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2013年2月

2月 03 2013

霊夢

昨夜、北海道と青森で震度5の地震が起き、その地震は関東辺りまで影響があったようですが、ずいぶん大きな地震が起きたものです。(昨日かなりムカつくことがありましたが、もちろんそれとは関係ありませんよね)

最近はまた(震度5クラスの)大きな地震がよく起きているようですが、それだけではなく、インフルエンザも過去十年では最高の患者数を記録したようですし、ノロウイルスも心配です。雪も例年より多いようですし異常現象はまだまだ止まりません。

名古屋も昨日は、ずいぶん救急車のサイレンを聞いたのですが(今日も朝から何度も聞きましたし今もしてました)このブログを読んでる多くの皆さんは(法の偉大性を理解していない人たちはという意味です)結局、この法があれば聞くが(このブログを書いているなら読むが)特別なくても、自分たちの生活に支障はきたさない、あってもなくてもどちらでいい、と思っていられる人が多いということですよね。

しかし、法の偉大性を悟っている方々はそうは思っていません。やはり、この教えがなくなると生活に支障をきたすようになるから、この教えをなくしてはいけないと思って、私に寄付をしてくださるのです。(もちろんそれだけの理由ではないでしょうが)

そこらへんのギャップをどう埋めるかということですが、法の偉大性を理解していない人たちにお聞きしたいのですが、それでは昨今の、このような異常現象を皆さんどのように見ているのでしょうか?たまたま起きているということでしょうか?それとも、そのような異常なことと、この法とは関係がないと思っていられるのでしょうか?(それなら何でここに書いたことが起きるのでしょう?)それともあまりそんなこと関心がないのでしょうか?

法の偉大性を認めていない方々は、私と一言も口をきいてくれませんので(笑)その真意は確かめようもありませんが、異常現象を見るにつけ生活に支障をきたしていないとは、私にはとても思えません。早く、今起きている異常な現象を悟り、この法の偉大性を理解して、私に協力してくださる方が出てきてくれることを願ってやみません。

その法の偉大性を理解してくれる人が出てくるのではないか、と思えるような夢を昨夜観ました。それは次のような夢でした。

私がある場所でお茶を飲んでいたのですが、そこにある有名な女の子たちが来て、私と一緒にお茶を飲んで話しをしだしました。その子たちは、多くの人に知られている有名な女の子(女の子というより女性ですが)で、その子が話すには「私たちは寄付しますよ。○○ちゃんも寄付するといってました」と、そこに来ていない子の話も(その子も有名な子でした)私に話したのです。

「そうかい、それはありがたい」と私もその話を聞いていたのですが、しばらく話した後、その子たちは帰り、また別の女の子たちが来ました。しかし、今度来た女の子たちは、寄付のきの字もいいませんでした。しばらく話してその子たちも帰り、今度は男が数人で私のところにきて話しだしたのですが(その男性陣も有名な人たちでした)やはり寄付のきの字もいいません。

それで私が「○○ちゃんたち寄付してくれるそうだけど君らどうなの」と聞くと「寄付ですか…」と渋っている様子でした。「何だ、寄付してくれるのあの子たちだけなんだ…」と思っていたところで目が覚めました。

私はこれまで不思議な夢を何度も観たことがあります。(それはこのブログにも書きました)普通の夢と不思議だな、と思う夢の違いは、普通の夢はあまりよく覚えていないのですが、不思議だなと思う夢はおきても、心の中にアリアリとその夢が残り非常によくその夢のことを覚えているということです。

昨夜観た夢は、心の中にアリアリと残っていましたので、今日ブログに書いた次第です。正夢になることを願いつつ、でも私(暗示的な夢は観たことありましたが)正夢はまだ観たことないな、とフッと思い出しました。(あれっ?)

それじゃダメでしょう。(笑)

追伸…その寄付します、といってくれた子が加藤さんじゃなかったのは残念です。(涙)

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2月 02 2013

如来はなぜ最初から悟っていないのか

釈尊はインドのカピラ族の王子として出生され、二十九歳で出家されて三十五歳で悟られます。キリストも同じで、ヨハネにバプテスマ(洗礼)を受けられた後、福音を伝えられるようになり奇跡を現されるようになったのです。

このような事実を見て思うのですが、如来といわれる方々は、なぜ最初から悟っていないのでしょうか?如来が生まれた時から悟られているなら、もっと多くの人を救えるはずですし、もっと、その教えが多くの人に伝わっているはずです。どちらにしても如来が悟りを開くのであれば、できるだけ早くから悟られた方が、より多くの人が救えて、より多くの人に法が伝わるのです。なぜ、こんなに何十年も(釈尊は三十五歳、キリストも三十を過ぎてから、福音を述べ始め奇跡を起こし始められたのです)経なければ、如来は悟りを開かれないのでしょう。(または奇跡を現すようにならないのでしょう)

それは次のような理由があるからです。

人に正しく神理を伝える使命を持った者は、その時生まれていく社会状態にあった指導ができるように、いろいろな人生体験を経て、その体験の元に悩める人を指導ができるように、そういう環境を自ら選んで生まれます。従って、ある程度、この世(この時代)の修行をしてからでないと、その時代に即応した指導ができませんから、悟りを開くまでに、それ相当の時間がかかるのです。

この世に生まれて目が見えるようになり、音が聞こえるようになり、物に触れて、これは何であるかということが分かるようになり、そのようなことを認識していく過程は皆同じであって、そこから成長するに従いいろいろな環境条件によって、次第に潜在意識の中にある智慧が啓発されていきます。この潜在意識の中にある智慧の啓発度が、普通の人と如来、菩薩といわれる人とは違うのです。(ということは如来、菩薩といわれる人が法に出会うと、その教えへの理解度は格段に早いということになりますが、皆さんずいぶん遅いです〔笑〕)

つまり如来が生まれてくる時代は、その時代その時代により、地上の状況がまったく違っています。(数千年に一度しか、この世に現れないのですから当然そうでしょう)そうであるなら、その時代にあった説き方をしなければならないので、その時代のことを体験し理解するまでに時間がかかるというわけです。

例えば、高橋先生が釈尊として出世された二千五百年前のインドは、カースト制度があり(現在でもありますが)身分制度が強すぎてあまりにも不平等な世界でした。(これはキリストの時代でも同じです)だから人間皆平等を説かれたのであり、逆に今生はあまりに自由平等をいい過ぎて、たががはずれた秩序がなくなったような世界でした。だから、それほど自由で平等ということをいわれず、中道の心が大事であると“八正道”を強調していわれたのです。

このように如来が生まれる時代時代によって、説き方が違っているのは、その時代にあった説き方をしているからであり、本質的には如来の教えは皆同じなのです。

しかし、如来だけでなく、過去世の記録は誰も皆持っているものであり、それは自分の心の中にあるのです。潜在意識の中にすばらしい自分自身の体験(智慧)の記録が眠っているのです。

それを表面意識に現すには、ある程度厳しい環境に置かれないと現れてはこないのです。だから、高橋先生も園頭先生も軍隊のような、目の色が変わるくらいの厳しい体験を経験されたのです。

高橋先生や園頭先生でもそうなのです。それなのに私たちが甘い環境にいて、自分自身の心の中にある、すばらしい過去世の智慧が啓発されると思いますか?今のような、ちょっと叩いたくらいで大騒ぎしているような環境では、すばらしい智慧は絶対に現れては来ないのです。

あまりに無茶な環境なら大いに是正すべきですが、そうでもないなら、やはりよく関係者が話し合い、そこで解決すべきではないかと思います。今回の柔道の体罰問題など、女子の柔道選手にあまりに過酷な条件で練習させるのは、もちろん無茶な部類に入りますので、それは改善すべきですが、ここまで話を大きくするような問題だったのでしょうか?その問題を提起した女子柔道選手たちも、ここまで大きな問題にする気があったんでしょうか?こんな問題になってしまえば、もうオリンピックの招致などおぼつかなくなるのです。こんなに大騒ぎになったのは、決してその柔道選手たちの本意ではなかったように思いますが、そこはどうなんでしょう。(それに外国との対比もどうかと思います。外国は手は飛んでこないかもしれませんが、かわりに鉄砲玉が飛んできます。〔銃社会ですからね〕それよりはよほどましですし、やはり、その国その国の伝統はあります。何でもかんでも他国と同じにする必要はないと思います)

どちらにしても、あまりに甘い世界ではすばらしい自分の智慧も現れてきません。この世は心の修行の場と考えるのであれば、少々の厳しさは忘れてはならないと思います。

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2月 01 2013

親の教育と世間の教育

どこかの傲慢市長さんが火をつけたものですから、体罰問題があちこちから出てきて大騒ぎになっています。(中には何でこんなことニュースにしてるの?と思うようなのもありますが)

体罰を絶対認めないのか、それともある程度認めるのか、体罰を絶対に禁止してしまい、子供たちが調子に乗って教育にならなくなったらどうするのか、など問題がいくつも出てきて、ご本人もどれが正しいか分からず悩んでいるそうですが、八つ当たりなどするからこんなことになるのです。

ちょっと叩けば体罰だの、虐待だの、大げさに騒げばいい影響など出るわけありません。そればかりではありません。その騒ぎ方もずいぶん的外れのような気がしますがそこはどうなのでしょうか。

例えば、あるところにため池があったとします。そのため池は非常に深いので周りに塀を作り、立ち入り禁止の看板を立てました。しかし、それにもかかわらず、近所の小さな子供がその塀を乗り越えため池で遊んでいました。その子は何度注意してもそのため池で遊ぶのです。

この場合、その子供をひっぱたいて「ここで遊ぶな」とやったらいけないのでしょうか?

その子の家まで行って、その子の親に、ため池で遊ばせないでくれと頼まないといけないのでしょうか?それでもその子がため池で遊んでいたらどうするのでしょうか?

今、体罰を絶対に禁止と声高にいう人たちは、こういう場合どうしたらいいのか、その対処方法をしっかりいうべきです。(まさか、見張りでもたてろなどといわないでしょうね。その費用出してくれるんでしょうか?)

それに、この子がもしそのため池で溺れ死んだらどうするのでしょう。最近の世相では、それはそのため池の持ち主が悪い、塀をもっと高くすればよかった、看板の書き方が悪い、はては、そんな子供が遊ぶようなところにため池があるからいけないなど、とんでもないことまでいい出す人がいるんですから、でたらめですね。(ここまで大はずれされますと、何か起きたら、ゴルフではありませんが「フォアー」とでも叫ばないと、危なくて仕方ありませんね、どこでどんな罪きせられるか分かったもんじゃありませんから)

現在の世相は被害者は何も悪くなくて、悪いのはすべて加害者にある、という偏った見方をしているのです。

では、その死んだ子は何も悪くなかったんでしょうか?そのような子供の教育しかできなかった、その子の親は何も悪くなかったのでしょうか?

そこをまったく無視してしまうから、このような問題は答えが出てこないのです。

今、問題になっているいじめの問題でも、体罰を一切禁止してしまって解決できるんでしょうか?小学生や中学生のすべての生徒が、口でいっただけで分かるんでしょうか?分かるなどと断言する人がいたら、そんな人こそ口だけの人です。現実に口でいっただけで分からない生徒がいるから、あちこちの学校で学級崩壊など起きているんでしょう。それはどう説明するのですか?(先生が悪いだけですか?)いってはいけませんが、まともな教育を知りもしない人が、あまり教育に口を出さない方がいいのです。現場が混乱するだけだからです。

先ほどの例え話でも、親の教育が悪いのと、世間に少々ひっぱたいても子供が危ないところに行けば注意する、という姿勢がないからいけないのです。(今そんなことしたら訴える親がいますからね、これだから大はずれしてるというのです)

親が危ないところでは遊んではいけないと、しっかり教育しているのであれば、その子は危ないところにはいかないのであるし、また、そのような教育ができているなら、危ないところにいっても「ここは危ないから遊んではいけない」と一度注意されれば、その子はそのため池で何度も遊ぶこともなかったでしょう。それに何度いっても分からなければ、頭にげんこつでも食らわし「ここで遊ぶな」と叱りつければ、その子はもうそこでは遊ばなかったでしょう。

親の教育と世の中の教育がしっかりしているのであれば、危険なところで命を亡くす子も減るのです。

これはいじめの問題でも同じなのです。

子供に人をいじめてはいけないといくらいってもやる子はやるのです。(大人でもやりますからね、現在の私いじめられています)では、いじめをする子としない子の差はどこにあるのでしょうか?

それが親の差なのです。親の教育の違いなのです。

このような(小学生や中学生)子供たちは、まだ親の影響をまともに受けているのです。ですから、いじめの問題が発覚したなら、まず、そのいじめる子の親を呼んで、親にしっかりいって聞かせることが大事なのです。親の心を変えることが大事なのです。いじめている子の親の心が変わると、いじめている子も人をいじめなくなるからです。(こういう人をいじめる子の親というのは、まずどこか問題がある親が多いので、その親の心を変えるのは容易ではありませんが、親の心が変わらないと、いじめてる子のいじめはなくならないのです)

それを親は無視していて、そのいじめてる子ばかりにいっているから、このような問題はいつまでたってもなくならないのです。(こいうところも大はずれです)

今の教育は心を重視していません。しかし、心の勉強をしないと正しいことは分かってこないのです。(つまり、現在問題になっている、いじめ問題などはまず親の心を変えないとなくならないのです。今いじめ問題を騒いでる人たちは親のおの字もいいません、従って、すべての人がいってること違っているのです。だから問題が解決しないのです。だから私は大はずれといっているのです)

心の勉強をすることの重要性が少しはお分かりいただけたでしょうか。

(私が書いたことが正解かどうか分からないというなら、試してみたらどうですか。親の心を変えるなどということは誰もしなかったんでしょう、どうせ今のままでも解決しないんだから、どなたか試してみたらいかがですか?アドバイスしますよ私…どうせ無視されるでしょうけど、こんなこと書いても)

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