1月 26 2017
神の力
待望といいましょうか、待ちに待ったといいましょうか日本人(日本出身)横綱がやっと誕生しましたね。
十九年ぶりですか…今年は春から縁起がよさそうです。(そうでもありませんか。北日本や日本海側など雪で大荒れですし、アメリカ大統領も大荒れですし。〔苦笑〕)
しかしマァ、日本の多くの人が待ち望んでいた日本人横綱の誕生です。
まずはめでたいですね。
稀勢の里関には、日本人の心を体現できる(日本人には日本人にしか分からない心がありますから…それはどこの国の人でも同じでしょうが)そのような横綱にぜひなっていただきたいものですが、後は果たして横綱稀勢の里時代が来るのか、それとも来ないのか、ということです。
しかしそれは、先場所の千秋楽、横綱白鵬との取り組みに答えが出ています。
あのような取り組みを横綱稀勢の里が、これからも出来るというのであれば稀勢の里時代は来るでしょうし、あのような取り組みは今後二度と出来ないというのであれば来ないでしょう。
それは断言できると思います。
「あの取り組みがどうかしたのか」「白鵬に押し込まれたが、最後に逆転しただけの他の力士にでも出来る、普通の取り組みではないか」などという人は神を知らない人ですね。
それではいけません。(神の子である人間としてです)
あの取り組みの後の稀勢の里が一体何をいったのか、それをよくきいていないといけないのです。
その稀勢の里の言葉にこの取り組みの偉大さが隠れているからです。
あの白鵬との取り組みの後、稀勢の里は普通であるならあの白鵬の激しい押しを残せなかったと、しかし、あの時、後ろから誰かに押されているような気がして、そうして白鵬の押しを残すことが出来、それで逆転勝利につながったと、そういったのです。
しかも、あのような体験は初めてであったともいっていました。
マスコミなどは、それは亡くなった元親方が押してくれたのではないかということをいっている人(書いている人)が多かったのですが、それが神の力なのです。
あの千秋楽の取り組みは稀勢の里に神の力が働いたのです。
だから私はあの取り組みは偉大であったといっているのです。土俵上に神の力が現れた取り組みであったからです。
あの千秋楽の白鵬との取り組みで稀勢の里に神の力が現れたから、あの逆転勝利があったのであり、あの逆転勝利があったから稀勢の里の横綱昇進が確定したのです。(もし、あそこで負けているようなら、その後の横綱昇進がなかったとはいいませんが、かなり揉めたでしょうね。勝負弱さが変わっていないとかなんとかいわれてです。勝ってもいわれているくらいですから。〔笑〕)
ではなぜ、あそこで神の力が稀勢の里に働いたのか?
それはやはりこれまでの努力もありますが、少しは(本当の)神の心を知ったからではないでしょうか。
だから最後の最後に神が協力してくれたのです。
そうでなければ、あのような不思議なことが起きるはずがないからです。(不思議なことですよね。最後の最後、横綱昇進がかかった千秋楽での横綱との一戦に初めての体験〔後ろから背中を押されるような感覚〕などするのですから。このような取り組みを不思議といわずしてなんというのでしょう)
だから私は、このような取り組みが(神の力が土俵上に現れる)今後も出来るようなら稀勢の里時代は来るといっているのだし、出来ないようなら来ないといっているのです。
自分の取り組みに頻繁に神の力が現れるようであれば、奇跡的な勝ちが続くのであるし、奇跡的な勝ちが続くのであれば、いやでも横綱稀勢の里の時代は来るからです。
そういう取り組みが出来るも出来ないも、それは稀勢の里次第でしょうが、この神の力を軽く考えるのか、それとも重く受け止めるのかで、これからの横綱稀勢の里の相撲道は大きく変わって来ることだけは確かでしょう。
元々、相撲は神事なのです。では、神の力が土俵に現れて当然なのであり、現れないようなら、そのような力士は相撲道を外れているということになります。
これからの相撲取りは肉体だけではなく、心も鍛えなくてはいけないでしょう。(法に合わせてです)
もうそのような時代(正法の世)になっているからです。
そうして神の力が土俵上に次々に現れる力士が増えて来るなら、当然場所は盛り上がり(今以上にです)空前の相撲ブームもやってくるはずです。(そういう相撲が取れるのならもちろんそのような奇跡は起こります。神の力が現れる相撲など〔それは奇跡的な相撲が次々に観られるということですから〕誰でも観たいからです)
そうなれば力士はもちろん、日本中が盛り上がります。
だから、そのような力士が増えて来ることを願ってやみませんが、先場所の最後の最後に、そのような(神の力が現れる)相撲が現れました。
その稀勢の里、白鵬戦が稀勢の里だけではなく、今後の大相撲の行く末までも暗示しているのです。
力士の皆さんもこの法を学ばれませんか?
そうすれば必ず神の力は現れるからです。
追伸…しかし、神の力があの時に現れたということは、稀勢の里は私のいうことを少しはきいたということになります。(私のいうこと〔法〕を実践しないと絶対に神の力は現れないからです)
では、もう少しきいてはどうでしょう。そうすれば稀勢の里時代は必ず来るからです。
琴奨菊はききませんでした。(祈ってあげたのに何のお礼もなしです)だからああなった(大関陥落)とはいいませんが、神の心を無視するより、やはり神の心には従った方がいいのです。
そうすれば、多くの奇跡が現れるからです。(私など現れっぱなしです。分けてあげたいくらいです。〔笑〕)
特別相撲取りだけではなく、テニスやゴルフの選手もこの法をよく勉強されたらどうですか?せっかくいいところまで行っているからです。
(本当に皆さん惜しい戦いが続いています。そこに神の力が加われば、あの惜しかった戦いはすべて優勝できているのです。神を信じ私に少しくらいの協力をしていただけないでしょうか?〔お金は腐るほどあるんでしょう。ブログ代くらい払ってもらえませんか・苦笑〕そうすればメジャー大会での優勝も夢ではないからです)



人目の訪問者です。

今朝のニュースで女性アーティストがとある神社でコンサートをやったことを見ました。それにはなんとお坊さんがバックで袈裟姿でダンスを、と言っても本物の坊さんなのでそれっぽく踊っている姿が流されていました。開場の観客もその演出にわいていました。でも私が神を想う時、決してイタズラな思いは持たず真摯に向き合うしか出来ないのです。ですから神に支える坊さんがイベントとは言えその踊る姿には違和感がありました。自分もそれに相応しい人間になれるよう切磋琢磨し精進します。
そういう坊主は生臭坊主としかいいようがありません。
そういうことをしている坊さんがいるから、既存の宗教はすたれていくのです。