>>ブログトップへ

2016年5月

5月 03 2016

進歩

今日からしばらくは(三日ほどでしょうか)多少は静かでしょう。(苦笑)

しかし、他の連中が(多分)ところどころでじゃまして来るのでしょうが、そういう人たちに限ってこのブログを読んでいるのです。

このブログを読み、知らないことを教えられ心まで救われているのに、それには少しも感謝せず、ブログを書くのを平気でじゃましている、本当に勝手なものです。(というか、どういう神経をしているのでしょう?)

そういうことをしているから天罰を食らうのですが、それがいつまでたっても分からない(悪いことはみな私のせいですから)本当に哀れで進歩がない人たちです。

そういう哀れで進歩のない人たちの話はこれくらいにしておいて、進歩がないといえばです。

今日は憲法記念日です。

この憲法が出来て、すでに七十年もたつのに中身をまったく変えようとしない、これもまた進歩のない話なのではないでしょうか。

ずいぶん改憲か護憲かで議論も盛り上がって来ているようです。

せっかくここまで盛り上がっているのです。改憲をまったく考えないのではなく少々の議論くらいはしてもいいのではないでしょうか。(というか、するべきではないですか、先ほども書きましたが、もう憲法が出来て七十年もたつからです)

改憲というと、護憲派の人たちはすぐに戦争が出来る国にしてはいけない、と叫びますが(ほとんど病気ですね。〔笑〕)特別九条だけではなく、せっかく自民党が対案を出しているのです。

では、憲法全体を見て、今の憲法と自民党が出している憲法を比べ、意見を出し合ってはどうでしょう。

そうすれば、もっとよい憲法が出来ると思うからです。

平和、平和といくら口で唱えても、日本の周辺事態は刻々と変わっているのです。

それにアメリカの大統領が代わることも決まっています。

今のままでいいといっている人たちは、では、次のアメリカの大統領が日本をしっかり守ってくれなかったらどうするのですか?(その可能性の方が高いのですが。〔汗〕)

どれだけ口だけで平和を唱えても、日本の周りには不穏な国々がいくらでもあるのです。何か手を打たなければその平和は守れないのです。

では、憲法を変えて、守りを固めるのは当然のことなのではないでしょうか。(例えば、軍国主義の復活とか、そういう悪いイメージをいつまでも引きずっていてはいけないのです。そういうイメージをいつまでも引きずっているから逆に平和にならないのです。そういう悪い心は捨てないといけないのです。自衛隊の人たちが日本を守ってくれている、そのようなよいイメージを持たないと日本も守られないからです)

このような安全保障だけではなく、もう少し現実を見て、それに即した憲法にしなければいけないのではないでしょうか。

何でもそうですが、時代が変われば、それに合わせて変えなければいけないものはたくさんあるからです。

これほどの災いが日本にも現れているのです。この災いは、憲法から思想からあらゆるものを変えないと、そう簡単には収まりません。(日本の人々の心と行いが悪いから〔しかも相当です〕これだけの災いが起きているからです)

では、憲法も変えるべきでしょう。七十年も前の憲法では(明らかに)時代に合わないからです。(今の憲法は自由と平等に偏りすぎています。それで愛とか秩序がなくなってきているのです)

何でもそうですが中道でないといけません。憲法も愛や平和、自由や平等、秩序などがバランスよく書かれている中道のものでないといけないのです。

そういう憲法をつくってはどうでしょう。

今の憲法のままでは、日本の安全保障から秩序から何から何まで不安なところがいくつもあるからです。

口だけではダメ、災いが起きているようではもっとダメ、奇跡が起きて来ないといけないのです。

そういう(心の)レベルの時代になったからです。

では、その時代に合わせた憲法に変えるべきでしょう。そうしなければ私たち日本人も進歩しないからです。

後退しているのでは話になりませんが、同じところにいるのもダメなのです。私たちは常に進歩しないといけないからです。(それが心の向上です)

常に進歩しなければいけない私たちが、七十年も前の憲法のもとで進歩して行くのでしょうか?

そんな古い憲法のもとでは、私たちの成長の妨(さまた)げにはなっても、決して進歩はしないということです。

0コメント

5月 02 2016

発想の転換

しかし、朝からにぎやかです。(苦笑)

どこかのバカ会社の連中、朝からドンドンガンガン大騒ぎです。

それで今日もブログを書くのは無理だなと思っていたら、なんと前のバカ会社、休みのようなのです。(いま見たら窓が全部しまって電気もついていません)

休みなのに、二、三の人間がわざわざ会社に出て来て、朝からドンドンガンガンやっていたというのですから驚きます。(アホですね)よほど何か起きているのでしょう。(本当にゴールデンウイーク中に潰されますね)

哀れなものです。自分たちが天罰を食らいまくっているというのに、それを人のせいにして怒っているだけだからです。(それではよけい天罰を食らうでしょう)

こういう(八つ当たりばかりしている)人たちがこの辺りは多いのですが、何度もいいますが、もうそういうこと(天罰)は全国的に起きているのです。

地震雷火事親父こういう怖いことが(最近親父は怖くなくなりましたが)異常なほどの頻度で起こり、それ以外でも(インフルエンザ、ノロウイルス、はしか、デング熱などの)様々な疫病が流行り、多くの人が亡くなっている(浜松など)こういう現象は、神に逆らう人があまりに多いと起こされる天罰の典型的な例であり、歴史を振り返るなら、過去に何度も起こされていることなのです。

なぜ、こういうことが起きて来たのか?

それは自分の胸に手を当てて考えてみればすぐに分かることなのです。

無神論がその最たるものですが、そればかりではなく、昔では考えられないような愛のない行為を今の人たちは普通にしているからです。(そういう愛のない行為も天罰を食らう一つの理由なのです)

先ほどの朝からドンドンガンガンやることもそうでしょう。(周りのことなどまったく考えていません。自分の感情だけです)そうして保育園をつくるな、などというあのような行為も、その愛のなさがよく分かる出来事なのです。

風俗などの、公序良俗に反するものをつくるのに反対しているというのならまだ話も分かりますが、小さな子供の学びの場である保育園をつくるのに多くの人が反対しているのです。(何せ、全国的にそうらしいですから)

これでは話にならないでしょう。

なぜなら、すべての人は(それこそどんな年を取っている人でもです)そのような場で様々なことを学んだのであり、また、そのような場で学んだ子供たちが将来の日本を背負っていくのです。

では、そういう学びの場をつくるのをじゃまするということは(自分はそういう場で学ぶだけ学んでおいてです)自分さえよければそれでよいという最たる考えであり、自分たちの未来さえ潰してしまう浅はかな考えであるということです。(将来の日本を背負って立つ子供たちの学びの場を閉ざしてしまうのですから、将来の日本もなくなるということです。では、自分たちもよい未来はこないということになります。みな運命共同体であるからです)

これだけ浅はかで自分本位で愛のない人が増えているのです。(自分たちが気づいていないだけでです)

では、全国的に天罰を食らっても別に不思議ではないですし、そういう天罰を食らい続けたから少しは人のことも考えるようになったのではないでしょうか。

絆とかいって、募金活動やボランティアを皆が率先して行うようになったのが、そのよい証拠です。

もし、このような天罰をたくさん食らわなければ、今のような(保育園をつくるなとかです)愛のない人々はもっと増え、もっともっと殺伐とした世の中になっていたはずです。

それこそ、男女平等、同権という個人尊重の思想がそれに拍車をかけるからです。

こういう天罰が次々に起きているから、自分のことより、そういう(災害になど遭って)困っている人をまず助けようと思うのであり、こういうことが起きないと人に対する愛の心などまず出て来ないのです。

だから起きているのです。様々な天罰がです。そういう(愛のない)思想ではいけないからです。

また自分だけがよくても、結局、周りが悪くなれば自分にもその害は及びます。(それもこういうことが起きたから分かるのです。いろいろ自粛したり災害で流通が悪くなったりして景気も悪くなるからです)

だから自分だけがよいという考えは本来あり得ないのであって、周りもよくなって初めて自分も本当によくなるのです。

だから私はいっているのです。早く心を変えないといけないとです。(発想を変えないといけないとです)

こういうことが起きる前に悟るなら、災いは起きないからです。

自分さえよければそれでいいのではなく、自分も周りもよくないといけないのです。周りもよくなって行かないと、結局、自分もよくならないからです。

それを悟っているなら、何も起きていなくても人助けは出来るはずです。自分だけがよいのではなく、周りもよくなってもらわなければ自分もよくなることはないからです。

これまでの発想が間違っているのです。(自分さえよければいいという単純な発想がです。皆を見ないといけないのです)

その発想を変えない限り、よい世の中は来ないのであるし、よい世の中が来ないのであれば、不幸な人がたくさん出て自分も不幸になります。

では、発想を変えるしかないでしょう。

発想を変えるのであれば、よい世の中も来て、自分も周りも幸福になるからです。

神の対する思い、人に対する思い、そういうものをこれまでとは正反対に変えてみてはどうでしょう。

そうすれば、これでとは正反対の(ということは、幸福なです。これまでは不幸なことばかり起きているからです)世の中が現れてくるからです。

2コメント

5月 01 2016

お年寄りの皆様へ

昨日は前のバカ会社がうるさくて書けませんでした。(あまりにやばそうでゴールデンウイーク中に滅ぼされないか心配です)

マァ、今日は休みです。そういう痛い連中の話はやめて時間のない方々を救う話を書きましょう。その方がよほどためになると思うからです。

昨日も一昨日もそうなんですが、バスの運転手がやたら怒っていました。

それ以外でも、ずいぶん怒っている人があちこちにいますが(今日も朝から怒っているのがいましたから。でかい音を立ててです。〔横のオジちゃんかオバちゃんか知りませんが〕今日は朝から遠くでサイレンがしっぱなしでした。そういうこともあったのかもしれませんが)どれだけ怒って八つ当たりしても恐ろしい現象は止まりません。

その悪いことは(私のせいではなく)自分のせいで起きているからです。

少しはお年寄りを見習ってはどうでしょう。最近のお年寄りは私に頭を下げる人が増えているからです。(意外ですか?)

といっても理由があるのですが(笑)最近は年寄りの弱点が分かりましたので、その弱点ばかりをついているからです。(弱点をつくのは戦の常道ですから。〔笑〕)

この頃の私は、年寄りが前から歩いて来て何かしたとたん(または、何かしそうな年寄りを見るとです)「おっちゃん(またはオバちゃん)神からあの世から生まれ変わりから何から何まで教えてもらってよかったな。それ誰のお蔭」とか「先が短くてもあの世があることが分かり希望もわいただろう。ずいぶん救われたよな」とか「その連れてる孫ともあの世でまた再会出来るんだ。嬉しいだろう」とか「神もあの世も生まれ変わりも、俺がいたから信じたんだろう。その俺に感謝しなくていいのか?」とか、散々恩着せがましい言い方をしているからです。(笑)

そうして「そういうことを命懸けで伝えている俺に、これっぽっちも感謝しないんだな。そういう態度をこれっぽっちも反省しないんだな。それで悪いことが起きたら俺のせいってか。ずいぶん都合がいいんだな」とか「最近はそういう話を聞いて、感謝する年寄りも増えてきたけど、この辺の年寄りはまったく感謝しないんだな」とかいいまわっていると、それを聞いた年寄りの十人に一人くらいの人が頭を下げていきます。(そういうことを聞いてさすがにやらしくなってでしょうが)

だから、最近は私に頭を下げる年寄りが増えたと書いたのです。(年寄り以外はまず頭など下げませんね。開き直って「それがどうした」という顔をしているか、逃げていく人がほとんどです)

そういう話をしまくらないと年寄りも頭を下げませんが(笑)しかし、年寄りに無理やり力ずくで頭を下げさせているのではなく、良心に散々訴えかけて、そうして自発的に頭を下げさせているのですから、別に悪くはないでしょう。

むしろよい行いなのではないでしょうか。自分たちが悪いと少しも認めなかった人たちに(少々強引ではありますが)それを認めさせているからです。

しかし、私に頭を下げている年寄りは、自分も(まだ「も」ではあるのでしょうが)悪いと少しは理解したのですから、そういう心になってはじめて救われ始めるのです。

そういう心にまずならないと救われようがありません。

そういう意味では、私に頭を下げている年寄りはこれから救われる可能性があるということです。(まだ可能性だけですけどね。そこからどれだけ自分が反省出来るかだからです。その行いは始まりにすぎないからです)

この前、ゴルフを観に行って歩きながら辻説法をしていた時、また大きな建物が見えてきて、前に出ている看板を見ると天理教と書かれてありました。

「こんなところにもでかいのがあるよ」と思いながら、中をのぞくと建物の前に人が出て来ているようでした。(一人、二人でしたが)

それで私が「いつまでそんな間違った信仰しているの。正しい信仰はこういう現象が現れるんだぜ」と騒いでいる鳥たちを指差しながら歩いて行きました。

あるオバちゃんの家の前を通ると(七十過ぎくらいの年の人です)そのオバちゃんがよく家の前に出てきていて、私に嫌がらせをしていました。(鳥が騒ぐんで私が歩いているのがよく分かるのでしょう)

しかし、私が散々辻説法をすると、最近その人は私に対する嫌がらせをやめたのです。

そのオバちゃんの家には例の公明党のポスターが張られていました。

二、三日前にも、私は、そのオバちゃんの家の前を通ったのですが、そのオバちゃんは植木いじりをしていました。

私が前を通っても何もしてきません。

それで私が「そのまま今の間違った信仰を続けても、地獄に堕ちるだけだぜ。何度もいうけど、正しい信仰はこういう奇跡(その時も鳥が騒いでいましたから)が起きないといけないんだ。誰かそういう奇跡が起きている人がいるの」と聞きました。

そのオバちゃんは顔を引きつらせて私の方を無言で見ていました。

お年寄りの人たちにいっておきます。

もう皆さん方は時間がないのです。他の人より急がないといけないのです。では、私のいうことを聞かれてはどうでしょう。

他に救われる道はないからです。

釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているのは私だけですし、現に多くのお年寄りの心を私は救っているのです。(特別年寄りだけではありませんが)

すでに、そのような実績があるのに、正しいかどうかも分からない(完全に間違っていますけど)噂を信じ、私に反発するのは唯一救われる道を自ら閉ざしているのと同じなのです。

もはや他の宗教に救いはありません。(どんな大宗教でも、この災いを止められない、そこの信者の一人として私と同じ奇跡が起きていない、そのようなことが何よりの証拠です)

私の話を信じ、それを行ったらどうでしょう。

そうすれば、その行い次第ではありますが、死後、すばらしい世界へ行くことになるからです。

救われる道は唯一私が説いていることを行う、それのみなのです。

私のいうことを聞かれてはどうでしょう。何度もいいますが、皆さん方はもう時間がないからです。

(特別、時間がないのは年寄りに限ったことではないのかもしれません。どこかの会社の連中も、どこかのバス会社の連中も〔他にもたくさんいるようですが〕時間がなさそうだからです。そういう人たちも突っ張っていないで、早く私のいうことを聞かれてはどうでしょう。それ以外で救われる道はもうないからです)

0コメント

« Prev


あなたは人目の訪問者です。