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2月 19 2014

父の死

父が亡くなりました。

ちょうど前回のブログ(十六日)を書いたすぐ後に「今お父様が息を引き取られました」とデイサービスから連絡が入り、それからバタバタして、翌日にお通夜、昨日が葬式でした。

私は、お通夜とその前日の二晩父と一緒にいました。(私一人葬儀会館に泊まったのですが)覚悟していたこととはいえ、やはり父が亡くなるのは寂しく悲しいことでした。

父が亡くなった夜、しばらく私は父の近くに座り、父の顔を見ながら父とのことを思い出していました。

自分はずいぶん親不孝であったと、父にはどれだけ詫びても詫びたりないほどでした。

そうして父に詫びるだけ詫びて、後は私が父に引導を渡そうと祈りました。

神と父の守護、指導霊にお礼をいって、そうして、どうぞ、あの世である実在界でも父をよろしくお願いしますとよく頼んでおきました。

しばらく父を祈っていると、私の心に、父が天上界に昇る姿が見え、そうして天上界に上がると父を出迎える大勢の人がいて、ある人は父に笑顔で手を振り、またある人は「よくやってくれた」と嬉しそうに父に声をかけていました。

あまりの大勢の人の出迎えに、父は驚いてその人たちを見回している、そんな情景がアリアリと浮かんできました。

父は法を知りませんでした。ですから、すぐにそのような天上界に上がれるわけではありませんが、しばらく反省した後、その反省がしっかり出来次第、そのような世界に帰ることになる、ということが分かりました。(父を大勢の人が出迎えたのは、父が私の面倒を見てくれたお陰で、法がこの世、現象界に大きく拡がりはじめたということを、天上界の人々は皆知っているからです。それで父の功績を多くの人が祝福されたのです)

この世では、親孝行らしいことは何一つ出来ませんでしたが、最後の最後に、私が父に引導を渡せたことが唯一の親孝行だったかもしれません。

その後のお通夜や葬式での坊さんのお経など、どれだけ上げようと、本当の引導は渡せません。父の通夜や葬式を見ていて、本当に形式だけだなと改めて思いました。

あれでは、死んでいく人は救われません。(お経など上げても、その意味が分からないんですから、意味ありません。死んだといっても、肉体がなくなったに過ぎません。意識はそのまま残っているんですから、死んだらどうなるか、死んだらどうしたらいいのかを、坊さんはしっかりいわないといけないのです)

やはり間違った信仰では、人は救われないし、死んでいく人に引導も渡せません。正しい信仰を早く拡めなければいけないと、つくづく思いました。

正しい信仰がいつまでも拡がらないから、名古屋をはじめ日本中の至るところで、災いが起きているのです。

生きている人も救えないなら、死にゆく人も救えない、そんな教えばかりがいつまでもはびこっていて、一体どうして人が救われましょう。

今のような状況は、どこかで脱しなければいけないのです。その時はもうとっくに来ているのです。

それなのに、何もしようとしないから(現状のままでいるから)このような異常現象が次々起きる世の中になっているのです。

いつまでこのような状況(責任転嫁の嫌がらせを続けていたり、現状を一つも変えようとしなかったり)でいるつもりですか?

時代は次々に動き始めています。

(父の葬儀場や火葬場の辺りでも、救急車のサイレンが聞こえていました。やはり名古屋中でサイレンがしているようです。今日もよくしていますが、名古屋の皆さんいつまで責任転嫁を続けるつもりですか?責任転嫁を続ける限り、この現象は収まりません。少しくらい反省されてはどうでしょう。同じことを繰り返し書いていますが、そう書くしかありません。それが救われる唯一の方法だからです。それしか救われる方法がないからです。いつまでも怒っているだけでは変わりません。少しくらい心を変えられてはどうでしょうか)

追伸…父が亡くなることで、いろいろ気づかされることがありました。でっ、加藤さん……もしかして狙い通りだった?

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2月 16 2014

愛のない行為

昨夜は珍しく寝つきが悪かったです。(いつもなら十二時前には寝てしまいますが、昨夜は二時過ぎまで寝られませんでした)

その二時過ぎまで、よくサイレンが聞こえてきました。今日も朝から凄いです。(火事か何かあったんでしょうか?)

昨夜、寝られなかったのにはわけがありました。父がもう長くないとのことで、昨日顔を見に行ってきたからです。

デイサービスに預けわずか二ヶ月のことです。やはり家を出たのが寂しかったのでしょうか、顔を見せたくても、すぐ顔を見せてはまた家に戻ると暴れるとのことで、少し様子を見ることになり、二ヶ月が過ぎたのですが、ここ一~二週間で食事をしなくなり、あっという間に衰弱してしまったそうです。

そのやせた父の顔を見て、父とのことがいろいろ思い出され、寝られなくなったのです。

八十を過ぎボケてしまった父親でも、もう亡くなると思うと悲しくて仕方がないのです。

では、これだけ救急車のサイレンが聞こえて、その救急車で運ばれていく人たちの家族はどうなのでしょう。

どういう人が運ばれているのか知りませんが、これだけ毎日、日に何度も救急のサイレンが聞こえてくるのです。それこそ年寄りばかりではなく、大人から子供まで、いろいろな人が運ばれているのではないでしょうか。

では、その救急車で運ばれていく人を見る、家族の心配と悲しみはいかばかりでしょう。私の悲しみなど、はるかに超えているのではないでしょうか。

そういう人が続々と出ているのに、この名古屋の人たちは誰一人、心を変えようとしないのです。いつまでも、人に罪をかぶせ怒っているだけなのです。

どういう人たちなのでしょう。自分の親や子が、どういう病気を発症してもかまわないというのでしょうか。

私が原因であるというなら、なぜ、その者のいうことを聞こうとしないのでしょう?自分はどうでも、親や子を救いたいとは誰も思わないのでしょうか?

このまま、私に嫌がらせを続けても、この現象が止まらないのはもう分かっているはずです。(それとも、このままそのようなことを続けていれば、この現象が止まるとでも思いますか?)

どれだけ嫌な奴であろうと、その者のいうとおりにすれば、この現象が止まるかもしれないのです。では、親のため子のため、あるいは孫のために自分が頭を下げ、その者のいうとおりにしようと、なぜ思わないのでしょうか?

まったく愛がありません。

これだけの現象が、これだけの期間(ソロソロ一年半近くなります)出続けているのです。

普通であるなら、自分の事はさておいても、子のため、親のため、自分が頭を下げて、それでこの現象が収まるのであれば、自分の頭などいくらでも下げようと、思うものではないのでしょうか?金や物ですむならいくらでも出そうと、思うものではないのでしょうか?

年寄りであるなら、それこそ自分はもうどうなってもいいから、子や孫を救ってくれと頼まれたっておかしくはないはずです。

それがどうでしょう。名古屋の人たちなど、それこそ、そんな年寄りから小さな子供にいたるまで、私の顔を見れば嫌がらせです。

自分の親がどうなろうと、子がどうなろうと、孫がどうなろうと、知ったことではない、とにかくお前が悪いと、人を目の敵にして嫌がらせをしていきます。

何と、どの人も愛がないのでしょうか。

愛がないから、人のことなど考えないのです。愛がないから、人がどれだけ困っていても自分は平然としていられるのです。愛がないから、人がどういう境遇であろうと、自分は平気でよい生活ができるのです。

その対象が、親であろうが夫婦であろうが、子であろうが孫であろうが、恋人であろうが友人であろうが同じなのです。

そういう人のことより、自分がよければそれでいい、自分の感情さえ満足させればそれでいいと、自分のことしか考えないのです。

多くの人は、そのような自覚がないのかもしれませんが、このような人を愛のない人というのです。

そんなことはない、自分は人のことをよく思っている、その証拠に大災害などの被災地を見れば、心が痛むし、被災された人には寄付もしている、という人もいるかもしれませんが、人は第三者の立場になれば、そのようなことができる人はいくらでもいるのです。(結局、テレビドラマを観て、感情的にかわいそうと思うのと同じです)

しかし、いざ自分がそのような立場に立った時、その時に愛が出せるかどうか、それでその人の価値が決まるのです。

自分が苦しい立場に立った時、その時に人のことをどれくらい思えるのか?それが本当の愛を出すということなのです。

あるいは、自分が調子がいい時でも(自分の都合で、調子の悪い人を思うことはいくらでもできますので)調子の悪い人をどれくらい本気で思えるのか、それが本当の愛を出すということなのです。

そのようなことを考えれば、世間に本当の愛を出している人が、果たしてどれくらいいるのでしょうか?

いませんね、ほとんど。それがこのような異常現象が日本に起き続けている理由です。

愛のないところには災いが起きます。(その愛のなさに気づかせるためにです)

名古屋の人だけではなく、日本に住む人々は、もう少し本当の愛を出されてはいかがでしょうか。

そうしなければ、この災いは止まらないのです。

追伸…ウナッシーさんから次々にコメントが届きます。ウナッシーさんは、このブログが気になって仕方がなくなったようですが、過去世で法を学んだ人は皆そうです。

法が書かれてあるものを読むと、もうそれが気になって気になって仕方がなくなるのです。その法との縁が深ければ深いほどそうなります。(私もそうでした。高橋先生、園頭先生のご本などもう何十回〔何百回?〕読んだか分からないくらいです)

なんでもないことでも気づきがあるそうですが、それはそうです。この世のすべてのものは神がつくられたのです。ということは、そこかしこに神の息吹が流れているのであり、だから心のあり方によって、いろいろな気づきが与えられるのです。

そのような思いを深められれば、もっともっといろいろなことに気づかれるでしょう。心も落ち着いてこられているとのこと、その調子で頑張ってください。

それに引き換え……いつまでたっても何も気づかない人は残念です。

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2月 15 2014

なぜ法を知らないといけないか

昨日は全国的にかなりの雪になったようです。

東京は先週に引き続き、また二十七センチという積雪になったそうですが、観測史上最高などという雪になったところもあったようで、名古屋も七センチほど積もったのですが、それにしても、これだけ簡単に観測史上最高とか、何十年ぶりの大雪、などという記録が出るものでしょうか?

東京でも、四十五年ぶりの大雪と先週いわれていたほどの雪が、また今週も同じように降ったのです。いくらなんでもおかしいでしょう。

このようなおかしさに、もっと敏感にならなければいけないのであって、今年は、初めから異常なことばかり起きていますが(それもハイペースで)大丈夫なんっでしょうか、皆さん、まったくこれまでどおりのことをしていて。

これだけおかしなことが、次々に起きるということは『今のままの心と行いではいけない』ということを天が示しているのであり、こういう現象をいつまでも無視し、同じ態度を続けていると、もっと大きな災いが現れてきます。(実際そうなっています)

何度もいっていますが、多くの人が、少しこの教えを真剣に勉強されてはいかがでしょうか?(ほんと、このブログを読んでる人、やる気がない人が多いです)

名古屋でもそうです。サイレンは相変わらず止まらないし、何かお通夜のような会社もあるようですが、ソロソロ反省されてはどうでしょうか?そうしないと、今起きている現象は止まりません。(むしろ激しくなります)

どれだけ無視しようと、逆らおうと同じなのです。そのような態度を取り続ける限り、次々に災いが起きてくるからです。

私に逆らっているのではないからです。神に逆らっているのであり、天に逆らっているからです。だから、私に怒りを持てば持つほど、そのようなところに災いが起きるのです。

最近、私のブログの話題をさらうウナッシーさんですが、この方は私のいうことを素直に聞き、そうしてご自身で実践されたのです。そうしたら、次々に奇跡が起きだし、自分の心も変わってこられたのです。

もしこの方が、私のブログを読み、こんなことをやっても変わらないと思って、少しも心を変えられなかったら、これだけのことが起きたでしょうか?

絶対に起きなかったでしょう。それはご自身が、一番分かっていられることなのではないでしょうか。ですから、これだけのコメントを送ってこられているのではないですか、あまりの変わりように驚いてです。

法は自力を説きます。お経を上げているだけで、または仏像など拝んでいるだけで、それでよくなるといっているのは、他力の間違った信仰なのであり、正しい信仰は、自分で自分の心を変え、その正しい心のままに行いを変えて、初めて救われると説くのです。

その正しい心の基準を説いているのが法であり、だから、その法(本当の神の教え)を知らないと、正しい心にもならないし(正しい基準がはっきり分からないのですからそうでしょう。自分が正しいと思っているだけで、間違っていることなどいくらでもあります)正しい心にならなければ、正しい行いもできないということになります。

ですから、その法をいつまでも知ろうとしないのは(それはいつまでも正しい心と行いができないということになりますので)いけないということで、災いが起きてくるということになり、それが現在日本で起きている異常現象なのです。(おかしな心でいる人が多ければ、おかしな現象が現れてくるということです)

自分たちの心が悪いから、悪いことばかり起きているのに、それを多くの人は他のせいにしているに過ぎないのです。(私のせいや温暖化などのせいにです)

しかし、起きる不幸は誰のせいでもなく、自分のせいなのです。自分の心さえ変えたなら、その災いは起きなくなり、幸せな生活ができるのです。(ウナッシーさんがいい例です)

チルチルとミチルは幸せの青い鳥を探しに旅に出ます。しかし、その幸せの青い鳥は自分たちの家の鳥かごの中にいたのです。

幸福になる原因も不幸になる原因も、外にあるわけではありません。すべて自分自身の心にあります。

外に原因を求めていても決して救われません。自分自身の心を知り、その心を法(正しい基準)に合わせないと幸福はこないのです。

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2月 14 2014

知れば知るほど現れる奇跡

今日の名古屋はまた朝からずいぶん雪が降っています。

朝から、こんなに雪が降り続くということが、すでに名古屋では珍しいのに、それが先週に引き続きまた起きているとは、これまた珍しいですね。

今日明日は全国的に雪や強風が吹いて、大荒れの天気になるとのことですが、今日はウイークデイです。この前以上の混乱が起こりそうで心配ですね。

しかし、今年はこのような異常現象が立て続けに起きています。天が“早く法を知れ”と人々を急がせているように思えてなりません。

こういう状況で、いつまでも心と行いを変えようとしなければ、このような異常現象は激しさを増すばかりでしょう。早く気づいていただくほかありません。

ウナッシーさんから次々にコメントが届きます。この方、他の人と違って、ドンドン気づかれているようです。

このブログを読み、法を知る人はたくさんいると思いますが、それを自ら実践される人と、されない人ではこうも違うものかと私も驚いています。

シャイな心が(特に女性には奥手だったそうですが、その気持ち分かります。私もそうですから〔笑〕)おおらかに変わられたそうですが、大変よいことです。小さなことばかり気にしていたのでは、所詮は悟りは開けません。(小さなことばかり気にしている人、この辺りでも多いです)

おおらかになったということは、それだけ心が広がった証拠でしょう。その調子で頑張ってください。

しかし、こういう方も珍しいですね。これだけこの方に、次々に奇跡が起きるというのも天の配剤でしょう。天はこの方を通し、このブログを読んでいる人々に、この法の正しさを証明せしめているのだと思います。(この方の体験談は、多くの人が身近に感じることばかりですからね)

このブログを読んでいる他の方も、ぜひ、このウナッシーさんに続いていただきたいと思っています。(なかなか腰が重い人が多いのですが)

そういえば私もそうでした。他の仕事をしながら、この法を勉強している時は、それほど奇跡が起きているということを感じなかったのですが(それでもたまにはありましたけどね、奇跡が起きたようなことも)この法を説いて生活しようと心に決めてからでしょうか、祈ると次々に現象が起こり、奇跡が現れるようになったのです。

本当の神の教えは、その教えを勉強すればするほど、信じる気持ちが強ければ強いほど、また、その教えに集中すればするほど、天の協力がより得られるようになり、奇跡が現れるようになるようです。

やはり他の教えとは違いますね、名古屋だけ見てもこれだけの現象が現れているのです。もはや信じないわけにはいかないでしょう。

一年以上にわたり、何千、何万という人々が次々に病院に運ばれるという、物凄い現象が現れているにもかかわらず、まったく名古屋の人は心も行いも変えようとしません。

ここまで人は頑なになれるものかと、逆に不思議ですが、この法に素直に従い、心を変えたとたんに奇跡が起きはじめた人が出てきました。(私自身もそうですし)

そうなると、いつまでも心を変えようとせず、一向に変わらない人、また災いばかり起きている人が、なんてダメな人たちだろうと思わずにはいられませんし、多くの人がいつまでもそれではいけないという現象も、今年に入り(これまでにないペースで)続々と現れています。

この教えを知れば知るほど、そうして信じれば信じるほど、多くの奇跡が現れます。(逆もまたしかりで、この教えに逆らえば逆らうほど災いが現れています)

では、この教えを知り行じるほかないのではないでしょうか。

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2月 13 2014

人が生きていくための最高の方法

私がここに書いたことを、次々に証明してくださっているのがウナッシーさんですが、別に私たちはグルではありません。決して打ち合わせなどして、私がコメントを書かせているわけではありませんので(どこかの作曲家ではあるまいし)そこは誤解のないようお願いします。(笑)

法を知る努力をするなら、このくらいの奇跡はザラに起きるということです。

このような奇跡は、仕事にでも私生活にでもどこにでも現れます。だから私は、法を学ばないといけないといっているのです。

例えば、わざわざ韓国まで行って、韓国に一生懸命ゴマをすっている元総理がいますが(まったく困ったものです。国益を損ねますね、あれでは)この人が総理の時に日本に何が起きたでしょうか?

あの阪神大震災が起きました。もちろんこういう心の人が総理をやっていたからです。

この人は法など知りません。(何せ社会、共産主義者ですから)こういう心の持ち主であるため、神の心から離れた、このような売国奴的(間違った)行為を平気でしてしまうのです。

売国奴といっても、それは国を売る、ということではなく、国とはいえ、要は、そこに住んでいる人々のことをいっているのであり、仲間を裏切るような行為を平気でしてしまうという意味です。

韓国にゴマをいくらすったところで、日本のためにはなりません。(それはこれまでの歴史が物語っています。河野談話まで韓国は、日本叩きのために利用しているのですから)これで日本のためにやっていると、いくらご本人がいったところで、実際日本のためになっていないんですから、やっていることは、日本人を(自分たちの仲間を)裏切る行為なのです。

ところが社会主義者は、それが分からないのです。それはなぜか?

社会主義者とは、なんでも反対の反社会的思想の持ち主です。自由、平等が考えの主で、自分たちと思想が合えば、その人は仲間ですが(それでも裏切ったら粛清されます)思想が違う人は仲間とは思っていません。

つまり、同じ国の人を仲間とは思わないのです。(国という単位に縛られるのが嫌なのです。自由、平等が考えの主だからです)

社会、共産主義者は、思想が合う人が仲間なのですから、国の価値が分からないのです。だから、意見が合う人たちとは、どこの国の人であろうと、その人たちが自分の仲間なのであって、だから自分の生まれた国(ということは、そこに住んでいる人たち)がどうなってもかまわず、自分の思想信条のためだけに生きるのです。(ですから、このような思想の人たちが政治家になると「国が」とはいわず「国民が」というのです。国の価値が分からないからです)

だから、このような行為を平気でしてしまうのですが、これは神の心ではありません。

このような考えは間違いで、国という単位で(それは大きな共同体という意味でもあるのですから)ルールを決めないと、うまくやれないことは多々あり、そのような中で、調和しながら生きていくということも私たちの心の勉強の一つなのですから、やはり縁あってその国に生まれたら、その国を愛し、その国の中で勉強し、その国を通して世界に貢献していかなければいけないのであり、自分の国をないがしろにしてはならないのです。

しかし、社会、共産主義はそこが抜けているのです。(愛や調和がなく、自由、平等しかないからです。だからまとまりがなくなるのですが〔どこかの政党がそうです〕それが神の心ではないのです)ですから、このような思想の人が長をやっている地域に災害が起きるのです。

先ほどの阪神大震災しかり、東日本大震災しかり、そのような大災害の中で起きた(阪神大震災の時の〔自衛隊がすぐに入れなかったなどの〕兵庫や福島の原発事故など)災害もしかりで、この前の伊豆大島の大土石流でもそうです。

すべて共産思想の人が長をやっていたばかりに、そのようなよりひどい災害が起きたのです。

このような人たちは、自分たちの心が、もっとも神から離れているということを知らなかったからです。

このような例から見ても分かりますように、総理はもちろんですが、各自治体の長が法をよく勉強するのであれば、この法を自分が理解することが、どれだけ大事なことか分かるわけですし(それはそうです。その地域の長が法を勉強するだけで、その地域に大災害は起きなくなるわ、奇跡が起きだすわ、ということになるんですから、勉強しない手はありません)その地域の人々が理解するのであれば、長の心と相まって、どれくらい大きな奇跡が、その地域に起こるか分からないほどなのです。(つまり、ウナッシーさんのような奇跡が起きる人が何万、何十万と出てきたら、その地域の産業はどうなるでしょうか?飛躍的に伸びるのです。もちろん人など増やさずともです)

法を知ることは、仕事面だけではなく、生活面から何から何まで、うまくいく方法なのです。(何せ天が協力してくれるのですから)

なんでそんなよい方法をいつまでも知らずにいるのでしょうか?

神の教えを学ぶというと、何か宗教を信じなければいけない、と思う人も多いのかもしれませんが、そういう発想ではなく、人として生きていくうえで、一番最高のうまいやり方を学ぶと思えばいいのです。

キリストも釈尊も、人としての正しいあり方を説かれました。その人としての正しいあり方とは、人として生きてくうえでの最高の方法をいわれているのです。

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