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11月 29 2016

自力

11:15 AM ブログ

昨日は金山に行ってきました。

金山はマンションか何か知りませんが、あちこちにたくさん工事しているところがあり(というか、高いビルをつくっています)ずいぶんにぎやかです。

しかし、私がそういうところを通ると本当にガンガンうるさいのです。工事の連中が、一々かまって来るからです。(ほんと、人気者は辛いです。〔苦笑〕)

ところが、そういう工事をもう何ヶ月も前からしているところは不思議と私が通っても静かなのです。うるさくして来るところは最近工事を始めたところばかりです。

その何ヶ月も前から工事をしているところも、最初は私が通るとうるさくしていたのです。それがいつの間にかしなくなりました。

なぜでしょうね?

この数ヶ月の間に何か起きているんでしょうか?

よく分かりませんが、あまり私にかまわない方がいいでしょう。(ガセネタ真に受けてです。私はちゃんと、そういう、うるさくして来るところには辻説法をしているのですから)あまり私にかまうと、そういうことはしてはいけないという現象が現れて来るからです。(だから何ヶ月も前から工事をしているところは静かになっているんでしょう。違いますか?)

これだけいい人間はいません。(自分でいうのも何ですが。〔笑〕)そういういい人間に嫌がらせなどするから罰が当たるのです。

早くそれに気づいてほしいものです。

そういうにぎやかな金山から帰ってくる途中、トラックやバスの運転手でやたら怒っている人がずいぶんいましたが相変らずですね。(やれやれです)

何度もいいますが因果応報という法則を知らないのでしょうか?(怒るような)悪いことが起きているのなら、それは自分の責任なのです。(善因善果、悪因悪果)

人のせいではありません。(私のせいではありません)

それもまた早く気づいてほしいものです。

そのトラックの運転手で変わった人がいましたね。

昨日の夕方、家の近くまで帰って来ると前から一台トラックが走ってきました。そのトラックは近くの運送屋のトラックで、そこの運転手連中は私の顔を見ると必ずブシュブシュ嫌がらせをして来るのです。

昨日もそうでした。私を見つけると、そのトラックは少し前からブシュブシュやり始めました。

それで「またか」と思い、その運転手に向かって祈っていると、なんとその運転手、私の近くまで走って来ると、運転席から私に向かって急に頭を下げたのです。(しかも泣きそうな顔でです)

私はまた、運転手は凄い顔をして怒っているのだろうとばかり思っていましたので(そのあまりのギャップに)「ン、なんだ」と思い、祈りをやめたのですが、私の横を通りすぎるとまたブシュブシュやっています。

「この運転手、何やっているんだろう」と少し戸惑いましたね。

一方で嫌がらせをしながら、その一方で私に頭を下げているのです。(しかも何度もです)何かやっていることが支離滅裂(しりめつれつ)です。(ほんと、どっちかにせいといいたくなります。〔苦笑〕)

一体、何をやっているんでしょうか。この連中、そんな支離滅裂なことをするくらいテンパっているんでしょうか?

よく分かりませんが、頭を下げるくらいなら嫌がらせなどしなければいいですし、嫌がらせをしてくるくらいなら、頭など下げなくていいのです。

嫌がらせをしているのなら、どれだけ頭を下げたところで罪をつくっていることにはかわりがないからです。

頭を下げるなら、心から自分が悪かったと反省して、そうして頭を下げる、それが出来て初めて自分の罪は許されるからです。

だから、そういう中途半端な態度ではどちらにしても罪をつくっているだけです。

では、そんな中途半端なことはやらない方がいいでしょう。やるだけ無駄であるからです。

もう無理をしない方がいいのではないですか。

私に頭を下げたい人がいるのなら自分一人でも下げるべきでしょう。しっかり私に頭を下げない限り、その起きている災いは止まらないからです。(もう分かっていますよね。そのことはです)

これは脅しでもなんでもありません。

実際に、そういうことが起きているところがたくさんあるから、怒っている運転手が多いのでしょうし、そういう(支離滅裂な)態度を取って来る運転手も出て来るのです。

そうであるなら、もう詫びたい人は詫びた方がいいのです。そうすれば(少なくとも)その人は救われるからです。

そういう災いがまったく起きることなく、奇跡が起き続けているのは私だけなのです。

その事実は事実として、もっとそのことを真剣に考えた方がいいのです。「なぜ、あの人だけ奇跡が起きているのか」ということをです。

そうすれば私の正しさが分かるからです。(このことを真剣に考えるのなら「釈尊やキリストも奇跡が起きていた。では、奇跡が起きる人が正しい人である」とです)

そういう正しことが自分で分かって、初めて救われる道がついて来るのです。

自分でそれを(正しいことを)自覚しなければ救われる道などつくわけがないからです。そのような道(真の救われる道)は自力でなければ開いてこないからです。

私に詫びを入れ、心を入れ替えるのなら、災いどころか奇跡が起きて来るのです。それは私の周りに数々起きている現象ですでに分かっているはずです。

ではやってはどうですか?自分が正しいことをしない限り、自分は救われないからです。

自分を救うのは自分しかいないからです。(誰か他の人が自分を救ってくれるわけではないのです。自分を救うのは自分しかいないのです。それを間違えてはいけないのです)

そうして、そのように自分でよい方に持って行ったその先に奇跡があるのです。(絶対自力のその先に他力〔奇跡〕がある)

自分で判断し、自分で正しいことを行う以外、自分が救われる道はないのです。

では、私のいうことをきいてください。それが正しい道であるからです。(実際に私のいうことをきいている人たちには奇跡が起きているのです。そうして、私のいうことに逆らっている人たちには、これもまた実際に災いが起きているのです。こういう事実が分かりませんか?)

どこかの会社などずいぶん静かになっています。(それでもちょっこちょっこやってきますが)この会社など間違っていることを自分たちでしている、その典型なのです。

そういう自分たちが間違ったことをし続けているから災いが起き続けているのであり、この人たちが私のいうことをきくなら、たとえ災いばかりが起きているこの人たちであろうと奇跡が起きて来るのです。

そのような行いこそ正しい行いであるからです。正しい行いをするなら、正しいこと(奇跡)が起きて来るからです。

災いが次々に起きる、そのようになってもいいのですか?(すでに、そのようになっているのかもしれませんが)

私のいうことに従うなら(法に従うなら)必ずよいことが起きてきます。

それが正しいことであるからです。

すべて自分で判断してください。

何度もいいますが、自分を救うのは自分しかいないからです。

追伸…政府、与党が今国会を来月の十四日まで延長するという話ですね。

そうしてTPPや年金法案の成立を目指すそうですが、ついでにカジノ法案の審議まで始めるそうですね。

審議はともかく、あまりおかしな法案を通すとおかしなことが永田町に起き出すかもしれません。(そういう時代ですから)

そこは慎重にお願いしたいものです。

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