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2013年1月

1月 10 2013

本格的な法の時代へ

昨夜不思議な体験をしました。

その体験とは、私は毎日寝る前には必ず、その日一日のことを神と天上界の人々に感謝し、そうして少し祈ってから寝ることにしているのですが、昨夜も寝る前にいつものように祈っていた時のことです。

目をつぶり祈っていると、私の身体からもう一人の自分が出てきたのです。(そのように感じたという方が正確ですが)

その私の身体から出てきたもう一人の自分は、私が座っている前に向こう向きに立っていました。それが目をつぶっていても分かるのです。心にそのような情景が観えていたのかもしれませんが、そのもう一人の自分は、腕も太く身体もがっしりしていました。背中にはきれいな金色の羽が生えています。

しかし、その天使のような人物は、私から観てむこう向きで立っているにもかかわらず、不思議なことに私には、その天使の前からの姿も同時に観えていたのです。

天使の顔は私のようでもあり違うようでもありました。身体は筋肉質で胸も厚くがっしりしていますが、その天使はどうみても二十代前半から、中くらいの年にしかみえませんでした。それに着ている服が何か古代のギリシャ人のようなスタイルであったのです。

「誰だ?…」と思っていると、フッとそれが、パニュエル大天使である、ということが分かったのです。

私は光の天使といえば(羽が生えているところは、そのものずばりという感じですが)皆スラッとした天使ばかりと思っていましたので、こんなごつい天使もいるのかと、ちょっと奇異に感じました。

私の前に立っていた、そのパニュエル大天使は、しばらくすると私の心から消えていかれました。

「何だ、今の現象は?」と思っていると、私の心からある言葉がポッカリ浮かんできました。

その言葉とは『今の者が、そなたの天上界の姿である』ということでした。

私は天上界の自分の姿を天より観せられたのです。

法の説法を再開して今年で三年になります。去年、一昨年と、あれほどの奇跡が次々と起きたにもかかわらず、法の流布に協力される方はわずかでした。

天はこの辺りをメドとされたようです。

今年は去年、一昨年のようなことでは収まらないようです。

このブログを何年も前から読んでいながら、それでも何もしようとしない人に、天は次々と現象を現すそうです。そうして、そのような人たちに喚起を促し、それでも何もしようとしなければ、その人たちを引き上げるそうです。

どこかのオジちゃんが、あなたの近所で亡くなった人などいないんでしょう、と聞いていましたが、私はあまりそんなことをはっきり書いてもいけないと思い、これまで書きませんでしたが多分いるでしょう、そういう方も。

私は一切、近所の人に、この辺りで何があったのか聞いていませんが、当然、あの世に引き上げられた人はいると思います。それほど神の使いを冒涜する罪は重いからです。その罪の重さを多くの人は知らないのです。

神の使いを冒涜する罪も重ければ、その神の使いに従い神の教えを伝えてきます、と出てきているのに、それを一切やろうとしない人の罪も重いのです。

今年から、そのような罪の重さを知るような現象が、次々に個人に現れてきます。

いよいよ天は本格的に法の流布を始められるようです。そうであるならば、私もそのつもりでやらなければならないし、そのような天の心を、正確にこのブログに書いていかないといけないと思っています。(それが私の使命の一つでもあるからです)

何度もいいますが、何もやる気のない人はこのブログは読まない方がいいです。このブログは誰でも書いているような、そんなブログではないからです。天の心を書いているからです。(興味本位で読んでいる方は、もうこのブログを読むのは止められた方がいいでしょう)

このブログを読んでいる人は、天の心を知ることになるのですから、当然ここに書いたことはやらねばならないし、それに逆らうようなことをすれば、その報いは受けなければならないのです。その書いたとおりの現象が、次々に起きていて、それでもまだ分からないのでしょうか?

今年は、これまでのような(それでも数々の現象が起きましたが)甘い現象では収まりません。神の運動をしようとしなければ、そのような人に次々に現象が現れるのです。

このブログを読んで日の浅い人は、もうこのブログは読まないことです。そうして、私が何をいおうが何をしようが相手にしないことです。どうぞ、そのような人は、自分たちだけで幸せな生活をされてください、そのような人たちにまで私はかまう気はありません。

しかし、このブログを読むのをやめないが、おまえのいうことをきくのもいやだという人には、天は次々に現象を現します。何かおかしなことが起きて、それを私のせいにしても私は一切関知しません。私はそのような人に何度も警告を発したのですから。

これからも、このブログを読まれるという方は、何らかの形で神の運動にご協力ください。それをしないということはもはや悪なのです。悪を犯し続けるとういことは、いつかその罪を自分で償わなければいけなくなるのです。

これからは、これまで以上に天が私たちの生活に大きくかかわってきます。やる気のない人は一刻も早く離れられることです。

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1月 09 2013

驚きました

私も、少し若い女の子が自分のブログをたくさん見ていると分かると、途端に女性向けのブログばかり書きだします。(笑)しかし、あまり調子にのって書いても、私の書くことは今の世相とかけ離れていますからね、調子にのりすぎて引かれてもいけませんので、女性向けのブログもほどほどにしておきましょう。

今日はまったく話題を変えますが、驚きましたね、民間ヘリのチャーター代が一分一万円もかかるとは。(初めて知りました)そんなにかかるんですか(汗)ハァァァァという感じですね。

毎日飛んでくるあのヘリ一体いくらかかってんでしょうか?(一昨日なんか三機同時に飛んできて人の頭の上グルグル飛んでましたが…)

一分一万なら一時間で六十万、仮に一日三時間飛んだとして百八十万、他の経費など入れて一日二百万くらいかかるとして、一ヶ月で六千万、一年で七億二千万ですか……ハハ???誰が何やってんでしょうか???

分かりませんね、何でそんな金使ってんですか?(大分前から飛んできてますよね、あのヘリ)アレ自衛隊のヘリですよね(違いますか?)ということは国かどこかですか?

マァ、どこでもいいんですが、そんなに湯水のように金使うなら、何とかこちらに回してくれませんかね。(トンネル会社か何かつくって、寄付してくれればいいんですからどうとでもなるでしょう)でないと、異常現象は止まりませんよ。いつまでたっても人の説法(このブログのことですが)聞くだけ聞いて誰も寄付してくれないんですから。

そんな金があるなら寄付してくれた方がいいですって、その方が法が拡げられますから、世の中平和になるし、異常気象も収まるし、ということは天の計画が早く進むことになりますので、神も喜ばれ、神が喜ばれるということは、天上界が協力してくれますので、次々にこの世によいことが起きてくるということになります。

私に寄付してくれれば、そのようなことが現実に起きるのです。

いいことずくめでしょう。しかし、同じ金を使うにしても、今のようにただヘリで毎日私んとこに飛んできてるだけでは、一向に世の中変わりません。(現実に異常気象は続いていますし、最近また救急車のサイレンよく聞こえてきますからね、私の周りで起きてることたいして変わっていません)

結局、このブログを見ている人たちが、ただ見ているだけで、何もアクションを起こそうとしないからです。毎日私のブログを読んでいる人もいるのに、その人たち、一向に果たすべき責任を果たさないんですから、そりゃ、天も怒ります。

国でもどこでも結構ですので、その人たちが果たさなければならない責任を、とりあえず果たしていただけないでしょうか。(あなたたちも見てますよね、このブログ)誰も、それをやろうとしなければ天は次々に異常現象を起こします。

また、異常現象が次々に起きてくると、それを私のせいにして(本当は私のブログを読んでいて、何もしようとしない人の責任なんですが、どれだけそれをいっても分かっていただけないので)嫌がらせなどする人が増えようものなら、その異常現象は激しさを増すだけでしょう。(正法の時代が時間が経てば経つほど深まっていくからです)

さっきもヘリの音していましたが、ご検討いただけないでしょうか。(とにかく誰か動いてもらわないと、一向に現状がかわりません。それでは天も何もしないというわけにはいきませんので、その多くの人が動くきっかけをつくるということでも、お願いできないでしょうか?)

国なら当然それはしなければいけないし(そりゃそうでしょう、国民が誰もまだそのことに気づかず、何もしようとしないんですから、とりあえずは、国がその責任を果たすべきです。そうした方が国としても得です。だって、おかしな災害が起きるより起きない方が、国にとってもありがたいはずですから)国でないなら、それほどの金を湯水のように使える人なら、やはり大きな使命(責任)があるはずですから、当然その人も責任を果たさなければならないのです。

とにかく、そんなこと(ヘリを飛ばす)してるだけでは、一向に世の中変わりません。動かなければならないと、気づく人がたくさん出てくるまでは、ご協力よろしくお願いします。

(普通こんなこと書いてると、完全に頭おかしいと思われますが、現実に毎日ヘリが飛んできているから頼んでいるのです。国でもどこでも結構ですから、ぜひよろしくお願いいたします)

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1月 08 2013

陽主陰従と陰陽の調和

大阪の性犯罪の多さは深刻らしいですね、橋下市長も頭を痛めていられるようです。

少々条例を厳しくしたくらいでは収まりそうもありません。どうですか橋下市長、このブログを読んでるだけでなく法を本格的に勉強されては。

市長や知事が本格的に法を勉強されるなら(当然心が変わってきますので)天が力をかしてくれます。市長や知事の心が変われば大阪の性犯罪も劇的に減るでしょう。何時までも(法に対して)動こうとされないとご自身が損です。よくよくお考えください。(橋下市長とは思えない行動力のなさです〔笑〕)

さて、そのような犯罪も多発しているということなら、もう少し詳しく男と女の役割を書いておきましょう。

そんな性犯罪が横行しているということは(大阪はひったくりや車上狙いなども多発しているとのことですが)やはり愛が足りていない証拠ですね。愛はこの世の潤滑油であって、その潤滑油が足りなければ(当然調和できませんから)あちこちに問題が起きてくるのも仕方がないことでしょう。

私は前に陽主陰従ということを書きました。(すべてのものは左から始まる。左が先で右が後。それはつまり男が先で女が後)しかし、そういう法則があることは事実でありますが、その一方で陰陽の調和という言葉もあります。この言葉は陰が先になり陽が後になっています。(陽陰の調和とはいいませんから)

では、この言葉は間違っているのでしょうか?

そうではありません。実はこの言葉もまた法であり天地の法則のなのです。

いっていることが矛盾していると、思われる方もいられるかもしれませんが、この陽主陰従と陰陽の調和は二つで一対なのです。二つ揃って初めて神理といえるのです。

この二つの言葉は、外にあっては男が先で主となり(陽主陰従)内にあっては女が先で主となる(陰陽の調和)という意味なのです。

外では男が主となって物事を進めないといけませんが、内(家庭)では逆に女が主となり物事を進めないといけないのです。

なぜそうしないといけないのか、それは、男と女の役割が違い出す愛も違っているからです。

男の愛は破壊の愛です。古いものを壊し新しいものをつくりだす、そのような愛なのですが、女の愛は、すべてのものを癒し、浄化し、育む愛です。ですから、この二つの愛が調和した時、初めてそこに神の国ができるのです。

このように考えますと、なぜ、外では男が先になり、内では女が先にならないといけないのか、お分かりいただけると思います。

もし内で(家庭内で)男が先になって破壊の愛を出してしまえば、当然その家庭は破壊されますし、また逆に外で女が先になり癒し、浄化し、育む愛を出されても、男が先に立って物事を進めていなければ、その愛は何の役にも立たないでしょう。

つまり男が家庭内で、先になってあれこれ口を出せばケンカにしかならないし(破壊の愛しか出せませんので)外の仕事のことに女が先になって口を出せば、これもケンカにしかならないということです。(まったく出す愛が違っているからです。女の愛では外で通用しないのです…しかし、最近の女性は破壊の愛を出す人も多いのですが〔笑〕)

ですから外で仕事をする、とうことは男の使命(破壊の愛を出すこと)なのですから、当然しなければならないし、家庭内の主婦業というのも女の使命(癒し、浄化し、育む愛を出すこと)なのですから、しっかりやらねばならないということです。(主婦業と仕事を両立できるといわれる人もいますが、そんな掛け持ちみたいなことをして、夫や子供にしっかり愛が出せますか?しっかり出せるという人ならどうぞおやりください、そのかわりしっかり愛が出せていなければ、そのつけは後で必ず現れます。その時に泣いても遅いのです)

何か主婦業を、遊びの延長くらいに捉え軽く見ている人もいますが、とんでもありません。主婦業はただ、家事育児をやるということだけではないのです。(それなら家政婦でも雇えば十分でしょう)他の誰にも出せない、夫への愛、子供への愛を出せるのは、その家の主婦だけなのです。ですから、男が外に働きに行くことと、家庭の主婦業は同じくらいの価値があるのです。そんな軽いものではないのです。(ただ、愛を出す、とは口を出すこととは違います。そこはお間違えのないように)

夫に対する愛、子供に対する愛は、その夫や子に大きな影響を与え、また、多大なエネルギーとなって、世の中に大きく貢献することになります。

その妻や母から、多くの神の愛を貰っている人は、犯罪など犯すことはなく常に神の心を世の中に具現することになるのです。当然、そのような女の愛で満たされた人が増えるのであれば、くだらない犯罪など消えてなくなるでしょう。

くだらない犯罪をなくすには、条例を強化し、それで縛り付ければなくなるというものではありません。愛ある家庭を増やすことです。そうすればくだらない犯罪はなくなるのです。

陽主陰従、陰陽の調和、そのような天地の法則を誰もがよく理解し、実践しなければ平和な世の中など何時までたっても現れてはこないのです。

追伸…世の中優れた女性といえば、政治的に活躍した人とか、人気のある人ばかりを取り上げて評価していますが、私は女性に対し、そのような評価の仕方はおかしいと思います。

釈尊在世当時のインドでは、シャリー・プトラーの母のシャリーは、良妻賢母の呼び声が高く、その評判はインド中の人に知られていたそうです。

女性の評価の仕方は、そのようでなくてはいけないのではないでしょうか。(社会的に有名になる人は、女性の使命からすればほんの一握りの人たちだからです。ほとんどの女性は、家庭でいかに愛を出すかの使命を持って生まれてきているからです)

女性への評価とは、日本で一番の良妻賢母であった、そのような女性こそ、女性として№1の人である、という評価が正しいのではないかと私は思います。

そういう人を、№1の女性と早く評価できる日がくることを願わずに入られません。そのような日が来た時、真の平和が訪れる、そんな気がしてなりません。

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1月 07 2013

続、女の役割

結局、日曜日まで待っても無反応でしたね、待つまでありませんでした。マァ、私に対する態度を変えようが変えまいが自由ですが、これからドンドン法の時代は深まります。必要以上の祈りはいたしませんが、考えを変えようとせず、相変わらず嫌がらせのようなことをしてくる人には徹底的に祈ります(私の祈りはその人のためになるのですから、祈られたら感謝してもらわないといけないくらいです)そこはご了承ください。そういうこともしていかないと世の中かわりませんから。

私の周りなど見ていると、私のブログに文句がある人も多いように見受けられますが、では、そういう人で直接(メールでも結構ですが)文句をいってきた人がいるかといえば、一人もいません。

そのくせ自分にとって、おもしろくないブログなど書けば、嫌がらせだけはキッチリしてくるんですからね、男らしくないことこの上なしです。大の男が顔を分からないようにして、ガンとか、大きな音を立てて嫌がらせしてくるんですよ、どうです、このブログを読んでる若い女性の皆さん、そんな人子供と同じでしょう。でもそういう人が多いのです。

文句があるなら堂々といえばいいのに、そういうことは一切せず、妬みやひがみや怒りからそんなことをやってくるのです。男らしくないことこの上なしですね。前回現代の女もダメだと書きましたが、現代の男もダメです。

私からいわせれば文句があるなら、自分でもそういうブログを書くか、あるいはこういうところがおかしいと、はっきりいってくれば、まだ私も堂々と大勢の人の前で、ではどちらが正しいのか議論でも何でもできますが、そういうことは一切しないのです。

ただ文句がある時は嫌がらせをして、ない時は何もしない(当然よいブログでしたと褒めることもしません)そんな態度ではまるでダメですね。(マァ、嫌がらせしっぱなしの奴も中にはいますが)

しかし、世の男がこんな態度しか取れない人が多いのも、実は女性のせいなのです。

何でもかんでも女のせいにしないで、と思うかもしれませんが、では、そんな人にお聞きします。

こんな男らしくない男を世に出したのは一体誰でしょうか?

こんな男らしくない男を育てたのは一体誰でしょうか?

答えは誰でも知っています、その男の母親(女)ですね。

違いますか?

このような男を生んだのも、その人の母親なら、このような男に育てたのも、その人の母親です。よく、社会が人を育てるとか、こういう性格の男自身が悪いとかいう声もありますが、確かにそういう部分もありますが、その基礎をつくったのは母親なのです。

だいたい社会が人を育てるなどということは、ある程度成長して社会に出た人が、色々な経験をつんで成長していくことであり、生まれて世に出るまでの成長は主に母親がするのです。そんな小さな時の成長まで社会ができるわけがないでしょう、それに、そういう男らしくない男になったのも、小さい時の影響が大きいのです。

三つ子の魂百までも、といわれますが、本当にこれはそうで、この物心つくまでの子供の性格への母の影響は非常に大きいのです。この時に母親が、子のそばにいて愛をもってしっかり育てないと、愛のある思いやりのある子には育たないのです。

父親もいたであろうといわれる人がありますが、世に母性本能という言葉はあっても、父性本能という言葉はありません。これはなぜだかお分かりですか。女の方が子(人)に対する愛が深いからです。男は、その人を愛するという愛の深さではとても女にはかなわないからです。

この家庭内の子育てということに関しては、女(母)が主であり、男(父)は従でしかないのです。(これも男と女の役割の違いです)とても男の愛だけでは子供はまともに育たないのです。愛が足りないからです。

だからこそ、小さな子が物心つくまでは女(母)の十分な愛いが必要であり、その時にたくさんの愛を母からもらっているのであれば、その人は例え成長したとしても、このような心の狭い、人のことをあまり考えない、愛のない男にはなっていないのです。

相手を思いやる気持ちがあるならば、人に嫌がらせなどできますか?その人が間違ったことをしていると思えば、堂々とそれが間違いであるといえるはずです。相手のことを思っているのですから。

しかし、それがまるでできないということは、相手を思いやる気持ちなどなく、自分のことしか考えない、自分が気に食わないなら、相手が嫌がることでも平気でやる、愛のない人間といわれても仕方がないでしょう。そのように愛のない人が多いのは、女(母)から、しっかり愛をもらってなかったからです。

しかし、普通は成長すれば、そのような考えを改めもう少し人に対する愛を持つものですが、今度は社会に愛がありません。(前回書きましたが女が必要な愛を出していないからです)こうなると“愛”という部分に男はまるで気づかないということになります。(もちろん、そんな中でも男は自分で愛に気づかないといけませんが、このブログは女性用に書いていますので、女性に厳しい書き方になります。そこはご容赦ください)

このような意味で、母の愛は男にとっては非常に重要であるということです。

今、女性の社会進出がおおいにいわれ、それを促進する動きも出てきています。(自民党もそうでしたね)

確かに社会に出て活躍しなければならない女性はいます。しかし、それは一部の女性であって、ほとんどの女性は家庭に入り子育てをしっかりする(愛をしっかりだす)目的で、この世に生まれてきています。

そのような女性まで、社会に出て働くようにする、そんな政策には私は反対です。あくまで自由にやりたい人はやる、という政策にとどめるべきでしょう。(それに私は基本的には女が結婚し、子供ができているのに外に働きに行くのには反対です。生活ができないのなら仕方がありませんが、生活ができるのに〔または切り詰めればやれるのに〕子育てばかりしているのもいやだとか、もっと社会に出て色々勉強したいとか、家に一日いたら息が詰まるとか、そんなどうでもいい理由で外に働きに行くのであれば、その人は後で必ず泣きを見ることになります。〔子供にしっかり愛を出さなかったからです〕子育ては、それこそ女にとって、一生をかけてもいいくらいの愛を出す勉強になるからです。そのような愛を持って育てられた子が、後に社会に出て多大な貢献をすることになるからです。女の本当の貢献は現実社会ではなく、夫や子供を通して未来社会に貢献することなのです)

愛のない人が増えたことが、このような狭量な社会を作り出したのです。

女の愛の大切さをもっと知ってください。

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1月 06 2013

女の役割

何かパソコンで調べれば調べるほど、女の子で私のブログ読んでそうな子が増えるんですが、完全に私勘違いしていますかね?

何十人もそれらしい子がいるんですが、何ぼなんでも多すぎですね。だって日に百人くらいしかこのブログ読んでないんですから、そうなると、このブログ読んでるほとんどの人が女の子ということになります。中には十六、七くらいの子もいて(それにキャラの合わない子もいるし〔笑〕)何でこんな子まで?と思うんですが、どう考えてもおかしいです。

マァ、私の勘違いかもしれませんが、若い子には心の高い子がたくさん生まれてきています。心が高ければ、当然私が書いているこのブログは読めますので、歳に関係なく読む子は読むのでしょう。

しかし、若い(しかもかわいらしい)女の子がたくさん読んでいるということであれば、少しは女性向けの話も書かなければいけません。今回のブログは女性を題材に書きましょう。(現代の女性にはちょっと耳が痛い話かもしれませんが〔笑〕)

最近は出生率の減少傾向が止まらないようで、もっと結婚しやすい環境をつくらないといけない、などという意見をいっている人が多いのですが、こういう意見などは完全に末法の世の意見ですね、どれだけ環境を整えようが出生率の減少は止まりません。なぜなら、そんなところに本当の原因があるわけではないからです。

ではどこに原因があるのかといえば、その出生率低下の本当の原因は、愛がなくなったから、ということです。

愛がなくなった、そんなことはないだろうと思う人もいるかもしれませんが、世に結婚したがっている女性は多いのですが、昔の女性と今の女性では何が違うかご存知でしょうか?(どうです、このブログを読んでる女性の皆さん、何が違うかお分かりですか?)

簡単な話です。昔の女性の方が愛が深かったということです。今の女性の方が愛がないということです。

そんなことはない、と否定される女性も多いのでしょうが、では昔の女性と今の女性、何が違うか少し比較してみましょう。

今の女性は自分がきれいになることや、あそこに旅行したいとか、ああいう遊びをしたいとかいうことには、かなり熱心で、そのための努力は惜しみませんが、では、人に対して男性に対しての努力はどうでしょうか。

きれいになることや一生懸命仕事すること、それが、男性に対しての努力である、と思っている人も多いのですが、もちろんそれも男性に対する愛の一つの行為であり、そのような努力を全部否定するつもりはありませんが、そのような努力はあくまで従であり主ではないのです。

では、昔の女性はどうだったでしょうか。確かにきれいになりたいという心もありましたが(私は前に“女三界に家なし”という話をこのブログに書いたことがあります)女性といえば家に入り、家の仕事を切り盛りすること、夫に尽くしよき妻であること、その夫との子のよき母であることを主とし、とにかく将来のまだ見ぬ夫のため子のため、その身も心も大切にして、将来の夫と、その夫と子供のために備えていたのです。

昔は、小さい時から女はそのように育てられ、自分のことよりも夫とその家族のために尽くすように教えられていたのです。

そのような教えをしなくなった現代の女性と、そのように教えられて育った昔の女性と、では、一体どちらが男に対する愛が深いのでしょうか?

誰が考えても分かります。昔の女性ですね。

残念ですが、どれだけ今の女性が男性に愛を出しているといっても、それは自分勝手な愛であり、我に近いのです。それも仕方がない話で、昔のような教育をまったくされていないため(というより、戦後そんな女の生き方は悪である、と教えられましたので)愛の出し方が分からないのです。

戦後の教育が悪いのですが、よく考えてみてください。自分を一として本当の愛が出せるでしょうか?私はいつもここに書いています。自分を一としてはいけない、自分の命よりも、その命をかけて何をするかが一番大事である、と。(自分を一とすることは子供でもできます。子供がわがままをいうのと同じですからね、それでは心は成長しないのです)

なぜ、そのように書いているのか、そうしないと本当の愛は出てこないからです。そのように自分の身を犠牲にしてでも他のものに尽くす、そのような心にならないと本当の神の愛は出てこないのです。(そのような心になりますと奇跡が起きてきます)

女が自分がきれいになりたかったり、自分のことをやりたいためだけに一生懸命で、神の愛が出てくるのでしょうか?女が男に負けまいとして男と張り合い、男などに負けるか、などと思っていて神の愛が出てくるのでしょうか?

人のために尽くしてこそ、本当の神の愛が出てくるのであるならば、自分のことより、まず愛する男のため(そのような心になれば男のいうことを素直に聞けるはずです)男と張り合うより、男の足らないところを女が手助けする、そのような相手と調和する心にならないと、本当の愛は出てこないのではないでしょうか。

戦後、自由平等がいわれ、男も女も平等で何をするにも半々にすればいい、という教育がなされました。その結果、男と女は結婚をしなくなり(そこに愛がなくなったからです)家族の絆も希薄になり離婚率も上がりました。当然出生率は下がります。

このような結果が出ている以上、戦後の教育がいかに間違いであったかは、火を見るより明らかでしょう。(ということは、そのような自由、平等などという考えでいれば不幸になる、ということです)

安倍政権なって、その教育の分野でも改革がなされるようですが、政治だけに頼っていてはいけないのです。一人一人が自分で気づいて、本当の愛を出すにはどのような心にならなければいけないか、どのような行いをすればもっとよい世の中が来るのか、を考え実践していかないといけないのです。

世は正法の世に変わっています。であるならば、女性は女性としての本当の役割を知り、それを実践しなければならないのです。(そのような心にならないと、本来もっている女性としての本当の力が出てこないのです)

そうすることが結局一番自分を幸せにすることなのです。本当の愛は女性の本当の役割を知ってこそ出てきます。

女性の本当の使命を知ってください。

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