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2016年2月

2月 29 2016

法の後継者

前回のGLAの人との話をもう少し書きましょう。

その人は、高橋信次先生の後継者は佳子氏であり、だから、信次先生と佳子氏は同じことを説いているといわれていました。

しかし、佳子氏が信次先生と同じことを説いている後継者であるなら、信次先生と同じ奇跡が起きないといけません。

しかし、佳子氏に信次先生のような奇跡は起きていないのですから、信次先生の後継者が佳子氏であるとはとても認められないということです。

だから私は「信次先生の後継者が佳子氏なんて、そんなのGLAの人がいっているだけですよ」といったのです。

その人に「佳子さんに、この鳥が寄ってくるような奇跡が起きているのですか?」と聞くと「足元まで寄って来ていないではないですか」となかなか、この奇跡を認めようとしませんでした。

では、佳子氏にどういう奇跡が起きているのかと聞いても、その人は答えようとしません。

そして、奇跡の話から別の話に変えよう変えようとしていることがよく分かりました。(佳子氏にはよほど奇跡が現れていないのでしょう。そういう人が信次先生の後継者というのですから笑ってしまいます)

その人は「あなたは奥さんとうまくやれていますか?(残念です。私に奥さんはいません。〔笑〕)家族間の仲はよいのでしょうか?そういうことをうまくやることが奇跡でしょう」と調和することと奇跡が起きることをごっちゃにして話してきます。

調和することと奇跡は違うのですが、調和することが奇跡であるというのですから、GLAのレベルの低さが分かります。GLA内ではそういうことが(家族間の仲のいいことが)奇跡であると思われているようです。(苦笑)

しかし、こういうことをいっている人は案外多いのです。どこかのオジちゃんとオバちゃんもこのようなことをいっていたことがあるからです。

改めて高橋先生の弟子たちのレベルの低さが分かります。まったく奇跡的なことが起きていないのでしょう。だから、調和することが奇跡であると勘違いしているのです。

奇跡を起こすためにはもちろん調和しなければいけませんが、調和は奇跡が起きる前の段階なのであり、本当に調和するなら、その後必ず奇跡的なことは起きるのです。

その調和の先の奇跡のことをいわないというのですから、そうであるならこの人たちは調和さえまともに出来ていない、そういうレベルの人たちであると思わざるを得ません。(調和するなら何か奇跡が起きるのです。その奇跡が起きていないということは調和さえ出来ていないということです)

そういう話をしている間にも、数羽のすずめがすぐ近くまで飛んできて「ピィーピィー」鳴いています。

私はその人に「ほらほらまた飛んできた。足元まで寄ってこなくても、これだけ鳥たちが近くまで飛んでくるのです。これは奇跡なのではないのですか?」「あなたは私に家族間の仲はいいのですか?と聞かれますが、家族間の仲が悪くてこういう奇跡が起きますか?そういうことがすべてよく(調和されて)なければ奇跡は起きないはずです。少しでも自分に悪いところがあるなら奇跡は起きません。この起きている奇跡が、そういうことはすべてうまくやれているという証拠なのではないですか」と立て続けに話しました。

「それはそうですね」とその人もいいます。

続けて私は「お釈迦様が法を説いていられた時も、このようにすずめや鹿などの動物たちが寄って来てお釈迦様が説かれる法を聞いていたといいます。その同じ現象がいま起きているのです。本質が同じなら、同じ奇跡が起きるのが当たり前なのではないですか?」と聞きました。

またその人は「それはそうです」といわれます。

では、私と佳子氏とどちらが正しいのかは分かりそうなものですが、その人はそういう話をすると話をそらすのです。

これ以上はなしても、その人は自分たちの間違いを認めないだろうと思いましたので、適当なところで切り上げ「私のブログを読んでください」といって帰ってきましたが、昨日のウナッシーさんのコメントにも書きましたが、この人が自分たちの間違いに気づいてくれることを願うばかりです。

最初に書きましたが、このような何の奇跡も起きないような人たちが高橋信次先生の後継者を名乗ること自体、ちゃんちゃらおかしいのです。

正しい法を説いているなら、必ず天上界の協力を得られ様々な奇跡が起きるからです。

それは私を知ってもらえれば分かると思います。このブログに書いています通り、私には毎日のように奇跡が起きているのです。(これほどの奇跡は天上界の協力を得られていなければ起きません)

このような次々起きる奇跡は、高橋信次先生の弟子の中では園頭先生一人に起きていたことであり、だから私は、信次先生の後継者(法の後継者)は園頭先生であるといっているのであるし、園頭先生の後継者は私であるといっているのです。

数々起きる奇跡がそれを証明しているからです。

このようなことを考えるなら、身内であったということになにほどの意味があるのでしょう。身内であるかないかというのは、単に今生(だけ)の縁が深いか浅いかそれだけのことだからです。(前世は家族ではなかったのに、今生は家族になっている人などいくらでもいるからです。現に高橋先生の奥さんは前世は高橋先生と家族ではありませんでした。高橋先生〔釈尊〕の弟子の一人であったのです。娘の佳子氏も同じです。前世で高橋先生の子供〔ラフラ〕ではありませんでした)

そんな今生だけの肉体の縁など何の意味もないのです。法を継ぐのは血統ではなく霊統であるからです。血のつながりなど法の世界では何の意味もないからです。(霊統とは、心が高い人という意味です)

だから、娘であるというだけで佳子氏が高橋信次先生の後継者である、などとはちゃんちゃらおかしいのであり、高橋先生と同じような奇跡が起きている人こそが信次先生の後継者である、即ち法の後継者であるということです。

口だけではダメでしょう。モーゼはもちろんですが、釈尊やキリストなど正しい法を説いている方々には天が(天上界が)協力しますので必ず多くの奇跡が現れます。

その多くの奇跡が現れている人こそ、法の後継者であるということです。

そうであるなら法の後継者が誰であるのかはおのずと理解出来るはずです。

口ではなく、多くの奇跡が現れている人こそ本当の法の後継者であるのです。

(だからこそ、そんな法の後継者に怒ってばかりいてはいけないのです。また何か起きたのですか?〔激しい怒り方をしていますが〕では「助けてください」と頼みに来ることです。そのような現象を抑えることが出来るのは法の後継者だけだからです)

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2月 28 2016

正しさの証明

昨日は堀川に行って、カモメたちを動画に撮っていたのですが、しばらくすると雨が降りだしました。

傘も持っていませんでしたし、雨が降ってきては動画も撮れません。(ビデオ防水じゃないですから)

それで白鳥公園まで行って、屋根があるベンチに座り雨がやむのを待っていたのですが、その時のことです。

私が雨宿りしていたのは白鳥公園の国際会議場がある前の広場でした。(国際会議場の前の広場には屋根と椅子があるところがあるものですから)

そこで座っていると、その広場に一人の人が(七十過ぎくらいの歳の人だと思います)紙袋を持って歩いてきて、その広場にいる人たちに何か説明しながら、その紙袋に入っているチラシを配っていました。

何だろうと思っていると、その人は私が座っている場所まで来て「明日ここで(前の国際会議場を指差してです)講演会があるのですが、よかったら来てください」といって私にチラシを渡しました。

何の講演会だろうと思い、そのチラシを見ると最初に「高橋佳子先生をお迎えして」と書かれてあります。

「ああGLAか」とすぐにピンときました。(この人は私のことを知らなかったようです。家は緑区にあるといわれていましたので「それだけ遠くては〔緑区は名古屋の一番端にありますので〕知らない人もいるわな」と思いました)

私は、この人まだGLAを信じているんだなと思い「高橋佳子先生を正しいと信じているのですか?」と聞きました。

その人は「もちろんです。佳子先生をご存知ですか?」と聞いて来ます。

その質問には答えず「では、高橋信次先生は正しいと信じていないのですか?」と続けて私は聞きました。

「信次先生ももちろん正しいです。佳子先生も信次先生も両方正しいです」とその人はいいます。

それで私が「信次先生と佳子さんがいわれていることは違っているではないですか。それなのになぜ両方正しいのですか?」と聞きました。

その人は、一瞬言葉に詰まったのですが「説き方は違いますが本質は同じなのです。如来の説き方は時代に合わせた説き方をします。その違いだけです」といわれます。

「本質が同じなら、同じような奇跡が起きないといけません。信次先生の時と同じような奇跡が今のGLAに現れていますか?」

「奇跡は現れていますよ。みな奇跡の話はします」

「では、なぜ佳子さんは霊道現象を行わないのですか?信次先生は講演会の都度に霊道現象を行われていたはずです。何で佳子さんはやらないのですか?出来ないからではないのですか?」

「いや佳子先生は霊道現象をやれると思います。今はやらないだけです。もう時代が違うからです」

「時代が変わっても過去世の証明になるのですから、霊道現象をやらないのはおかしいでしょう。口で人の生まれ変わりをいうだけでは、それを信じない人も多いと思うからです。実際にその証明をした方がよいのではないですか?それなのに、なぜ霊道現象をやらないのですか?」

そういう私の質問に対し、この人は「時代が違うからやらない」という一辺倒の答えでした。「佳子先生は霊道現象をやれるはずです」ということしかいわないのです。

この人は、高橋先生の娘さんである佳子さんが霊道現象を行ったのを一度も見たことがなようでした。(この人はGLAにもう四十年以上もいるのにです)

では佳子氏は、高橋信次先生がやっていられた霊道現象など出来ない、と思うのが普通なのでしょうが、どうもこの人はそれを認めたくはないようです。(それはそうでしょう。GLA会員から見たら佳子先生は神様なのですから)

話していると、この人はGLAにいて奇跡をまじかに見たことがなさそうでしたので「奇跡が起きないのなら、いっていることが正しいかどうか分からないでしょう」と私がいうと、金粉がどうのという話をしていました。(それも佳子さんが現したとは、はっきりいわなかったんですが。〔笑〕)

「そういう奇跡は地獄霊でも起こします。本当の奇跡とはこのようなことをいうのです」と、私は回りを指差しました。

私の近くにはもう鳥が何羽も飛んできていたからです。

このように話している間だけでも、すずめは飛んでくる、ムクドリは飛んでくる、カラスは飛んでくると、入れかわり立ちかわり鳥たちが私たちの近くに飛んできていました。

その人は、それに気づいていなかったのですが(鳥が寄ってくるなど思いもしないでしょうから)「私は、このように鳥がたくさん寄ってくるのです。これはお釈迦様やイエス様にも起きていた奇跡なのではないですか」と聞きました。

少し驚いたようですが、その人は「それはそうでしょうが、足元近くまで寄ってこなければ寄ってきたとはいわないでしょう」といいます。

そこで私は「足元まで寄って来る時もありますよ。今日はあなたがいるのでこの程度ですが、私はこのような鳥や魚がたくさん寄って来ます。その映像を動画に撮ってありますので私のブログを見てください。これと同じことが佳子さんに起きますか?」

「たしかに如来は時代に合わせた法の説き方をしますので、その時代によって説き方が違いますが、説いている神理の本質は同じなのですから、説いていることの本質が同じなら、同じ奇跡が起きないといけません。佳子さんは私と同じ奇跡が起きているのですか?」と立て続けに聞きました。

しかし、その人は佳子氏に、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているとはいいませんでした。

「そういうことも起きると思います」という曖昧な返事しかしなかったのです。

そんな奇跡など起きていないから「起きています」とはっきりいえなかったのでしょう。

釈尊やキリストと同じ神理を説いているのなら、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きないといけません。

しかし、その釈尊やキリストと同じ、私に起きているような奇跡が起きている人は、特別このGLAの佳子氏だけではなく、どの宗教の教祖にもいないのです。(と思いますよ。誰かいますか?)

そうであるなら、その人たちは釈尊やキリストと同じ神理を説いていないということになります。

では、そのような人たちがいっていることが正しいのでしょうか?釈尊やキリストと同じ奇跡が起きないのにです。

こういう奇跡が目の前で現れているというのに、その人は私のいうことをなかなか認めようとはしませんでした。(四十年以上も信じて続けて来たGLAを、すぐに間違っていると認めろという方が無理なんでしょうが。〔苦笑〕)

しかし、口でいっているだけではなくこのような現象が現れているのです。

これ以上の私がいっていることの正しさの証明はないと思います。(もちろん、これ以外の奇跡もたくさん現れていますし)

昨日も私が歩いていると、嫌がらせをしていく人はいる、思いっきりブシュとやって行くトラックはいる(それは私のブログを見ているという証拠ですよね。昨日ブログに書いたことと反対のことをすぐにしてくるのですから。〔笑〕)やたらに怒っている人たちはいると様々でした。

正しい法を説いている者にそのようなことをすれば天罰はくだります。それもまた私が正しいことを説いている一つの証明でしょう。

正しいことを説いている人の周りには、必ずお蔭が現れるからです。(それは釈尊しかり、キリストしかりです)

これほどのお蔭が現れているのです。この正しい法をいい加減きかれてはどうでしょうか。(逆らうばかりではなくです)

そうすれば必ずよいことが起きてくるからです。

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2月 27 2016

人のせいではなく自分のせい

いやはや朝からもう凄い怒りようです。昨夜からそうでした。やたら怒っていたのです。

ここ数日は特に激しいのですが、それにしても勝手な話です。

自分たちが散々嫌がらせをしておいて、悪いことが起きだすとそれを全部私のせいにして、それで、そういうことをしているから災いが起きるのだと、嫌がらせをやめて詫びを入れるなら、その災いが止まるよう私も祈るといっているのに、そう私がいうのを一切無視して嫌がらせをやり続け、それでなお災いが起き出したのを、それも全部私のせいにしてよけい怒っているというのですから、これだけ勝手な話もないわけです。

しかし、それはどこかの会社だけではないでしょう。

この辺りの人など皆そうであるからです。

法を説いている人に嫌がらせなどしてはいけない、それでは罰が当たると、どれだけいっても私に対する嫌がらせをやめないのです。

それで私が祈ると、なんと祈られた方がムッとして怒っているのです。

私は、そういう人たちが間違った行いをしていると思うから、天に「この人を正しくお導きください」と祈っているだけなのです。(私は嫌がらせをして来た人に対し、それを嫌がらせで返すのではなく、正しい祈りで返しているのですから、これだけ正しい行為もないわけです)

そのような正しい祈りには怒るくせに、自分がしている嫌がらせは悪いとも何とも思わないというのですから、これ以上、自分の悪に気づいていない人もいないわけです。

だから私は、そういう人たちを祈っているのに(口でどれだけいっても分からないからです)では、こういう人たちの間違いを正すにはどうしたらいいというのでしょう。

腕ずくで殴ってでもやめさせろとでもいうのでしょうか?(そういう行為が間違っているということは明らかなのです)

それとも大きな心で許してやれとでもいうのでしょうか?

しかし、それは大きな心ではないのです。間違った心でしかないのです。

そういうことに知らぬ顔をするということは、間違ったことをしている人を見て見ぬ振りをするということと同じだからです。

だいたい、一人の者によってたかって大勢の者が嫌がらせをしているのです。

そのような行為が正しいことでしょうか?どう考えても、そういうことをしている人たちの方が悪いでしょう。

なのになんで、そういう人たちに災いが起きていることが私のせいになるのでしょう。その起きている災いは、どう考えても天罰でしかありません。

人のせいではないのです。自分のせいでそのような災いが現れているのです。

それをこの辺りの人たちはどうしても認めようとしませんが、認めないなら認めるまで、その災いは続くでしょう。

災いの原因をつくっているのは、嫌がらせをしている人たちの方であるからです。

ずいぶん、その災いが激しく現れだしたように感じますが、よいのでしょうか?いつまでも人のせいにし続けていてです。

昨日は金山に行っていたのですが、その帰り道でもです。この辺りに比べずいぶん静かになりました。(それは対照的ですね)

わりと広い通りを歩いて帰ってきたのですが、ブシュとやって行くトラックやバスもありましたが、皆ずいぶん元気がありませんでした。(やったかやらないか分からないくらいです)

ここ数日は、そのような人たちに対して、わざと刺激的なブログばかり書いていたのですが、それでも前のように思いっきりブシュとやって行く人はいませんでした。

どうしたのでしょう?少し前までなら、こういう内容のブログばかり書いていたら、意地になってブシュブシュやって行く人が多かったのにです。

この近所の人たちと違って、運転手の皆さんは、そういうことは悪いことだと反省されたのでしょうか?

そうではないでしょう。やはりこれまで以上に災いが起きて来ているからでしょう。

だから、態度が変わっているのです。(静かになるか、やたら怒りだすか、両極端にです)

もう相当な現象が現れだしていると思いますが、それでもまだ、この法に逆らうのですか?

この法に従うのなら、次々に奇跡が起きているというのにです。

一日、二日前に大阪の梅田で車が暴走して死傷者が出た事件がありました。あの車の運転手だった人は病死であったそうですが、アクセルを踏んだまま病死したのです。

こういうことが過去あったでしょうか?

車のアクセルを踏んだまま病死して大勢の人をはねるなど、これまでにはちょっと考えられないような事件まで起きているのです。(しかもよりにもよって繁華街でです)

これもやはり人々の心が関係していると思います。

間違った心が、そのようなこれまででは考えられないような事件まで引きよせてしまうのです。(だから、車の性能ばかりうんぬんいっているより、人々の心を変えないといけないのです)

これからは、法がないところには災いが起きます。自分たちの間違った心がそのような災いを呼ぶからです。

この法を実践するなら、奇跡が起きるということは、すでに多くの人に実証されています。

これほど分かりきった現象が現れているのに、なぜいつまでも逆らっているのですか?

逆らえば逆らうだけ、自分たちが危なくなるというのにです。

追伸…もうパワースポットだの、霊験あらたかな場所だのいっている場合ではないですよ。本気の神の業が次々に現れだしているからです。

こちらにいるとそれが一層よく分かります。(かなりやばそうな人たちが一杯いますから)

だいたい、この地球自体がすでに神につくられた神殿なのです。

その神殿の中にすでに住んでいる私たちが、あそこがいいだの、ここがいいだのいったところで、そのようなところも含めてすべて神がつくられているのですから、よいも悪いもないということです。

パワースポットだの、霊験あらたかだのという場所は自分(の心)でつくるのです。人に(あるいは神に)つくってもらうものではありません。

そこはお間違いのないようにしてください。

霊域がよい場所は自分たちの心がつくるのです。だから心を正せば、そこが知らず知らずのうちにパワースポットになり、霊験あらたかな場所になるのです。

そのような場所には次々にお蔭が現れます。

この辺りが、そのよい例ですね。

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2月 26 2016

理不尽な人たち

一昨日の話です。

私が歩いていると、後ろからゴホゴホやってきた人がいました。振り返ると二十代後半くらいの兄ちゃんです。

それで私が「もうサイレンなんか日本中でしているぜ。いつまで人のせいにしてるの」と話しかけると、なんとその兄ちゃん「え、何かいいました」と話しかけてきました。

あまり私が話しかけてもまともに聞いてくる人はいないんですが(ほとんどの人が無視して行ってしまいます)そういわれたので「いや独り言で辻説法してるんだけど聞くかい」というと「へぇ、じゃぁ聞きましょうか」と、その兄ちゃんは私の話に乗ってきたのです。

こういう態度を取る人でも私の話をまともに聞く人はまずいません。いろいろ話しても、分からないふりをしたり、とぼけたことをいったり、はぐらかしたりする人がほとんどなのです。

だから、差しで話しても無駄になることが多いのですが、この兄ちゃんも最初はそうでした。

私がいろいろ話すと「うそー」とか「ほんとかよー」とか、はじめは散々冷かして、私の話をまともに聞こうとしなかったのです。(私のことなど、ろくなこと聞いていないでしょうから無理もありません)

しかし、くどいくらい今の状況を説明しました。

「このサイレンは名古屋だけではなく、日本中でしだしている」「救急車のサイレンは毎年増えている」「浜松など火葬場が一週間待ちだそうだ」「私の周りでも癌が多発しだしている」「もう日本中で怖いことが起きている」

そういう悪い話を散々して「しかし、私には鳥や魚がたくさん集まってくる奇跡が毎日のように起きている」「私のブログで動画を公開しているから観れば分かる」「この奇跡はお釈迦様やイエス様にも起きていた」「もう自分たちの心が現象として現れる時代になった」「だから、私に起きていることと私以外の人に起きていることがこれだけ違う。心が違うから」「時代が変わった。二十一世紀は心が現象として現れる、そのような時代である」という話をして、最後に「だから心を変えないといけないのである」と話しました。

「心を変えないと、必ずあなた自身にも災いが起きるからだ」とも話して「あなたは自分の心がきれいだと思うか」と聞きました。

少し考えていましたが、その兄ちゃんは「いや、自分の心はきれいではない」と答えたのです。

「心がきれいでないと災いが起きる時代になった。では、いま起きている災いは誰のせいなのか?」と私は立て続けに質問しました。

その兄ちゃんは、その質問に窮していましたので答えはあえて聞きませんでした。答えずらいと思ったからです。(ずっと、この災いは私のせいだと思い続けているのです。そういう人が、いきなり考えを変えるのも難しいと思うからです)

そのような話をして「マァ、今こういうことが起きているのは事実だから気をつけてな」といって帰ろうとすると、その兄ちゃんは「また教えてください」と頭を下げて帰って行きました。

最初の態度とはえらい違いですが、しかし、しっかり今の状況を話し、それを理解するなら誰だって今のままではいけないと分かるのです。

それを理解しようとせず、頭から「お前が悪い」とやっているから、いつまでも悪いことが起きるのです。

昨日家の近くまで帰って来ると、何人かの人が前から歩いてきてすれ違いましたが、そのすべての人がでかい足音など立てて嫌がらせをしていきました。

なにか意識してこちらに歩いてきた気がしましたので、その中の一人に「悪いことが起きたんだろう」と声をかけると、ビクッとしていました。

この辺りの人は、自分たちに悪いことが起きると、わざわざ私に嫌がらせをしに来るのです。呆れてしまいます。私はそのような人たちを見たことも話したこともないというのにです。(そういう私が全然知らない人たちでも、悪いことが起きたら、それは私のせいになるようです)

私は、自分が会ったこともない多くの人に悪いことをしているようです。(?)

しかし、それだけ悪いことをしている私には次々に奇跡が起きているのです。そうして、その奇跡は、私のいうことを聞いている人たちにも起きているのです。

私や私のいうことを聞いている人たちには、次々に奇跡が起きているのに、私のいうことを聞かない人、逆らう人には災いが次々に起きているのです。

そうして、その災いは私のせいであると、その災いが起きている人たちはいっている(思っている)のです。

私のいうことを聞こうともしないくせに、なぜその災いが私のせいなどというのでしょう。普通は逆なのではないでしょうか?

私のいうことを聞いて、それで災いが起きたというのなら、それは確かに私のせいなのでしょうが、私のいうことを聞かずにいて、それで災いが起きて、その災いが私のせいなどというのはメチャクチャな理論なのではないでしょうか。(いちゃもん以外の何ものでもありません)

いってはいけませんが、こういうでたらめな理論を私に嫌がらせをしている人たちはいっているのです。こういう理論が普通通るでしょうか?

こういう非常識なことをいっているから災いが起きるのです。

いっていることが(思っていることが)あまりに理不尽であるからです。

「災いが起きている人は自業自得」そう私がいっている意味が少しはお分かりでしょうか?

そういう責任転嫁丸出しの考えを反省しないといけないのです。そのような人たちは普段からそういう考えを持っているからです。

そのような考えを持っていては、もういつ災いが起きるか知れないのです。そのような時代になっているからです。(昔からいわれている「悪いことをしたら罰が当たる」その通りの現象が現れているだけなのです)

昨日、遠くから私の方を見ていた中学生が何人かいました。

私を遠くから見ていても何も変わりません。その恐ろしい現象が自分たちに現れたくないのであれば、そうして奇跡を現したいのであれば、私のいうことを聞くことです。

そうすれば、そうなるからです。(災いは起きず、奇跡が現れる)

私にしっかり詫びを入れ、この教えを教えてくださいといいに来ることです。そうすれば、そこから本当の救いの道が始まるからです。

中途半端なことをしていても救われないのです。(回りがどういおうが、自分がそれが正しいと思うならそうすればいいのです。回りに流されていては救われないからです。自分を救うのは自分しかいないのです。自分でどうにかする、そのような自力がないと救われないのです)

この辺りずいぶん激しく災いが起きだしたようです。(昨日のどこかの会社も悲惨でしたね。何回災いが起きたのですか?本当にそのまま怒っているだけだと滅ぼされますよ。バスやトラックの人たちは大丈夫でしょうか?)

結局、そのような責任転嫁をしている人ばかりなのです。(まったく反省しません)このような荒療治も必要なのでしょう。

これくらいのことが起きなければ、誰も神を思おうとしないからです。(こういうことが起き出したから、みな神を意識するようになったのです。こういうことが起きなければ日本の人々は誰も神など意識しません。では、今頃は滅ぼされていたでしょう。すべて神がつくられたところで、その神を全然意識しなかったというのですから)

神が現す奇跡は次々に現れています。

あとは私たちが神の心に合わせるだけなのです。

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2月 25 2016

先はどうするのか?

昨日は白鳥公園に行ってきました。

横の堀川をずっと歩いて行くとカモメたちがたくさん寄って来て、最後には回りがカモメだらけになりました。(笑)

私の近くにカモメが飛んでくるだけではなく降りてくるのもいます。(すぐ近くまでです。動画に撮りたかったのですが、昨日はビデオを持っていかなかったものですから)ギャーギャー鳴いているのもいて本当に可愛いものでした。

そういう元気なカモメたちに比べ、ずいぶん元気がなかったですね。運転手の皆さんは。

特にバスの運転手の皆さんはどうしたのでしょう?

無理してブシュとやって行く人もいますが、暗い顔をして下を見ている人、真正面を見てまったく目をそらさない人(大丈夫ですか、いっちゃてませんか?)私を見るとビクッとする人など、少し前とはずいぶん態度が変わった人が多いのです。(ちょっと前までは、眉間にしわを寄せ「この野郎」という感じでブシュとやっていく人が多かったものですから)

何か、余命いくばくもないと癌の告知でも受けて、もう先がないと自覚しているような人が多そうで、哀れにも見えました。

実際そうなのではないでしょうか。そのままでは本当に先がないと思うからです。

だって考えてみてください。起きている現象をです。

その現象は減っているのではなく増えているのです。(だから皆さん態度を変えたんですよね)

段々、現象が減っているというのであれば、そのうち止まるだろうと気楽な見方も出来ますが、段々、現象が増えているということであるならば、止まる見込みはまずありません。

そのまま態度を変えないというのであれば、これからその起きている現象が増えることはあっても減ることはないでしょう。

では、全員に現象が現れるまで、その現象は止まらないということになります。

それでは先がないと考えるのも無理もないことだと思うのです。

本当に先がないからです。(ないと思いますよ。反省もしないのに、この神の業が止まるわけがないからです)

これは、電車やトラックの運転手にもいえることだと思います。バスの運転手と同じようなことが起きているから、皆さん態度を変えられたと思うからです。(トラックも昨日はわりかし静かでしたし)

それで本当によろしいんですか?

そのままでです。

私はこのままでもかまいませんよ。起きる現象といえば、先ほどのカモメが寄ってくるような可愛らしい現象ばかりであるのであるし、あとは嫌がらせの問題だけですが、その問題も解決しつつあるからです。(そのうち歩いている人たちにも、激しい現象が現れてくるだろうし〔どこかの小、中学生みたいにです〕そうなれば私に嫌がらせをする人はいなくなります。そういう人がいなくなれば問題解決です)

だから、私はかまわないのですが、そちらに起きている現象はずいぶん恐ろしそうですが、それはそのままでもよいのでしょうか?

私には、次々に奇跡が起きているというのにです。

私の教えを信じている人たちにも続々と奇跡が起きています。

それに対し(誰がいいだしたかは知りませんが)そちらの教え(お前が悪い教)を実戦している人たちには、ずいぶん悪いことが起きているようですが、それでもまだその教えを実践されるのですか?

悪いことが起きると分かりきっているのにです。

ソロソロ悔い改められてはどうでしょう。間違っているのはそちらの方と、もう誰が見ても明らかであるからです。

やけくそになればなるだけ、よけい恐ろし現象が現れてきます。(罰を何度当てても分からないというのであれば、天はもっとひどい罰を当てるからです)もうそういう子供のような態度はやめられたらどうでしょう。

どう転んでも損にしかならないからです。

この教えを信じれば(私のいうことを信じれば)奇跡が起きてきます。この奇跡が起きること以外で、自分たちが救われる道はもうないのです。(それを分かっている人は多いと思いますが)

何度もいいますが、自分は自分だけで生きているのではないのです。あなたを頼っている人もいれば、あなたを好いている人もいるでしょう。

そういう人が、あなたの回りにはたくさんいるのです。

自分たちのその頑なな態度は、そのような人たちの思いも裏切ることになるのです。そのような態度を続けるのであれば、最後には滅ぼされてしまうからです。

神は(天は)そのような不遜な態度を続ける限り、その現象を止める気はないのです。それがその人の心にとって一番よいことであるからです。(天はこの世のことだけを観ているわけではありません。だから、大人、子供に関係なく現象を現すのです。その人の頑なな心にとって現象を現すことが一番よい勉強になるからです。この世の肉体しか見ていない人には、その天の〔心まで観ている〕愛が分からないのです)

そのままの態度を続けるのであれば、もう先はありません。(それは確実です)

いつまで意地を張り続けるのですか?

そのような態度は、自分にとっても、また周りの人たちにとっても裏切りの行為でしかないのです。

追伸…民主党と維新の党が来月合流するらしいですね。(まったく政策無視です)

ただでさえ民主党はまとまっていないのに、これでまた他党と合流するなら、民主はよけいまとまらなくなります。

党名をどうこういっている場合でしょうか。(何かずれてる感じがしますが、中は大丈夫ですか?)

どちらにしても有権者から見たら、さえない合流であることはだけはたしかでしょう。この合流は選挙対策(参院選対策)以外の何ものでもないからです。

まったく国会そっちのけですが、その国会も、何かあげ足取りみたいなことばかりやっていますが、そういうことよりも政策第一でやっていただきたいものです。

そういう議論は、国益にかなっているとはとても思えないからです。(ただの党利党略でしょう)

アベノミクスは成功だの、失敗だの、ケチなことをいっているのではなく、アベノミクスはどうやったら成功するのか?

そのような議論を与野党全体でやってもらえないでしょうか?

そのような議論を深めてこそ、国益にかなうと思うからです。

(結局、景気をよくしないことにはどうしようもないのですから)

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