1月 09 2017
都合のいい人たち
今日はこの辺り休みの会社が多いようです。(どこかの会社も休みですか…では、休みの間に反省されたらどうでしょう。いい加減反省しないと、もう滅ぼされそうだからです。〔先週などひどい怒りようでしたから〕)
静かでいいと思っていたら、どこかのマンションの人で何かやたら怒っている人がいます。(昨夜からバシバシやって怒っていますね)何か悪いことでも起きたんでしょうか?
それで、その起きた悪いことがまた私のせいなんですか?
本当にいい加減にしてほしいものです。(しかし、この辺りの人たち、そういうことがすべて偶然だと思っていた時までは、そういう悪いことが起きても仕方がないと思っていたはずなのに、それが必然と分かったとたん、その悪いことの原因を全部私にかぶせるんですから、ほんと呆れますね)
緊急性がありそうなので書きますが、癌にでもなりましたか?
もし、そんな病気になったのなら、入院して手術するかどうかなどいろいろ決めないといけないんでしょう。
大変ですね。
私は前に、末期癌の人を祈ったら、その人の癌が小さくなり痛みもなくなって、安らかに逝かれたという奇跡が起きましたが、この教えを勉強するなら、まだ早いうちなら(私が祈れば)その癌が治ってしまうかもしれません。
この教えを少しは勉強されてはどうでしょう。そうすればそのような奇跡も現れるからです。
それとも感謝すら(布施一つ)しないのに、心が救われただけでは飽き足らず、体まで救ってもらおうなどという気は毛頭ありませんよね。(お前のせいでこうなったんだから、何もいわなくてもお前が治せ、みたいな感じでです)
それではあまりに都合がいいでしょう。そういう人には仮に私が祈ったところで何の奇跡も起きないのです。
そんな傲慢な心の人ではいくら祈っても、その祈りは天に届かないからです。
謙虚で神を一心に思い、ちゃんと感謝すべきところは感謝できる、分別をよくわきまえている、そういう人にしか奇跡は起きないのです。(そういう人じゃない人にも奇跡が起きる場合がありますが、そういう時は神の存在を証明するためとか〔この法の正しさを証明するためとか〕何か特別な理由がある場合はこの限りではありません)
では、そういう謙虚で感謝できる人になってはどうでしょう。そうすればよく奇跡が起きるようになるからです。
自分勝手な都合のいい考えでは何も奇跡は起きないし、結局そういう考えの人は不幸になるのです。
そういう考えは間違っているからです。
間違った考えでいつまでもいるなら、どこかで気づきの現象は必ず現れるからです。
都合のいい考えは捨て、謙虚に神を思い、その神の本当の心を書いている私に心から感謝され布施でもされませんか?
そうすれば黙っていても奇跡は起きて来るからです。(これだけはいえます。怒っているだけでは一つも救われません)
追伸…このブログを読んでいて、法を教わって心まで救われているのに、少しの布施もしないでは、それは悪いことも起きてきます。
悪いことをしているのは、法を教えてもらっていながら、布施一つしようとしない、そんな愛のない行為を平気でしている、このブログを読んでいる人たちの方であるからです。
この時代の人たちくらいですよ。法を教えてもらっていながら、これだけ頑なに感謝しようとしない人たちなどです。
普通であるなら、法を知って心が救われ、これだけの現象まで現れているのですから、喜んで布施する人がそこらじゅうにいても不思議でもなんでもないのです。
しかし、この時代の人たちは、心も救われ、不思議な現象も次々に現れているという実感がありながら、それでもこの教えを無視しているのです。
そういう意味でも異常なのです。この時代の人たちはです。必要以上に神を(神の力を)無視しているからです。(何でそこまで無視しているのか本当に不思議ですね。神の業に驚くのが恥ずかしいんでしょうか?)
あまりに科学に(現実のことだけに)考えが偏っているのか、それとも神の業に驚くなど自分のプライドが許さないのか(一体何のプライドでしょう?)それはよく分かりませんが、そんな異常な(罰当たりな)考えであるから、これだけ災いを起こされるのです。
神の子である私たち人間が、その神の心からあまりに離れすぎているからです。
この世はすべて神がつくられたのです。科学や物質をいう前に一番初めに神があるのです。
では、その神を一に思われてはどうですか?
そうすれば災いなど現れず奇跡が現れるからです。



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