3月 08 2011
宗教法人に課税せよ
週刊新潮の三月十日号に『四兆円の財源が飛び出す「宗教法人」に課税せよ』という記事が載っていました。
「宗教法人に課税」せよということは私もこのブログに書きましたが、この新潮の記事によりますと、たとえば創価学会の総資産は十兆円もあるといいます。
この前、どこやらの国の独裁者が数十兆の金を溜め込んでいた、とニュースでやっていましたが一国の独裁者ならともかく、日本の一宗教団体の総資産が十兆円とは、また、たまげた話です。
それどころか、巨額の資産があるのは創価学会ばかりではありません。
「幸福の科学」は年間三百億のお布施が入り、この前話題になっていた(二億円の申告漏れで)京都の名刹の「金閣銀閣」の住職など、東京の南青山の一等地に金閣寺の道場を作り(それは名ばかりで、住職個人の別荘ともっぱらの噂だそうです)しかもその費用が五十億ほどかかったそうですが、それを恐らくキャッシュで買っているということでした。(一体いくら現金があるのでしょうか?)
<十兆円の資産を築け、住居も非課税で坊主丸儲け、挙げ句に法人売買も横行しと、斯くの如く、わが国の宗教法人税制は問題だらけ。欧米諸国と比べると、より問題点が鮮明になってくる。>
と書かれてありました。
日本の約十八万ある宗教法人のなかで、収益を上げているのは一パーセントほどとのことですが、その一パーセントの宗教法人のなかに、莫大な利益を上げている教団があるのです。この一パーセントの団体の収益、資産を推計し優遇措置(宗教団体がやっている営利事業には課税されますが、それも一般の企業から見れば税制は何パーセントも安く優遇されています)をなくして、適正に課税した場合の税収を試算すると約四兆円も出てくるとのことです。
上記の教団以外でも天理教、PL教、立正佼成会など、大きな教団のほとんどが信者の献金と人脈を利用して、幹部が営利事業に狂奔しています。
釈尊は煩悩執着を絶てと説かれたのに、大教団は真逆のことをやっているのはどうしたわけでしょうか?
こんなことをしているから、園頭先生はこういう宗教団体を宗教産業と言われたのです。
こんなことで釈尊の教えが説けるのでしょうか(前に書いた政治家ではありませんが、言うこととやることがまるで違います)これで煩悩執着を絶てと説いたら、これでは宗教家ではなく詐欺師です。
このような団体が多いから宗教法人に課税せよと言っているのです。宗教団体自体を課税対象にしないと、一体どれくらいの資産があるのかよく分からないのです。
先ほどの創価学会でもそうですが、学会は資産の詳細を一切公開していませんから(それでも十兆円という数字はそれなりの根拠があってのことですが)推定の資産額でしかありませんので、はっきりした総資産額は分かりません。もしかするともっと出てくるかもしれないのです。このような団体は創価学会だけではなく、大教団のほとんどがそうなのです。
政治家などは資産を公開せよとうるさく言うのに、なぜ、宗教家は一切そのようなことを言われないのでしょう?これだけの資産やその教祖の豪遊ぶりはつとに有名なのに。
しかも、そこの教団の信者が救われているのかどうなのか、さっぱり分かりません。(破産された人もいるといわれますが、そこら辺はどうなのでしょう、詐欺師が人をだましてそのだまされた人が破産したら、その詐欺師は罪に問われるのに、宗教家に寄付しすぎて破産した人がいるのに、その寄付された方の宗教家は罪に問われないというのは、おかしいのではないでしょうか、そんな破産された人が出るのは、その宗教家の教えが間違っている証拠なのではないでしょうか)
日本は年間の自殺者が三万人を超えるといわれます。その原因を政治のせいにしていますが、では、現代の宗教は何をしているのでしょう?そのような自殺する人を救うのは、本来は政治ではなく宗教の役割なのではないでしょうか。
いくら他国は、宗教法人に課税してないとはいえ各国事情は違います。日本は他国に比べ宗教に対する非課税額が緩すぎ調査も甘いとのこと、それでは宗教法人はやりたい放題でしょう。宗教法人の宗教活動については非課税が原則とはいえ、宗教が本来の目的(煩悩執着をなくし、悟りに導く)を果たしているとは思えない以上、やはり課税すべきです。
いずれにしても、このような記事が週刊誌によく出るようになり、気運が高まれば国も宗教法人に課税しなければ収まりが付かなくなります。大いにこのような記事を週刊誌などは書くべきでしょう。
スポーツ選手、政治家、報道関係や芸能人に至るまで、本物の如来の教えである法が拡がりつつあります。ということは、現在の宗教は正しい教えを説いていないということになります。
それは、いずれにしてもこれから明らかになることです。私が言っていることが嘘か本当かは宗教法人に課税してみれば分かります。
宗教法人に課税することは(特に日本では)非常に大事なことであるといえましょう。
さて、このような記事が週刊誌に載るようになったということは、次はいよいよ本当の本丸であり、本物の魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住む宗教改革です。