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2011年11月

11月 29 2011

心の法則と縁

前回の集団ストーカーをしている人たちの罪の深さを、もう少し書いておきましょう。

例えば十人で一人の人を集団ストーカーしたとします。その十人の中には大人から子供までいます。それでストーカーをされた人が自殺をしたとします。

十人で一人の人を、このような方法で自殺に追いやった(殺した)ということになれば、心の世界(あの世)では、十人一人一人が一人の人を殺した責任を問われるのです。

そこに大人も子供もありません。(大人でも子供でも心は皆大人〔一人前〕であるからです)皆で力をあわせて一人の人を殺したのですから、皆同じ責任を取るのです。

だから気の毒だと言うのです。

このような場合、仮にこの世で罪に問われたとしても子供の罪は軽減されたり、十人で一人の人を自殺に追いやったわけですから、一人が一人を殺したわけではないので、そのような殺人者に比べれば一人一人の罪は軽いということになりますが、心の世界ではそんな罪の償い方ではありません。

皆で一人の人を殺せば、その一人一人が、その一人の人を殺した責任を自分で負うのです。

自分で犯した罪は自分で償う、というのが心の法則(因果応報)なのですから、そこに例外などないのです。

ある人が釈尊に聞きました。この世で一番悪い人とはどのような人を言うのでしょうか?釈尊は次のように答えられました。

「それは知るべきことを知らない人である」

知るべきことを知らない、つまり、バカが一番いけない、と釈尊は言われたのです。

この世では知らずに悪いことをしていれば、それは知らずにしているのだからしょうがない(だから子供の罪は軽いということなのでしょうが)と思いますが、しかし、考えてみてください。知らずに悪いことをするということは、そのことを悪いと思っていないのですから、加減などせず、とことんまでその悪いことをしてしまいます。それでも本人は罪の意識がなく、その悪いことが悪いと自覚するまで、その悪いことを平気でやってしまうのです。

すると、悪いことをしているという自覚のないこの人は、どれだけ罪を重ねるか分かりません。ところが悪いと分かってやっている人は、いくら平気で悪事をやっているように見えても、そこには必ず制御本能が働きます。(皆、神の心を持つ神の子なのですから)

そこに大きな違いが出てくるのです。

ですから釈尊はこの世で一番悪い人とは「知るべきことを知らない人である」と言われたのです。

知るべきことを知らない、それが善か悪かわからない、そんな判断もできない人が一番この世で悪い人なのです。

先の例とは違いますが、神の使いが現れているのに、その神の使いを無視し協力しないという人がいたとします。この場合は、それを知らずに無視した人と、知っていて無視した人とでは、知っていて無視した人の方が罪が重くなります。

さっきと話が逆ではないか、と思う人もいるかもしれませんがそうではありません。

この場合、神の使いと知っていて無視している人は、神の使いの偉大さ、この世に現れた時の大事さを理解していないのです。(だから、知るべきことを知らない、ということになります)本物の神の使いは、現在の人々だけでなく、後世の人々にも多大な影響を与えます。(その教えや起こされた奇跡などで)だから、その人が本物の神の使いと分かっていて、それを無視している人たちは、これほどの罪はない、と言うほどの大きな罪を負っているのです。(この世ではまったくそれが分かりませんが)だから、神の使いと知っていて無視している人たちは、その人が本物の神の使いと知らずにいた方がよかったのです。(まして神の使いの仕事を邪魔している人や、嫌がらせをしている人たちなど、その罪は計り知れないのです)

知ってしまったものを、今さら忘れてしまうわけにもいきません。(それに縁があるから知ってしまうのであって、その縁とは、生まれてくる前にあの世でしてきた約束なのですから、その約束を果たさなければ、当然その人は自分の使命を果たせない、ということになります)そのような人たちは、集団ストーカーの人たちよりも深い罪を負っているのですから、早く反省して神の使いに協力すべきです。その方が将来(私が言う将来とはこの世のことだけではありません。何千何万回という輪廻転生した永い先のことも含めてです)遥かに得になるからです。

昨夜、十一時三十三分頃、関東地方で震度三の地震がありました。333は神の数字です。(神が皆様方の行動を促しているのが分かりませんか?)

天が次々に現象を現し、神の心を知らせているのに、それをないがしろにし、神の御業が現れているにもかかわらず、自分の生活を一つも変えようとしない人は、やはり神を冒涜していると言われても仕方がないでしょう。

私たちは皆、神につくられた神の子なのです。その神の子が神の心が現れている現象を無視し、その気持ちまでないがしろにしていて、何の罪もないといえるのでしょうか?いつまでも神の気持ちを理解しない方が悪いと思われないでしょうか。

まだ、今日明日二日あるのでお待ちしていますが、後々、後悔がないようにしたいものです。

(大阪ダブル選は維新の会が圧勝でしたね、橋下人気のすごさが分かります。いよいよ政治の改革も始まったようです。橋下知事…もう大阪市長ですね、これからが大変でしょうが頑張ってください…まったく、えらい違いです〔泣〕)

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11月 27 2011

スポンサー&賛助会員募集

震度五の地震に続いて昨日一昨日は震度三の地震が茨城、福島で起きたようです。最近は連日地震が起きています。

いよいよ時が来たのかもしれません。

先日、集団ストーカーに遭われている方から相談を受けました。私なりにアドバイスはしておきましたが、このようなストーカーがあるんですね(よく考えると前にテレビで言っているのを聞いたことがあったかもしれません)集団ストーカーのホームページを見て驚きました。

名のある宗教団体が異常なことをするものです。しかし、このようなストーカーを受けている人も気の毒ですが、もっと気の毒なのはそんなことをしている人たちです。

こんなことをしている人たちは、自分たちがしたストーカー行為を受けた人たちと同じ苦しみを、いずれは自分自身で受けなければならなくなるからです。(因果応報)この世でそれを受けなければ、死んでいった先のあの世で、地獄の苦しみを味わうことになります。

早く気づいてほしいものですが、それもこれも正しい教えが拡がっていないことの弊害でしょう。正しい教えが分からないため、間違った教えをそのまま信じてしまい、恐ろしいことを平気でしているのです。先日、オウム真理教のサリン事件の首謀者の死刑が確定しましたが、オウムが起こしたサリン事件は、その肉体のみをサリンで殺すだけですが、集団ストーカーで相手を自殺まで追い込んだ場合のそれは、相手の肉体を殺すだけでなく、心まで狂わしてしまうのです。心と肉体の両方を殺してしまうのですから、その罪はオウムの数倍になります。その罪の深さを自覚しないと、後で自分がサリン事件を起こした、オウムの信者以上の地獄の苦しみを、それをしている人、一人一人が受けなくてはならなくなるのです。その恐ろしさを早く気づいてほしいものです。

こう見てきますと、本当に早く改革しなければならないのは、政治や経済なのではなく、多くの人の心をダメにしている現代の宗教である、とつくづく思います。

それにもう時も来ています。早くこの法を拡めなければ、大変なことが起きる、という予感もあります。

前回、賛助会員を募集したのは八月でした。その時は結局、前回寄付をしてくれた方を含め、わずか三人の方がなってくれただけでした。

もちろん賛助会員になってくださった方々には感謝しますが、これでは話になりません。それからわずか三ヶ月の間(九、十、十一月)にどれだけの異常なことが起きたでしょう。

私は、その一ヶ月前の八月からこれから祈りますと宣言し、それから様々な不思議な現象が起きました。

八月は、私が祈りますと宣言した立秋あたりから、急に暑さがぶり返し(普通ならそろそろ朝晩は涼しくなる頃です)連日気温が35度を超え、熱中症になる人が続出し、その暑さは私が祈りを止めるまで続きました。その後に賛助会員を募集したのですが、ほとんど協力してもらえる人が現れず、それでまた仕方がないので、この法の正しさを実証するため祈り始めました。

すると九月は異常な台風が日本を直撃し(大変な被害が出ました)十月には雪が降り、桜が咲き、夏のような天気になって夏のような大雨が降りました。十一月になってもそれは同じで、やはり(小春日和というよりも)何か夏のような気温になり、夏のような雨が降り、もう十一月も末だというのに名古屋のあたりでも、まだ紅葉していない木があるほどです。

このような不思議なことが起きたのは日本ばかりではありませんでした。その間にタイに大洪水が起きたのです。その洪水を私は引かせて見せると宣言し(その時だけの)スポンサーを募集したのですが、誰も相手をしてくれる人はいませんでした。仕方がないので一人私は祈りましたが、結局そのタイの大洪水は、私が祈り始めると同時に増水が止まり、一週間後には水位が下がり始めるという奇跡が起きたのです。

このようなことすべて神の御業であり、天が力を貸してくださった結果であると思います。

私が祈りますと宣言し、約三ヶ月間、これだけ天の心を現せば、もう十分ではないでしょうか。

それでもまだ、私の言うことを信じていただけないのでしょうか?ご協力いただけないのでしょうか?これでもまだ分からない、神など信じられないと言うのであれば、もうどんな奇跡が起きようと、そのような人は理解できないでしょう。もし、今回スポンサー&賛助会員を募集して、それでもまだ人が集まらない、誰も相手にしない、ということでありましたら、もうどれだけやっても無駄でしょう。(それに時間もあまりなさそうですし)

私も法の流布は諦めます。(さすがに天も許してくれると思います)

しかし、この日本に法が拡がらない、ということになれば、最近の様々な異常現象を見るならば、やはり恐ろしいことが起きるのではないかと予想されます。(これは脅しではありません、警告です)

また、そのような問題を抜きにしても、本当の神の教えは私たち一人一人が、絶対に理解しなければならないことなのです。

従って今回が最後の募集となります。スポンサー&賛助会員を募集します。(寄付だけでも結構です)何人かの方が、ご協力いただければ、法の流布を続けることができますが、今回も誰も私のことを相手にしないということになれば、それで終わりにしたいと思います。

本当にこれが最後のお願いになります。今のままでは日本は立ち行かなくなります。(神の心を無視しているからです)多くの人が勇気を出して立ち上がっていただきたいと切に願います。今月一杯お待ちします。どうかよろしくお願いいたします。

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11月 25 2011

鳥の不思議②

また、震度五の地震が起きたようです。(今度は北海道で)最近多いですね震度五の地震が…これは立川のオバちゃんだけのせいでもなさそうです。(私の存在を知っているにもかかわらず)多くの人が私のことを無視しています。そろそろまずいことが起きるのではないか…と危惧しています。

それは次回に書くとして、本題に戻りましょう。

数ヶ月前のことです。

その日も私は白鳥公園にいました。その時も私の周りに何羽かのスズメが寄ってきていたのですが、一羽のスズメだけが妙に近くに来ていて、私のすぐ足元まで来て「ピョピョ」鳴いていました。見るとまだ生まれて間もなさそうな子スズメのようでした。

あまりに近くにいるものですから踏んづけそうです。それで私が「おまえ近すぎる踏んづけるぞ」と足でもっとむこうに行けと、その子スズメに蹴るような素振りを見せると、その子スズメは少し後ろに後ずさりしました。その時です、その子スズメが片目をつぶっているのが分かりました。病気か怪我かは分かりませんが、どうもその子スズメは片方の目が明かないようでした。

見ていて何かかわいそうになって、少しこの子スズメを祈ってやろうと思い、右の手のひらをその子スズメの方に向け、その手のひらから神の光が出ていることを想念し「神よ、このスズメに光をお与えください、安らぎをお与えください、このスズメの目に光をお与えください、安らぎをお与えください。このスズメの目の肉体細胞よ、あなたたちは本来の機能を回復しなさい」と祈りました。

すると、そう祈っている最中にこの子スズメが、私の方に嬉しそうにピョンピョン跳んで近づいてきたのです。そればかりではありません、私が祈り始めると周りにいたスズメたちも急にざわつきはじめ私の方に少し寄ってきました。スズメたちは気が小さいので、少し私が変わったそぶりをするだけで、逃げてしまうのですが、私が右手を上げて、それを子スズメの方にかざしているにもかかわらず、それをされている子スズメも、その周りにいるスズメたちも嬉しそうに私に近寄ってくるのです。(普通なら手を上げた途端に逃げるはずです)

その時、私は「アレ、祈ってるのが分かるのかな」と思ったのですが、どうも今回のこのスズメたちの行動を見ていると祈るのが分かるようで、しかも、祈っている意味も分かっているようでした。

不思議な話ですが、スズメの生態を調べた人はたくさんいますが、では、スズメの心の中を調べた人はいるのでしょうか?心の中を調べる機械などないので、誰もスズメの心の中までは調べた人はいないと思います。

であるならば、スズメたちの心の中を私たちは誰も知らないのです。

もしかすると、そこらを飛び回っている鳥たちは、私たちの心の中を知っているのかもしれません。そうして、それだけではなく鳥たちは、私たち以上に神の存在を理解しているのではないでしょうか。(だから神に祈ると、その祈られた鳥たちは必要以上に喜んだのです)

追伸…ついでに書いておきますが、その片目をつぶっていたスズメですが、その後何度か私は白鳥公園に行き、多くのスズメを見ていますが、一羽も片目をつぶっているスズメを見ていません。私がその片目のスズメを見かけていないだけなのか、あるいは私の祈りで、そのスズメの目が治ってしまったのかもしれませんが、私はこのようなことを前にもしたことがあります。

さすがに人にはありませんが、前に私が住んでいたマンションでの出来事です。

そのマンションの近くには何匹かの野良猫がいました。私がマンションから出入りする時には、近くに猫がウロウロしていたのですが、その猫の中の一匹が子猫を数匹生みました。親猫はいつもその子猫たちと一緒にいたのですが、その子猫たちの中に私が近くを通っても逃げない猫が一匹いました。他の猫は逃げるのに何でこの猫逃げないのかな、と思い近づくと、その子猫は片目が膿んでいて開かず、もう一方の目も半分くらいは明いていましたが、その明いている片方の目も回りに膿がついていて、どうもこの子猫、病気であまり目がよく見えないようでした。

「それでこいつだけ逃げないのか」と納得し、その猫の頭をなでて仕事に行ったのですが、ある日のことです。

その子猫が一匹で「二ャー二ャー」鳴いていました。どうしたのかと思い近づくと、その猫の両目が膿んで目が明けなくなっていました。この猫の病気が進行し完全に目が見えなくなっているようでした。

「もう両目が完全にふさがれてしまったな…」目が見えなくなったのでは、この猫も長くは生きられないだろうな、と思った私は、その猫がかわいそうになり、その場でその猫の目に手を当て祈りました。

「神よ、この猫に光をお与えください、安らぎをお与えください。この猫の目に光をお与えください、安らぎをお与えください。神よ、この猫がもう寿命が来ていて死ななければならないのでしたら、この目が潰れたままでも仕方ないと思います。しかし、もしまだ、この猫がこの世で生きる使命が残っているのであれば、この目をお治しください、この目を癒してください。神よ、この猫の目に光をお与えください、安らぎをお与えください、この猫の目の肉体細胞よ、あなたたちは本来の機能を回復しなさい、自分たちの使命を果たしなさい」

そう祈り私は部屋に戻ったのですが、翌日のことです。(日曜日でしたので)私は昼ごろ部屋を出て昼飯を食べに行こうとしてマンションの下まで下りました。すると昨日祈った子猫が近くで寝ていたのですが、私が横を通ってもピクリともしません。

「アレ、昨日あんな祈りをしたから死んだんじゃないか?」と少し不安になり、寝ている猫のそばまで行き、頭を指でこずくと、その子猫が頭を上げて私をギロッとにらんで「二ャー」と一度鳴いて、また寝てしまいました。

「何だ、生きてるじゃん」と思い、安心して行こうとしたのですが「ン?」私はその時、妙な違和感を感じたのです。

それでもう一度戻り、その子猫の頭を指でこずくと、また頭を上げ、今度は片足を私に向けひっかくようなそぶりを見せ「二ャー」とまた鳴いて、私をギロッとにらんでいます。私はその時「うそ」と思いました。その猫の両目がきれいに明いているのです。

「何で両目明けてんだお前」私は思わずその猫に話しかけてしまいましたが、猫が理由を言うわけありません。(笑)私が祈ったのは昨日の夕方でした。まさか、それから誰かが、その猫を獣医に連れて行って目を治した、ということも考えられなくはありませんが、家の飼い猫ならともかく野良猫にそんなことをする人いるでしょうか?それにこの猫、片方の目は生まれた時から膿んで潰れていて、仮に誰かが獣医に連れて行き治療したとしても、すぐ治るような病気でもありません。

「何で目が治ってんだろ?」その時は不思議でしたが、私の祈りで様々なことが起きている今思えば、あるいは、私の祈りを天がきいてくれて、あの子猫の目が治ったのかも知れないと思えます。

正しい祈りは天に通じ様々な奇跡を起こします。キリストや釈尊は多くの癒しを行っているのですから、猫やスズメの目を癒す奇跡が起きても決して不思議ではありません。法を知っているならそのような奇跡も行えるのでしょう。

この教えを多くの人がぜひ勉強していただきたいと思っています。

(立川のオバちゃんですが、祈っても何一つ起きないようです。子供の悪口のようなメールがいくつもきました。〔苦笑〕そしていつものように私の祈りを否定しています。〔あなたが祈ったから何か起きたのではないと〕この人の送ってくるメールを見ていて、何で私にこんなくだらないメールを何度も送ってきているのか、理由が分かりました。結局この人ひがんでいるのです。この人これまでも何度も祈ったんだと思います。しかし、自分が祈っても何一つ起きないのに、私が祈って次々に現象が起きるものですから、それが悔しくて仕方がないようです。その、ひがみと妬みの心で何度もくだらないメールを私に送ってくるようです。しかし、祈って何も起きないのは自分の心が悪いからであり、それは自分の責任であって、心の差がそのまま現れているに過ぎないのですが、それを自分は認めたくないものですから、私の祈りがきかれているわけではないと、私の祈りを必要以上に否定しているのです。二十年以上も法を勉強していて、祈って何一つ起きないとは哀れと言うしかありませんが、この人を見ていて笑うどころか、何かかわいそうになりました。しかし、自分の心が悪いのに、いくら人をひがんでもそれで自分の心がよくなるわけではありません。早く自分の間違いに気づいてほしいものです)

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11月 23 2011

鳥の不思議①

二~三日前に茨城、広島で連続して震度五の地震が起きました。立川のオバちゃんがくだらないメールを意地で送ってきていますので、それも仕方がない話です。(内心ビクビクのくせに〔笑〕)

そればかりではありません。今度は私にコソコソ逃げ回ってないで(言ってる意味がよく分かりませんが?)議論しましょうと言ってきました。面白い冗談ですね(笑)私とあなたが議論したなら、私の弱い者いじめとしか皆さん取らないでしょう、それでは私が損をするだけです。

では、そんなオバちゃんに言っておきますが、そんな口だけで勝負してどうするのですか、私たちは法を学んでいるのですよ。勝負するなら祈りで勝負しましょうよ、祈りで。

私はタイの洪水を祈りで引かせると宣言して、その通りのことが起きたのですから、あなたもそれ以上の現象を祈りで起こしてみてください。(私程度の者でもタイの洪水を祈りで引かせたのです、あなたほどの方ならそれ以上のことができるはずです。ぜひ、それをお見せください、私のブログを読んでいる人たちにも)

何時幾日までに私の祈りでこれだけの事を行う、というコメントを送ってくだされば、即、公開します。(この人のコメントおかしな波動が出ていますので、公開する時は私がしっかりそのコメントは祈りますので、読まれる皆さんはご心配なさらずに…多分コメントを公開することはないと思いますよ。そんなコメントこの人送ってこれないでしょうから)

私たち法を勉強している者は他の人とは違う、というところを、このブログを読んでいる人たちに見せてあげましょう。信じられないような現象のコメントお待ちしています。(例えば、一ヶ月以内に私の祈りで富士山を噴火させる、とか何とか書いて送ってきたらどうですか?富士山は高橋先生が噴火すると予言されているのですから、あてずっぽうで書いてきても、もしかしたら当たるかもしれません〔笑〕)

しかし、もし、それ以外のあーだ、こーだ、という言い訳やごまかしのコメント送ってくるのであれば、あなたは祈っても何も起きない口だけの人と判断し、コメントを公開しないのはもちろんのこと、このブログの中でも大笑いさせていただきます。それは覚悟してください。二十年以上、法を勉強していられるのです。(それでも私の方が法を勉強している期間は長いのですが…)当然、祈れば何か現象が起こせるはずです。(あなたの祈りを天がきいてくれるはずですから)何も起きないということは、法を正しく勉強しているのならありえません。必ず何か起きます。(それは私が何度も証明しています)

ぜひ、あなたの祈りを通し、あなたが言う法の正しさを証明してください。(しかし、タイのあれほどの洪水が引いたということは、神は私の側にいるということが分かりそうなものですが、一体この人、何を根拠にくだらないメールを度々送ってくるのでしょうか?意味が分かりませんが、それも今度送ってくるコメントでハッキリするでしょう。この人の言う神が本物か、私の言う神が本物か)

私の祈りを散々バカにしているのです。さぞ、私などの凡人が考え付かないような現象を起こしてくださると期待しています。(もちろんこのブログを読んでいる方々も大いに期待していると思いますよ)どのような現象を祈りで起こしてくださるのか、コメントお待ちしています。(よろしくお願いいたします。法の正しさを証明してください〔笑〕)

では、このオバちゃんの祈りのコメントはお待ちするとして(コメントの内容によってはオバちゃんなどという言い方は、失礼ですから改めないといけないかもしれませんね〔笑〕)その祈りのことで先日、不思議なことがありました。(最近はよく不思議なことが起きます。前置きが長くなりすぎて、本題に入るのが大分遅くなりました〔笑〕)

それは、よく行っている白鳥公園での出来事です。

その日、私がベンチに座っていると、またいつものように三十~四十羽ほどのスズメが私の近くに寄ってきました。(最近は、百羽のスズメに囲まれるということはなくなりましたが、それでも数十羽のスズメはしょっちゅう寄ってきます)

しかし、近くに寄ってくるといいましても、スズメたちは一塊になり、どちらかといえばまだ少しこちらを警戒しながら、私の近くで餌をついばんでいました。(たまにとぼけたスズメもいて、一羽で私のすぐ近くまで寄ってきて、私が話しかけると喜んでいるのもいるにはいますが)多くのスズメは、私の近くに寄ってはきていても警戒しているようでした。(なら寄ってこなければいいのに、と思うのですが〔笑〕)

その日は私の斜め前にも鳩が十羽ほどいて餌をついばんでいました。私の右横にスズメたちが一塊でいたのですが、その時フッと「そうだこの周りにいる鳥たちを一度祈ってやろう」と思いました。

そこで私は目をつぶり「神よ、この鳥たちに光をお与えください、安らぎをお与えください、この鳥たちが幸せな生活をしていけますよう、お導きください」と祈りました。そう祈った直後のことです。

私の横にいたスズメたちのほとんどがいっせいに飛び上がったのです。そうして私の周りに散らばって「ピー、ピー」泣き出しました。

「な、何だ?」何が起きたのか分かりませんでしたが、私が祈った途端、スズメたちが騒ぎ出し大騒ぎを始めたのです。

何羽かのスズメは私の頭の近くをビュンビュン飛び回り、二、三羽のスズメは私のすぐ後ろでギャーギャー騒いでいます。何を騒いでいるのか見ると餌の取り合いをしています。「何やってんだ、お前ら」と思いそちらを見ていると、私の周りに散らばったスズメたちが、私の近くで何羽も、キャッキャッ言いながら餌をついばんでいます。しかも異様にその距離が近いのです。それこそどのスズメも、手を少し伸ばせばつかめるような所に平気でいます。そればかりか、私のすぐ近くに飛んできて私の顔をジッと見ているスズメもいます。

私には何が起きたのか分かりませんでした。

不思議に思いましたが、明らかに私が祈った途端にスズメたちの態度が変わったのです。それまでは警戒しながら近づいていたスズメたちが、一変に警戒心がなくなり、平気で私に近づいているのです。それだけではありません。ずいぶん喜んでもいます。

「祈ったのが分かったのか?」と不思議に思いましたが、このスズメたちの態度を見ていると、どうも私が祈ったのが分かったようです。それにしても祈った意味まで、このスズメたち分かるのか?とも思いましたが、そういえば、スズメがこちらの心が分かるのではないか?と思えるような出来事が実は前にもあったのです。

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11月 21 2011

高速増殖炉もんじゅ

始めは「夢の原子炉」とよばれ、その後、トラブル続きでほとんど稼働していない高速増殖原型炉もんじゅの存廃が昨日(二十日)の「提言型政策仕分け」で議論されました。

結果は、もんじゅの抜本見直しということになったようです。

政府の政策仕分けでは抜本見直しということに決まりましたが、結論から言えば、この“もんじゅ”は廃止させてはならないということです。(前にも言いましたが、原発をゼロの方向にもっていくことはいけないのです)

どれだけ、もんじゅに金がかかろうが、トラブル続きであろうが、この核燃料リサイクルの研究はやらなければならないのです。どちらにしても原発は現在も動いているのです。もんじゅを廃止してしまったら、では、放射性廃棄物である原子炉カスはどうするのでしょうか?この原子炉カスは原発を動かしている間は出続けるのであるし、これまでの原子炉カスも相当の量が溜まっているのです。それをどのように処理するのでしょうか?

もんじゅは「発電しながら燃料を生む未来の原発を開発する」という触れ込みで始めたのですが、こうトラブル続きであると、そんなものできないのではないか、と思う人も出てきて、できそうもないものを研究するのはやめろ、と言うことにもなるのですが、そんなことはありません。ちゃんとそれをするために生まれてきている人はいます。そのような人たちが、まだその使命を果たしていないだけです。(天にはそれができる計画がすでにあります。ただ、それがまだ使命を持った人たちに降りてきていないだけです。その人たちの心がきれいになれば、その計画はすぐにでも降りてきます)

原発の研究開発をすると決めて、その使命を持って生まれてきた人たちは、それを実行していただかなくてはいけないし、それをするために生まれてきている人たちがいるのですから、そういう人たちの使命を果たす場を奪ってはならないのです。

現在は原発事故の影響で原発が目の敵にされていますが、何度も言いますが、その利権の構造などはたしかに改革しなければなりませんが、原発事故の被害が甚大だからと、もう原発を止めてしまおうと思ってはならないのです。

どれだけ巨大なエネルギーであろうと、それをコントロールできるだけの心はどの人にも備わっているのであるし、その巨大エネルギーが間違った方向に(たとえば爆弾に使ったり、今回のような事故を起こしたり)行かないようにする力(もちろん一人一人の心のあり方です)も私たちにはあるのですから、当然その力を発揮しないといけないし、また、その力を発揮しなければ心の向上はないということです。

危ないから止めてしまえ、では心の向上はないのです。

どれだけ巨大なエネルギーであろうと、私たちはそれを使いこなさなければならないし、また、そうしなければ物質的な科学の発展も、精神的な心の向上もないのです。超巨大で危険なエネルギーだからと、逃げていては、心の発展も科学の発展もありません。

私たちはどのような巨大なものでも、使いこなせるだけの力を備えているのです。私たち一人一人は、原子力などより遥かに広く大きい心を持っているのです。その心の偉大さを知り、その力を発揮するために、私たちは今ここに生まれている、ということをもっと自覚しなければならないのです。

(高速増殖炉“もんじゅ”の名の由来が文殊からきているそうですが、それではあまりにげんが悪い、実際の文殊のひどさを知らずにつけたのでしょうが、こんな名をつけているから研究も進まずトラブル続きなのではないでしょうか。名を“しゃりほつ”に変えてやられたらどうでしょう。天から舎利弗の智慧が降りてくるかもしれません)

追伸…立川のオバちゃんがタイの洪水のことで、タイの洪水の水が減るのを私が分かっていて、あのような書き方をしたのだろう、あなたは詐欺師か、と言ってきました。(オバちゃんがそう思うほどタイの洪水の水が減ってきたのと、このブログに洪水のことを書いたタイミングがぴったりだったのでしょう)つまりオバちゃんは、私の祈りのすごさを証明してくれたことになります。(あのでたらめなオバちゃんでも、タイの水が減るのを知っていたのではないか、と思わせるほど、天がタイミングよくタイの洪水の水を減らしてくれたのですから)この世の科学ですら、タイの洪水の水がいつ引くかなど分からなかったのです。それなのになんで私がそんなことを先に知ることができるのでしょうか?私の霊力でですか?残念ですが私は、タイの洪水の水が減るのを先に知るほど霊力に長けていません。あれは私の祈りがきかれたのです。(オバちゃんは死んでもそれを認めたくはないでしょうが)私の祈りを天がきいてくれたから、タイの洪水の水を天が私のブログにあわせて引いてくれたのです。(あれほどタイミングよく水が引いているのですから、天が私の祈りをきいてくれた一つの証明になるのではないでしょうか)それともう一つオバちゃんに言っておきたいのですが、仮に私がタイの洪水の水が減るのを知っていたとします。それなら、そのような人を詐欺師と言う言い方は間違いです。(先に起きることをすでに知っていたのですから)そのような人は予言者というのです。言葉の意味をよく理解して書かないと笑われますよ(笑)。

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