>>ブログトップへ

2014年12月

12月 21 2014

動物の不思議⑧(白鳥公園)

0コメント

12月 21 2014

動物の不思議⑨(鶴舞公園)

0コメント

12月 21 2014

正しい判断

昨日のブログをもう少し捕捉しますが、園頭先生がいわれていましたが、この日本に如来が生まれられるということで、同じ時期に日本に生まれたいという人が殺到したそうです。

その中で選ばれたのが私たちであり、そうであるなら如来の教えを勉強し拡げるのは、絶対にしなければいけない使命でもあるのです。

しかし、この世に生まれてしまうとあの世の約束を一度忘れてしまいます。

そうして、この世の生活をしていく中で、生まれる前の約束を徐々に思いだし、自分の本当の使命を果たしていくわけですが、ほとんどの人が、その自分の本当の使命を果たしきれずにあの世に帰ります。

そうしてあの世で「しまった」と思うのです。

しかし、正法の世となり、もう自分のやるべき使命は嫌でも分かるようになっています。

これだけ神の業が現れ、それでも神の存在を無視するなど愚かなこと以外の何ものでもありません。現にもう神のことを思う人、そのような神の業に興味を持つ人が増えているのではないでしょうか。

では、その心に素直になることです。そうしてその思いをもっと深め実践されることです。そうすれば必ず奇跡は起こるからです。

今これほどの災いが起きているのは、神を思う人が増えたにもかかわらず、まだ神の心を実践する人が少ないからです。神の心を実践する人が増えてくれば、この災いは収まり奇跡が起きてきます。それを理解した人からやってもらうしかないのです。(形から入るのも結構ですが、形だけではダメです。行いが伴わないと奇跡は起きないのです)

名古屋はいまだにサイレンがよくしています。

これなど、まだ神の心に逆らう人がたくさんいるからでしょう。そのような人の心が現象として現れているのです。

自分たちの身近で、次々に奇跡が起きているというのに、そのような奇跡を一切認めようとせず、それに反発し、悪い現象をみな、その奇跡が起きている者のせいにしているのです。

これでは救われようがありません。その恐ろしい現象から唯一救える者に嫌がらせをしているからです。

名古屋の人たちは、その者のいうことを聞かないと救われないのです。

そうではないでしょうか。現に、どのような宗教をやっている人であろうと、どのような地位や名誉がある人であろうと、またどれだけ勉強をしている人であろうと、名古屋に起きている現象を止められる人はいないのです。(そういう人たちも、名古屋では救急車で運ばれているはずですから)

では、そのような人たちが勉強してきた(体験してきた)ことでは、この現象は止められないということになります。

そのような人たちの誰も法を知らないのです。それでは、この現象を止めることはできないでしょう。この法を勉強し実践する以外、この恐ろしい現象から逃れる術はないからです。

「なんでお前にそんなことが分かる」という人もいるでしょう。では、このような恐ろしいことが次々に起きている名古屋で、何で私にだけ奇跡が起きているのでしょう。

名古屋は、これだけ恐ろし現象(次々に人が病気になり運ばれる)が毎日起きているのです。そうであるならその場所は、ずいぶん呪われているということになりますが、そのような呪われた場所であっても、その者の回りには次々に奇跡が起きているのです。(多くの鳥や魚たちが集まってくる)

これこそ、その者のいうことが正しい証拠であり、だから名古屋に住む他の人とは違う現象がその者の回りには現れているのです。

その者が唯一正しい心であるからです。

「正しい者に奇跡が起き、間違っている者に災いが起きる」これは古今東西あらゆる場所に住む人たちが認める真理であります。

その真理に従うのであれば、名古屋で奇跡が起きているのは私だけなのですから、では「その人のいうことが唯一正しいのである」ということになり、そうであるなら「その人のいうことに従った方がよい」ということに必然的になるはずです。

だから「私のいうことを聞いた方がいい」といっているのであり、もっとはっきりいうなら「私のいうことを聞かないと救われない」ということになるのです。

昨日も書きましたが、私が祈り、キリストやモーゼが行われた奇跡と同じ奇跡が起きているのです。これは、キリストやモーゼも、私と同じことをいわれるという証拠であり(だから同じ奇跡が起きたのです。天上界からキリストとモーゼが協力してくれているからです)そうであるなら、私の言葉はすなわちキリストの言葉であり、モーゼの言葉であるのですから、そのような偉大な方々の言葉であるなら、当然聞いた方がいいのではないでしょうか。(キリストやモーゼを否定される人は聞かなくてもよいのでしょうが)

私の肉体だけを見ているから間違うのです。その心を知らないといけないのです。

しかし、現代の人は人の心を知ろうとはしません。(表面ばかり見ていますから)それがいけないのです。人の心を観ないと本当のことは分からないからです。

しかし、現れる奇跡は誰にでも分かります。心を観ることが出来ないのであれば、その現れる奇跡を見ることです。

そのようなその人に現れる現象で判断されることです。

このようなことを総合して考えてみてください。

それでもまだ私が、名古屋で起きる悪い現象の原因であるのですか?

私のいうことを信じようとはされないのでしょうか?

しかし、そんな悪いことばかりやり、いっていることもいい加減な奴に鳥や魚は寄っては来ません。

その鳥や魚たちがたくさん寄って来る映像を公開したいと思います。(動物の不思議の⑧と⑨です)

その映像を観て、心を和ませ、そうしてもう一度私のことを考えてみてください。

そんな悪人に、鳥や魚たちが喜んで寄っていくのでしょうか?

もしかしたら皆さんは、大変な間違いをしているかもしれないのです。

0コメント

12月 20 2014

偉大なる現象

二千年前の人々なら(特別二千年前の人々に限りませんが)すぐにでも、その教えに帰依するような奇跡を動画で撮っているにもかかわらず、現代の人々は、その奇跡を見ても大して驚かず心を変えようともしません。

前回も書きましたが、恐ろしいほどの傲慢さですが、そのような傲慢さはいたるところに出ています。多くの人々がそれに気づいていないだけなのです。

そのような、奇跡の動画にさほど驚かないこともそうですし、これだけここに書いたことが起きていることに対してもそうです。(それもそれほど驚いていません)この辺りに起きている悪いことを、全部私のせいにしていることでもそうでしょう。

どんな時代の人であろうとです。これだけのことが次々に起きたのであれば、少しは自分のことを反省し、これだけ奇跡の起きている人のいうことに従おうとするものですが、そういう人がわずか一人か二人しかいないのです。

私のことを、全然知らない人ばかりであるというならそれも分かりますが、多くの人がもう私のことを知っているのです。

それにもかかわらず、自分たちの考えを大して変えようともせず、自分たちの行いも変えようとしません。(変えないどころか、そのような現象に怒り、私に嫌がらせをしてくる人が多いというのですから、もう目も当てられません)

これ以上神に対し傲慢不遜な態度もないのではないでしょうか。(神の業に逆らい無視しているのですから)

それともいたって普通ですか、そのような態度がです。

マァ、そういう考えの人が多いんでしょうが(何度もいいますが)だから日本は、このような恐ろしい現象を次々に現されるのです。日本の人々の多くが神への畏れがまったくないからです。(しかし、ずいぶん神の心から離れてしまったんですね。驚きます)

ここに公開したあの動画は、キリストがされた同じ奇跡が撮れているのです。(本当に貴重なものだと思いますが)それにこの辺りの人は(この辺りの人だけではないかもしれませんが)大雨や地震が起きたことも私のせいにしていますが、しかし、仮にそのような大雨や地震が起きた中で、本当に私が祈ったから起きたものもあったのかもしれません。

では、そのような現象は、それこそ三千年前のモーゼの大奇跡が、多くの人の目の前で再現されたことになるのではないですか。(モーゼはそのような現象を数多く起こされたからです)

そうであるなら、起きた被害ばかりに目をやるのではなく、その偉大な現象がなぜ行われたのか、それも考えるべきであるし、そのようなことを起こす人の偉大さもまた考えるべきなのではないでしょうか。(キリストやモーゼは偉大な方々なのですから)

私は、そのような現象ばかりではなく、あのタイの大洪水も引かしているではないですか。それを知っている人はたくさんいるはずなのに、何でよいことは一切認めようとせず、悪い方にばかり目をやるのでしょう。

いっておきますが、このような現象はすべてです。すべて天が起こされていることなのです。私は天に命じられたまま祈っているにすぎません。

私個人が、個人の考えだけで、これだけの現象が起こせると思いますか?

そんなことは誰が考えても分かるはずです。個人の考え、個人の力だけで、これほどの現象が起こせるはずはないとです。

天変地変を次々に起こし、人々を相次いで病気にさせ、そうして鳥や魚などの小動物まで集めてしまう、そのようなことを人がすることは出来ません。そのようなことはすべて天がされるのです。

すべて天が思われるままの神の業なのです。

それほどの神の業が日本に現れているのです。いい加減、責任転嫁はやめ、傲慢な心を反省されてはどうでしょう。現代の日本にです。キリストが起こされた奇跡、そうしてモーゼが起こされた奇跡が同時に起きているからです。

これほどの偉大な現象が、日本に現れているにもかかわらず、それでもまだ神の側に顔を向けようとしない(悔い改めようとしない)人など、これ以上傲慢不遜な人はいません。

もう神を無視するだけでも大きな罪となるのです。

「あの当時の日本の人々は本当に傲慢な人ばかりであった」

そう後世の人たちにいわれたくはないものです。

いま起きている現象の偉大さを、日本の多くの人々はもっと知るべきなのです。

(現在の日本に生まれて来ている人は、みな凄い倍率の中を勝ち上がって生まれて来た人ばかりなのです。いずれこのような大奇跡が、日本で起きることを知っていたからです。では、その使命〔神の業を多くの人に伝える〕は果たしてもらわなければいけません。そうしなければ、同世代に他国に生まれるしかなかった、日本に生まれることが出来なかった、そのような人々に申し訳がたたないからです。現在の日本に生まれている人々は、そのような他国の同世代の人々の思いも背負っているのです)

0コメント

12月 19 2014

数千年前の奇跡と現代の奇跡

凄い天気は、まだ続いているようですが(昨日も名古屋だけでなく北海道や東北など凄い雪でした)そのような日本の天気とは裏腹に、アメリカとキューバは雪解けムードが出てきたようです。

オバマ政権が対キューバ政策の抜本的転換を決め、これから国交正常化交渉を開始するとのこと。大変よいことです。

これからは対立より調和です。

そのような国と国同士でも調和するなら奇跡が起こります。大いに進めるべきでしょう。

ロシアの通貨ルーブルが急落して、ロシア経済は苦境に陥っているとのことですが、こういうことが起きるとウクライナの問題は、やはりロシアが悪かったと思わざるを得ません。

人であろうと国であろうと、悪いことをすればその反動がすぐに現れる、そのような時代となったのです。

では国の問題とはいえ、よいことをした方がいいでしょう。そうすればその国に奇跡が起きるからです。

このロシアやアメリカはキリスト教の人が多いのですが、そのキリストのことが書かれた聖書の中にも、いろいろな動物の奇跡が記されています。

私に起きている鳥や魚が起こす奇跡と、どう違うのか、聖書の中から少し書いてみましょう。(魚の方を書いてみます)

ルカの福音書から抜粋します。

<話し終わった時、シモン(ペテロ)に「沖に漕ぎ出して網を降ろし漁をしなさい」といわれた。シモンは「先生、私たちは、夜通し苦労しましたが何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから網を降ろしてみましょう」と答えた。

そして漁師たちが、その通りにするとおびただしい魚がかかり網が破れそうになった>

ヨハネの福音書から抜粋します。

<ペテロと他の六人たちは漁に出た。漁に最適な時間は夜中だ。彼らは舟を出し夜通し網を打ったが何の収穫もなかった。彼らは心も体も疲れ果てて岸に向かった。夜明けのことである。その時、一人の人が岸に立ち「子供たちよ魚は取れたか」と彼らに呼びかけた。

朝早く漁から帰る舟の魚を買うために仲買人が岸辺に来る。弟子たちはその人が仲買人と思い答えた。「何も取れません」あたりは暗く、その人の顔は見えなかった。その人は弟子たちにいった。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば取れるはずだ」弟子たちはダメで元々と思い、網を打ったところ網を引き上げることの出来ないほどのたくさんの魚が取れた。

この出来事を見て弟子の一人ヨハネは、その人がイエスであることに気づいた。このような奇跡を起こせる方はイエスしかいない。そしてペテロはいった「あの方は主だ」>

最初のルカの福音書は、キリストがペテロやヨハネたちと初めて会った場面ですが、ペテロやヨハネはキリストの話を聞いて、この人は凄い人だと感じますが、その話の後に、このような奇跡を体験し(キリストの話を聞く前まで彼らは沖で漁をしていましたが、その日はどれだけ網を降ろしても魚が捕れませんでした。しかし、キリストのいわれるようにしたら一変でたくさんの魚がかかったのです)それまでは漁師であったペテロやヨハネたちは、すぐにキリストの弟子になり従うのです。

そうして次のヨハネの福音書は、キリストが十字架にかかり復活し、弟子たちにガリラヤに行けと命じた場面です。

ガリラヤについた弟子たちは、キリストを待ちますが、待てど暮らせどキリストは弟子たちの前に現れませんでした。それで仕方がないので、弟子たちはまた漁師にでもなろうと、舟を出して夜通し漁をしましたが、一匹の魚も捕れませんでした。

そうして疲れて岸に戻ると、岸に一人の人がいて舟の右側に網を打てといいます。その言葉に従い網を打つと、網を引き上げることができないほどの魚が捕れたのです。

そのような奇跡を再び体験し、その方がキリストであると弟子たちはすぐに分かり、弟子たちはキリスト(復活したキリストですが、肉体のキリストではありません。霊体〔光子体〕のキリストを弟子たちは霊視していたのです)の言葉に従い、この時から命懸けでキリストの教えを世界に伝道していくのです。

このように魚に関する奇跡の場面も聖書には出てきます。

このような聖書の場面も、私が公開した動画を観るなら、本当にこういうことは起きたんだと信じられるはずです。岸近くに、たくさんの魚が寄ってきている動画もあったからです。

キリストは癒しだけではなく、このような奇跡(魚がたくさん寄って来る)も起こしているのですから、そうであるなら、私に起きている魚が跳ねたり寄ってきたりする奇跡も、過去にも起きていることだと、これもまた理解出来るわけです。

つまり、キリストの時代に起きた奇跡が、現在の日本でも起きているということです。

しかし、二千年前の人は、このような奇跡を見て驚きただちに法に帰依されたのに、現代の人はこのような奇跡を何度見ても心を変えようとしません。(法に帰依しようとしません)

いってはいけませんが、二千年前の人の態度が当たり前の態度なのです。

現代の人々がどれだけ傲慢かよく分かる出来事ですね。(これでは次々に災いを起こされるわけです)

0コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。