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2016年3月

3月 31 2016

神の計画

今日は書いてもよいのでしょうか?(もう私一人では決められませんから。〔苦笑〕)

昨日はどこかのバカ会社がうるさくて書けませんでした。(完全にキレたのが一人、二人いてです)

仕方がないので、ブログを書くのを途中で諦め祈りの時間にしました。(頭に来たから徹底的に前の会社を祈りました)

そうしたら、すぐにその祈りがきかれたようで、また何か起きたようでした。まさに天罰覿面です。(昼少し前にです。そうしたらよけいキレ出しました。逆効果ですね。〔苦笑〕)

ここに書いたことを行えば奇跡が、逆らうなら災いが本当に起きるのです。それだけ現象が現れるブログの書くのをじゃましているんですから、災いが起きて当然です。

どう考えても自業自得だと思うのですが、しかし、怒っているのはどこかの会社だけではありませんね。

一昨日など、JRなんとかの荷物を運んでいるトラックの運転手連中がやけに怒っていました。

何台かそのトラックを見たのですが、私をにらみつけている運転手はいる、おかしな表情でこちらをジッと見ているのはいる、私がそちらを見ていたら運転席から思いっきり文句をいっているのはいる(残念ですが、遠くて何をいっているのか聞こえませんでしたが)と明らかにテンパっている人たちばかりです。

バスの運転手といい、電車の運転手といい、今度はトラックの運転手まで超怒っている人がたくさんいるのです。

一体どうしたのですか?

それだけ災いが起きだしたということでしょうか?(多分そうでしょう)

では、心を入れ替えてはどうでしょう。それ以外、その災いを止める方法はないからです。

自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きているのです。私のせいではありません。

と、どれだけ私がいってもこの辺りの人たちはきこうとしませんが(昨日もそういう人いました。私が何をいってもきかないのです。私が近くを通るとひたすら嫌がらせです。そうして辻説法をしている私を白い目で見ていました)悪いことが起きている人が悪いのです。

よいことが起きている人がよいのです。

この辺りの人はそれを認めようとしませんが、どうして、奇跡が起きている人が悪者で、災いが起きている人がよい人なのでしょう。

それでは釈尊やキリストは悪者で(釈尊やキリストには奇跡しか起きていませんでしたから。災いなど起きませんでしたから)その釈尊やキリストに悪いことをして天罰を食らった人が(例えば、ダイバーダッタやユダが)よい人ということになります。

どう考えても、そんな考えを持っている人たちの方が間違っているでしょう。

つまりこの辺りの多くの人たちが大きな間違いをしているのです。

だから、悪いことばかり起きるのです。自分たちの考えが間違っているからです。

こんな簡単な理屈がなぜ分からないのか、本当に分かりませんが(というか、自分たちの間違いを認めたくないから我を張っているだけですよね)この理屈を認めない限り、よいことは起きて来ないのです。

悪いことが起きる原因は皆さんの方にあるからです。

高橋先生の予言を具体的に書いてみると次のようになります。

2150年頃、キリストがアメリカ(またはカナダ)に出世される。そうしてアメリカに世界政府をつくられる。

2450年頃、モーゼがエジプトに出世される。(多分この時に、モーゼのお力で〔多くの奇跡を現され〕世界のほとんどが真のユートピア化すると思います)

2750年頃、釈尊(エル・ランティー)キリスト、モーゼ、七大天使がエジプトに勢ぞろいされ、地球全体が真のユートピアとなり、その地球から他の天体へと移動することになる。この時に(まだ人数は未定ですが)如来や菩薩も共に移動する。

今世紀中に(今世紀中にですよ)世界政府が出来(これはキリストが中心となりつくられる世界政府ですので、今の国連のようなあんな組織にはならないと思います。神の心でつながる真に世界のためになる、そのような世界世府が出来ると思います)地球全体がユートピア化し、そうして他の天体に移動することになるということです。

これはどういう意味かお分かりですか?

それはつまり、ここ数百年のうちに飛躍的な心の発展と科学の発展が行われるということであり(心が飛躍的に発展しないと、地球全体がユートピア化することはありませんし、飛躍的な科学の発展がなければ、他の天体には行けません)ということは、よほど今のうちから心も科学も発展させないと、この神の計画に間に合わなくなるということです。(それはそうです。数百年などというと何か長そうですけど、実際はあっという間です。〔一年たつのことの早さはどうでしょう。それが数百回重なっただけです〕モタモタしていては間に合わないのです)

わずか数百年のうちにそれを行わないといけないのです。だから、このようなことが起きてきたのです。

神の計画に合わせてです。(だから私は原発を進めないといけないともいっているのです。原発程度で止まっていては飛躍的な科学の発展などとても望めないからです)

この神の計画はすべての人が知っていることなのです。(自分の心の奥を知ることが出来ればです)今さら、そんなこと知らない、俺は関係ない、は通りません。

みな承知で、この時代に生まれて来ているからです。

それなのに、悪いことばかり起き出したら、自分の心は棚に上げ、悪いことが起きたのはお前のせいですか?(飛躍的に心のレベルを上げなければいけないというのに、なんというレベルの低さでしょう)

そんなくだらない泣き言にこちらはいつまでもつきあってはいられないのです。

神の計画は着々と進められているからです。

この法を信じ行った人だけが、2750年の他の天体へ行くための切符を手に入れることが出来るのです。(即ち法をしっかり行えた人だけが如来、菩薩になれるということです。如来、菩薩になれるということは、当然ではありますがこれ以上の幸せはありません。心が高くなるほど人は幸せになれるからです)

いつまで、自分の小さな殻の中にとじこもっているのですか?

その殻を破らない限り、この神の計画に乗ることは出来ないのです。

追伸…別に乗らなくてもいいという人は、それはそれでかまいません。地球に居残ることになるだけだからです。(居残り組は絶対に出ますから)

ただし、その後の地球はもう一度はじめからやりなおすということで、激しい天変地変が起き、恐竜のような生物も復活し原始時代のようになります。

そのような厳しい生活を長く送った後(それは一世代だけの話ではありません。何世代にもわたりという意味です)この地球に他の天体から、他の如来や菩薩がやって来て、その人たちの下ようやく地球居残り組は救われることになるのです。

つまり居残り組は長い(数千年、あるいは数万、数十万年)苦しみの後に、やっと救われるということです。(それはそうです。落第者なのですから)

それでもよいならそうしてください。本人の自由ですから。

私が嘘を書いていないということは、次々に起きる奇跡で証明できます。

いつまでモタモタしているのですか?それではとても間に合わないのです。

(今のままの心で如来や菩薩になれますか?〔ボサーとした人にはなれるかもしれませんが・笑〕今生で如来、菩薩になれなければその人は失敗者なのです。それくらい今生は心のレベルの合格値が高いのです)

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3月 29 2016

安保法

さて、今日は静かそうですので(今のところはですが)静かなうちに書いておきましょう。どちらにしてもじゃまはしだすと思うからです。(笑)

しかし、悪いことを私のせいにしている人も多いんですが、私が人を自在に病気に出来るなら、どこかの会社の連中などとっくに全員病気にさせています。(この近所の人など、どれだけあの会社の連中がうるさいか知っていますよね。半端ないくらいうるさかったです)

しかし、未だピンピンしている人は多いのです。

こういうところ一つとっても、私が人を病気にさせているのではないと分かるはずです。

病気になるも、ならないも自分の心と行い次第なのです。

もし、今バスやトラック、あるいは電車の運転手に病気が多発しているのなら、それは自分たちが悪い行いをしていた結果そうなっているのです。

二十一世紀になり(正法の世になり)お返し(因果応報)が早く現れるようになったことだけは確かだからです。

悪いことを人のせいにしている暇があるなら、自分の心と行いを反省することです。

それが一番災いを防ぐ方法であるからです。

だいたい、聖書や仏典に出て来る預言者といわれる人たちと、同じ現象が現れている者に平気で嫌がらせをしているのです。(同じことが起きていますよね。鳥や魚がよって来る奇跡は釈尊やキリストに起きているのですから)

それでいいことが起きると思いますか?(聖書や仏典など見れば、預言者のいうことを聞いた人とか、布施などした人にはよいことが、逆らった人には悪いことが起きていると思いますが、そこはどうなんでしょう)

人の噂を真に受けるのではなく、自分がやっていることをもう少し考えられてはどうでしょう。どう考えてもやっていることがおかしいからです。(おかしいでしょう。人に嫌がらせをして悪いとも思わないというのですから)

そのおかしいといえばです。安保法が施行されましたが、またおかしなことをいう人が多いんでしょうね。(苦笑)

国会前での抗議ですか?デモですか?それは大変そうです。

安保法反対はいいのですが、では、今のままでいいということでしょうか?

それではどう考えてもまずいでしょう。今度のアメリカの大統領選は皆さんご存知だと思います。

もし、あの話題の人が大統領になったらどうされるのですか?(可能性ありますもんね。しかも段々その可能性が増しているというのですから怖いです)

あの人が大統領になれば日米同盟もどうなるか分からないのです。

それなのにただ安保法反対では話にならないでしょう。少なくとも対案は出すべきだと思います。学生のデモではないからです。(だからあのような学生連中や一般市民はしょうがないでしょう。国の安全保障まで頭が回らないと思うからです)

あの話題の人がアメリカの大統領になっても、選挙戦であるからああいうことをいっているだけで、実際大統領になったら日米同盟もさして変わらないだろうという人もありますが、変わったらどうするのでしょう。(しかも大きくです)

変わってからオタついても遅いのです。

それにいつもなら最悪の事態も考えておかないといけないというのに、こういう場合は最悪の事態を考えなくてもよいというのでしょうか?

日本の安全保障に関わる問題であるのにです。(一番最悪の事態を考えないといけない問題のはずですが?)

ですから、学生や一般市民が安保法反対を叫ぶのは分かりますが、国会議員やテレビに出ている頭のいい人たちが、ただ安保法反対を叫ぶのはまずいでしょうね。(バカだと思われます)

安保法が反対であるなら、何か対案を出さないといけないでしょう。アメリカの大統領が代わるのは確実なのです。では、日本の安全保障も変わる可能性が大きいからです。

もし、あの話題の人がアメリカの大統領になって、沖縄のアメリカ軍への予算をもっと上げろと(しかも法外な金額にです)そうしないと沖縄からアメリカ軍は撤退すると、そういってきたらどうするのでしょう。

そうなったら法外な金額をアメリカに払うか、沖縄からアメリカ軍が撤退するかを判断しないといけないのです。

そんな法外な金は払えないといえば、アメリカ軍は沖縄から撤退するのです。

では、どうなるのでしょうか?

もしそうなれば少なくとも、尖閣は中国に実効支配されると思いますよ。(韓国に実効支配されている竹島同様にです)そうして、あの辺りの資源は根こそぎ中国に持って行かれるでしょう。

下手すれば沖縄まで危ないのです。(沖縄の知事たちは喜ぶかもしれませんが。だってアメリカ軍より中国軍の方がいいんでしょう。〔沖縄でそういうことをいっている人いますよね〕)

そうなったら日本一国でどうにかなるのでしょうか?

とても無理でしょう。では、国連にでも頼みますか?(国連、国連という人も多いのですから)

こういう問題で国連でなんとかなったという話があるのでしょうか?(あまり聞いたことがありませんが)

国連では多国間の問題で一部の援助くらいは出来ても、解決までは出来ないのです。(実際に出来てないですよね)

ですから、国連に尖閣や竹島など問題提起したところで、何の解決にもならないということです。

国連、国連という人たちは、単に国連なら何とか出来るという幻想を持っているにすぎない人たちであるということです。(国連などあってもなくても同じなのだから、なくした方がいいといっている人も多いですよね。私もなくした方がいいと思います。多くの国がよその国にあまりに口を出しても混乱するだけだからです。今回など日本の皇室典範のことまで口をだしてくるのです。日本の歴史や内情もよく分からないのによくそんなことします。こういうこと一つとってもそれは分かります。他国の問題にあまりに多くの国が口を出してはいけないのです。その国に生まれたら〔その国がどれだけ悪くても〕その国をよくするという使命が、その国に生まれた人たちにはあるからです。その使命をメチャメチャにしてしまうのが国連なのです)

では、どうするのでしょう。

他国との同盟を増やしますか?

日、中同盟なんかどうでしょう。日、ロ同盟はどうですか?

なにかよけい危なそうにも感じますが、アメリカとの同盟が大きく変わるかもしれない時に、何の策もなく安保法反対では、そういう人は国会議員をやる資格はないですし、テレビでしゃべる資格もないということです。

本当に日本が危なくなるからです。

どちらにしてもアメリカが不安定になるなら、世界が不安定になります。何か手は考えておかないといけないでしょう。

その可能性がゼロではないからです。(というか大きいです)

早くこの法を世界に拡げなければいけないということは、このようなことからでも分かるのです。

世界に法を拡げておくなら、そのアメリカが不安定になった分を神が補ってくれるからです。

法の大事さはこのような(安全保障の)面からでも分かるのです。

一刻も早く法を世界に拡げないといけないのです。

なぜなら、高橋先生はアメリカの没落を予言されているからです。

(アメリカが没落するということは、当然ではありますが、世界が不安定になるということです)

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3月 28 2016

思考停止

昨日は久しぶりに前に同じ仕事をしていた人と会いました。(数年ぶりです)その人が急遽名古屋に来るということになったからです。(大阪に住んでいる人です)

外ではいろいろ問題が起きてもいけないので(笑)家に来てもらい有り合わせのもので食事をしながら(何せ貧乏ですから。〔苦笑〕)いろいろ話をしていたのですが、久しぶりという懐かしさより「この人、前より進歩しているのかな?」という思いの方が強くあって、あまりに進歩のない話と態度に最後は引いてしまいました。(この人、進歩というか、退歩しているように感じました)

職業病といいましょうか、周りにあまりに進歩がない人が多いので、人を見るとそのような見方しか出来なくなっているようで、最近は進歩がない人を見るとがっくりくるのです。(だからがっくりきっぱなしです)

この人は創価学会の信者の人でもう何十年も学会の信仰を続けていました。今回も、その件でこちらに来たようで、信仰の話も(少しではありますが)しました。

信仰をしているわりには進歩がないと思ったからです。

この人は、私の家に来る時に(私が近くの駅まで迎えに行ったものですから)鳥が寄って来る奇跡を見ていました。

私が歩いているとあちこちの鳥が騒ぐのです。(あまり寄っては来ませんでした。その人が一緒にいたからです)そうして、その鳥たちに私が声をかけると喜ぶような仕草をする鳥もいます。(すずめとか特に分かりやすいんですが)

歩きながら、私がその人に「最近は鳥たちがよく寄ってくるようになりましてね。人と話すと揉めますので鳥とばかり話しているんですよ」と冗談半分にいうと、その人は「へぇー」といっていました。

私のいっていることがよく分からなかったようです。

しかし、家につくまでに、あちこちの鳥たちが騒いでいたことは確かでした。だから、そのような話をしたのです。

「信仰をしていれば、鳥が寄ってくるような奇跡が起きて来なければいけませんが、そういう奇跡は起きているんですか?」と私はその人に聞きました。

しかし、その人は何の奇跡も起きていないようで「奇跡は起こしたいですね。起こしたいです」としきりにいっています。

信仰をしていれば誰だってそう思うでしょう。何の奇跡も起きない信仰では信仰をしている意味がないからです。

「奇跡が起きないのなら、その信仰が間違っているのではないですか?」と私がいうと「自分は凡夫(ぼんぷ)だから起こらないのです」といいます。

信仰が間違っているのではなく、自分がダメだから奇跡が起きないとこの人はいうわけです。

「では、他の会員に私と同じような奇跡が起きている人がいるのですか?」と聞こうとしましたが、その人が他の話題に変えよう、変えようとしていたので、それ以上は追求しませんでした。

あまり追い込んでもいけないと思ったからです。

この人はご両親が創価学会の信者で小さな頃から学会の信仰を続けていたのです。だから、学会の信仰をするのが当たり前のようになっていて、他の信仰をしようとは少しも思わないようでした。

「哀れだな」とこの人を見ていて思いました。

この人は、同じ学会員の人をお嫁さんとしてもらっていました。その嫁さんも数年前に亡くしているからです。(心臓発作か何かで急死したそうです。そのお嫁さんは、そんなに年ではないと思います。多分四十代くらいだったのではないかと思います)

奇跡が起きないだけではなく、こういう悪いことまで起きているのです。(嫁さんが急死するなどこれ以上の悪いことはありません)

それなのに、やっている信仰に疑問一つ持たずに続けているというのですから、これ以上哀れな話はありません。

なぜ「自分が続けている信仰が悪いのではないか?」と疑問くらい持たないのでしょう。

その疑問さえ持っていれば、私に起きている奇跡も分かるというのにです。本当の神理にも巡り合えたというのにです。

このように神理が目の前にあるのに、それが分からない人が多いのです。

ほとんどの人が思考停止に陥っているからです。

自分の今していることが正しくて善である、とそこで思考停止をしているのです。

だから、それ以上の正しいものがあっても、それを求めようとしない、そこで考えが止まっているからです。

しかし、正しいどころか現実には悪いことばかりが起きているのです。これだけ悪いことが起きていて、自分が正しくて善ということはないでしょう。

自分が間違っていて、悪だから悪いことが起きているのです。

もう少し現実をよく見られてはどうでしょうか。この人だけではなく、実際に悪いことが次々に起きている人が現在はたくさんいるからです。(今日も朝から、怒ってガンガンやったり、急に静かになったり忙しそうです。ただでさえ仕事が忙しいのです。それ以外のことでも忙しそうで大変ですね)

思考停止をしていては救われようがありません。

もう少し思考を進めるなら、すぐそこに救われる道はあるのです。

疑問、追求の心を忘れてはならないのです。

追伸…大相撲が終わりました。

千秋楽は少々引きましたが(笑)大関陣が強いとやはり面白いです。来場所も頑張ってほしいものです。

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3月 27 2016

新しい時代

昨日もいましたね。やたら怒っている連中がです。

ある会社の横を通ると、リフトに乗りながらこちらをにらみつけてくる奴とか、でかい音を立てて怒りながら仕事をしている奴とかいろいろいました。

いかにもお前のせいで悪いことが起きたという態度です。その会社の連中は散々私に嫌がらせをしているくせにです。(自分たちの悪い行い全部スルーです)

他にもガンガン(怒ったような)音を立てて仕事をしている大工はいる、バカにしてくるバカ小学生はいると怒っている連中のオンパレードでした。

こういう連中は、私が何をいっても聞こうとしないのですから呆れます。(そういう人たち全員癌です)

しかし、このような連中はまだ気づないのでしょうか?もう自分たちのやり方では通用しないということがです。

いつまでも、そういうやり方をしていてはダメだから悪いことが起きているのです。

それは仕事などで考えてもらえれば分かると思います。

商売をしている人など時代が変わり人々のニーズが変われば、もう同じやり方をしていてはやっては行けない(物が売れない)ということで、当然やり方(売り方、または売る物)を変えると思います。

そうしないと、商売が左前になるからです。

人生もそれと同じなのです。もう時代が変わっているのです。(すでに二十一世紀です)

時代が変わっているのですから、同じやり方(同じ考え方)をしていてはもうやってはいけないのであり、いつまでも同じ考えでいるから災いが起きているのであり、だから自分の考えを変え、行いを変えないといけないのであって、だから私は「早く心と行いを変えてください」「すでに時代は変わっています」と何度もいっているのです。

時代が変わっているのに、同じことをしていては不幸になるからです。

商売(金儲け)だと、それがすぐに分かるのに私生活になるとまるで分らず、いつまでも同じような生活の仕方を続けている、それが災いの元なのです。

これまでは悪口をいっても、嫌がらせをしても、あるいは責任転嫁ばかりしていても、それが悪いことだとよく分かりませんでした。

すぐにそのような行いが自分に返ってくることはなかったからです。

ところが最近は、そのようなことをしていると、すぐに自分にそのお返しが返ってくるのです。(災いとなってです)

そのお返しで自分のしていることは正しいのか、間違っているのか気づかなければいけなかったのですが、多くの人がその災いの意味が分からなかった。

偶然そういうことが起きているとしか思わなかった。(この辺りの人は、それが私のせいになっていますが)

それが、日本中で起き出したサイレンの原因です。それだけ多くの人が普段から悪いことをしていたのです。(自分で気づかなかっただけで)

だから、病人が段々増えているのです。自分たちのしていることのお返しが早くなってきたからです。

だから正しい考えを持つようになった人にもすぐに奇跡が起きるようになったのです。お返しが早くなったからです。

これまでは、そのようなお返しが、ずいぶん後になってからしか自分に返ってこなかったものですから、何が原因でそうなっているのかよく分らなかったのです。(よいことも悪いこともです)

だから、悪いことをして罰が当たるといわれてもピンと来なかったのです。自分のやっている悪いことのお返しが、ずいぶん遅くにしか現れなかったからです。

しかし、二十一世紀になり、そのお返しが早くなったのです。

それは時代が変わったからであり、正法の世となったからです。

だから、災いが次々に起きるようになったのです。これまでの多くの人々の心と行いが悪かったからです。

そのような心と行いでも二十世紀(末法の世)まではよかったのです。何度もいいますが、そのお返しが自分に返って来るまでに時間がかかっていたからです。

ということは反省の期間が長かったということであり、その間に心を入れ替えれば(反省すれば)そのお返しが自分に返って来ることはありませんでした。

だから悪いことが自分に返ってきているかどうかが分からなかったのです。

そのお返しが、返って来る時もあれば返ってこない時もあったからです。(反省すればその罪は許されるからです)

しかし、二十一世紀になり、そのお返しの時間が短くなりました。こうなるとこれまでのようにゆっくり反省していては間に合わなくなります。

それで災いが起きる人が増え出したのです。二十世紀と同じような考えの人がほとんどであったからです。

その時代が変わったことに気づかなかった、それが今日の混乱につながっているのです。

だから私は、もうあなたたちのようなやり方(考え方)では通用しないといっているのです。これまでのような(ゆっくりした)反省ではまったく反省していないのと同じであるからです。

悪いことをしていて、まったく反省しないのであれば、そのお返しはまともに返ってきます。

それが(名古屋だけでなく)日本中で起き出したサイレンであり、温暖化が原因といわれている(日本も含めた)世界中で起きている異常気象であったのです。

世界中の人々の反省のペースが遅すぎるのです。だから、大きな災いが次々に起きているのです。

この世界的異常気象は決して温暖化のせいではありません。そのような責任転嫁も早く直さないといけないのです。そう思っている人たちにもそのうちに災いが起きるからです。

それも間違った考えの一つであるからです。

昨日も書きましたが、テレビで評論家などがいっていることをどれだけ信じても一つの奇跡も起きないのです。

その部分だけとっても、その意見が正しいとは思えませんし、それどころか、そのようなテレビでいうことを多くの人が信じたばかりに、このような災いばかりが起きる世の中になってきたのです。

では、テレビでいっていることは果たして正しいのでしょうか?このような災いばかりが起きる世の中になっているのにです。

テレビでいっていることはすべて間違っている、という極端なことはいいませんが、間違っていることもたくさんあるということです。(テレビもまだ前時代〔二十世紀〕の思想のままでいるからです)

だから、テレビでいっているからと、すぐに鵜呑みにするのではなく、そのいっていることは本当に正しいのかどうか、よく自分で吟味しないといけないということです。

少なくとも(昨日書いたのですが)すぐに責任転嫁みたいなことをいう評論家のいうことは信じない方がいいでしょう。ああいういい方は完全に間違っているからです。

その間違ったことを信じていては、もうどんな災いが現れて来るか分からないからです。

自分に起きて来たことは、すべて自分に原因があるのです。(よいことも悪いこともです。善因善果 悪因悪果です)

自分に悪いことが起きてきた場合、その悪いことの原因を自分で取り除かない限り、その悪いことは消えません。

責任転嫁などしていては悪いことは(それをしている間は)ずっと続くのです。

よいことも悪いこともすぐに返ってくる時代となりました。だから特に悪いことには早く気づかないといけないのです。

そうしないと、どれだけ不幸になるか分からないからです。

私や私のいうことを聞いた人には次々に奇跡が起きています。そうして、その私のいうことを聞かない人や逆らっている人たちには、次々に災いが起きているのです。

こういうことでもその事実が分かるのです。

正しいこといっている(している)から奇跡が起こり、間違ったことをいっている(している)から災いが起きるのです。

そのような善悪がはっきり分かる(現象として現れる)時代となりました。

その時代が変わったことに早く気づかなければいけないのです。

そうしないと大きな失敗をすることになるからです。

(何で皆さん、仕事などの金儲けに関することには敏であるのに、こと神に関することにはこれだけ鈍なのでしょう。しかし、仕事に失敗してもお金がなくなるだけですが、神に関することに失敗すると最悪命をなくします。神のことにはより敏でなければいけないのです)

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3月 26 2016

法を中心とした世界

いよいよやばいんじゃないですか?どこかの会社などです。

ここ二、三日も、わりと静かだったんですが(たまにキレてたみたいですけどね)今日はまた一段と静かです。(ほんと休みかと思いました)

あれだけでかい音を立てていた会社がこれだけ静かになる、相当やばいことが起きているように思えますが、それでもまだ私のいうことを無視するのですか?

私のいうことをきかない限り、恐ろしい現象は止まらないでしょう。早く反省し心から詫びられることです。

そうすれば(私も祈ることですし)その現象は止まるからです。

これは他の人たちにもいえることでしょう。昨日も怒っている人たちがいたようですが、どれだけ怒って私に罪をかぶせたところで、その現象は止まりません。

自分が反省するしかないのです。自分たちが悪いから起きている現象であるからです。

早く反省された方がいいでしょう。それが恐ろしい現象を止めることが出来る唯一の方法であるからです。

まだ、この法を信じることが出来ませんか?

これだけお蔭が現れているにもかかわらずです。

この教えを信じ実践するのであれば、必ず(災いではなく)奇跡が現れるようになります。信じ行われたらどうでしょう。すでに奇跡が現れている人はたくさんいるからです。

例えば、いま小、中、高校などで事故が相次いでいる組体操などもです。

もちろん、正しい指導は前提なのですが、このような体操などでのけがは親の愛が深ければ防げるのです。

あのように子供がけがをするのは、子供に対する親の愛が足りないからであり、こういうことで子供がけがをした時は、親が「自分の子供に対する愛が足りなかった」と反省しなければいけないのです。

それなのに、現在は何か起きるとすぐに学校が悪いだの国が悪いだのいって、危ないからそれをやめろだの、学校を訴ろだのいっています。

こういうこともまたお門違いなのです。

こういうことをしているから災いが起こりだすのであり、子供の事故が起きて「ああ自分たちの子供に対する愛が足りなかった」とすぐに反省出来る親がいる家庭には、奇跡が起きるのです。

そのような反省と愛の実践を続けることが奇跡を起こす秘訣であり、こういう人たちには絶対に災いが起きることはないのです。

また、愛がある心の人たちには、仮に子供にそのような事故が起きても「あの事故があったからうちの子は強くなれた」と、そのような事故が後々プラスに働くのであって、そういう一見悪いと思われる現象も、心に愛があるならよい結果となって現れてくるのです。

すべて、愛(と慈悲)が基本であり、その心があるなら、必ずよい結果が現れるのです。

だから、悪いことを責任転嫁するのは間違いであると私はいっているのです。

周りにどれだけ悪いことが起きても、自分たちに愛があるなら、その悪いことは絶対に自分たちに起きることはないからです。

悪いことが自分たちに起きるのは、自分たちの愛が足りないせいでそのような現象が現れているのですから、悪いことが起きたら、まず自分たちの愛の足りなさをよく反省しないといけないのです。

ところが現在の多くの人は、その反省をまったくすることなく、すべて責任転嫁しています。それが災いが起きる理由なのです。(世相が世相だからそうなるのでしょうが〔自分が悪いのではなく、周りが悪いからそうなった、などとすぐにテレビではいいますから〕しかし、その世相に流されていてはいいこと起きてきません。現にテレビの評論家のいうことをいくら聞いても奇跡が起きないのがそのよい証拠です)

私には奇跡しか起きていないのです。口だけでそういっているわけではありません。私は身をもってそれを示しているのですから、これ以上正しいことはないのではないでしょうか。

もう、いつまでも災いを現されていてはいけないのです。

世界を見てください。

すでに世界中で頻繁にテロが起こるようになり、あちこちで未だ戦争を続けているところがいくらでもあるのです。

そういう場所に早く法を伝えないといけないのです。

この法をそのような場所に伝えない限り、そこに真の平和が来ることはないからです。

この教えが本物であると知っているのは、この日本の(そうして、このブログを読んでいる)人たちだけなのです。

そうして、すさまじいお蔭があるということを知っているのもそうです。

では、やってもらうしかありません。

そのような争いの場所に本当の神の教えと神の業が現れるなら、その場所の人たちは嫌でもこの教えに従うからです。

他国の人たちは日本の人たちと違い信心深いのです。そのような人たちに神の業が次々に現れるなら、そこにいる多くの人たちがこの教えを信じるでしょう。

そうなれば、そこに本当の平和が現れるのです。この教えに争いはないからです。

あるのは愛と慈悲と調和と現れる神の業(お蔭)であるからです。

それだけしかないのですから平和になります。愛と慈悲と調和することの大事さを教え、その実践が正しければ奇跡が、間違っていれば災いが現れるのです。

これ以上平和な教えもないわけです。

やっていることの正しさを、人ではなく神に教えてもらえるからです。(人が教えるといろいろ反発もあるでしょうが神が教えるのです。反発しようがありません。そこは日本の人たちとは違うでしょう。何度もいいますが他国の人たちは信心深いからです)

これまでは武力を中心として平和が保たれてきました。(覇道)しかし、これからは、この法を中心として平和を保たなければいけないのです。(王道)

王道でなければ、真の平和は来ないからです。(しかも法を中心としたこの王道は〔徳だけではなく〕神の力まで加わっています。まさに最強ですね)

いつまで自分たちのことでモタモタしているのですか?

早く法の実践を行ってください。

この法を必要としている人たちは、世界中にたくさんいるからです。

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