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2014年2月

2月 23 2014

七大天使の偉大な能力

前々回、七大天使のことに触れましたので、七大天使のことをもう少し書いておきましょう。

パニュエル大天使のことを書きますが、前にパニュエルとアガシャ(キリストのことです)がある星に表敬訪問に行き、パニュエルが、その星の現象系の大天使を散々に打ち負かして、それをアガシャにひどく叱られた、という話を書きましたが、その話の続きです。

アガシャがパニュエルを、他の星の大天使がいる前で、ひどい叱り方をしたのにはわけがありました。

というのも、パニュエルの持っている能力があまりに大きかったからです。

だからアガシャは、それだけの能力を持っているのだから、もっとしっかり自分をコントロールしないといけないと、パニュエルの顔を見るたびに注意をしていたのです。それにもかかわらず、また同じようなことをパニュエルがやってしまったため、大勢の前で、よりひどい叱り方をアガシャはしたのでした。

もちろんそれが一番パニュエルのためになるからです。

その後もアガシャは、ことあるごとにパニュエルに「もっと心の修行をしっかりせよ」と注意を促していました。

しかし、パニュエルは、そのアガシャの言葉を「ありがたいな」とは思っても、しっかり心をで聞くということをせず、聞き流していたのです。

それがあの、天使と悪魔の戦いの時の失敗(サタンの矢をまともに受けてしまう)につながり、ひいてはサタンに憑かれて、天上界の天使たちを次々に吹き飛ばし、倒してしまうという大失態につながったのです。

天使と悪魔の戦いの時もそうでした。

はじめはパニュエルが現す巨大な現象に、サタンを含めた多くのサタンの眷族たちが、ある者はイカズチにうたれ、ある者は強風に飛ばされ、またある者は強大竜巻に巻き上げられ、散々な目に遭わされるのです。

ところがまたここでパニュエルの悪い癖が出ます。

自分の現す現象に熱中してしまったばかりに、サタンの存在を忘れてしまい(サタンは吹き飛ばされるふりをして、パニュエルの死角に回りこみ、そこでパニュエルめがけて矢を放ったのでした)そうして自分の味方である天使たちまで遠ざけたのです。(あまりにパニュエルの現す現象が大きすぎて、誰もパニュエルに近づけなかったのです。ですから誰もサタンの矢を止めることができませんでした)

この時も、パニュエルがもう少し冷静に現象を現していたのであれば、わざわざエル・ランティの手を借りずとも、悪魔たちを打ち負かし追い払うことが出来たのです。

また、これだけの力(たった一人でも悪魔の軍団を追い払うだけの力)を持っていたがため、サタンはその力が喉から手が出るほどほしかったのです。(地獄界は力がすべてを支配する世界だからです。力さえあれば何でも出来るからです。〔金があれば何でも出来る現世と似ています〕サタンは、パニュエルの力がほしくてほしくて仕方がなかったのです)

しかし、このような失敗を繰り返し、パニュエルはようやく反省し、モーゼの肉体をサタンとその眷族が奪いにきた時(高橋先生がビデオでいわれている話ですが、この話も前に書きました)その力を大いに発揮して、悪魔たちを追い払うのです。

天使も人も同じでしょう。普通以上に力を持っている人たちはどの世界にもいます。しかし、その力におごり、人の意見に耳を傾けることをしないと、パニュエルのような失敗をしてしまうのです。

どのような力を持っていようと、いつまでも素直に聞く耳だけは忘れてはならないのです。

追伸…河野談話の欺瞞性が次々に明らかになっているようですね。(当時の首相官邸の事務方のトップの人まで呼んで)これはもう河野談話のおかしさは、衆目の一致するところでありましょう。(だからなんだ、見たいなことをいうキャスターやコメンテーターがいますが、こういう人たちは、韓国の回し者なのでしょうか?そのように疑りたくなりますね。とても日本人とは思えません。日本が濡れ衣を着せられていても平気なんですから)

間違っている談話をそのままにしておくことは、当然ではありますが間違いです。

安倍総理に正しい談話を出していただくほかありません。

これは至極当たり前の行為ですね。

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2月 22 2014

自分の使命の重要さ

ウナッシーさんは、相変わらず好調なようですが(不思議な奇跡が連続して起きているようですね)最近は、起きる異常現象にも拍車がかかっているように感じます。そうして二月二十日に観た不思議な夢、このようなことを考えますと、やはり、天上界はそうとう急いでいるものと思われます。

これ以上もたもたされては、多くの人が自分の本当の使命を果たせなくなります。

少し啓発していただく意味でも、ちょっと加藤さんのことを書いておきましょう。

最近私は、加藤さんのことを少しもこのブログに書きませんでした。それはなぜか?

天から、そのようにいわれたからです。だから、この一年ほど加藤さんにはほとんど触れなかったのです。

なぜ、天がそのようなことを私にいったのか?心当たりあるんですかね、加藤さんは?

ないと困るのですが、簡単にいえば、加藤さんが、私のいうことを少しも聞こうとしなかったからです。逆らってばかりいたからです。

そういう態度ではいけない、こうしないといけない、上の方々はカンカンだ、と再三私は注意をし、そうして天から警告まで受けたにもかかわらず、それでも加藤さんは考えを変えようとしなかったのです。(こういうことはすべてこのブログに書いてあります)

『当分ほっておけ』ということを天からいわれて、それで泣く泣く無視していたわけです。(なんてね。不思議なんですが、そのようなことを天からいわれたとたん、加藤さんにほとんど気がなくなってしまい「何だこいつ、変な奴」くらいにしか思わなくなりました。〔そうでなければこれだけほってもおけないでしょう〕何か心までコントロールされているようです)

ここ一年ほどの間、加藤さんのことにほとんど触れなかったのは、そのようなわけからです。(その間、一、二度加藤さんのことを書いたことがありますが、その時は天から「書け」といわれたから書いたのです。そういう時には加藤さんに、何か心の変化があったのではないでしょうか)

それが父の死をきっかけに、また私の考えが変わったのです。(また、そのようにコントロールされたのかもしれませんが)

少しは、加藤さんの心が変わったのかもしれませんが、もし、さして変わっていないのなら、もうやめられたらどうでしょう。(前にもそれをいいましたが、私と縁のある子はあなただけではありません。どうぞ心置きなくやめてください)

あなたが変わらなければ、あなたとの道はついてきません。では、無駄な時間を過ごすだけです。(あなたも年も年なんですから)

結局、あなたが私に逆らってばかりいれば、そのようなことだけで終わらず、私までダメになってしまうのです。私がダメになってしまえば、もう日本に法を説く人がいなくなります。そうなると天は日本を潰さざるを得なくなり、最悪の結果が日本に現れることになるのです。(例えば南海トラフとかです)

もしやる気があるなら、やる気があるところを見せてください。また、これ以上くだらないことをするのであれば、天がもうあなたとの縁を切るでしょう。

私は普通の人とは違います。したがって、普通男の人はこうするだの、ああするだのいわれても(ずいぶんおもてになるようですから)そのような常識は私には通用しません。

大きな使命がある人に対しては、それにふさわしい態度を取らないといけないのです。自分でそれに気づき、自分で態度を改めないといけないのです。

それがあまりに出来ていないのではないでしょうか。

それができないということであれば、私との付き合いは無理なのです。(天が許さないからです)

今後どうされますか?どうぞ自分でお決めください。

(ブログでそれらしいこと書いてくれればそれで結構です。それにブログくらい書いたらどうですか。それくらいしないとあまりに愛想がないでしょう)

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2月 21 2014

清き者たちへの贈りもの

昨夜不思議な夢を観ました。

昨日は(二月二十日)園頭先生の生まれられた日であり、亡くなられた日でもあります。そうして私の誕生日でもありましたので、何か意味があることなのかもしれません。

ですから、その観た夢をここに書いておきます。

その夢とは次のようなものでした。

あるところで私は、高橋信次先生と話をしていました。高橋先生は手に原稿のようなものを持っていられます。

しばらく話していると、高橋先生が「これは完成された『新・復活』の原稿です。これをあなたは本にしてください」といって持っていた原稿を私に渡されました。

私は思わず「えっ、うそっ」と思ってしまいました。

というのも、その『新・復活』の原稿とは(高橋先生が、書いてる最中に亡くなられたため)途中までしか書かれていない未発表のもので、高橋先生がこの原稿を書いていられる時に「この本は世界を動かすものとなる」といわれていた、高橋先生の絶筆のものであったからです。

私も、その未発表の原稿を読んだことがありますが、たしかに、それまでの高橋先生が書かれたご本とは違い、あの世の光の天使と悪魔のことが、そのものずばりで書かれてあり、今すぐ出しても話題になることはないかもしれませんが、もうしばらくして、私の評判がもっと拡がって、この法をもっと多くの人が知ることになれば、世の多くの人々の心を動かすものとなるのではないかと思えます。

せっかくですから、その未発表の『新・復活』の中身を、少しここに書いておきましょう。(このブログを読んでいる人だけの超特典ですね)

この『新・復活』には「七人の大天使の言葉」と「サタンからの通信」が書かれてあります。

「我ら七人の天使は、主の使いにより、何億年もの昔より、多くの魂をユートピアなるものへ導きたり。

我らの力ひとつにして大きな力あり。

我らの父、力の直系、我らの主であるエル・ランティより大いなる慈悲と愛の力を分け与えられん」

から始まります「七人の大天使の言葉」には、真のメシア『エル・ランティ』の存在、七大天使の役割、真のユートピアの実現、キリスト、ブッダ、モーゼの存在から、人類創生の歴史と地獄救済が書かれてあります。

それに対し「サタンからの通信」には、

「黄金の翼を持った天使よ、我は実在せる魔界の帝王なり。

我はそなたらの正法に阻まれず、我思うところに我あり。

前途を阻む者は、すべて抹殺せん。

そなたらの生命は、我が手にあり」

という、大天使に対する挑戦状が通信されています。

この『新・復活』の中には、本物の大天使と悪魔の存在、真のメシアの存在、そうして人類の歴史と未来が書かれてあり、まさに、この本が世界中で読まれることになれば、物質中心の世界から霊中心の世界に「世界を動かす」書となりえると思います。

「それを私が本に…」と驚いて高橋先生を見ていると、高橋先生は、私の驚きなど意に介さず、他の話をされだして、あの本はどうしよう、この本はどうしようと、他の本の出版のことを話し出され『新・復活』のことなど、もう忘れたかのように話していました。

と、このような夢でしたが、これがただの夢だったのか、それともいずれ実現することを教える“霊夢”であったのかは、神のみぞ知るといったところでしょうが、実はこの夢、まったく実現不可能な荒唐無稽な話ではないのです。

実現する可能性はあるのですが(実現する可能性の方が大きいと思いますが)しかし、その理由は書きません。

いずれにしても、このような日(二月二十日)に、このような夢を観たということは何か意味があるのでしょう。

ウナッシーさんは、次々に気づきを得ていられるようですが、このブログを見ている他の方も、早くそのようにされないと、後で大きな損をするということは(今現在でもすでに損をしていますが)確かなようです。

異常現象も次々に起きています。もう少しやる気を出されてはどうでしょうか。

(今日のブログの題である“清き者たちへの贈りもの”とは『新・復活』の副題で書かれてあるものです。せっかくですから、それを今日のブログの題名としてつけてみました。それにしても自分の誕生日に大変な贈りものをいただけたようです。〔笑〕)

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2月 20 2014

なぜ、こんな異常現象が起きたのか

今日は園頭先生が亡くなられた日です。幸い園頭先生には、変わらずご指導いただけているようです。なんとしても園頭先生のご意志は継がねばならないと、改めて思います。

現在の日本を見ていると、法の流布を急がねばとつくづく思います。

今日の天気も、今回は大雪にならなさそうですが、ここ二回の大雪と強風の被害は大変なものとなりました。(現在もまだ二千人以上の人が、孤立状態にあるくらいですから)

それにしても、この二回の大雪は、ずいぶん異常なことが起きたようです。

そう思われないでしょうか?だって気象庁は、最悪の場合を想定して予報を出すため、どうしても出る予報は大袈裟になります。(だから、よく大雪になるという予報が出ていても、あまり大雪にならないのですが)

それが今回は違いました。一度目も二度目も気象庁は予想を外しましたが、奇妙なことに二回とも悪い方に外したのです。

というのも、予報より雪が少なければ、これほどの被害は出ていなかったでしょうが、予報より雪は二度とも多かったのです。そういうこともあって各地大変な被害となりました。(その甚大な被害状況は、ニュースなどで連日報道されています)

一回目の雪の予報も、気象庁の予想以上でしたし、二度目の予報も、気象庁は一度目より降る雪は少ないと予想したのですが、とんでもありません。一度目よりも二度目の方が雪が多かったのです。(しかも広範囲にです)

そればかりか、不思議なことに、これまであまり雪が多く降らなかったところに、大量の雪が降ったため、その被害が拡大したのでした。

ずいぶん奇妙な話です。これだけ近々の予報を、最悪を想定している気象庁が雪の少ない方に外すでしょうか?

先の予報ならともかく、ここ二日、三日前の雪の予報を、気象庁がそこまで大きく外すなどまずないことでしょう。(多い方には外してもです)そのまずないことが起きたのです。(しかも二回も続けて)ということは今回の二回の大雪は、普通では予想できなかったほど、異常なことだったということになります。

これは何を意味しているのでしょうか?

もうクドクド申すまでもないでしょう。「多くの人々の心がけが悪いからこういうことになる」ということです。

二度、人の予想を上回る現象が現れたのです。三度も出来たでしょう。

しかし、二度はやったが三度目はしなかった、ただそれだけです。

そんなこといつでも出来るのです。多くの人々の心を観て天がそれをするか、しないか、すべて、そこに住む人々の心のあり方にかかっているのです。

その多くの人たちの心を観て、天が判断するからです。(何度もいいますが、低気圧が急に発達してだの何だのということは、二次的作用に過ぎません。そのようなものにかかるエネルギーは、すべて天から降りてきているからです。つまり天上界の霊たちがそれを行っている、ということです)

この近辺でも、次々に不幸が起きています。(これも天上界の霊たちがそれを行っているのです。私ではありません)いつまで神に背を向けて、責任転嫁を平気でし、間違った信仰など続けるつもりですか?

そんな不遜なことを続けていればいるだけ不幸は続きます。

やってはいけないことはやってはいけないし、やらなければいけないことはやらなければいけないのです。

追伸…私も、ずいぶん多くの子たちに気を使いましたが、未だこの法に協力する人は出てきません。もうこれ以上、そんなことしていてもあまり意味はないでしょう。(何か段々アホらしくなってきました)

やりたい人はやってもらえれば結構ですが、私はもうやりません。もう年ですから、合わせるのにも気を使いますので、清く引退します。(涙)誰がやり始めたか知りませんが、私なりに法の流布のため努力してきたのですが、ちっともそれに応えていただけなくて残念でした。(悔)

だから適当に公開しますので、あまり気にしないでください。

そうして加藤さんも、狙い通りだったのに最後に少しこけたのでしょうか?(別に私は、父の葬儀でブログを書かなかっただけですけど)

バカなことやってると、バカな結果になるという見本みたいなものですが(もう少しいいことしてくれません?)次回また頑張りましょう…でも次回またやったら、それで終わっちゃうかも知れませんが。(笑)(笑)(笑)

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2月 19 2014

父の死

父が亡くなりました。

ちょうど前回のブログ(十六日)を書いたすぐ後に「今お父様が息を引き取られました」とデイサービスから連絡が入り、それからバタバタして、翌日にお通夜、昨日が葬式でした。

私は、お通夜とその前日の二晩父と一緒にいました。(私一人葬儀会館に泊まったのですが)覚悟していたこととはいえ、やはり父が亡くなるのは寂しく悲しいことでした。

父が亡くなった夜、しばらく私は父の近くに座り、父の顔を見ながら父とのことを思い出していました。

自分はずいぶん親不孝であったと、父にはどれだけ詫びても詫びたりないほどでした。

そうして父に詫びるだけ詫びて、後は私が父に引導を渡そうと祈りました。

神と父の守護、指導霊にお礼をいって、そうして、どうぞ、あの世である実在界でも父をよろしくお願いしますとよく頼んでおきました。

しばらく父を祈っていると、私の心に、父が天上界に昇る姿が見え、そうして天上界に上がると父を出迎える大勢の人がいて、ある人は父に笑顔で手を振り、またある人は「よくやってくれた」と嬉しそうに父に声をかけていました。

あまりの大勢の人の出迎えに、父は驚いてその人たちを見回している、そんな情景がアリアリと浮かんできました。

父は法を知りませんでした。ですから、すぐにそのような天上界に上がれるわけではありませんが、しばらく反省した後、その反省がしっかり出来次第、そのような世界に帰ることになる、ということが分かりました。(父を大勢の人が出迎えたのは、父が私の面倒を見てくれたお陰で、法がこの世、現象界に大きく拡がりはじめたということを、天上界の人々は皆知っているからです。それで父の功績を多くの人が祝福されたのです)

この世では、親孝行らしいことは何一つ出来ませんでしたが、最後の最後に、私が父に引導を渡せたことが唯一の親孝行だったかもしれません。

その後のお通夜や葬式での坊さんのお経など、どれだけ上げようと、本当の引導は渡せません。父の通夜や葬式を見ていて、本当に形式だけだなと改めて思いました。

あれでは、死んでいく人は救われません。(お経など上げても、その意味が分からないんですから、意味ありません。死んだといっても、肉体がなくなったに過ぎません。意識はそのまま残っているんですから、死んだらどうなるか、死んだらどうしたらいいのかを、坊さんはしっかりいわないといけないのです)

やはり間違った信仰では、人は救われないし、死んでいく人に引導も渡せません。正しい信仰を早く拡めなければいけないと、つくづく思いました。

正しい信仰がいつまでも拡がらないから、名古屋をはじめ日本中の至るところで、災いが起きているのです。

生きている人も救えないなら、死にゆく人も救えない、そんな教えばかりがいつまでもはびこっていて、一体どうして人が救われましょう。

今のような状況は、どこかで脱しなければいけないのです。その時はもうとっくに来ているのです。

それなのに、何もしようとしないから(現状のままでいるから)このような異常現象が次々起きる世の中になっているのです。

いつまでこのような状況(責任転嫁の嫌がらせを続けていたり、現状を一つも変えようとしなかったり)でいるつもりですか?

時代は次々に動き始めています。

(父の葬儀場や火葬場の辺りでも、救急車のサイレンが聞こえていました。やはり名古屋中でサイレンがしているようです。今日もよくしていますが、名古屋の皆さんいつまで責任転嫁を続けるつもりですか?責任転嫁を続ける限り、この現象は収まりません。少しくらい反省されてはどうでしょう。同じことを繰り返し書いていますが、そう書くしかありません。それが救われる唯一の方法だからです。それしか救われる方法がないからです。いつまでも怒っているだけでは変わりません。少しくらい心を変えられてはどうでしょうか)

追伸…父が亡くなることで、いろいろ気づかされることがありました。でっ、加藤さん……もしかして狙い通りだった?

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