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2014年6月

6月 06 2014

法と巡り合えた幸運

昨日フッと、教育研究会未来のことを思い出して、未来のページを見たのですが、未来のホームページの下に、未来主宰の北村氏のことをボロカス書いてあるページを見つけました。

そのページを読むと、現在の北村氏は自分のことを神といっているようです。

本当にそうなのかどうかは分かりませんが、マァ、それくらいのことはいっているのかもしれません。私がいた十年前くらいは自分のことを大日如来だの、救世観音(ぐぜかんのん)だのいっていたくらいですから。

救世観音(聖徳太子の等身像といわれる秘仏です)はともかく、大日如来(ベルシャナーといわれた方で、釈尊より二十数年あとにインドに生まれ愛を説かれた方です。この方は如来界の方で、釈尊が慈悲を重点的に説かれたので、その後に同じインドに出られ、釈尊があまり説かれなたかった愛を重点的に説かれたそうです)は男だろうと思い、この人、女なのに何いってんだろうと、当時不思議でしたが、適当なことをいっているんですから辻褄が合わないことも平気でいうわけです。(それに救世観音も女性といわれていますが、実在の人物ではありません。よく考えてみれば、昔の名前の有名な人を羅列しているだけで、いってることハチャメチャです〔笑〕)

地獄霊に憑かれると自分の格をドンドン上げていって、最後は神になるそうですので、現在北村氏が自分のことを神といっていても決して不思議ではないわけです。

ずいぶんこの人、会員から金をむしりとっているようですが(地獄霊の典型ですね)こんな人のいうことを簡単に信じてしまい、騙される方も騙される方です。どちらにしても哀れなものです。

騙され続けて金をむしりとられる人も哀れですが、本当の神の教えを聞いているにもかかわらず、いつまでも私に協力しようとせず罰が当たりたっくている人たちも哀れです。

もう前の会社の連中など、ちょっとしたことで切れています。(このブログを邪魔することしか出来ないようです…ずいぶんこの会社人が減ったようです)反省することも出来ず詫びることも出来ず、私に嫌がらせをするだけで、自分たちに罰が当たるのをただ待っているだけです。

哀れとしかいいようがありませんが、もう怖くて仕方がないのでしょう。しかし、何をいっても聞こうとしないのです。これではどうしようもありません。このようになる前に周りの人たちは気づいてほしいものです。

しかし、誰も布施してくれませんが大丈夫でしょうか?(前の会社のような人たちが全国で出始めないか心配です)それとも何年も前からこのブログを黙ってみていたのを反省して、いくらくらい布施しようかと考えている人が多いのでしょうか?

それなら、いくら長い間黙って見ていただけとはいえ、そんな百万も二百万も寄付してくれとはいいません。お気持ちだけで結構ですから、そんな心配はご無用に願います。

しかし、どうしてもといわれるなら、そのような愛の心は大切であり、こちらはその愛の心を受け取らないわけにはいきません。一千万であろうと、二千万であろうと、それ以上であろうと金額は気にしません。いくらでも結構ですからどうぞ布施してください。(笑)

冗談はともかく、そのような気持ちが大事であり(感謝の心と報恩の行為)それをするとしないとでは雲泥の差がでるのです。(もちろん心の部分にです)このブログを前から読んでいる人は、いくらかの寄付なり何なりはしていただきたいと思います。

ちょっと具体例を書きますが、私がこのブログを書き始めた最初からこのブログを見ている人が(再開前の一番はじめから読んでいる人という意味です)何人もいるのですが、その中の一人が、このホームページをつくってもらった会社の社長さんです。(社長、最初から見ていますよね、このブログ〔笑〕)

こういう方など、やはり私と縁が深い方であり、その過去の縁に従って私はこの方の会社でホームページをつくってもらい、現在、多くの人に神の教えを伝えることが出来ているのです。

ですから、私がこの方に感謝するのは当然ですが、この方は、知らず知らずのうちに世界に法を拡げる手助けをしているのですから(ということは、どれだけ自分の徳になっているか知れないのです。知らない間に自分の徳がドンドン増えているのです)そのような手伝いをさせてもらえることに感謝し(法も知らされているのですから)やはり私に布施などはした方がいいのです。

そうすれば、自分の徳は何倍にもなって計り知れないものとなるからです。(それは死ねば分かります)

逆に、ただ私のブログを読んでいるだけで、それ以上何もしようとしないと、せっかくたまりにたまった徳も尻切れトンボとなり、下手をすると死ぬ前におじゃんとなる可能性もなきにしもあらずなのです。(よほど悪いことをしなければ大丈夫だとは思いますが、人生何があるか分かりませんから)

なんでもそうですが、継続は力で、よいことは継続した方がいいですし、悪いことは(悪いと気づいた時点で)即止めた方がいいのです。

このブログを読んでいる皆さんは、せっかくこれ以上ないという幸運に恵まれたのです。(この世で法に巡り合うことの難しさ、それは過去の仏典など読めばいくらでも書いてあります)

では、その幸運を完璧なものとしなければいけませんし、そうするには、この法への協力は欠かせないのです。

それをしようとしないため(または逆の態度を取り続けているため)大変なことが名古屋をはじめ日本中で起きているのです。

これ以上ない幸運に恵まれた人は、その反面、これ以上ない不幸も隣りあわせで持ち合わせているのであり、よいことは継続してやらないと、それ以上の悪い面が現れてくることになるということです。

とにかく、このブログを読んでいる人の足らないのは、まず法への協力です。縁あってこのブログを読んだ人は(自分のできることで結構ですので)何かしてください。

それをしないと、この世で法と巡り合った意味がないからです。

せっかくこの世で、法に巡り合った幸運を生かすも殺すも自分次第です。しかし、その幸運を殺す人が多ければ、世の不幸は大きく広がることになるのです。

追伸…日本維新の会が分党しましたね。(最初から無理があったように感じましたが)

自民一強でもいけませんが、しかし、野党にしても昔の社会党のように、ただ反対するだけみたいな党もかなり減ってきました。(まだあるにはありますが)

自民党が独走状態ですが、ここから野党がどう盛り返すかは見ものですね。野党にしてもそれぞれ進む道は違います。その特性は生かしていただきたいと思っています。(石原新党には期待していますが、やはり石原新党の狙いは、公明党に取って代わる、そこですかね?)

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6月 05 2014

当たり前の行為

やはり九州、四国など大雨になっているようですね。(六月一ヶ月分の雨量を超える雨が一変に降ってしまったところもあるとか)

梅雨に入ってわずか二、三日で、大変な雨になっているようですが、今日は今日で近畿や東海が大雨になる予報が出ています。

梅雨に入って早々これです。先が思いやられますね。

そうかと思うと北海道の暑さはまだ続いているようで、昨日も観測史上最高の気温を記録したところが続出したようです。

北海道で、六月に二日連続の猛暑日を記録したのは史上初だそうですが、同じ国で起きていることとはとても思えませんね。(極端な大雨に極端な猛暑)

これほどの現象が現されているのです。もう罰当たりな態度は反省されてはどうでしょうか。

それはここらも同じです。(何か毎日現象が現れ始めたところもあるようですが)

これだけの現象が現れているのに、少しも畏れないのです。「お前のせい」と怒っているだけなのです。どれだけ恐ろしい現象が現れたら分かりますか?「自分たちが悪いことをしているから、自分たちに悪いことが起きているんだ」ということが。

神がすべてのものを用意され、だから私たちは今生きていられるのです。その神のことを誰が真剣に考えているのでしょう(皆さんは自分たちのことしか考えていないでしょう)その考えがすでに神を冒涜しているといっているのです。

この大宇宙は人間がつくったのですか?水は、空気は、そうして私たちが住んでいるこの地球さえも私たちは自分でつくったわけではないのです。

何一つ自分たちがつくったわけでもなく、その神がつくられた材料を利用してやっと生きていられる私たち人間が、そのすべての元である神を無視していていいわけないでしょう。

その時点ですでにアウトです。(名古屋の人たちなど、それにプラスして、その自分たちの罪を、私に擦り付けるという大罪まで犯しているのです。それでは大アウトですね)

その結果、大変恐ろしい現象が現れてきたのですが、その現象さえ責任転嫁しているのですから、これではもうどのような目に遭っても文句はいえません。

自分たちのやっていることが、明らかにおかしいと一体いつ気づくのでしょうか?だからこれほど起きる現象に差が出ているのです。(私には、そこらじゅうの鳥が寄ってくるという奇跡が起き、私以外の人たちには、次々に恐ろしい現象が現れる災いが起きる)

これほどの差が出ているということは、それだけやっていることに差があるからです。

私は毎日のように神の心をここに書いて、多くの人にそれを知らせています。これほど神の心にかなう行いはないのではないでしょうか。

それに対し皆さんはどうでしょう。その神の心をただで見ているだけで、それを伝えている者に、感謝の心もなければ、報恩の行為もない、それどころか私に毎日のように嫌がらせをしている者までいるのです。(ですから、そのような者たちは、毎日のように災いが起きはじめました。自分たちがやっている悪の行為が、そのまま自分たちに返り始めたようです)

これでは、神の心にかなわないことばかりしているといわれても仕方ないでしょう。

日本に、これだけ極端な現象が現れるのも、これでは仕方がないということになります。日本の人たちが、これだけ神の心にかなわない行いをし続けているからです。

私はウナッシーさんや、もう一人の毎年寄付をしてくれる方を褒めはしますが、立派であると書いたことは一度もありません。

されていることが特別立派なことではないからです。当たり前のことだからです。

当たり前のことではないですか?毎日のように神の教えをパソコンを動かすだけで知ることが出来るのです。それに対し、感謝のお返しの行為として、自分の気持ちだけ寄付するということがどれほどのことなのでしょう。そんな立派というほどのことではないではありませんか。当たり前のことでしょう。

もちろん、そのような行為に私は感謝の心は忘れませんが、それに報いる行為は十分していると思います。(この方々は法を知るだけでなく、奇跡まで体験されているんですから)

その当たり前の行為さえ、このブログを読んでいるほとんどの人はやれていないのです。

それどころか、仇で返している人が大勢いるというのですから、神の心にかなわないどころか、もうどれだけ神を冒涜するのかという話にしかなりません。

このような状況では、現在の日本に、また名古屋に、なぜこれだけ恐ろしい現象が現れ続けているのか、お分かりいただけるのではないでしょうか。

私は、このブログを見ている人たちに、立派なことをしてください、とはいいません。(このブログを見ている人たちは私の弟子でもなんでもないんですから)しかし、せめて当たり前のことくらいはしてください、とこれくらいはいわせてもらいます。

それでは、人としての常識があまりにないように思うからです。人に対する態度があまりに希薄だと思うからです。(それでは人としてあまりに恥ずかしいでしょう)

このブログを読んでいる人たちがどのような人たちで、そうしてどのような考えをしているのかは知りませんが、少なくとも何年も前からこのブログを読み、あるいは毎日のようにこのブログを見ている人なら、このブログは日常のことを書いているだけではない、ということはお分かりいただけると思います。

そうして、このブログを読み、自分が知らなかったことを知り、信じていなかったことも信じたこともあるでしょう。では、これまでの自分の考えも変わり、少なからず人生観が変わった人もいるはずです。

そのような自分の考えが変わる、人生観が変わる、という読み物もそうはないのではないでしょうか。

そうであるなら、少しくらいの布施をなぜそれほど嫌がられるのですか?頑なに無視されるのでしょう。

私は無茶なことをいっているわけではありません。当たり前のことを当たり前にいっているだけです。(私は、この神の教えを伝えることを仕事にすると決めたのです。毎日このブログを読んでいる人など、神の教えが知りたくて毎日このブログを読んでいるということになりますから、それは十分布施〔こちらの仕事に対する報酬〕の対象になると思います。なんで払っていただけないのですか?だから私は料金を踏み倒されているといっているのです)

私は特別無茶なことも、そうして立派なことをしてくれともいっていません。当たり前のことを当たり前にしてくださいといっているだけなのです。

何で、その程度のことさえしていただけないのでしょうか?(それも何年にもわたってです)その程度のことですが、その程度のことさえしてもらえるなら、現在起きている異常現象もかなり収まってくると思います。

何度もいいますが、現在次々に起きている異常現象の本当の原因は、当たり前のことを当たり前にしないからです。

そのために(自分たちはもちろん)日本中の人たちが迷惑しているのです。

それだけ、ここに書いている神の教えは大事なことだからです。それを無視する態度(または逆らう態度)を取り続けていることは、それだけやってはいけないことだからです。

これ以上天を怒らせれば、日本が壊れてしまいます。当たり前のことくらい当たり前にやってください。

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6月 04 2014

起きている現象の違い

昨日は北海道で、観測史上最高の気温が記録されたところが続出したそうですね。(全国一位も北海道の駒場で37.8度でした)

いくら暖かい空気が流れ込んできているとはいえ、北海道でこの時期(まだ六月の初めです)37.8度って、デタラメですね。

神の教えを毎日聞いていながら、やるべきことをやらないと、このような異常現象は頻繁に起きてきます。その典型が名古屋でしょう。

昨日私は、金山の銀行に行ったついでに、金山からもう少し先の東別院というところまで歩いていきました。

すると、その辺りでもあちこちですずめが騒いでいました。どこの場所のすずめもすでに私のことを知っているようです。

不思議なものですが、やはりすずめの鳴き方が変わるので分かるのでしょうか、その辺りの人が皆私に気づいているようでした。(もう目つき変わる人までいますから)

嫌がらせのようなことをしてくる人もいますので(ガキまでしてきますからね……ガキではありませんでした、小さな子供まででした〔笑〕)出来るだけ人がいない道いない道を通って帰ってきたのですが、そういう道を通っていると段々家から遠ざかっていくのです。

もう家にはたどり着けないのでないかと思いました。(笑)

しかし、何でどこのすずめも私のことを知っているんでしょう?私が歩いていると足元まで来たり、私に向かって飛んでくるすずめもいます。歩いてる脇の家の屋根にとまって「ピーピー」鳴いているのもいます。

そのすずめに「お前顔知らないだろう、何で騒いでんだよ」と声をかけると、喜んでよけい騒いでいます。

もうこちらもどうしようもありませんが、そのすずめの騒ぎを聞いて「うるさい」と怒っている人までいるんですから、そのような人もどうしようもありません。残念ではありますが、そのような人はあまり愛の心を持ち合わせてはいないようです。

ここからは、ここら辺りの人向けに書きます。(次々に起こり始めたようですからね。恐ろしい現象がです。今日はもうまったく態度が違っています)

昨日も起きたようですが、それでもまだ怒っているだけのようです。

では、仕方ありません。そのようなところはもうほっておきましょう。次にこの辺りに起きてくることを書いておきます。

この会社に起きている現象が、その会社で起きている現象を知っているところにも現れるようになります。(もう恐ろしい現象が起きている会社は、反省できないと天が判断されたようです。今日もいつもよりは静かではありますが、とても反省している態度ではありません。〔ときどき音を立てて、このブログの邪魔だけはしていますので〕もうこの会社がどうなるかは分かりません)

その現象が現れるのが嫌なら、そのことを知っている会社は、その起きていることを正直に私に話し、そうしてこれまでのことは悪かったと反省して神に詫びられることです。

それが出来るのであれば、その会社にそのような現象が現れることはありませんが、それが出来ないといわれるのであれば、今ある会社に起きている恐ろしい現象は、そのことを知っている会社にも起きるようになります。

どのような態度を取っても自由ですが、そのことだけはお伝えしておきます。(もうどこに逃げても、また、いつものように癇癪〔かんしゃく〕を起して怒っても無駄です。起きるものは起きるからです。怒れば怒るだけ起きるのが早くなります。気をつけてください)

今その会社で起きていることを早く世に伝えなければ、昨日の私に対する多くの人々の態度を見ても分かりますが、その現象は多くの人々に拡がってしまうからです。(それだけ神を冒涜している人が多いということです)

それに神の業を世に伝えることは、それを体験している人(知っている人)の最低限の使命でもあるからです。(それを人に伝えぬまま死んだら、死後の世界では、それを死ぬほど〔すでに死んでいますが〕反省させられます)

もう、その現象が現れるのにそれほどの時間もないでしょう。よくよくお考えください。

このブログは、この辺りの人皆見ていますからね。連絡事項にも使えるから便利です。(笑)

あまり恐ろしい話ばかり書きたくはありませんが、この辺りの事情が事情です。他の地域の方はそこはご了承ください。

しかし、この辺りの人たちは、私の周りに鳥が集まってくることは皆知っているはずです。そうして自分たちの周りで起きていることもです。(さっきもサイレンがしていましたが)

「鳥が騒ぐのがうるさい」などと思う人もいるようですが、それはあまりに愛がない行為であると思われないでしょうか。

自分たちが小さかった時のことを思いだしてください。自分の周りで鳥が騒いだら、嬉しかったのではないですか?その鳥たちを見て、可愛いと思われたことがあったのではないでしょうか?

多くの人は、そのような愛の心を忘れてしまっているのです。

その愛の心を忘れてしまった結果、次々に自分たちの周りで病人、けが人が運ばれていくという、恐ろしい現象が現れるようになったのです。

しかしそれは、自ら自分の心を狭く小さくして、愛さえも忘れてしまった結果、現れてきた現象であり、決して人が現している現象ではないのです。

その証拠に、そのような愛の心を忘れていない者には、喜んで鳥たちも寄ってきます。

このような起きる現象の違いは、残念ではありますが、多くの人が愛の心を忘れてしまい(それは子供でも同じです。子供にさえ鳥たちは寄っていかないからです)その結果、愛を忘れてしまった人たちの周りには、その心のままの愛のない現象が現れ、そうして愛を忘れていない者の周りには、その心のままの愛ある現象が現れているに過ぎないのであって、自分自身の心が周りに現れているだけなのです。

自分たちの心が周りに現れているに過ぎないのに、それを多くの人は私のせいにしているのです。

しかし、心の違いが起きていることの違いなのであり、それを一人一人の人が理解しない限り、この現象は収まりません。

北海道の異常な高温は今日も続き、そうして九州には(梅雨に入ったということもあり)今度は大雨が降り始めています。

このような極端な現象もそうでしょう。そこに住む人々の心が現象化しているに過ぎないのです。

もう一刻の猶予もありません。すぐにでもこの神の教え(愛の教え)のご協力をお願いしたいと思います。

この教えを伝えなければ、愛がないことを知らせる現象は止まらないからです。

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6月 03 2014

正しい信仰

名古屋市の市バスのミスが相次いでいるようですね。(運転手が寝過ごしたり、進路間違えたり、途中でガス欠したりなど)

私に嫌がらせばかりしているから、そんなことが起きるのです。(私が歩いているとバスがブシュブシュやっていくのは、この辺りの人なら誰でも知っています。〔笑〕)これからはその程度の罰ではすまなくなります。(すでにすんでいないのかもしれませんが)

これまで以上の罰がこれからは頻繁に起きてきます。ソロソロそのような態度は反省されてはどうでしょうか。(こんなことを書けば、意地になってやってくるんでしょうけどね、バスの運転手の連中〔笑〕)

しかし、現実にひどい罰が頻繁に現れ始めたところもあります。

多くの人は、正しい信仰と、間違った信仰の区別がつかないのです。だからそんなことを平気でしてくるのです。

今多くの人が私にやっている行為は、釈尊やキリストの弟子たちに嫌がらせをするのと同じことなのです。こう考えるのであれば、自分たちのしていることがどれだけ恐ろしい間違った行為なのか、少しは分かっていただけるのではないでしょうか。

正しい信仰をしている者に、嫌がらせなどするから罰が当たるのですが、これまでの信仰では、罰が当たるといわれても、その罰が当たっているのかいないのか、よく分かりませんでした。だから、多くの人は“罰が当たる”といわれても、ピンとこないのです。

しかし、正しい信仰者に間違ったことをすれば、確実に罰は当たるのです。(だから、その罰が当たった人たくさんいます。それを多くの人は私のせいにしているだけです)

これまでも罰と思われるものはありました。しかし、間違った信仰をしていて罰が当たったと思われるものは、せいぜい(間違った信仰には悪魔が憑いていることが多いですので)悪魔に悪さをされるとか、悪魔に呪われて、ひどい目に遭うとかしたことを罰だと勘違いしていたに過ぎないのです。(よく古い墓や仏像など壊すと、それにかかわった人たちが、病気になったり、早死にしたりすることがありますが、あれなどその典型です。悪魔が祟っているのです)

そのようなものは神仏が与える罰ではなく、悪魔が祟っているだけなのです。(実際は神仏が人に罰を与えるということはありません。神仏が人に与えるのは気づきの現象なのですが、昔から罰が当たるとよくいわれ、そう書いた方が分かりやすいので、ここでは罰と書きます)

悪魔が祟って起す現象はまるで救いがありませんが(そんな悪魔の祟りで死ねば、その悪魔がいる同じ地獄の世界に堕ちていきます)神仏が与える罰は、仮にそれで自分が死ぬことになっても救いがあります。(自身の心の成長があるということです)

起きている現象は同じように見えても、その人の心だけ観るならば雲泥の差があるのです。

とはいえ、罰など当たらない方がいいにきまっていますし、罰が当たっていると自覚したら、これまで伝えられている通り、自分が悪かったと反省すべきなのです。(それは昔からいわれていますよね。「あなたが悪いことをしたから罰が当たったんだ」と)

その自覚がゼロなのが、名古屋の人たちで毎日罰が当たっているにもかかわらず(いろいろなサイレン)それをすべて私のせいにして一向に反省しようともせず、同じ悪を繰り返し行っているのです。(私への嫌がらせ)

しかし、これは特別名古屋の人たちだけではありません。全国的にそうなのです。(このブログを読んでいる人全国にいますから)

全国で起きている異常現象がまさにそれですね。

本物の信仰をしている者に、嫌がらせをするのはもちろん悪ですが、その正しい教えを毎日のように聞いていて、少しも布施の行為(協力的な行為なら何でもいいんですが)をしないのもまた悪なのです。(おまけに間違った教えには布施しています。これも悪の行為に拍車をかけています)

毎日このブログを読んでいる人など、いくら自分は無宗教だと信仰を認めなくても、すでに信仰をしているのです。

気づいていませんか?このブログを毎日見ているということは、ここに書いていることを信じ行っているということになります。(毎日このブログを見ているということは、何か感じるものがあるから毎日見ているのです。では、その影響は自分の考えや行動に必ず出てきます)

よくこのブログを読んでいる人など、すでに自分の言動に、このブログに書いていることが出ているのですから、それはすでに立派な信仰者ということになります。仏の教えを信じて(その信じる程度にもよりますが)実践もしているのです。これを信仰者といわずして他にどのような呼び方があるのでしょうか。

残念ではありますが、このブログを読んでいる多くの人が、すでに信仰者なのであり「自分は神も仏もあまり信じません。この科学の世に信仰なんて」といくら格好をつけても、それは口だけなのであり、すでに神の教えを信じ行っている一人の立派な信仰者なのです。

つまり、このブログをよく読んでいる人は、知らず知らずのうちに信仰者になっていたというのが純然たる事実なのです。(さぞショクの人が多いかもしれませんが、すでにあなたは信仰者です。それはまぎれもない事実なのです。その自覚がないだけです。事実は事実として認めてください)

信仰をしているのであれば、布施をされないのは間違った行為でしょう。(当然そうなります。違いますか?)

参考までに布施の仕方を書いておきましょう。

ウナッシーさんなど毎月布施してくれています。(何で毎月されているのか、ちょっとよく分かりませんが〔賛助会員の分なんですかね?〕)もうお一方は、年に一度決めた月にしていただいています。

その布施について、金額もされる方法も、私が支持したわけではありません。それぞれの方々がご自身で決められ、ご好意でされているのです。

布施とは、このようなもので、自分の感謝の心に応じてしていただければそれで結構です。(ですから、別に毎日してくれてもかまわない、ということです〔笑〕)

しかし、毎日のように神の教えを学んでいる信仰者であるなら(このブログを読んでるほとんどの皆さんがそうです)この布施の行為(報恩の行為)は必ずしなければいけないことであり、この布施の行為を抜きにしては信仰は語れないのです。(何度もいいますが、皆さんはすでに信仰者なのですから)

信仰者の皆さんが、布施の行為を行わないために全国各地に罰(気づきの現象)が起きまくっているのです。(正しい信仰をしていて、布施を抜かしていては当然このようなことが起こります。このようなことが起きることこそ、この教えが正しい証拠でもあるのです)

だから私は「今日本に起きている異常現象はこのブログを見ている人たちのせい」といい続けていたのです。

実際にそうだからです。

しかし皆さんは、本当の神の教えに巡り合い、本物の信仰を始められたのです。この世に生まれてこれ以上の幸運があるでしょうか。

あとはその信仰を完璧なものにしていただくだけです。そうしないと、全国各地で起きている気づきの現象は止まらないからです。

ソロソロ梅雨に入りまた大雨が心配な季節になりました。すでに猛暑は体験済みですが、そのような異常気象も、皆さんが正しい信仰を行っていただくならば収まってきます。(現在は、正しくない信仰をしている人ばかりですから)

また各地に被害が出る前に、正しき信仰者となる善の行為をすみやかに行ってください。

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6月 02 2014

異常現象と名古屋の奇跡

連日異常な暑さは続いています。

昨日など、東海地方でも三十五度以上の猛暑日のところが続出し(昨日の東海地方での猛暑日の観測は統計以来、最も早かったそうですが)全国で熱中症の患者が数百人も出て、おまけに北海道では大きなつむじ風が相次いで、テントや机などが飛ばされたそうです。

相変わらずの異常気象ですね。今年は冷夏の予想を気象庁は出していますが、まったく逆の結果が出るような(今のところそんな感じですね。六月に入っているんですからもう夏ですもんね)ことがないよう祈っています。(あまりに大きく気象庁が予想を外すと困るところも出てきますので)

その天気だけではなく、こちらも異常なことが続いています。(サイレンはずっとしてるんですが)前の会社も昨日のような露骨なブログを書けば、いつもなら朝から烈火のごとく怒り大騒ぎになるはずですが、今日はそうでもありません。(普通にうるさいだけです。たまに切れる奴いるみたいですが)

明らかに異常なことが起きていますね、この会社。しかし、それでも反省しようとしないのです。(怒っているだけですから)これではどのようなペースで、どのような現象が起こりだすか想像がつきません。ずいぶん恐ろしい態度を取り続けるものです。

名古屋でも全国でも異常現象のバーゲンセールですね。これだけ起きたら少しは反省して、神の心を真剣に学ぼうとする人が出てきてもよさそうなものですが、一向に出てきません。大丈夫ですかね、日本の人たち。

しかし、こういうことを続けていると、ふってわいたように、どこでどのような災いに遭うか分かりません。本当の神の教えを無視するとろくなことはないのです。

もう名古屋など(前の会社でもそうですが)無理して逆らっている、という人もかなり多いようです。

無理してそんなことをしているくらいなら、これまでのことを反省され、この教えに従われたらどうでしょう。

それをするもしないも自由ですが、自由とはいいつつ、これほどの現象が現れているのです。実際は自由ではない、ということがもうお分かりになるのではないでしょうか。

それは最初から分かりきっていたのです。本当の神の教えが出ている時は、神の子である私たち人間は一人の例外もなく、その教えに従わなければいけないのです。それが神の子の人間が進むべき唯一の正しい道だからです。

それを、これほどの現象が現れている名古屋から始めなければ、神への冒涜、天への冒涜となります。

名古屋にこれだけの現象が現れているのです。そうして、これだけの現象が現れたから、名古屋の多くの人は一変に意識が変わったのです。

名古屋の人々はそのことに感謝し、私にご協力ください。

この名古屋の地より法が拡がるのであれば、その事実は後世に遺され、後の世の多くの人々が名古屋の地を尊ぶようになります。私に協力をしてもらえるなら、いずれ名古屋の人たちは、後世の多くの人々から感謝されることになるのです。(もちろん世界中のです。この教えは遅かれ早かれ世界に拡がることになるからです)

何度もいいますが、名古屋の多くの人がそれだけ意識を変えたのです。少しで結構です。ご協力ください。

そのような人が増えれば、名古屋に起きている異常現象も減り、奇跡が起きだすのです。その名古屋でこれから起きるであろう奇跡の現象は、名古屋だけでなく、日本を、ひいては世界を救うことになります。

私など、どれだけ多くの人から嫌がらせを受けようと、何とかそのような人たちも救いたいと、ここにその救われる方法を繰り返し書いているのです。自分の小さな意地など何ほどのことがありましょう。

そんな小さなことにこだわっていては、名古屋で起きている、この現象は世界に伝わりません。これほどの神の業が現れた現象を体験しているのは、唯一世界で名古屋の人たちだけなのです。

「こんな体験などしたくもない」ではないのです。

このような神の業を体験をしているのは、名古屋の人たちだけであり、ということは、その神の業を自分の体験として知っているの名古屋の人たちだけなのであって、そうであるなら、神の業を自分の体験を通して語れるのは、唯一名古屋の人たちだけということになります。

それに、私の周りに鳥がたくさん集まるという奇跡を、実際に見て知っているのも名古屋の人たちだけなのです。(数年前の白鳥公園では、その空を覆うくらいの多くの鳥が集まったこともあります)

このようなことが起きる者も世界にそうはいないと思います。神の業を自ら体験し、そうしてこれまで起きたことがないような(不思議と鳥が集まってくるという)奇跡まで、目の前で見せられているのに、このような現象を一切無視して、これまでと同じような生活をしていることがよいと思われますか?

名古屋の人々は他の地域の人々より、より多くの神の業を現されているということは、イコール、それだけ多くの神の愛をいただいている、ということになるのです。

それだけの神の愛をいただいていながら、自分の生活を一切変えないなど、これほど不信心、不信仰な態度もないのであり、現在起きている奇跡の現象を世界の人々に伝える重大な使命が、すでに名古屋の人たちにはあるということです。

すでに、大きな神からの使命を名古屋の人々は与えられているのです。

その使命を果たすか果たさないかで、今後の自分の永い(輪廻転生も含めた)人生も大きく変わってくることになります。

名古屋の多くの人々は、私を目の敵、親の仇のように思っているのかもしれませんが、とんでもありません。実際は名古屋の人々に計り知れない恩恵を与えているのです。(その恩恵を名古屋の人たちは自ら放棄しているに過ぎません)

少し心を広げるなら、すばらしい世界がそこにあることに気づきます。

いつまで小さな心でいるつもりですか?

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