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2014年9月

9月 20 2014

神の業を体現する人

昨日は、女子プロゴルフのトーナメントをまた観に行ってきました。といってもほとんど観戦はしていませんが。

別に、女子プロゴルファーに関心がないわけではありませんが、周りに(ギャラリーやボランティアなどの関係者に)うっとうしいのがたくさんいて気がちるし(集中して観ていられないですから)ゴルフ場にいる鳥やら魚やらの方が気になるからです。(女子プロの皆さんが、もっと法に興味を持ってくれるなら私も興味を持ちますよ。どうせ私のことは全員の人が知っているんですから)

昨日など私が歩いていると、よりにもよってクラブハウスの前の人が大勢いる辺りで、すずめが例の「ジジジジ」という鳴き方をはじめました。(最近ここらではそいう鳴き方しなくなったんですけどね)

それに他の鳥たちも騒ぎ始めて、一変に鳥が騒がしくなったものですから(そこにいた全員が、鳥のことを知っているわけではなかったんでしょうが)その大勢いるギャラリーの中のあちこちの人にジロジロ見られ、中にはわざわざ嫌がらせに来るのもいて呆れました。

ああいう現象を見て、驚くより怒っているんですから、一体この地域の人たちどういう頭の構造してるんでしょうか?まったく不思議です。(普通驚くでしょう。なんで怒るんでしょうか?そのゴルフ場は池に鯉もたくさんいるんですが、この鯉たちも私が声をかけると、寄ってきて顔を水面にだし口をパクパクさせていました。しかし、この鯉たちは人になれているようで、誰にでも餌をもらえるのではないかと寄ってくるみたいです)

こういう人たちと、あまり長くいても仕方がないと思い(こちらの魂が汚れそうですから〔笑〕)昼頃にトーナメント会場を出て、そのゴルフ場の辺り(愛知県知多郡美浜町)を一時間くらい散歩しました。

その辺りは田んぼが多く一面見渡せます。

しばらく歩いていると、家の屋根にすずめがいて私の方を見て「チュンチュン」鳴いていました。「オウ」とかすずめに挨拶して歩いていると、そのうちに数十羽のすずめが飛んで来て近くの木にとまり「ピイピイ」騒いでいました。

それで「オウ、お前ら元気いいな」とか「元気か」と声をかけていたら、自転車で通りかかった三人のオバちゃんが私の方を笑って見ていました。

「すずめに声をかけている変わった人」とでも思ったんでしょうか。

何かああいう人たちを見るとこちらも新鮮ですね。この辺りの人は私がすずめに声をかけていても、無視して通り過ぎるか、ムッとするかのどちらかだからです。(何か哀れですね、そのような人たち。素直に気持ちを現せないのですから)

そうこうしているうちに私が歩いていると、あちらから数羽、こちらから十数羽とすずめが集まってきて、私の周りのあちこちですずめが騒ぎ始めました。(あの辺りすずめがたくさんいるようです)

そのうちに、私が歩いて行く方向の両側の電線(どこにでもある電信柱につながっている電線です)の前に前にと、次々にすずめがとまりはじめて、まるですずめたちに見送られているようでした。

その電線にとまっているすずめたちに「お前ら元気だな」とか「またな」とかいって手を振りながら、私は歩いて行きました。

そうして名古屋に帰り、帰り道に中川運河を通ったので、運河の岸まで下りていき、運河に向かって「お前ら元気か」と声をかけると、小魚がピョンピョン跳ねていました。

遠くで跳ねるのもいれば、すぐ近くで跳ねるのもいます。本当に可愛いものです。(庄内川や堀川は私が声をかけても「シーン」としている時が多いんですが、中川運河はまず魚が跳ねるか寄ってくるかしますね)

こういう奇跡の現象が毎日のように起こり、そうしてもう一方では私に嫌がらせをしている人たちには天罰が次々に下っているのです。(また、前の会社なにかあったようです。一昨日と全然様子が違っています)

何で、こんなに天と地ほども違う現象が現れているのに、それでもなお私が悪いと多くの人たちはいうのでしょうか?

また、このような現象を一切無視し、自分たちのことばかりやっている人たちもおかしいでしょう。

普通、このような現象が目の前に現れれば、興味を持つのが当たり前のことだからです。

もし、こんなことが他の宗教で起これば、その宗教は大騒ぎになります。

「このように動物たちが嬉しそうに寄ってきて、そうしてこの宗教の教えを妨げる者には、次々に天罰が下っているのです。私たちの宗教こそ本当の神の教えです」と大宣伝するでしょう。

そういう声を聞けば、多くの人がその宗教に興味を持ちます。その宗教を勉強する人もたくさん出てくるでしょう。それが普通のことだからです。それにそんなことが起きる宗教がもしあるなら、その宗教こそ本当の神の教えだからです。

そういう宗教団体で、このようなことが起きれば(その団体の教祖に起きるだけでもそうですが)大騒ぎとなるのですが、私一人に起きても誰も興味を示そうとしないのです。

しかし、そうであるなら、これほどの不遜なことはないのではないですか?だって、これほどの神の業が現れている人は現在は(あくまで現在はですが)誰もいないのですから。

そのような神の業が現れている人を無視し、嫌がらせを続けているのは、神に対するこれ以上の冒涜はないのではないでしょうか。(それだけの神の業が現れるということは、その人は、それだけ神に愛され、そうしてその神の業を体現されているのですから)

また、台風が迫ってきています。しかも、ずいぶんこれがまたスピードが遅いようです。今日から沖縄や九州辺りでは大雨になる予報が出ていますが、このような異常現象が次々に起きるのも、自分たちのそのような不遜な態度に問題があると思われないでしょうか。

何年たったら、自分たちの愚かさに気づくのですか?

もう時間は限られているのです。

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9月 18 2014

天の意志

一昨日の関東の震度5の地震ですべて分かりました。何が分かったかといえば、ここ最近の一連の異常気象の意味がです。

この前北海道で大雨が降りましたが、あの時、なんであれほどの大雨が北海道に降ったのだろうと不思議でしたが、よく考えてみれば、今年北海道は太陽光エネルギーの発電が全国で一位になりました。それが原因だったんですね。

あれだけの異常な大雨です。必ず何か大きな理由があると思っていましたが(私は、それが賛助会員の方がやめられたからだと思いましたが、そうではなく)太陽光が原因であったのです。(この前大雨になった地域は、札幌市、恵庭市、千歳市から苫小牧市辺りです。ちょうど苫小牧市周辺に太陽光の建設計画が集中しているのです。大雨が降った地域と重なります)

だとすると、あの広島市の土砂崩れがなぜあれほどの被害をもたらしたのか、それも分かりました。(これは予想通りです)

広島の知事も市長も脱原発です。だからあれだけ多くの死者を出す土砂崩れが起きたのです。(まさかこのお二人が原発推進ではないでしょう。このお二方は、共産思想というより脱原発思想が強いから、あれだけひどい土砂災害が起きたのです)

つまり、それくらい脱原発はいけないことであるということです。

ですから、原発の研究開発を遅らせるような行為は(思いは)それだけ天の意志に反しているのであり、だから、脱原発を進めるようなことをしているところに異常現象が現れるのです。

地震(茨木)に異常な大雨、それに多くの死者を出した土砂崩れまで起きているのです。もう脱原発のような行為はやめられてはどうでしょう。(特別今回だけではありません。前からそのような現象は現れていました)

ただ福島の原発事故だけ取って、原発をやめろなどという行為は、愚か以外の何ものでもないのです。

何度もいいますが、あのような事故が起きた本当の原因は『共産思想』なのであって『原発』ではないからです。

その本質的な問題を間違えているから、いつまでたっても原発事故の収束も進まず(汚染水などの)状況がドンドン悪化しているのです。

まったく的外れなことをしているから、これほどの現象を起こされるのであって、それは全国的なことだけでなく、この名古屋も同じなのです。

これだけ分かりやすい現象が現れているのです。もう私が正しいと認めるほかないではないですか。それを認めようとしないから悪い現象が起き続けるのです。

これだけ起きていることが違うのです。それでもなお前が悪いという態度など、もう盗人猛々(ぬすっとたけだけ)しいというしかありません。それほどの愚かな行為であるからです。

この辺りの人は自分が悪いと認め、これまで私にしてきた嫌がらせの行為を反省するしか、救われる道はありませんし、全国の人々は、本質的な考えが違っているということを認めて、それを反省し天の意志に従うよう努力するしかありません。(昔の人は皆そうしていたのです。別に難しいことではありません。異常現象が現れてきたら、今やっていることを反省し別のやり方に変えるだけのことです。どんなに悪いことが起きてきても、頑なに同じことをやる続けているからいけないのです)

ここに書いたこと以外で、この辺りの人もそうして日本も救われる道はないのです。(ここに書いていることは法なのですから、これ以外の正しい道はありません)

北海道は不安定な天気が続いているようです。

北海道は、これからまだ太陽光発電の建設計画が目白押しだというではないですか(日本最大のメガソーラーの建設計画が進んでいるようですね)しかし、そんなことをするのは自殺行為なのです。

それでは北海道の異常気象は収まりません。逆に拍車がかかるでしょう。

天の意志に逆らってはいけません。そのような天の意志は、そこかしこに現れます。それを敏感に感じ取らなければいけないのです。

現代の人々は、そのような天の意志を全く感じ取れなくなっているのです。自分のことばかりに気がいってしまい、天のことなどまったく考えようとしないからです。

神の存在を、自分本位にしか考えないのがそもそもの間違いで、自分の願いがかないますようにと、自分たちの欲望ばかり一方的に祈るだけで、神の側の考えなど少しも理解しようとしません。これほど自分本位で傲慢なことはないでしょう。

そのような傲慢な心が、天の意志を分からなくしているのです。

今これほどの異常現象が次々に起きているのは、そのような傲慢不遜な人が増えたからです。(神を、自分の願いを聞いてくれるだけの下僕のようにしか考えないのです。これほど傲慢なことがあるでしょうか)

そのようなことを鑑(かんが)み現在起きていることを、もう一度謙虚に振り返ってみてはどうでしょう。そのような心になるのであれば、救いの道は必ず示されるからです。

現在周りで起きている異常現象は、多くの人々の、そのような傲慢さが現れているように思えてなりません。

この異常現象を収めるには「謙虚になって反省する」もうそれしかないのです。

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9月 17 2014

周りに起きる現象の意味

昨日の昼にずいぶん大きな地震があったようです。(私のいる名古屋ではあまり感じませんでしたが)

栃木、群馬、埼玉県などで震度5、東京でも震度4の地震が起きたようですが、あの時間の東京のテレビ局は生が多いので、生放送中、肝を冷やした人も多かったんではないでしょうか。

関東では、今月三日にも同じ栃木県で震度5の地震が起きました。最近関東では大きな地震が多発しているようです。

いよいよ首都直下型大地震、用心した方がいいのではないでしょうか。

別に脅すわけではありませんが、再三にわたり私は「東京の人たちは、法の勉強をして法の流布を行わないといけない」といっているにもかかわらず無視です。

それでは、いつそのような大地震が起きても不思議ではありません。天は、そのような大地震を起こす前には必ず警告を発します。だから用心した方がいいと私はいっているのです。

昨日の話ではありませんが、愛があるところには災いは起きません。その愛を出す方法を一番説いているのがこの法なのです。

だから「この法を勉強しないといけない」と私はいっているのです。

自分を守る意味でも、東京を守る意味でも(それはすなわち日本を守るということにもなりますから)東京の人たちは、法の勉強をしっかりしないといけないのです。(何せ高橋先生在世当時「東京に大地震を起こす」とすでに天上界からいわれていますからね。その時は、高橋先生が止められたから東京に大地震は起きませんでしたが、それから東京に大地震は起きていません。では、いつその大地震を東京は起こされるか分からないということになります。大地震が起こされるのか、起こされないのかは、東京の人たちが法を勉強する気があるのか、ないのか、その一点にかかっていると思います)

昨日の地震の震源地は茨木県南部だったそうですが、茨木県南部は「地震の巣」といわれ震度6クラスの地震が頻繁に起きているそうです。

私は以前「茨木県はよく地震が起きる」ということを書いて、その理由は「あそこには大規模な風力発電の施設があるからです」と書きました。

茨木県の風力発電所はたしか南部にあったはずです。(茨木県神栖市ですよね)

書いた通りのことが起きています。その理由はもうお分かりでしょう。(前に何度も書きましたから)

原発を進めないといけないからです。(自然エネルギーなど日本がしなくてもいいのです)

政府は、次世代型原子炉(高温ガス炉)の研究開発を本格化させるそうですが、大いにやるべきでしょう。

どちらにしても原発の研究開発は進めないといけないのです。核廃棄物をそのままにしておくわけにはいかないからです。

原子力を完全にコントロールできるようになり、そうして核廃棄物の完全処理ができるまでは、日本は原発の研究開発を続けるのです。それができないと人類の未来はないからです。

その原子力エネルギーが、次の時代の近未来型社会のエネルギーの核となるからです。それが天の計画であるからです。

それが嘘ではないということは、このように、ここに書いたことが次々に起きるということでも、その事実が分かります。

あれだけ私が、脱原発はいけないといっているのに(それが分かるだけの異常現象も何度も起きたはずですが)それでもまだ自然エネルギーですか。

自然エネルギーは自然エネルギーでやる国があります。(日本は国土的にも難しいでしょう)自然エネルギーの研究開発は日本の使命ではありません。

原発技術を進める、それが日本の使命なのです。だから石にかじりついても日本は、その使命を果たさないといけないのです。(この茨木の地震を見ても、天の意志、日本の使命が分かります…まだ分かりませんか?)

それにしても皆さん、本当に天の意志に逆らうのがお好きなようです。

こういう悪い現象が次々に起きている時は、そのようなことをしてはいけないと天が教えているんですから、今やっていることは間違っているのではないかと、もう一度よく考えないといけないのです。

それなのに、ほとんどの人はそのような異常現象を一切無視しているのです。異常現象と自分たちがやっていることは別だと思い込んでいるからです。

この辺りの人たちもそれは同じで、どれだけ自分たちに悪いことが起きても(今日は前の会社がやけに静かです。また何か起きたようです。本当に態度がコロコロ変わります)それでも私が悪いと、私を目の敵にして嫌がらせを続けているのです。

本当に哀れです。自分たちがそんな(悪い)ことを続けているから、そういう悪いことが自分たちに起きているのに、それをいつまでたっても認めようとせず、相変わらずそれを私のせいにして嫌がらせを続けているのです。

これだけ起きていることが違っているのにです。

そのような人たちと比べ、私に起きてくることといえば、鳥が寄ってくるようになる、魚が寄ってくるようになる、最近ではトンボやコウモリまで近くに飛んでくるのです。(特にコウモリなどは、夕方私が歩いていると、私の近くにバンバン飛んできます)

私以外の人には災いばかり起きているのに、私には、このような奇跡ばかりが起きているのです。

それでもこの辺りの人は、自分が悪いことをしているということを認めず「お前が悪い」と、私に嫌がらせを繰り返しているのです。

何度もいいますが、では、どういう現象が現れたら自分たちが悪いと自覚するのですか?

私のような奇跡が周りに現れたら、よけいそのような人たちは自分が悪いとは思わないでしょう。違いますか?

自分たちが悪いことをしているから、自分たちの周りに悪いことが起きるのです。自分は悪いことをしていないなど、ただの自分本位な間違った見方でしかないのです。

善因善果、悪因悪果という現象は、太古の頃より起きていることであり、それこそ人類創世のはじめから定められた法則であるのです。

自分たちの周りに悪いことが起きているのは、自分たちが悪いから起きているのです。(これが神理です)

それは東京の人たちしかり、名古屋の人たちしかり、全国の人たちしかり、全世界の人たちしかりなのです。

周りに悪いことが起きているなら、自分たちが反省し改める、これ以外、その悪いことを収める方法はありません。

キリストがいわれた「悔い改めよ」という言葉を、もう一度よく理解されてはどうでしょうか。(そうして天の意志もです)

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9月 16 2014

脳と心

前回のブログの最後に書きましたが、臨死体験をした人は、その心が全く変わってしまうそうです。

それまでは神など信じず、人に対しても冷たかった人が、神を信じるようになり、死後の世界を信じるようになり、そうして人に対する愛が深まるといいます。(極端な例では、敵兵を平気で殺していた残忍な軍人が、愛の塊のような人になり軍人をやめ牧師になって、愛を説くようになった人までいるそうです)

なぜそういうことが起きるのでしょう。単に脳の中だけで起きている出来事であるなら、そこまで極端に人格が変わるというのも不自然です。

臨死体験とは、脳の中だけではなく、別の何かの力が働いていると思われないでしょうか。

悲しくなったり、あるいは人を好きになったりした時、胸が苦しくなるという経験をされた人は多いと思います。

人が脳でしか反応しないのなら、悲しい時に胸が詰まって、そうして涙が出てくるというのはおかしな話ですし、人を好きになって、その人を思うと胸がいっぱいになる、という経験もおかしな話ということになります。

なぜなら肉体的には人の胸の辺りには、骨と肺しかないからです。そんな感情に反応するようなものは、人の胸の辺りには何もないからです。

では、何でそんなことが起きるのでしょうか?

逆に、人の感情が脳でしか反応しないのなら、悲しい時や人を好きになった時には、頭が重くなったり、いっぱいになったりしなければいけないはずですが、そうはなりません。

何でそうならないのでしょう?

これこそ、人が脳だけで反応しているわけではないという証拠ですし、脳以外の部分でそういう反応があるということは、その胸の辺りに感情が動かされる何かがあるという証拠なのです。

では、胸の辺りに一体何があるのでしょうか?

その胸にこそ、人の感情をコントロールしている心があるのです。目には見えませんが、人の胸の辺りにその人の心が存在しているのであり、だから、悲しくなったり人を好きになったりすると、胸がいっぱいになるよう感じるのです。

しかし、実際は胸がいっぱいになっているのではなく(何か食べたわけではないのですから)その胸の位置に存在する心がいっぱいになっているのです。

心が苦しくなるから、胸が苦しくなるのであり、もし胸の位置に何も存在していなければ、そのように感じるわけないのであって、だから、心は脳にあるわけではない、といっているのであり、心と脳は別であるといっているのです。

昔の人はよく、腹で考えろ、ということをいいました。これは、よい考えは腹から浮かんでくるということを知っていたからで、昔の人は頭(脳)で考えるだけでなく、腹で考えるということよくしていたのです。

現在は、頭で考えるのが当たり前のようになっていますが、実は頭で考えるより、腹で考えた方がよほど良い考えが浮かんでくるのです。

なぜそうなのか?ということは、先ほどの書いたことでお分かりいただけると思います。胸に心があるのですから、その心で考えた方がよいことが浮かんでくるということを、昔の人は経験上知っていたものと思われます。(ですから、胸より下の位置に意識を持っていくと、その上にある心からよい考えが浮かんでくるのです。心は天に通じています。その天より啓示をいただけるわけです)

天啓というと、何か頭でひらめいたように思いますが、そうではなく心から上がってきた思いが頭でピンときて、そうして頭でひらめいたように感じるだけで、実際は心で(胸で)天啓を受けているのです。

このように人の体の感じ方でも分かるとおり、心は胸にあるのであり、その心が天に通じているので(その天からの教えにより)よい考えが浮かぶのです。

その天から人は、常に愛ある行いをしなさいということを指導され、それが心に流れていますので、だから人に悪いことをしてはいけないとか、嫌なことをされている人を見るとかわいそうとか、そのような思いが起きてくるわけです。

そのような思いは、単に脳で考えてそういう感情が出てきているわけではありません。

すべて天上の世界の思いなのです。

脳はあくまで、車でいえばハンドルとか、アクセルとか、ブレーキとかの部品にしかすぎず、その車を運転している人間ではないからです。その車を運転している人間とは心のことなのです。(ハンドルやアクセル、ブレーキなどが壊れれば、その車はまともに動かなくなります。人の肉体がけがや病気などで壊れてしまっては、その肉体はまともに動かなくなりますが、その心〔運転者である人間〕は無事なのです。外見〔肉体〕が壊れているにすぎないのです)

その心で天の教えを正しく受けとることが出来れば出来るほど、よい考えも浮かんできて、そうして奇跡も起きてくるということです。(そういう心の人は天上界の光の天使の協力がより得られます。それが奇跡となって現れるのです)

天才といわれる人は、そのような人をいうのであり(天の教えをより受けられる人)釈尊やキリストはその最たる人というわけです。(しかし、神童も十年たったらただの人、といわれる言葉もあります。そのようなきれいで謙虚な心であっても、年を経るうちにそのきれいな心が曇ってきて傲慢になると、この天の教えが段々聞こえなくなってきます。そうなるともうただの人になってしまうのであり、釈尊やキリストは悟られてから最後まで謙虚できれいな心であったわけです。心が変わってしまっては、どれだけ天才であっても、ただの人に変わってしまいます。天の教えが分からなくなるからです)

このように、脳がすべてをつくりだしているのではなく、天に通じている人の心からすべてが生まれているのです。(天からの指示)

天からの指示であるから(現在の科学の発展など見ても分かりますが)これだけ大きな広がりを見せるのであり、これが脳で考えただけのものであるなら、これだけ大きく人の知識が広がることもないのです。

脳は、それほど広く深くを考えられるようにはできていないからです。脳は単にそのような心からの指示を伝える媒体にすぎないからです。(それが証拠に、脳の大きさだけで人の頭のいい悪いが決まるわけではありません。脳でそのようなものをすべて考えているというのなら、脳が大きい人ほど頭がいいということにならなければいけませんが、一概にそうとはいえません。脳が大きくても頭が悪い人はいくらでもいるからです。これは脳でものを考えているわけではないという証拠です)

その天からの指示を、しっかり受けることが出来れば出来るほど、その人にはいい考えが浮かび周りに奇跡も起きてくるのであって、その天からの指示をしっかり受けることが出来なければ出来ないほど、よい考えが浮かんでこず(同じことばかり繰り返しているということです。今日も前の会社の連中など同じことをやっています。本当にこりません)災いも起きてくるということです。

すべて自分に起きることは、自分の心を元として起きているのであり、よいことが起きるようにしたいのであれば、その心を直さなければいけないのです。

そのよいことが起きる方法が、釈尊やキリストがいわれたことであり(正法、福音)それを実践するなら、人は皆よいことが起きるのです。

それはなにも釈尊やキリストのような聖者ばかりではありません。臨死体験をした人も同じことをいわれるのです。(臨死体験者は、天上の世界にこの世の意識を持ったまま行き、その天上の意識をそのまま実感されるからです。それが心に残って、それで釈尊やキリストと同じようなことをいわれるようになるのです。釈尊やキリストの言葉が、そのまま天上の世界の思いだからです)

その釈尊やキリストは、反省しなさい、悔い改めなさい、ということを常にいわれ、そうして愛と慈悲のある人間になりなさいといわれました。

少し前に盲導犬が誰かに刺されるという事件がありました。そうして盲目の少女が蹴られるという事件もありました。このような事件が起きること自体愛がない人が多い証拠でしょう。

このような愛のない事件が多ければ、この世は災いしか起こりません。(実際災いばかり起きています)先ほどの話の通り、天の思いが伝わっていない(それは愛がないということです)人が、多ければ多いほどこの世は災いしか起きないからです。

災いが起きない世にするには、天の思い(愛の心)を実践できる人が増えないと、その災いは止まらないのです。

いつそのような世の中が来るのでしょうか。

それは一人一人の自覚次第でしょう。(だから多くの人が臨死体験をすれば、愛ある世の中がすぐに来るということになりますが、そう簡単にはいきませんね。〔笑〕)

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9月 15 2014

昨日のNHKスペシャルを観て

昨夜のNHKスペシャルで臨死体験をやっていました。

何ですか、あの人の苦労を無にするような番組は。呆れますね。

私のいっていることに、真っ向から反対しているような番組でした。臨死体験はすべて脳で解明できるといっていたからです。

もちろん反論を書かないといけないでしょう。そうしないと、せっかく唯心有神論になった人たちが、また唯物無神論に逆戻りしてもいけないからです。

昨夜の番組を少し説明しますと、臨死体験者は同じような体験を話されるのですが、それは昨夜の番組でもいっていたようです。

自分のもう一つの体が肉体から抜け出し(幽体離脱)天井の辺りから寝ている自分を観ていたとか、暗いドームを飛んで行ってお花畑のようなところに出たとか、その天国のようなところで、神のような方に出会い話をしてきたとか、亡くなった人に再会したとか、そのような話をされますが、それは全部脳の働きで説明できるというのです。

臨死体験は、その人が意識がなくなって、脳の活動が停止しているにも関わらず、そのような体験をするのですから、普通なら脳は反応していないのだから、脳だけでは説明がつかないと思うんですが、昨日のNHKのテレビによると脳が活動を停止しても、実際の脳は活動していないように見えて、実は活動が分からないくらいの小さな反応があって、小さな活動をし続けているというのです。(そんな小さな反応で、よくいろいろなことが分かるものと不思議ですが)

そうして脳のある部分を刺激すると、体外離脱(幽体離脱)のような感覚を覚えるというのです。そうして幽体離脱のような体験も脳の働きの錯覚のようなものだというのです。

幽体離脱をした人は、意識のない時のことを正確におぼえているというのに、それさえも脳に刺激を与え、いろいろな体験を重ねると、そのような記憶が出てくるらしく、自分たちの文化的な生活の中から、そのような体験を想像できるんだそうです。

そうして人間は死ぬ間際、誤った認識(神があり、あの世があるという)をして、間違った意識のまま死んでいくのではないかといっていました。(昨日出ていたあの立花さんって、昔は臨死体験を認めていたと思ったんですが〔あの人の本も読んだことありますし〕ずいぶん考えが退化しています)

その後、意識が脳内で生まれるという科学が出てきて、意識はすべて数学で表現できるといいつつ、すぐその後で意識は蜘蛛の巣のように複雑である、というのです。

そうして睡眠時の説明もしていました。寝ている時の脳は先ほどの蜘蛛の巣は張られていなくて、起きるとその蜘蛛の巣が張られた状態になり、意識が(脳内で)また生まれるということをいわれるのです。

だから、この数式で行くと意識がないと思われる状態でも、意識があると思われるというのです。

だから脳がなくなる時(死ぬ時)意識も消えるというわけです。(だから人間は死ねば無になるといいたいのでしょう)

そうして死ぬ間際の神秘体験も、脳の辺縁系(へんえんけい・科学者しか分からない部分ですね)が作用して白昼夢のような体験もするし幸福感も味わえるというのです。(このような体験は、ただの夢のようなものだということです)

つまり臨死体験は全部脳の作用で起きると結論付けているのです。

しかし、この番組の最後に、そのような科学を少しだけ否定して、そのような科学だけでは説明がつかないといいつつ、それでも最後はすべて脳の作用だといっていました。

結局、臨死体験はすべて脳の作用で行われているというのですが、このような番組は、ただの子供だましとしか私には思えませんでした。

なぜなら、脳の細かい部分だけクローズアップして、それ以外はずいぶん大ざっぱだったからです。(都合のいい部分にだけそれを当てはめ、都合の悪い部分は無視しているからです。いつものことですが)

例えば、最初の幽体離脱をして、病院で寝かされている自分を上から見ていた、という部分でもそうです。

脳学者は、脳のある部分を刺激すると幽体離脱のような感覚を覚え、その上から見ていたという話もいろいろな体験を重ねると、そのような体験を想像できるようになる、といっていますが、想像だけで、その時起きていたことが正確に分かるのでしょうか?

幽体離脱をして、上から自分を観ていたという人は、その時の寝ている自分を手当てしている医者から看護師から、自分の身内の誰がいたかまで正確に言い当てるのです。

それこそ上から見ていないと分からないことまでです。(その時、手当てをしていた看護師の髪の毛に刺していたピンの数まで、正確に言い当てた人までいるくらいですから)

それに意識がなくなって、それから意識が戻り、すぐにそういう話をされる人も臨死体験者の中にはたくさんいるのです。

別に、この世のいろいろな体験などしなくても、その時行われていたことを、そのまますぐ正確にいえる人が臨死体験者の中にはいくらでもいるんですから、その部分だけとっても、昨夜の脳学者の意見では説明がつかなくなります。

それに睡眠時の説明でも、起きている時に脳の中で意識が生まれ、寝ている時はその意識がなくなるということをいいますが、それでは睡眠時の説明にまるでなっていません。

なぜなら人は睡眠をしないと死ぬからです。(よく三日も四日も徹夜したという人がいますが、もし人が本当に三日も四日も寝ていなかったら、エネルギー不足となって疲れで死んでしまいます。そのようなことをいう人も、どこかで少しづつでも寝ているのです。だから死なないのです)

それは、徹夜をすると別に体を使ったわけでもないのに、非常に疲れます。なぜ、寝ないという行為だけであれほどの疲れが体に来るのでしょうか?

寝ているのを、単に体を休めているだけと見るのは間違いなのです。体を休めるのであればジッとしていればすみますが、人は疲れると必ず眠くなるのです。これはどういうことでしょうか?

その睡眠の本当の意味を科学者は説明できないのです。

睡眠時のことがよく分かっていないのですから、そのような肉体の作用だけ見て、意識が脳にあるだのなんだのいえるわけがないのであって、人が睡眠を得るということの本当の意味をしっかりいえないと、そのような肉体の作用もしっかり分からないということになります。(では、脳に意識があるのかないのかもよく分からないということになります。そのようなことがまるで分っていないのですから)

それに神秘体験も白日夢のようなものといいますが、そのような神秘体験や心が天につながっているのではないか、と思える体験を次々にしている私のような者もいます。(鳥や魚が寄ってくるということは、科学で説明がつくことなのでしょうか?)

このような自分の体験を考えますと、意識すなわち心とは、脳内でできているというわけではなく、やはり天とつながっていると思えてなりません。

そうして、神は存在し、あの世も存在し、そうして人の輪廻転生も起きている(これは高橋先生のビデオが証明していますが)と思わざるを得ません。

それだけの不思議な体験を私はしているからです。

このような唯物無神論そのままの、あの世の体験である臨死体験を否定する番組は、もう参考程度にとどめておいた方がいいでしょう。このような肉体のみを対象にして、不思議な体験を無理やりそのような意見に重ねてしまうのは、やはりもう無理があると思うからです。

そのように思える現象が次々に起きているからです。

神はあり、あの世はあり、そうして臨死体験は脳の作用でも錯覚などでもなく、もう一人の自分(霊体・光子体)が肉体から抜け出て、やがて帰るべきあの世のことを実体験しているものである、ということです。

そうして、そのような体験こそ宝であり、いずれすべての人が体験するべき経験であるということです。

臨死体験をただの脳の作用などという、間違った番組などもうたくさんです。

そうではなく、早くそのような臨死体験者がいわれる心に、私たちはならなくてはいけないのです。(臨死体験をした人は皆神を信じるようになり、愛深くなるといいます。そのような心にならなければいけないのです)

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