11月 30 2012
脱原発教の皆さんへ
最近は救急車のサイレンも減ってきたようです。よかったですね、と言いたいところですが、私に協力する人、未だゼロです。
本当によかったかどうかは分かりませんよ。(あまり詳しくは書きませんが)
テレビのニュースを観れば、総選挙が近いので政党の話や政策の話ばかりですが、その政策の話で必ず出てくるのが、原発の話であり、どの政党も“脱原発”そればっかり言っています。(もちろん自民党以外の党ですが)
脱原発だの、大飯原発は安全が確認されていないから止めろだの(最近は活断層があるから止めろですか)なら、止めてみたらいいでしょう。
原発をゼロにすれば何が起きるか分かりますから。そうしないと分からないでしょう。(そうしても分からないみたいですが)
原発は危険だ、原発は危険だ、と原発の危険なことばかり煽り、脱原発教をつくろうとしている人たちがいます。そうして、その信者がちゃくちゃくと増えつつあります。(あの脱原発のデモなどしている人たちも、その信者さんたちでしょう)
しかし、そのような一面的な見方しかしない(危険な部分しか見ないんですから一面的ですよね。原発は巨大なエネルギーなんですから、その恩恵も計り知れないはずですから)間違った教えがどれほど危険なのか、少し考えれば分かりそうなものですが、盲信者、狂信者の人たちは、もう視野が狭くなってしまっているものですから、まったくそれが分からないようです。
原発をなぜ止めてはいけないか、もう何度も説明してきましたので、ここで詳しくは書きませんが、原発を止めろという人は、では原発に代わる代替エネルギーをどうするのか(再生可能な自然エネルギーなどでは全然代わりになりませんよ、それは火力でも同じです。そのようなものがどれだけ発達したところで、原発の巨大エネルギーにはかないません。まったくエネルギーの規模が違うからです)それに核廃棄物の処理はどうするのか、くらいはあわせて言わないと無責任でしょう。
子供の未来のためにとか、美しい日本を残そうとか言って、脱原発、脱原発と言っている人たちは、「ナンミョウホウレンゲイキョウ」「ナンミョウホウレンゲイキョウ」とお経を上げていれば幸せになります、と言っている人たちと同じなのです。
一面的な見方しかできない、間違った教えを信じている哀れな信者に過ぎないのです。
本当に子供の未来を考えるのであれば、より豊かな国にしていかなくてはいけません。そうであるならば、他のエネルギーを使うことはもちろんですが、原発という巨大エネルギーを活用しなければ(もちろん他国との連携もありますので)物質的に豊かな国などつくれないのです。(物が豊かでなくてもいい、節約した生活でいい、というのは、その人の勝手な考えです。子供たちはもっと科学が発展した豊かな世を望んでいるかもしれないし、ただ、物質面だけの、そんな質素でつつましい生活が幸せかどうかなど分からないのです…質素でいいと言いつつも案外いろいろほしがったりしてね、そのように言う人が〔笑〕)
それに美しい日本を残そうと思うのであれば、それこそ火力のような二酸化炭素をたくさん出す発電所など使わない方がいいでしょう。
原発の発展を考えた方がいいのです。その技術を止めるのではなしに進めることを考えるのです。
事故を起こさないような原発をつくることです。そうして核廃棄物を完全処理できる技術を早く確立することです。(そのような技術はあるのです。その技術を天は使命ある人に伝えようとしているのです。このようなところでも“気づき”が大切なのです)
安全面を第一に考えるのは間違っていません。(原発は巨大なエネルギーなんですからね)しかし、事故が起きた時のことばかり考え、その技術を捨ててしまうのは間違いなのです。勇気を持って進めることです。そうして原発技術向上のため努力を惜しまないことです。そのような努力のその先に、素晴らしい技術を(天から)教えられるのです。素晴らしい技術を発見することになるのです。(それが心の成長にも繋がるのです)
本当の幸せとは、物心両面で豊かになることです。それには狭量な考えは捨てなくてはならないのです。