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2015年9月

9月 30 2015

奇跡と災い

昨日はずいぶん奇異でした。

昨日私は午後から名古屋港に行きました。そうして名古屋港で海に向かって呼びかけましたが、たいして魚も跳ねなかったものですから水族館に入りました。

水族館に入ると何か面白い態度を取る動物たちがいるからです。

昨日も、ベルーガやシャチ、小さい小魚たちが面白いことをやってくれました。イルカやペンギンたちも相変わらず可愛いんですが、似たような動画をあまり撮っても仕方ありません。

だから変わった動きをするものだけを動画に撮っているんですが、ある小魚たちで(ボラかなんかだと思うんですが)跳ねるのがいたものですから、それを動画に撮り(海や川なら跳ねる魚をたくさん見ていますが、水族館で跳ねるとは思いませんでしたので)ベルーガやシャチは面白い動きをしていたから動画に撮ったのです。

ベルーガやシャチは体が大きいですからね。少し変わったことをするだけで大騒ぎです。(笑)

ベルーガは、私が他のベルーガを撮っていたら(飼育員に調教されているベルーガがいたものですから、面白いんでそれを撮っていました)その画面に無理やり入ってくるのはいる、私の方に向かって泳いできてブッシュブシュ頭から水を出しているのはいると、なかなか面白い場面が撮れたのですが(ベルーガなど大きいものですから〔七、八メートルくらいあるみたいです〕何か近くに来るだけで迫力があり、恐竜を撮っているみたいでした)シャチはそれほど面白いような場面ではなかったのです。

ただ水中で止まって私たちをジッと見ているだけでしたから。(そういうところはもう撮りましたし)

ところが、そのシャチが水中に止まってこちらをジッと見ていたら、それを見ていた周りのお客さんがやたら騒ぎだしたのです。(シャチはわりと人気がありいつも何人かの人がシャチを見ています)

「何で」とか「凄い」とか、いいながらみなパチパチ写真を撮り始めました。

最初は何が珍しいんだろうと、その騒ぐ人たちを見ていた私でしたが、見ていた人たちがあまりに騒いで写真を撮っているので、段々私も「撮らないといけないのか?」と思えてきて、それでつられて動画を撮った次第です。(笑)

しかし、心が変わるならシャチたちはもっと面白い態度を私たちに見せてくれます。(現に私は、そのシャチが水中で逆立ちしたり、クルクル体を回したり、二頭で元気よく泳ぎ回ったりしているところを見ています。もちろん動画にも撮りましたが、その時も周りで見ていた他の人たちは「凄い」とかいって騒いでいました。私から見たら普通の風景ですが〔あまりにこういうことばかり見せられるので不思議とも思わなくなりました。それではいけませんね〕動物たちがこのような動きをするだけでも奇跡なのですね)

そういう楽しみが増えるという意味でも(それはどこにいる動物でも同じです。どこにでもいる〔すずめや魚などの〕動物たちであろうと、水族館、動物園にいる動物たちであろうとです)早く心を変えられた方がいいと思うんですが、奇異であったのはその帰りのことです。

水族館を出た私は、帰りは(よほど疲れていない限り)歩いて家まで帰ることにしているのです。(行きは地下鉄など乗って行きますが)

水族館から家まで歩いて一時間半くらいですので(だから五~六キロくらいだと思います)歩いて帰るにはちょうどいい距離だからです。

そうして歩き始めたのですが、三十分、四十分と歩いても妙に静かなのです。

私の横をもう何台かのトラックは走りにぬけて行きました。いつもならブシュブシュやられてもおかしくはないのですが、全然やっていきません。

「あれ?なんか変だな」と思いつつ歩いていました。

そのうちに広い通りに出ました。ここはバスからトラックからよく通るので、ここはうるさいだろうと思っていましたが静かなものです。

やはり変だなと思い、止まっているバス(そこらはバス停がたくさんありますので)などに「オイオイ、お前ら癌でも出たんじゃないのか」と声をかけていきました。

いつもなら、そんな声を聞けば、即座にバスの運転手にブシュとやられます。しかし、昨日は誰もしなかったのです。それどころか「癌」という言葉にやけにビクビクしています。

「本当に癌になる奴がたくさん出てきたんじゃないのか?」私は一人ブツブツいいながら歩いて行きました。

それにしても変です。私の横をバスだけではなくトラックも何台も走って行くのですが、誰も何もやっていきません。(そんな広い通りを歩いていたら、いつもならガンガンにやられています。それが普通なのかもしれませんが、私からしたら急に誰からも相手にされなくなったような〔そんなドラマたまにやっていますが〕そういう感覚でした。〔笑〕)

最後は「どうしたんだお前ら」「私はここにいます」とか、走って行くトラックに声をかけながら歩いていました。(逆に不安で。〔笑〕)

しかし、結局、一号線と太平通りが重なるかなり交通量の多い交差点では、二、三のトラックがブシュとやっていきましたが、それ以外の場所では、それらしいことを(音がしたかしなかったか微妙にやっていく運ちゃんは何人かいたようですが)されなかったのです。

一時間半も外を歩いていて、それでほとんどそういう嫌がらせをされなかったなど何年ぶりでしょう。(笑)

それくらい珍しいことが昨日起きたのです。(だから昨日は奇異であったと最初に書いたのです。まるで世にも奇妙な物語にでも出演しているようでした。〔笑〕)

それにしても変ですね。遠くを走るトラックは最近しなくなったのですが、私の近くを走るトラックなどみな意地になってブシュブシュやっていたはずですが、それまでやめてしまうとは一体どうしたのでしょう?

昨日はたまたまだったのかもしれませんが、まさか、そのような意地になってやっていた運転手連中にまで、癌が出たということではないでしょうね。(それもたくさんの人にです。一人や二人に出たというのならあれほどの態度は取らないと思うんですが〔それにそういうことでもなければ一変に態度が変わるなど考えられませんが〕…だとしたらかなり怖いんですが。〔汗〕)

そうとしか思えない態度ですが、もし、そのようなことまで起き出しているのなら悪いことはいいません。早く詫びを入れられた方がよいのではないでしょうか。自分が癌になってからでは遅いからです。

どこかの会社もそうでした。最初は月に一度くらい、それが週に一度くらい起きるようになり、最後には毎日何か起き出したのです。(昨夜も何か起きたようです。〔昨日の午前中もそうでしたが〕今日は妙に静かです。そうして所々で切れるのです。やってる態度が毎日変わります。情緒不安定そのものです)

とにかく起きる現象が激しくはなっても、収まることはないのです。

神の業とはそのようなもので、起きている人たちが反省しない限り収まることはないのです。もし、そんな激しい現象が現れてきたとしたら、かなり危ないからです。

もう聖書に書かれたことと同じようなことが起きているのです。(もしかしたら、それ以上のことが起きているかもしれません)

これが脅しでもなんでもないということは(他の地域の人は分からなくても)この辺りの人たちは分かるはずです。

悪いことをしているのはあなたたちなのです。

悪いことをしていないのに謝れといっているのではないのです。悪いことをしているから謝ったらどうですかといっているのです。

そうしないと収まらない現象が起きているからです。

神の教えに関わるとはこういうことなのです。(よいことをすれば奇跡が、悪いことをすれば災いが、必ず起きてくる)

最近は、挨拶をしてきたり(こんにちはとです)私を見て頭を下げる人たちが増えてきました。(急にそんなことされても、こちらも対応できず無視したり「ハァ」という顔をする時もあるかもしれませんが、そのような態度も、その対応になれるまではご了承ください)

私に何もしていない人たちはそれでも構いませんが、私に嫌がらせをした人たちは、そんなことをしたくらいで許されるものではありません。

嫌がらせをした小学生、中学生までは詫びを入れるだけで許されるでしょう。しかし、それ以上の人は詫びただけでは許されません。詫びて反省されるのと同時に何らかの協力はされないといけないでしょう。

そのような協力が集まり、神の教えがより説けるようになって初めて神はその罪を許され喜ばれるからです。

早くされた方がいいでしょう。今のままでは(今もまたサイレンがしていますが)災いは激しくはなっても収まることはないからです。

(奇跡と災い、この辺りは本当に極端な現象が現れています)

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9月 29 2015

合掌(がっしょう)

今日はまた朝から凄い怒りようです。(本当に毎日極端に態度が変わりますね)

昨夜も何か次々に起きていたようですからね。切れまくっているんでしょうが、しかし、神の業に切れますかね。

本当に罰当たりな人たちです。(でも、徹底的なブログのじゃまは出来ないようです。どれだけ突っ張った態度を取ってもやはり怖いんでしょう)

こちらも朝から嵐が吹いているんですが、あの台風21号は凄い勢力まで発達したんですね。与那国島で最大瞬間風速が81メートルを記録したそうです。

これだけの強風が吹くなど五十年ぶりくらいだそうですが、本当に最近の台風は勢力が強まっています。

ゲリラ豪雨は激しくなる一方、台風は強力になる一方、突風(竜巻)や梅雨前線や秋雨前線などによる豪雨も激しさを増しているんですが、それもこれもみな温暖化のせい……のはずなんですが、昨日のテレビで面白いことをいっていました。

なんとここ十年の平均気温は変わっていないそうです。

しかし、これだけ雨や風などの現象が激しくなったのはここ数年の話です。

この十年の平均気温は変わっていないのに、起きる現象は段々激しくなっている…これ本当に温暖化のせいなんでしょうか?

というか、温暖化のせいではないと証明されたのではないですか。だって、気温とは関係なく起きる現象は激しくなっているからです。(昨日のニュースの中ではサラッといっていただけですが、もしかするとこれ世界の常識を覆す発見なんじゃないですか?というか、やっちゃったんじゃないですか、学者がつくりだしたこじつけ話の間違いの暴露をです)

マァ、それでもなんだかんだ細かい部分をほじくりだして(一部分をさも全体のようにいって)今起きている現象の激しさを学者連中は温暖化に結びつけ、自分たちのいっていることを正当化するんでしょうが(そういうの得意ですから。〔笑〕)私が前からいっているように、この激しくなる一方の現象は温暖化のせいではありません。

皆さん方の心が神から離れれば離れるほど、起きる現象は激しく強力になり、神の心に近づけば近づくほど、起きる現象は弱まっていきます。

早く多くの人が神の心(法)を知ることです。そうすれば、この異常気象(もちろん他の異常現象もです)は収まるからです。

昨夜はスーパームーンでした。家への帰り道、大きな月がよく見えました。

あれだけ大きな月がよく見えると、何か神々しく思わず合掌したくなりますね。(笑)

私たちは神や仏に祈る時、みな合掌しますが、この合掌するということも深い意味があるのです。

合掌して神(仏)に祈りを捧げる時は、みな胸の前くらいに手を合わせ、そうして祈ると思うのですが、この時に手を合わせない人はいないと思います。(例えば、手をぴったりとつけずに少し離して祈るとか、大きく離して祈るとかです)

また手を合わせるにしても、その合わせた手を体の中心ではなく、少し横にずらして祈る人もいないと思います。(例えば、右にずらしたり左にずらしたりです。まさか自分の心臓の前〔ということは少し左にずらすということです〕で手を合わせて祈るという人もいないでしょう。〔笑〕)

みな必ず合掌する時は、自分の中心に手を持ってきて、そうして手をピタリと合わせて祈るのです。

これはなぜだかお分かりですか?

このような態度が一番自然であるから、などという理由ではありません。ちゃんとした理由があるのです。

合掌する時、手を体の中心に持ってくるのは、どちらにも偏らない中道を現しているのです。そうして手をピタリと合わせるのは調和を現しています。

つまり、合掌している姿は、中道と調和を現しているのであり、合掌するその行い自体、すでに神の心を体現しているのです。

だから合掌する時、手を合わせなかったり(これは不調和を意味します)手を合わせても、その手を中心ではなく右か左にずらすようなことはしないのであり(どちらかに偏ってしまっては中道でありませんから)もし、そのような態度で祈るのであれば、そのような態度は、祈りの態度としては不遜以外の何ものでもないのです。

このように合掌するにしても、その姿は神の心をそのまま現しているのであり、その姿の現すまま、どちらにも偏らない中道の心で調和ある祈りをしないといけないのです。

そのような中道と調和する心を誰もが持つなら、この異常気象は収まってきます。多くの人が偏った不調和な心ばかり持っているから不幸が起きるのです。(それと責任転嫁もやめましょう。天変地変もすべて自己責任です)

何か腹が立ったような時は、合掌し(神の心を体現し)心を落ち着けて、その腹が立ったことを神に祈ってください。(キリストも汝を責め憎む者のために祈れといわれているくらいですから)

そのような思いと行いこそが神仏に通じ、それが自分自身をも救うことになるのです。

合掌。

(どこかの会社も急に静かになりました。〔また何か起きたんでしょうか?〕ここに書いたことと反対のことをしているのです。では逆のこと〔災い〕が起きるのは自明でしょう)

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9月 28 2015

世界を救うには

今日もまた異様な静かさです。(たまに切れますが)もうこの辺り雰囲気重すぎですね。(どこかの会社の連中のせいなんですが)

このような雰囲気では、いるだけでストレスがたまって癌になりそうです。(苦笑)いい加減反省してほしいものです。それ以外、救われる道はないからです。

それにしても、あの台風21号は猛烈な台風に発達しているようですね。

あの台風がこちらに来なくてよかったですね。もし、最初の予想通り本州方面にあの台風が来ていたら(あれほどの発達はなかったかもしれませんが)台風が直撃しなくても、台風からの湿った空気やら何やら流れ込んできて、また秋雨前線が刺激され各地で大雨になっていたかもしれません。

まだ関東、東北豪雨の影響が残っているのに、また異常な大雨が各地に降れば、どこにどれほどの災害が起きたか分かったものではありません。とにかく向こうに行ってくれて助かりましたね。

台風の進行方向である石垣島とか台湾の人たちは大変なのでしょうが(台湾も大雨被害が出たばかりだそうですが)残念ですね。そちらにも法が伝わるなら、大きな災害は防ぐことが出来るからです。

このような現象まで起きているのです。(台風が予想外のコースに進む)災害が起きない方法をもう少し真剣に考えられてはどうでしょう。

最近は癌になる有名人が多いようで、テレビでは癌の検査のことをよくやっているようですが、検査などいくらしても癌になってしまっては意味がないのです。

癌の予防の方をもう少し真剣に考えられてはどうでしょう。癌も天変地変も(心の在り方で)防ぐことが出来るからです。

この前サウジアラビアのメッカで、巡礼中に人が折り重なって七百人以上の人が亡くなるという事故が起きました。

このような巡礼でも同じでしょう。このメッカには何百万という信者が集まっていたのです。その宗教が正しければ(これだけの信者が集まっているのですから)その場には奇跡が起きないといけないのです。

しかし、奇跡とは逆の災いが起きているのです。(こういう事故も災いの一つです)

巡礼中であるなら奇跡が起きるのが当たり前なのであり、災いが起きるということがおかしいのです。(釈尊やキリストが、この場にいられたら当然奇跡は起きるでしょうから)

では、その宗教は正しいのか?という疑問を持たないといけないのです。

正しい宗教を信仰するのであれば災いは起きないのです。

現に私の周りでは、その正しい宗教を信仰している私にだけ奇跡が起き、その宗教に関心がない人、逆らっている人たちには奇跡的なことなど何一つ起きないどころか、災いまで起きているのです。

これ以上、ここに書いていることの正しさを証明する現象もないわけです。

では、皆が私と同じ教えを勉強するのであれば、災いは起きなくなり奇跡が起きてくるということになります。

別に宗教と考えなくてもいいのです。(日本で宗教というと胡散臭く〔うさんくさく〕思われますから。それだけおかしな宗教が多いということです)それこそ、天変地変を起こさなくする防災法、減災法でも、病気を予防する予防法でも何でもいいのです。

呼び方、思い方は何でもいいのです。要はこの教えを勉強すればいいのです。

とにかくこの教えを勉強し実践するなら、そのようなことの予防が出来なおかつ奇跡まで起きるのです。(それは私が証明しています)

これ以上の教えはないのではないでしょうか。

これほどの教えが日本に(日本だけに)存在しているというのに、なぜいつまでもその教えを無視しているのですか?その教えに逆らっているのでしょう。

日本だけではなく、世界中で起きている災いに心を痛めている人は多いと思います。その悲惨なことを目にしてボランティアや寄付などの行為をする人も多いと思います。

そういう行為をする暇があるなら、この教えを勉強し世界に伝えられたらどうでしょう。多くの人がそのような行為をしてくれるなら世界が救われるからです。

何をしたら(自分も含めた)世界が救われるのか、それをもう少し真剣に考えられてはいかがでしょう。

本当に世界を救いたいのであれば、この道しかないからです。

日本を含めた世界から悲惨な出来事をなくしたい、悲惨なことが起きている人たちの力になりたい、そのような愛と慈悲の心が少しでもあるなら、この法を拡げることに協力されることです。

その行いこそ、真に世界を救うものであるからです。

追伸…昨夜久しぶりに園頭先生の夢を観ました。

その夢とは、園頭先生の講演会があるところで行われていました。その場所に行くと、すでに園頭先生が、その講演会に来てくれた人たちと話をされていました。

園頭先生は周りの人たちとニコニコ笑って話していられます。(先生が着ていられた背広は黒に白い線が入ったものでした。最近はよくそういう背広を着ている人たちをテレビで見ます。「やはり先生も、テレビに出ている人たちと同じような服を着られるんだなぁ」とやけにその背広が印象に残っています)

私が先生の近くまで行き、他の人たちと話していると先生はしきりにこちらを意識しているようでした。

そのうちに先生が、他の人と話しをしながら段々私に近づいてきて、ニコニコしながら私に話しかけて来られました。私は畏れ多いと思いながら恐縮して話をしていました。

そうして園頭先生の講演が終わった後、私は一人講演会場を出たのですが、近くに私の知り合いの人たちがたくさんいて、何人かの人に園頭先生のご本を買ってきてほしいと頼まれます。

「いいですよと」と安請合い(やすうけあい)したのはいいんですが、その本の数が多くて数十冊も頼まれてしまいました。

それでまた講演会場に戻ったんですが、本の数が多いのと、その本の代金を私はもらい忘れていて、仕方がないので私が自分のお金で支払って、バタバタしているところで目が覚めました。

目が覚めて思ったことは、今の自分の境遇とよく似ているなということでした。

いま私は、その園頭先生が説かれたことを多くの人に伝えているのです。それは、園頭先生のご本を多くの人に配っているのと同じことです。しかし、その代金はまだいただいていません。

昨夜観た夢は、今の境遇そのままなのではないでしょうか。(笑)

しかし、園頭先生があれだけ私を意識して、そうして笑って話しかけて来られたのです。

では、天上界で園頭先生は私がしていることを喜んでいられるのだなと思えるのです。

園頭先生が喜んでいられることが分かっただけでも私は満足です。(本当に法を勉強した意味がありました)

週の初めからすいぶんよい夢を観ました。

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9月 27 2015

神に対する無知さ

あの会社、本当にやばそうです。

昨日は午後の三時ごろ家を出て、夕方に帰って来たんですが連中の怒りようは尋常じゃなかったですね。(烈火のごとく怒っていました)午前中にも何か起き、それからまた何か起きたんでしょうか?もう恐ろしい現象が止まらなくなっているようです。

それに運転手連中も明らかに変です。

ブシュブシュもずいぶん減りました。近くを通るトラックは意地でやって行きますが、顔を見るとみな引きつっています。前のようにヘラヘラ笑ってやって行く人など一人もいません。

それにずいぶんブシュブシュに元気がありません。こちらの会社の連中も嫌がらせを未だ続けていますが、あまりに元気がないのです。

これだけやっていることが似ているのです。同じようなことが起きているのではないですか?

だとしたら、かなり危ない状況なのですが(分かりませんか?この危ない状況が)もし、同じようなことが起きているのであれば(残念ではありますが)私に詫びを入れないと、その現象は収まりません。意地を張らず心から詫びられたらどうでしょう。悪いのは皆さん方であるからです。

認めたくはないのでしょうが、一方的に嫌がらせをし続けたのは皆さん方の方なのです。

この事実は変わりません。少なくとも詫びを入れるのは当然のことなのではないでしょうか。どう考えても一方的な嫌がらせはしている方が悪いからです。

それは近所の人たちも同じなんでしょうが、もうその天罰は(どう考えても天罰です。悪いのはそちらの方なんですから)あちこちで起き出したようです。

どうですか?自分に起きる前に反省され、この辺りで何が起きているのか正直に公表されたら。

その起きていることを皆さんが公表されたら(今はもうネットがあるのですから何人かの人が公表したら、その噂は一変に拡がります)この名古屋は多くの人に注目されるでしょう。

日本は東京一極集中だけではなく、大阪の都構想だけではなく、名古屋にもこれだけのことが起きているとです。

あまり、こういう現象を話題にするのはよくないのかもしれませんが、誰か何か始めないと、このままでは名古屋のより多くの人に神の業が現れることになると思うからです。

結局、今のままだとどれだけ神の業が現れても、それでも誰も詫びを入れようとしない、そういう状況が続くと思うからです。

あまりに神の心から遠い人ばかりであるため(それは即ち我が強い人ばかりであるため)神の業がどれだけ多くの人に現れても(天罰)それを神の業と認めようとしないのです。

何度も書いていますが、それを天罰と認めてしまうと自分が悪いと認めないといけないからです。

神の心から遠ければ遠いほど我は強くなります。それに唯物無神論の影響で多くの人は神や天罰を認めていません。(そんなものはないと思っています)

だから、よけい頑なになるのです。(ないものなど認められるか、とです)

神や天罰を認めないため、たった一人の者がそれを行っていると勘違いしているのです。

ここまで来ると(現象が身近に次々に現れている人たちなど)もう自分が悪いと分かっていても、今さら謝ることなど出来るかと、ただ意地になっているだけかもしれませんが、それがどれだけ危ない行為か、神の心から遠い人ばかりなので、その危なさが分からないのです。

昔のように神の心に近い人たちが多いのなら、もう多くの人がとっくに私に詫びを入れに来たでしょう。神の恐ろしさを知っているからです。

しかし、現代の人たちは神を認めないのですから神の恐ろしさを知るわけがありません。だから不幸がより大きくなるのです。神を恐れないからです。(だから神の業もそれほど恐れないのです。本当に神の恐ろしさが分かっているのなら今ごろ名古屋は大パニックです)

では今現在、名古屋に何が起きているのか、それを公にした方がよいのです。

その方が多くの人に神の恐ろしさが理解できるからです。

また、その神の恐ろしさを多くの人が理解出来なければ(そんな傲慢な人たちばかりでは)結局日本は潰されるのです。(もうそれが嘘ではないと、このブログを前から読んでいる人たちは理解出来るはずです)

だから最近は、わざと怖い内容のブログばかり書いているのですが(最近多いですよね。怖い内容のブログが)それでもまだ神の恐ろしさが理解出来ないようです。

周りの人たちの態度があまり変わらないからです。(他の地域の人たちもこの辺りの人たちもです。この辺りの人たちは多少は変わりましたかね。多少嫌がらせが減りましたから。〔苦笑〕)

しかし、この程度ではダメなのです。現にこの辺りの災いは止まるどころか増えているからです。

私一人ではもうどうしようもないのです。この辺りの天罰はこれでは止まらないからです。多くの人がもっと大きく心を変えないと止められないのです。

私なりには手を尽くしているつもりですが(ブログだけではなく辻説法でも「癌になっても知らないぞ」と脅しを入れたり、ひどい嫌がらせをして来た人を徹底的に祈ったりしているんですが…)それでも多くの人は心を変えようとしないのです。

もう私一人が何をやっても、状況を変えることは(多くの人の心を変えることは)出来ないのです。

そうであるなら、少々非常識なことでもやらないといけないでしょう。何でもしないと、神の業を止めることは出来ないからです。

だから、この辺りで起きていることをネットで拡げたらどうですか?といっているのです。

あるいはそういうことが拡がれば、反省する人も出てくるかもしれないからです。(神の業をよく知って、それに恐れおののいてです)

現代の多くの人はあまりに神をなめているのです。(神が理解できないため、知らず知らずのうちにそのような行為をしてしまっているのですが)

どれだけ悪いことが起きても責任転嫁して反省しようとしません。(この辺りの人たちはそれプラス反逆まで入っています。私への嫌がらせの行為です)それではどれだけ恐ろしい現象が現されても仕方ないでしょう。

あまりに神に対し無知であるからです。

今のような行為はいけないのです。自分たちに悪いことが起きたら、まず自分たちが反省しないといけないのです。しかしいつまでたっても誰も反省しようとしません。

特にこの辺りは猶予がありません。誰がいつ不治の病を発症してもおかしくはないのです。(それだけの罪をすでに負っているということです。どれだけ多くの人が私に対し嫌がらせをしたでしょう)

私は皆さんを不幸にするためにいるのではなく、救うためにいるのです。

私が、このブログを書くのは多くの人を救うために書いているのです。現にこのブログを読んで多くの人の心は救われたはずです。

それに、私がこのブログを書いていなかった時の天変地変は今より凄かったのではないですか?(一変に天気は悪くなる、関東、東北豪雨は起こる、地震は多発する、火山の噴火は起こるとです)

では、私がこのブログを書かなくなったら日本はどうなると思いますか?

私がこのブログを書いているから(法の流布を行っているから)日本はこの程度で済んでいるのです。(それはあの台風21号が大きくコースを変えたことでも、その事実が分かると思います)

私はこれまで多くの人を救っているのです。それを不幸にしていると勘違いしている人も多いのですが、それは自分たちがあまりに神から離れてしまっているからです。だから救われるという意味が理解出来ないのです。神の心が分からないからです。

本当の人の救いとは心を救うことをいうのです。肉体ではありません。しかし、現代の人たちは肉体しか見ていないのです。

もちろん肉体も心も両方救わないと、本当に救われたことにならないのかもしれませんが、その両方救われたいのであれば、まず自分たちが神のことをよく理解しないといけないのです。

そういう理解をまったくしようとせず(無神論のままで)何もかも教えろではあまりに都合がいいでしょう。

しかし、私はその都合のよい思いにも応えようとしています。(毎日ブログを書いているのが、そのよい証拠です。日曜日もないのです)

私は神に対し、何も理解しようとしない人たちに毎日のように文字で伝え(ブログ)言葉で伝え(辻説法)現象を現してるのです。

それで、どれだけ多くの人たちの命と心が救われているのかお分かりでしょうか?(何度もいいますが、私がいなかったら今頃日本はありません)

多くの人々はまったく逆の思いを持っているのです。あまりに自分たちが神に無知であるからです。(だから神の心がまるで理解できないのです)

これだけの現象が現れてきたのです。責任転嫁しているばかりでなく、少しは神の心を理解する、そういう努力もされてはどうでしょう。

私など、このブログを書いている最中でも、じゃまを(嫌がらせを)され続けているからです。

(嫌がらせはされるわ、悪者に仕立てあげられるわ、一銭ももらえないわと何もいいことありません。それでも私はブログを書き続けているのです。そうしないともっと悪いことがこの日本に起きてくるからです。このブログを読んでいる人と私では、あまりに考えが違いすぎますね。〔苦笑〕)

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9月 26 2015

自然治癒力

しかし、異様ですね。何が異様かって前の会社の雰囲気がです。

窓を閉め切って、それでも何か嫌がらせをしています。(ずいぶん音が遠いんですが、それでもやっていますね)何が起きているんでしょうか?

昨夜、二度三度と切れていました。(立て続けに何か起きたようです)

それが原因だとしたら(災いが起きるのは)もう毎日のことなのですから、いい加減なれないのでしょうか?

なれないというのなら、同じようにパニくっているのではなく、詫びを入れるなり何なりして災いが起きない努力をされてはどうでしょう。

悪いことがどれだけ起きても、同じことを同じようにしています。バカじゃないかと思います。

自分たちが救われたいのであれば、心から詫びを入れ反省するしかないのです。

救いようがないバカはほっておくしかありませんが(そうですよね。何をいっても聞かないんですから)あの癌で亡くなった女優さんは余命一年と医師から宣告を受けていたそうですね。

それでも女優を続けるために、抗がん剤も打たずに食事療法だけで癌を治そうとされた、その意気込みは立派ですが、その思いを少し間違われたようです。

その思いさえ間違わなければ、あるいは奇跡も起きたかもしれないからです。

現に、癌で余命一年とか、二年とか医師からいわれ、その後、病院に入院もせず抗がん剤もされずに癌を治した人もいます。

そういう奇跡があの女優さんには起きなかったということです。

では、なぜ起きなかったのでしょう?奇跡が起きた人と起きなかった人との違いはどこにあったのでしょう。

あの女優さんは癌を治すために食事療法をされたそうですが、私が聞いた抗がん剤も打たず癌が治った人は、自然療法のような形で癌を治されたそうです。

その人は癌を宣告されると、生活の場を自然がいっぱいの場所に移されたそうです。そうして、その大自然の中で、ストレスから離れた生活と食事に気を付けられたそうです。(そういう治療をするところがあるようです)

そうしたら、いつのまにか癌が消えていたそうです。

つまり心を楽にして、大自然に遊び、食事に気を付けていたら癌が治ったというのです。

百人が百人、この方法で癌が治るとはいいませんが、元々癌はストレスが原因でなる人が多いのです。(特に男性は強いストレス、それが癌になる原因の最たるものです)

そのストレスをなくして、空気のきれいな大自然の中で体にいい食事を取るのですから、体の治癒力は倍加します。癌が治るという奇跡も起きるのではないでしょうか。

私は、法を理解する人が増えて、寄付がたくさん入ったのなら、このような治療の場もつくれたらいいなと思うのです。

大自然の中で体にいい食事をし、ストレスを取るだけではなく、反省まで出来て心の勉強まで出来る、そうなるなら奇跡が起きること間違いありません。(自分の体の治癒力は高まるし心は向上する、そうして天上界まで協力してくれるのですから)

それこそ、多くの不治の病も治るのではないかと思えるからです。(ここまで条件が揃うと、キリストの光やガブリエル〔園頭先生〕の光までいただけるかもしれません)

それはともかく、もし一昨日癌で亡くなった女優さんが、このような治療の場を選ばれていたのなら、あるいは癌が治ったかもしれません。それが残念です。

余命一年であるのなら愛する夫と大自然の中で、夫を心から愛し、自然を愛し、そこにいる動物たちを愛して(この方は動物好きであったとも聞いていますので)体によい食事をし感謝の生活を送る、そのような治療方法を選ばれていたのなら、癌が治るという奇跡も起きたかもしれませんが、女優に戻りたいという欲望があっては、そのような奇跡は起こりません。

純な愛ある心が一番自分の治癒力を高めるのです。(またそのような心が一番神に通じやすいですし)

今のようにただ悪い細胞を切るだけとか、悪い細胞を薬で殺すだけとか、そのような治療方法には疑問を感じますね。(それだとよい細胞まで殺してしまうからです)

人には元々自然治癒力があります。その力を最大限に生かす、そのような治療方法も大切なのではないかと思えてなりません。(そういう治療をする病院もあるんでしょうが、もっと増えて来るといいと思います)

どちらにしても、その自然治癒力を高める方法は心にあるということです。

だから、現在そのような病気である人たちは、心を楽にして、これまでの自分の行いを反省し、そうして、自分が一番愛すべき人を愛する、これが一番の回復の早道であるということです。

あれがしたい、これがしたい、という欲望を捨てて、何かにつけて感謝することです。それが一番愛を出す方法であるからです。

しかし、それもこれも、まずこの法が拡がらないと多くの人に伝える術がありません。(これに神への祈りが加われば最強であるからです)

ずいぶん恐ろし現象も現れてきたようです。(異様な会社、最初は騒いでいたんですが途中で急に静かになりました。このブログを書いている最中にも何か起きたようです。〔怖〕)

早く勉強されてはどうでしょう。

そうすればこのような災いばかりでなく、奇跡が起きるようになるからです。

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