>>ブログトップへ

2016年11月

11月 30 2016

本当の信仰

しかし、ほんとよく怒っていますね。

どれだけ私に怒られても、それは罰が当たっているんですから罰が当たっているのであれば、それは自分の心と行いを直す以外、その罰を止める方法はありません。

では、そうすればいいのです。私に怒るのはお門違いです。

その反面、静かになったところも多いんですが(どこかの会社など、その典型ですね…大丈夫でしょうか?さっきも何か起きていたみたいですが。〔急にキレていましたから〕)昨日など大きな宗教団体の人まで怒っていました。(何とか学会とかいうところのですが)

そういうこと(天罰)を理解しているはずの宗教団体の人たちまで、怒って私に嫌がらせしてくるというのですから、ほんと世も末ですね。

私が悪いというのなら、そういう宗教団体の人たちは祈りでも説法でもして、私を改心させないといけないはずです。

ところが、そういう宗教をしている人たちまで他の人たちと同じように私に嫌がらせをして来るのです。(嫌がらせをしてくる人たちは、特別この宗教団体の人たちばかりではありません。他の宗教団体の人たちも、そうして坊さんまでしてきます)

そういう宗教団体の人たちは、自分たちがしている宗教こそ、この世を救うことが出来る正しい教えなのだとみな思っているはずです。(そうでなければ、そこの信仰はしていませんもんね)

そういう人たちが、自分たちのしている宗教を私に伝えるのではなく、嫌がらせをして来るというのですから、それでは、自分たちの宗教ではこの世は救えないと自らいっているようなものです。

では、誰がこの世を救うんでしょうか?

だから私は世も末だといっているのです。

そういう(私に嫌がらせをして来る宗教団体の)人たちは、その教えを何年信仰しているのか何十年信仰しているのか知りませんが、恥ずかしくはないのでしょうか?

信仰している人たちが、そういう態度を取っていてです。

何をそこの宗教団体で勉強していたんですか?愛や慈悲の心は学ばなかったんでしょうか?やっていることは真逆ですが…。

決して、そういう人たちが愛や慈悲の心を信仰している場で学ばなかったということはないでしょう。学んではいますが、それを私に対しては出せないのです。

なぜ、出せないのか?

あまりに起きていることが違うからです。

その差に愕然(がくぜん)として、そうして自分たちがしている信仰も信じられなくなって(自分たちが何をしても災いが収まらないからです)それで腹も立つし(本当は信仰者がそこで腹を立ててはいけないのですが。〔苦笑〕)どうしていいのか分からず、それで嫌がらせを私にして来る、そういう人も多いのではないでしょうか。

私が園頭先生に学んでいる時に、今の私のような者が出て来て、自分たちが学んでいるものが全然通用しないとなったら、きっと私も同じようなことをしたと思うからです。(当時の園頭先生と今の私が〔祈りの〕対決をしたらさぞ面白かったでしょうね。〔笑〕マァ、私が一発で負けるんでしょうが。〔笑〕それほど私が感じた当時の〔二十五年ほど前のです〕園頭先生の心の深さは、どこまで深いのか、その深さの底が知れませんでした)

しかし、そうであるなら、現実は現実であるのですから、信仰者であるならその現実はしっかり受け止めるべきでしょう。

自分たちの信仰が通用しないのはもう決定的な事実であるからです。

それが分かったのであれば素直にそれを認めて、その教えを学び、そうしてそれを生かすべきではないでしょうか。

そうすることが自分も救われこの世も救うことになるからです。

では、辞を低くして学ばれてはどうですか?この教えをです。

そうして自分たちの宗教に生かせばいいのです。せっかくそれほど多くの人が集まっているのです。そうであるなら、その教えが変わるだけで、そこの宗教団体の人たちはみな救われるからです。

では、そうされてはどうですか。この教えであれば救われるということを、私は多くの人の前ですでに何度も証明しているからです。

これほど起きる現象に違いがあるのです。そうして、釈尊やキリストに起きていた同じ奇跡まで起きているのです。

この教えこそ本物であるということは、信仰をしている人であるならもう誰でも分かっているはずです。(もう認めざるを得ないでしょう。それをです)

では、誰かが改革者になって、その宗教団体の教えを変えればいいのです。この教えの通りにです。

そうするだけで、そこの宗教団体の全員の人が救われるからです。

それぞれのところでやればいいのです。一つにまとまる必要などありません。それぞれの宗教団体で、その仲間の人たちが自分たちで正しい教えを学ぶのです。

それでも十分、人は幸せになれるからです。

団体や組織など関係ないのです。どうやったらすべての人が幸せになれるのか?それだけなのです。

そうであるなら、本当の神の教えがあるのなら、それをすべての宗教団体の教義とすることです。

そうすれば、すべての人が幸せになれるからです。

では、そうしてください。それをすることが真の信仰者であるからです。

(もうくだらないプライドなどいりません。〔私はこの教えを何十年も学んできたなどというです。そんなことしていたらもう危ない時代になりました〕よい教えは、即、学ぶべきなのです。そうして、それを伝えるべきなのです。そういうことを宗教団体の人たちは皆しているはずです。それをそのまましてください。そうすれば自分も救われ世の中も救われて行くからです。ただ勉強している教えを少し変える、それだけでいいのです)

追伸…韓国の大統領が辞意を表明しました。

韓国とは慰安婦問題もありますし(この問題、ご破算で願いましてはにならないでしょうね。〔汗〕)北朝鮮との問題もあります。

いろいろ個別の問題がありますので、政権が変わるようならこれからいろいろ揉めるんでしょうね。

なにか、アメリカの大統領が代わることになったら、一変に世界が荒れだしました。(そんな感じがします)

こういう時こそ神の力を借りないとうまくいかないのですが、まだまだ神から遠い人が多いようです。

早くこの混乱を収拾して日本から本当の神の教えを世界に発信していきたいものです。(法を拡げることが世界の混乱を収める唯一の方法ですから)

それには日本の人々が目覚めるしかないのです。

0コメント

11月 29 2016

自力

昨日は金山に行ってきました。

金山はマンションか何か知りませんが、あちこちにたくさん工事しているところがあり(というか、高いビルをつくっています)ずいぶんにぎやかです。

しかし、私がそういうところを通ると本当にガンガンうるさいのです。工事の連中が、一々かまって来るからです。(ほんと、人気者は辛いです。〔苦笑〕)

ところが、そういう工事をもう何ヶ月も前からしているところは不思議と私が通っても静かなのです。うるさくして来るところは最近工事を始めたところばかりです。

その何ヶ月も前から工事をしているところも、最初は私が通るとうるさくしていたのです。それがいつの間にかしなくなりました。

なぜでしょうね?

この数ヶ月の間に何か起きているんでしょうか?

よく分かりませんが、あまり私にかまわない方がいいでしょう。(ガセネタ真に受けてです。私はちゃんと、そういう、うるさくして来るところには辻説法をしているのですから)あまり私にかまうと、そういうことはしてはいけないという現象が現れて来るからです。(だから何ヶ月も前から工事をしているところは静かになっているんでしょう。違いますか?)

これだけいい人間はいません。(自分でいうのも何ですが。〔笑〕)そういういい人間に嫌がらせなどするから罰が当たるのです。

早くそれに気づいてほしいものです。

そういうにぎやかな金山から帰ってくる途中、トラックやバスの運転手でやたら怒っている人がずいぶんいましたが相変らずですね。(やれやれです)

何度もいいますが因果応報という法則を知らないのでしょうか?(怒るような)悪いことが起きているのなら、それは自分の責任なのです。(善因善果、悪因悪果)

人のせいではありません。(私のせいではありません)

それもまた早く気づいてほしいものです。

そのトラックの運転手で変わった人がいましたね。

昨日の夕方、家の近くまで帰って来ると前から一台トラックが走ってきました。そのトラックは近くの運送屋のトラックで、そこの運転手連中は私の顔を見ると必ずブシュブシュ嫌がらせをして来るのです。

昨日もそうでした。私を見つけると、そのトラックは少し前からブシュブシュやり始めました。

それで「またか」と思い、その運転手に向かって祈っていると、なんとその運転手、私の近くまで走って来ると、運転席から私に向かって急に頭を下げたのです。(しかも泣きそうな顔でです)

私はまた、運転手は凄い顔をして怒っているのだろうとばかり思っていましたので(そのあまりのギャップに)「ン、なんだ」と思い、祈りをやめたのですが、私の横を通りすぎるとまたブシュブシュやっています。

「この運転手、何やっているんだろう」と少し戸惑いましたね。

一方で嫌がらせをしながら、その一方で私に頭を下げているのです。(しかも何度もです)何かやっていることが支離滅裂(しりめつれつ)です。(ほんと、どっちかにせいといいたくなります。〔苦笑〕)

一体、何をやっているんでしょうか。この連中、そんな支離滅裂なことをするくらいテンパっているんでしょうか?

よく分かりませんが、頭を下げるくらいなら嫌がらせなどしなければいいですし、嫌がらせをしてくるくらいなら、頭など下げなくていいのです。

嫌がらせをしているのなら、どれだけ頭を下げたところで罪をつくっていることにはかわりがないからです。

頭を下げるなら、心から自分が悪かったと反省して、そうして頭を下げる、それが出来て初めて自分の罪は許されるからです。

だから、そういう中途半端な態度ではどちらにしても罪をつくっているだけです。

では、そんな中途半端なことはやらない方がいいでしょう。やるだけ無駄であるからです。

もう無理をしない方がいいのではないですか。

私に頭を下げたい人がいるのなら自分一人でも下げるべきでしょう。しっかり私に頭を下げない限り、その起きている災いは止まらないからです。(もう分かっていますよね。そのことはです)

これは脅しでもなんでもありません。

実際に、そういうことが起きているところがたくさんあるから、怒っている運転手が多いのでしょうし、そういう(支離滅裂な)態度を取って来る運転手も出て来るのです。

そうであるなら、もう詫びたい人は詫びた方がいいのです。そうすれば(少なくとも)その人は救われるからです。

そういう災いがまったく起きることなく、奇跡が起き続けているのは私だけなのです。

その事実は事実として、もっとそのことを真剣に考えた方がいいのです。「なぜ、あの人だけ奇跡が起きているのか」ということをです。

そうすれば私の正しさが分かるからです。(このことを真剣に考えるのなら「釈尊やキリストも奇跡が起きていた。では、奇跡が起きる人が正しい人である」とです)

そういう正しことが自分で分かって、初めて救われる道がついて来るのです。

自分でそれを(正しいことを)自覚しなければ救われる道などつくわけがないからです。そのような道(真の救われる道)は自力でなければ開いてこないからです。

私に詫びを入れ、心を入れ替えるのなら、災いどころか奇跡が起きて来るのです。それは私の周りに数々起きている現象ですでに分かっているはずです。

ではやってはどうですか?自分が正しいことをしない限り、自分は救われないからです。

自分を救うのは自分しかいないからです。(誰か他の人が自分を救ってくれるわけではないのです。自分を救うのは自分しかいないのです。それを間違えてはいけないのです)

そうして、そのように自分でよい方に持って行ったその先に奇跡があるのです。(絶対自力のその先に他力〔奇跡〕がある)

自分で判断し、自分で正しいことを行う以外、自分が救われる道はないのです。

では、私のいうことをきいてください。それが正しい道であるからです。(実際に私のいうことをきいている人たちには奇跡が起きているのです。そうして、私のいうことに逆らっている人たちには、これもまた実際に災いが起きているのです。こういう事実が分かりませんか?)

どこかの会社などずいぶん静かになっています。(それでもちょっこちょっこやってきますが)この会社など間違っていることを自分たちでしている、その典型なのです。

そういう自分たちが間違ったことをし続けているから災いが起き続けているのであり、この人たちが私のいうことをきくなら、たとえ災いばかりが起きているこの人たちであろうと奇跡が起きて来るのです。

そのような行いこそ正しい行いであるからです。正しい行いをするなら、正しいこと(奇跡)が起きて来るからです。

災いが次々に起きる、そのようになってもいいのですか?(すでに、そのようになっているのかもしれませんが)

私のいうことに従うなら(法に従うなら)必ずよいことが起きてきます。

それが正しいことであるからです。

すべて自分で判断してください。

何度もいいますが、自分を救うのは自分しかいないからです。

追伸…政府、与党が今国会を来月の十四日まで延長するという話ですね。

そうしてTPPや年金法案の成立を目指すそうですが、ついでにカジノ法案の審議まで始めるそうですね。

審議はともかく、あまりおかしな法案を通すとおかしなことが永田町に起き出すかもしれません。(そういう時代ですから)

そこは慎重にお願いしたいものです。

0コメント

11月 28 2016

神からのメッセージ

そうですか。それほど凄いと思っているのですか。私のことをです。(笑)

だから一々、私の相手になってくるんですね。そうでなければこれだけ相手をして来るのもおかしいからです。

それなら素直に「助けてください」というべきでしょう。(ほんと素直じゃない人が多いです。〔苦笑〕)そうしないとこちらも助けようがないからです。

そうではないというのなら私など相手にしなくていいのです。(バカはほっとくにかぎります。触らぬ神に祟りなしです)

または、私に祈られてもヘラヘラ笑っていればいいのです。バカに祈られてもどうということはないはずだからです。

それなのに皆さん私が祈ると、顔が引きつる人、ムッとする人、中には凄い形相をして怒っている人までいます。

そのような皆さんの態度を見ていると、私の祈りがどれだけ天にきかれているのかがよく分かります。

私の祈りがきかれているから、皆が皆そのような態度を取るのですよね。(しかし、元々は、その皆さんがして来る嫌がらせが原因なんですけどね。その嫌がらせのお返しが私の祈りで早く返って来ているだけなんですけどね)

中には笑っている人もいますが(最近はずいぶん減りましたけどね。そういう人は)そういう人は目が笑っていないとか、引きつった笑いをしています。だから、ずいぶん無理しているなとこちらも感じるのです。

それに私が祈っているのに、ヘラヘラ笑いなどしたら、まずその人には現象が現れます。

そういうことを知っている人も多いのですから、そういう態度を無理して取る人も少ないでしょう。

そんな態度は自殺行為であるとすでに多くの人が知っているからです。

なぜ、こんなことが起きるのでしょう。なぜ、これほどのことが起きているのですか?

もう理解されませんか。いつまでも、それを否定していても悪いことしか起きないからです。

結局していることが不遜なのです。私に対する態度が悪すぎるのです。だから、多くの人が次々に天罰を(これは天罰です)食らっているのです。

今この辺りの人たちは法を説いている人に対する態度があまりに悪すぎるからです。

もし、私が釈尊やキリストであったらどうするのでしょう。

もちろん私はそんなえらい方々ではありませんが、もし、私が釈尊やキリストであって、多くの人がそういう態度を取るなら、この程度ではすまないのです。

もっと恐ろしい現象が現れたでしょう。それこそ、モーゼが起こされたような過ぎ越しの祭のようなことがあちこちで起きたはずです。(人がバタバタ死んで行く)

あまりにもこの辺りの人たちは、法を説いている人に対する態度を知らないからです。

仮にここに釈尊やキリストが現れていても、この辺りの人たちはそれを信じようとはしなかったでしょう。だから、その方々が、不思議なことをすればするだけ(ねたみやひがみの心から)意地になって私に対する態度と同じことをしたはずです。(この辺りの人たちは奇跡を起こす驚きや尊敬よりも、怒りやねたみ、ひがみの心の方がはるかに強いからです)

では、いま起きていること以上のことが起こされたでしょう。釈尊やキリストは、私などよりもはるかに高い方々であるからです。

これから多くの光の指導霊がこの世に生まれて来ることになります。(法を説かれる方々です)その時に、そのような方々に、そのような態度は絶対に取ってはならないのです。

その予習を今この辺りの人たちはさせられているのです。

だからそれは、この辺りの人たちだけではなく、全世界の人たちへのメッセージでもあるのです。

もし、そこに光の指導霊が生まれるなら、絶対にこういう態度は取ってはいけないというです。

この辺りで起きていることは、法を説いている人に、もし、そのような不遜な態度を取るなら、これだけの神の業が現れるという神からのメッセージなのです。

そのような神からのメッセージは必要でしょう。特別この辺りだけではなく、現代はどこの人々もこの辺りと同じような態度を取る人が多いと思うからです。(現代の人々は神よりも科学を重視しています。そういう人が多ければ法など二の次三の次にするでしょう。そうであるならこの辺りと同じような態度を取る人は多いと思います)

だから、このような(大変恐ろしい)ことがこの辺りで起きているのです。この辺りの人たちがしている態度は、法を説いている人に対して絶対行ってはならない態度であるからです。

だから、ここで起きていることは全世界に伝えないといけないのです。これから光の指導霊がどこに生まれて来るのか分からないからです。

その光の指導霊が生まれて法を説かれる時、絶対に不遜な態度は取ってはならない、このメッセージは全世界に伝えないといけないのです。

それが神からのメッセージであるからです。

だから、これほどのことが起こされているのです。それを他の人が知るなら、そういう不遜な態度は絶対取ってはいけないと多くの人が思うはずだからです。

そうして、こういうことでも起きないと(神の業が次々に現れることでも起きないと)現在の科学重視の世の中から神を重視する世の中に変わらないのです。

だから大きな現象として、ここにこれだけの神の業が現されているのです。

それを全世界の人々が知るなら、科学重視の世の中から(昔のような)神重視の世の中に嫌でも変わるからです。

また、神の世になったのですから、神重視の世の中に当然変えないといけないのです。

そうしなければ、災いは(気づきの現象は)止まらないからです。(だから全世界で天変地変などが激しくなっているのです。温暖化のせいではありません。人々の心が間違っているから天変地変が激しくなっているのです)

法を説いている人には礼を尽くし、へりくだって、その説かれている法を謙虚に学ばないとけないのです。

絶対に取るべき態度を間違ってはならないのです。

そうすることが、法を聞く人の当たり前の礼儀であるからです。(法を説く人は、それだけ偉大なことを教えてくださるからです)

その礼儀があまりになっていないのです。もちろん全世界の人々がです。

それは先ほども書きましたように、神を一とせず、科学を一としている、そのような考えがすでに不遜であるからです。

何よりも先に一番初めに神を置かないといけないのです。この世界にあるすべてのものは神がつくられたからです。

だから神を一としないといけないのであり、すべての始まりは、その神から始まっているのです。

この辺りで起きていることは、決して恐ろしことでも無駄なことでもありません。起こるべくして起きているのです。(全世界の人々の心の縮図としてです。そういう心のままでいてはこうなるというです)

いずれこの辺りで起きていることが、全世界の人々の指針となります。

神を一として、法を説いている人には礼を尽くさないといけないというです。

こういうことも起き出して、科学重視の世の中からこれからは神重視の世の中へと変わっていきます。

その神重視の世の中に変わるための、大事な大事な神からのメッセージを、今はこの辺りの人々は全世界に発信しているのです。

その自覚を早く持って、この神からのメッセージを全世界に伝えませんか?

そうすれば、その起きている災いは奇跡へと変わっていくからです。

(そういうことが嫌もへったくれもないのです。神からこの地に、そのようなメッセージがくだったのですから、それに早く気づいて喜んでそれをしないといけないのです。それが神の子の人間の当たり前の使命であるからです)

2コメント

11月 27 2016

神のエネルギー

しかし、あちこちで怒りまくりですね。(S運輸の人たちとか、何とか工業の人たちとか、大丈夫ですか?)

そう私に怒られても、私が悪いことをしているわけでもなし、完全に八つ当たりですよね。そういう人たちはずいぶん私に嫌がらせをしているからです。(自分たちがしていることを棚に上げて本当に呆れます)

どこかの会社などあれだけうるさかったのに静かになってしまったくらいです。この会社が静かになるなど相当やばいでしょう。

なにせ、何が起きようと開き直って法の流布のじゃまをし続けていた連中です。(ほんと命懸けで法の流布のじゃまをしているのです。バカじゃないでしょうか)その連中が静かになるなど、よほどのことが起きていると想像できるからです。

もうあちこちで出まくっているのではないでしょうか。神の業がです。(もうこの辺りなど、そこらじゅうで怒っていますから)

そのような神の業(神のエネルギー)をいい加減認めてはどうでしょう。(私が何かしているというのではなくです)

そうして神の存在を認め、その神の恐ろしさを知って、これまで神を無視していて悪うございましたと神に頭を下げ、そうして、そのことを正しく伝えていた私に間違った態度を取っていたことを詫びて、そういう知らなかったことを教えてくれてありがとうと、感謝の心で報恩の行為をされてはどうでしょう。

そのような態度を取って初めてその災いは止まるからです。

それほど難しいことではないのですから(心の狭い人には難しいのかもしれませんが)すぐにされてはどうですか。

そうしないと神の業が(神のエネルギーが)いつそのような(悪いことをし続けている)人に作用するか分からないからです。

その(悪い)心のままでいるなら、必ず神のエネルギーはその人に作用するからです。

電気や磁力、重力などは目には見えませんが存在します。それと同様、神のエネルギーも目には見えませんが存在しているのです。

それは私が祈って不思議な現象が現れていることでもその事実が分かります。

特にそれは私だけではありません。ウナッシーさんが祈っても同じです。正しい心で正しく祈るなら、必ず神のエネルギーは作用するのです。

そのような神のエネルギーは確実に存在しているからです。

そうして、この神のエネルギーは様々なところに作用して、不思議な現象を現すのです。

人に、動物に(もちろん植物にもですが)そうして鉱物に様々に作用し、奇跡(または災い)を現すのです。

それは私の体験談や、最近のウナッシーさんのコメントなど見てもらっても分かるはずです。(名乗り出ませんのではっきりとは分かりませんが、他にもいると思います。その神のエネルギーが作用して様々な奇跡が現れている人たちがです)

何も力がかかっていないところには何も起きません。必ず何かの力がかかっているから、そこに不思議なことが起きるのです。

その不思議なことを起こす、その源とは何か?

それが神のエネルギーであるということです。

そのような神のエネルギーが、この辺りで怒っている人たちにはかかっているのですから(それで普段では起きないことが起きているのですから)では、そのエネルギーをかからなくするにはどうするのか?(または、そのエネルギーをよい方に変えるにはどうするのか)

それを考えるべきではないでしょうか。

それが先ほどいった方法なのです。一番、神のエネルギーを現している私がいうのですから間違いないと思います。

しかし、それを信じないというのであれば、何度もいいますが、お祓いでも、有名なパワースポットにでも行って(あるいは高名な坊さんでも教祖様にでも頼んで)その悪いことが起きないよう、自分たちで何とかすればいいのではないでしょうか。

そういう人や場所などいくらでもあるからです。

ここは凄いパワースポットだなどという場所はいくらでもあります。そこに行ってパワーをもらってはどうでしょう。(そういうことをよくブログに書いている人がいますから)

そうすれば、その災いは止まると思うからです。

あるいは、神様、仏様を名乗ってたくさんの人を集めている人はいくらでもいます。

では、そういう凄い人たちに頼めばいいではないですか。助けてください、災いを祓ってくださいとです。

そうすれば、その災いは止まると思うからです。

私のようなみすぼらしい者に怒っている暇があるなら、そうすればいいでしょう。その方が、その災いを止めるにはよほど早いと思うからです。

だいたいおかしいでしょう。世間にはそういう高名な坊さんや大きな宗教団体はいくらでもあるのです。

それだけ悪いことが起きて怒っているくらいなら、そういうところに行きませんか?そいう災いを祓うのが、そういう人たち(そういう宗教団体)の使命、役割であるからです。

なのに、なぜ私一人にその罪を擦り付け、私一人を怒っているのですか?

仮にいま起きていることが、私のせいであったとしても、そういうところに行けば何とかしてくれるものなのではないですか?

そういうところは(寺や宗教団体など)そういう専門家(霊力の強い人たち)が集まっているところであるはずだからです。

そういうところに行って、霊力の強い人に頼むなら(あるいは徳の高い坊さんに頼むなら)あっという間に災いなど祓ってくれるでしょう。

なのに、なぜ、私に怒っている人たちは、そういうことをしないのですか?それとも、そういうことをしても(高名な坊さんや宗教団体に行っても)効果がないとすでに知っているのですか?

そうであるなら、私のいうことを信じるしかないでしょう。

他のところに行っても仕方がないとすでにその人たちは知っているからです。(それは私を誰よりも凄いと認めていることになりますが、そういうことでよろしいんでしょうか。〔苦笑〕)

では、そういう人たちは私のいうことを信じてください。(あなたたちは私を誰よりも凄いと認めているんですから)先ほどいったことを行ってください。(神に頭を下げ、私に詫びを入れて感謝する)

それ以外で、その災いを止める方法はないからです。

神は存在し、この世には確実に神のエネルギーが流れています。

その神のエネルギーは、正しいことをしている人たちには奇跡として現れ、間違ったことをしている人たちには災いとして現れます。

その正しいことを一番知っているのが私なのです。(だから、それだけ多くの現象が現れるのです。〔それだけ多くの神のエネルギーが流れるのです〕その起きている現象が何よりの証拠です)

では、私のいうことに従ってください。私のいうこと以外で、もはや救われる道はないからです。

(他の人ではダメだと分かっているんですよね。〔怒っている人たちはです。だから私の相手ばかりしているんでしょう。他の人ではダメだと知っているからです〕では、私に従うしかないのではないですか?あなたたちが思っている通り、私以外であなたたちを救える人はいないからです)

追伸…また三百点越えですか。凄いですね。

しかし、それにはこの法もずいぶん力になっていると思いますが、それはともかくです。もうちょっとが足らないようですね。(もう一段上のレベルに行くのにはです)

そのもうちょっと足らない分はどれだけ練習しても埋まらないでしょう。その先はもう神の力を借りないといけない世界であるからです。

ソロソロ私に布施くらいされてはどうですか?そうすれば、その足りない分は埋まると思うからです。

0コメント

11月 26 2016

正しい祈りの大切さ

ここに相撲のことを書いていたら稀勢の里も豪栄道も負けました。

大関が強いと面白いと書いたとたんに負けるのですから、嫌がらせかと思いました。(笑)

しかし、ここで負けますかね。

逆にいえばやはり横綱陣は強いということになるんでしょうが、こういうよい場面でよい結果が出ない(特にどこかの大関などそうなんですが。〔苦笑〕)これはやはり正しい祈りをしていないからでしょう。

前にも書きましたが、元々相撲は神事なのですから、力士は勝負の前に正しい祈りくらいやらないといけないのです。(面白くないんで、なんか無理やりこじつけています。〔苦笑〕)

それはともかく、例えばこのような時にどういう祈りをするといいのか?せっかくですから書いておきましょう。(それはどんな時にもいえることですから)

何度も書いていますが、こういう時に「自分が勝ちますように」という祈りは絶対に禁物です。

これは「相手が負けますように」と祈っていることと同じなのですから、相手が負けるように祈るのであれば、その思いが自分に返って来て自分が負けるからです。(だから、そういう祈りを強くすればするほど自分がやばいということです。強く念ずれば念ずるほど自分に返って来る念も強くなるからです)

こういう時は「自分にとって最もよい相撲が取れますように」というベストを尽くすことが出来る祈りが正しいのです。

こういう祈りであるなら、それが自分に返ってきても悪いどころかよい結果しか現れないからです。

または、昨日のウナッシーさんのコメントにあったような「このことを通し神の御力を証明せしめたまえ」という祈りがいいのです。

そういう祈りをするなら、そのことを通して神が多くの人の前で神の力を証明してくださるからです。(昨日のウナッシーさんのコメントのようにです。こんなことは普通起きないだろうというような不思議なことが起きるのです。それが神の力の現れです)

そういう祈りをするなら、まずいいところで悪い結果が出るということはありません。

仮に悪いと思うような結果が出ても、結果的にそれがよかったという結果に最後はなるのです。

神は不幸な結果など絶対に現さないからです。

神は、その人が正しい祈りをするなら必ず幸せの道に導いてくださるからです。

これは何もそういう勝負ごとに限ったことではありません。すべてのことにいえるのです。

例えば今回ずいぶん揉めている(農協とです)自民党の農業改革案でもそうです。

あれだけ多くの人がかかわることを、人の考えだけで改革しようとしたところでうまくいくはずがないのです。

多くの人が、かかわればかかわるだけ多くの人の立場や事情があり、そういう人たちすべてが満足する改革など出来るわけがないからです。

しかし、このような時にも神に祈るのであれば(こういう時は「神よ、どうぞ今回の改革ですべての人にもっともよい結果が現れますようお導きください」と祈ることが正しいのです)すべての人が百パーセントの満足はしないものの「マァ、この改革なら仕方がないか」と多くの人が思えるような、そんな改革案が必ず出て来るのです。

その会議の前に正しい祈りをするなら、神が力を貸してくださり、人の考えの足りないところを足してくださるからです。

しかし、今回の会議はそういう祈りをされた人はいなかったでしょう。それは決まった内容を見るなら分かるからです。(あのような改革の内容で誰が納得するでしょう。また農協にやられているとしか有権者は思わないでしょう)

だから、何かをする時はです。必ず正しい祈りをした方がいいのです。そうすればより以上に神が正しい方向に導いてくださるからです。

正しく祈ることの大切さが少しはお分かりいただけるでしょうか。

神から遠い人たちは、こういう祈りの大切さも分からないのです。ただ、自分によい結果が出ますようにという短絡的な祈りしかしません。

しかし、そのような祈りは間違っているのです。(間違った祈りなど続けていたらかえって自分のマイナスになります。それは気をつけた方がいいでしょう)

多くの人が正しい祈りをするなら、世の中がこれだけ揉めることはありませんし不幸な人が出ることもないのです。

正しい祈りさえしていれば(神が力を貸してくださり)よい結果しか現れてこないからです。

正しい祈りの大切さをもっと知ってください。

0コメント

Next »


あなたは人目の訪問者です。