際は七~八年しか法を説いていられません)

それでも高橋先生は園頭先生を頼りにされていました。

「インドで四十五年間かかって説いたことを、今度は七年間で説いてしまいました。今日は何を話しましょうかね」

昭和五十一年(この年の六月に高橋先生は昇天されます)ころになると、高橋先生は園頭先生に度々そのようなことを言われて講演をされていました。このころには多くの人がGLAに集まり、高橋先生の講演会も聴きに来る人が数千人を超え、会場は人であふれ入りきらない人は、会場のロビーのテレビで、高橋先生の講演を聴いているという状態でした。

GLAに法を聴きに来る人はどんどん増えているのに、講師たちが進歩していない、高橋先生はそのことを憂いているようでした。

この年の四月、関西で高橋先生の講演会があったのですが、その講演の前にある幹部の人にポツリと高橋先生が「私の説いたことを一から十まで全部分かっているのは、園頭さんが一人だ」と言われました。

この言葉には重大な意味があったのですが、その幹部はそれほど深くこの言葉の意味を考えず、そのことを園頭先生に伝えました。

園頭先生は照れ隠しに「いやみんな分かっていますよ」と言われましたが、内心では「やはり高橋先生は分かっていて下さった。自分のことを知っていてくださった」と思われたのですが……それから二ヵ月後高橋先生は昇天されることになります。

この時の高橋先生の言葉の意味を、GLAの幹部たちが理解できなかったため、高橋先生が昇天された後のGLAは、大混乱をきたすことになったのです。

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11月 24 2010

園頭広周師⑱

 園頭先生が霊道を開かれ、高橋先生がお釈迦様であったと分かられた時の、驚きと懐かしさは大変なものでした。よく生き別れた親子が、その居場所が分かって久しぶりに再開すると、涙、涙で言葉が出ないという光景をテレビで観たことがありますが、この時の縁生の師との再会はそれ以上の感動がありました。

園頭先生の過去世は釈尊の右腕といわれ、釈尊の教えがインドから中国に伝わった時には“智慧第一”と称され、釈尊の十大弟子と呼ばれる弟子の中でも筆頭といわれた、シャリー・プトラーであったことがこの時分かられたのでした。

園頭先生がヘイマカという人を、自分の侍従であった人だ、と答えるのをためらわれた理由は、現在の日本で侍従と呼ぶべき人を身近に持っているのは、天皇陛下だけです。自分の前世がそれほど高貴な身分(シャリー・プトラーはインドの最高位であるバラモンの家庭に生まれました。ですのでそのように呼ばれる人もついていたわけです)に生まれていたのなら、今生どうしてもっと高貴な身分に生まれなかったのか疑問に思われたからです。しかし、過去世は過去世であり今生は今生です。過去に金持ちに生まれたからといって今生も金持ちに生まれるとは限りません。それは高橋先生でも園頭先生でも私たちでも同じです。自分にとってもっとも悟りやすい環境を自分で選んで、この世に出てくるのです。そうしてその環境の中で魂を磨いていくのです。お金があるなしはあまり関係がない、というのはこのような理由からです。(金を儲けるのが大事なのではなく魂を磨くことが大事なのですから)

「ブッダ、ブッダ…」園頭先生は高橋先生の前にひれ伏して泣いていました。その時、突然空中から金粉が降り出しました。すると高橋先生の顔も金色に輝きだし、高橋先生が園頭先生にかざしていられる手も金色に輝いて、高橋先生と園頭先生の周りに、多くの金が降ってきてお二人の周りが金色に輝きだしました。それを周りにいる多くの人が目撃したのです。

この時、園頭先生はなぜお釈迦様の像を金箔で荘厳(しょうごん)するのか、ということの意味が分かられたのでした。

それは、インドでお釈迦様が説法をしていられると、空中から金粉が降ってきてお釈迦様の顔や手が金色に輝きました。それを現したのが、あちこちで見かける金箔で荘厳しているお釈迦様の像だったのです。その事実が現実に目の前で起きたのでした。

本物の如来がこの世に肉体を持たれると、その証明として天はこのような奇跡を度々現します。よく霊能者といわれる人が不思議なことをすると、たまに金粉が現れることがありますが、あの金粉は少し時間がたつと、すぐ色あせてきてしまって本物の金ではないと分かります。(なにせ地獄霊が無理やりそのようなものを現しているからです)しかし、本物の金が降ってきた時は、その金は時間がたっても色あせることなく金のままです。

高橋先生の場合は普通の講演をしていられる時でも、講演中に度々金粉が降ってきて、顔や手が金色に輝きました。高橋先生はその降ってきた金を集められて、自分のネクタイピンを作られていたぐらいですから、本物の金と言わざるをえないでしょう。

このような衝撃的な出来事があった後、園頭先生はGLAに入会されます。

園頭先生は過去世の実績と今生での実績で(生長の家での本部講師の実績など)、GLA入会後すぐ西日本本部長に抜擢されました。

園頭先生はこの時「よし、もう一度やり直しだ、これからは高橋先生の下、心を入れ替えて頑張ろう」と思っていられたのですが、まもなくGLA内の現実を知ることになりました。

高橋先生は園頭先生が高橋先生の下に来られてから、なにかと園頭先生に相談されるようになりますが、そのうちにGLAの講師たちのことについて悩まれているようなことを、度々口にされるようになります。

高橋先生ほどの神通力を持たれた方でも、悩まれることがあるのだろうか、と園頭先生は不思議に思われますが、高橋先生は園頭先生に「僕はこんなつもりでGLAをつくったのではなかった」「GLAの講師たちは僕の後を、金魚の糞のようにくっついて歩くだけでちっとも勉強しない」「こんなGLAなら潰した方がいい」ということを話されるようになります。

高橋先生が園頭先生にこのようなことを話されたのは、高橋先生はご自身のこの世での寿命をすでに知っていられました。

そして園頭先生に対し「あなただけでもしっかりしていてくださいよ」という思いと「あなたが私の後継者なのだから後のことはしっかりお願いしますよ」という思いもあったと思われますが、園頭先生は高橋先生のご存命中、高橋先生の期待に沿うことをされませんでした。それは、やはりご自身が私生子という体験をされ、必要以上に遠慮深くなっていられた性格があったと思われます。

園頭先生もGLAに入会されてから、おかしな違和感を感じていました。高橋先生ほどの偉大な方が主宰していられる会なのだから、さぞ講師の方々も立派な人たちなのだろう(生長の家では講師間でも、妬み、ひがみ、足の引っ張り合いが横行していて、これでも宗教団体の講師なのだろうか、と思われることを園頭先生はたくさんされ、また見られてもきていましたので)と思っていられたのでしたが、何かGLAの講師たちも園頭先生にはよそよそしく、ある講師などは「あなたは西日本本部長なのだから九州のことだけしてくだされば結構です」という言い方もされ、新入りはでしゃばるな、という態度がいたるところで見られたからです。

中には「西日本のことだけではなく、これからいろいろ教えてください」といわれる講師もいられたのですが、その講師が園頭先生のところに何か聴きに来たことは一度もありませんでした。

高橋先生と他のGLAの講師たちの意識の差があまりにも大きく、園頭先生はそのことに大きな不安を感じていられました。

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11月 22 2010

園頭広周師⑰

同じく園頭広周先生著「現代の釈尊 高橋信次師とともに」より抜粋します。

<言葉にならない声だけを出すのは少し恥ずかしいという気持ちはあったが、いわれるままに口を開いて「あー」という声を出した。そのとたんに私の口からこれまで習ったこともない言葉が次から次へと飛び出してきた。その言葉の意味はわからない。だが、高橋先生がなにかをいわれるとそのたびに、言葉よりも先に涙がふき出してなつかしさに胸が一ぱいになり、そうしてつぎに言葉が出る。そうしている私を冷静に見つめているもう一人の自分がいる。「これは催眠術にかけられているのではないか」「暗示に引っかかったのではなかろうか」と、目覚めた私の理性は客観的に自分を見ている。

最初わからなかった言葉の意味が次第にわかるようになってきた。それに対していっている自分の言葉の意味もわかってくる。「あなたはこういう人を知っているはずです」「ハイ、その人はよく知っています」この世では習ったこともない言葉が自然と口をついて出て、そのたびにたとえようもないなつかしさに涙が溢れ出るのであった。

「肉体を持っている人よ、今度は日本語で答えなさい。あなたはヘイマカという人を知っているはずです。その人はあなたと過去世でどういう関係にあった人であるか、日本語で答えなさい」

「ヘイマカ」という人が日本人であるはずがない。どこの国の人でどういう関係にあったのかといっても、私はそれまで海外に出たこともないし、また海外に知人がいたわけでもない。日本語で答えようとして頭の中の記憶を探(さぐ)ってみても少しも思い浮かんでこない。自分でもう一人の自分に向かって、腹の底の方に問いかけるような気持ちで、頭脳の動きを停止して、「この人はどういう関係にあった人ですか」と問いかけた。

一つの答えが腹の底から胸の方へぽっかり浮かんできた。しかし、私はその言葉を即座に否定した。そうしてもう一度問いかけてみた。また、同じ言葉が浮かんでくる。浮かんできた言葉に代わる言葉を頭の中で探したが、それ以外の言葉が出てこない。私の前に坐っておられる高橋先生は、そうした私の心の中の動きをすべて知っておられたのである。「今、思い浮かんできた言葉をそのまま口にしなさい」

畏(おそ)れ多い、と思いながら、「その人は私の侍従(じじゅう)をしていた人です」といった。

「ウパテッサよ」といわれたとたんに、私は高橋先生に向かって「ブッダ」と叫んでいた。あのなつかしさ、さのなつかしさ、このなつかしさに涙がとめどもなく流れてくる。その私の眼にはっきり見えるのは、「お釈迦さま」であった。「ブッダ…、ブッダ…」。そう呼びながら、私はひれ伏していた。

「そなたは二千五百年ぶりの約束をよく果たしてくれました。今生でも、あのインドの時と同じように正しい法を伝えていきましょう。今生でこうして会えてうれしいです」

その声はまことに厳(おごそ)かであった。>

この昭和四十八年当時「ウパテッサ」(シャリー・プトラーの幼名)という人物が誰であるか、などということを知っている人はほとんどいませんでした。(一部の仏教学者くらいのものだったでしょう)

それが高橋先生の口から(高橋先生は高電工業というコンピューター会社を経営していられ、講演ではいつも『私は仏教やキリスト教など学んだことがありません。ただの電気屋のオヤジです』と言っていられました)「ウパテッサ」という固有の名が自然に出てきて、古代語である当時のインドの言葉で話していられるということは、非常に真実性がありリアリティーがあります。

このような箇所を見ても高橋先生の観自在力(すべてのものを見通す力)が、本物である証拠といえますが、高橋先生はこのような方法で多くの人が見守る講演会場でも、多くの人の過去世の記憶を紐解かせました。これはイエス・キリストがこの世に現れ、その弟子たちに起きた現象(使徒言行録に書かれてあるところです)と同じことが、この日本で起きたのです。

それは実に、イエス・キリストがこの世に現れて以来二千有余年、光の大指導霊と呼ばれる方が、この世に出世された時だけに起きる奇跡の現象だったのです。

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11月 19 2010

園頭広周師⑯

昭和四十八年三月、園頭先生は高橋先生と今生初めてお会いされます。その時園頭先生は、高橋先生こそ自分が捜し求めていた師であることを直観されます。

昭和四十八年四月大阪で高橋先生の講演会が行われました。

園頭広周先生著「現代の釈尊 高橋信次師とともに」より抜粋します。

<私が「生長の家」をやめた時、「先生がやめられるほどの『生長の家』ならわたしたちもやめます」といって私と一緒にやめた人の一人に手紙を出して、四月の大阪における高橋先生の講演会を聴きにくるよう誘った。

講演が終わると「園頭さん、宮崎から来られたあの人たちも一緒に生駒(いこま)の三鶴山荘(みつるさんそう)に今夜泊まってください。僕はまだ個人指導があるのであなたたちは先に行ってゆっくりしていてください」といわれたので先に行って待っていた。>

園頭先生はこの日、いよいよ自分が過去世で誰であったのかを知ることになりました。

同じく園頭広周先生著「現代の釈尊 高橋信次師とともに」より抜粋します。

<その夜宿泊を共にしたのは、私と、宮崎から来られた人と、当時のGLA関西本部の本部長以下各理事たちであった。浴衣にくつろいで夕食が終わった。これから教えを受けるのであるから服に着替えようと思っていたら、「園頭さん、ちょっと精神統一をしてみてください」といわれた。私は身長一七五センチ、体重八三キロある。宿の浴衣は私には短かった。正座すると前が合わなくて足がはだけて見える。膝頭(ひざがしら)を合わせて前がはだけないようにして坐ろうとしたら、私の膝を軽く叩いて、「あ、そういう窮屈(きゅうくつ)な姿勢をしてはいけません。正座をすると足が痺(しび)れるでしょう。そうすると足の方に心がとらわれて心は統一できないでしょう。身体が統一するんじゃないんです。心が統一すればいいのです。心を統一させるには、心が身体の方に気をとられないように身体はラクにする方がいいのです。坐禅などのように結跏趺坐(けっかふざ)する必要はないのです。インドの時はあのような姿勢はしなかったのです。ラクにしなさい、胡坐(あぐら)を掻(か)きなさい。胡坐でいいのです」といわれた。

精神統一といえば、日本人は誰しもが正座してするものと思っている。まして「生長の家」では「神想観(しんそうかん)」という観行(かんぎょう)をするのは正座であって、二十年以上も毎日正座して神想観をしてきていた習性があるので、「胡坐をかきなさい」といわれた時はいくら高橋先生の言葉といえども、「これでいいのかな」と少々とまどった。とにかくいわれるままに胡坐して統一に入った。心が統一してくると、もう一人の自分が肉体から抜け出して自分の上にいる。見ている自分と見られている自分がいる。禅宗の坊さんでもそういう境地に入る人はそう多くないといわれているが、私は「宇宙即我」の体験をしてから、精神統一をすると、すぐそういう境地に入ることができる。だから私にとっては別に坐禅の道場に行って習う必要はなかった。

心が統一して澄み切ってくると、高橋先生はどこの国の言葉であるかわからないが、私に向かって話しかけられた。右の手を私の頭上にかざしておられるのがよくわかる。

「一体どこの国の言葉だろうか、どんな意味なのだろうか」といぶかった。そう思っていながら腹の底から今までとは違った思いと感情がこみあげてくる。まことに不思議である。わからないながら聞いているうちに、だんだんわかるような気がしてくる。それにいいようのない、なつかしさがこみ上げてくる。腹の底からこみ上げてくる感情が胸のあたりにふくらんできた。高橋先生のわからない言葉はつづいている。

突然、日本の言葉で、「肉体を持っている人よ、今、腹の底からこみあげてきたその思いをそのまま言葉にしなさい」といわれる。

高橋先生は私の心の動きのすべてをすでに知っておられるのであった。ここまで心の動きのすべてを知られては、この方の前には絶対にウソはつけないと思った。人の心の動きがすべてわかるという教祖は、今の日本にはいない。

言葉にせよといわれても、どういう言葉にすればよいのかわからない。この胸の中にふくらんで、尚後からこみあげてくるこの思いをどう言葉に表現すればいいのだろうか、と思っていると、再び「肉体を持っている人よ、声を出しなさい」といわれた。私はこれまで「肉体を持っている人よ」という呼び掛けで始まるこのような権威のある言葉を聞いたことがなかった。そうして、また、今の日本の教祖で、誰がこのような権威ある言葉を吐ける人があるだろうかと思った。>

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