>>ブログトップへ

2016年2月

2月 03 2016

反省と奇跡

今日も朝からガンガン、コンコンやかましい音を立てているところがありました。(サイレンも何度もしていましたし)

そんなことをいくらしたところで災いは止まりません。

今日は節分です。これを機会に反省されてはどうでしょう。(豆をまくのと一緒に自分の悪い心も捨ててしまうのです)そうすれば、その災いは起きなくなるからです。

そういえば昨日も庄内川の帰りに中学生と会いました。昨日の中学生はまた平気で私に嫌がらせをしてきているようでしたが、どうしたのでしょう?

推測ですが最近は災いが起きていないのでしょう。だからまた始めたのです。(もう大丈夫だと思ってです)

そうですか、終わったのですね、災いが。だから起きなくなったのです。もう安心ですね。(もう安心して私に嫌がらせが出来るんじゃないですか?〔苦笑〕)

などと思っているのですか?

だとしたら大変な間違いをしています。(そうですよね、どこかの会社の人たち)

それは災いが終わったわけではないからです。単にしばらくの間、災いが起きないだけだからです。

何で起きないのか?

それは天が反省の期間をもうけているからです。それで災いが止まっているのです。

その間にしっかり反省しないと、前よりもっと恐ろしい現象が現れてきます。そのような体験をしている人たちが、現にこの辺りにいるからです。

私は何度も警告したのです。今のうちに(現象が止まっているうちに)反省されてはどうかとです。

しかし、その人たちは私の警告を聞きませんでした。現象が止まっているのをいいことに、よけい嫌がらせをしてきたのです。

そうしたら、月に一度くらいであった現象が、月に二度、三度と起きるようになり、それが一週間に一度起きるようになり、そのうちに二日、三日おきに起きるようになり、最後は毎日のように起きるようになったのです。(別に間違ったこと書いていませんよね)

今のあなたたちを見ていると、この人たちと同じでまるで反省をしていないようです。(また調子にのって、私に嫌がらせを始めたのがいるんだから反省してないのでしょう)

そうなると近いうちに、必ずまた現象があなたたちに現れることになります。(必ず現れますよ。それも前以上の現象がです)

悪いことはいいません。早く反省して私に詫びを入れた方がいいでしょう。そのままではただではすまないからです。(嘘でも脅しでもありません。すでにそういうことが起きているからです)

もう反省しない限り、災いは止まらないのです。

それはサイレンが止まらないのを見ても分かると思います。そうしてこのサイレンはもう日本中でしているのです。(もうどこにも逃げ場がないということです)

特別この中学生たちだけではありませんが、いつまでも怒っているだけではなく、早く自分のことを反省してこの教えを学ばれることです。

そうすれば災いなど起きなくなり、奇跡が起きてくるからです。(もうあちこちで〔ちょっと、この教えを実践しただけで〕奇跡が現れる人が出てきていますので)

その奇跡といえばです。

政治の世界でもそのような奇跡が起きているようです。

あれだけの金銭授受のことが問題になった大臣がいたにもかかわらず、それでも最近の世論調査では、現内閣の支持率が上がるという摩訶不思議な現象が現れています。

普通であるなら、これだけ問題を起こした大臣がいたのですから、その問題が起きた直後の世論調査で内閣支持率が上がるということは考えられないでしょう。(百パーセント支持率は下がりますね。問題が起きた直後の調査なのですから)

しかし、支持率が下がるどころか上がっているのです。こういう考えられないことが起きているのですから、これもまた奇跡でしょう。

なぜ、こういう奇跡が起きたのか?

それは内閣の首長である総理大臣が、何らかの反省をされたからこのような奇跡が起きたのであり、内閣の長である総理大臣が反省されない限り、このような奇跡は起きないのです。

では、総理大臣も何か自分の悪いところを反省されたのでしょう。反省をされたから奇跡が起きたのです。

日本で一番の権力者の方でさえ反省されるのです。

では、私たち一般の国民が、その反省をしないというのはあまりに傲慢なのではないでしょうか。

反省すれば奇跡が起こります。(現に、続々と奇跡が起きています)

そのような自分たちの心がすぐに現象として現れる、そういう時代になっているからです。

(だから、現れる現象に嘘はないということです。心が悪い人には悪い現象が、よい人にはよい現象がすぐに現れるのです)

追伸…いよいよ花粉症のシーズンに入りました。私のような花粉症がひどい人には憂鬱(ゆううつ)な期間ですね。

その私の花粉症なんですが、本当に一変に軽くなりました。この調子なら今年は薬を飲まなくてもいいようです。

この前、ヨーグルトの量を三百グラムに増やしたら、鼻水の出るのがずいぶん減ったと書きましたが、その後、一月末くらいになったら、またくしゃみや鼻水が増えてきたのです。(そのくらいから、いよいよ本格的な花粉症のシーズンですから)

それで、これでは量が少ないのかなと思い、ヨーグルトの食べる量を増やしたのです。(一日にブルガリアヨーグルトを一パックにです。だから一日に食べる量を四百五十グラムに増やしたのです)そうしたら、また覿面に効きましたね。

ヨーグルトの量を増やした翌日くらいから、くしゃみや鼻水が出るのが減ってきて、今のところくしゃみや鼻水もあまり出ません。

ゼロではないですけどね。多少は出ますが、いつもであるなら、もうこの時期は完全に薬を飲んでいます。(もう、くしゃみや鼻水がひどいですから。〔ほとんど出っぱなしです〕それが五月くらいまで続きます)

この時期に薬を飲まないなんて、十数年ぶりくらいではないでしょうか?とにかくいつ以来か忘れましたが、それを考えると夢のようですね。

乳酸菌がこれほど花粉症にいいとは思いませんでした。少々量は多いのですが、しばらくヨーグルトは食べ続けようと思っています。

本当に乳酸菌に感謝ですね。(笑)

2コメント

2月 02 2016

心と行いの違い

昨日は庄内川の帰り道に久しぶりに数人の中学生と会いました。

「あれ、一柳って、まだ中学校をやってるんだ?」と改めて思いました。(もう一柳は小学校しかないのだとばかり思っていましたから。〔笑〕)

マァ、態度は相変わらずですね。私の近くに来ると何もしないのですが(少しは反省したのでしょうか?)遠くでは足を引きずったり、鼻をすすったりしているようでしたから。

「誰も謝らないのか?」と私が聞いても無視して横を通りすぎて行きます。この中学生たち救われたくはないようです。(苦笑)

家の近くまで来ると、またやたら怒っている人がいました。最近は誰か彼か怒っています。(年中怒っている人もいますが…今日はやけに静かです。どうしたのでしょう?)

また不幸なことでも起きたのでしょうか?

悪いことが起きたからと、それを全部こちらのせいにされてもどうしようもありません。悪いことが起きているのは、そちらの方であるからです。

それをどうにかしてほしいと私に訴えているのでしょうか?(その割には態度が悪いです)

そうであってもいけないので、だから、救われる話をそこでしました。

もう、サイレンは日本中でしていると、そのサイレンを私のせいにしているなどこの辺りの人たちだけだと、そうして、神を思おうとしない、そのような自分の心の悪が現象として現れているのだとです。

そういうことを自覚して、まず責任転嫁をやめないと救われる道はついてこないからです。

私には毎日のように奇跡が現れているのです。その心と行いの違いが、そのような現象の違いとして現れているというのはすでに明白なのです。

それをいつまでも認めようとしないから悪いことばかり起きるのです。

一方は、神を神とも思わず、悪いことを全部責任転嫁して人に嫌がらせを続けているのです。もう一方は、神を一として、悪いことを責任転嫁することもなく、人に嫌がらせをすることもなく、神に感謝して神の心を実践しているのです。

違いはそこだけなのです。(それが大きな違いなんですが)

その違いが、起きる現象の違いなのです。なぜそれをいつまでたっても理解しようとしないのでしょう。

それを理解しない限り、自分たちに起きている災いは止まらないのです。

昨日私は庄内川で次のようなことがありました。

庄内川の川岸を鳥たちと散歩しながら(あそこを歩いているだけで、いろんな鳥がかまってくるものですから…横の道路を走るトラックもチョコチョコかまってきますが。〔苦笑〕)ソロソロ帰ろうとしていた時です。

私の後ろから犬を散歩させている爺さんが来ました。

その爺さんの連れている犬を見ると、大型ではありませんが、中型の犬よりはもう少し体がごつい土佐犬ような顔をした犬でした。

「ごつい犬を連れてるな」と思ったんですが、その爺さんは、なんとそのごつい犬を放し飼いにして散歩させているのです。

その時は私以外、その庄内川の土手に人がいなかったものですから、それでそうしたのか(犬をつなぐロープは手に持っていましたから)それとも普段から、そのような散歩の仕方をしているのか知りませんが「あんなごつい犬を放し飼いにしていて大丈夫か?」と思いました。

そう思って歩いていると、その犬が私の近くに来ました。私がそちらを見ると、その犬と目が合いましたので「こっちこい」と小さな声で呼んだのですが、その犬は私の方を見ているだけで寄ってくることはありませんでした。

「何だこないのか」とも思い、時間を見るといつもの帰り時間が過ぎています。

あんまり遅くなっても、帰り道に私に詫びをいれるため待っている人がいるかもしれません。(その人をあまり待たしてもいけませんから。まだ一人もそういう人いないんですけどね。〔苦笑〕)

それで少し小走りになって庄内川の出口に急いだんですが、しばらく走ると後ろから大きな声がしました。

「なんだ?」と思い振り返ると、なんと先ほどの犬が凄い勢いでこちらに走ってきているではありませんか。その犬の行動に驚いて飼い主の爺ちゃんが大きな声を出したのです。

私も少し驚きましたが(何せ、ごつい犬ですから)しかし、大丈夫だろうと走るのをやめて、その犬が来るのを待っていました。

その犬は私の近くまで来て一度止まりました。私を見ているので「こっちにこい」と呼びました。

すると喜んで寄って来て、私の周りをグルグル回っています。それを見た飼い主の爺ちゃんは私にかみつきでもしないかと、ヒヤヒヤだったんでしょう。

大きな声で、その犬の名を何度も呼んでいました。

その犬は私の周りをグルグル回りながら私のにおいをクンクかいでいます。

それで私が頭でもなでてやろうと、ポケットから手を出しかけたのですが、そのような仕草をしたら、その犬が頭を少しかがめ後ずさりします。逃げてもいけないと思い、頭をなでるのはやめて手をポケットに入れたまま「元気か」と声をかけると、その犬は私の顔をチラッと見て、相変わらず私のにおいをかぎ続けていました。

しばらくそうしていましたが、こちらも時間がありません。(詫びたい人を待たしてはいけませんから。〔笑〕)「またな」とその犬に行ってまた私は足早に帰りかけたのです。

少し歩いて振り返ると、その犬はまだ先ほどの場所にいて、こちらをジッと見ていました。

なんとなく可愛らしくなって、やっぱり頭をなでてやろうと思い「こっちにこい」と呼んだのですが、もうその犬は私の方に寄ってくることはありませんでした。

近くまで来ている飼い主に気を使ったのでしょう。(犬は飼い主に気を使いますからね)

そのようなごつい犬も、愛ある人には嬉しそうに寄ってくるのであり、決してその人を襲うようなことはありません。

前に、人に愛があるなら熊に襲われることもなくなるのです、とここに書いたことがありますが、それを証明するような出来事が昨日の庄内川では起きて、改めてまたこの法を実践していることの有難さが分かりました。

法を実践しているのなら、どのような動物も嬉しそうに寄ってくるのです。(それがたとえ、熊であろうとライオンであろうとです)

もし、愛のない人があのようになった場合、まずかまれていたでしょう。あの犬は少し獰猛(どうもう)そうにも見えたからです。

しかし、法を実践している人はそんなことにはなりません。獰猛な犬がかむどころか、嬉しそうに寄ってくるのですから可愛いものです。

このように私が実践している法はどのような不幸からも身を守れるものであり、常に奇跡が起きるものでもあるのです。

結局、心と行いの違いで、これだけ起きることが違ってくるのです。

その差は天と地ほどあるといえましょう。

いつまでも悪いことを人のせいにしていては、自分自身が大変なことになります。(そういう時代になりました)

心と行いを変えてみませんか?

その一番よい方法がせっかく説かれているからです。

0コメント

2月 01 2016

本当の神を知る

だからこそ、もう唯物無神論などという思想に戻ってはならないのです。

そういう思想を多くの人が持ち続けるのであれば、今度こそ日本は潰されるからです。

日本の人々は無神論をいいながらも、自分たちの先祖や大自然などを神に例え、八百万の神などと称して信仰してきました。

そのような思想は完全に矛盾しているにもかかわらず、その矛盾にも気づかずにです。(適当もいいとこです)

しかし、その日本の人々が(勝手に)つくりだした神は、こちらから何か頼むだけで(その願いが聞き入れられる、られないは別にして)自分たちが何をしても、別に罰を当てられるわけでもない優しい神であったのです。

神とは、こちらが一方的に祈るだけで(お参りするだけで)何もいわない、何もされることはない、そのような存在であったのです。

しかし、西洋の神は違いました。自分たちのいうことに従わなければ罰を科す、そのような神であったのです。(モーゼやエリヤ、エリシャの上に現れたヤハウェーはそういう神でした)

日本の人々は、西洋のそのような神はおかしいと、自分たちの優しい八百万の神々を正当化して、神とはこちらが頼めば黙ってきいてくれる、まして罰など科すことはない、何か神なのか、便利屋なのか、よく分からない存在を神だと思っていたのです。

これだけ神を甘く見続けていたのです。そのような神への適当な思いを続けていれば、それは恐ろしい天罰をくだされるのもある意味当然でしょう。(あまりに神への思いが軽いからです。神を神とも思っていないからです)

だから、このような現象が現されはじめたのです。日本の人々が、本当の神の存在をいつまでも悟ろうとしなかったからです。

私がやったことが悪いというなら、モーゼやエリヤやエリシャはどうなるのでしょう。

モーゼはあの有名な海を割る奇跡を起こされた時、モーゼの一団を追ってきた多くのエジプト兵を、その割れた海を元に戻して溺(おぼ)れ死にさせます。

エリヤは四百五十人もの偽預言者を霊力を現して殺し、エリシャは四十数人の子供を熊を現して殺しているのです。

私がしたことがダメだというなら、このような預言者たちのしたこともダメだということになります。日本の人たちは聖書に出てくる預言者を殺人犯とでもいうのでしょうか?

だとしたら、日本の人たちの考えが間違っているのでしょう。

なぜなら、あのような方々が偉大な預言者であるということは世界が認めているからです。

日本の人たちは神を甘く見ているから分からないのです。神がこのような恐ろしことを行うはずがないと思い込んでいるからです。

しかし、いつまでも分からない人たちには、神は鉄槌を下されるのです。神は決して優しいだけの神ではないからです。

このようなモーゼやエリヤ、エリシャに殺されたように見える人たちは、実際にそのような預言書に殺されたわけではありません。

そのような亡くなり方をした人たちは、みな偉大な預言者を通し天に殺されたのです。

つまり、天罰をくだされたということです。

天罰とは(広辞苑によりますと)天のくだす罰、自然に来る悪事の報いということです。(ということはこの人たちは神に殺されたということになります。神がそのような法則〔善因善果 悪因悪果〕をつくられたからです)

そのような人たちは、モーゼの一団を殺(あや)めようとしたり、偽の教えを説いて預言者の教えを間違いといっていたり、預言者をバカにしたりしていた人たちばかりなのです。

預言者にそのようなことをするのは、それはそのまま神に対し、そのようなことを行っているのと同じことなのです。(そのような預言書の方々は、みな神から遣わされた人たちばかりであるからです)

神にそのようなことをすれば、これほどの悪事もありません。そのような悪事に対する報いが現れただけであり、それは人が行ったものではなかったのです。

結局、日本の人もそれくらいの感覚はあったのですが(例えば、坊さんに何かすれば罰が当たるとかです)先ほど書きましたように、日本の人々は根本的に神を甘く見ています。

だから、神がそういう恐ろしいことをするとは思わなかったのです。

しかし、神はそのようなことをするのです。ある程度の反省の期間はもうけますが、それを過ぎても分からなければ鉄槌を下すのです。

それは聖書を見るなら分かるはずです。(いくらでもそういう場面は出てきます)

日本の人たちは、勝手に優しい神をつくり出し(八百万の神)神は何もすることはないと思い込んでいるだけなのです。

そのような間違った思いを一掃するため、神は、このような恐ろしい現象を次々に現わし、神の存在とはそのようなあやふやで甘いものではないと、愛と慈悲の塊ではありますが(それは高橋先生、園頭先生が教えられました)厳しく激しい存在でもあるのであると、私を通し教えられているのです。(それは激しい天変地変など見れば分かると思います。神は決してやさしいだけの存在ではないのです)

それを日本の多くの人々は、その私の後ろにいる神を観ようとせず、私だけを見て、お前が悪いといっているだけなのです。

自分たちが現在においてもし続けている(神を甘く見ているという)悪事は棚に上げてです。

もう本当の神を知らないといけない時代になっているのです。

それなのに、いつまでも本当の神を知ろうとしないから、このような恐ろしいことが次々に起きているのです。

いつまで神を甘く見続けるつもりですか。そのような甘い考え(神は優しい)を持ち続けている限り、恐ろしい現象は止まりません。

私が説いている法こそ、唯一本当の神の心が分かる教えなのです。(だから、この教えを実践すると次々に奇跡が現れるのです)

少しずつでも理解してみませんか?そうしなければもう危なくて仕方ないからです。

追伸…日本の人たちが、これだけ神の業に疎(うと)いというのもまた問題ですね。西洋の人たちから見たら、現在の日本は凄い恐ろしいことが起きているんですけどね。

エクソシストを日本の人たちがあまり怖がらなかったというのと同じ理屈ですね。(あの映画を観た西洋の人たちからは失神者も出たそうですから)

日本にこのようなことがこれまで起きなかったので、その恐ろしさが日本の人たちには分からないのです。

だから平気でそれを人のせいにして怒っているのです。

しかし、この起きている現象はものすごく怖いものなのです。(人の業ではなく)神の業が実際に現れているからです。

早くこの教えに従ってください。それ以外、この(大変)恐ろしい現象を止める方法はないからです。

この本当の神の教えに帰依されてはどうでしょうか。

何度もいいますが、それ以外に救われる道はないからです。(今日も相変わらず怒っています。〔苦笑〕)

0コメント

« Prev


あなたは人目の訪問者です。