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2013年1月

1月 16 2013

体罰か愛のムチか

橋下市長が、前回書いた自殺した子がいる高校の体育科への入試を中止すべし、という要請をしていられるようですが、本気でしょうか?

橋下市長とは思えない過剰反応ぶりですね、そこまでやるのは明らかにやりすぎだと思います。

それでは、いじめで自殺した子がいる学校の入試も止めなければいけません。(そうしないと不公平でしょう)どう考えてもやりすぎでしょう。

だいたい、学校の教育で生徒を叩くのを体罰という言い方も変でしょう。悪いことをしたから叩かれたのであって、子供が口でいっただけで分かるのでしょうか?(大人だって分からない人が多いのに、そう思いませんか皆さん〔笑〕)

ちょっとしたことで叩かれたり、叩きすぎるのはいけませんが、口でいっても聞かないのであれば、少々ひっぱたいたってどうってことないでしょう。最近の世相は過剰反応しすぎているのです。

昔は悪いことをすれば、先生から叩かれるのは普通でしたし、その叩かれたことを余り恨みに思っている人も少ないんじゃないでしょうか。というより、叩かれて直されないと分からなかった部分もありますからね、絶対叩いたらいけないという人の思考を疑いますね。

叩いたらいい子に育たない、というのもおかしな言い方です。だって、今の大人のほとんどは小さい時に悪いことをすれば叩かれたのです。では、今の大人のほとんど全員悪い人なのでしょうか?(神の心を知ろうとしないという面から見たら、ほとんど悪い人なんですけどね〔笑〕)そんなことはないはずです。そんな極論をいう人の方がよほどおかしいのです。(だって、そんなこといってる人って、あのオカマみたいな教育評論家の人みたいな人たちばかりでしょう。あんな人のいうことを聞いていれば、オカマみたいな子しか育ちませんよ、男は男らしく女は女らしくなんていうわけないんですから。ゆとり教育もあのような人たちが進めたんですよね、まったくああいう人たちは害にしかなりません)

高橋先生は剣道、園頭先生は柔道、それに私は空手と一応武道は習っていて、その時は殴られることもありましたし、高橋先生と園頭先生など軍隊にも行かれているのです。軍隊などそれこそ目の色が変わるくらい厳しい場所です。ある程度厳しい体験をこの世でしないとこの世の修行とならないし、過去世の自分が体験した経験も現れてこないのです。(ということは、自分自身の素晴らしい資質も現れてこないということです)

甘やかしていては、せっかくよい資質をもった人も、その資質が現れてきません。それでは宝の持ち腐れとなり、その人自身のこの世の修行にも悪い影響しか与えないのです。甘やかしは修行の妨げとなり、自身の心の成長を遅らせることになります。(少し厳しすぎるくらいがちょうどいいのです)

それに最近は、あまりに甘いことをいいすぎて、社会生活にも支障をきたしているのではないでしょうか。(これでは多くの人の修行の妨げになります)

最近の新入社員は、ずいぶん自己中で調子に乗っていると聞きますが、そんなことをさせておいては本人のためにもなりません。時代が時代だからと、それに流されるのではなく、やはり社員教育はしっかりやっていただきたいものです。

本当はそのようなことは、親がしっかり教育をしなければいけないのですが、そのような新入社員を育てた親には、全然責任がないのでしょうか?

今回自殺した子の話に戻りますが、その子がいた学校や行政は悪いといわれますが、そのような子を育てた親が悪いとは誰もいいません。親の責任は一切ないのでしょうか?その子を産んで育てた親に、まるで責任がないというのも明らかにおかしいように思いますが(というより親に一番責任があるように私は思いますが)このような判断をしている世相もどうかと思います。(今回、自殺した生徒が出たのも先生に愛がなかったからだという人もいますが、全然愛がない生徒をキャプテンにするというのもおかしな話です。私は先生に愛がまったくなかったとはいえないと思います)

愛と甘やかしは違います。愛は優しい愛もあれば、厳しい愛もあるのです。愛と甘やかしを履き違えてはならないのです。

私たちはこの世に修行のために出てきています。その妨げになるようなことはやってはならないのです。

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1月 15 2013

責任転嫁と人の心

せっかく新しいパソコンを買ったのに、メール設定がうまくいかず、未だ古いパソコンでブログを書かなければいけない、自分の機械音痴さがつらいです。(今週中には何とかしたいです〔涙〕)

昨日は東京は、十年ぶりの大雪になったようで都内は大混乱でしたね、今日もまだ雪の影響は出そうで、東京の皆さんは気をつけていただかねばいけませんが、何か低気圧が急に発達して、今回こんな荒れた天気になったようです。

この天気は気象庁も予想外で、これだけ急激に低気圧が発達し、関東がこんな大荒れの天気になるとは誰も思わなかったようです。

何で関東は今回こんな天気になったんでしょうか?

残念ですね、やはり東京のきれいなオネエサマ方私をなめてますね、どうもそのような心が影響したようです。(前に、残念なオネエチャンの時も、似たようなこと起こりましたし)

だって、前回や前々回のようなブログを私が書いたら、もうこの辺の人ピリピリですよ(針のむしろ状態ですね私)まだ、怒って嫌がらせしてくる人いますから。(かわいそうです、そのような人)

そんなにピリピリするなら、神の運動を手伝えばいいのにそれはしないのです。(今日も朝から救急車のサイレン聞こえてるんですが…)ただ、ピリピリして怒っているだけなのです。不思議でしょう。しかし、そういう人たちが多いのです。

もちろん、私のいうことをなめて聞いてる人もいけなければ、ピリピリして聞いているだけの人もいけません。私が神の運動を手伝ってほしいというのであれば、その言葉に従い神の運動を手伝わないといけないのです。(それが神の心だからです)素直に、神の運動を手伝わない自分たちが悪いのだと反省しなければならないのです。

まず、自分たちが悪いと思わなければいけないのですが、絶対思いませんね、この人たち、だから恐ろしい現象が続くのです。いつまでもおまえが悪いと思っているから、こんな状況が続くのです。(それにしてもよく聞こえてきますね、救急車のサイレン、何かこのようなブログ書き出すとよく聞こえてきます…こんなこと書いてるとまた評判悪くなります)

責任転嫁ばかりしている人が悪いのですが、世の中、責任転嫁するのが好きな人が多いようです。

どうせ、こんなブログ書いたらまた評判悪くなりますので、評判が悪くなるついでに、もう一つ評判が悪くなるようなこと書きますが、今ずいぶん話題になっている、大阪の高校の生徒が教師の体罰を苦に自殺した事件がありますが、あれなど責任転嫁の最たる事件ではないでしょうか。

世間では、その生徒は先生から毎日体罰を受け、それで自殺した、生徒にそんなひどい体罰を加えた先生が悪いの一点張りですが、そうでしょうか?先生が悪いだけなのでしょうか?

そうではなく、学校も悪ければ行政も悪い、だから橋下市長が両親に詫びに行ったのだ、といわれる人もいるでしょうが、何で橋下市長が、わざわざ両親に詫びに行ったのでしょうか?まったく意味が分かりません。

その自殺した生徒は、バスケット部のキャプテンだったといいます。では、そのような人にお聞きしますが、何でこれまでの、その高校のバスケット部のキャプテンは自殺せずに、この生徒だけ自殺したのでしょう?特別その生徒だけに、その先生は体罰を加えていたのではなく、歴代のキャプテンに同じように加えていたはずです。(それがその先生の方針のようですので)

それなのに、これまでキャプテンを務めた生徒は自殺せずに、なぜ、今回の生徒だけ自殺したのでしょうか?

なぜだかお分かりですか?学校での教育の仕方は同じだったはずです。では、この自殺した生徒と、これまで同じような体罰を受けて自殺しなかった生徒では、一体何が違っているのでしょうか?

それは親の教育方法が違っている、ということです。

つまり親の教育が悪かったから、この生徒は自殺したのです。そうではないですか、親がもっと厳しくしつけているのであれば、この自殺した子は少々殴られようが、それに耐えてキャプテンを続けられたであろうし、もし、仮にそのキャプテンを続けるのがどうしても無理である、とその子に親が打ち明けられたら、その責任は親が取るのであるから、おまえは気にせずその部を辞めろといえたはずです。

しかし、そのようなことを子供が親にいえず、先生の体罰(私はこういう言い方も変だと思いますが)にも耐え切れなくなって、その子はもう行き場がないと思い自殺したのです。

そんなことはない、現に親に宛てて「育ててくれてありがとう」という遺書まで残しているではないか、といわれる人もいるかもしれませんが、この生徒は自殺する前日に、親に先生から三、四十発も殴られたといっているのです。その時この親はどういう態度をその子に取ったのでしょうか?

少なくとも子供が納得する態度は取らなかったと思います。しかし、それが子供が親に対する最後のシグナルだったのです。「自分がこれだけ殴られているのだから助けてほしい、そうでないと自分はもう死ぬしかない」そう思って母親に思いを打ち明けたのです。

しかし、母親はそんな子供の必死の心が分からなかったのです。子供が死ぬほど悩んでいることに気づかなかったのです。そんな母親は親として失格なのです。それなのになんでそんな母親失格の人のところへ、橋下市長は詫びに行ったのか本当に意味が分かりません。

この自殺した子は、そのような母への自分に対する愛のない不満はありましたが、そのような心を一切隠し、遺書には「育ててくれてありがとう」と書いて自殺したのです。そのように書くことで、自分が死んでも、少しでも親から愛してもらいたいと思ってそう書いたのです。つまりこの子は親からの愛をほしがっていたのです。

この子は親の愛が足りなかった、だから自殺したのです。

それなのに、この子の両親は、そのような子供の愛の心に気づかず、先生が悪いの学校が悪いの責任転嫁をしているのです。子供が死んでも、その子の心が分からない親のバカさかげんに、その自殺した子の心を思うと、その子が不憫でなりません。

しかし、この親もそうですし、世の皆さん方もそうです。責任転嫁ばかりしていても、心は成長していかないのです。

親が子の心を知り、子が親の心を知り、夫婦が互いの心を知った時に、その家庭は調和します。

世の人々も、その親である神の心を知った時に、初めてこの世は調和するのです。

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1月 13 2013

予言

何か起き始めたようにも感じますが、そのような状況になっても、自分が悪いと反省する気がある人は少ないようです。

昨日も外にいると嫌がらせのようなことをよくされました。(皆さん私のブログをよく読まれているようで〔笑〕)

では、そのような人たちにいっておきます。そのようなことをしている人たちは、ことごとく恐ろしい病にかかるでしょう、ことごとくです。その後どうなるかは知りませんが、私に嫌がらせをした多くの人、そしてこれからするであろう、すべての人が恐ろしい病にかかることになります。それはご了承ください。(自業自得です)

天がそう決められたからです。だから私は、私にそんなことをしてはいけないと散々いったのです。しかし、いくら私がそれをいい、そのようなことをした何人かの人が不幸になっているにもかかわらず、まだ、そんなことを続けている進歩のない人たちを、もう天はそのままにはしておかないようです。そのような人たちが反省しなければ、ことごとく天はその人たちに現象を現すそうです。

多くの人が勘違いをしているのです。私がここに何か書けばそのことが起きます。だから、お前がそんなこと書くからこんなことが起きるのだ、お前がよけいなこと(祈りなど)をしなければ何も起きないと。とんでもありません。私が何も書かなくても恐ろしい現象は起きたのです。天がそう決められたからです。

私はこのブログの題を“予言”としましたが、しかし、予言と預言は違います。予言とは先に起きることを予知し伝えることで、預言とは神の心を知りそれを伝えることです。私がここに書いていることは預言なのです。

天の心を知って、それをこのブログを読む人に伝えているのです。

従って、これまで起きた数々の不幸な現象は神の心であったのです。天がこれから行うことを、私はそれを先に知って、このブログを読む人に伝えていたに過ぎないのであり、それを伝えていようといまいと不幸な現象は起きたのです。

多くの人が神の心に反する心を持っていたからです。その心を反省させるため天は恐ろしい現象を、どちらにしても起こしたのです。

私は、それを先に知らされたため、こんな心ではいけない、このような心に変わらないと恐ろしい現象が起きると、再三にわたり注意を促していただけなのです。それにもかかわらず多くの人は、私のいうことに耳を傾けようとはしませんでした。その結果、数々の恐ろしい現象が起きたのです。

すると今度は、その現象はお前のせいだと、多くの人が私に責任を転嫁したのです。何度も私が、そうではない、それはあなたたちの心を変えないとこの現象は収まらないと、いくらいってもそれを理解しようとはしませんでした。

私に嫌がらせをする人はドンドン増えていったのです。そんなことをこの辺りの多くの人がしたのですから、天は次々に恐ろしい現象を現しました。この数ヶ月の間だけでも、この近辺でどれだけ多くの病人が出たでしょう。(それもすべて私のせいなのですが)

そのような恐ろしい現象が起きても、まだほとんどの人は反省などしようとせず、悪いのはすべておまえと、私に責任をなすりつけ嫌がらせを続けたのです。天はこれ以上そのような人たちを許さないようです。天はそのような人たちことごとくに苦しみを与えます。それでも反省しようとしなければ、その先はこのブログを見ている皆さんはお分かりでしょう。当然、地獄往きなのです。

もう、はっきり書いてもよいと思いますので書きますが、ここに書くことが天の心である、ということは嘘ではありません。その一つの証拠として、私は安倍総理が総理になることは一年半以上も前から知っていたのです。だから、一昨年の六月に“時を待つ”という題で安倍総理のことをこのブログに書き、前総理である民主党の野田さんが総理になった時、この人が民主党の最後の総理となるでしょう、と書いて、その後、すでに次の総理は決まっている、とも書いたのです。

野田さんの後が安倍総理となるということを、私は知っていたからそう書いたのです。でなければ、そんなブログの書き方などしないでしょう。その当時のブログを読み返してもらえれば、そのことが嘘か本当かは分かります。ですから、去年の八月、近いうちに解散するという野田さんの言葉を引き出した、谷垣総裁と自民党が、早期に解散総選挙を進めようとするのにケチをつけるようなブログも書きましたし(自民党の総裁選前に解散をされてしまっては、安倍総理の実現ができなくなるからです)自民党の総裁選が始まった途端、はっきり安倍さんとは書きませんでしたが、ことあるごとに安倍さんを薦めるような書き方をしたのです。

それもこれも、安倍さんが総理にならなければ日本は再生しない、ということを天から早くにいわれていたからです。だから是が非でも安倍さんを総理にしなければならなかったのです。(予言というと何かほっておいてもそのようになる、と考える人も多いのですが、そうではなく、やはりそうなるためにこの世の人が努力しないといけません。そのようにこの世の人が努力され、そうして天の協力の下初めてその予言が実現するのです。そのような予言の実現の仕方をすれば、天は百パーセント協力してくれます)

その天の言葉どうり、安倍さんが自民党の総裁になった途端、円安、株高が始まり、景気が上向き始めました。

はっきりいっておきますが、このまま安倍総理の心が変わらず、邪魔する人が出てこなければ日本は復活します。もちろん、それまでには何年もかかりますが、この二つの条件さえ変わらなければ、日本の復活はあるのです。(なかなか難しいんですけどね、この二つの条件を維持するのは)

それはそれとして、このようなことを考えましても、このブログは天の心を書いている、とうことの事実がお分かりいただけると思います。天の心を書いているから、ここに書くことは実現するのです。

ですから、ここに書こうが書くまいが、起きることは起きたのであるし、まったく、そのようなことが訳が分からず起きるのと、訳が分かって起きるのとでは、どちらがいいのでしょうか?

私のせいでおかしなことが起きるのではなく、おかしなことをが起きる原因を私は書いているだけなのです。

しかし、どうしてもそれをご理解していただけないなら、それも仕方ありません。ご自身で苦しみを味わっていただくしかないということです。(それが一番本人のためになるからです)

安倍総理の例を見てもらっても分かりますように、ここに書いたことは実現します。

それでもまだ反省されませんか?

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1月 12 2013

重要なお知らせ

昨日はずいぶん救急車のサイレンを聞きました。やはり何か始まったようです。(今日の朝もしてましたし…というか今もしています)

しかし、私があのような(本格的な法の時代へ)ブログを書いたとたんにこれですからね、一昨日の夜のあの不思議な体験も(自分の天上界の姿を観る)何か意味があったんではないかと思えます。

もう時が来ています。いろいろ起きてくるのも仕方がない話でしょう…でも誰も何もされようとはしないんですよね。そんな人たちに何をいっても無駄でしょう。私は私のやるべきことを進めるだけです。

私のやるべきこととは、もちろん天の心にあわせ祈ることです。

幸い表に出れば、私のことをよく思っていない人はいっぱいいます。(どれだけ嫌われてるんでしょうか〔苦笑〕)嫌がらせしてくる人もいますので、そのような人には思い切って祈れます。その人のためでもあるのだし、そのような人は徹底的に祈ります。

何から何まで、私は人のために尽くしているのだなあと改めて思います。(笑)

もう天が次々に現象を現すでしょう。何もやる気がない人たちは覚悟した方がいいです。(救急車に乗らなくてもいい病もこれから現れてくると思いますし)

ハハ、こんなこと書いても誰も本気にしませんね、単に私の独り言なのかもしれませんね、このブログは。(笑)

かわいい子たちも、私のいってることを本気で聞いてる子は少なそうですが(全然ビビってない子多いみたいですね)ここに書いてることを、あまり軽く思わない方がいいですよ。現実に今の時点でも(今日の午前中だけで)何度も救急車のサイレンがしているのです。(さっきもしてましたし、今もしてます…何かほんとによく聞こえてきますね〔汗〕)

神の運動をやる気があるようなら、すぐにでもやった方がいいですし、やる気がないようなら、さっさと離れてください。私が同じことを何度もいっているのです。相当危ないですよ。

私の地元の方は、それがご理解いただけるんではないですか、もう先ほどから何度救急車のサイレン聞こえてるか分からないですもんね。(耳のいい人たくさんいますから)

神の使いを冒涜された方、神をまるで信じようとしない方は危ないですよ、次々と現象が現れてくるかもしれません。(救急車のサイレン昨日辺りから急に増えましたもんね……何かさっきからずっとしてませんか?)気のかわられた方は早めに連絡ください。そうでない方はどうぞそのまま、幸せな生活をお続けください。(?)

いつまでも、人のブログ読むだけ読んで、気にくわないことを書けば怒り、よいことが書いてあっても感謝の心も行為もない、それが正しいのかどうか近いうちにいやでも分かります。

一人でも多くの人が、それを早く理解することを望んでいます。

以上、重要なお知らせでした。(そういうことを、よくブログに書いている子いますのでマネしてみました。でもお知らせする中身全然違いますけど)

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1月 11 2013

甘い考え

再度いいますが、やる気のない人はこのブログもう読まない方がいいです。天がいろいろなことを起こすというなら、起きてくるからです。

そういう書き方をしてあっても、自分には何も起きないだろう、自分は大丈夫だ、と思っている人に何か起きたのです。

このブログを見ている多くの人がそのように思ったのです。しかし、そのように思っている人の中におかしな現象が起きたのです。お前のいうことなど聞けるかと、私のいうことを聞かずに、私に嫌がらせを続けたばかりに、そのおかしな現象は大きく拡がり、次々と救急車で人が病院に運ばれるという、異常現象まで名古屋では起きたのです。

それでもまだ名古屋の人は、私のいうことを聞こうとせず無視しているのです。(まだ嫌がらせを続けている人もいます)これだけ目の前で、不幸な人が続出するという奇跡を天から見せられていながら、まだ神を信じようとせず、少しでいいから神の運動に協力してほしい、という私のいっていることを無視しているのです。

普通ならすでに、神を信じ神の教えに帰依する人が続出していても、おかしくはない話ですが、まったくそんな人皆無なのです。信じられないようなことを、名古屋の人は続けているのですが、これだけのことが身近に起きていても、それでも神の教えを信じようとせず、自分の心を変えようとせず、同じようなことを続けているのが現代の人たちです。

身近で異常なことが起きている人たちでさえこれなのです。それなのに名古屋から遠く離れている人たちが、神の教えを信ずることができるでしょうか?神の運動を行うことができるでしょうか?

なかなかそれも難しいと思います。身近に奇跡が起きている人たちでさえできないのですから。

特別、神の運動を手伝うということは、私に寄付することばかりではありません。ここに書いてあることを、よそで話すのも神の運動に参加することになりますし、私の名を広めてくれるということもそうでしょう。ここに書いてあることを実行するということも、もちろん神の運動には違いありませんが、しかし、その神の教えを伝えている者を、まったく無視してしまっては、肝心の神の教えが伝わらなくなるのです。

それに、知らないことを教えてもらって、そしらぬ顔をしていることが正しいことでしょうか?普通なら、もう少し積極的に自分から、お礼などするのが常識だと思うのですが、そのような常識さえあまりにない人が多いのです。

そういう常識がないから天も怒っているのです。

このような(去年、一昨年から続く天変地変、ノロウイルスやインフルエンザなどの異常な蔓延、その他、あちこちで起きている異常現象)恐ろしい現象が次々と起きている事実、そうしてここに書いていることが、次々に起きている事実、そればかりか、私が祈れば何がしかの現象まで起きている事実。こんな奇跡が次々に起きているにもかかわらず、それを間近に見てその事実を知っている人たちが、それを行っている者をまるで無視しているのです、至らないと思われないでしょうか。

そのような、神の力を世に現している者に対する態度が、多くの人があまりに悪いのです。ですから、次々に不幸な現象が現れるのです。

別に私は、おかしな現象ばかり祈って起こしているわけではありません。私に協力してもらえる人には、痛みがひどかった不治の病の、その痛みが引き安らかに逝けたという奇跡も起きています。

そのような奇跡も、もっと起きるはずですが、私に協力してくれる人が少ないため起こせないだけで、協力してくれる人がたくさん出てくるのであれば、人を救う奇跡だってもっともっと起きてくるのです。

すべてにおいて、よい奇跡が起きるのも、悪い奇跡が起きるのも、私の周りにいる、今私のブログを読んでいる人たちの心と行い次第なのです。

このような事実が次々に起きていて、まだ、悪いのは私なのですか?私がいるから悪いことが起きるのでしょうか?自分たちは一つも悪くないのでしょうか?

そのようにいう(または思う)人はどのような根拠があって、そういっているのですか?勝手な間違った、自分たちの思い込みだとは思わないんでしょうか?勝手な思い込みでないなら、なぜ、私がいっていることが次々に実現し、私に嫌がらせなどしている人が次々に不幸になっているのでしょうか?

もうこんなこと何度もいっています。どうみても正しいのは私で、間違っているのは私のいうことを聞こうとしない人たちなのです。

そのようなわけで身近に奇跡が起きている人でも、この法の偉大さ恐ろしさを、未だ理解していただいていません。遠くにいて、それがしっかり理解できるとは思えません。

自分だけは何も起きない、などと思っていると、どんな恐ろしいことが起きるか分からないのです。(それがこの法の恐ろしさです)しかし、もちろん、私のいうことを素直に聞いてくださり、協力してもらえる人には奇跡も起きています。(それがこの法の偉大さです)

昨日あんなブログを書きましたら、もう今日など朝から、ひっきりなしに救急車のサイレンが聞こえています。

ここに書かれた法も、この世の修行も、そんな甘いものではないのです。やらなければ遅れていきますし、いつまで法に逆らい続ければ恐ろしい現象が起きます。

問答無用です。すごい勢いで、ここに書かれた天の心が実行されつつあります。やるかやらないか早急に決められないと、何が起きるか分かりません。

適当に見ていても自分には何も起きないだろう、という甘い考えは捨てられた方がいいと思います。そんな心でこの法を知ろうとするなら、恐ろしい現象は確実に起きるからです。

やるならやる、やらないならやらない、はっきり決められることです。

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