5月 02 2016
発想の転換
しかし、朝からにぎやかです。(苦笑)
どこかのバカ会社の連中、朝からドンドンガンガン大騒ぎです。
それで今日もブログを書くのは無理だなと思っていたら、なんと前のバカ会社、休みのようなのです。(いま見たら窓が全部しまって電気もついていません)
休みなのに、二、三の人間がわざわざ会社に出て来て、朝からドンドンガンガンやっていたというのですから驚きます。(アホですね)よほど何か起きているのでしょう。(本当にゴールデンウイーク中に潰されますね)
哀れなものです。自分たちが天罰を食らいまくっているというのに、それを人のせいにして怒っているだけだからです。(それではよけい天罰を食らうでしょう)
こういう(八つ当たりばかりしている)人たちがこの辺りは多いのですが、何度もいいますが、もうそういうこと(天罰)は全国的に起きているのです。
地震雷火事親父こういう怖いことが(最近親父は怖くなくなりましたが)異常なほどの頻度で起こり、それ以外でも(インフルエンザ、ノロウイルス、はしか、デング熱などの)様々な疫病が流行り、多くの人が亡くなっている(浜松など)こういう現象は、神に逆らう人があまりに多いと起こされる天罰の典型的な例であり、歴史を振り返るなら、過去に何度も起こされていることなのです。
なぜ、こういうことが起きて来たのか?
それは自分の胸に手を当てて考えてみればすぐに分かることなのです。
無神論がその最たるものですが、そればかりではなく、昔では考えられないような愛のない行為を今の人たちは普通にしているからです。(そういう愛のない行為も天罰を食らう一つの理由なのです)
先ほどの朝からドンドンガンガンやることもそうでしょう。(周りのことなどまったく考えていません。自分の感情だけです)そうして保育園をつくるな、などというあのような行為も、その愛のなさがよく分かる出来事なのです。
風俗などの、公序良俗に反するものをつくるのに反対しているというのならまだ話も分かりますが、小さな子供の学びの場である保育園をつくるのに多くの人が反対しているのです。(何せ、全国的にそうらしいですから)
これでは話にならないでしょう。
なぜなら、すべての人は(それこそどんな年を取っている人でもです)そのような場で様々なことを学んだのであり、また、そのような場で学んだ子供たちが将来の日本を背負っていくのです。
では、そういう学びの場をつくるのをじゃまするということは(自分はそういう場で学ぶだけ学んでおいてです)自分さえよければそれでよいという最たる考えであり、自分たちの未来さえ潰してしまう浅はかな考えであるということです。(将来の日本を背負って立つ子供たちの学びの場を閉ざしてしまうのですから、将来の日本もなくなるということです。では、自分たちもよい未来はこないということになります。みな運命共同体であるからです)
これだけ浅はかで自分本位で愛のない人が増えているのです。(自分たちが気づいていないだけでです)
では、全国的に天罰を食らっても別に不思議ではないですし、そういう天罰を食らい続けたから少しは人のことも考えるようになったのではないでしょうか。
絆とかいって、募金活動やボランティアを皆が率先して行うようになったのが、そのよい証拠です。
もし、このような天罰をたくさん食らわなければ、今のような(保育園をつくるなとかです)愛のない人々はもっと増え、もっともっと殺伐とした世の中になっていたはずです。
それこそ、男女平等、同権という個人尊重の思想がそれに拍車をかけるからです。
こういう天罰が次々に起きているから、自分のことより、そういう(災害になど遭って)困っている人をまず助けようと思うのであり、こういうことが起きないと人に対する愛の心などまず出て来ないのです。
だから起きているのです。様々な天罰がです。そういう(愛のない)思想ではいけないからです。
また自分だけがよくても、結局、周りが悪くなれば自分にもその害は及びます。(それもこういうことが起きたから分かるのです。いろいろ自粛したり災害で流通が悪くなったりして景気も悪くなるからです)
だから自分だけがよいという考えは本来あり得ないのであって、周りもよくなって初めて自分も本当によくなるのです。
だから私はいっているのです。早く心を変えないといけないとです。(発想を変えないといけないとです)
こういうことが起きる前に悟るなら、災いは起きないからです。
自分さえよければそれでいいのではなく、自分も周りもよくないといけないのです。周りもよくなって行かないと、結局、自分もよくならないからです。
それを悟っているなら、何も起きていなくても人助けは出来るはずです。自分だけがよいのではなく、周りもよくなってもらわなければ自分もよくなることはないからです。
これまでの発想が間違っているのです。(自分さえよければいいという単純な発想がです。皆を見ないといけないのです)
その発想を変えない限り、よい世の中は来ないのであるし、よい世の中が来ないのであれば、不幸な人がたくさん出て自分も不幸になります。
では、発想を変えるしかないでしょう。
発想を変えるのであれば、よい世の中も来て、自分も周りも幸福になるからです。
神の対する思い、人に対する思い、そういうものをこれまでとは正反対に変えてみてはどうでしょう。
そうすれば、これでとは正反対の(ということは、幸福なです。これまでは不幸なことばかり起きているからです)世の中が現れてくるからです。



人目の訪問者です。

ここ数ヶ月で地元でも怪しい雰囲気になってきたような感があります。浜松での家族死傷事件に続き、第三セクターで運営するローカル線で事故が起きたりです。この事故などは本当に不思議でした。このローカル線は上下線とも1時間毎に一本しか走らなく、これまで事故などは凡そ聞いたことない単線です。それが観光バスと踏切で衝突事故をおこしたのです。バスが安全で通れる他の道があったにも関わらず何故あの狭い道の踏切を通ったのか。いまだにはっきりしません。さらに数日前はNEXCO中日本の新東名ではトンネル内で多重事故が発生したのです。こんなに短期間の間に事件事故が起きたことは記憶にないところです。今年もまだ五月です。まだ半年以上も残っている今年はどんなことが起きるのか全く想像できないところです。
今日ブログに書いたような人が増えてくれば、そういう悪いことも増えてくるでしょう。
善因善果 悪因悪果の法則通りです。
現在は知らず知らずのうちに心が悪い方、悪い方へと進んでいるのです。
そうなるとよいこと起きてきません。
心と行いの大事さに早く多くの人が気づかないといけないのです。