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2014年9月

9月 03 2014

時代の最先端を行く名古屋

ちょっと考えてみてください。

テレビに出ているタレントや歌手など、比較的悪いイメージは皆あまり持っていません。

なぜでしょうか?

そういう悪いイメージを持たれないようふるまうからです。そんな悪いイメージなど持たれてしまっては、そのような人たちは仕事にならないからです。悪いイメージを持たれ、不人気になれば、それこそテレビなどからはお呼びがかからなくなるからです。

では、テレビに出ている人は、私たちよりずっといい人ばかりなんでしょうか?

そうとばかりはいえないでしょう。私たちよりいい人もいれば、悪い人もいるでしょう。テレビに出ているイメージと自分の人柄は別だからです。(ある有名な女性を私は知りましたが、その女性は我が強く人のいうことを少しも聞こうとしませんでした。それで『もうその女性ではいけない』と天にいわれ、仕方なく他の女性をあたっているのです。有名であっても無名であっても、人柄に大差はないとよく分かりました)

しかし、何でもそうですが、一度悪いイメージを持たれてしまうと、その悪いイメージを回復することは容易ではありません。

特に芸能人などは、その悪いイメージが致命傷になり芸能界を引退するということも、なきにしもあらずでしょう。

それほど悪いイメージを持たれることは、人として大きなダメージとなりかねないのですが、そのイメージがこの近辺で著しく悪いのが私です。(苦笑)

大雨が降ったのもあいつ(私)のせい、病気になったのもあいつのせい、けがをしたのもあいつのせい、ではイメージどころか人格まで疑われます。(というか、何でもかんでも私のせいにしている、そのような人の人格をこちらが疑いますが)

しかし、そのような超がつくほどの悪いイメージを、名古屋の多くの人にもたれているのが現在の私なのです。(他の地域の人には、理解していただけないかもしれませんが本当の話なのです)

だから私が名古屋のどこを歩いても、前から歩いてくる人は私の顔を見るとギョとしたり、ムッとしたり、嫌な顔をするのです。

この名古屋のほとんどの人が、そのような悪いことをすべて私のせいにしているからです。

これほど名古屋の町にサイレンが鳴り響くなど、これまでなかったことです。だから、それを誰かのせいにしたいのは分かりますが、全部私のせいにされてもこちらが困ります。(この法が疑われますからね)

いい加減理解していただけないでしょうか、この名古屋に次々に起きるサイレンは「時代が変わったから起きる現象である」ということと「自分の心の悪が現象化しているのである」ということをです。

何度もいいますが、私がそんな次々に何の罪もない人を病気にさせるような男なら、何ですずめや魚がそんなに寄ってくるんですか?

そんな悪党に、気の弱いすずめや魚が寄ってくるわけがないでしょう。人を平気で傷つける人や殺せる人など、すでにおかしな雰囲気が出ています。それはそのような気配を感じるのに超鈍いはずの私たち人間でも分かるのです。

それをすずめや魚が感じないわけないでしょう。そのような動物たちは特に人の雰囲気や気配には敏感なのです。その雰囲気や気配に敏感な、すずめや魚が寄っていく人間に悪い人はいません。(自分でいうのもなんですが)

そういうすずめや魚が寄って行かない人の方が、よほど悪人なのです。悪人と分かっているから、すずめや魚は寄って行かないのです。

それが証拠に、そういう人たちは皆平気で私に嫌がらせをしてくるのです。(嫌がらせってよいことでしょうか?悪いことですよね)そのようなことをしてくる人たちは、私だけではなく、普段から少し気に食わなければ人に対し、嫌がらせの行為をしているのではないでしょうか?

だから私に対しても嫌がらせの行為が普通にできるのです。(ということは、普段から悪いことばかりしている、ということになりませんか?)

そのような人たちはこの世の法律では裁かれませんが、しかし、そのいじめのような嫌がらせをしている人たちは、明らかに悪いことをしているのではないでしょうか。

そのようなことに悩み自殺までしてしまう人がいるのです。自殺者まで出るということは、この世の法律では罪になりませんが、そういうことをしている人は、よほどの罪をつくっているということになります。(自殺まではいかなくてもうつ病になる人だっているんですから)

こう考えるのであれば、この世の法律では裁かれなくても、悪いことをしている人はたくさんいるのです。(犯罪を犯していても、それが見つかっていないだけかもしれませんし。小さい時に万引きなどした人も多いのではないですか?もし一度でもそんなことをしているのであれば、その人は犯罪者です)

では、そのような罪は裁かれなくてもいいと思われますか?

見つからなければOKと思っているのは、この世の人たちだけで、いずれそのような罪はすべて裁かれることになるのです。(もちろんあの世でです。この世界に逃げ得などありません)

そのこれまであの世で裁かれていた罪が、この世で裁かれるようになったのです。時代が変わったからです。(しかし、この世で裁かれた方がよほどいいのです。あの世で裁かれるより何倍も楽だからです。あの世の地獄とはそれほど恐ろしい世界なのです)

これが先ほど私がいった「時代が変わったから起きる現象」です。そうして、その時代が変わったから、人々の心の悪がドンドンこの世に現れ現象化しているのです。

それが名古屋で次々に起きたサイレンです。(こう考えるのであれば、そのような救急車のサイレンで運ばれた人は皆善人だったのでしょうか?)

なぜ名古屋でこういうことが起きたのか?それはたしかに私のせいかもしれません。私がいたせいで、名古屋の多くの人は神の存在を知り、あの世の存在を知り、人の輪廻転生を知ったからです。

つまり、名古屋で起きた数々のサイレンは、名古屋の多くの人がこの世界の真実を知り、心が浄化されたために起きた、時代の最先端の現象であったということです。(ということは多くの人の悪が、この世で裁かれることになったのですから、私は多くの地獄に行かねばならなかった人を救ったということになります)

だから、そのような心を反省すればこの現象は収まります。(自分の過去の罪や現在犯している罪、そうして責任転嫁などの罪です)

しかし最近、サイレンが減ってきたのも、反省する人が増えてきたからではないでしょうか。

あれだけ私が、この近辺で辻説法をしたくっているのです。それを聞かない人ばかりではありません。聞いている人もたくさんいるからです。それにこれだけサイレンが長く続いていれば、中には何か自分にも悪いところがあったのではないか、と思う人も出てくるからです。(名古屋のすべての人が無反省ではないでしょうから)

そのような意味で、態度にはあまり出さなくても反省する人も出てきているように思います。それが証拠に嫌な顔やギョとした顔はよくされても、私に嫌がらせをする人は減ってきているからです。(歩いて来る人もそうだし、トラックの運ちゃんなんかもそうです。〔大分減りました〕あまり変わらないのがバスの運転手です。あれ何ででしょうね。公務員や大きい会社の社員はプライドが高いんでしょうか?「お前ら平民に頭を下げれるか」といったところでしょうか?バスに乗られる皆さん、バスの運転手はそういう傲慢な人が多いようです。それを承知で乗ってくださいね〔笑〕)

このようなことを考えれば、現在名古屋で起きている現象の本当の原因がお分かりいただけると思います。

現に悪いことを私のせいにし続けているところは、世にも恐ろしい現象が次々に現れています。(今日も相変わらずやっていますが、次々に癌になる人が出ているというのに、怒っているだけという人の、その神経が分かりません。この人たち少しも反省する気がないのでしょうか?)

そのような意味で、現在の名古屋が時代の最先端をいっているのであり(もちろん物質面ではありません。心の面でです)いつまでも責任転嫁しかせずに、自分の罪を人に擦り付けている人たちには、それ相応の現象が現れているのです。

悪いのはお前で、自分たちは何も悪いことはしていない、などとんでもありません。実は悪いことをしている人ばかりだったのです。(キリストがいわれた「罪なき者まず石を投げうて」です)

その悪いことが、そのまま現象化する時代となりました。名古屋で起きていることはいずれ全国で起きてくることになります。

名古屋の人々が反省し、次々に奇跡が起きる町になるのか、それとも、このまま無反省を貫いて責任転嫁を続け滅ぼされることになるのかは、現在ある名古屋の人たちの心次第です。(そのような無反省な態度を取り続けているところは、本当に滅ぼされかけているからです。決して大げさな話でもなんでもなく、この現象が一変に拡がれば名古屋は滅びかねないのです。それはあれだけ毎日響いたサイレンで、名古屋の人はお分かりいただけると思います)

どちらにされますか?

傲慢な人ばかりでは名古屋は滅ぼされるのです。

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9月 02 2014

自分の罪か、人の罪か

昨日は雨が降っていたのですが、こういう日なら、川の水が濁っているかもしれないと庄内川に行ってきました。

庄内川に行くと、川の水は思っているほど濁っていなくて、あまり普段と変わらないようでした。

これはダメかなとも思いましたが、川の近くまで行ってみました。しかし、いつもなら私が川に近づくだけで、何匹か魚が跳ねるのに、昨日は一匹も跳ねませんでした。

「雨の日はかえってダメなのか?」とも思いましたが、せっかく来たので川の近くを歩いていました。(人もいなかったし、カニがずいぶん出てきていましたので)

しばらく歩いていると、川の中で数匹の魚が水面に出てきたようです。さざ波がたっているところがありました。それにちょっと魚も跳ねたみたいでした。(あまり大きな魚でもありませんでしたが)

「おっ、気づいたかな」と思って、しばらく歩いて川の近くに立って川を見ていたら、すぐ目の前で「バシャ」と音がしました。

「ンッ?」とその音がした方を見ると、そこに一匹の鯉がいました。(三十センチくらいのわりと大きな鯉です)

その鯉が逃げるでもなく、私の前をゆっくり泳いでいきます。本当にすぐ近くをです。(川岸ギリギリのところです)まったく逃げようとしないのです。それどころか私にかまってほしそうに、私の前をゆっくり行ったり来たりしています。

その仕草がまた可愛いらしく、顔を上げて口をパクパクしたかと思うと、急に私を無視したように泳いだり、あるいは目の前に来て水の中から私の方をジロリと見たりと、とてもそこらで泳いでいる鯉とは思えません。

まるで私が飼っている鯉のようです。(飼っている鯉でもここまでやるかどうか知りませんが)

その鯉を面白がって見ていたら、いつの間にか小魚たちが水面まで上がってきていて、またこの前のようにあちこちにさざ波が立っていました。

この前ほど多くの小魚はいませんでしたが、それでも十数匹はいそうな集団が、またあちこちにできていましたので、数十匹はいたのではないでしょうか。

その小魚の集団が、こちらに寄ってきたり、どこかに泳いで行ったり、底から上がってきたりといろいろ目の前でやっていました。(笑)

この小魚たちといい、先ほどの鯉といい、可愛いいものです。本当に飼っているかのように私になついているのです。しかし、この魚たちは皆野生の魚たちなのです。

まったく不思議なことですが、この庄内川からの帰り道に夕方になると、異様なほどすずめが集まる場所があります。(数百羽はいるんじゃないですか?とにかく凄い数です)

私がその場所を通ると、いつも大騒ぎになり、数十羽のすずめたちがあちこち集団で飛び回るのですが、それもまた凄い光景です。

その数百羽というすずめが大騒ぎし、飛び回っている光景を見た人はたくさんいるでしょう。(その場所がまた町のど真ん中で、道路は夕方などずいぶん車の量が多いですから)

こういうことが起きる人が他にいるのでしょうか?

野生の魚や鳥たちが喜んで寄ってくるなど、それこそ伝説の預言者などに起きている出来事と、同じことが実際に私には起き、それを多くの人が見ているのです。

それなのに現代の人々は、そのような奇跡にまるで関心がなさそうに、知らぬ顔をしています。(本当に関心がないのかどうかは知りませんが)

昨日も帰ってくるとずいぶん様子が違っていました。また何か起きたんでしょうか?(周りの人がやたら怒っていたり、また静かだったりしますので様子が違うのがよく分かります。前のマンションなど昨夜はずいぶん静かでした。いつもなら網戸をバシバシやる人が何人かいるはずなのに、昨夜は一人もやらなかったからです。ずいぶんチームワークがいいですね。〔笑〕)

今日は今日で前の会社の雰囲気もまた違います。(相変わらず情緒不安定なんですが、また態度が違います。よくこれだけ毎日変えられるものです)

ずいぶん恐ろしいことが起きているんじゃないですか?(最近は前の会社の情緒不安定が、この辺りの人たちにも伝染しているようですから)それで、その起きていることは皆私のせいなんですか?

この辺りの人は、私のブログを読んでいる人も多く、ブログの内容を知っている人が多いのです。(人から聞くのかどうか知りませんが)ということは、ずいぶん私から多くのことを教えてもらったということになりますが、それなのに一人として私にお礼をいった人はいないのです。(お礼をいった人ゼロです…特別それはこの辺りの人だけではありませんが)

それどころか、内容が気に食わないと嫌がらせをしてくる人も多いのです。

知らないことを散々教えてもらったのに、それに感謝一つせず、その教えてもらった人に嫌がらせをしているということは、悪いことではないのでしょうか?

そういうことを五年間も続けているのです。それは罪にはならないんでしょうか?

この世の法律では罪になりませんが、人としてそのような行為は、あまりに人の道から外れているのではないでしょうか。

その人の道から外れた行為を何年もやり続け、それで悪いことが起きたからと、それも、そのいろいろ教えてくれた者のせいにしているのです。(自分たちのせいで起きた悪いことまで、こちらのせいにされるのです。それでは私は大悪人です)

一体この人たち、どれほどの罪をつくっているんでしょうか。(だから私は天文学的な罪だといっているのです)

そのような人たちに天罰はくだらないんでしょうか?そのような人たちに天罰がくだらない方が、よほどおかしいのではないでしょうか。

これで、そのようなことをしている人たちに天罰がくだらなければ、それこそ神も仏もないということになりますが、そのような人たちには残念ですが、この世には神も仏もあるのです。

したがって、そんなことをやり続けている人たちには当然天罰がくだります。

その天罰がくだっているのです。それさえも私のせいにして怒っている人が多いのですが、もう少し、これまでの自分の言動を振り返ってみてはどうでしょうか。

どれだけいっても分からない人は分からないでしょう。(これだけ書いても「悪いのは全部お前、自分は少しも悪くない」と思う人も多いでしょうから。〔笑〕もうここまで来ると病気ですね。超責任転嫁病です〔笑〕)

しかし、私には次々に奇跡が起き、そのような人たちには次々に災いが起きているのです。(こればかりは事実です)

私のせいにし続けて、それで災いが終わるのですか?

私のせいにし続けるのは結構ですが、それで自分が滅んでいては何もならないのです。

(地獄に往かないと分からないでは、あまりに愚かですよね)

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9月 01 2014

二十世紀と二十一世紀の基準の違い

今日は防災の日ですが、今年も災害が異常なほど多く発生しています。

多くの人の心が二十世紀のままなのです。それでは災害が多発するのも仕方がない話でしょう。

しかし、何度もいいますが、すでに二十一世紀に入り時代も変わっています。当然ではありますが、時代が変わっているのなら考え方も変えないといけないのです。

時代が変わったのなら起きてくる現象も変わるからです。

しかし、考え方を変えていない人はそれが分からない。なぜ違う現象が現れているのか分からないため、これまで通りの考え方をし続け責任転嫁しているのですが、二十一世紀は心の時代(正法の世)です。

その責任転嫁という考え方がすでに悪なのであり、罪をつくっているのです。そういう考え方をしている人の回りには、その考えのままの現象(当然ですが、罪をつくっているのですから、起きる現象は悪い現象です)が現れることになるのです。

その悪い現象を自分が反省することなく、また責任転嫁すれば、もっと悪い現象が現れます。自分が悪いと自覚するまで悪い現象は現れ続けるのです。

この時代はまず❝自分が悪かった❞と反省出来ないと、悪い現象は止まらないのです。(このように書いても、この辺りの人は頑として「いいや悪いのはお前」といい続けるでしょう。だから恐ろしい現象が止まらないのです。特に前の会社などもう哀れなものです。〔今日も相変わらずやっています〕そのままやることを変えないのなら、もっと癌になる人のペースは早まるでしょう)

二十世紀までは、例えばこちらである人と仲良く話をしていて、その人がいなくなった途端、その人の悪口をいう人を「何だこの人」と思う人はいても(それが普通だと思っている人もたくさんいるでしょうが〔笑〕)それは罪になる、と思う人はいませんでした。

そういう人もいるだろう、くらいにしか考えなかったのです。しかし、実際はそのような人は心の中に罪をつくっていたのであり、そのような罪がよほど積み重ならないと現れなかった、そのことを反省させるべき悪い現象が、二十一世紀になった現在、もっと早く周りに現れるようになりました。

それが大きな災害が多発する要因となっているのです。

これまで悪いことと思っていなかった心の中の罪が、すぐに現象として現れるのです。だから、激しい現象が次々に現れているのです。

例えば福島県など、まだ福島原発の事故の収束はもちろんのこと、その原発事故のせいでたくさんの避難している人たちがいます。福島原発の近くにいた人たちは「何の罪もないのに避難させられ苦しんでいる」という人が多いのですが、何の罪もない人が苦しむわけはないのです。

何度もいいますが、東日本大震災があったとはいえあれほどの原発事故を起こしたのです。その福島県民の人たちが何の罪もないわけはなく、何か他の県の人たち(例えば、同じ大震災で同じような被害があって、同じように原発があった宮城県など)よりも心に大きな罪をよけいにつくっていたと思われます。

だから、あの福島原発はあれほどの大事故となったのであり、その近辺の人たちも未だに苦しんでいるのです。そのような大きな罪を、福島の人々が心の中につくっていなければ、福島原発はあれほどの大事故にはならなかったでしょうし、避難している人たちがこれほど苦しむこともなかったのです。

その心の中につくっている(宮城県の人たちにはなかった)大きな罪とは❝共産思想❞です。

共産思想がなぜいけないかということは、もう何度も書いていますので割愛しますが、共産思想の強い人が多いのではないでしょうか。だから福島の人々は未だに苦しんでいるのです。

あの原発の収束にせよ、避難している人々を救うことにせよ、まず、その心の罪(共産思想)を抜かないとよい方向にはいかないのであり(その共産思想が心から抜けると、天が協力してくれるようになりますから、そこからやっとよい方向に行くのです)その共産思想が強い人が多いから、あの福島はまったくよい方向に行かないのです。(原発事故の収束はもちろんのこと、その原発から出る汚染水や核廃棄物やらで福島はドンドン汚染されていきます。そのように福島が悪い方向にしか行かないのは、すべて共産主義の人が未だに多いからです。〔共産思想の強い〕知事が、この前の選挙でも代わらなかったということでも、その事実が分かります)

これまでは悪いこととは思っていなかった心の中の罪が、すぐに周りに現れる時代となったのです。

ですから、そのこれまで問題にされてこなかった心の中の罪を、まず消さないと問題は解決されることはないということです。(だから避難している人たちが、原発さえなかったらというのはまったくのお門違いで、まず自分たちの共産思想を反省しなければいけないのです。そうして、自分たちは原発があったから豊かな生活を送ることが出来たのだ〔実際そうではないですか?あの福島原発で働いていた人も多いでしょうし、税金などの恩恵を受けた人も多いはずです〕と逆に原発に感謝しないといけないのです。そのような愛の心が出てきて初めて、天から救いの手が差し伸べられ救われる道がついてくるのであって〔奇跡が起き出すということです〕福島の人たちは、不平不満の思いしか持たないから救いの道がついてこないのです。本当に福島の人を救いたいのであれば、まず心の改革が必要なのです)

福島は一例にすぎませんが、しかし、福島が復興しなければ(それはもちろん原発事故の収束を意味します)日本の復活はないのですから、一例で流されても困ります。ここに書いたことを真剣に聞いて、福島の人々を啓蒙してもらう人が出て来ないと、日本の復活はないということになります。

福島だけではありません。この前の広島の土砂災害、局地的大雨、猛烈な台風など、すべて、それぞれの人々の悪心が表に現れだしているからです。

これまで罪とは思われていなかった心の中の罪も、二十一世紀になって裁かれるようになりました。

これは時代が変わって、その正しさの基準も変わっている証拠であり、その正しさの基準がより厳しくなっているということです。

これからは表面上だけ良ければそれでよい、という時代ではありません。もう心からよくならないといけない時代となったのです。

しかし、未だそのことを悟らず、表面上を取り繕うだけで何か悪いことが起きれば責任転嫁し、人に責任を擦り付ける、そのようなことがまかり通っています。

そのような恰好だけいい人が多いから、悪い現象が次々に現れるのです。

これからは格好よりも中身(心)です。その中身がいい人が増えて来ないと異常現象は収まりません。

時代が変わったことへの自覚、それを多くの人が持たなければいけないのです。

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