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2015年12月

12月 31 2015

本当の成長戦略

さて、今年も今日が最後となりました。

今年は(正確には今年もですが)災いばかりが起きている気がしていましたが(だから、今年の私が思った漢字は異常の「異」にしたのですが)最後にバタバタと奇跡的なことが連続して起こり(有名な人たちにですが)法の偉大さを改めて感じました。

やはり、この法が拡がれば、あちこちで奇跡が起き幸せな世の中が実現すると確信しました。

来年は多くの人に奇跡が起きる、そのような年にしたいものです。(ということは、幸せな人が増えるということですから)

しかし、もうこれからは「奇跡が起きないような人はダメ」といわれる時代になります。奇跡が起きるのが当たり前の時代となってくるのです。(法の世とはそのようなものです。神の世がこの世に実現するからです)

奇跡が起きないということは、それだけ心が汚いということなのですから、もうどれだけ口でよいことをいっても、その人にまったく奇跡的なことが起きていないのであれば「あの人は口だけだ」とか「口だけは達者だが、腹は悪い」とか思われ、信用されなくなります。

そのような時代が近いうちに来るのです。

というか、もう来ているのかもしれませんね。そういう奇跡を現す人たちがあちこちから出て来ているからです。

最低、自己最高くらいの成績は上げないといけません。本当に心が変わるのなら、これまでの(仕事や学業を含めた)成績など簡単に超えて行くくらいの能力は出せるからです。

これまでは最低の心でやって来ているのです。だから、これまでの自分たちが出している成績など自分の能力からみて最低のものでしかないのであって、法を知って、少し心がよい方に変わるだけですぐに成績などよくなります。

最低の心では、自分の能力などほとんど出せないからです。(だから、すべての人がまだまだ伸びる要素があるということです。年に関係なくです)

そう思うと、奇跡が起きないどころか、災いが起きている人たちの心など一体どれだけ悪いのでしょう。人として最低ですね。(また、こんなこと書くといじめられますが、本当のことですから)

早く、責任転嫁と傲慢な心を捨てられたらどうでしょう。少し神を思い感謝するだけで、奇跡的なことが起き出した人はたくさんいるからです。(人としてずいぶん差がありますね。〔苦笑〕)

よく考えてみてください。

この世で奇跡が次々に起こり、幸せになれるということは、死んだ後のあの世でも幸せになれるということなのです。(この世とあの世は連続していますから)

そうしてそれは、自分に縁のある人たちまで救うことになるのです。(生きている人も死んでいる人も含めてです)

そういう人が身近にいれば、何であの人あんなに奇跡的なことばかり起きるの、ということになり、その奇跡が起きている人のマネをする人や「何であなたにはそんなに奇跡が起きるのか」と聞きに来る人も増えるからです。(友達に〔または身内でもいいんですが〕奇跡が起きていれば、誰だってそれを聞きに行くでしょう)

この世で奇跡が起きる人が増えれば、その人たちに縁の深い地獄に堕ちている霊たちも、それを観て反省し、そのような人たちも救われて行くのです。

奇跡が起きる人が増えれば(この世とあの世を含めた)すべての人が救われて行くという「正の連鎖」が始まるのです。

よいことだらけなのではないですか?こうなるとほっといても世の中が(物心両面で)よくなって行くからです。

本当の成長戦略とはこういうことをいうのであり、女性の活用とかなんとか、一方を壊して(女性をみな社会に出したら家事や育児は誰がやるのですか?それでは家庭が壊れてしまいます)一方を成長させるなどというやり方は間違っているのです。

皆がよくならないと、本当の成長戦略ではないからです。(そうしないと一億総活躍社会にはなりませんし)

皆が能力を伸ばしたら、社会は黙っていても成長して行きます。女性をそれほど社会に活用させなくてもよいのではないでしょうか。

女性は女性としての本分である、家事育児をしっかりやってもらえればよいのではないでしょうか。そうすれば、これもまた黙っていても少子化問題も解決していくからです。

だから、本当の成長戦略をやりたいのであれば「法を拡げる」これをやらないといけないのです。法を拡げることこそが(どこも壊さない、すべての人が救われる)唯一の本当の成長戦略であるからです。(しかも物心両面で成長するです)

この法のよさが少しはお分かりいただけるでしょうか。(何度説明してもお分かりいただけないようですが。〔苦笑〕)

法はどこをどうとっても、よいことしか起きないのです。(もちろん災いも含めてです。そのような現象が現れることで、その人の心を向上させるからです)

この法のよさを多くの人が理解して、実践される人が増えれば、当然、奇跡も増えると思いますし(ということは災いが減るということです)自分の能力を伸ばす人もたくさん出てくるのです。

そうすると、来年の漢字は、奇跡の「奇」か、または(そういう奇跡が起きる人が増えれば、それは幸せになる人が増えるということですので)幸せの「幸」が選ばれるということになります。

そういう年にぜひ来年はしたいものです。

来年は心を成長させる年、奇跡をたくさん現す年、多くの人が、そのような実感を持ち行うならば、来年はこれまでとは劇的に変わり、この日本に多くの奇跡が現れることになるでしょう。

そのような年になることを願わずにはいられません。(もう災いはいらないでしょう。げっぷが出るほどいただきました。〔苦笑〕)

今年はありがとうございました。よい年をお迎えください。

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12月 30 2015

救われる人と救われない人

新しい年を迎える準備が着々と進んでいるようですね。

お寺や神社で、すす払いだの大掃除だのやっているのをニュースでよく見ます。

こういうの見ると年の瀬を実感するのですが、初詣の客(参拝者というより客といった方があっているような気がするんですが…ほとんど商売でしょう、こういうことは)を見込んでの準備といったところでしょうが、私は何もこのようなことを全否定するつもりはありません。

古いお寺や神社(このような場所は昔から遺る日本の文化の貴重な資料ですから)の維持管理費は当然かかると思いますし、墓の管理も必要でしょう。(日本は人の骨をそこらに捨てるわけにはいかないのですから)

だから、いろいろ経費がかかるので、お賽銭や寄付などしてはいけないとはいいませんが、そういうことと心の救いは別であるといっているのです。

そういうことは、そういうこととして一つの善の行為であることは確かですが、心をまったく変えようとせず、そのような行いだけしても、それで救われることはありません。

そのようなものは信仰ではないからです。

だからお蔭がなかったのです。多くの人が信仰をしていると思っているだけで、それは本当の信仰ではなかったからです。

何度も書きますが、信仰とは自分の心と行いを(よい方に)変えることであり、それが出来て初めて救われるのです。

例えば、自分が小さなことばかり気にしているようなら、小さなことなど気にしないようにしてみる。

自分が引っ込み思案であるなら、少し積極的に人前に出るようにしてみる。逆に、自分が出すぎていると感じたなら、少し控えめにしてみる。

自分が下らないことをいつまでも根に持つタイプであるなら、そのような根に持つ心をもっとさっぱりした心に変えてみる。物事を悪く悪く考えるタイプであるなら、物事をよい方よい方に考えるようにしてみる。

とにかく何でもいいのです。

少し自分を振り返り、そうして、もしかしてこのようなところは自分の悪いところかもしれないと、思えるところがあるのなら(まずあると思いますよ。普段奇跡が起きない人はです)それを変えてみることです。

そうすると、周りに起きることが変わってくるからです。

それでよいことが起きてきたのなら、自分が変えたことは間違いではなかったと確信し、そのような心をもっと進めるのです。すると、なおよいことが起きてくるのです。

そのようなことが即、実感できる、そのような時代となったからです。

そうなれば、それが本当の信仰であると実感できるわけです。お蔭がすぐに現れるからです。

これまではお経を上げたり、仏像を拝んだりするのが信仰であると思ってきたわけですが、そのようなことは本当の信仰ではなかったのです。

だからお蔭がなかったのです。本当の信仰をしていなかったからです。(だから先ほど書いた、お寺や神社などのお賽銭をあげてのお参りや寄付は、一つの善の行為ととらえるべきなのです。それが信仰ではないからです)

もちろん祈りや反省禅定はありますが、それを元に自分の心と行いを変えること、それが本当の信仰であったのです。

私など昨日は久しぶりに白鳥公園に行きました。(最近は庄内川ばかり行っていますので)

すると、横の堀川などにカモメやら他の水鳥やらたくさんいました。白鳥公園の中に池があるのですが、そこにもカモメがたくさんいます。

その池の方に歩いて行くと、その池にいたカモメたちが急に飛び上がり、私の周りを飛び交って近くに何羽も下りてきました。池の中に下りたカモメたちも大騒ぎしています。

久しぶりに私が行ってカモメたちが大喜びしているのがよく分かりました。

そこは動画に撮りましたので、そのようなカモメたちの態度が嘘ではないと分かっていただけると思いますが、そこらにいるカモメたちでもそうです。

心がきれいにな人が行けば、大喜びするのです。(もちろん、すずめなどの他の鳥たちも同じです)

本当に可愛いものですが、少し心を変えるだけで、このような愛ある光景がどこにでも現れるのです。

本当の信仰を多くの人がするのであればです。

それなのに周りにいる人はどうでしょう。その光景を無視しているか、怒っているかのどちらかなのです。(「怒るってどうよ」と思いますが。〔苦笑〕)

「何でお前ばかり」というねたみやひがみの心がありありと分かり、嫌がらせをしてくる人までいるのです。(動画を撮っていると、ゴホゴホ、ガハガハやってくる人がいます)

本当に情けない人たちです。そういうことをばかりしているから、私のようなことがいつまでたっても起きて来ないのであり、少し心を変えるなら、誰にでもこんな現象は現れてくるのです。

そういう時代となっているからです。

それなのに、そんなことは少しも知ろうとせず、ねたみひがみからの嫌がらせです。本当に進歩がありません。

本当の信仰をされてはどうでしょう。逆にされないと救われない時代ともなっているからです。(今日もサイレンがちょこちょこ聞こえてきます。昨日の白鳥公園の辺りでも聞こえていました)

少しずつでも自分の悪かったところを反省して、よい行いを実践されることです。そうすればいろいろな(小さな)奇跡が周りに起きてくるからです。

心が変われば変わるだけ、そのような奇跡が起きてくるのです。そうしてそのような奇跡が続くようになれば、いずれ大きな奇跡も起きてきます。

心を変えるだけでいいのです。それほど難しい話でもないのではないでしょうか。

もう今年も終わりです。

新しい年を迎えるにあたり、これまでの古い心は捨て、新しい心となって、新しいことを始めてみませんか?(それほどたいそうなことではありません。少し心を変える程度のことなのですから)

これからは、そのような人だけが救われて行くのです。

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12月 29 2015

対機説法(たいきせっぽう)

どこかの会社など日曜日(二十七日)から正月休みなのですね。

こちらは静かでいいのですが、やはり儲けている会社は違います。(何せ年末にでかい塀までつくるくらいですから、休みも長いです)

ゆっくりお休みください。その間に反省しないと来年どうなるか分かりませんし。(その休んでる間にも何が起きるか分かりませんし)

別に脅しているわけではありません。神の起こされる現象に正月休みは関係ありません。だからいっているのです。

そのような儲けている人たちとは違い、私のようにお金を全然儲けることが出来ない者は(苦笑)啓蒙活動を休むわけにはいきません。

だから、ブログを書いて祈り続けているのですが、私の(大きな)祈りもいつかはきかれる時がくるでしょう。(小さな祈りはよくきいてもらえますが)

釈尊は「あの世はあるのですか」と聞かれる人があると、ある人には「あの世はある」と答え、ある人には「ない」と答えていられました。

この部分だけ聞いて、釈尊はいっていることが違うとか、矛盾しているとか思うのは間違いで、釈尊はその人の心にあわせて法を説いていられたのです。

それで人によっていうことが違っていたのです。

心がある程度高い人で、そういうことが理解できると思われる人には、釈尊は「あの世はある」と本当のことを教えていられました。

しかし、心がまだそこまで育っていなくて、あの世のことなどとても信じることが出来ない、想像することすら出来ない、と思われる人には「あの世はない」と答えていられたのです。

まだ心が育っていないと思われる人には、どのように説明しても、あの世のことを理解することは出来ないからです。そのような人は、時を待たないと(心がもっと成長しないと)あの世を理解することは出来ないからです。

そういう人に無理にあの世のことを説明しても、ケンカになるだけです。それではかえって、そのように聞いてきた人の心を後退させてしまいます。

だから釈尊は、人によって説き方を変えていられたのです。

このような説き方を「対機説法」といいます。

ここ数日間は、私はかなりきついことを書きましたが(しかも女性ばかりにです)それは、そのように書いた人たちはそれを理解していただかねばいけない人たちであり、だから、あのような書き方をしたのです。

特に昨日書いた選手など、普通であれば金メダルだけに固執しても、悪いことではありません。(そういう選手はたくさんいるからです)

しかし、あの選手はそれではいけないのです。自分の心の器に比べ、そのような考えは小さすぎるからです。(だから、法を実践しようとしたら、急に調子が悪くなったのです。心と思いがあっていなかったからです)

この選手はもっと大きな考えを持たないといけないのです。そういう使命もあるからです。

だから、その選手にいっておきます。

次の大会までに、私の昨日いったことをよく反省出来ているのなら、その大会ではよい成績があげられるでしょう。(それこそ、この前、男子の選手が出した得点に匹敵するような奇跡も起きるかもしれません)

そのような心になれば天があなたに協力するからです。

しかし、よく反省出来ていないのであれば、今と同じような状態は続くでしょう。それはどれだけ練習しても同じなのです。

心が変わらないと、あなたはもうよくならないからです。

しかし、あなたなら、それくらいのことは出来るはずです。それだけの心は持っているはずだからです。

法の心に嘘や偽りはありません。

法に近い心になればなるだけ奇跡が起きるのです。それは私を見てくだされば分かると思います。

私だけではなく、男にはいくらでもそのような奇跡が起きている人がいます。(スポーツ選手から一般の人に至るまでです)女でも、そのような奇跡は起きるのであるとぜひ多くの人に見せてあげてください。

あなたなら出来ると思うからです。

次の大会楽しみにしております。頑張ってください。(これも対機説法です。この子ならやれると思って書いているのです。他の女子選手にもそのような候補はいます。その人たちも頑張ってください。とにかく男にしか奇跡が起きないなど差別でしょう。天はそんな差別はしません。それをぜひ証明して下さい)

奇跡はどこでも起こります。(だって地球自体が〔もっというならこの大宇宙すべてが〕すでに神につくられた神殿なのですから。場所など関係あるわけがありません)

奇跡を起こすも起こさないも、すべてその人の心次第なのです。

追伸…慰安婦問題が日韓で決着合意した、と新聞に大きく出ていますが、大丈夫なんでしょうか?

また蒸し返すのではないでしょうね。韓国は。(政権がかわったりなんかしたらです)

アメリカに裏判か何かもらうか、この問題を蒸し返したら、時の大統領の責任を問うとかの確約はとらないといけないでしょう。

そういうものが何もなくてやってしまうと、また同じことの繰り返しとなるからです。(だまされる方が悪いと平気で思っている国はたくさんありますから。総理のおわびと反省や日本軍の関与まで認めてしまって大丈夫ですか?こういうところを後でつかれるんじゃないですか?)

しかし、また韓国がこのような問題で日本をだますなら、もう韓国にもよいことは起きないでしょう。(昔からそういうことばかりやってますから。そういうことが裁かれる時代になっていますから)

本当に慰安婦問題がこれで終わりになることを願っています。

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12月 28 2015

本当の信仰で起きる奇跡

北日本は大荒れの天気となっているようです。

北海道は相変わらずの荒れた天気なんですが、その荒れて大雪が降っている北海道の札幌で行われているスケートは、そのような天気とは逆に熱い戦いが行われたようです。

そうして奇跡的なことも起きたようです。

昨日私は、あんなブログを書いた手前、あの選手を祈りました。そうしたら不思議なことが起きたのです。

不思議なことが起きませんでしたっけ?起きていると思いますよ。

またあれだけミスをしながら、予想以上に点がよかったことや(今季の自己最高らしいではないですか。あれだけミスをして今季最高っておかしくないですか?)あの選手の後にすべった選手が、自分のする演技を全部行わず途中抜かしてしまったことなど(これでずいぶんあの選手が有利になりました)不思議なことがいくつか起きました。

そういう幸運が重なって、あの選手も世界選手権の代表に選ばれたのです。(もし、このようなことが起きずに調子を崩したままだったら、世界選手権の代表は危なかったのではないでしょうか)

こういう不思議なことが起きたということは、私の祈りが聞かれた証拠であり、あの選手が反省した証拠でもあるのです。だから、そのような奇跡が起きたのです。

あまり私はスケートをしっかり観たことがないのですが、それでも「あれ、ミスをした割には(前にすべった選手たちと比べて)点数がいいな」と思いましたし、次の選手が犯した演技の間違いも「自分の演技を間違えて、途中の演技を抜くなんてことがあり得るのか」とも思いました。

このような大会(全日本選手権)に出てくる選手なんですから、自分がする演技は、それこそ寝ぼけていても間違えないくらい、練習してきていると思うからです。

そういう不思議なことが昨日起きたのですから、これは祈りが聞かれているなと、あまりスケートを観たことがない私でも思ったのです。

しかし、今回のスケートの大会など、まさに法の証明以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。

このようなこと以外でも、全体的に高得点の選手が続出しました。

一人、二人の選手が自己最高の得点を出したというのなら、それは練習の賜物であろうといえるのでしょうが、今回の大会は自己最高の得点を出した選手がたくさんいたのです。

これはいくら何でも、ただの練習の賜物というには無理があるのではないでしょうか。それ以外の何かをしたから、今大会の多くの選手たちは自己最高得点を出すことが出来た、そう考える方が自然なのではないでしょうか。

明らかに起きていることが不自然であるからです。

だから、神に感謝し、氷に感謝して滑るということが(それが即ち法の実践です)どれだけよいことかお分かりいただけたのではないかと思うのです。

いくら国内トップクラスの選手といえどもです。(ということは、世界でもトップクラスということですよね。特にこのスケート競技はレベルが高いそうですから)

世界のトップクラスの選手といえども、法を少し実践するだけでよいことが起きるのです。では、他の人たちはどうなるのでしょう。

他の人もへったくれもありません。どういう人であろうと、この法を実践するならよいこと(奇跡的なこと)が起きるのです。

その証明を(特別スケートだけではありませんが)多くのスポーツ選手がしてくれているということです。

それなのに何で、これほどの教えを多くの人が無視しているのですか?逆らっているのでしょう。(これだけ奇跡が起きる教えに逆らえばどうなるのか?それも想像できると思いますが……予想以上の恐ろしいことが起きています)

やっていることの大きな(大きなです)間違いがお分かりいただけるのではないでしょうか。

されてはどうでしょう。そうすれば、必ずお蔭があるからです。(だからといってお蔭をあてにしてされてもいけませんが)

今年ももう終わりです。年が明ければ、初詣に行く人も多いでしょう。

しかし、初詣に行って「今年はよいことがありますように」と祈っても、その祈りはまず聞かれることはありません。

それなら、年が明けたら初詣になど行かなくてもいいですから、この教えを勉強しようと誓われ、法を説いている私に寄付などされてはどうでしょう。

その初詣に行かない分のお賽銭や交通費など浮くと思うからです。

その浮いた分を、本当の信仰に使われるのであればよいことがあること請け合いであるからです。

偽の教えを説いている坊さんなどに、いくら寄付しても奇跡など起きませんが、正しい教えを説いている私に寄付するのであれば、それは正しい信仰と天も認めてくださるのですから、それで、その心に応じて、本当の奇跡が現れて来るのです。

これまでは縁起がいいと思って、初詣やお寺や神社に行って、お賽銭を上げてお参りしたりしているのですが、実はそのようなことは何の意味もなくご利益もなかったのです。(実際なかったですよね。ご利益も何も)

そのようなことは本当の信仰ではなかったからです。

しかし、本当の信仰を(少しではありますが)行っている人たちには続々と奇跡が起きているのです。

本当の信仰とは、そのように自分の心と行いをよい方に変えるものであるからです。

いつまで、昔からいわれているだけのただの習慣を続けているのでしょう。パワースポットなどといわれ、行くと何か感じるなどといっていても、それは気休めでしかないのです。(それか、そのような場所で感じているものは地獄霊からの波動なのです。霊域のよいところなど日本にはほとんどないからです)

そんなところに行っても所詮は何の奇跡も起きないのです。(それどころか、災いが起きます。そういう場所は〔パワースポットとか、お寺や神社は〕霊域が非常に悪いところが多いからです。地獄霊や動物霊の巣となっているところも多いからです)では、何のために行くのですか?(そんなところに行っても危ないだけです)

そのような特別な場所にわざわざ行かなくても、自分がいるその場所で奇跡などいくらでも起きるのです。

本当の信仰とはそのようなものであるからです。

信仰は場所でするものではなく、自分の心と行いを変えることによってするものなのです。

いつまで間違った信仰をし続けるのですか?

正しい信仰を行った人には、これほどの奇跡が現れているというのにです。

追伸…もし、今回のスケートをしていた人たちの心がもっと変わっているのなら、あの北海道の荒れた天気も収まるのです。

心のきれいな人たちが何十人もその場所に行くのなら、そのような大きな奇跡も現れるからです。しかし、まだそこまで心を変えられる人はいません。

だから、自分の成績がよくなる程度の小さな奇跡しか現れていませんが、もっともっと、自分の心を磨く人がたくさん出て来るのなら、そのような大きな奇跡も起きるようになるのです。

どうですか、スケートでよい成績を出すだけではなく、多くの人まで救える、そのような人になったら。

そういう人こそ、神から最も喜ばれる人であるからです。

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12月 27 2015

感謝する大事さ

昨日も異様でしたね。

朝方うるさかったのですが、途中から急に静かになりました。(もちろんどこかの会社ですが)よほど恐ろしいことが起きているのでしょう。(一昨日に引き続きです)

午後の三時頃家を出る時に、どこかの会社の横を通って行きましたが、やたら怒っている人がいました。

どれだけ怒って、恐ろしい現象を人のせいにしたところで、その現象は止まりません。自分たちが反省するしかないのです。

歩いていると、そういう怒っている人があちこちにいます。本当に反省を知らない人たちばかりです。(そういう人たちにいちいち辻説法をしなといけません。こちらも大変です)

もう傲慢さと責任転嫁がしみついているようです。そのような心を直さない限り、恐ろし現象は出続けるでしょう。まったく恐ろしことです。

このように私のいうことに耳を貸さない人たちはよいのですが、多少でも耳を貸している人たちには奇跡も起きています。

傲慢で責任転嫁がひどい人たちは、そういう奇跡を少しは認めてはどうでしょうか。

昨日のスケートを観ていてもそれは感じました。

やはり三度は続かなかったですね。疲れもあるんでしょうが、こちらにお礼でもしてくれれば(そのような法の実践を行えば)まだまだ天も協力してくれたのでしょうが、そういうことをする気がないのであれば、奇跡もそれほど続きません。

奇跡が起きるかどうかは、法をどれだけ実践できるのか、それのみなのです。

もっと法の実践が出来るなら、もっと奇跡も起きてくるでしょう。

しかし、総じてよかった選手が多かったのではないでしょうか。(自身の最高得点の更新をした選手も多かったからです)肉体ばかりを鍛えるのではなく、心の在り方を少し変えるだけでも十分よい結果が得られる、その証明は出来たのではないかと思います。

そういうよくなった選手が多かった中で、一人、調子の悪かった選手がいます。それもまたよかったですね。(苦笑)

別に皮肉をいっているわけではありません。本当によかったから、よかったといっているのです。

この選手も、このブログを読んで法を知ったのでしょう。だから、そのような結果が現れたのです。

法を知って、それを行っても、よい現象が現れる人たちばかりではありません。悪い現象が現れる人たちもいるのです。

その違いは何か?

簡単話です。これまでの思いが間違っていたのです。その間違った思いが強ければ強いほど、悪い結果が現れてきます。(それも法を知ったことによる気づきの現象です)

だから私はよかったといっているのです。そのような自分の考えの間違いがよく分かったからです。

だってこの選手、オリンピックで銀メダル取って、悔し涙を流していましたよね。(うれし涙じゃなくて)あれはダメでしょう。あまりに思いが偏っているからです。

金メダルを取りたいという思い込みが激しすぎるのです。

オリンピックでも何でもそうですが、メダルを取れない選手などごまんといるのです。銀メダルを取って悔し涙を流すなど、では、そのようなメダルを取れない選手はどうなるのでしょう。

それに金メダルを取った選手を祝福もしません。

ただ「金メダルがほしい」「金メダルじゃないと嫌だ」では駄々っ子と同じです。

それではあまりに考えが狭量なのではないでしょうか。(自分さえよければいいという考えがモロに出ています)これではダメなのです。

だから、この選手は法を知ったばかりに普段より悪い結果が出たのです。自分の考えがこれまであまりに偏っていたからです。(そういう意味では、前回の大会でしたか、二位になった外国の選手が一位になった、あの三百点以上の点数をたたき出した選手を「恐れ入りました」という態度で祝福していました。ああいう態度こそ人として取るべき態度であり、立派な態度であるといえるのです)

どうですか、そのような心を反省されたら。

そうすればよい結果が出てきます。なぜなら、あなたも法と縁のある方であるからです。

もう、金メダルを取りたいだの、一位じゃなきゃ嫌だだの、そんな小さな心は捨てることです。

「自分が今ここでスケートをやれるだけで有難い」まず、そのような感謝の心を持つことです。

休養していて、急に出てきて、それでもそのような場に立てるということは、どれだけ有難いか分からないのです。ずっとスケートの練習をし続けていても、そのような場に立てない選手はたくさんいるからです。

そう考えるのであれば、その場に立てることの有難さは分かるはずです。

そうして、どういう結果が出ようと、その結果に感謝することです。

自分が優勝するなら、二位、三位の選手がいるのであるし、自分が二位であれば優勝の選手がいるし三位の選手がいるのです。

どのような順位になろうと、その順位になった人はなった人の思いがあります。それをもっと思いやることです。

そのような自分の順位にもなれない人はたくさんいるからです。

そのように少しずつでも心を広げていくと、よい結果が出るようになります。(そのよい結果とは、特別スケートだけの結果とは限りませんが)

とにかく、法を知って悪い結果が出たのなら、まず自分が反省することです。そのような反省すべき、大きな間違いを自分がしているからです。

その間違いを法が教えてくれているのです。

マァ、そのような感じで今日はリラックスして今年最後の演技に臨んでください。自然体が一番大事ですから。(こんなこと書いたら、自然体で臨めるわけがありませんかね。よけい力みますかね。〔汗〕)

とにかく、法を実践することこそ、幸せの道であるのです。

それを一人でも多くの人に証明してもらいたいと思っています。

(法を勉強することは不幸の道、などと思っている人もいるようですから。勝手に自分たちが法に逆らって不幸になっているだけにもかかわらずです)

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