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2017年1月

1月 14 2017

意識改革

今日は休みですか…今週は月曜日も休みだったので(成人の日で)珍しいですね。どこかの会社がこれだけ休むのもです。(毎晩八時、九時くらいまではやっているのにです)

というか、今日は急きょ休みにでもしたんじゃないですか。今週あまりにいろいろ起きすぎてです。(なんか凄かったですよ。もう次から次に何か起きてるみたいで、騒ぐは、怒るは、引いてるわで、そちらの方が忙しかったようです)

なんかメチャメチャ起きてますね。(どこかの会社だけではなく)そこらじゅうでです。(昨日でも帰ってくるとやたら怒っている近所の会社がありましたし、私が近くを通ると怒ってでかい音を立てて雨戸を閉めているオバちゃんもいました。近所だけではなくもうそこらじゅうで怒っている〔か、または思いっきり引いているかしている〕人がいます)

それに中学生も大丈夫でしょうか。冬休みに何か起きたんでしょうか?

冬休みの前と後では態度がずいぶん違う中学生もいるようだからです。

そういう小、中学生から年寄りに至るまで多くの人たちが私に嫌がらせを繰り返しています。これでは悪いことは起きるでしょう。

自分たちの行いがあまりに悪すぎるからです。

私に心を救われていながら、そのお返しが嫌がらせでは話にならないでしょう。罰が当たるのは当然ですが、その罰まで私のせいにしています。

この辺りの人たち、どれだけ罪を重ねれば気がすむのでしょう。

それだけ悪いことを重ねていれば(自覚が全然ないようですが)天罰が激しくなることはあっても収まることはありません。

もう自分が悪かったと反省するしかないのです。

何度もいいますが、反省されたらどうですか?悪いのはどこをどうとってもそちらの方であるからです。

私は人の心を救っているだけです。ブログを書いたり辻説法をしたりしてです。

それ以外は祈りで皆さんの目を覚まさせるため(神の存在を知らせるため)祈っているだけで、何も悪いことはしていないのです。

それなのに、濡れ衣を着せて一方的に私を悪者にしているのは、その災いを受けている人たちの方なのです。(悪いことが起きることが偶然ではなく必然と分かったとたん、その罪を全部私にかぶせるというのですから、大した悪党ですね。この辺りの皆さんはです)

そういうことをしているから天罰を食らうのです。

起きている現象の違いが、私のいっていることの正しさを裏付けています。悪いことが起きている人たちはもう観念して反省するしかないのです。

その反省をしない限り、起きている悪いこと(天罰)は止まらないからです。

「自分が悪かった」と思わない限り、その現象から逃れる術はないのです。では、思われたらどうですか?

「あいつのせいでこんなことになった」「いつ自分は病気になるのか」などという怒りや不安の心で毎日を過ごすより、自分が反省することによって、そのような怒りや不安が心から取り除かれるのなら、その方がよほどよいと思うからです。

人の一番の幸せは、その「心の安らぎ」であると思うからです。

このような災いは何年にもわたって続いているのです。そうしてこの災いは今の心のままでは絶対に止まりません。

それはもう分かっているはずです。心を少し変えただけで奇跡が起きた人がすでに何人もいるからです。

私に関わった人で、災いが起きている人ばかりでなく奇跡が起きている人もいるのです。

では、なぜその人たちは奇跡が起きたのですか?

それは自分の心を変えたからです。自分の心をよい方に(神の方に)変えたからその人たちは奇跡が起きたのです。

では、そのよい方に心を変えるしかないのではないですか?そうすれば奇跡が起きると証明している人がすでに何人も(何十人も)出てきているからです。

そういう奇跡が起きている人たちは自分から意識を変えたのです。私にいわれてイヤイヤ変えたわけではありません。

私が「こうするといいですよ」といったことを素直にきいて自分で意識を変えたのです。

そうしたら奇跡が起きたのです。

では、そうする以外で救われる道はないということになります。現にそうして救われている人たちが(奇跡が起きている人たちが)たくさんいるからです。

自分から救われたいと思い、自分でよいことを実践しない限り、自分が救われることはありません。

救われたい人だけそうしてください。私に詫びを入れ、そうして「自分はどうしたら救われますか?」とききに来てください。

そういう人にだけ救われる道を私は説きますから。(メールでもなんでも結構ですから連絡をもらえませんか?今のまま私のいうことを無視しているのなら、多くの人に災いは現れるでしょう。「そのままの心では悪いことが起きる」そのような心の人がたくさんいるからです。それがどうしても無理だというのなら、悪かったというメールだけよこし布施でも何でもしてください。そういう〔善い〕行いが自分を救うからです)

もし、何もしようとしないのなら(何も変えようとしないのなら)そういう人にはまず災い(天罰)が起こります。

それほど多くの罪を(神に対し)すでに現代の人々は負っているからです。

反省(意識改革)されませんか?

それが自分が救われる唯一の道であるからです。

追伸…これだけメチャメチャ何か起き出したようだと、人がしているとは思えませんね。何か限度を知らないような気がするからです。

このようなことが起きて来たのは今年に入ってからでしょうか?というより、去年の年末にあのブログを書いてからではないでしょうか。

この辺り急に災いが増え出したのはです。

あの真っ黒な龍が来たと書いてから何かこの辺りの様子が変わってきたように感じます。引きつった顔をした人は増えたし、怒っている人は多い、そうして逃げていく中学生も増えたからです。(遠くで私を見かけるとです。近くで顔を合わせる中学生などはまだ無理して何かやって行く中学生もいるにはいますが…それでも私の顔を見て脱兎〔だっと〕のごとく逃げ出した中学生もいました。〔苦笑〕)

この辺りで起きている災いが、もし龍が起こしているのであれば、あちこちで災いがメチャメチャ起き出したというのも分かります。

龍など加減を知らないからです。情もへったくれもなくやるだけやってしまうからです。(マァ、動物はそういうものです)

その龍が暴れているのかどうなのか、それは分かりませんが、その龍のように自分勝手に暴れ回る指導者が今年はたくさん現れそうですね。

アメリカやヨーロッパなどにです。(すでにアメリカの次期大統領などやらかしてくれていますから。〔苦笑〕)

それに加えて中東(ISやイスラエルなど)やアジア(中国、北朝鮮など)問題もあります。

今年は不穏な年となりそうです。

そうであるなら、今年の漢字を一文字であらわすなら「龍」(竜)という文字がぴったりなのではないでしょうか。

そういう生き物がまさに龍であるからです。

これから出て来る新しい指導者が龍のような人でないことを祈るばかりですね。

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1月 09 2017

都合のいい人たち

今日はこの辺り休みの会社が多いようです。(どこかの会社も休みですか…では、休みの間に反省されたらどうでしょう。いい加減反省しないと、もう滅ぼされそうだからです。〔先週などひどい怒りようでしたから〕)

静かでいいと思っていたら、どこかのマンションの人で何かやたら怒っている人がいます。(昨夜からバシバシやって怒っていますね)何か悪いことでも起きたんでしょうか?

それで、その起きた悪いことがまた私のせいなんですか?

本当にいい加減にしてほしいものです。(しかし、この辺りの人たち、そういうことがすべて偶然だと思っていた時までは、そういう悪いことが起きても仕方がないと思っていたはずなのに、それが必然と分かったとたん、その悪いことの原因を全部私にかぶせるんですから、ほんと呆れますね)

緊急性がありそうなので書きますが、癌にでもなりましたか?

もし、そんな病気になったのなら、入院して手術するかどうかなどいろいろ決めないといけないんでしょう。

大変ですね。

私は前に、末期癌の人を祈ったら、その人の癌が小さくなり痛みもなくなって、安らかに逝かれたという奇跡が起きましたが、この教えを勉強するなら、まだ早いうちなら(私が祈れば)その癌が治ってしまうかもしれません。

この教えを少しは勉強されてはどうでしょう。そうすればそのような奇跡も現れるからです。

それとも感謝すら(布施一つ)しないのに、心が救われただけでは飽き足らず、体まで救ってもらおうなどという気は毛頭ありませんよね。(お前のせいでこうなったんだから、何もいわなくてもお前が治せ、みたいな感じでです)

それではあまりに都合がいいでしょう。そういう人には仮に私が祈ったところで何の奇跡も起きないのです。

そんな傲慢な心の人ではいくら祈っても、その祈りは天に届かないからです。

謙虚で神を一心に思い、ちゃんと感謝すべきところは感謝できる、分別をよくわきまえている、そういう人にしか奇跡は起きないのです。(そういう人じゃない人にも奇跡が起きる場合がありますが、そういう時は神の存在を証明するためとか〔この法の正しさを証明するためとか〕何か特別な理由がある場合はこの限りではありません)

では、そういう謙虚で感謝できる人になってはどうでしょう。そうすればよく奇跡が起きるようになるからです。

自分勝手な都合のいい考えでは何も奇跡は起きないし、結局そういう考えの人は不幸になるのです。

そういう考えは間違っているからです。

間違った考えでいつまでもいるなら、どこかで気づきの現象は必ず現れるからです。

都合のいい考えは捨て、謙虚に神を思い、その神の本当の心を書いている私に心から感謝され布施でもされませんか?

そうすれば黙っていても奇跡は起きて来るからです。(これだけはいえます。怒っているだけでは一つも救われません)

追伸…このブログを読んでいて、法を教わって心まで救われているのに、少しの布施もしないでは、それは悪いことも起きてきます。

悪いことをしているのは、法を教えてもらっていながら、布施一つしようとしない、そんな愛のない行為を平気でしている、このブログを読んでいる人たちの方であるからです。

この時代の人たちくらいですよ。法を教えてもらっていながら、これだけ頑なに感謝しようとしない人たちなどです。

普通であるなら、法を知って心が救われ、これだけの現象まで現れているのですから、喜んで布施する人がそこらじゅうにいても不思議でもなんでもないのです。

しかし、この時代の人たちは、心も救われ、不思議な現象も次々に現れているという実感がありながら、それでもこの教えを無視しているのです。

そういう意味でも異常なのです。この時代の人たちはです。必要以上に神を(神の力を)無視しているからです。(何でそこまで無視しているのか本当に不思議ですね。神の業に驚くのが恥ずかしいんでしょうか?)

あまりに科学に(現実のことだけに)考えが偏っているのか、それとも神の業に驚くなど自分のプライドが許さないのか(一体何のプライドでしょう?)それはよく分かりませんが、そんな異常な(罰当たりな)考えであるから、これだけ災いを起こされるのです。

神の子である私たち人間が、その神の心からあまりに離れすぎているからです。

この世はすべて神がつくられたのです。科学や物質をいう前に一番初めに神があるのです。

では、その神を一に思われてはどうですか?

そうすれば災いなど現れず奇跡が現れるからです。

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1月 08 2017

間違った信仰の弊害

毎日毎日、あちこちで本当によく怒っています。(どこかの会社などもうカンカンです)

昨日でも二十二、三くらいの若い奴にいちゃもんをつけられるし(何かやたら怒っていました)これだけ悪いことを私のせいにされてはねぇ。

仕方がないのでちょっとブログを書いておきます。

そこらじゅうで怒っている人がいるようですが、悪いことはみな私のせいなんですか?自分たちは少しも悪くないんでしょうか?

私が全然知らない人が病気になっても私のせい、けがをしても私のせい、消防車であろうとパトカーであろうと何であろうとサイレンがしてきたら、それは全部私のせい、まったく異常ですね。(分かりませんか?そういう発想の異常さがです)

何でもかんでも私のせいにして怒ればいいというものではありません。

もう少し自分たちの心と行いを考えてはどうでしょう。そうしないと大きな間違いをしてしまうからです。(もう大部分の人がしていますけどね。大きな間違いをです)

それほど自分たちの心はきれいなのですか。自分が思っているほど自分は善人なのでしょうか?

とんでもありません。勘違いもはなはだしいのです。

極端ないい方をするなら、悪いことが起きている人はみな悪人なのです。(悪人だから悪いことが起きるのです)自分が悪人なのを自分がよく分かっていないだけなのです。

悪いことが起きた人など、例えば人の悪口はいっていませんでしたか?人に嫌がらせなどしたことはなかったでしょうか?

そういうことも十分悪いことなのです。

もし、その人が(表面上はともかくです)陰ででも人の悪口をいっているのであれば、その人の心はすでに汚れているということになります。(悪口でも十分心は汚れますから)

また、そのような行い(人への悪口)をまったく反省しようともせず、当事者がいないのなら別にかまわないだろうと、いない人の悪口を平気で何年も(あるいは何十年も)いい続けているのであるなら、その人の心はもう相当汚れています。(多分そういう人の心は真っ黒でしょうね。反省しないで〔心をきれいにしようとしないで〕心を汚すばかりであるからです)

そうであるなら、そのような人に悪いことが起きるのはある意味当たり前のことなのです。

心が汚いのであれば、災い(気づきの現象)は起きて来て当然のことであるからです。

だから、そこらじゅうで悪いことが起きているのでしょう。(この地域だけではなく、他の地域でもです。もちろん日本だけではなく世界でです)

そのような人たちはみな間違ったことをしているからです。だから気づきの現象(悪いこと)を天から起こされるのです。

自分で間違った行いをして自分の心を汚しているにもかかわらず、自分で気づいていないからです。

心が汚くないのであれば悪いことは起きません。それは釈尊やキリストを知ってもらえれば分かると思います。

釈尊やキリストは心がきれいであったから災いなど起きずに奇跡しか起きなかったのです。自分たちの心と行いに間違いがなかったからです。(だから心も汚れなかったのです)

その自分が悪いために起きている現象を、この辺りの人たちは全部私のせいにしているのです。(この辺りで悪口をいったことがない人いますか?いないでしょう。法を知らない人ばかりなんですからいないと思います)

だから私は、この辺りの人たちは異常だといっているのです。

そういう自分たちの心と行いを棚の棚の棚に上げて、すべて私に責任転嫁しているからです。

では、自分たちの心と行いはまったく間違っていないとでもいうのでしょうか?そうであるなら、その人に悪いことは起きません。

だいたい、もし、自分たちの心と行いに間違いがないのであれば、その人に災いなど起きないのです。

そのような正しい人は必ず神のご加護があるからです。

自分たちの心と行いに間違いがないのであれば、その人をいくら不幸にしようと祈ったところで、そういう正しい人は不幸にならないのです。

それこそ、そのような正しい人なら(仮にその人が神を意識していようがいまいが)神がその人を守ってくれるからです。

だから、自分たちに悪いことが起きているということは、それはその人が悪いことをしている(間違った心と行いをしている)という何よりの証拠なのですが、そういう証拠があるにもかかわらず自分に対する反省は一切しないで、自分たちの心と行いが悪いために起きて来ていることまで全部私にかずけて、そうして「自分は何も悪くない」「あいつがすべて悪い」などというひどい勘違いをしているから、特にこの辺りの人たちに悪いことが集中して起きているのであり(それでは二重、三重の罪をつくっていることになるからです)自分たちに起きてきた悪いことを人のせいにしているなど、所詮は責任転嫁以外の何ものでもないのです。

天は公平であり、一方に味方するなどということは絶対にありません。

一方によいことばかりが起き、もう一方に悪いことばかりが起きるのは、これは一方の人が正しいことをしていて、もう一方の人たちが間違ったことをしているからです。

それを、そのまま天は私たちに教えているだけなのです。

天は正しいことをしている人には正しい現象(奇跡)を、間違ったことをしている人には間違った現象(災い)を、その人たちの心の通りに現し、常に私たちを導いてくださっているからです。

そのことに早く気づかないといけないのです。そうして、そのように常に導いてくださる天に(神に)感謝しないといけないのです。

そうしないと奇跡は起きて来ないからです。

しかし、これだけ分かりやすい現象が現れていても(天罰と奇跡)それでもこの教えを認めようとしない、いやはや現代の人々の頑なさは想像以上ですね。(苦笑)

これも間違った信仰の弊害といわざるを得ませんが、だから私の説いていることが、例えばこれまでの流れに沿った「お経を上げれば救われますよ」とか「お寺や神社にお参りに行けば救われますよ」とでもいいながら導くのであれば、あるいはもっと私のいうことをきく人も出てきたのかもしれませんが、私はまったくそういういい方をしません。(だってそういうのは間違っていますから、いいようがありません)

「そういうことはしなくていいです。心が一番大事なのです」「反省と祈りをしっかりやってください」「祈るのはどこでも構いません。正しい祈りをすれば誰でもきかれますよ」などといっていても(これまでの信仰とあまりに違い)拒否反応が強くて、そんな教えなど、多くの人はなかなかきくことが出来ないのかもしれませんが、しかし、この教えこそ正しいのです。

だから、次々に現象が現れているのです。(現実は現実なのです。私の説いている教えが正しいから即座に神が〔天が〕反応してくださり奇跡が現れるのであり、他の教えが間違いであるから、これほどの現象がどの教えにも現れないのです)

私の説いている教えこそ正しいからです。この教えこそ本当の神の教えであるからです。

いつまでも、これまでの間違った信仰にとらわれず、簡単で分かりやすいこの教えに帰依されませんか?

そうすれば、皆が皆、幸せになれるからです。

追伸…だから、この教えに関わった人たちはもう布施などもしないといけないのです。この教えを知った時点で、その人たちは救われているからです。(この教えは少し知っただけでも、その分、心が救われるからです。実際そうなのではないでしょうか)

それなのに、まったく感謝もせず、嫌がらせなどしていては、それは災いもたくさん起きるでしょう。

やっていることがあまりに罰当たりであるからです。

罰当たりな行いを続けているから罰が当たる、これもまた当たり前の現象が現れているだけなのです。

何度もいいますが、この教えを知って、いつまでも知らん顔をしていてはいいことは起きてきません。

悪いことではなく、よいことをされてはどうですか?

この教えを知った人たちは、すでに大変よいことをされているからです。

(年末バタバタ悪いことが続いて、いま起きていませんが、これで終わりということではありません。一時起きなくなっただけでまた悪いことは起きてきます。今の〔心と行いの〕ままならです。〔今は反省の期間でしかないからです。これで分からなければ、もっと悪いことが起きてきます〕他の地域の人たちは、この辺りの人たちと同じ間違いを繰り返さないでいただきたいものです)

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1月 03 2017

悪魔降伏(あくまごうぶく)

これから数百年後、その戦いは天上界と地獄界の狭間(はざま)で行われる。

七大天使と七大悪魔との最後の戦いである。

すでに地獄界は、七大天使をはじめとした多くの光の天使たちの働きにより、たくさんの地獄の悪魔たちが反省して天上界に昇り消えさろうとしていた。

地獄界は消滅寸前であったのである。

自分たちの配下の悪魔たちが次々に反省して天上界に昇る中、大魔王サタンを頂点とした七大悪魔たちは最後の決戦を七大天使に挑んできたのであった。

七大天使を倒すのであれば、地獄界の復活はまだ十分可能であったからである。

しかし、七大天使からすればこの戦いに負けることは許されなかった。

もし、七大天使がこの戦いに負けるようなら地獄界が再び復活し、せっかく反省した地獄の悪魔たちがまた地獄界に舞い戻り、七大悪魔と共に悪の限りを尽くすようになるからであり、そうなっては真のユートピアの実現もおぼつかなくなるからである。

この戦いは、七大天使たちだけではなく、多くの光の天使たちにとって、そうして真のメシア、エル・ランティーにとっても絶対に負けるわけにはいかない、たくさんの思いが詰まった戦いであったのである。

絶対に負けることが出来ない、必勝を期さなければいけないこの戦いに七大天使たちは一計を用いることにした。この戦いに一対一で臨むほど愚かなこともないと思ったからである。(そんな一か八かのような戦い方ではです)

その一計とは、七対七の戦いを二つに分け確実に勝利を収める、そのような戦い方であった。

戦いを二つに分けるとは、一方はミカエル、ガブリエル、ラファエル、サリエルの四人の大天使でサタンと副将格にあたるベルゼブルと戦い、もう一方でラグエル、ウリエル、パニュエルの三人の大天使が後の五人の悪魔たちと戦う、このような戦法であった。

大魔王サタンを大天使長ミカエルとガブリエルが組んで戦い、ハエの王ベルゼブルをラファエルとサリエルと組んで戦う、こうすればずる賢いサタンとベルゼブルといえども汚い手を使うことが出来ず、まず二人の悪魔に勝利することが出来る。(サタンとベルゼブルにどれだけ悪の力があろうと、偉大な力を持つ七大天使二人に組まれてしまっては勝ちようがありません)

問題は五人の悪魔を迎え討たなければいけないラグエル、ウリエル、パニュエルの三人の大天使であった。

この五人の悪魔たちはサタンやベルゼブルほどずる賢くはないにせよ、サタンが選んだ悪魔たちであり、相当の力(魔力)を持っていた。

その五人の悪魔のうちの三人とパニュエルが戦い、あとの二人をラグエル、ウリエルが一対一で戦う、このような作戦を七大天使は取ったのである。

一対一なら(サタン、ベルゼブルほどずる賢くはないこの悪魔たちに)まず七大天使が遅れを取ることはないし、パニュエルが三人の悪魔たちを相手にするのは一見無茶のようにも思えるが、パニュエルの現す現象は他の星にまで知られていて(それほど凄まじい神通力であるということです)パニュエルにはブラックドラゴンがついている。(前回書いた真っ黒の龍です。そう名付けました)

普通の龍では悪魔に勝つことは出来ないが(持っている能力が違いますから)ブラックドラゴンであるならば悪魔を倒すことも出来る。(それほどの能力を持っているということです)

パニュエルとブラックドラゴンであるならば、三人の悪魔たちを倒すことも可能であると思われたからである。

ラグエル、ウリエル、パニュエルの三人の大天使は七人の悪魔のうちの五人を引き離すことに成功し、それぞれの場所で七大天使と七大悪魔との戦いが始まったのである。

ミカエル、ガブリエルはサタンを挟み撃ちにして戦い、ラファエル、サリエルもベルゼブルに同様の戦いを仕掛け、ラグエル、ウリエルは一対一で悪魔と対峙し、パニュエルは三人の悪魔たちと対峙する。

この戦いで、やはり一番の肝となるのは三人の悪魔を相手にしなければいけないパニュエルであった。

もしパニュエルが敗れれば、パニュエルが相手をしていた悪魔たちが他の大天使と悪魔たちの戦いに介入し、優勢であるはずの他の大天使たちの戦いが、一変に劣勢にかわるということは十分考えられたからである。

三人の悪魔たちと相対したパニュエルは即座にブラックドラゴンを呼ぶ。

すると、対している三人の悪魔たちも龍を呼ぶのである。

「チッ、三人とも龍使いか」とパニュエルは思い、少々予定は狂うが(パニュエルはブラックドラゴンと組んで三人の悪魔と相対そうとしていたからです)まず最初にブラックドラゴンを現れた三匹の龍と戦わせるのである。

その龍たちの戦いが始まると三人の悪魔たちもパニュエルに向かい戦いを始めようとする。その時パニュエルは先手を打って大風を起こし、悪魔たちを動けないようにしたのであった。

パニュエルが祈ると、もの凄い風が吹き始め悪魔たちは、その場にとどまることが精いっぱいで(少しでも力を抜けば吹き飛ばされそうで)動くことが出来ない。

その暴風の中、龍たちの戦いは始まった。

しかし、悪魔たちの三匹の龍はどの龍もブラックドラゴンの敵ではなかった。

龍の頭であるブラックドラゴンが相手では、どんな地獄の龍であってもその能力があまりに違っていたからである。

パニュエルが起こす大風に、よろよろしている地獄の龍たちに向かってブラックドラゴンは戦いを仕掛ける。

口からもの凄い火を吐いて、その猛火に黒焦げになった龍もいれば、ブラックドラゴンが起こしたカミナリの稲妻に打たれた龍もいて、龍同士の戦いはあっという間に勝敗が決する。

その地獄の龍たちを倒したブラックドラゴンは、今度は悪魔たちに戦いを仕掛けるのであった。

パニュエルが起こす大風に動けない悪魔たちに猛火をあびせ、雷を落とす。すでに悪魔たちはよれよれなのだが、そこへパニュエルの激しい雷(いかずち)が落ちてきたのである。

三人の悪魔たちは、その力のあまりの違いにボロボロになり降伏するしかなかった。

その悪魔たちはパニュエルにこんこんと法を説かれ、自分たちのこれまでの罪を反省し天上界に昇って行く。

そうして、他の大天使たちの戦いの結果は…?

見事、七大天使が七大悪魔たちを降伏(ごうぶく・法力で悪魔たちを降ろし伏せること)させ地獄界は消滅し、真のユートピアがあの世とこの世に同時に現れ、七百五十年後、真の世界平和がここに実現することになった。

果たしてこの予言は実現するのかしないのか?

それは今ある人々の心次第なのです。(現在、過去、未来は今の一点にある)

今年もよろしくお願いいたします。

(今年はいつもの年とは違うということを知ってもらうため〔あえて〕この時間にブログを公開しました。いつもの年と同じようにこのブログを読んでいる人たちは、今年は本当にまずいかもしれません。そういう進歩のない心では気づきの現象が当然現れてくると思うからです)

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