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2017年1月

1月 31 2017

迷路

昨日もマァ、あちこちでずいぶん怒っている人がました。(工事現場でガンガンやっている人がいましたから。それもあちこちの)

いい加減、私のいうことをきいてはどうですか。そうしないと悪いことが起きっぱなしのところもあり(どこかの会社などもちろんそうですが〔今日も朝早くから怒っていました〕どこかの運転手の人たちやどこかの小、中学校の人たち等々)凄まじいことになるかもしれないからです。(どうします、そこらじゅうで癌になる人が続出し出したら。別に脅しでもなんでもありません。本当にやばいんでしょう。泣きそうな顔をした人もいるし)

ちょっとゾッとしますが、それくらいのことが起きかねませんよ。あまりに皆さん傲慢であるからです。

傲慢でしょう。誰一人、頭を下げようとしないんですから。

謙虚に自分が悪かったと頭を下げる人など一人としていません。悪いことが起きると、皆が皆、頭から悪いのはお前(私)のせいです。

それでは神は助けてくれません。神の心は謙虚さの中にこそあるからです。

だから、そんな責任転嫁をいくらしたところで何も変わらないのに(むしろ悪くなる一方なのに)いつまでたっても同じことをし続けているのです。

結局、この辺りの多くの人たちは、迷路に入り込んで出口が分からず、同じところを堂々巡りしている人たちと同じなのです。

同じところで同じ間違いを繰り返し、同じようなところをグルグル回って出口が分からず困りはて、それで人に八つ当たりしている、それが今のこの辺りの多くの人たちなのです。

そうですよね。多くの人がそのような(心の)迷路に入り込んで、実際はもうどうしていいのか分からないのです。

しかし、今さら泣き言をいうわけにもいかないので、あれもこれもすべて私のせいにして、そうして怒りたくっているのです。

そのような迷路に入り込んだのは自分たちのせいにもかかわらずです。

この辺り怒った顔をした人が多いのですが、しかし、実際はもう恐ろしくてたまらないのです。(その恐れている顔をごまかすための怒り顔でしかないのです)

この迷路はただの迷路ではないからです。

この迷路は、それはそれは恐ろしい迷路であって、迷っているだけではなく、おかしなところに行けば災いまで起きる、そのような迷路であるからです。

だから多くの人が、その恐ろしい迷路から出たくて仕方がないのですが、しかし、出られない。

あっちへ行っても災いが起き、こっちへ行っても災いが起きる。しかし、出口は見つからない、どうしようもないので、あとは人に当たるしかない、だから、そのような災いをすべて私のせいにして怒りたくっているのですが、そのような冷静さを欠いた考えが、その迷路から出られなくしている一番の原因なのであって、もう少し冷静になり考えるのであれば、その迷路からは抜け出せる方法はあるのです。

そういう時は、自分の発想を変えるとか、または、その迷路のことをよく知っている人にきくとかしてはどうでしょう。

そういう時に同じ考えのままでいては、その迷路からは出ることは永遠に出来ないからです。

発想を変えないことには、そのような迷路から抜け出ることは出来ないのです。

では、そうしたらどうでしょう。

もう自分の力だけでは、その迷路から出ることは出来ないと分かっているからです。

一変に変えなくてもいいのです。少しは自分も悪かったのではないかと思い、その悪いことの原因にしている者のいうこともきいてみるのです。(要はもう少し視野を広げるということです)

だって、悪いことが起きたことが、その者のせいであるのなら、その者が悪いことが起きた原因を知っているはずだし(そういうことになりますよね。その者が悪いことをしているのなら、その者はその悪いことが起きている原因を知っているはずです。そういうことがまったく分からず、それほど多くの悪いことを起こせるはずがないからです)では、その悪いことをしている者のいうことをきいていみるのも、一つの手なのではないのでしょうか。

それくらいの発想の転換でもなければ、それだけの迷路から出ることもなかなか困難であると思われるからです。

ずいぶん長い間、その迷路から出ることが出来ない人も多いのです。

そうであるなら、ここは一つ、敵と思っている者の意見もきいてみるのです。

死中に活です。

どちらにしても、このままでは災いが起きるのなら、あえてその災いを起こしていると思われる者のところに行き、その災いが起きている原因をきく。

別にその者のいうことがきくに堪えないと思うのであればきかなければいいのだし、よいと思えばすればいいのだし、その者のところに行っても、行かなくても、どっちみちこのままでは災いが起きるのですから(もう、そこらじゅうで起きているようですから。今の心のままではまず起きます)そうであるなら、そういう一番評判の悪い者のいうこともきいてみる、これも一つの手であると思うのです。

もしかしたら、そのような逆転の発想の中に、この難局を打開するための(複雑な迷路から出るための)策が隠されているかもしれないからです。

どちらにせよです。同じ考えのまま、同じことを繰り返していても何も変わりません。

そのような(心の)迷路から出るためには逆転の発想は非常に大事なことであると思われます。

そろそろ変わりませんか?

自分が変わらない限り、その迷路からは抜け出ることは出来ないからです。

追伸…アメリカは大騒ぎですね。(その影響で世界もですが)

今回のアメリカの新大統領が予想以上の出足であるからです。(いきなりここまでするとは凄まじいです。〔苦笑〕)

やはり高橋先生の予言(アメリカの没落)が現実味を帯びてきましたね。こんな傲慢なことを続けていたら、アメリカは世界から総スカンを食らうからです。

しかし、アメリカの没落は世界の混乱を意味します。

その高橋先生の予言が現実味を帯びてきた時に日本の片隅で神の光が輝き始めました。

この神の光が世界に拡がるようなら、たとえアメリカが没落しても世界は平和になるよう導かれて行きます。

しかし、この神の光が拡がらないようなら、世界はこれまで以上の混乱をきたし混迷して行きます。

さて、どうなりますやら、今の状況では何ともいいようがありませんね。

(まだまだ闇の力も強くて反発が凄まじいですから)

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1月 29 2017

なぜ自分の悪を認めないのか

この辺りの学区の人たち、何か知りませんがメチャクチャ怒っていますね。

小学生、中学生に何かありました?そうしてそれはみな私のせいなんでしょうか?

というのも、昨日など(一昨日もそうだったんですが)私が歩いていると、この辺りで外にいる人たちが皆やたら怒っていて必ず何かして来るのです。(わざとらしくドンとか、ガンとかでかい音を立てるのです)

そうかと思うと、その学区内にある公園で遊んでいた小学生たちが、私の顔を見たとたん逃げ出していったり、一昨日など夕方歩いているといつも見かける中学生を一人も見ませんでした。

怒っている人たちがいるのはともかく、そういう態度の小、中学生は解(げ)せません。(公園で遊んでいた小学生がこちらに向かって来るというのなら話も分かりますが〔嫌がらせしたくてです〕集団で逃げて行くということなどこれまでありませんでしたから)

だから、この学区の人たち(小、中学生)に何かあったのか?と書いたのです。

しかし、こういう小、中学生に仮にです。集団で(あるいは次々に)悪いことが起きていたとしても自業自得でしょう。

なぜなら私は、この辺りの小、中学生にどれだけ嫌がらせをされているのか分からないくらいだからです。

いってはいけませんが、私のようなことをもしされているのなら、まずそういう人たちはキレて、その小、中学生に手を出しているはずです。

それだけのひどいことをこの辺りの多くの小、中学生たちは私にしているのです。(きつい言い方をするなら、私に殺されても仕方ないようなことまでしていますよ。この辺りの小、中学生はね)

だから、それに比することが、そのような小、中学生たちに起きているのです。それも因果応報であるからです。

集団でヘラヘラ笑いながら私をバカにする、歩きながらわざとでかい音を立てていく、遠くにいるのに私の方まで走って来て嫌がらせしていく「バカ、アホ、ハゲ」とまで暴言を吐かれたこともあり、石まで投げられたこともあります。

そういうことを日常茶飯事にしていたのです。この辺りの小、中学生はです。

そういうことは悪いことではないのですか?

そういうことをし続けていて悪いことは起きませんか?

何で、そういうことをまったく問題にせず、私ばかりを悪いというのですか?

それはおかしいでしょう。

そういう一方的な見方ばかりしているから、そちらに(私を敵視している人たちに)一方的に悪いことばかりが起きているのです。

そんな偏った見方はないからです。

何でこの辺りの多くの人たちは私と話そうともしないのですか。一方的に怒って嫌がらせをしていくだけなんでしょう。

そういうやり方がすでに間違っていると思われないのでしょうか?

何で私と堂々と話す人が一人もいないんでしょう。よく話してみないと分からないでしょう。どちらがいいか悪いかなどです。

私は最近は辻説法でも対話を呼びかけています。私はいくらでも話をするとです。そちらが納得がいくまで話しましょうとです。しかし、一人としてその呼びかけに答えてくれる人はいないのです。

なんで一人も話そうとはしないのですか。自分たちがいい負けるのが怖いのでしょうか?

しかし、それは自分たちが間違っていると分かるということですから、よいことなのではないのですか?

どちらにしても、そのような大人たちの無責任な態度が子供たちに伝染して、そうして子供たちも無責任な態度を取ってしまうのではないでしょうか。

子供が無責任な態度を取るなら、その子供たちはどれだけ悪いことをするのか分からないのです。

子供は大人ほど分別がないからです。だから、どれだけ深い罪を負うか分からないということです。

子供が自分たちに責任があるような言い方をすると思いますか?絶対にしません。(そういう正直な子もいるのかもしれませんが少ないです)いろいろな嘘をついて自分がよいようにしかいわないのです。

そういうところでもまた子供は多くの罪をつくってしまうのです。平気で嘘をついて責任逃れをしてしまうからです。(それは大人も同じですが、子供ほど分別なく責任逃れをする人は少ないでしょう)

また、そのような(悪い)ことをしている子たちであるから、私が祈ると病気などするのであって、正直な子であるなら、そういう子に悪い現象は現れないのです。

私が祈って現れる現象はすべて天が行っているからです。天は悪いことをしていない人たちに悪い現象を現すことなど絶対にないからです。

そのような悪い現象が現れていることが、その子が悪いことをしているという何よりの証拠なのであり、その子が悪いことをしていないのであれば、その子に悪い現象は現れないのです。

申し訳ありませんが、もし私が祈り悪い現象が現れた子供がいるのであれば、その子が悪いことをしているのであり、もっというのなら親が悪かったということです。

なぜなら、その子に親の愛が満ちているのなら悪いことなど起きなかったからです。

その親の愛が、その子を守ったからです。(だから「子供に悪いことが起きた」などといっている親は「自分は子供に対し愛がありませんでした」といっているのと同じなのです)

また、親がその子に愛を注ぎ、しっかり愛が入った正しい教育をしていたのなら、その子は私に対し悪いことなどしなかったでしょう。

どちらにせよ、親の愛がもっと深ければその子は災いから守られたということです。

親の愛が深ければ、災いを現す原因を子供自らつくらなかったからです。

このように考えるのであれば、何から何まで自分たちが原因をつくっているのであり、正しい原因しか自分たちがつくっていないのなら、自分たちに悪いことが起きることはないのです。

すでに時代は変わっています。

これまでのように高橋先生、園頭先生のような如来が優しく法を説いて教えていられた時とは違い、間違ったことをすれば、次々に天罰がくだる、もうそのような時代になったのです。(多死社会)

もう甘い考えは捨てませんか?すでに、そういう厳しい時代になっているからです。

そういう厳しい時代になったということが自覚できれば、この法がどれだけ大事なものであるのかということも分かるはずです。

この法を実践することが、その災いから守られる一番の方法であるからです。

その証明はすでに私がしています。(多くの奇跡を現してです)

もうどれだけ責任転嫁して自分の悪を認めなくても、悪い人には次々に天罰がくだる、そういう時代になったのですから、その悪を認めようが認めまいが、そのような天罰を食らっている人こそ悪人であると目に見えて分かるのです。

その自分が悪いのを認めたくなくて、未だ多くの人は悪いことを責任転嫁していますが、そのような口だけでは通用しない時代にすでになっています。

では、心を正しませんか?

その心を正すことこそ、災いから逃れられる唯一の方法であるからです。

追伸…もう嘘は通用しません。嘘などついても次々に天罰がくだるだけだからです。

悪いことをしていたことを正直にいって自分が悪かったと反省されませんか?

そうすれば奇跡は起きるからです。

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1月 28 2017

人の意見に耳を貸さない不幸

この辺り、また一段と雰囲気が変です。(汗)

何かシャレにならないくらい怒っている人もいますが、本当に大丈夫ですか?

どれだけ怒って悪いことを私のせいにしていたところで、その災いは止まりません。

どうやったらその災いは止まるのか?それをまず考えてはどうでしょう。

そうしないと(早く災いを止めないと)危ない人たちがたくさんいそうだからです。

散々悪いことをしてきたのは自分たちなのです。

人の悪口やら愚痴やら何やらいってませんでしたか?人に対する意地悪などしたことありませんか?責任転嫁したり自分の罪を人に擦り付けたりしたことはありませんか?

そのようなことはすべて悪いことなのです。(それはお分かりですよね。まさか、こういうことをいいことだと思う人はいないと思います)

では、そういう悪いことを反省一つせずに続けているのなら、その人はずいぶん悪人ということになります。

表面上ではそれが分かりませんけどね。(そんなことはしていないという顔をしていればいいんですから。その人のことをよく知らない人たちはそういうことまでは分かりませんから)

しかし、このような人は心を観れば大悪人です。悪いことをまったく反省もせず平気で続けているからです。(もう心は真っ黒ですね)

そういう表面上では分からない、心の悪まで裁かれる時代になったのです。

だから多死社会になっているのです。そういう心に悪を秘めた人たちが次々に天罰を食らっているからです。

そういう心の悪さに加えて、この辺りの人たちは私に対するたび重なる嫌がらせです。

ただでさえ心が汚いところにもってきて、その心が汚い人たちが、心を救われた者に嫌がらせをしているのです。(心を救われたことにはまったく感謝せずです)

そういう(特に悪い)行いすれば、汚い心がよけい汚くなるのは当たり前のことでしょう。

だから、この辺りは悪いことが集中して起きているのです。

多くの人たちの行いが他の地域の人たち以上に悪いからです。

そのようなこれまでの自分たちの行いをまるで考えず、その(自分たちの)罪を全部私にかぶせて怒って嫌がらせなどしているから、よけい多くの災いがこの辺りに起きるのです。

罪の上に罪を重ねているからです。

もう何度も同じような説明をしていますが、いい加減理解されませんか。

私のいうことをです。(多くの人が、自分たちのしている罪深い行為を自分たちが気づいていないだけなのです)

私のいうことを理解しない限り、この辺りで起きている災いはひどくなることはあっても止まることはないのです。

現にひどくなっているんですよね。怒っている人ばかりでなく、ずいぶん引いている人も多いからです。(もうどこかの会社など別会社のようです)

自分たちが間違ったことをしているから悪いことが起きる、自分たちが正しいことをしているのなら悪いことは起きない。

これが基本なのです。

人は関係ないのです。

それを理解しない限り、自分たちに起きている災いは止まらないのです。そういう悪いことを人のせいにしていること自体、すでに間違っているからです。

間違った考えでいるのであれば悪いことは当然のように起きるからです。(善因善果、悪因悪果)

カンカンに怒っている人たちはともかく引いている人たちはどうなんでしょう。そういう人たちは本当によいのですか。

私の話をきかなくてです。

そんな悪いことを全部、私のせいにして感情的に怒っている人たちなどほっとけばいいのです。それだけ視野の狭い人たちもないからです。(悪いことが全部私のせいだなどありえないでしょう。〔もう少し冷静に考えてみてください〕そういう人たちがどれだけ自分本位か分かりませんか?)

そういう視野の狭い人たちに合わせていては不幸になることはあっても、幸せになることはないのです。

私のいうことをきいている人たちには次々に奇跡が起きています。それが何よりの私のいっていることが正しい証明なのです。

このような時代になりました。もう金儲けや遊びばかりに目が行くのではなく、起きている現象をもう少し真剣に観られたらどうでしょう。

その起きている現象にこそ真実が隠れているからです。

奇跡が起きているのは私だけなのです。その私のいうことをもう少しきかれてはどうですか?

そうすれば本当の幸せが訪れることになるからです。

追伸…今回、布施してくださりありがとうございました。

ホッとしました。またウナッシーさんに何かあってもいけないからです。

去年ウナッシーさんがけがをしたり寝込んだりしたのも、たぶん私に報恩の行為をされていなかったからです。

一昨年まではされていたのに、去年はそれをピタリとやめられました。もちろん、ご事情はあるにせよ、年に一度くらいの布施はされた方がよかったと思います。

それが法をきいている人の最低限の礼儀であるからです。

その礼儀を欠くのなら、当然気づきの現象は現れます。

だから早く気づけばいいのにとずっと思っていたのです。

しかし、そのことをはっきりいうわけにもいきません。(仮に私が「布施しなさい」とウナッシーさんにいって、それでいやいや布施されても、それでは気づきの現象は止まらないからです。法をきかせてもらってありがたいと心から感謝しての布施でないと、気づきの現象は止まらないからです)

そうして今年に入り、この前のスマホが急にバッテリーが上がったというコメントを見て、ますますまずいなと思って半分はらはらしていたのですが(何せこの辺り、もの凄いですから)昨日ですか、布施してもらえて、それでホッとしたと書いたのです。

マァ、はっきりとは書きませんでしたが、それらしい書き方は何度もしています。(布施しなさいみたいなです。〔苦笑〕)

それで今回仕方なくされたということではないと信じます。何度も書きますが、それでは気づきの現象は止まらないからです。

前のように毎月布施される、などということはしなくて結構ですが、せめて年に一度くらいは布施をされてはどうでしょう。

結局、感謝感謝といっているだけでは感謝にならないからです。報恩の行為が伴ってはじめて感謝したといえるからです。

また、そういうことをしない(法に対する感謝がない)ツケは必ずどこかで払わされます。それが早いか遅いか、それだけのことなのです。(この辺りの人たちはずいぶん早いです。法に対して報恩の行為どころか、嫌がらせをしているからです。それでは気づきの現象は次々に現れて来ます)

法を勉強すると誓われた以上、間違ったことをすれば、そのお返しは早くご自身に返ります。(私など悪いことをしたら、その日のうちに何か悪いことが返ってきます)

そのような現象がまた何よりの心の勉強になるのですが、それはご承知のうえ、これからも頑張ってください。

またよろしくお願い致します。ありがとうございました。

(すいません。他の人への示しもありまして、こういうよけいなことまで書いてしまいました。広い心でお許しください)

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1月 26 2017

神の力

待望といいましょうか、待ちに待ったといいましょうか日本人(日本出身)横綱がやっと誕生しましたね。

十九年ぶりですか…今年は春から縁起がよさそうです。(そうでもありませんか。北日本や日本海側など雪で大荒れですし、アメリカ大統領も大荒れですし。〔苦笑〕)

しかしマァ、日本の多くの人が待ち望んでいた日本人横綱の誕生です。

まずはめでたいですね。

稀勢の里関には、日本人の心を体現できる(日本人には日本人にしか分からない心がありますから…それはどこの国の人でも同じでしょうが)そのような横綱にぜひなっていただきたいものですが、後は果たして横綱稀勢の里時代が来るのか、それとも来ないのか、ということです。

しかしそれは、先場所の千秋楽、横綱白鵬との取り組みに答えが出ています。

あのような取り組みを横綱稀勢の里が、これからも出来るというのであれば稀勢の里時代は来るでしょうし、あのような取り組みは今後二度と出来ないというのであれば来ないでしょう。

それは断言できると思います。

「あの取り組みがどうかしたのか」「白鵬に押し込まれたが、最後に逆転しただけの他の力士にでも出来る、普通の取り組みではないか」などという人は神を知らない人ですね。

それではいけません。(神の子である人間としてです)

あの取り組みの後の稀勢の里が一体何をいったのか、それをよくきいていないといけないのです。

その稀勢の里の言葉にこの取り組みの偉大さが隠れているからです。

あの白鵬との取り組みの後、稀勢の里は普通であるならあの白鵬の激しい押しを残せなかったと、しかし、あの時、後ろから誰かに押されているような気がして、そうして白鵬の押しを残すことが出来、それで逆転勝利につながったと、そういったのです。

しかも、あのような体験は初めてであったともいっていました。

マスコミなどは、それは亡くなった元親方が押してくれたのではないかということをいっている人(書いている人)が多かったのですが、それが神の力なのです。

あの千秋楽の取り組みは稀勢の里に神の力が働いたのです。

だから私はあの取り組みは偉大であったといっているのです。土俵上に神の力が現れた取り組みであったからです。

あの千秋楽の白鵬との取り組みで稀勢の里に神の力が現れたから、あの逆転勝利があったのであり、あの逆転勝利があったから稀勢の里の横綱昇進が確定したのです。(もし、あそこで負けているようなら、その後の横綱昇進がなかったとはいいませんが、かなり揉めたでしょうね。勝負弱さが変わっていないとかなんとかいわれてです。勝ってもいわれているくらいですから。〔笑〕)

ではなぜ、あそこで神の力が稀勢の里に働いたのか?

それはやはりこれまでの努力もありますが、少しは(本当の)神の心を知ったからではないでしょうか。

だから最後の最後に神が協力してくれたのです。

そうでなければ、あのような不思議なことが起きるはずがないからです。(不思議なことですよね。最後の最後、横綱昇進がかかった千秋楽での横綱との一戦に初めての体験〔後ろから背中を押されるような感覚〕などするのですから。このような取り組みを不思議といわずしてなんというのでしょう)

だから私は、このような取り組みが(神の力が土俵上に現れる)今後も出来るようなら稀勢の里時代は来るといっているのだし、出来ないようなら来ないといっているのです。

自分の取り組みに頻繁に神の力が現れるようであれば、奇跡的な勝ちが続くのであるし、奇跡的な勝ちが続くのであれば、いやでも横綱稀勢の里の時代は来るからです。

そういう取り組みが出来るも出来ないも、それは稀勢の里次第でしょうが、この神の力を軽く考えるのか、それとも重く受け止めるのかで、これからの横綱稀勢の里の相撲道は大きく変わって来ることだけは確かでしょう。

元々、相撲は神事なのです。では、神の力が土俵に現れて当然なのであり、現れないようなら、そのような力士は相撲道を外れているということになります。

これからの相撲取りは肉体だけではなく、心も鍛えなくてはいけないでしょう。(法に合わせてです)

もうそのような時代(正法の世)になっているからです。

そうして神の力が土俵上に次々に現れる力士が増えて来るなら、当然場所は盛り上がり(今以上にです)空前の相撲ブームもやってくるはずです。(そういう相撲が取れるのならもちろんそのような奇跡は起こります。神の力が現れる相撲など〔それは奇跡的な相撲が次々に観られるということですから〕誰でも観たいからです)

そうなれば力士はもちろん、日本中が盛り上がります。

だから、そのような力士が増えて来ることを願ってやみませんが、先場所の最後の最後に、そのような(神の力が現れる)相撲が現れました。

その稀勢の里、白鵬戦が稀勢の里だけではなく、今後の大相撲の行く末までも暗示しているのです。

力士の皆さんもこの法を学ばれませんか?

そうすれば必ず神の力は現れるからです。

追伸…しかし、神の力があの時に現れたということは、稀勢の里は私のいうことを少しはきいたということになります。(私のいうこと〔法〕を実践しないと絶対に神の力は現れないからです)

では、もう少しきいてはどうでしょう。そうすれば稀勢の里時代は必ず来るからです。

琴奨菊はききませんでした。(祈ってあげたのに何のお礼もなしです)だからああなった(大関陥落)とはいいませんが、神の心を無視するより、やはり神の心には従った方がいいのです。

そうすれば、多くの奇跡が現れるからです。(私など現れっぱなしです。分けてあげたいくらいです。〔笑〕)

特別相撲取りだけではなく、テニスやゴルフの選手もこの法をよく勉強されたらどうですか?せっかくいいところまで行っているからです。

(本当に皆さん惜しい戦いが続いています。そこに神の力が加われば、あの惜しかった戦いはすべて優勝できているのです。神を信じ私に少しくらいの協力をしていただけないでしょうか?〔お金は腐るほどあるんでしょう。ブログ代くらい払ってもらえませんか・苦笑〕そうすればメジャー大会での優勝も夢ではないからです)

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1月 24 2017

正しい態度

相変らずこの辺りの人たちはお怒りですね。今日も朝からガンガンでかい音を立てているバカがいました。(朝の七時頃です。まったく周りの迷惑などおかまいなしです)

そこまで怒っている人がいては黙ってもいられません。こちらはこちらで書かせてもらいますが、しかし、勝手なものです。

自分たちがおかしなことをしているから自分たちにおかしなことが起きているだけなのに、それをすべて私のせいにしています。

バカじゃないかと思ってしまいます。

そのような自分たちが原因で起きている災いを散々責任転嫁しているから、よけい悪いことが起きるのです。

自分たちのおかしな態度にいい加減気づいてはどうでしょう。そのような(超がつくほど)おかしな態度を取っているから災いが起きているだけだからです。

だいたい、この辺りの人たちは何でもかんでも悪いことは私のせいです。本当に気はたしかなんでしょうか?

よく考えてみてください。悪いことなど、私のことを知る前からいくらでも起きていたはずです。

病気になる人もいれば事故に遭う人もいたでしょう。家が火事になる人だっていたはずです。

しかし、ここ数年のこの辺りの人たちは、そのような悪いことをすべて私のせいにしているのです。(救急車でも、パトカーでも、消防車でも、何でもかんでもサイレンがしてくれば私のせいですから)

では、この辺りの人たちは私のことを知る前に悪いことは全然起きていなかったとでもいうのでしょうか?

そうであるなら、最近起きている悪いことは私のせいだということになりますが、そんなことはなかったはずです。

そのような悪いことなど、日本中(もっというなら世界中)どこでも起きていることであるからです。

そういう自分たちが原因で起きている悪いことまで、何でもかんでも私のせいにしているからよけい悪いことが起きるのであり(そんなメチャクチャな話はないですから。責任転嫁の最たるものですから)元々、サイレンが起き出したのも運転手連中のよってたかっての私に対する嫌がらせが原因であるのですから(それを行う前まではサイレンなどしていなかったんですから)その原因を正しく知って、正しい態度を取らないと、その起きている災いは止まらないのです。

自分が正しい態度を取るのであれば、自分に悪いことが起きるということはないからです。

今この辺りで起きている悪いことは、すべて自分が悪いことをしている、そのお返しが来ているだけであるからです。

だから、悪いことが起きている人のいうことなどきいて、同じようなことをしているから同じ悪いことが起きて来るのであり、人のいうことなどに惑わされず、自分がしっかりした正しい態度を取っているのなら、自分に悪いことは起きないのです。

現に私には災いなど起きていないのです。奇跡しか起きていないのです。(私に鳥が寄ってくるような愛ある奇跡が起きているのは誰でも知っているはずです)

なぜでしょうか?

私は人のいうことなどに惑わされず、正しい態度を取っているからです。(この法を基準としてです)

だから、奇跡が起きて来るのです。行いが正しいからです。

しかし、私のことを悪くいっている人たちどうでしょう。

私に嫌がらせをしている人たちのほとんどは私のブログを読み、噂をきいて(いっていることをきいて)心が救われている人たちなのです。

しかし、この人たちは私に少しも感謝しません。(私はこの辺りで感謝されたことは一度もありませんから)そうして(奇跡が起きているような)よいことも一切いわないのです。(私を褒〔ほ〕めないということです。悪口はいってもです)

そればかりでなく、それが正しいかどうかも分からないのに、悪いことが起きるとそれを全部私のせいにしています。

このような態度が正しいのでしょうか?

人を正しく見る場合は起きているよいことも悪いことも両方認めて、そうしてあいつはいい奴、悪い奴という判断をしないといけないはずです。

しかし、この辺りの多くの人たちは、こいつは悪い奴と私を決めつけて嫌がらせはするが、心を救われていることには少しも感謝せず、起きている奇跡も認めようとしないのです。

こういう偏った見方が正しいのでしょうか?

そういう自分たちの態度は棚に上げて、悪いことをすべて私一人のせいになどしているから、もっと悪いことが起きて来るのであり、よいことはよいと認め、救われたことは救われたと認めて感謝して、それでもあいつはこういう悪いところがあるからいけない、というのであれば、まだ話の筋も通るのですが、そういう筋を通す人は一人もいません。

だから悪いことが一方的に起きているのです。

私に嫌がらせしている人たちが一方的に悪いことをしているからです。そのような態度は間違っているからです。

そのような間違った態度を取り続けているから災いが起き続けているのです。

自分たちのそのような間違った態度に早く気づかないといけないのです。そうしないと起きている災いはどこまでひどくなるか分からないからです。

もっと正しい態度を取りませんか?

そうすれば、起きている災いはすぐにでも止まるからです。

追伸…いい加減に私のいうことをきいたらどうですか?そうすれば、災いは止まり奇跡が起きて来るからです。(何せ、奇跡が起きているのは私だけですから)

それを頑なに拒否しているから悪いことが起きるのです。自分たちだけでは正しいやり方が分からないからです。(すいません。もう正法の世になっていますから)

私がいっていることこそ正しいのです。いつになったらそれが分かるのですか?それが分からない間はいつ災いが起きるか分からないのです。

(ずいぶん怖い生活ですね。〔そういうのがお好きなんですか?〕毎日ヒヤヒヤして生活しないといけないからです。心安らぐ生活をされたらどうでしょう。それにはこの法を勉強するしかないのです…どこかの会社、ずいぶん静かになってしまいましたがどうしたんでしょう?〔相当やばいんじゃないですか・汗〕)

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