2月 28 2015
釈尊やキリストと同じ奇跡
昨日は、家の前の道路で水道工事(そういう予定の紙をすでにもらっていたものですから)がありましたので、どうせうるさくてブログも書けないだろうと思い、午前中から出かけました。(そうしたら、昨日は工事をしていなかったそうです。予定が変わったんでしょうか?)
久しぶりに野間に行ってきたんですが、面白かったですね。
野間について駅から出て歩き出したとたん、いろいろな鳥が寄って来ました。寄って来るといっても、それほど近くまで来るのではありませんが、ちょっと離れた辺りにあちこちからたくさん鳥が飛んできます。
すずめはもちろんのこと、カラスや鳩、トビ(多分ですが、よく鳥の種類が分からないもので)ムクドリなど、可愛いものです。
どの鳥もみな私のことを知っているようです。本当に不思議です。
野間は人もそれほどいません。何かホッとした時間でしたね。(笑)
動画もいくつか撮りましたが、このような面白いことも昨日ありました。
昼になったので、私はコンビニに握り飯を買いに行ったのですが、そのコンビニの前には田んぼが広がっていました。
そのコンビニの近くまで私が行くと、その前にある田んぼの中から「ギャーギャー」凄い鳴き声がします。
ところが鳴き声がしている方を見ても、何が鳴いているのか分かりませんでした。(逆光で見にくかったこともありますが)
何かの鳥が鳴いているんだろうとは思いましたが、聞いたことがない鳴き声です。あまりにギャーギャーうるさかったので、私が田んぼの方を見ながら「何がいるんだ、姿を見せろ」とかいってキョロキョロしていたら、急にその田んぼにいた鳥がこちらの方に向かい飛んできたのです。
ちょっと驚きましたが、多分トビだと思います。(家の近くにはいない鳥であることは確かです。だから鳴き声を聞いたことがなかったんですね)
トビの色と田んぼの枯草の色が同じような色で、そうして逆光でしたので、どこにいるのか分からなかったのですが、その場面も動画で撮りました。(ビデオを構えて、もう一度飛べといったら、本当にまた飛び上がったものですから撮れたのですが)
しかし、そのトビたち(数羽のトビが田んぼの中にいました)は面白かったですね。飛べといって飛び上がったこともそうですが、私がそのトビたちを動画で撮って「撮ったたで、もういいだろう」といってコンビニに行き、握り飯を買って出てくると、先ほどまであれほど「ギャーギャー」鳴いていたトビたちが少しも鳴きませんでした。
私が前を歩いて行くのをポケッとした顔で見ているだけでした。
先ほどまで、あれだけ騒いで鳴いていたのは一体なんだったんだと不思議でした。(動画を撮るだけ撮ったら静かになるなど、まるで動画を撮ってくれといわんばかりの態度でしたね。〔笑〕)
海岸に行けばカモメがいて、私のすぐ近くまで何羽も飛んできました。所々で、集団ですずめたちがいて、大騒ぎをしていました。そのような場面は動画に撮ってあります。
最後に野間駅の近くにある、野間大坊(のまだいぼう)というお寺に行ったのですが、この寺は源頼朝の父(義朝)の終焉の地として有名ですが、その寺の本尊は阿弥陀如来でした。
本堂に阿弥陀如来がまつられていましたので、その阿弥陀様も撮って(この前のブログに書いたのですが「これがキリストだそうです」といいながらです。〔笑〕)野間大坊から出てくると、すずめやらムクドリやらいっぱい寄ってきて、飛び回っていました。
その場面も撮りました。
私がどこに行っても鳥たちがたくさん寄って来ます。不思議なものです。
しかし、世に法を説く人が現れると、このような奇跡は現れるのでしょう。
釈尊が法を説かれる時は、鳥や動物たちも寄って来て釈尊の説法を聞いていたといわれますが、釈尊の時だけではなく、キリストが法を説かれた時も、きっとそのようなことが起きていたと思います。
あの山上の垂訓(さんじょうのすいくん)として後世に遺る(「心の貧しきものは幸いなり、天国はその人のものなり…」で有名なです)ガリラヤ湖のすぐ近くの小高い山で法を説かれた時も、法を説かれているキリストの回りには、鳥たちが来ていたのではないでしょうか。
ガリラヤ湖にも、たくさんの魚が寄って来ていたのではないでしょうか。
そのような鳥や魚たちの不思議を、当時の人たちはただ気づかなかっただけなのです。
その釈尊やキリストと同じ奇跡が起きている者がいるのです。
その者への態度、改めなくてもよいのでしょうか。