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2014年1月

1月 31 2014

反省の仕方

反省を、全くしようとしない人が多い中(特に名古屋などは)反省の仕方を書くのもどうかと思ったのですが、しかし、反省の意味すら知らない人が多そうですので(それだけ傲慢な人が多いということですが)反省とはどのようなものなのかを書いておきましょう。

反省とは神から与えられた慈悲なのです。

その反省とは、悪いことをしたと思ったら、その罪を認め、その罪を詫びられ、二度とそのようなことはしないと誓われることです。キリストがいわれた悔い改めです。

それだけのことなのですが、それができない人が多いようです。(特に名古屋の人はです。くどいほどいいますが…このままでは危ないですからね、名古屋は)

そうかと思えば、この過去の反省を何回も(何十回も?)している人たちがいます。これはこれで正しい反省とはいえません。

何度も何度も同じことを反省していたら、人は一歩も前に進めません。反省は一度すればそれで十分なのです。

一度反省したら、もう二度とそのような間違いは犯さないと神に誓い、そうしてそれを実践すればいいのです。そうすれば、その過去の罪は許され消えるのです。

そのような慈悲を、神は人に与えてくださっているからです。(罪を理解している、していない、また重い軽いは別にしても、罪を犯さない人は一人もいません。何がしかの罪を私たちは犯してしまうものなのです。もし、反省という慈悲が神から与えられていなければ、それこそ人は皆罪人ということになります。〔一度犯した罪が永遠に残るんですから〕しかし、反省という慈悲を神から与えられているために、私たちはたとえ罪を犯しても、その罪を消すことができるし、きれいな心に戻ることもできるのです。反省という心の浄化を、神から与えられていることを、私たちは感謝しないといけないのです)

反省をしないのも間違いなら、何度もするのも間違いです。一度しっかり反省したら、前に向かって進めばいいのです。それこそ立派な人間になれる秘訣ですね。

このように見るならば、何度も反省を求めてくる人(国)も間違いなら、何度も反省をする人(国)も間違いであり、そういうことをいつまでもしていては、どちらも進歩しません。

先に向かって進むには、そのような行為は慎むべきでなのです。

ですから日本は、もうそのような態度はやめるべきです。過去の罪はとっくに許されているからです。(何度、詫びいれたでしょうか?逆にやりすぎてよけいな罪をつくってるくらいです)

中国、韓国は相変わらずやっていますが(日本に反省しろという行為をです)しかし、何度もいいますが、そのような政治や外交では結局、国外はもちろん国内もまとまらないのです。

そうではないですか?その証拠に、悪いことをとっくに反省している日本では、暴動など起こりません。それにデモくらいはありますが、他国のお歴々の写真を燃やしたり、踏みつけたりするような、そんな行為など子供でもしません。

そのような行為が(他国に対し)どれだけ礼を欠いた、恥ずべき行為であるか誰でも知っているからです。

このような国内事情を見ただけでも、どちらの国が正しいやり方をしてきたのかは一目瞭然です。

国を見るのは、経済面ばかりではないのではないでしょうか。

国内に暴動が起きたり(それも日常茶飯事にです)子供でもしない恥ずべき行為を、大の大人が堂々としている国が、立派な国といわれるでしょうか?また、そのような国が、そういうことが起きない、そうしてそういう恥ずべき行為をしない国に対し、何を反省しろというのでしょうか?

反省など日本はとっくにしています。反省していないのは、それこそ中国と韓国の方ではないでしょうか。

残念ではありますが、両国にその反省がないから、中国、韓国と日本はうまくやれないのです。

反日教育もその一つです。そんなことを続けられては、日本と中国、韓国の人々は真の友人には永遠になれません。

そのようなやり方は間違っているのです。

そういうやり方ではなくもっといいやり方はあります。それこそ日本がよい見本なのではないでしょうか。

中国、韓国の首脳の方々が、安倍総理はじめ日本の政府の方々と、よく話をしてくださればよい案は必ず浮かんでくるのです。その方がよほど中国、韓国にとっても、また日本にとってもよいことなのです。

これまでのように、力ずくで相手にいうことをきかせる、という政治はもう古いのです。

現実に中国など、国内がまとまらないだけではなく、格差問題、公害問題など、次々に難問が出てきて、きりがないのではないでしょうか。(もちろん北朝鮮問題もありますし)

このようなやり方を続けていれば、中、韓両国はいずれ行き詰るでしょう。

不調和では絶対にうまくやれないからです。(そこに神の力が流れないからです)調和しないといけないからです。(調和するなら、神の力がそこに流れます。したがって奇跡が起きるということです)

日本と中国、韓国がうまくやることは、この三国だけでなく、世界が望んでいることでもあります。

くだらないプライドを気にしている場合ではないでしょう。一刻も早く調和すべきです。

それが一番どの国にとってもよいことだからです。

(最初は日本の〔名古屋の〕人々が反省しないという話が、いつのまにか中国、韓国が反省しないという話に変わってしまいましたが、たまにはこういうブログもありでしょう)

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1月 30 2014

よい現象と悪い現象

昨日いただいたコメント(よい話と悪い話)によりますと、静岡でもサイレンが鳴り始めたようですね。どちらにしても、そのような現象は日本中に拡がります。(誰も本当の信仰をしていないからです)

日本中に、サイレンが響いてくるのも時間の問題だと思います。

本当の神の教えが出ているのです。早くそれに気づいて、真剣に勉強されればいいんですが、なかなかそれをしようとする人が出てきません。それでは異常現象は現れ続けるでしょう。

こちらの名古屋でもひどいものです。多くの人がまったく態度を変えようとしません。(人の顔を見れば嫌がらせです。責任転嫁ばかりしています)では、もっと恐ろしい現象が現れてくるのではないでしょうか。

昨日はそうでもなかったんですが(その昨日のわりと静かな時に、いろいろ浮かんできました。何が浮かんできたのかはご想像にお任せします)今日はまた朝からよくサイレンが響いています。

早く反省されることです。そうしないと、この起きている現象の中身が変わってくるのではないかと思われます。(マァ、何度いっても分からないようなので、これ以上いいませんが)

私に協力してくれる人は、私が祈れば何らかの奇跡は起きるそうです。何か祈ってほしいことがあれば祈ります。ただし私を信じ、この教えをよく勉強してくれないといけませんが。

昨日、様々な組織や細胞になる能力を持つ「万能細胞」を、新たな手法でつくることに成功したと(まだマウスにですが)ニュースになっていましたが、この万能細胞をつくるのはずいぶん簡単な方法でできるそうです。(体細胞に、弱い酸性の溶液を入れるだけとか何とかいってましたけど)

私は前にも書きましたが、科学の世界でも、心さえ神の方に向けるなら、このような奇跡は頻繁に起きるのです。

今回のように、それほど難しい技術をともなわなくてもです。(だから、核廃棄物の処理も、それほど難しい技術でなくやれる方法があるのです。その天啓を受けられる人が、核の技術にかかわっている人にまだいない、それだけです)

奇跡を起こすことは、それほど難しいことではありません。ただ、神の心を知り、それを実践できるかどうか、それだけなのです。(だから法を知らないといけないといっているのです)

一事が万事そうなのです。神の心を一とできるか否か、それだけで起きてくる現象がまるで変わってしまうのです。(多くの人は、自分のことを一としているから奇跡が起きないのです)

今、名古屋で(毎日)起きている現象ほど不幸な現象もないでしょう。(それだけ名古屋の人々が、神の心から遠いことをしているということです。〔何か心当たりありませんか?〕どれだけ言い訳してもそれは事実なのです。起きる現象で分かるからです。これほどの世にも稀な恐ろしい現象が現れているのです。一体どれだけひどい、神の心から離れた行為をしているのでしょうか?)

しかし、この名古屋に住む多くの人々の心が変われば(神の心を一とできれば)これ以上の幸福もないわけです。何度もいいますが、今と逆の現象が現れてくるからです。

「そんな現象などいらない、今までどうりでいい」といくらいったところで、すでに時代は変わっています。もう元の時代になど戻れはしないのです。時代が変わったと理解するしかないのです。

時代が変わったことに早く気づき、そうして、その時代に合わせた心にならないと、もはや生きていくことは困難なのです。それは、このような現象が名古屋に現れていることでも、その事実が分かります。(もちろん、日本中で、そうして世界中で最近頻繁に起きている、異常気象もその気づきの現象です)

私は前からその話をしています。ただ多くの人が私のいうことを信じないだけです。何も変わっていないと勝手に思っているだけなのです。

しかし、時代が変わったということは、このような現象を見れば分かりますし、また、そのような起きる現象を見て、それを理解しないといけないのです。

だから私は、正しいか間違っているかは、天が教えてくれるといつもいっているのです。

このような現象は必ず何か意味があるのです。偶然起きているわけではないのです。天(天上界の光の天使)がこのような現象を起こし、正しいことをこの世の人に教えてくれているのです。

それを理解するのが遅ければ遅いほど、異常現象は続き、理解する人が出てくるに従い、奇跡の現象が現れ始めるということです。

よい心を持てばよい現象(奇跡)が、悪い心を持てば悪い現象(異常現象)が、即座に現れる時代となりました。

いつそれに気づかれるのですか?

責任転嫁を続けているようでは、その気づきは永久に得られないのです。

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1月 29 2014

時代遅れの外交

NHKの新しい会長の発言が、問題になっているようですが(私には何が問題なのか今いちよく分かりませんが?あの方、至極まっとうな発言しかされていませんので)本音をいえば、中立な放送といっても、実際NHKはこれまでは中立な放送などされていなかったのです。(どう考えても、中、韓よりでしたよね)

NHKの偏向報道は有名なのですから、このような方が会長になられた方が、逆に中立な放送ができるのではないでしょうか。

NHKは公共放送なのですから、これからは本当の中立な放送を心がけてほしいものです。

こういうことがあると、ここぞとばかりに反応してくるのが中国と韓国ですが(相変わらずです〔笑〕)しかし、そのような外交はもうやめられたらどうでしょう。

何か韓国は、竹島、慰安婦、靖国神社、教科書が反日四点セットらしいですね。(反日四点セットって、ほんと勘弁してください〔笑〕)

今回はそれが全部揃って一変に議論できます。どうせ中国と組んで批判してくるんですから、日本はまとめて反論してはどうでしょう。その方が早いですよね。(しかし、反日教育をされているところが、日本の教科書に文句いいますかね。〔別に日本は反中、反韓教育をしているわけではないですし〕先に反日教育をやめていただけませんか?そのような偏向教育をやめていただいて、はじめて教育の話はできるのではないでしょうか)

それに中国は、直接日本にいってもあまり効き目がないと分かると、とたんに今度は世界各国で、日本の批判キャンペーンを始めたそうですが、こういう、つげぐちのような陰口のような外交も、正しい外交とはいえないのではないでしょうか。(世界中の人が見ているのです。どう考えても中国、韓国がしているような、つげぐち外交、陰口外交では分が悪いのではないですか?国の面子にかかわります)

安倍総理は直接話をしましょうと、会話を呼びかけているのです。その呼びかけに中国、韓国の首脳が、コソコソ逃げ回っているようでは、それこそ国の沽券にかかわるのではないでしょうか。

どちらにしても、このような中国、韓国の日本に対しやっていることが、日本向け外交であるということはばれています。

もうこのような、ワンパターン外交はやめられてはいかがでしょう。あまりに時代錯誤だからです。

それにすでに時代は変わっています。このような旧態依然の外交をいつまでもしていては、最後に泣くのは、そのような外交を続けている国なのです。(時代が変わっているのですから、そのような国には神の力が作用しだすからです)

日本国内の報道も、以前ほど敏感に中国、韓国のことを報道していません。(まだ敏感な放送局があるにはありますが)もうそのような外交は、これからの日本に通用しなくなります。(これまでの歴史観のおかしさ〔ということは当然、村山談話はおかしいということになります〕や河野談話の欺瞞性が、次々に明らかにされつつあります)

もう日本は悪い国であった、世界各国に迷惑をかけた、だから中国、韓国には頭を下げろ、という対日本向け外交が、できなくなるのは時間の問題なのです。

安倍総理は、申し訳ありませんが、すでにそのような時代遅れの外交に付き合ってはいられないということで、地球儀外交を続けていられます。

これこそ二十一世紀の新しい外交のスタイルではないでしょうか。(国単位ではなく、世界を視野にしているんですから)

中国、韓国がいつまでも、時代遅れの外交を続けるのであれば、日本とは永遠にうまくやれないでしょう。

神の心は愛と調和です。

その心で外交をしていただきたいものです。(今の中国、韓国の外交は、まったく逆のような気がしますが…)

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1月 28 2014

よい話と悪い話

よい話と悪い話、どちらからいきましょうか?

マァ、順序でいえば悪い方からですか(その方がブログを読んだ後の気分が違います)ということで悪い話からいきましょう。

昨日は呆れました。床屋に行けば、入った時から気分悪いのがいて(わざとらしく鼻をすすってくるような奴です)そのまま髪切ってもらっているあいだ中、険悪な雰囲気で、床屋の態度も悪い。(やたら髪切るのが早いのです。まるで一刻も早く出て行ってくれという態度です)

その床屋を出る時に「これだけ罰が当たっているのに、人のせいにするな」と捨てぜりふをいって出てきました。

何だあの態度は、とイライラして帰っている時に、あちこちの歩いている人が嫌がらせのようなことをしてくる、そういうのにかまっていたら、今度は十数人の(下校中の)中学生もかまってきて「何だお前ら」とかいっていたら、人数が多かったので、調子に乗ったのかどうか知りませんが、その中学生たちが「ああん」とか「なんだ」とかいう奴がいたものですから、こちらも「なんだ」といい返したら「何でもありません」とニヤニヤ笑いながら帰って行くのです。

「お前らこんなに現象が出ていて、怖くないのか?」と聞くと、その連中、ヘラヘラ笑って何も答ず平気な顔して帰っていきました。

全く態度がなっていません。これだけの現象が名古屋に現れているのです。普通なら畏れるか、かしこまるかするものですが、てんで平気なのです。

さして起きてる現象を怖がってもいないようなのです。このような態度はまずいでしょう。(これ全部、天に観られてますからね)

自分たちの罪を棚に上げ、怒って私に嫌がらせするだけでも十分まずいのに、そればかりでなく、バカにするような態度まで平気で取っているのです。

神の愛が仇となり(愛ある現象ですから、それほど怖さを感じないのですが)よけい罪をつくるとなると、この現象だけではすまなくなります。(そうなると、恐ろしいだけという現象が現れてきます)

多分、私が心配していた現象がこれから始まると思います。(昨日の中学生たちがダメ押しですね)今の現象だけでは、名古屋の人たちは誰も反省しないからです。

そのせいで(昨夜もよくしていましたが)今日も朝からよくサイレンがしています。特に昨日私をバカにした中学生たちは気をつけることです。

その中学生にせよ、その中学生たちの家族も含めた周りの人にせよ、必ず何か現象が起きるからです。何も起きないと、その中学生たちは私をバカにし続け、それを周りの人たちに話すでしょう。そういうことにでもなれば、多くの人が私のいうことを信じなくなります。

即ちそれは、多くの人が法を信じなくなるということですので、天はそのままにしておかないでしょう。

この法を少しでもダメにするような行為には、必ず現象を現します。若いとか年を取っているということは関係ないのです。天は肉体ではなく心を観るからです。心は皆大人だからです。

とにかくこれからは、これまで以上の恐ろしい現象が名古屋に現れることになります。(今のままでは、いつまでたっても誰も反省しようとせず、平気で私を〔そうして神を〕バカにする人が出てくるからです。それではよけいな罪を、またその人たちはつくることになります。今以上の恐ろしい現象が現れるのは、そのような人たちの悟りを早める、神の慈悲なのです)

ですから、一刻も早く心を入れかえないといけないのです。

このまま書き続けると悪い話だけで終わりそうです。(日ごろのうっぷんがたまっていますからね。書き出すと止まらなくなります。〔笑〕)よい話も書いておきましょう。

四、五日前の話です。母が背中が痛くて眠れないとこぼしていました。

それで「病院に行けよ」というと「今日行ってくる」といっていました。

そうして母は病院に行ったのですが、何か骨がおかしくなっているとか何とかで、注射をうってもらい、薬を貰ってきたようでした。

もう大丈夫だろうと思い気に留めませんでしたが、二、三日前のことです。「また昨日も背中が痛くて眠れなかった」といっていました。痛み止めの薬が効いている間はいいようですが、薬の効果が薄れると痛みがぶり返すようです。

それで仕方がないので(仕方がないではありませんでした。母に対する愛からでした〔笑〕)祈ってやろうと思い「背中が痛いんだな」と確認すると「背中が痛い」といいます。

「分かった」といって母のいる部屋を出て行きましたが、母が「何で」と何度も聞いていました。母に祈ってやるといったところで何も理解できません。それ以上私は何もいいませんでした。

その夜と翌日も祈ったでしょうか、二日も祈ったのでもう大丈夫だろうと思い、昨夜「背中の痛みどうなった?」と母に聞くと「いまのところいい」といっていました。

「痛みなくなったんだろ?」と聞くとまた「何で」と聞いてきます。それ以上話ませんでしたが、どうやら母の背中の痛みはとれたようです。

医者にいって注射をしてもらい、痛み止めの薬を飲んでも、なかなかとれなかった背中の痛みが、私が祈ったらとれたのです。(何せ、頼むのがキリストと園頭先生です。癒しにかけては地球最強のお二人です。この程度の奇跡は朝飯前でしょう)

私に協力して、私の祈りを信じてくださる人には、このような奇跡も起きています。(これが、その時の都合だけとか、結果が出たら信じるとか、そういう心の人では多分きかれないんでしょうが)

私に逆らう方がいいのか、それとも協力した方がいいのかは、誰が考えても分かるのではないでしょうか。(「お前のいうことなど聞けるか」という人は多いと思いますが、しかし、この名古屋の状況で、では、誰のいうことを聞くんですか?私以外の人のいうことを聞いてもどうしようもないと思うんですが?)

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1月 27 2014

現代物質科学の終焉

この世は、この世だけで説明のつかないことが多々あります。それは意識界の作用を受けているからです。

意識界から受ける目に見えない力(エネルギーはすべて目に見えません)が、この物質界に大きく影響を与えているということです。

つまり神、霊の作用がなければ、この世で起きることは説明がつかないのです。(しかし、目に見えないからと、神や霊の力は否定するくせに、磁力や重力など、そのような目に見えないエネルギーは認めるんですね。科学といってもずいぶん都合がいい話です)

ニュートンの理論ではまっく話にならないのです。なぜなら、ニュートンは万有引力を発見しましたが、万有引力はニュートンが発見する前から、すでにこの地球上に存在していたのであり、ニュートンは、その万有引力を発見したまではよかったのですが、そこで思考を停止してしまい、この万有引力がどこから生じているものなのか?それを突き詰めなかったのです。

それで神、霊の存在を無視して、この自然界の説明をしたのですが、しかし、この大宇宙が自動的につくられ機械的に動いているなど、よく考えてみれば、これだけおかしな理論もないわけです。

まったく、つくられる目的も、そのような巨大エネルギーもなくて、これだけ無限の大きさといっても過言ではないほどの大宇宙が、どうしてできるのでしょう?

大宇宙が機械的に動いているとはいえ、それぞれの星が自力で自転公転して、このような秩序ある大宇宙が出来上がっているというのでしょうか?

そんなことはないはずです。つくる目的がなくて、これだけ無限に大きな大宇宙が出来上がるわけがありませんし、それをつくるだけの超巨大なエネルギーは、どうしても必要なはずです。

それに、この大宇宙で勝手な動きをする星など一つとして存在しないのです。(もし、大宇宙の星の一つでも、勝手な動きをするなら、宇宙全体がおかしくなります)

では、それだけ正確に、そうして永遠といってもいいほどの永きにわたり、この大宇宙の星々を動かせ続けている、超巨大な智慧と力を有している存在は、必ずいるはずですし、その存在なくして、この大宇宙ができたことも、そうして現在の大宇宙が存続していることもありえないのです。

その超巨大な智慧と力を有した存在こそ“神”と呼ばれる存在であり、この大宇宙を含めたすべてのものをつくりだし、現在においても生かし続けてくださっている存在なのです。

したがって神(第一原因者)を無視しては、この大宇宙の存在も成り立たなくなるし、大宇宙がこれだけ正確に動いていることも説明がつかないし、我々人間がなぜ存在するのかも分からないということです。

つまり、はじめに神の存在を認めないと、何一つ理論が成り立たないのです。(宇宙ができた意味も分からなければ、人間の存在理由も分からないということです…そういえば科学はそういう説明は一切していませんね)

これまでの科学は、その何一つ理論が成り立っていない、ニュートンの理論が基盤となっています。ということは、話を途中から始めて途中で終わらせているということです。

科学は、全知全能の神の存在を認めないのです。そうならざるを得ないでしょう。

神が、この大宇宙をつくったと認めないのですから、自動的に(勝手に)大宇宙はつくられたというしかありませんし、また、神の力を認めないのですから、大宇宙は自動的に機械的に動いている、というしかありません。

しかし、このような理論は、よく考えれば、いい加減な(適当な辻褄合わせの)理論でしかないのです。

このニュートンの概念の登場により、科学と宗教はまったく相反するものとなり、それが今日まで続いていますが、しかし、科学と宗教は相反するものではないのです。

本物の宗教(法)は、科学の裏づけがなければいけませんし(前に説明しましたが、あの原因、結果や慣性などの五つの法則のことです)本当の科学とは、神と霊の存在を認め、本物の宗教を取り入れ物質面だけでなく、神や霊の精神エネルギーの研究も、同時に行っていかなければいけないのです。

そうしないと、この世界の本当のことが分からないからです。

したがって、現在やっているような(科学と宗教がまったく分かれてしまった)物質面だけしか見ていない科学は、ほとんど正確なことが分からないのであり、だから、天気にしても、地震にしても、分からないことがたくさん出てくるのです。

しかし、神を認め、霊の存在を認め、精神のエネルギーも同時に研究していくのであれば、天変地変が起きる本当の原因(人の心)が分かり(ということは本当の減災、防災ができます)そうして科学の進歩も飛躍的に発展していくことになります。(そのような心になれば、それぞれの科学者に天啓が降りるからです。今とは考えられないくらい科学は進歩します)

宗教と科学は一致します。今のような宗教と科学が分離していては、本物の宗教も、本当の科学も分からないのです。

現在の物質科学が宗教を取り入れてこそ、本物の、本当の科学が出現することになります。

科学者の方々も、この法を学ばなければいけないのです。

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