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2015年1月

1月 04 2015

偉大な教え

福井、富山などの日本海側は大雪になっているようです。

京都も六十一年ぶりの大雪になったとのことですが、今年は暖冬という気象庁の予報もどこへやら、各地大雪の被害が相次いでいます。

最近の天気は、少し先はどのようになるか分かりません。(気象庁でさえ外しまくっていますから)今年も「災」には悩まされそうです。

名古屋も昨日はサイレンがよく聞こえていました。(これも「災」ですよね。災いの「災」です)

昨日は久しぶりに天気がよかったので(元日と二日は名古屋も雪でしたから)私も名古屋城の辺りに行き、お堀にいるカモメや鯉を撮影してきました。(よい動画が撮れました)

しかし、そのような鳥や魚たちと違い、あの辺りにいた人たちの私の見る目の悪いこと悪いこと、今年もまたたくさん嫌がらせされそうです。(昨日もされましたし)

あれだけサイレンが聞こえてきては(名古屋城の辺りでもよく聞こえてきましたから)そうなるんでしょうが、それにしても変わりません。いつまでこのサイレンを私一人のせいにしているんでしょうか。

これでは今年も「災」は激しくなることはあっても、収まることはないでしょう。誰も心を変えようとしないからです。

多くの人の目の前で、鳥がたくさん集まってくるという奇跡が起きているのですから(まったく餌など与えないのにです。餌をやる人に鳥が集まるということは起きますけどね)そういう現象を認めればいいのに、それは全部無視して悪いことだけ私のせいです。

そんなことをしていては名古屋のサイレンは止めようがありません。

私は多くの人の心を救っているのです。(神からあの世から人の輪廻転生から教えてです)さらに鳥や魚がたくさん集まってくるという奇跡まで見せていて、さらに人としての正しい心の在り方まで毎日のように説いています。(このブログでです)

名古屋の人々は、このブログを読んだことがある人が多いと思いますが、私に心を救ってもらい、そうして奇跡まで見せてもらい、さらにいろいろなことを教えてもらっていて、それには一つも感謝せず、私一人を悪者にして嫌がらせをし続ける。

一体どれだけ悪事を重ねれば気がすむのですか?

よくこれだけ自分勝手なことが出来ると驚きますが、これだけの悪事を日々続けていて、それでも「自分たちは何も悪いことをしていない」ですか……本当に気は確かでしょうか。

私からすれば、とてもまともとは思えないほど自己中な考えでありますが、これが現在の名古屋に住むほとんどの人たちの考え方なのです。

これでは天罰が下らない方がおかしいと思えますが、そこはどうなんでしょうか。

しかし、大丈夫ですか、名古屋の皆さん。この名古屋で起きているサイレンを止めることが出来るのは、もしかしたら私だけかもしれないのです。(だって誰も止められないですもんね。このサイレン)

それなのに名古屋の人たちは、その救い主を、よってたかってこのサイレンの犯人に仕立て上げ、悪魔にしてしまっているのです。

唯一の救い主を、悪魔にしてしまっては名古屋が救われる道がなくなります。

もしかしたら名古屋の人たちは、大変な間違いを犯しているのかもしれないのです。

私が救い主なのか、それとも悪魔なのか、それは鳥たちが教えています。(気の小さな鳥たちが悪魔に寄って行くでしょうか?救い主なら、気の小さい鳥たちでも喜んで寄って行くんでしょうが)

これだけ多くのサイレンを一人の者がやれると思いますか?もう一度冷静になってよく考えてみてください。名古屋の人たちは、たった一つの救いの道を自ら断ち切っているのかもしれません。(そうなると救われる道がなくなってしまいますが…)

しかし、どちらにせよ、名古屋の多くの人の考えが大きく変わったことは事実です。これだけ多くの人が、名古屋の町に毎日響くサイレンを、私一人のせいにしているのがそのよい証拠です。(少し前なら、このような現象を、たった一人の者のせいにするなど考えられないことでした)

このように、この教えは名古屋を中心として東京や大阪のような大都市から、日本全国に拡がりつつあります。

しかし、現在の日本の人々は、大きく考えは変わりつつありますが、まだ考えを変えただけの人ばかりで、行いを変えた人はほとんどいません。(心と行いを変えた人は、わずか二人くらいです。本当に惨憺たる状況です)

だから、現在の日本には他の国以上の「災」が起きているのです。その考えを変えた人が行いをいつまでたっても変えようとしないからです。

しかし、唯物無神論であった日本の人たちの多くが、唯心有神論に近い考えに変わってきたということだけは事実なのです。

あれだけ頑なに、唯物無神論を信じ続けてきた日本の人々が、唯心有神論に考え方が変わってきているのです。これはまさに驚天動地の出来事なのではないでしょうか。

時代が変わってきていますので、それに合わせた現象が起きているとはいえ、頑なに唯物論を信じていた日本の人々が考えを変えつつあるのです。この事実一つとっても、法とは本当に偉大な教えであると思われないでしょうか。

それほど偉大な教えを聞いていて、それを行おうとしなければ、当然「災」は起こります。

この偉大な教えである法は天さえも動かすからです。(釈尊、キリスト、モーゼが説かれた教えはそれほど偉大なのです)

その法に従おうとしないのは人の道に外れているのです。だから「災」が起きてくるのです。

いつまでも自分の小さな考えの中にとどまっているのですか?いつまでこの世の栄耀栄華だけに浸っているのでしょう。

それではいつまでたっても、この法を理解することはできません。法は行ってこそ、その効力を発揮するからです。頭の中の知識をつけているだけでは何も分からないからです。

法は行いの中にこそ生命が宿るのです。早く自分の心を変え行ってください。

そうすれば、この「災」はなくなるからです。

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1月 03 2015

モーゼとキリストの心

去年の話ですが(六月くらいに)ノアの箱舟(ノア 約束の舟)の映画が日本で公開され、今度はモーゼの映画(エクソダス;神と王)も公開されるようですね。(たしか今月末頃ですよね)

このモーゼの映画はいろいろいわれていますが(映画のキャストが人種差別丸出しだとか〔神やモーゼや王を演じる役者はみな白人で、盗賊や奴隷を演じる役者がみな黒人〕モーゼが海を二つに割るシーンが奇跡ではなく、地震によるものであるとかです)旧約聖書の出エジプト記を題材につくられたもののようですから、モーゼやモーゼの起こされた奇跡の迫力あるシーンは観られると思います。

そうであるなら、モーゼという人物を知るうえで、やはり観た方がいいのではないかと思われます。

人種差別や、いくつかの奇跡を偶然のように撮られていても、それは仕方がない部分もあるでしょう。まだそのような時代だからです。(未だ人種差別はあり、科学がすべてと勘違いしている人も多いからです)

しかし、このような映画が公開されるということが大きいのであり(神の心を、神の奇跡を多くの人が思いだすことになるからです)日本でも多くの人が、このような映画を観ることを望んでやみません。

要は、このような映画がヒットした後、モーゼとはどのような人物なのか、モーゼの大奇跡は本当に起きたのか、それを明らかにしなければいけないのが、法を知る人なのです。

法を知っている人は、あの映画はよかった、感動した、で終わらせてはいけないのです。そのような映画の奇跡は本当に起きたという、その証明と、そうしてモーゼの本当の心を多くの人に知らせないといけないのです。

それが法を知る人の使命と役割だからです。

実際に、現在のユダヤ教にしてもキリスト教にしても、モーゼやキリストの心が、そのまま伝わっているわけではありません。

もし、モーゼやキリストが説かれたことが、そのまま正しく伝わっているのなら、モーゼやキリストが起こされた奇跡と、同じ奇跡が現代でも起きなければいけないからです。

モーゼやキリストと同じことを説いている人がいるなら、当然ではありますが、天が(天上界が)その人に、モーゼやキリストにしたことと同じことをしてくれます。天が同じことをしてくれるなら、モーゼやキリストと同じ奇跡が起きるはずです。

しかし、現在、モーゼやキリストと同じ奇跡を起こせる人はいません。では現代に、モーゼやキリストと同じことを説いている人、同じ心を持っている人はいないということになり、ということは現在のユダヤ教、キリスト教では、モーゼやキリストの心を正しく伝える人はいないということになるのです。

モーゼやキリストの心を、正しく伝える人が現代にいないのですから、だから映画の制作も、そのまま奇跡を奇跡として撮らない部分もあるでしょうし、人種差別もあるのです。

モーゼやキリストの心を、そのまま映画に反映出来ないのです。モーゼやキリストの心をしっかりと具現出来る人がいないからです。

その足らない部分を足してあげるのが、私たち法を知る者の使命なのです。

現に法を知っている者には奇跡が起きています。それに当然ではありますが人種差別などもしません。(ただし役割の違いはいいますが)

だから法を知っている者は、モーゼが起こされたあのような奇跡は実際に起きた、と主張も証明も出来ますし、くだらない人種差別などということをいつまでやっているのですか?という意見もいえるのです。

私を知っている人は、そうなるのではないでしょうか。あのモーゼの大奇跡も起きたと確信できるでしょうし(実際にそのような奇跡が次々に起きているからです)人種差別がよくないということも分かるからです。(このブログを読んでいればです)

モーゼやキリストの心を知るなら、同じような奇跡は現代でも起きるのです。(現に私には起きています)ただ、現代の人は、モーゼやキリストの心を正しく知らないだけなのです。

モーゼやキリストの心を正しく理解していなければ、天は、モーゼやキリストと同じことはしてくれません。だから、同じ奇跡が起きないのです。しかし、モーゼとキリストの本当の心を知って、それを実践するなら、そのようなことをしているすべての人に、天はモーゼやキリストと同じ協力をしてくれます。

そうであるなら、モーゼやキリストと同じ奇跡が誰にでも起きるということになり、そうであるから、そのモーゼとキリストの本当の心を知らないといけないのです。

そのモーゼとキリストの心を正しく伝えているのが、この法なのです。(だから同じような奇跡が起きるのです)

肌の色が違うだけで人を差別するなど愚の骨頂でしょう。肌の色が違うだけで、人の良い悪いが決まるわけがないではないですか。現にモーゼやキリスト、あるいは釈尊も白人ではありませんでした。

それを考えるなら、逆に白人の方が偉大ではないと思えるのではないですか。肌の色で人を差別されるのならです。

しかし、モーゼやキリスト、釈尊は心が大事であるといわれたのです。その心の違いが人としての唯一の違いなのです。

モーゼやキリストは人間平等を説かれました。それなのにユダヤ教やキリスト教を信仰している人たちが、人種差別をしているようでは「モーゼやキリストの心をまるで分かっていない」といわれても仕方がないのではないでしょうか。

子供ではないのですから、単に肌の色が違うだけで人を差別する方がよほどおかしいのです。

また、モーゼの大奇跡を信じられないというのは、それは自分たちがしっかり信仰ができていない証拠なのです。日本の人々など大して信仰をまじめにしていないにもかかわらず、そのような奇跡を信じる人がたくさん出てきました。

日本には法(本当の神の教え、即ちモーゼやキリストが説かれた本当の教え)が存在するからです。

法が現れれば、日本のような唯物無神論などという、神から観れば、これだけ傲慢不遜な人たちはいないと思われる国の人たちでさえ、モーゼの大奇跡を信じるようになるのです。

それだけ法とは偉大なものだからです。(それだけモーゼやキリストが説かれた教えも偉大であるということです)

アメリカ、ヨーロッパの人たちも、この法を学ばれたらいかがですか?このような日本の人たちでさえこれだけ変わるのです。そうであるなら元々神を信じている、アメリカやヨーロッパの人たちはどれだけ変わるでしょう。(想像がつかないほどです)

法を学ばれるなら、せっかくのモーゼの映画を、人種差別や奇跡をしっかり描かないということで汚すこともないでしょう。

どちらにしても、この法を世界に拡げなければいけません。

それには、ノアの箱舟にせよ、モーゼにせよ、聖書を題材にした映画がつくられるのはありがたい話です。

このような映画が出来たのです。では、そのモーゼと同じことを説いて、同じ奇跡を現す者もいるということも知っていただきたいものです。

そうすれば、本当のモーゼの心と本当のモーゼの大奇跡が実感として分かるからです。

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1月 02 2015

使命ある人々

さて、新しい年も始まりましたが、何ですか、この天気は。

年明け早々、各地で荒れた天気になり、日本海側など大雪のところもあるそうですが、今年は初めからこれですか。「災」に始まり「災」で終わる、などという年にならないか心配ですね。

名古屋もずいぶん雪が降っています。一面真っ白です。昨日も雪が降っていましたが、先日の大雪に続いての降雪です。これだけ雪の多い冬も珍しいですね。(名古屋はこんなに頻繁に雪が降りましたっけ?)

一変に名古屋の天気が悪くなったように感じます。こんなに極端に名古屋の天気が変わってしまうのですから、本当に恐ろしいことです。また解散総選挙をしてもらえないでしょうか。(安倍総理のことです。年明け早々、またサプライズで解散総選挙をされるかもしれません…さすがにそれはないですね〔笑〕)

今年は統一地方選もあります。あまり共産思想の議員を当選させてはどこもこのようになります。そこは気をつけた方がいいと思います。

ちょっと去年の大晦日のことを書きます。不思議なことがあったからです。

あの大晦日の日は、この辺りは昼まで晴れていたのですが、夕方になると急に雨が降りだしました。(六時半頃だったと思います)

私は傘を持っていなかったので、雨宿りをしながら小走りに家に帰る途中のことでした。家の近くまで来ると、黒い物が急に私の方に飛んできて私のすぐ前でUターンをしたのです。

「なんだ?」と驚いてそちらを見ると、なんとそこにコウモリが飛んでいたのです。

まったく不思議でした。十二月三十一日のしかも雨が降っている日にコウモリが飛んでいるのです。

私は夏でも、雨の日にコウモリが飛んでいるところを見たことがありません。それがこんなに寒い、真冬の雨の日にコウモリが飛んでいるのです。

「…?、何でお前いるの」と思い、私は雨の中、思わず立ち止まってそのコウモリを見ていました。

そのコウモリは、しばらくその辺りを飛んでいて、どこかに行ってしまいましたが、まるで私に今年最後のあいさつに来たように思えました。(「いろいろ今年は楽しかったです。来年もまたよろしくお願いします」みたいな感じでです)

そういう見方が正しいかどうかは分かりませんが、動物は私たちが思っているほどものを知らなくはありません。(それは私の動画を観れば理解していただけると思います)表情に現さないだけで、心ではいろいろなことをちゃんと知っているのです。

去年の最後に、改めてまたそのことを教えられた、私はそのような気がしてなりませんでした。

そうして教えられたといえば、その後の紅白歌合戦でもあることを教えられました。

それは、あの紅白歌合戦に出ていた歌手の中で、私と縁の深い人たちもいるということでした。(あの、パニュエルの応援歌みたいな歌を歌っていたグループなどそうみたいです)

しかし、どれだけ縁があっても、それに気づいて自分で立ち上がらなければ、自分の本当の使命を果たすことはできません。今生は特に難しい修行を皆しているようです。(だから、高橋先生や園頭先生と縁の深かった人たちが、次々に失敗しているのです)

自分の使命に自分で気づいて自分で立ち上がる、そうしなければ、自分の本当の使命は果たせません。人にいわれる、いわれないではないのです。自分で気づいて自分でするのです。

今年は、多くの人が自分の本当の使命に気づき、それを行わなければいけない、その年末の出来事と、この年明けの天気は、それを教えているのではないかと思えてなりません。

すべてこの世に起きることにはわけがあります。偶然起きているわけではないのです。

では、年明け早々これだけ荒れた天気になるには、なるだけの理由があるということです。

その(本当の)理由に、一人でも多くの使命ある人が気づかなければいけないでしょう。使命のない人は、逆立ちしたって気づかないからです。

今年も不思議な一年がまた始まりました。

今年は動物の不思議ばかりではなく、人間の不思議(奇跡)もぜひ見たいものです。その不思議を現すためには、自分の本当の使命に気づき、それを行わなければその不思議は現れません。

一人でも多くの人が、今年はその不思議を体験してもらえることを願ってやみません。

しかし、その不思議を体験する人が多ければ多いほど、この世は救われて行きます。

今年は「災」から始まりましたが、最後は不思議の「不」か奇跡の「奇」で終わりたいものです。

どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

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1月 01 2015

今年もよろしくお願いします

明けましておめでとうございます。

紅白歌合戦を観ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。(酒も飲んでいましたし)今回は本当によかったと思います。近年にないくらいです。(…ずいぶん失礼です)

その感想は後日また書くということで、ウナッシーさんから年内最後の質問をいただいていたようです。

年内最後の質問であるなら、年内に答えなければいけなかったのですが、メールを見るのが遅くなりいま気づきました。申し訳なかったです。

お母様が少々ボケが来られたそうですが、私の父もボケたのですが、祈り導かれるままに行った結果、ほとんど私たち家族に迷惑をかけることなく亡くなりました。

ウナッシーさんは、お母様とはいろいろおありだったようですが、そうであるなら、より愛をご兄弟の方とともにお母様に注いであげられるとよいと思います。(それがどのような方法がよいのかはご家族でお話ください。そのやり方が一番良いからです)

どれだけボケようが、しっかり愛をお母様に与えられるなら、お母様は感謝されます。

神に祈りながら、それをされるなら必ずベストの方法が導かれます。

その導きに従い行われるなら、ウナッシーさんたちにとって、そうしてお母様にとって一番良い結果が与えられると思います。

お母様には愛を与えることが、一番の親孝行であると思います。その心さえ忘れなければ神の導きは必ずあるでしょう。

またお母様のことでなにかありましたらご連絡ください。

どうぞ、ウナッシーさんはじめこのブログを読んでいられる方々、今年もよろしくお願いいたします。

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