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2015年11月

11月 19 2015

正法の時代

また昨日ウナッシーさんから凄いコメントが届きました。

静岡県の浜松市の火葬場は一週間待ちだそうです。

二十世紀の心(末法の心)のままでは二十一世紀(正法の世)は生き残れない、まさにその通りのことが起きています。

大丈夫ですか?法を勉強しないで。今の心のままではみな早死にしそうですね。正法の心を持つ人たちなどほとんどいないと思うからです。

それでは正法の世は生きていけないと思うからです。

日本はあまり心のことをいいません。(それは日本だけではないかもしれませんが)

信仰をするにしても、お経を上げたり、仏像を拝んだり、先祖を拝んだりするだけです。日本の信仰とはそのようなもので誰も心をきれいにしろとはいわないのです。

それは私生活でも同じです。心などそっちのけで、表面上の身なりや行いは気をつけるようにいいますが、心をきれいにしろとは誰もいわないのです。

では、心がきれいな人がいるのかと逆にそちらの方が疑問ですね。誰も心のことをいわないからです。

しかし、人間はその心をきれいにしないといけないのです。

心がきれいであることが、神の子である人間の本来の姿であるからです。

だから、私たち人間は何より心をきれいにしないといけないのですが、その心をそっちのけで生活をしているのです。ではずいぶん心は汚れているでしょう。

何でもそうですが、ほっておいてきれいなままであるものなどないからです。(自分の部屋でも何でもほっておいては段々汚れていきます。ちゃんと掃除しないときれいにはならないのです)

では、心も同じでしょう。心をきれいにする努力をし続けないと心もすぐ汚れてしまうのです。

しかし、その心をきれいにする努力を誰もいわないのです。(心をきれいにしなければいけないはずの信仰でも心のことをいわないのですから、他でいうわけがありません)では、心が汚れている人がずいぶん多いと思います。

自分で気づいて自分の心をきれいにしようと努力する人も少ないと思うからです。

しかし、心が汚れているとは実は大変不幸なことなのです。各自がそれぞれ持っている心とは多くの力を持っているものであるからです。皆、その心の偉大性を知らないのです。

各自が持つ心とは唯一神に通じているものであり、異次元への電話のような役割も有しているのです。

その電話が地獄に通じれば悪魔が、天上界に通じれば光の天使が近くに寄ってきます。

そうして悪魔が寄ってくれば災いが光の天使が寄ってくるなら奇跡が起きるのです。

心が汚れていると勝手に地獄に心の電話が通じてしまいます。そうすると災いも起きやすくなるということです。

そのような不意の災いが起きないためにも、心をきれいにしておくことは大事なことであるのです。

私たちがしている祈りとは、実は心を通して異次元に電話をかけているのと同じことで、だから祈りがきかれたという人は、それは心を通し異次元にかけた電話が光の天使に通じて起きたものなのです。(または悪魔に通じてです。悪魔も奇跡を起こすからです)

そうして、この心はそのような役割だけではなく、自分が経験した過去世の記憶も残されています。

そういう過去世の記録が、この世を生きていく上で大きな助けとなっているのです。(知らず知らずのうちに過去世の経験が今生現れてです)

各自の心は神に通じているだけでなく、天上界にも地獄界にも通じ、そうして自分自身が過去に体験したすべての記録まで残されています。

そうしてこの心を通じて神の力をこの世に現すことまで出来ます。

目には見えませんが、私たちが知らないだけで、この自分たちが持っている心とは偉大なものであり、多くの可能性を秘めたものでもあるのです。

だからこそ、そのような偉大な心を汚してはならないのであり、その心を汚していてはその偉大な心の能力も発揮できないのです。

これからの時代、この心の偉大性を理解出来ず、心の偉大な能力が発揮できない人たちはいられなくなります。

これからは、そのような心の偉大性を理解し、その能力が発揮できる人しか生活できない時代となるからです。

時代が変われば、前時代の考えをいつまでも持っている人は生活できなくなります。それはいつの時代でも同じなのではないでしょうか。

戦国時代の考えのままの人は江戸時代を生きることは出来なかったであろうし、そのような武士の時代の考えのままの人は、明治や大正の時代を生きることは出来なかったでしょう。

昭和の時代でさえ、戦前と戦後では大きく時代が変わったのです。

では、平成も同じでしょう。平成十一年までと十二年からとでは時代が変わっているのです。(西暦1999年までと2000年からとではという意味です)

しかし、今回は物質的に時代が変わったのではなく精神的に時代が変わっているのです。だからみな気づかないのです。

時代が変わったことにです。

しかし、確実に時代は変わっているのです。それは現れる現象で証明されているのです。

起きる天変地変の激しさは増し、そうして各地で起きる異常な現象。それにこれまで起きていない現象まで現れてきいるのです。

すでに全国で起き始めたサイレン(昨日でもちょっと観ていただけのテレビ番組のロケで〔場所は東京だと思いますが〕サイレンが聞こえていました)浜松などの亡くなる人の増加、そうして名古屋で数々起きる不思議な現象。(私に起きている鳥や魚の奇跡や次々に人が病気になっていることなどです)

このようなことは、これまで起きていなかったことなのです。しかし、最近になり起き出した現象であるのです。

なぜ、これまで起きていない現象が現れてきたのか?

このような現象こそ、時代が変わったから起きてくる現象であり、その時代が変わったことに気づいていない人たちが、そのような現象をすべて責任転嫁しているだけなのです。(私に起きている現象はさすがに責任転嫁は出来ないでしょうが)

このような(これまで起きていない)現象は、時代が変わったから起きている現象であり、そうであるならば、その時代が変わったことを自覚し、その時代に合った心と行いをしなければこの現象は止まらないということになります。

そうして、時代に合った心と行いをしなければ生きられないということになります。

これほど起きる現象が変わっているのに、それをいつまでも無視し続けることが出来るのでしょうか?

いつまでも責任転嫁をし続けていることが出来ますか?

そんなことをしている間に自分にその現象が現れるかもしれないのにです。

これまで起きていなかった現象が、次々に現れています。これは時代が変わっている証拠なのです。

早くそれに気づいて、その時代に合った心と行いを(生活を)出来る者だけが、その時代を生きていくことが出来るのです。

今まで通りの心と行いでよいのですか?

それではいけないということは、起きる現象が教えているのです。(そのままでよいということも起きる現象が教えています。私は奇跡が次々に起きているからです)

追伸…安心してください。今日は庄内川には行きませんよ。(笑)

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11月 18 2015

この教えの恩恵

昨日も午後から庄内川に行きました。

もういくら街中に出て辻説法をしても理解する人はいません。

段々アホらしくなってきて、最近は人がいないところばかり行くようになりました。

近くで人があまりいないところなら庄内川がうってつけです。(庄内川の川岸はあまり人がいませんので。それに動物たちとの奇跡もよく起こりますので)

それで最近はよく庄内川に行くのですが、昨日も雨の中、川岸を一時間ほど歩いて(何せ血糖値が高いのに食欲だけはあります。〔また母がやたら食べる物買ってきますし〕一時間以上は歩かないとやばいです)南陽大橋の下で休んでいると、カニたちがまた出てきました。

「お前ら雨の中元気だな」と声をかけていると、すぐ前の水面が大きく揺れ細長い尻尾が出てきました。

あれ、またエイが来た、と思い「お前いたのか、久しぶりだな」と声をかけました。(あの動画を撮って以来、そこでエイを見かけませんでしたから)

そうして「オイ、顔を出せよ」と声をかけていると、顔は出しませんでしたが、何度か水面が揺れ水面から尻尾を出していました。

エイとはいえ可愛いものです。こちらの言葉が(カニたちもそうですが)よく分かるようです。

雨の中、人はいませんでしたが、このような動物たちとの楽しい会話もあり(こういうのも一つの会話ですよね)庄内川から出てきたのですが、帰り道は相変わらずゴーストタウンのようでした。(昨日は小学生も中学生も一人もいませんでした)

そうして、たまに前から歩いて来る人も顔をこわばらせ足早に行ってしまう人ばかりです。(本当にゴーストタウンのようです)一体あの辺りで何が起きているのでしょう。何かまったく雰囲気が変わってしまいました。

大丈夫なんですかね。一柳の連中、逃げているだけでです。(こうも雰囲気が変わると、よほどのことが起きているのではないかと逆に心配ですね)

逃げているだけでは現象は収まりません。反省して詫びを入れないと、その現象は止まらないのです。

それはこの辺りがいい例です。悪魔軍団は今日も休みなくブログのじゃまをしています。(特別悪魔軍団だけではありませんが)だから毎日のように恐ろしい現象が現れているのです。

それに腹を立て意地になってやっているようですが、昨日も書きましたが、本当の信仰をしている者に、意地になって法の流布の邪魔をし嫌がらせをし続けているのです。

この者たちは、一体どれだけ大きな罪をつくっているのでしょう。それは昨日書いたISのテロの比ではないのです。

もちろんそれよりひどい行いであるということです。釈尊やキリストの説法をじゃまして嫌がらせをしているのと同じことであるからです。(ということは、多くの人〔の心〕が救われるのをじゃましているということです。それを何年にもわたり続けているのです。テロの比ではありません。人の本当の救いは心にあるからです)

本当の信仰のじゃまをし嫌がらせを続けているとはそれほど大きな罪となるのです。

では、同じように何年にもわたり、本当の信仰をしている者をバカにしている者たちがいたとしたら、その者たちはどれほどの罪となるでしょう。そのような行為もまた同じように大きな罪となるのです。

だから、それほどの現象が現れているのです。

だから早く詫びた方がいいといっているのです。詫びない(反省しない)限り、その現象はひどくなることはあっても、止まることはないからです。(それもまた悪魔軍団たちが教えています)

本当の信仰とは、これほどのお蔭があるのです。なぜいつまでも皆さん学ぼうとしないのですか?

偽の間違った信仰などしていて、これほどのお蔭があった人がいるのでしょうか?

私はこのような状況がもう何年も続いているのです。(先ほどの動物たちの奇跡から、嫌がらせをする人たちへの災いまで)これだけ正しい信仰であるという証拠もないでしょう。

口だけではなく、これだけの現象が現れ続けているからです。

別に一変に変えろとはいいません。そんなことをすれば反動も大きいからです。

しかし、少し興味を持ち、そうして、自分の中にも取り入れたらどうでしょう。

これほどのお蔭がある教えもないからです。(もうそのお蔭をどれだけ書いたか分かりません)

これまで通りのやり方を変えなくていいのです。仏壇を拝むのもいいですし、心が安らぐというのならお寺や神社にお参りに行くのもいいでしょう。お経を上げ仏像に手を合わすのも悪くはありません。

しかし、そのようなことをただ続けているというのではなく、少し疑問を持ってください。

「こういうことが本当の信仰であるのか」「こういうことをしているだけで本当に救われるのであろうか」とです。

昔から皆がそうしているからと、漠然と続けているだけではなく、疑問追求の心だけは忘れてほしくはないのです。そのような努力を続けた先に真実が待っているからです。(それは特別信仰に対してだけではないと思います。何に対しても同じなはずです。そのような努力がなければそう簡単に正しいことは分からないからです)

今やっていることをやめなくてもかまいませんが、現実にこれだけお蔭が出ている者がいるのです。

では、その教えを少しくらい勉強されてもよいのではないでしょうか。

そうして、自分で奇跡を味わうなら、この教えの正しさも分かると思うからです。

実際、この教えを勉強している人には奇跡が起きています。その奇跡を体験している人はわずかしかいませんが、この教えを勉強している人がわずかしかいないのです。

それは仕方がない話でしょう。しかし、数ではありません。この教えを勉強している(ちゃんと私のいうことを聞いて寄付などもしてくれている)お二人には確実に奇跡が起きているのです。

では、この教えを真剣に勉強していれば奇跡が起きる確率は百パーセントということになります。(たいして勉強していない人たちにまで奇跡が起きているくらいですから。ある野球選手などそうです)

その数倍(数十倍でしょうか?)災いが起きている人たちもいますが、そのような人たちは私のいうことに逆らい、嫌がらせをし続けている人たちなのです。

奇跡が起きている人たちは少ないのに災いが起きている人はたくさんいる、このような結果がこの教えを敬遠される理由の一つであるのかもしれませんが、何度も書きますが、この教えに逆らうから災いが起きるのであり、そのような善悪がはっきり現れる結果こそ本当の神の教えの証拠なのであり、だからこそやるべきなのではないでしょうか。

正しいことをするのが、神の子の人間として当たり前のあるべき姿であるからです。

自分のしていることが善か悪かはっきり分かるのです。これ以上素晴らしい教えもないと思うのですが、どれだけ悪いことが起きても、今の考えを変えようとしない人もダメなら(災いが起きっぱなしになります)何か災いが起きるのが嫌だからと、それで正しい教えを学ぼうとしない人もダメで(そういう人は結局災いが起きてきます)また何も起きていないからと、このような(凄い)教えが出ているのを分かっていながら、いつまでたっても自分たちの生活態度を変えようとしない人もダメです。(まったく心が成長しません)

こういう世界に類を見ない教えが日本に存在しているのです。(これほどの現象が現れる教えは世界にありません)では、その教えに興味を持ち一所懸命にそれを行う人こそ、正しい人なのであり、最後は人生の勝利者となれるのです。(人生の勝利者とならなければ生まれてきた意味がありません)

いつまでこの教えを無視しているのですか?

特別今の生活を変えなくても結構です。その今のままで、この教えを少しずつでも勉強してください。少しずつでも実践してみてください。

そうすれば、この教えが絶対に必要であると、必ず分かるからです。

(現実に、この教えを実践している人たちに奇跡が起きていませんか?いま現在です。〔神がかり的な成績の人もいるし〕少しやるだけでもそれだけよくなるのです。もう少しやったらもっとよくなります。片手間ではなく、少し真剣にされてはどうでしょう。そうすれば心身ともにもっとよくなり、多くの奇跡もこれから体験できるからです)

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11月 17 2015

本当の信仰

何かまた朝から機嫌の悪いことです。(悪魔軍団です)

何か起きているんでしょうが、本当に起きっぱなしですね。

昨日も庄内川に行ったんですが、帰りに中学生は見かけませんでした。小学生は何人か見ましたが、私の顔を見ると驚いたような顔をするのが多かったです。昨日帰った時間が少し遅かったからです。

あの小学生たちの顔を見ると、やはりみな時間をずらして帰っているようですが、ずいぶん不便でしょうね。そんなことをしていてはです。

それにしても中学生はどこに行ったんでしょう。時間のずらし方が半端ないですね。(苦笑)

ずいぶん怒ったり逃げたりしている人が多いんですが、そんな私は昨日は庄内川の土手を歩いていましたが、久しぶりに足を伸ばして藤前干潟まで歩いて行きました。

すると、藤前干潟でも岸近くにたくさんの魚が寄ってきていたようで、岸の近くでバシャバシャやっている小魚がたくさんいました。

マァ、動画に撮っておきましたが、今回の動画はそのような魚の同じような場面ばかりになりました。同じような奇跡があちこちで起きているからです。

こちらはこんな奇跡ばかり起きているのに、私に逆らっている人たちは災いばかりが起きているようです。

昨日の話ではありませんが、こうも現象が起きては不人気にもなるんでしょうが、このような現象の違いを見てもらえれば分かりますが、この不人気の理由は災いが起きている人たちが本当の信仰を知らない、それに尽きるからなのではないでしょうか。

こういう災いが起きている人たちはそうですよね。本当の信仰など知りもしないのです。(それは特別この人たちに限りませんが)

こういう人たちは、信仰といえば、お経を上げたり、仏像を拝んだり、墓参りに行ったりすることが信仰であると思っています。

そうして、昔から悪いことをすると「罰が当たる」「罰が当たる」とよくいわれますが、そんな罰など当たるはずがないと思っている人たちばかりなのです。

つまり、信仰などといっても(信仰とはその程度のことだと思い)その信仰をなめている人たちばかりなのです。(甘く見ているといってもいいでしょう。本人たちはそのような自覚がないのかもしれませんが、そのような思いや行いは信仰を甘く見ている、即ちなめている証拠なのです)

そのような信仰をなめている人たちが、本当の信仰を初めて知ったのです。(私を通してです。私のやっている信仰が本当の信仰であるからです)

受け入れられるはずがありませんし、それが信仰とも思わないでしょう。自分たちがしている信仰とあまりに違うからです。(起きることからやることからです)

特別私は、お経を上げるわけでもありませんし、仏像を拝むわけでもありません。そうして先祖を拝みません。むしろ先祖に感謝するのはよいが、先祖を信仰の対象にしてはいけないとまでいっているのです。

そうして、やることといえば、この法の流布と祈りと反省です。(実際は反省禅定までしたいのですが、周りがこのような状況ではそこまでやれません。〔じゃまばかりされますので〕祈ることがせいぜいです。〔その祈りまでじゃまされますから〕)

そんなものが信仰のわけがないだろう、何やってんだこいつは、と思う人も多いでしょう。だからよけい敬遠されるのでしょうが、残念ではありますが、これが本当の信仰なのです。

それは釈尊やキリストを知ってもらえれば分かるでしょう。

釈尊やキリストがお経を上げられたでしょうか?(キリストはもちろんお経など上げていませんが、今あるお経は釈尊の説法が書かれてあるのです。では、そんなお経など〔何で自分がした説法を自分で上げるのでしょう〕釈尊が上げられるわけがありません)

釈尊やキリストが仏像を拝まれたでしょうか?(釈尊もキリストも祈る対象物などありませんでした。天に向かって祈られていただけです。従って先祖を拝まれたこともなかったのです)

釈尊やキリストはお経を上げたわけでも、仏像や先祖を拝まれたわけでもないのです。

私がしていることと同じように、あちこちで多くの人に説法をされて法を拡げ、そうして天に向かって祈り、反省禅定(キリストの場合は悔い改めですが)をされていただけなのです。

本来の信仰とは、簡単にいうならこのようなことなのであり、いま日本でやっているような信仰など、釈尊やキリストはされていないのです。

それなのになぜ日本の人々は、釈尊やキリストがされていない信仰の仕方をされているのですか?(逆にそちらの方が不思議ですが?)

昔からそうしていた、ただそれだけの理由でしょう。しかし、それではいけないのです。そのような信仰の仕方が違っているかもしれないからです。

釈尊やキリストがされていないことをしていてはいけないでしょう。

したがって、私がやっている信仰が本来の正しい信仰の仕方なのであり、だから奇跡が起きるのです。

本当の信仰をするのであれば、奇跡が起きるのが(お蔭があるのが)当たり前のことだからです。

神仏の助けや加護がなければ信仰とはいえないでしょう。何で何も起きないことをしていて信仰などと思っているのですか?

やり方が違っているから神仏の加護がもらえないのです。いま日本でしているような信仰の仕方は本当の信仰の仕方ではないからです。

だからお蔭があるのかないのか分からないのであり、またあったとしてもそのお蔭が続かないのです。そのお蔭は正しいものがしているのではないからです。(間違った信仰の仕方をしているのですから、本当の神仏のお蔭があるわけがありません。もしお蔭のようなものがあったとしたら、それは動物霊や地獄霊、そのような悪魔たちが現しているものなのです)

本当の信仰とは、私がやっているようなことなのであり、だから特別難しいわけでもなく(法を勉強し実践するだけなのですから)といってなめて出来るようなものでもなく(本当の信仰は神仏の加護が必ずあるからです。その神仏の加護はよい方にも悪い方にも働きます。法をちゃんと守っているなら奇跡が、守らなければ災いが必ず起きるのです)コツコツでもよいので継続して行っていかなければいけないものなのです。(つまり一生ものということです)

なぜ、私と皆さんでは起きることが違うのか、これでお分かりでしょう。

簡単な話です。私は本当の信仰をしていて、そうして皆さんは偽の信仰をしていた、それだけなのです。

それだけでこれだけ起きてくることが違うのです。

では、皆さんいつまでも偽の信仰をするのではなく、本当の信仰をされたらどうでしょう。

どっちみち信仰はされているのですから。(されてますよね。日本は無神論の人は多いのですが、無信仰の人はいません。〔これもまた不思議ですが〕何かかにか自分で信仰めいたものはしているのです。〔例えばお寺や神社にお参りに行ったり、初詣などもそうです〕)

どうせ信仰をされるのなら本当の信仰をされた方がいいでしょう。その方が本当の神仏の加護がもらえるからです。

どっちみち信仰はされるのです。無神論などとは口だけで、みなどこかで神仏に頼っているのです。

そうであるなら、本当の信仰をされるべきでしょう。

それが神の子の人間としての本来のあるべき姿であるからです。

本当の信仰をするのが遅れれば遅れるだけ、自分の心は苦しんでいます。(自分の心は本当の信仰を求めているからです。自分の心の奥では本当の信仰を知っているからです)

一日も早く自分の心の声を聞くべきでしょう。

その心の声を聞き行うことが本当に自分が救われる唯一の道であるからです。

追伸…IS(イスラム国)が、今度は「アメリカの中心のワシントンを攻撃する」という声明を出しました。

この者たちはもちろん間違った信仰をしているのですが、このような自爆テロなど行った者は、これもまたもちろん地獄に堕ちます。

このような自爆テロなど行い死んでいった者たちは、地獄でも同じような自爆テロを何度も何度も行って、その時の自分が味わった恐怖や痛みを何度も何度も体験するのです。

そのようなことが悪いことであったと自分自身が自覚するまでです。

また、そのような恐ろしいことをやらせた指導者は、それ以上の恐怖と苦しみを与えられ、その自分たちが悪をやらせた最後の一人が地獄界から天上界に上がるまで(救われるまで)地獄の苦しみから抜け出ることは出来ません。

このような者たちが死んだ後は、想像を絶する苦しみが待っているのです。

そのような恐ろしい世界に死後往きたいのでしょうか?

早くそのような恐ろしい行いをやめ反省されることを願うばかりです。

なぜなら、後で一番苦しまなければいけないのは、そのようなテロをしている、その人たち自身であるからです。

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11月 16 2015

名古屋で起きている現象

悪魔軍団がやたら怒っています。(いつものことですが)

朝から、でかいおかしな音を立てていました。あまりに訳の分からない音でしたので、テロでも起きたのではないかと驚きました。(ひどいテロが起きたばかりですからね)

どれだけ神の業が現れても、いつまでたってもそれに向き合おうとせず、自分たちの悪を認めず逃げて八つ当たりばかりしています。

これでは滅ぼされても仕方がないでしょう。本当に哀れな人たちです。(自分たちの悪を認めたくない、甘えているんでしょう)

そういう甘えた人たちはいいのですが、トルコのアンタルヤでG20サミットが開幕しました。

先ほどのテロの話ではありませんが、この首脳会議はテロ対策一色のようですね。

これだけ頻繁に(このトルコでも起きましたが)テロが起きてはそうなるのでしょうが、このテロ対策には各国首脳も頭が痛いところです。

有効な対策がないからです。

来年は三重県の伊勢志摩でもサミットが行われます。これからは日本でもテロが心配ですね。

しかし、本当にテロ対策を考えているのなら、各国首脳もこの法のことを議題にすればいいと本気で思いますね。本当の神の教えが世界に拡がるなら、テロなど起きなくなるからです。(もちろん戦争もなくなりますし…簡単にはいかないでしょうが徐々にいい方向に行くと思います。本当の神の教えが拡がるのですから奇跡も起きるからです)

名古屋にこれだけの現象が現れているのが、本当の神の教えが現れている何よりの証拠ですが、癌やら何やら不幸な現象はどれだけ起きているのか知りませんが、少なくとも鳥や魚の奇跡などはしょっちゅう起きています。(動画をどれだけ撮ったか分かりません)

こういう現象が起きているだけでも本物か偽物かは分かるはずです。(釈尊やキリストにも同じ現象が現れていたからです)

しかし、こうも多くの人に不人気ではどうしようもありませんね。

しかし、不人気にもなるでしょう。これまで本当の神の教えなど現れていなかったのです。

そこに本物の神の教えが現れれば、その教えに叶う心の持ち主などそうはいません。

本当の神の教えが現れたのに、その教えに叶う心の人が少なければ、そのような人たちには悪いことばかり起きることになります。

このような不人気が逆に本当の神の教えが名古屋に現れている証拠でしょう。(苦笑)

しかし、本当の神の教えが現れたのなら(その影響は凄いでしょうから)よほど心を入れ替えないと悪いことしか起きません。名古屋でこれだけサイレンがしているのも(先ほどもしていましたが)よく分かりますね。

それだけ心の悪い人が多いからです。

その心の悪いのを認めようとせず、反省もせずに責任転嫁ばかりしているからよけいひどいことが起きるのです。

何度もいいますが、今のうちに反省されてはどうでしょう。パリのようなテロがこの辺りで起きてからでは遅いからです。

本物の神の教えが出現しているのであれば、反省しない限り、その起きる現象が悪くはなってもよくなることはないからです。

本当の神の教えが出現したというのに、あまりに自覚がない人が多いため、これほどの不幸が続出しているのですが、この本物の神の教えを自覚する人が出て来て、そうしてその有難さを実感する人がたくさん出てくるのであれば、多くの奇跡が現れるのです。

そういう奇跡が次々に現れれば多くの人が救われます。いい加減自覚されたらどうでしょう。

この本物の神の教えを知り実践するなら、自分が救われるだけではなく世界が救われるとです。

何度もいいますが世界が救われるのです。

反省される人が出てきて、この辺りで起きていることが世間に拡がれば(これだけの奇跡が現れていますと)今のような重苦しい世界の空気も一変するのです。

この辺りで起きている現象(もちろん私に起きている現象も含めてです)が世に大きく伝わって、本当の神の教えが出現しているということを世界の人が知るならば、希望を持つ人も増えます。(特に日本以外〔共産国家以外〕の国々の人々はそうでしょう。神を信じているからです)

そうなれば「貧困などに負けるか」「差別などに負けるか」とISなどに参加している人々も心を改める人が出てくるかもしれない。

悪いことばかりしていた者が、これ以上悪を犯してはならないと、反省するかもしれない。(神に申し訳ないとです)

これまで信仰に確信が持てなかった人たちも、本当の神の教えを勉強するなら、これほどの神の業が現れると(そのような現象が証明となり)信仰することに確信が持て本当の神を自覚する人も出てくるのです。

その多くの人の心を変えることが出来るほどの現象が名古屋に現れているのです。

それなのに、どれだけ自覚がないのでしょう。名古屋の人たちはです。

いつまでたっても、その神の業に腹を立て、私一人を悪者にし、嫌がらせをし続けているのです。(今日も朝からあちこちでやっています。法の流布のじゃまをです。〔苦笑〕)

この名古屋で起きている神の業を世に伝えるなら、多くの人が希望を持ち、救われるというのにです。

本当の神理が名古屋に現れているというのに、あまりに自覚がありません。それだけ自覚がないのも無神論のせいでしょうが、いい加減その唯物無神論から卒業しないといけないのです。

唯心有神論を自覚するのであれば、これほど貴重な体験もないはずだからです。

そうして、この体験を多くの人に伝えるのなら、多くの人が救われると分かるからです。

この名古屋で起きている現象が世界を救うのです。

これだけ混迷が深まった世になっているからこそ、世界の人々は本物の神を求めています。

その本物の神の業がこれだけ現れている場所はありません。

ということは、これだけ有難い場所もないということなのです。

神の業は、いい人には奇跡が、悪い人には災いが、間違いなく起きるからです。

その神の業にいつまで腹を立てているのですか?

悪いことが起きているのは、自分が悪い証拠なのにです。

(だから、悪いことはサッサと反省してよいことをしましょう。〔もちろんそれは法の流布です。いま起きていることを話してくれるだけで法の流布になるのです。これくらい楽な話はありません〕いつまでもグダグダ嫌がらせなどしていないでです)

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11月 15 2015

小さな考えを捨てる

フランスのパリで大変なことが起きました。(もうそのニュースばかりですね)

大規模な同時テロが起こり百二十人以上の人が死亡したそうです。

IS(イスラム国)の仕業のようで、各国首脳が「テロには屈しない」という声明を出してはいますが、ちょっと打つ手がないような状況ではあります。(本当にこのようなテロが続いていますから)

貧困や差別が根っこにあるうえ、そこに信仰をかぶせてくる、これはちょっとやそっとでは収まらないでしょうね。

だから、独裁国家とはいえ、一概に潰してしまうのも問題なのです。

その国々の事情により独裁者がいなくては収まらない国もあるからです。シリアの内戦など見てもそれは明らかです。

こういう国々は時を待たないといけないのです。時が来る前に他国がよけいなことをしてしまえば、このように泥沼化してしまうのです。

そういうところは猛省が必要でしょう。(だいたい、このIS問題でも元々はアメリカがイラクによけいなことをしたからこうなっているのです。本当に猛省が必要ですね)

しかし、もう泥沼化してしまっているのですから、泥沼化してしまっている現状をどうするのかなのですが、では、どうしたらいいのでしょうか?

各国首脳がそれに頭を悩ませているのですから、そう簡単に事が解決するとは思えませんが、それでも神に祈り、その導きのもとことを進めるのであれば解決の道はついて来ます。

一にも二にも、この本当の神の教えを拡げることです。そうすれば必ず解決の道はついて来るからです。

それはこのブログを読んでいる人なら分かるはずです。

私は何一つ手に武器など持っていません。やることといえばブログを書いて(法を拡げながら)祈るだけです。しかし、それだけで様々な解決の道がついて来るのです。

私に対する嫌がらせでもそうです。(ずいぶん減りました)態度の悪い小、中学生でもそうです。(どっか逃げちゃってますけど)

そういうレベルの話ではないだろうといわれるかもしれませんが、このような人たちは、ずいぶんきついことが起こらない限り、そのようなことをやめることはしないでしょう。

なぜなら、最近起き出した悪いことを全部私のせいにしているからです。その起き出した悪いことで亡くなった人もいるはずだからです。

その亡くなった人は、私のせいで亡くなったと本気で思っている人がいるなら、私を親の敵のように思っている人もいるはずです。

では、そのように思っている人がちょっとやそっとで嫌がらせをやめるでしょうか?

やめないでしょうね。それこそ私を親の敵と思っているのなら、私に対する嫌がらせは死んでもやめないでしょう。現にそういう人もいるからです。

しかし、そういう人でも嫌がらせをやめざるを得ない状況になってきているのです。

なぜでしょうか?

親の敵と思っている人間にも嫌がらせをやめざるを得ない、そのような現象が次々に現れているからです。

それほどの現象が現れだした。だから嫌がらせをやめざるを得ないのでしょう。

例えば、私に嫌がらせをした人が次々に癌などになっていたとします。

そんなことが起きれば、怖くないはずがないのであって親の敵もくそもなくなります。

従って、もし、そんなことが起きたとしたら(しかも、そういうことが起きるとすでに予言されていたとしたら)庄内川の帰り道に、私を散々バカにしていた小、中学生が一人もいなくなったということもよく分かる話であります。

そんなことが起きれば怖くて仕方ないからです。

では、ことは同じなのではないでしょうか。(レベルの話ではないと思いますが)

同じようなことがISにも起きたら、自爆テロどころではなくなるのではないでしょうか?そのようなことが起きる恐怖感は誰も同じであると思うからです。

それにこのような人々は、人に殺されるより、神に殺される方をより恐れるのです。(神に殺されるということは地獄に堕ちるということだからです。だからこのような人々は神に殺されること〔天罰〕を一番恐れるのです。日本の場合は逆ですけどね。神に殺されるより、人に殺される方をよほど恐れます)

では、このような現象がもしIS内に起こりだしたら、IS内はパニックが起きるでしょう。

元々、烏合の衆であるからです。本当の信仰でつながった仲間でも何でもないからです。

もし、私のような者が中東でも現れ、日本で起きている(この辺りで起きている)ことと同じ現象を現したとしたら、逆に中東での内戦は収まるかもしれません。

あちらの人の方がよほど神を思っているからです。(神の業をより恐れるということです)

この辺りで起きている現象は、もしかしたら(もしかしなくてもと私は思いますが)現状打つ手がないテロ攻撃さえも抑えることが出来るのです。

そう私のいうことをバカにしたものでもないのではないでしょうか。

この教えを実践することで、様々な現象が起きていることは事実であるからです。

このような現象は特別私だけに起きることではないのです。この教えを勉強し実践した正しい人には誰でも起きることなのです。

では、中東にそのような人がたくさん現れれば、このような現象が(神の業が)中東のあちこちに現れ、その神の業があちこちで現れるのなら、中東の人たちはより神の業を恐れますので、では中東での内戦も収まって平和になるということになります。

そうして、世界中にそのような人がたくさん現れれば、世界中に神の業がたくさん現れ世界中が平和になるということになります。

いま名古屋で起きている現象は世界を救える現象なのです。

そうして、誰が正しく誰が間違っているのかをはっきり教える現象でもあります。

この現象は、人が起こしているのではなく神が(天が)起こしている現象であるからです。

人が起こしているのなら間違いもありますが、天が起こす現象に間違いはありません。悪い現象が起きている方が悪く、よい現象(奇跡)が起きている方が正しいのです。(なかなかそれを皆さん認めようとしませんが)

何度もいいますが、責任転嫁ばかりしていないで、早く自分たちの間違いを認め反省していただけないでしょうか。悪いのはそちらであるともう百パーセント明らかであるからです。(起きる現象に嘘はありません。これ以上ジタバタするのは見苦しいだけです)

そうして反省した人から、この教えを拡げる手伝いをしてもらえないでしょうか。

そうすればすぐにでも世界が平和になるからです。

ぐずぐずしていては、まだまだこれから今回パリで起きたような大規模なテロが、どれだけ多くの地域で起きるか分からないのです。

この現象を、いつまで個人的な感覚で見ているのですか?

そのような見方は大きな間違いなのです。

この教えが拡がり、そうして、この現象が世界に拡がるなら、世界は次々に平和になって行きます。

それが目に見えているのに、なぜいつまでもそれをやろうとしないのですか?

それは大きな損失でしかないのです。

(この教えを勉強すれば、正しい人には奇跡が、そうして間違っている人には災いが起きるのです。では、その対象を世界に拡げたらどうなるでしょう。ISやシリアだけではなく、アメリカやフランス、ドイツはどうでしょう。そうしてロシアや中国、北朝鮮はどうでしょう。どのような国々にも様々な現象が現れ浄化されて行くということになります。こういう国々が浄化されれば日本も安全になるということです。この法を拡げるということは日本の安全保障にも大きくかかわるのです。それだけ大きな教えであるからです。小さな考えにいつまでもとらわれていて本当によいのでしょうか)

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