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2016年1月

1月 11 2016

心を変える

それにしても大変なことをしてしまいましたね。名古屋の人たちはです。

天を必要以上に怒らせ、世にも恐ろしい神の業を現してしまったからです。

それが全国に拡がりつつあるというのですから、本当に恐ろしいことです。

そればかりではありません。この神の業を唯一止めることが出来る者を、この神の業を現した張本人に仕立て上げ(本当に自分たちのことを棚に上げてです)嫌がらせを繰り返しているばかりか、そのようなでっち上げた悪口をあちこちに吹聴しているのです。(よく根拠もない嘘をいいふらしてくれますね)

愛知、岐阜、三重の東海三県で私の評判が非常に悪くなったのも名古屋発ですよね。名古屋の人たちが、そのようなでっち上げを多くの人にいったからです。

このままでは、この現象は拡がるばかりで収まることはないかもしれません。(名古屋の人、天を怒らせすぎです)そうなれば、日本中の多くの人が、救急車で病院に運ばれるということになるのです。(何せ、日本は無神論という下地があります。それはそれは恐ろしい神の業がたくさん現れてくることでしょう)

一体どうするつもりですか?名古屋の人たちはこの日本を滅ぼすつもりなんでしょうか。(それはもちろん名古屋の人たちだけのせいではないのですが、責任の多くは名古屋にあります。名古屋の人たちがやり方を間違わなければここまではならなかったと思うからです)

冗談ではなく本当にそうなりますよ。(すでに日本中でサイレンがしているのですから冗談ではないでしょう)名古屋に癌が拡がり始めたのも、それほどの悪いことを名古屋の人たちがし続けているからです。

もう、責任転嫁をして怒っている場合ではないのです。その怒っている現象が日本中に拡がりつつあるからです。

どちらにしても名古屋の人たちは責任を取らされます。これだけ大きな罪をすでにつくってしまったからです。

これは脅しでも嘘でもありません。私が嘘など書けば一変に奇跡が起きなくなるのです。嘘などここに書けるわけがありません。

ここに書いたことはすべて本当なのです。このままでは、名古屋の多くの人にひどい災いが現れるのです。それだけ大きな罪を名古屋の人たちはつくっているからです。

名古屋発で私に対する大嘘を名古屋の人は外に流したのです。

そうであるなら、その神の業も名古屋発で大きく外に拡がって行くことでしょう。どちらにしても名古屋の人は大きな災いを外に拡げたことには変わりがないからです。

私に対する嘘も神の業も大きな災いなのです。

恐ろしい神の業はもちろんですが、私をこの神の業の犯人に仕立て上げた大嘘は、何ものにも勝る災いとなるのです。

なぜならそれは、この神の業を止めるすべを閉ざしてしまうことになるからです。

この神の業の止め方を私以外、誰も知らないのです。そうであるなら、その神の業を止める手段を唯一知っている私を犯人に仕立て上げたら、この神の業をどうやって止めるのですか?

誰もこの神の業を止める方法を知らないのにです。

これ以上大きな災いもないと思いますが、このように名古屋の人たちは、大きな災いを外にドンドン流しているのですから、裁かれないはずがないのです。災いが起きないはずがないのです。

どうされるのですか?その災いが起きる時間は刻々と迫っているというのにです。(そうして災いも外に大きく拡がりつつあるというのにです)

どのような有名な神社やお寺にお参りに行こうが、高名な坊さんにお経を上げてもらおうが、警察にいおうが、弁護士に頼もうが、お金をどれだけ積もうが、その金でどれだけ遠くに逃げようが、この災いから逃れることは出来ないのです。

これだけの罪をつくってしまっては、もう裁きを待つしかないからです。

しかし、そのような災いから少しでも逃れたいのであれば、もう反省するしかないのです。

自分たちがしたことは間違いであったと潔く認め、徹底的に反省することです。そうすれば、その罪はいくらか軽減されるからです。

そうして、この法を拡げることに協力されるのであれば、はじめてその罪は許され、今度は奇跡が起きてくることになります。

それもこれもすべて自分の心次第なのです。

二、三日前の話でしたか、フィリピンのマニラでキリスト教徒(カトリック系のです)の「ブラックナザレ祭」が行われました。(黒いキリストの像を祭るお祭りのようです)

その黒いキリスト(このキリストの像はメキシコから宣教師によって運ばれたそうですが、その運ぶ途中に船が火事になり、黒く焦げてしまったそうです)は奇跡を起こすと信じられ、マニラの旧市街を練り歩くこの黒いキリスト像に人々が殺到したそうです。

あまりに人が殺到しすぎて、それで多くのけが人が出たそうですが(死人まで出たそうです)このようなことを見ても分かります。

この黒いキリスト像は奇跡を起こすどころか災いを起こしているのです。(多くのけが人を出し、死人まで出ているのですから災い以外の何ものでもありません)

しかし、人々は、目の前に災いが起きているにもかかわらず、この像は奇跡が起きると信じているのです。

哀れなものです。このようなことが起きても、自分たちは間違った信仰をしていると気づかないからです。(偶像崇拝)

日本の人たちも同じでした。無神論だけではなく「鰯(いわし)の頭も信心から」などという間違った信仰を信じている人たちばかりだったのです。

しかし、そのような信仰はおかしいと、いま多くの人たちが気づきつつあるのです。

なぜ、おかしいと気づきつつあるのか?

それはこの法を知ったからです。

そうして、これほどの人の業とは思えない現象が次々に日本に現れているからです。(災いだけではなく、私や他の人に起きている奇跡も含めてです)

本当の信仰をするならば、特別どこかに行かなくても、すぐその場で奇跡は起きるのです。なぜなら、この地球自体がすでに、神につくられた神殿であるからです。(だから、災いも起きるのです。すでにそこが神殿であるからです。神殿内で悪いことをしていれば当然罰は当たるのです)

このようなことも含めた、この法の存在を早く多くの人に(日本だけではなく世界中の人にです)知らせなければいけないのです。

この法を知り、この日本で起きている現象を知るならば、多くの人々の心が変わり、多くの奇跡が世界中で起きてくることになるからです。

多くの人の心を少し変えるだけでいいのです。それだけで奇跡が起きるからです。(それはこの日本ですでに実証されています)

この日本で起きていることが、世界中で起きれば(災いは起きない方がいいのですが)世界中の人が本当の神の教えを知ることになり、そうなれば世界に本当の平和がやってくるのです。(当然テロも戦争もなくなります。世界中の人が法を知るなら、それ以上の神の業が起きるからです)

逆にいうなら、自分たちに災いが起きているのはいつまでも心を変えようとしないからです。心を変えないからいつまでも災いが起きてくるのです。

少し、心を変えるだけで、一変に別の世界が現れることになります。法にはそれほどの力が(神の力が)宿っているからです。

少し心を変えてみませんか?そうすれば、自分だけではなく世界も平和になるからです。

(先に書きましたが、名古屋の人たちは本当にやばいです。すぐにでも変えた方がいいと思います。その心を変えようとしないばかりに、すでに多くの神の業が現れているからです。〔災いの方のです〕しかし、名古屋の多くの人が心を変え法を実践するならば、この法は世界に伝わっていきます。名古屋発で悪いことばかり流しているのではなく、よいことも流されてはどうでしょう。それ以外で名古屋は、もう救われる道はないからです)

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1月 10 2016

名古屋の人たちの罪

それにしてもどれだけ怒れば気がすむのでしょう。(どこかの会社ですが昨日も怒りっぱなしでした)

怒って何か変わるのでしょうか?(むしろ状況は悪くなる一方だと思いますが…)

そういう怒っている人はあちこちにたくさんいますが、何でもかんでも悪いことを私のせいにしているより、少しは自分たちの心と行いを反省されてはどうでしょう。

そうしなければ、恐ろしい現象は止まらないからです。

今日も朝からサイレンがしていましたが、だいたいこのサイレン、もうどこでも聞こえていますよね。(全国各地でです。岐阜県や三重県でも聞こえていましたし、生放送のテレビを観ていても聞こえてくることがありますし)

このサイレンを私のせいにして怒っている人はこの辺りたくさんいるのですが、では、そのような全国で響いてきたサイレンもすべて私のせいなのですか?(そうして、あの浜松の火葬場の一週間待ちというのもです)

何でもかんでも悪いことを私のせいにしている人たちの理論からすれば、そのような悪い現象はすべて私のせいということになるのでしょうが、そのような考えが果たして正しいのでしょうか?

それは、どう考えても飛躍が過ぎると思いますが、そこはどう思われるのですか?

さすがにそこまで思う人は少ないと思いますが(超責任転嫁のこの辺りの人たちでもです)そうであるなら、その全国で起きて来たサイレンはどう説明されるのでしょう。

名古屋と同じ現象が、もうどこでも起きているではないですか。これはどういうことなのですか?

説明がつきませんよね。この辺りで起きているサイレンを私一人のせいにしている人たちではです。

しかし、私のいつもいっていることであるなら説明がつくはずです。

そのような「人々の心が現れる時代になったのだ」と「だからこのようなことが起きているのだ」とです。

何度もいいますが、このサイレンは私のせいではありません。もし、このサイレンが私一人のせいであるなら、全国的にこのようなことが起きだした説明がつきません。(いくら何でも全国の人を無差別に病気にする人などいないでしょう)

時代が変わったから、このようなことが起きだしたのです。

ただ、名古屋にはその現象が一番早く現れたのです。だから、名古屋の人たちは、それを私一人のせいにしてしまったのです。他に理由が見当たらなかったからです。

なぜ、一番最初に名古屋にこの現象が現れたのか?

それは法を説く人によってたかって嫌がらせをしたからです。だから一番早く、この恐ろしい現象が名古屋に現れたのです。(マァ、それを始めたのは一部の人たちなのですが)

名古屋の人たちは、よりにもよって、法を説いている者に散々嫌がらせをするという暴挙(こんなこと暴挙以外の何ものでもありません)に出たのです。その結果、天を怒らせ、このような恐ろしい現象が世に現れるきっかけをつくってしまったのです。

もしかしたらこれほどの罪はないのかもしれません。これほどの現象を最初に世に現したのは名古屋の人たちであったからです。

もし、名古屋の人たちが法を説く人に嫌がらせなどせず、その教えを尊重して(その時にはもう奇跡が起きていたのですから)協力していたのなら、このような恐ろしい現象は現れなかったかもしれないのです。

法を説く者に嫌がらせなどしなかったら、天の怒りもそれほどではなかったはずだからです。

しかし、名古屋の人たちは大変な間違いを犯してしまいます。

その結果、名古屋に恐ろしい現象が現れ、その名古屋に現れた恐ろしい現象は大きく全国に拡がって行ったのです。

すでに全国で、名古屋で起きているような恐ろしい現象が現れてきています。(浜松の火葬場の一週間待ちというのもそうでしょうが)

それが「人々の心が現れる時代になった」という何よりの証拠なのです。

それを、まともに現せてしまったのが名古屋の人たちであると思いますが、それでどうされるのですか?名古屋の人たちはです。

どっちみちこのような現象は現れてきたと思いますが(そのような時代ですから)しかし、予想以上に早く、激しく現したのは(その激しく現れたのは特に名古屋なんですが)名古屋の人たちです。

この責任はどう取られるのですか?

それともそんなことは一切無視して(それもまた得意技ですね)まだすべて悪いことを私のせいにして怒り続けるのですか?(これも得意の超責任転嫁です)

そういうことをしていれば、そのような人たちは全員滅ぼされることになります。

なぜなら、このような現象を止めることが出来るのは、悪いことはすべてお前のせいと、そのような大悪人に仕立て上げられている私しかいないからです。

法を説いている者にしか、この現象を収めることは出来ないからです。(私一人に奇跡が起きているのがその証拠です)

では、その唯一この現象を収めることが出来る者を大悪人に仕立て上げている人など、滅ぼされるのが当たり前なのではないでしょうか?

その人たちが、多くの人を救える人間を救えなくしているからです。(多くの人を救える人を大悪人に仕立て上げたら、その人は多くの人を救えなくなります。そんな大悪人のいうことなど誰も聞かないからです)

名古屋の人たちは(すべてとはいいません。一部の人たち何でしょうが)すでに大変な罪をつくっているのです。

恐ろしい現象が全国に先駆けて、この名古屋に現れたのもお分かりいただけると思います。

さて、どうされますか?

名古屋の人たちがこのままでは、この名古屋だけではなく、全国の人々を不幸にするのです。

サイレンはもう全国に拡がっています。

名古屋から始まったものは、名古屋の人たちが鎮めるしかないのです。

追伸…唐突ですが、なぜ、北朝鮮のような国があると思いますか?(もちろん、北朝鮮に限ったことではないのですが)

独裁国家で、差別もひどく、民衆は飢餓に苦しんでいる、こんなひどい国もないと、あんな国に生まれた人は可愛そうだと、日本の人々なら誰でもそう思うでしょう。(日本はあれだけひどくはないからです。日本ならいくら貧困でも、自分が努力するなら何らかの形で周りが助けてくれて飯を食べることくらいは出来るからです。しかし、北朝鮮はどれだけ努力しても餓死する人は餓死するのです。周りに助けてくれる人などいないからです)

しかし、北朝鮮のような国が存在するのは、存在するだけの理由があるのです。

その理由とは、人々の業なのです。

あのような国に生まれる人は、過去世でいま自分がされていることと同じことをしているのです。(例えば、過去世で多くの人を餓死させたことがある独裁者であったとか、過去に西洋の国々が、アジアの国々を植民地支配しましたが、その時にアジアの人々を奴隷にして、過酷な労働をさせたとか、ひどい差別を行ったとかのです。そのような人たちが、今度は逆の立場になって、ひどい仕打ちをした人から同じひどい仕打ちを受けるのです。これもまた因果応報です)

だから、あのような国が生まれるのです。

そのような悪事を過去行った人は、同じ悪事を自分も受けなければいけないという修行の場が必要だからです。

今生、私に罪をかぶせ、嫌がらせを行った人が、それを反省しないままあの世に帰りますと(死ぬということですが)地獄に堕ちるのは当然のことですが、その地獄で苦しんだのち、またこの世に生まれることになりますが(輪廻転生)その時に生まれるところは、この北朝鮮のようなところになるということです。

地獄で厳しい修行をし、そうしてまたこの世に生まれて来ても、厳しい場所で厳しい修行を行わなければいけなくなるのです。

それほどの罪を今生、名古屋の人は(一部の人なんでしょうが)すでにつくっているからです。

法を説く人への悪はそれほどの罪なのです。

もう、どちらが正しいかは明らかなのです。これ以上、その罪を認めず、悪を続けるなら、そのような来世、再来世でまた地獄の修行が待っているのです。

ゾッとしませんか?しかし、名古屋の人たちはそれほどの罪をつくっているのです。

早く反省されてはどうでしょう。この罪を持ちこすことほど恐ろしいことはないからです。

(法の罪を持ちこすとはそれほど恐ろしいことなのです。ちょっと具体的に書いてみました)

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1月 09 2016

因果応報

またまた今日もお怒りです。(毎日、毎日、朝からハイテンションで大変ですね)

こちら側は壁が出来たのでずいぶん静かになりましたが、反対側は大変でしょうね。(こう毎日朝から全開バリバリでは)

自分たちが悪いのに、八つ当たりしてでかい音を立て回りに迷惑をかけ続けている、この人たちはどれだけ罪をつくれば気がすむのでしょう。

その罪は来世、再来世にわたって償わなければいけなくなります。本当に哀れなものです。

その罪といえばです。

昨日もまた庄内川に行ったのですが、その帰りのことです。(庄内川の帰りにはよく事件が起こります)

途中まで帰ってくると、久しぶりに小学生の集団に出くわしたのです。(ほんと、いつ以来か忘れましたが)

「なんだこいつら今日はいるじゃないか」と思っていると、また何かやってくるのです。

急にでかい音を立てて歩きだしたり、私の横を通りすぎる時に足をザッと地面に擦り付け嫌がらせじみたことをしていきます。

「お前らまだやるのか」といって、その小学生たちを祈り始めるとまたバカにしている奴がいるのです。

まったく変わっていません。「こいつらバカか」と思ってしまいました。

こういうことを私にすれば、また、この連中を私が徹底的に祈ることは分かっているはずだからです。その祈られるのが嫌で、帰りの時間をこの連中は変えているはずなのに、まだ同じことをしています。

わざわざ帰り時間を変えることまでしていて、人の顔を見るとまた同じことをしてくるのです。小学生とはいえバカとしかいいようがありませんね。まだ、法の怖さが理解出来ないからです。(マァ、大人でも未だにそういうことが理解出来ない人も多いのですから、子供も同じなんでしょうが)

しかし、不思議だな、と私は思いました。何が不思議かって、このような順序をもらったことが本当に不思議だったのです。

というのも、その前日の夜のことです。(だから一昨日の夜です)

私は寝る前に必ず祈るのですが、この夜祈る時に、一柳の連中を祈るのもいい加減やめようと思ったのです。

庄内川の帰りに(一柳の)小学生や中学生と会うこともなくなりました。全然会わないのに、いつまでも祈っていても仕方がない、これだけ私のことを避けているということは、もうあの連中も反省している証拠だろうと思ってです。

そうして、その夜は一柳の連中を祈ることはやめたのです。

そうしたらです。翌日すぐにこのようなことが起きたのです。偶然にしては出来過ぎています。(私が一柳の連中の祈りをやめたとたん、その一柳の小学生の集団と出会い嫌がらせを受けるなどです。いくら何でもタイミングがよすぎです)

こういう順序をもらうということは『祈るのをやめてはいけない、もっと続けろ』と天からいわれているようなものです。

「何でこの連中をこれだけ祈らないといけないのだろう」と昨日の夜は考えていたのです。するとです。いろいろなことが心の中に浮かんできました。

そのいろいろなこととは、この一柳の連中の過去世のことだったのです。

その心に浮かんできたことを要約しますと、どうもこの連中、過去世で相当法を説いていた人たちに悪いことをしているようなのです。

過去の人生で、法を説いている人を罵ったり、嫌がらせをしたり、法の流布のじゃまをしたり、そのようなことばかりしていた者たちが、固まって、あの学校にいるようなのです。

それで合点がいきました。私がなぜ、この連中をこのブログで名指しし、徹底的に祈ると書いたのかということがです。

いくら何でも、ただの小、中学生をそこまで祈るのもやりすぎです。しかし、その時私は、少しもやりすぎているとも何とも感じなかったのです。

そうして、祈ってすぐに現象が現れました。(これもまた早かったです)

何でこんなことを私はしたのか?そうして何で私が祈ってすぐにこの連中に現象が現れたのか?

それらすべて、この一柳の連中の過去世に原因があったのです。

過去世で、そんなこと(法を説く人たちに悪いこと)ばかりしている連中が固まって近くにいるのです。そういう連中を私が何も思わないわけがありません。

私が必要以上に、そのようなきつい書き方と、きつい祈りをなぜしたのか、この者たちの過去世を私の心は知っていたからです。

この一柳にいる連中は、過去世で(釈尊やキリストなどの)法を説いている方々に散々悪さをしているのです。

それで今回は、法を説く人の近くに生まれて、今度はその法を説く人を尊敬し、法をしっかり勉強してきます、という目的を持って生まれて来たようなのですが、どうもこの連中、過去世の業に引きずられ今世でも同じ間違いを犯してしまっているようです。

だから、集団で私をバカにしてきたのです。

私はよく小学生や中学生にバカにされましたが、それでも一柳の連中くらい多くの小、中学生にバカにされたことはありませんでした。

何でこの連中、これだけバカにしてくるのか、と思っていましたが、そういう過去世であれば、そのようなことをしてくるでしょう。(釈尊やキリストにもしたでしょうから)

だから、このような順序をもらったのです。

私が、この連中の祈りをやめようとしたとたん、もっと祈りを続けろというような事件が起きて、祈らざるを得なくなり、そうして、この者たちの過去世を知らされるという順序をです。

この連中が過去世の業をまったく反省していなかったからです。

だから、これまで一柳の連中に何が起きているのか知りませんが、その程度では許されないということです。

自分たちの業を清算し、本当の目的と使命に気づいて、それを果たさない限り、自分たちは許されないということです。それほどの罪を自分たちは(過去世で)重ねているからです。

ということで、悪いと思った人から、私に直接謝りに来てください。(あなたちは特別です)私に詫びを入れ、反省しないと、あなたたちの過去世の悪い業は消えないからです。

その業を消さないと、今生の修行を果たしたことにはならないのです。

少なくとも、その業を消すことがあなたたちの修行の最低の条件です。

だから、それを果たさない限り、私はあなたたちへの祈りをやめることが出来ません。(天がそれを許してくれないからです)それではこちらも大変ですので(あなたたちも大変だと思いますよ。何が起きるか分からないのですから)ぜひ早めにお願いします。

あなたたちからすれば、もっとも嫌なことかもしれませんが(過去世から、散々バカにしてきた法を説いている人に頭を下げなければいけないのですから)そのもっとも嫌なことを実践しないと、その罪は消えません。

それだけ大きな罪をあなたたちは負っているからです。(だから、私に祈られて、すぐに現象が現れた小、中学生など、過去に相当法を説く人に悪いことをしているのです。例えば、キリストが十字架にかけられたゴルゴタの丘に行くまで、キリストはその十字架を背負わされゴルゴタの丘まで歩かされますが、その時にキリストにムチを打った者とか、唾を吐きかけた者とかです。そういう直接キリストに何かしたくらいの大きな罪をつくっています。そうでなければ、少し祈った程度で小、中学生にそんなひどい現象が現れるはずがないからです。〔まだ小、中学生は人生経験が短いので、それほどこの世で毒を食べているわけでもないでしょうから〕だから私に祈られて、すぐに何か現象が出た小、中学生は、過去世で相当法を説く人に悪いことをしているということを知るべきでしょう)

人は、この世だけの人生ではありません。

今(天から)裁かれている人は、過去世で相当大きな罪をつくっているのです。

私に祈られ恐ろしい現象が現れた人は、その恐ろしい現象を私の祈りのせいにしていますが、とんでもないのです。

そのような現象は全部自分が(現在と過去で)つくった罪なのです。

その罪の償いが私が祈ったことで出たにすぎないのです。

昨日の話ではありませんが、これはすべて天が行っていることなのです。天の行いに間違いはありません。

私の祈りで悪い現象が現れた人は、まず自分自身の心と行いをしっかり反省すべきなのです。

(マァ、どこかの会社の人たちも同じですが…朝からそれだけ張り切っていてよく疲れませんね?)

責任転嫁していては、いつまでたっても救われません。

この世のことだけをいっているのではなく、因果応報という法則の意味をよく知るべきなのです。

追伸…今、ある女性タレントの不倫が話題になっていますが、このようなことを行えば自分もまた同じ目に遭うのです。

そうして、いま苦しんでいる人と同じ苦しみを味わうことになります。(これもまた因果応報です)

その時、自分がしたことが正しかったのか、間違っていたのか分かることになります。(マァ、その前に自分がしていることは正しいのか、間違っているのか、分かりそうなものですが)

どちらにしても、道に外れたことはしない方がいいでしょう。

どのようなこともすべて、最後には自分自身に返ってくるからです。

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1月 08 2016

法を伝える大事さ

今日も朝からお怒りです。(アーメン)

あまりに哀れで思わずキリスト教の祈りをしちゃいそうですが、どれだけ怒っても恐ろしい現象は止まりません。

心と行いの悪い人には天罰が次々に下る、そのような時代となったのです。(特に神に関わることへの悪いことは最悪です)もう時代遅れな態度(責任転嫁)はやめ、時代に即した行い(悔い改め)をするべきでしょう。

そうしなければ、そのような悪い行いを改めようとしないすべての人に天罰が下るまで、その現象は止まらないからです。

もう、どこに参拝しようが、どれだけお祓いしようが同じなのです。そのようなことはすべて間違いであったからです。

本当の信仰ではなかったのです。

間違った慣習、悪習は改めるべきでしょう。そうしなければ、日本のほとんどの人に天罰が下るからです。

しかし、それでもまだ日本はマシな方なのではないですか?

どれだけ宗教観が違っても、それで鉄砲玉や爆弾が飛んでくることはないからです。

そんなものがドンドン飛んできたら、それこそ神どころではなくなります。

ですから、そういう場所で神を叫ぶ人たちも、間違った神を信仰しているということです。

イランとサウジアラビアの宗教対立(というか、正確にいえばこれは宗派対立なんですから目も当てられませんが)もそうですし、IS(イスラム国)のテロなどもそうです。

すべて間違った信仰をしているから、そういうことになるのです。(というか、ISは宗教の名を借りたテロ集団にすぎませんが)

本当の神の教えを知るなら、このような悲惨な戦争も止めることが出来るのです。

イランやサウジのイスラム教が正しいのでしょうか?

何の奇跡も起きていないのにです。

つまりこの人たちは、両方の間違った宗教を(イスラム教のシーア派もスンニ派もどちらも間違いです)お互いに自分たちが正しいと主張しているだけなのです。

両方間違っているのに、その間違ったものをかけて戦争をするなど、これだけ空虚で愚かな行為もありません。

現在は、こういうあり得ないほどバカげたことを命懸けでしているのです。

だから、この真の神の教えを早く世界に拡げないといけないのです。

この教えが世界に拡がるなら、自分たちがいかに愚かなことをしているのか、自覚する人もたくさん出てくるからです。

そうすれば、今起きている悲惨な宗教戦争などなくなるのです。

そんな戦争をしている共々の国がすべて間違っていると分かるからです。

罰は、そのような人が加えるものではないと分かるからです。

罰とは(その人の心を観て)天が与えるものなのです。(本当はこの罰といういい方も違っているのですが…天罰とは、罰ではなく気づきの現象だからです)

それは釈尊、キリストを見ていただければ分かると思います。

このような方々が、自分たちと意見が違うからと戦争を起こされたでしょうか?

そういうことはしてはいません。釈尊やキリストと意見を異にし、裁かれた人はいますが(ダイバー・ダッタやユダなどです)その裁きはすべて天が行ったのです。

これはあれ程の奇跡を現したモーゼも同じなのです。モーゼが争いを起こされたような記述が聖書には出てきますが、あれは聖書が違っているのです。モーゼ自身の手で人に何かを下されたことはありません。みな天が行ったのです。

だからモーゼには次々に奇跡が起きたのです。説いている教えが(十戒などそうですが)正しかったからです。

しかし、イスラム教の創始者であるムハンマド(マホメット)は違います。

片手に聖書を、片手に剣を取って戦いましたが、この片手に剣を取って戦ったのは間違いであったのです。

ムハンマドは、七大天使の一人であるガブリエルから指導を受けていましたが、ムハンマドの器に問題があり、ガブリエルの指導をしっかり理解できなかったそうです。

それでムハンマドは、そのような教えを(片手に聖書を片手に剣を)説いたのですが、その創始者の教えが間違っていたことが今日のイスラム教の悲劇へとつながっているのです。(ただの戦争を聖戦などと称しています。こんなの完全な間違いなのです。人と人が争う戦争など、どこまで行っても戦争でしかないのです)

しかし、イスラム教は創始者であるムハンマドでさえ奇跡を起こしていません。それがムハンマドが正しい教えを説いていない何よりの証拠なのです。

釈尊の教えもキリストの教えも、そうしてモーゼの教えも、すべて一つの教えなのであり(ただ如来は、その生まれた〔肉体を持たれた〕時代に合わせた説き方をされています。それで多少のニュアンスの違いはありますが)その本当の神の教えを実践すれば、必ず奇跡は起きるのです。

今日あるユダヤ教や仏教やキリスト教は、後世の人たちが勝手な解釈でモーゼや釈尊やキリストの教えを曲げてしまった部分があり、それで、そのような偉大な方々の教えを勉強しても奇跡が起きなくなったのです。

正しい教えの中に間違った部分が混ざっているからです。その教えのすべてが正しくないと奇跡は起きないのです。

それを基準とするならば、この日本に出現した法こそが本当の神の教えなのであり(釈尊、キリスト、モーゼが説かれた唯一本当の神の教えなのであり)あとは他のどこの国の宗教も正しくないと分かるはずです。

この教えほどの奇跡が現れる宗教など他にはどこにもないからです。(ちょこちょこ小さな奇跡が現れる宗教はあるかもしれませんが、それはみな地獄霊が起こす不思議にすぎません。だいたい心をきれいにしようともしないで、何で奇跡が現れるのですか?心が汚いまま現れた奇跡などすべて地獄霊が現しているまやかしなのです)

この法を拡げなければいけない理由がお分かりでしょうか?

本当の神の教えを拡げるなら、自分たちが幸せになるだけではなく、世界の紛争まで収まるからです。

イランとサウジの対立だけではなく、宗教とは名ばかりの貧困や差別で出来ているISなどのテロ組織の紛争にせよです。

そのような人たちに(貧困や差別されている人たちに)次々に奇跡が起きたら、そのような人たちの心は変わらないでしょうか?

奇跡が次々に起きるということは、神が近くにいてくださるということが実感できるということです。(日本と違い)他国のような信仰深い人たちに、そのような奇跡が起きればこれ以上のエネルギーと励ましはないのです。

では、どんな貧困にも負けるか、どんなひどい差別などにも負けるか、という心が出てきて、今のように貧困や差別に不平不満ばかりいうのではなく、どのような貧困も、どのような差別も克服し(もちろん自分の努力で平和裏のうちにです)そこから世に出てくる人がたくさん出てくるのです。

法をその国に伝えるなら、その国に奇跡が起きます。奇跡が起きるということは、そこに神のエネルギーが現れるということなのです。

このような神のエネルギーを分配するということが、法を拡げるということなのです。

神のエネルギーが大きく世界に拡がるなら、多くの人が調和と安らぎのうちに、その困難な状況から脱して自分なりの幸せを手に入れることが出来るのです。

では、そこに戦争など起きるわけがありません。神の心に戦争などないからです。

神の心には愛と調和しかないからです。

戦争やいさかいなど起こすのは、そこに悪魔のエネルギー(悪魔の心)があるからです。だから、そのようなことが起きるのです。(だから現在は世界中に悪魔のエネルギーが分散されているということです)

この法を拡げることは、神のパワーを、神のエネルギーを分配することなのです。(意志や念もエネルギーですから)

その神のエネルギーを分配するなら、悪魔のエネルギーは必然的になくなっていくということです。(神のエネルギーの方が断然強いですから)

神のエネルギーが拡がるということは、それは即ち世界が平和になるということなのです。

だから、この法を(本当の神の教え、即ちそれは神のエネルギーそのものです)拡げなければいけないのです。

世界を平和にするのは、神のエネルギーを世界に拡げる以外、手はないからです。

少しはお分かりですか、この法を拡げることの大事さがです。

最初に書きましたが日本は甘えた環境にいるのです。(鉄砲玉や爆弾が飛んでくることはありませんから)

しかし、その甘えた環境でなければ悟れないこともあります。(鉄砲玉や爆弾が飛んでくるようなところでは、深く神の心を知ることは出来ません)

早く悟って伝えてください。

それが一番の自分の幸せであるからです。

(日本の人々は本当の幸せを知らないのです。自分個人の幸せだけが幸せだと思っています。しかし、本当の幸せとはそんな小さなものではないのです。多くの人の幸せもまた自分の幸せなのです。その人の幸せも自分の幸せであるということを知らないといけないのです。それを知らないと結局自分も不幸になるからです。「自分だけ良ければよい」という心は神の心にはないからです。神の心にないことをしていては幸せにはなれないのです)

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1月 07 2016

本当の信仰

昨日は庄内川に行ったんですが、冬は鳥たち以外、みな元気がありません。(魚もほとんど跳ねないし、カニなど顔も見せませんから。カニも冬眠するんでしょうか?)

多少の寂しさはありますが鳥たちは相変わらず元気です。そこは元気をもらえますね。

その庄内川の帰りのことです。

私が庄内川から帰ろうとすると、後ろからピタピタ足音がしてきました。夕方五時半頃だったのでもう回りは真っ暗です。

真っ暗な中、足音だけがピタピタ近づいて来るのです。(今日はホラー映画風ですね。〔笑〕)

「出たな地獄霊」と思い、振り向きざまにおもいっきり祈ったんですが、後ろからピタピタ足音を立てて走ってきたのはただの爺さんでした。(笑)

しかし、この爺さん妖気が漂っています。(オイオイ)

何かこの爺さん変なのです。私の後ろからやたら音を立ててきます。それで私が「爺ちゃん嫌がらせか、もう先も短いんだから地獄に堕ちるぜ」みたいな話をしながら、庄内川から出てきました。

そうして、歩いて帰りかけたのですが、しばらく歩いて後ろを振り返ると、なんとこの爺ちゃん、私の後をついてくるのです。

「何だこの爺ちゃん、嫌がらせする気満々じゃないか」と思い(どうりで妖気が漂っていたはずです)そこで立ち止まって辻説法を始めました。

この爺ちゃん私の方に歩いてきて「ハァ、何か」みたいなことをいってくるのですが、私は「独り言、独り言」といって、その爺ちゃんと話そうとはせず辻説法を続けました。(話したところで、どうせまともな受け答えはしないでしょうから)

先に行かせて、歩いて行く爺ちゃんの後ろをついて行きながら辻説法を続けました。

すると、最初は前を向いて、足を引きずりながら歩いていた爺ちゃんが(先に歩いていても、まだ嫌がらせは続けていました)段々、足を引きずるのをやめ、下を向いて歩いて行くようになりました。

少しは、私の辻説法がきいたようですが、その庄内川の帰り道、その爺ちゃんだけでなく、他にもやたら怒っている爺ちゃんがいました。(私が通るとガンガン音を立てるです)

何で爺ちゃんがこんなに怒っているんだろうと、最初は不思議でしたが、どうも昨日(一昨日もそうですが)書いたブログが原因だったようです。

あのようなブログを書けば年寄りは怒るだろうなと思ったからです。

これまでの信仰を真っ向から否定しているのです。

初詣にしても、お経を上げることにしても、仏像を拝むことにしても、そんなものはまったく意味がないと全否定しているのです。

それは年寄りは怒るでしょう。では、これまでやってきた信仰とは何だったのかと思ってです。

これまで頼ってきた神仏を、最後の最後で失ってしまうのですから、さぞショックでしょう。お察ししますが、しかし、怒ることではありません。

喜ばないといけないのです。逆によかったからです。

よかったのではないですか、死ぬ前にそのようなことが分かってです。間違った信仰を正しいと信じて死んで行けば、確実に地獄行きだったのです。

それが寸前のところで、その間違いに気づいたのです。(ギリギリセーフです)

これほどよかったことはないではないですか。間違わないですむからです。

お経を上げることも、仏像を拝むことも、仏壇に線香を上げ祈ることも、お寺や神社にお参りに行くことも、そのようなことは信仰ではなかったのです。

そのようなことをやるのは別にかまいませんが、やっても全然意味がないということを知るべきでしょう。

現に、そんなことをいくら続けても、何の奇跡も起きないからです。

それが、そういうことをしていても何の意味もないという何よりの証拠なのです。

はっきり書いておいた方がいいでしょう。特に年寄りは時間がありません。今はっきり分からせないと、ズルズル間違った信仰を続け、結局、死んで深い地獄に堕ちるということにもなりかねないからです。

私に起きている奇跡、そうして、私のいうことを聞いた人に起きている奇跡、それが証拠です。

私の説いている法こそ、正しい教えであり、それを実践することこそ本当の信仰であるのです。

これまでのようなエセ信仰を続けるのは自由ですが、そのようなエセ信仰を(エセ、エセって、完全に年寄りにケンカ売ってますね)続けながらでもいいですので、これまでの人生をもう一度振り返り、よく反省してみることです。

そのような反省が、死んだ後に自分自身を救うことになるからです。(生きている間でも救われると思いますよ。反省すれば性格が変わりますから)

何度も書きますが、これまでやってきた信仰と名のつくものは正しいものではありません。そんなこといくら続けても救われないのです。

お経を上げたり、仏像を拝んで(偶像崇拝)いる暇があるなら、これまでの人生をよく反省してみることです。

そのような反省を続け自分の心をきれいにしていくことこそ、本当の信仰であるからです。

(年寄りは、よほどの刺激を与えないと考えを変えません。〔何せ我が強いですから〕だから、これから間違いは間違いとはっきり書いておきます。年寄りは時間がない人が多いと思うからです。それは特別、年寄りだけではないかもしれません。現在の日本には、これだけ多くの天罰が下っているからです)

追伸…北朝鮮が水爆実験を行ったということで世界中が大騒ぎですね。

専門家が出てきて、あれこれ深読みしていますが、それほど深く考えてのことでしょうか?

あの若い指導者が後先考えず、いまだけ見て(半分)思い付きでやっているんではないでしょうか。

独裁が強くなればなるほど、視野は狭くなるからです。(だってどう考えても、今そんなことして北朝鮮が得になることなどないでしょう)

実験したのが水爆ではないのではないかとか、いろいろいわれていますが、どちらにしても北朝鮮がやばい爆弾を持っているのは確かなようです。

さて、どうしますかね。日本を含めた国際社会は。

視野の狭い独裁者が、やばい爆弾を持っていることほど危ない状況はありません。やけくそになりいつそれをぶっ放すか分からないからです。

どうされますか?人間だけで大丈夫なんでしょうか?もし、やり方を間違えたら地球が壊れるかもしれませんよ。何せ相手は原爆の数十倍、数百倍の水爆なんですから。

こういう時は神に頼るのが一番です。(それが一番安全な方法なのです)

国際社会で対策を練り、北朝鮮に圧力をかけるのは当然しなければいけませんが、そこで神に祈らないと、北朝鮮は何をするか分からないのです。(神の導きもなくそれをやると、どう転ぶか分からないのです。最悪核戦争になるかもしれません)

このようなことも神の導きかもしれません。最悪の事態を回避するためにも、北朝鮮の横にある日本で、本当の神の教えを拡げなければいけないのです。

もし、ここで日本に神の教えが拡がるなら、その神の光は北朝鮮にも届くからです。(そうすると神が北朝鮮を導いてくださるということです)

私一人がいくら祈っても、北朝鮮を動かすほどの光は放てませんが、もし、日本の多くの人が法に目覚め祈るなら(日本だけではなく、どこの国でもいいんですが)北朝鮮を動かすほどの神の光を放つことが出来るのです。

その光が届けば北朝鮮は正しく神に導かれることになります。

多くの人の正しい祈りが、北朝鮮を正しく導くのです。

核戦争を起こしたいのですか?

日本の人々が法に目覚めるなら、世界を救うことが出来るのです。(ということは、今のままだと非常にやばいということです)

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