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2017年11月

11月 04 2017

日本大改革

しかし、いっていることが分からないのでしょうか?

どれだけ怒ったところで悪いことは止まらないのです。この辺りの人たちは、自分たちの行いを反省し、ブログ代を払ってくれないことには起きている悪いことは止まりません。

怒って同じこと(嫌がらせ)をしているだけでなく一度やってみてはどうでしょう。やらない限り災いは出続けるからです。

どれだけ怒って(昨日などもあちこちでやたら怒っている人がいたものですから)嫌がらせをされても毎日祈る人が増えていくだけです。(知りませんよ。もう嫌がらせをして来る人はこちらは毎日祈っています。〔一変に祈るだけですからいくらでも祈れます〕そういう人たちが、どこかの会社のように〔今日も朝から大変お怒りですが〕毎日何か起きて来るようになってもです)

あんまり多くの人を毎日祈っても天から多くの指導を受ける人が増えるだけです。後々、困るのはそちらの方なのです。

いい加減、反省されブログ代くらい払ったらどうでしょう。(悪いのは筋を通そうとしないそちらの方なのですから)そうすれば災いは止まるからです。

それ以外で災いを止める方法はありません。どれだけ怒っても、また誰に頼んでも無駄なのです。本物の神の教えに逆らって起きている現象は、正しい行いをする以外で止める方法はないからです。

早く心変わりしてくれる人がたくさん出てくることを願ってやみません。

さて、この辺りで起きている災いはやり方さえ間違わなければ止まりますが、全然止まらずドンドン増えていくのが日本の赤字国債ですね。(苦笑)

笑い事でもないのかもしれませんが笑い事ですね。

だって、国債がたまりすぎて財政破綻した国などないんでしょう。(ありませんよね。そんな国)それに赤字国債をわざわざ税金で返している国もないそうではないですか。(どこの国も借りっぱなしなんでしょう。借換え借換えでずっときているらしいです。それに赤字国債など自国の中央銀行〔日本はもちろん日銀です〕で札をすって〔国債をたくさん買っている銀行などから〕国が買い取ればそれですむ話ですから)

じゃあ何で日本だけ国債がたまりすぎて破綻するなどと大騒ぎしているんでしょう。きっと他国から見たらバカに見えるでしょうね。

日本だけがずいぶんおかしなことをしているということでです。(笑)

明日、アメリカのトランプ大統領が日本に来られますが、その時に安倍総理はきかれたらどうでしょう。アメリカの赤字国債はいかほどあるのかと、そうして、その赤字国債はちゃんと税金で返しているのかとです。

アメリカも税金で返しているというのなら、日本も返せばいいのだし、別に返していないというのなら、わざわざ日本だけが増税して(消費税などです)赤字国債を税金で返す必要もないからです。

景気さえよくなれば(税収も増えるのですから)プライマリーバランスも黒字になって赤字国債も自然に減っていくからです。(だから景気をよくすればいいだけの話です)

何で他国がしていないことを日本だけがしないといけないのでしょう。国が破綻するわけでもあるまいし。

世界が、世界が、と日本はしょっちゅう世界のことを気にするのですから、これだけ気にしている赤字国債も他国はどうなのかもっと気にするべきでしょう。

日本はずいぶん財政赤字で悩んでいます。(なんせ、一千兆円ありますから)明日トランプ大統領が来日されるのなら、ちょうどいいので北朝鮮のことだけでなく国債のこともきかれたらどうでしょう。

もし、日本だけトンチンカンなことをしているのなら、これだけ日本の発展を妨げる間違いもないからです。(それはそうでしょう。何かやるたびに赤字国債が足を引っ張り「財源はどうするのか」とそればかりです。その財源の問題がなくなれば景気回復一本でドンドンやれるからです)

赤字国債など(どれだけためようが)気にする必要がないということであれば、増税の必要もないし、景気回復のため例えば消費税などをやめるような減税まで出来ます。(消費税をやめたら景気はずいぶん上向くでしょう)

そうであれば財務省がいっている診療報酬の削減や介護報酬の削減もやる必要がありませんし(こんなことされたら医療業界が大混乱です)例の政府だけで勝手に決めた(と怒っている議員さんがいましたが。〔笑〕)経済界への三千億円の負担要請も必要なくなるのです。

もし間違えているのなら、これだけ大きな間違いもありません。ぜひ、アメリカなど他国が赤字国債をどうしているのかをしっかりきかないといけないでしょう。

どちらにしても他国の赤字国債のことをきくことは、日本にとってプラスにはなってもマイナスにはならないからです。

この赤字国債の問題は日本の将来がかかっている大問題であるからです。

しかし、日本全体でもそうだし、この辺りの人たちでもそうです。いつまでも間違ったことをしているようではこれだけ不幸なこともありません。

日本はもう物心両面からの大改革が必要なのです。

そうしないと、今のままでは、今後は(時代が大きく変わっていますから)多くの不幸しか現われてこないからです。

現在の私たちは大きな間違いをしているのかもしれないのです。(というか、しているでしょう。だから不幸になる人が多いのです)

その間違いを改革(正)しませんか。そうすれば幸福が現われてくるからです。

追伸…今年はずいぶん楽です。この時期にほとんどくしゃみ、鼻水が出ないからです。

いつもの年なら、九月くらいから鼻水が出始めてすでにこの時期はズルズルです。(笑)それが翌年の六月くらいまで続くのですが(二月から四月くらいまでがピークです)今年はほとんど出ませんね。(少しムズムズする時がある程度です)

本当に楽です。(だからマスクもしていません。この時期にマスクなしなどこれまで考えられなかったです)

もう二年近くになりますからね。(ブルガリアヨーグルトを食べ続けてです)ようやく成果が現われてきたようです。

本当に花粉症に効くんですね。ヨーグルトはです。

しかし、花粉症ばかりでなくこの法の流布の成果も早く出てきてほしいものです。(こちらは全然、出ませんが。〔苦笑〕)

そうしないと不幸になる人が増えるばかりであるからです。

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11月 03 2017

行いの違い

今日は休みのところが多くて静かでいいです。(ちょっと騒いでいるところもあるようですが…)

悪魔軍団(どこかの会社)がいないと少々ホッとします。この連中、もうかなり追い詰められているようで、最近は朝から晩までテンパっているからです。

しかし、いつになったら自分たちの間違いが(悪いのが)分かるのでしょう。何か起きるたびに(自分たちの行いは棚に上げ)それを人のせいにして怒っています。

本当に哀れなものです。自分たちが悪いと気づかない(認めない)間は、その災いは止まらないからです。

マァ、哀れなのはこの連中だけではありません。この辺りにはたくさんいます。そのような人たちも早く気づいてほしいものです。自分たちが気づかない間は(悪いことを私のせいにしている間は)不幸は起き続けるからです。

昨日は一昨日と対照的でしたね。

というのも、前に通った時まではうるさかったのに(ガンガンやられて)昨日通ったら全然静かになっていた、という会社が三、四社もあったからです。

これだけ一変に(私から見たら嫌がらせばかりして来る)札付(ふだつき)の会社が、静かになるのも珍しいですね。近くを通る時に散々冷やかしたのにです。(「お前ら早く謝ってブログ代はらえ」とか〔静かだったので〕「死んでないか」とかです。普通なら怒ってガンとかゴンとか、やってきてもおかしくないところですから)

最近は急に態度を変えるところも多いです。何が起きているのか知りませんが、あまり私に嫌がらせをし続けている会社など、昨日書いた通り早く詫びを入れた方がいいと思うんですが(必ず災いが起きるからです)こればかりは本人たちの心次第です。

いつまでも、くだらない意地など張らず折れてくれることを願うばかりです。静かにすれば災いが止まるというものではないからです。

静かにしていても、災いは起きてくるからです。(嫌がらせの罪はそのまま残りますから。その罪はどこかで現われます)

だからといって、怒ってまた嫌がらせを始めればもっと災いは起こります。(どこかの会社がその典型です)

心と行いを変えない限り、その災いは止まらないのです。その道の専門家(宗教家)まで同じこと(間違い)をして同じ災いを受けています。

すでにそういう時代に入ったということを自覚すべきでしょう。

もうこれまでのどのような教えも(坊さんや教祖の)どのような力も(神社仏閣、仏像などのです)通用しないのです。(偽の教えや偽の力は通用しないということです)

本当の正しい神の教えを勉強し心と行いを変えない限り、そのような災いはどこかで現われます。だから、もうやるしかないのです。

それ以外で災いから逃れる術はないからです。(まだ分かりませんか、これだけ全国各地で異常現象が起きていてです)

いつまでも、いつ自分が病気になるのか、などとビクビクしていても仕方ないでしょう。そうして、それを「あいつのせい」と恨んでいても、そのような心を持てば持つだけ自分が苦しいだけなのです。

私のせいであろうが(全然違うんですが)誰のせいであろうが、そういう状況が変わらないのであれば、そういう(恨みの)心を持てば持つだけ損ということになります。(苦しいのがずっと続くからです)

では、そんな心などさっさと捨てて心を入れかえた方がよほどよいのではないですか。少なくとも心が変わるなら、その分、楽になるからです。

状況が変わらなくても、苦しい心が楽になるなら、その分は救われます。だから、私などをいつまでも恨んでいないで、もう許してあげてはどうでしょう。(というか、それは逆恨み以外の何ものでもないのですが…)

そういう許しの心が出てきて、自分の心が変わるなら、本当に自分自身が救われるからです。

これは一つの例ですが(このような心が本当の神の教えの心です)要は愛の心を持てばいいのです。そうして愛の行為を行えばいいのです。そうすれば救われていくからです。(その愛の心、愛の行為が自分が返ってきてです)

昨日私は堀川に行ったのですが、昨日の堀川はたくさんのボラが水面近くまで上がってきて泳いでいました。

もうソロソロカモメが来る頃です。(そういえば今年は遅いですね。いつもならもう来ていてもおかしくはないからです。〔もう十一月ですから。一度、数十羽が来たのですがすぐにどこかに行ってしまいました〕)カモメが来ると魚たちは顔を見せなくなります。

もう魚たちの顔もとうぶん見られないなと思い、いろいろ、そのボラたちに向かって声をかけていたんですが、元気がよいこと、よいこと、ピョンピョン跳ねて、あまりに跳ねすぎて川の手すりにまでぶつかるものまでいて、本当にかわいいものでした。(あのぶつかったボラが死んでいないか心配です。凄い勢いでぶつかり思いっきり跳ね返っていましたから。〔苦笑〕)

愛ある行為を行うなら、このような愛の行為が返ってきます。そういう魚たちを見ているだけで心が癒されるのです。

多くの人たちは(特にこの辺りの人たちは)怒りや憎しみの行為しか行っていないのです。だから自分たちにその行為が返ってきて、自分たちが不幸になっているのです。

そのような行いは(怒りや憎しみの)周りを不幸にしかしないからです。周りに不幸を与えればその不幸は自分たちに返ってきます。

その自分たちの行いが自分たちに返ってきているだけなのです。

だから、そのような行為をしていてはいけないと、愛の行為を行わなければいけないと何度もいっているのです。

愛の行為を自分たちが行わない限り、自分たちに愛の行為が返って来ることはないからです。

そのような行いは何もいま始まったことでもないんでしょう。(私のせいにしていますが)昔から、皆さんは怒りや憎しみの心を多く持っていたはずです。(表には出していなかっただけでです)だからこれまで何の奇跡も起きていなかったのです。

心が悪かったからです。

そういう普段からの心が自分自身を不幸にしているのです。何度もいいますが、すでに時代が変わっているからです。(そういう末法の心のままでいては正法の世では必ず災いが起きてきますから)

それを私のせいにしているだけなのですが、だからいっているのです。心と行いを変えないといけないとです。

末法の心(怒りや憎しみの心)のままでいては必ず不幸になるからです。

私は毎日のようにこのブログを書き、人の心を救っています。(そうして表に出て行き、多くの人々の間違いを正しています)人の心を救うブログを書く時に怒りや憎しみが心に満ちているでしょうか?

そういう心でいては人の心を救えるものなど書けないのです。

人の心を救うものを書く時は、愛の心を持たないと書けないのです。だから、そのような心と行いが自分に返ってきて、それで様々な(愛ある)奇跡が起きているのです。

単に普段からの行いが自分に返ってきているだけなのです。

だから私と皆さん方の違いは、ただ、その行いの違いだけということになります。

だから普段から愛ある行いをしないといけないのです。

普段から、人の悪口などいって、怒りや憎しみばかりの心になっているなら、その心は必ず自分に返ってくるからです。

だから、現在起きている現象は、そういう普段からの行いが、時代が変わったためによりよく現われているというだけの話しにすぎないのです。

この辺りの人たちは、そういう自分たちの普段からの心が悪かったせいで起きていることを私のせいにしているだけなのです。

だからよけい悪いことが起きてくるのです。それでは悪い心をよけい汚すことになるからです。(だから悪いことが起きているということは、それだけ自分の心が悪いということを現していることになるのですから、恥ずかしいことなのですが…悪いことが起きているのに堂々としている人が多くて呆れます。それを全部、堂々と私のせいにしているのですから開いた口がふさがりません)

悪いことを人のせいにしている暇があるなら、心を入れかえよいことをしませんか。そうすれば黙っていてもよいことが返って来るからです。

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11月 02 2017

筋を通す

昨日もあちこちでどえらい怒っていましたね。

ほんと、何をそんなに怒っているんでしょう?逆に不思議ですよね。そんなに人に怒るようなことなどそうは起きないと思うからです。(私のように、そこらじゅうで嫌がらせを受けているとでもいうのなら話は別でしょうが)

しかし、ガンガンガンガンガンばかりじゃなく(そういう会社もあったんですが)ある会社など近くを通ると、急に人がバラバラバラと会社の中から出てきて(私が歩いているのはすぐに分かりますから。鳥が騒ぎますから)みな私の方を見ているのです。

その会社は散々、私に嫌がらせをして来たところでした。(だからもう毎日祈ると宣言してあります)

その会社に何か起きたことがよく分かりましたが、私はその人たちにむかい、詫びをいれてブログ代を払ってくれと、そうしないと祈りはやめないと、はっきりいってきました。

悪いとは思いますが、嫌がらせをしてきたのはそちらの方です。それに、それまで私は何度も説明したのです。私が悪いわけではないと、悪いのは嫌がらせをしている方であるとです。(辻説法)

しかし、その会社の人たちは私のいうことをきこうとしなかったのです。

それでもまだ嫌がらせをしてきたから毎日祈ることにしたのです。それを悪いことが次々に起きてきたからとはいえ(直接いわれたわけではないのではっきりは分かりませんが)一言も詫びを入れられたわけでもないのに(ただこちらをボケッと見ているだけで)祈りをやめるわけにはいきません。(一人二人、頭を下げた人がいたかもしれませんが〔それもはっきり分かりませんでしたが〕それは詫びを入れたとはいいませんから。単に頭を下げただけです)

ちゃんと筋は通してください。(詫びとブログ代)筋さえ通せば、その災いは黙っていても止まるからです。

それは怒っている人たちも同じなのです。こちらは何度も(何度どころか、何十度も何百度も)嫌がらせをされ、何度も(これも同じです。何十度も何百度も)辻説法をしているのです。

それにもかかわらず嫌がらせをやめなかったのはそちらなのです。だから毎日そういう人たちを祈り出したのです。

だから筋を通してもらわねば毎日の祈りをやめるわけにはいきません。そこはご了承ください。(何度もいいますが、そういう人たちが病気をしても、仮に死ぬことになっても筋を通してくれるまでは祈りはやめません。それがその人たちのためであるからです。ちゃんと筋を通してください。そうすれば祈りはやめるからです)

それに一番ひどいことをされているのは私なのです。(そこはお分かり何でしょうか?)

自分が人にした行いは必ず自分に返ってきます。その法則通りのことが自分たちに起きているにすぎません。

では、その自分たちが私にした行いを反省し、私に詫びを入れない限り、その現象は止まりません。

それをしてください。そうすればその現象は止まるからです。(逆にいうなら、それをしない限りは止らないということです。その災いの原因をつくったのは誰でもなく自分たちであるからです)

こういう人たちは、どれだけいっても悪いことを人のせいにし続けていますが、しかし、このような人たちはともかくです。(マァ、いってみればシロウトですから)

宗教の専門家である(ということは、原因、結果の法則を知っている)どこかの宗教団体の会員の人たちまで(そこは相当大きな教団ですが)凄い怒り方をしています。(昨日など舌打ちまでされましたから。その信者のオバちゃんにです。〔苦笑〕)

しかし、それはお門違いでしょう。仮に私が祈って何かをしたとしても、そのような人たちなら自分たちの教団の教義で何とでもなるはずです。(題目かなにかを上げればすぐに止まるでしょう。そんな災いは)

それを私のせいにして怒っている、お門違いもいいとこです。

そこの教団はたしか一千万人の信者がいるところではなかったですか?

そんな大きな教団の会員さんが、たった一人でやっている私が何かしたところで、ちょちょいのちょいで何とかならないのでしょうか?

もし、何ともならないというのなら(だから怒っているんでしょうが)その教団の教義は間違っているのでしょう。

では、潔く自分たちが間違っていました。正しい教えを教えてくださいと私に頭を下げるべきではないでしょうか。

間違った教えをいくら勉強しようと不幸になるだけであるからです。(今のようにです)

私は正しい教えを勉強しているからこのような状況でも奇跡が起きているのです。その奇跡が正しい教えを勉強している何よりの証拠です。

その教団の会員が一千万いようが、二千万いようが、世界中に何億も何十億もいようが、間違いは間違いなのです。

その教えが正しいという人が一人か二人しかいなくても、正しいものは正しいのです。

別に宗教は多数決ではありません。

正しいか、正しくないのかが、はっきり分かる時代になったのですから(正しければ奇跡が、間違っていれば災いが、すぐに現れる時代になったのですから)怒っている暇があるなら、その正しい教えを信仰すればいいのです。

それが信仰者としての正しいあり方であるからです。(違いますか?)

それなのにあなたたちは自分たちの教えが通用しないと分かると、それを教えてあげた私に八つ当たりして来るというのですから、間違った信仰をしている人たちは何から何まで間違えています。

そういう時は、正しいことを教えてくれてありがとうと感謝しないといけないのです。

それが信仰者として当たり前の態度であるからです。

私に、そういう間違った態度をして来る教団の信者は何もここだけではありません。だいたい名の通った大きな教団の信者は(既成、新興、問わずです)みな同じように私に嫌がらせをしてきます。(だから坊さんも同じです。私に説法してきた坊主など一人としていませんから。説教して心を入れ替えさせる。こういう人たちはそれが仕事のはずです。それが嫌がらせしかしてこないというのですから話になりませんね)

ということは、みな自分たちの教えは間違っていると認めているようなものです。(それでは宗教者としては負けを認めているようなものですよね。一人として私に説教してこないのですから。有難いご高説をこちらはききたいのに一人としてそれをしてこない。嫌がらせしかしてこないというのですから、それは自分たちの教えが間違っていると自ら認めているのです)

では、もう潔く自分たちの負けを認めて、この教えに従ってはどうでしょう。それが信仰者として筋を通すということであるからです。

とにかく、この辺りで不幸な人が多いのは皆が皆、筋を通さず曲がったことをしているからです。

だから不幸になるのです。

筋から外れたことをしているのであれば、悪いことが起きてくるのは必然であるからです。

この辺りの多くの人たちの心を救ったのは私であるのだし、間違った信仰の間違いをちゃんと教えてあげたのも私なのです。

それをなかなか納得できないからと、私に八つ当たりしたところでよいことが起きるわけがないのです。

全部自分たちが悪かったからです。

もう正法の世となり本物しか通用しない時代になったのです。

だからこれまでの偽の教えに騙されている人たちに次々に災いが起きだしたのです。

それは私のせいではなく、自分たちのこれまでの間違いが、時代が変わったことにより一変に現われ出したにすぎないのです。それは、この辺りの現象ばかりでなく、激しくなった天変地変でも、各地で起きている異常現象でも分かるのです。

それをいつまでも理解せず(これだけ私がいっているにもかかわらずです)同じ(間違った)ことをし続けているからまた悪いことが起きてくるのです。

とりあえず、筋を通しませんか。

そこから正しい行いは始まるからです。

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11月 01 2017

よいこと

昨日は名古屋港に行ってきたんですが、もうカモメもたくさん来ていて(それでも二~三十羽くらいいただけですが)海の上を飛びまわっていました。

これでは魚も跳ねないなと思いながら名古屋港の岸壁で声をかけていると、カモメがいるにもかかわらずたくさんの小魚が底から上がってきて、水面近くで泳いでいました。

その小魚たちは少しの間、水面近くを泳いでいますがまたすぐもぐって行ってしまいます。(それはそうでしょう。カモメが上空を飛びまわっているのですから)岸壁をしばらく行ったり来たりしていたら、そういうことが二、三度ありました。

カモメも近くまで飛んでくるのがいて、カモメも魚もかわいいものだなと、人とはえらい違いだなとつくづく思っていると(苦笑)そのうちにカモメが少しはなれた沖の方まで飛んで行ってしまいました。

それで私が「お前らカモメがずいぶんはなれて行ったぞ」と海に向かって声をかけていたら、また、底からたくさんの小魚が上がってきたのです。

ところが今度は、その小魚たちは水面近くまで上がってくるだけではなく、水面まで上がってきて跳ねだすものまでいます。

私は「えっ」と思いました。

先ほどまでは水面より少し下の辺りまでしかこなかった小魚たちが、私が「カモメがはなれた」と声をかけたとたん、水面まで上がってきて跳ねることまでするのです。

まるで私の言葉を理解しているかのような行いなのですが、こういうことでも分かります。動物たちはちゃんと人間の言葉を理解しているということがです。(信じられないかもしれませんが事実です。昨日ちゃんとそういうことが目の前で起きましたから。小魚まで人の言葉が分かっているのです)

いま熊などに襲われる事件が相次いでいますが、こういう光景を見ると(人ばかりでなく熊などとも)話し合いで何とかならないものかと思えてなりません。

人のいうことなど分かるわけがないとはなから思わず、もう少し動物の心も考えて、私たちは生活していかないといけないのです。

動物は、人間の言葉をしゃべれないだけでちゃんと人間のいうことを理解しているからです。

それはともかくです。その帰りのことです。

怒っている人たちのオンパレードでした。本当によく怒っていました。

それはこの辺りでも同じなんですが(今日もどこかの会社はお怒りです)しかし、この人たちは怒っているのはいいんですが、何かよいことはしているのでしょうか?

仕事は自分の肉体維持のためであり、特別よいことではありません。(マァ、仕事を通して社会貢献をしているということもありますから、まったくよいことをしていないとはいいませんが、所詮は取引です。無償の愛ではないのです)

自分たちが何もよいことをしていないようではよいことは起きてこないでしょうし、よいことどころか、自分たちは怒って嫌がらせしかしないのに、悪いことが起きてきて、それを私のせいにされても、それは自分のせい以外の何ものでもないのです。

何度もいいますが、自分のしたことは自分に返って来るからです。だから、よいことをしなければ自分によいことが起きることはないのです。

昨日は北海道の方から寄付をいただきました。

心を救われたことに対する報恩の行為、こういうことをよいことというのですし、何もされないのに人の心をドンドン救っていく、これほどよいこともありません。(しかも自分の好き嫌いを問わずです。自分が好きな人は救うが嫌いな人は救わない、そういうことはしていません。嫌がらせをしている人の心まで私は救っています)

私は、そういうよいこと(これが無償の愛です)をずっと続けているから、どこに行っても奇跡が現れるのです。(昨日の名古屋港でもそうですが)

自分の行いを棚に上げ、悪いことを人のせいにして怒っているなどこれほど悪いことはありません。そのような悪いことをし続けているから、悪いことが起こり続けているのです。

人に罪をかぶせ、怒りまくっている人たちがたくさんいるようですが、逆恨みもいいとこです。

そんな逆恨みをしている暇があるなら、自分の行いを反省し、少しは奇跡が起きている人を見習ったらどうでしょう。(自分も無償の愛を行ってはどうでしょう)

奇跡が起きている人を見習うなら、同じ奇跡が起きてくるからです。

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