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2017年11月

11月 14 2017

病気の原因

今日は朝から雨が降っているんですが、そんな中でも救急車のサイレンがすぐ近くできこえています。

また近所の人が誰か救急車で運ばれていったようです。

このような状況でもあり(まったくどんな状況でしょう)相変わらず皆さんお怒りなんですが、最近はまた一段とお怒り具合が増したようです。

昨日でも私が表に出て行くと、この近所だけで(どこかの会社だけではなく)もうあちこち大騒ぎで、何をそこらじゅうで騒いでいるのかと呆れましたね。

しかし、どれだけ怒っても仕方ないでしょう。何度もいいますが、悪いのは(すべて)そちら(怒っている人たちの方)であるからです。

そういう怒っている人たちはみな私のブログを読んでいるにもかかわらず、少しも感謝もせず、散々嫌がらせをしたのです。(しているのです、ですね。現在進行形ですから)

どちらにしてもまずそれを反省しないことには何も始まらないでしょう。最初のその態度が間違っているからです。

そこを(その自分たちが悪いのを)いつまでも認めずに突っ張り続けているから、ずっと災いが起き続けているのであり、それをまず反省するなら(それだけでも)ずいぶん災いも(病気も)減ると思います。

そういう(自分が悪かったと思う)気持ちだけでも、大分、自分の心は変わるからです。その心に病気の原因があるからです。

ところが、この辺りの多くの人は絶対に自分が悪いのを認めようとしないのです。とにかく、自分が悪いことは一切認めず、すべて悪いことを私のせいにしています。

これでは話しにならないでしょう。

少しは自分も引かないと話すことさえ出来ません。「お前と話など出来るか」ではなく、もう少し冷静になったらどうでしょう。

頭に血をのぼらせて怒っているだけでは何も解決しないからです。

だいたい、そんなに悪い者に奇跡が起きますか?

怒っているだけではなく、もっと冷静に考えてみてください。古今東西、そんな悪い者に次々に奇跡が起きたことなどないのです。(少々悪運が強い奴はいてもです)

何で、そんな悪い者に釈尊やキリストと同じ奇跡が起きるのですか?

昨日でも書いたではないですか。少々私は体の悪いところがあっても祈れば治るとです。(今日、足の太ももを見ると湿疹のあとも半分くらいになってかゆみもありません。もう治りますね)

これは園頭先生も書いていられたのですが、園頭先生の家では子供さんが病気になっても、少々の病気なら光を入れて(祈って)治していられたそうです。わざわざ医者に行くまでもなく、祈るだけで治ってしまうからです。

そういうことも起きるのです。法を実践していればです。

これが善人と悪人の違いであり、本当に善人であるのなら、仮に病気になってもすぐに治ってしまうのです。(そのような順序がつくのです。すぐに治ってしまうようなです)

しかし、今の皆さん方はまったく逆の状況であり(よく病気になり、それが不治の病であったりする)そういうことが起きていること自体、悪人の証拠なのです。

だいたい私が、そんなあっちもこっちもの人をわざわざ一人一人病気にさせているというのでしょうか?そんな顔の知らない人たちまでです。

嫌がらせをされた人ならともかく、顔も知らない話もしたこともないような人まで病気になどしないでしょう。やる意味がないからです。

そんなことしても恨みを買うだけだからです。

そんなことをしていたら命がいくつあっても足りないし、そこまで一人一人を病気にしている暇もないでしょう。何でそんなムチャクチャな発想が出来るのですか。

それは責任転嫁しているだけなのです。自分たちの罪をです。

だいたい、そういう病気をしている人たちは悪いことをしていないのですか?

何度も書いていますが、そのような病気をした人たちは、人の悪口はいっていませんでしたか?人に嫌がらせなどしていないのでしょうか?(あるいはいじめなどもそうです)嘘をついたことはありませんか?人を騙したこともないのでしょうか?(騙しまではしなくても人を裏切ったことなどもです)

そういうことはすべて悪いことなのです。

もし、そのようなことをしたことがあるというのなら、しかも、そういうことをすごくしているというのなら(例えば、人の悪口ばかりいっているとか、嘘ばかりついているとかです)そういう人は相当悪人です。

いませんか?こういうことばかりやっている人が周りにです。

いるでしょう。人の悪口ばかりいっている人などいくらでもいますし、嘘ばかりついている人もいくらでもいます。(大人から子供までです)

実は、そのような人たちはもう相当な悪人なのです。それはただ(この世の)犯罪にならないというだけで、悪いことをしていることには変わりがないからです。

そのような悪を多くの人は知らないだけなのです。(犯罪じゃなければいいと思ってです。しかし、犯罪になるか、ならないかはこの世の基準であり、あの世の基準ではありません。あの世の基準が正しいのであり、そういう諸々の悪もすべて悪いことなのです。それは自分の心では誰も分かっているはずです)

では、自覚がないだけで、その相当な悪人が(大人から子供まで)相当たくさんいるのではないかと想像できますが、そのような人たちは(私のせいで病気になったといっている人たちは)そういう悪いことをしたことがないのでしょうか?

もし、そういうことをいくつもしたことがあるというのなら、そういう悪いことはすべて病気の原因となります。

病気とは、そのような自分の悪を気づかせる現象であるからです。

したことがありませんか?そのような人たちは、そのような「悪い」ことをです。

しているでしょう。私のせいで病気になったといっている人たちなど皆そうでしょう。そういう人たちはそのような悪いことしている常習犯なのです。

なぜ、そういうことが分かるのか?

私のせいで悪いことが起きたなどといっている人たちなど、みな、私に嫌がらせをしてきたか、普段から私の悪口をいっている人たちばかりであるからです。

そうであるなら、その人たちは私だけではなく、普段からも人にそういうことをしているでしょう。(だから私に平気でそういうことも出来るのです)では、病気の原因を、その人たちは普段からたくさんつくっているということになります。

だから、病気なったのです。普段から、それだけ自分の心を汚していた(ということは、普段から病気の原因をたくさんつくっていた)からです。

もし、仮にそういうことをやっていない人たちなら、私に罪を擦り付けるようなことはありませんし、だいたいそれほど病気にならないでしょう。(そういう人を善人というのです)

だから、私はいっているのです。「そういう人たちが病気になったのは自分のせいですよ」とです。

そのような人たちは普段からの行いが悪かったのです。(一見、普段の行いがよさそうな人も病気になる人がいますが、それは心の問題なのです。どれだけ表に出さなくても心で悪ばかり思い心が真っ黒な人はいます。そういう人はやはり病気になります。だから心が悪いのが一番の病気の原因なのです)

だから、病気になったのです。その普段の悪が私に嫌がらせなどすることで一変に現れてです。(そういう作用がありますから。私に嫌がらせなどするとです)

結局、そのような人たちが病気になったのは普段からの自分の悪が原因なのです。

そのような悪の原因をつくっていなければ、その人が病気になることは絶対にないからです。

病気の原因は自分の悪の気づきの現象です。(ただし、生まれた時から、そういう病気をしていたとか、元々持っていたような病気はこの限りではありません。自分だけではなく親の問題とか他の問題も絡んでくるからです)だから、その悪を自分でつくっていなければ、その気づきの現象が自分に現れることはないからです。

どちらにしても、病気になったのは自分のせいであり、人のせいではないのです。

だから、どこをどうとっても私のせいにするのはお門違いなのですが、それにもかかわらず、その原因を私のせいにしている(それも普段の悪がそのまま出ているのです。すぐに人のせいにするという人の悪さがです)これではよけい悪いことが起きてきます。

それは自分の悪をよけい重ねることになるからです。(するとまた病気の原因が一つ増えますから)

人のことをあれこれいうより、まず、自分の行いを振り返ってみてはどうでしょう。病気の原因はそこにあるからです。

その悪を反省し、行いを変えれば病気になどならない健康な体になります。

本当の病気の原因を間違えないようにしたいものです。

いつまでも原因を間違えていては、いつまでもその病気は止まらないからです。

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11月 13 2017

借りを返す

四~五ヶ月前の話です。

ちょうど暑くなりだした頃、両足の太ももの内側に湿疹が出来ました。同じようなところに出来たものですから「何だこれ、汗が出始めたから汗疹かな」とも思ったのですが、まあそのうち治るだろうと思ってほっておいたのです。

しかし、かゆいことはかゆいのでがりがりかいたりしていたのですが、二~三週間もするうちに、その湿疹は治ったのです。

片方の足だけはです。(右足の方はです)

ところがもう片方が全然治りません。「片方は治ったのにもう片方は治らないな」と思っている時に、ちょうどウナッシーさんから、娘さんの湿疹が祈りで治ったというコメントをもらったのです。

それでその時に、私も祈ろうかと思ったのですが、めんどくさいとも思って「こんなのほっとけば治るわ」と思って、その後もまたほっておいたのです。

そうしたらです。そのうち治ると思っていた湿疹が、全然治らなくて、かゆいので毎日のようにももの内側をかくものですから、もうももの内側が真っ赤になってちょっとはれてもいるようなのです。

さすがに私も、これはもう治らないなと観念し、やっと一週間ほど前(ほんと何ヶ月ほっといたんでしょう。〔苦笑〕)この湿疹を祈ったのですが、そうしたら二~三日したらかゆみもなくなってきて、いま太ももを見るとはれも引いてずいぶん湿疹がよくなっているようです。

もう二~三日もすれば完全に治るのではないかと思われますが、あれだけ治らなかった湿疹が、祈ったとたんに治り始めるというのですから本当に不思議なものです。(お陰で薬を買わなくてよいので助かっています。〔笑〕まぁ、祈って治る病気ばかりではありませんが)

ところでスケートの羽生選手の右足のけがは十日間絶対安静で、その後、三~四週間で元に戻る予定だそうですが、それもあくまで予定であって、実際はどこまでけがが回復するかはまだ分からないという状況のようですね。

それなのに、十二月二十日から始まる全日本フィギュアに出場するとかいっていますが、どう考えも無理でしょう。

そんなわずかな期間でちゃんと体が回復するわけがないからです。

そうすると、その後のピョンチャンオリンピックも厳しいでしょうね。

もう今回のオリンピックは諦めてもいいんじゃないですか。前回のオリンピックで金も取っているんだし、羽生選手は輝かしい記録もたくさんあるからです。(世界選手権優勝、グランプリファイナル四連覇、全日本選手権四連覇などなど、輝かしい記録はいくらでもあります。そんなに欲張ってもネェ。〔苦笑〕)

しかし、私のようにそんな淡白には考えられないのでしょうか?スポーツをやっている人たちはです。

そうであるなら、後は神に祈るしかありません。祈るくらいなら体を動かせなくても出来るからです。

もし、オリンピックにまだ出たいというのであれば神に祈ることです。そうすれば奇跡も起きるからです。

しかし、それもまあ心と行い次第でしょう。これまでの行いを反省し真摯に神の教えを少しでも勉強しようと思うのなら奇跡は起きるでしょうが、これまでと変わらないやり方をするのなら、どれだけ祈ろうがその祈りはきかれません。

単に祈るだけでは神はその願いをきいてはくださらないからです。

それでは多くの人がお寺や神社でしている現世利益の祈りと変わらないからです。

そういう祈りではきかれないでしょう。あれは単にああしてください、こうしてくださいと神に頼んでいるだけだからです。(わずかな賽銭でです)

おまけに祈ることといえばあれがほしい、これがほしいという欲望ばかりです。それでは祈りはきかれません。そんなのは自分勝手なお願いに過ぎないからです。

そんな自分の欲望の祈りを神がきくわけがありません。神がきいてくださるのは正しい祈りだけなのであって、その正しい祈りも正しい行いが伴わないときいてはくださらないのです。

正しい祈りと正しい行いが相まってはじめて祈りはきかれるのです。

では、正しい祈りはともかくです。(その祈りは、一日も早く体が回復し、オリンピックに云々でしょうから)正しい行いとは何なんですか?

その神に対する正しい行いとはです。

それは善行以外の何ものでもありませんよね。それこそ神に対する正しい行いなのです。

では、どこかに寄付でもしますか?

それもよいのですが、それよりも何よりもいま羽生選手が一番しなければいけないことは、借りを返すということなのです。

神の心を教えてくれた人に対するです。(これは羽生選手だけではありませんが)

その借りを返していないから、そのような順序がついてくるのであって、そうであるなら、その借りを返すのなら、そのような順序は変わってくるということになります。

では、その神の心を教えてくれた人に対する借りを返したらどうでしょう。そうして祈れば、その祈りは必ずきかれるからです。

どうせまだ一週間くらいは寝たきりなんでしょう。(絶対安静なんですから)その間、よく考えてみてください。

神の心をです。

借りさえ返していただければ、私もいくらでも祈ります。(先ほども書きましたが、私が祈れば回復も早いと思うからです。またどんな奇跡が起きるかも分からないからです)

しかし、今の状況では私がどれだけあなたのことを祈ろうが、神はその祈りをきいてはくださらないでしょう。

その祈りを受ける側の態度が悪いからです。

法を勉強するなら、様々な奇跡が現れます。

信じてみませんか?この教えをです。そうすれば必ず奇跡は起きるからです。

(国民的な人気選手がオリンピックに出るのと出ないのとでは大きく違うでしょう。〔世界的にもです〕いつまでも小さな心でいるのではなく、心をもっと広げてみませんか。そうすれば大きな奇跡も現れてくるからです)

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11月 12 2017

気づきの現象

昨日のことです。なんか若いオネエチャンが何人か怒っていましたね。(あるオネエチャンなど遠いところから「ゴホン」とかやっていましたから)

いつもよりずいぶん若い女の人たちなんですが(いつも怒っているのはいい年したオバちゃんが多いですから。〔笑〕)何か昨日のブログで文句でもありました?

若い女性陣がです。(苦笑)

まさかとは思いますが、昨日のブログを読み「羽生君がけがをしたのはあんたのせい」とか「大谷君がけがをしたのはあんたのせい」とか思って、それで私に怒っていたんではないでしょうね。

だとしたら、ずいぶん偏った見方です。えこひいきはやめてほしいものです。(気持ちは分かりますが。〔笑〕)悪いのは彼らの方であるからです。

だいたい彼らはこのブログを読んで心が救われているのです。なおかつ、心のあり方を直すことで神がかり的な奇跡も(一時とはいえ)現われたのです。

そういうことが起きているから、私は、では、ちゃんと感謝しないといけませんよと(感謝とは感謝の心と報恩の行為ですから)だから布施くらいしてくださいと、何度も書いたのです。

しかし、彼らはそれを無視していたのです。(もちろん無視しているのは彼らだけではありませんが…あなたもです。〔苦笑〕)だから、それではいいことは起きませんよと何度も警告していたのですが(このブログの中でです)それにもかかわらず、彼らはそれを無視しているから、書いた通りのことが起きただけで、それを私のせいにして怒るのはお門違いでしょう。

私はそのようになると教えているだけだからです。

自分たちの都合のいい事だけ実践し、都合の悪いことは無視していた自分たちが悪いのです。(しかし、本当にそのような筋の通ったことが分からない人が多くて困ります。だ・か・ら、悪いことばかり起きるのです)

だいたい、この連中、いってはいけませんがセコイのです。

そうではないですか?この人たちは私のブログを読んですでに心が救われ知らないこともたくさん知ったのです。(神や心のこと)

それプラス奇跡まで起きているというのに、少しも感謝しようとしないのです。

この人たちは別にお金に困っているわけではありません。(むしろ腐るくらい持っています。〔笑〕)それにもかかわらず、自分たちだけよい目を見て、そのよい目を見させた方のことは少しも考えようとしないのです。

それでは悪いことも起きて当然なのではないですか?あまりに心が狭く自分本位であるからです。

そういう心の狭い、自分本位なところを直さないといけないから、そういうこと(けがなど)が起きているのであり、それは気づきの現象なのであって、そういうことが起きたのなら、自分にどこか悪いところがあったのではないかと反省しないといけないのです。

そのような自分の悪いところに気づくために、その現象は起こされているからです。

では、反省すればいいんじゃないですか。泣いてなどいないでです。

そうして反省して正しいことを行うなら、今度は奇跡が起きてくるからです。

やるならそこまでやらないと、このブログを見ている意味もないのですが、その意味がないという理由をもう少し教えてあげます。このようないつまでもボケッとしている人たちにです。

この人たちは本当に恩知らずなのです。

なぜなら、今生だけではなく、このような人たちは過去世でもずいぶん私に世話になっているからです。それなのに今生は知らん顔です。

それは通らないでしょう。今だけのつき合いでもないからです。(別に今生はつき合いらしいつき合いはありませんけど。〔笑〕)

今だけのつき合いじゃないからあれほどの奇跡も起きたのです。(あのゴリラみたいな選手もそうですが。〔笑〕)

ちょっと話がそれますが、日本はよく中国の歴史物の(特に史記や三国志などの)漫画が大ヒットするんですが(今はキングダムですが、少し前は三国志の曹操を主役で描いた蒼天航路などヒットしていました)なぜだか分かりますか?

それは現在日本に出ている人たちは過去世で中国に生まれている人が多いからです。

マァ、千年、二千年前などは大国である中国にほとんど出る人が集中して(あまり人がいないところに出ても心の勉強になりませんから)日本のような小さな国に出てくるような人など、あまりいなかった(そんな当時の日本の人口などごくわずかだったでしょうから)というのが実情なんですが、それはともかくです。

そういう理由で、日本で中国の歴史物などがよく売れるのです。過去世の記憶が心に残っている人が多く、懐かしいということでです。

だから、いま有名で騒がれている人など、過去にも中国で騒がれていた人たちが多く、それで人気があるのですが(過去世と同じことが起きているということです。スポーツ界などは、武将や兵として人気があった人たちが騒がれているものと思われます。昔も今も競い合い戦いあっているからです。業ですね)だから、今だけではなく、そういう過去世からのつき合いもあるのですよと私は教えているのです。(私も人気がありますが〔今生は不人気の人気の方が強いようですが・笑〕やはり昔、中国で人気があったからです)

そのような時のことを思い出すということも、この世に生まれてやらなければいけないことの一つなのです。(昔から縁の深い人たちとは大きな約束をしてきている人が多いからです。それを思い出さないと、今生、その大きな約束を果たすことが出来ないからです)それをまったく考えようとせず自分のことだけしているようでは、今生の修行は失敗します。

自分たちがなぜこのブログを読み奇跡が起きたのか?その意味をもっとよく考えるべきなのです。

今のまま大リーグになど行ってもたいした成績は上げられないでしょう。(しかし、あの大谷選手など見るたびに思いますね。関羽にそっくりだなとです。〔思いませんか?髪の毛をもっと伸ばし、髭をはやしたら関羽そのものですよね・笑〕あのゴルフの怪物などは呂布みたいだし。〔笑〕)

このブログを読んで奇跡が起きた人たちは少々のお返しくらいはするべきなのです。昔、深い縁があったから、そのようなことが起きたからです。

そのようなこともまた気づきの現象の一つであるからです。

だから、そのような人たちには頼んでいるのではないのです。命じているのです。

私に布施をしないといけないとです。

私の命などきけませんか?

しかし、その私の命をきけるかどうかは頭で判断するのではなく、心の奥にきいてみてください。

そうすればきくことが出来るからです。

また始めませんか?

中国の時のようにです。(そのことを心で思えば、懐かしさがこみ上げてきますよ)

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11月 11 2017

過ちを改めるにはばかることなかれ

しかし、この辺りの人たちは善悪の判断がつかないのでしょうか?

そう思ってしまいますよね。どれだけいっても自分たちが悪いのが分からないようだからです。

昨日も夕方、家の近くまで帰って来ると近くの会社からでかい音を立てられ、近所の家からはオバちゃんが急に出てきて、ガチャガチャ音を立てて自転車に乗って私の横をゆっくり走っていくのです。(嫌がらせ丸出しです)

それで私が「オバちゃん、あんたらは俺のブログを読んでいるのに一切感謝したことがないんだぜ。それなのに嫌がらせだけはしてきて一度も謝ったこともないじゃないか。それで悪いことが起きたら俺のせいなのか。勝手なものだな。そんなひどいことをしていて悪いとも思わないのか」といってやりました。

するとオバちゃんは、少しいやらしそうな顔をして向こうを向いて私の横を自転車で走っていきました。

ほとんどはこういう人たちばかりなのです。どこかの会社の連中のように何をいってもきこうとしない人もいますが、だいたいはこのような筋の通った話をすると急にシーンとなるか、いやらしそうな顔をする人たちばかりなのですが、何度こういう話しをしても、それでも何か起きると私のせいにしてきて、そうしてこちらが筋の通った話をするとまた急におとなしくなる。

その繰り返しなのです。

何度もそんなことをして来る人たちばかりなのですから、いい加減、自分たちが悪いと理解しそうなものですが、それが理解しないようなのです。

何度、同じ話をきいても、自分たちに悪いことが起きると(または周りに何か起きたり、ブログが面白くないと)必ず私に嫌がらせをして来るのです。

そうしてまた私にへこまされる。

そういうことばかり入れ替わり立ち代りやっているのです。進歩のないことこの上ないのですが、何度、同じ話をしてもこの人たちは自分たちが悪いと分からないようです。

バカじゃないかと思ってしまいますが、これだから間違った信仰をしている人たちはダメなのです。

間違った信仰をしている人たちは、まったく心を磨いていないため、悪いことが起きるとすぐ感情的になって、理性も知性もどこかに飛んでしまって同じ間違いを繰り返すのです。

これでは悪いことが起きるはずです。正しい判断がいつまでたっても出来ないからです。

正しい判断が出来るようにならないといいことは起きてきません。自分たちの大間違いにいい加減気づかないといけないのです。

自分で自分の悪に気づかない限り(そうして、その悪を反省しない限り)自分たちによいことが起きてくることはないからです。

正しい信仰をしている人たちは、悪いことが起きると冷静になり、どこか自分に悪いところがなかったかと反省するのですが(だから悪いことが続かないのです)間違った信仰をしている人たちは、そういう謙虚さと反省という心を持ち合わせていません。

心そっちのけで現世利益の祈りをしたり、お経くらいしか上げていないからです。そうして禅定したところで無になれとかいって、何も考えずただ座っているだけであるからです。(何も考えずに座っているだけで一体何が分かるというのでしょう。無念無想などというものは単に想念にすぎず、何も考えないところからは何も生まれてこないのです。禅定するなら、これまでの自分たちの行いをしっかり反省しないといけないのです。それが正しい禅定なのです)

それでは悪いことが起きた時に冷静に反省など出来ないでしょう。普段からあまり物事をしっかり考えようとしないからです。

そういう人では何か悪いことが起きれば、カッとなってすぐに責任転嫁するくらいが関の山なのです。しかし、それではよくなることはないのです。

無念無想ではなく有念有想なのです。

常日ごろから、どうしたら自分はよくなるのかを考え、自分の悪いところは反省する癖をつけておかないといけないのです。

そうしない限り救われることはないからです。(何度もいいますが、自分を救うのは自分自身ですから。だから、自分で救われる方法を考えないといけないといっているのです)

救われないといえば、例のフィギュアスケートの選手はやはり欠場したようですね。(この選手も救われませんね)

ひどい転倒の仕方でしたのでそうなるでしょう。右足首を痛めたそうですが(捻挫〔ねんざ〕かなんかですか?でも、右足だけでは立てないくらいの痛みがあるそうですが…)そうなると、来年二月に韓国で開催されるピョンチャンオリンピックの出場はまず無理でしょうね。

オリンピックのために今大会は欠場したみたいなことをいっていますが、しかし、とてもオリンピックは無理でしょう。

仮にただの捻挫でも、まともに運動が出来るようになるまで一ヶ月はかかるのです。

それからスケートが出来る体まで戻して、ちゃんと滑れるようになるまでなどとやっていたら、二ヶ月や三ヶ月はあっという間にすぎてしまいます。素人でも分かりますよね。とてもオリンピックまでには間に合わないとです。

では、今回のオリンピックに出場することは不可能ということになりますが、こうなってしまうのです。神の力を借りていながら、その後、神を無視する態度を取り続けているとです。

このスケートの選手だけではなく、あの時期に同じように神がかったプレーをしていた野球選手たちもいましたが、その選手たちも皆あの後はけがなどしてあまり活躍が出来ていません。(その後、あの時のような神がかったプレーが出来た選手は一人もいません)

それもまた同じ理由なのです。このプロ野球選手たちも誰一人、私にお礼をした人はいなかったからです。皆、神など無視する選手ばかりであったからです。(同じような時期に、なぜこれだけ神がかった選手ばかりが出たのか?私が神の心をこのような選手たちに伝えたからです)

もっというなら、それは地元のプロ野球球団も同じでしょう。

この球団は神の力を借りて(五十三年ぶりの)日本一になったのに、その後、私にお礼をした人は一人としていなかったのです。自分たちばかり浮かれて騒いでいただけで神に感謝のかの字もありませんでした。

その結果どうなったのか?

この球団は、最近はずっと成績が低迷しているだけでなく、評判まで悪くなって(何かドラフト候補のアマの野球選手たちの中で十二球団OKをいっている選手たちにも、本音はこの球団だけは行きたくないとまでいわれているらしいではないですか。私の地元の球団は十二球団一アマの野球選手から嫌われているようです。〔苦笑〕)いまだその状態を抜け出せずにいるというのですから、最悪です。

こういう順序をもらうのです。神の力を借りながら、少しの感謝もせず、その神を無視しているとです。(今年引退したあの選手も、私にお礼さえしていれば二千本安打を打つことも可能だったのに本当に残念です)

このままではまた来年もよい成績など望めないでしょう。心を入れかえ(誰でもいいから、この球団の関係者が)少しくらい私に感謝して布施などされたらどうでしょう。

そうすれば来年は見違えようによくなるからです。(本当にそうなるんですけどね)

こう見てくると、神の教えを知っていながら、その教えを無視し、神に逆らっている人たちばかりです。

これではいいことが起きるわけがないのです。だから、これだけ悪いことばかりが続くのです。

今日から明日にかけて北日本などまた大荒れの天気になるようですが(日本海にある低気圧が急発達してです。また爆弾低気圧ですか?)本当に悪いことばかりが続きます。

神の心に逆らっている人たちばかりであるとこうなるのです。(おまけに、そのような荒れた天気の影響で〔今夏の長雨や台風の影響で〕野菜も高騰しているそうです。ほんといいこと起きません)

しかし、過ちは改めるにはばかることなかれです。もう自分たちが神の心を無視していることが悪いと分かっている人も多いはずです。(そう信じたいです。〔苦笑〕)

そうであるなら、すぐにでもそれを改め、布施してくれればいいのです。そうすればまた奇跡が(あのスケートの選手などにも)起きるからです。

しかし、それでもまだ神の心を無視する態度を誰も改めようとしないのであれば、まだまだ、災いは続くことになります。

いい加減、私のいうことをきいてはどうでしょう。これだけの現象が次々に現われているからです。(ずいぶんいろいろな現象が現われたと思うんですけどね。よいことも悪いことも含めてです)

すぐにでも私に協力してもらえませんか。(本当にしてもらえませんか。皆さん方が心を入れかえて動かない限りいいことは起きてこないからです)

そうすればそこから道が開けてくるからです。

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11月 10 2017

正しい信仰

今日も朝からお怒りでした。(八時過ぎくらいでしょうか、ガンガンやっているのがいました)

本当に呆れますが、昨日は怒っているばかりでなくずいぶん引いているところも多かったです。

怒っているところは烈火のごとく怒り、引いているところはおもいっきり引いている(いろいろな会社なんですが)本当に極端です。

ソロソロ本当の神の教えに帰依されてはどうでしょう。そうしないともういいことは起きてこないと思うからです。

多くの人が私のブログを見ているのです。(最近は、このブログを見ている人が千人を超える日もあるんですが…しかしおかしいな。表にはってある訪問者の数字とまったくあわないんですが何でだろう?)

では、もう多くの人がこの教えを知っているということになります。この教えこそ本物の神の教えなのであり、この教えこそ唯一正しいのです。

その本物で、本当に正しい教えを、すでに多くの人が知っているのです。

ちょっと考えたら凄いことですよね。多くの人がすでに本当の神の教えを知っているというのですから。

ところが知ってはいても、そのほとんどの人が、その本当の神の教えを実践しようとしない。だから、恐ろしい現象がこれだけ現われるのです。

それだけ罰当たりで不遜な行為もないからです。(本当の神の教えを無視しちゃダメでしょう)

もう偽の教えなどいくら信仰しても通用しない時代になったのです。

日本の人々は無神論の人は多いのですが、無信仰の人はいません。皆、何がしかの神への信仰はしているのです。

ただ日本の多くの人は、その自覚がないだけなのです。

日本の多くの人は、一方で無神論をいってはいますが、しかし、そういう人でも仏壇に線香など上げ、お経を上げたりしている人はいますし、お寺や神社などに行ってお参りしている人もいます。

逆に、そういうことを一度もしたことがない人などいないのではないでしょうか?無神論をいっている人たちでも、みな一度や二度は、仏壇や、お寺や神社など行って手を合わせたことがあるはずです。(初詣などもそうですし)

残念ではありますが、こういうことは皆、神への信仰なのです。

無神論をいいながら、一方ではそのいないはずの神に手を合わせて祈る、やっていることがデタラメなのですが(矛盾もいいとこです。〔苦笑〕)マァ、それはともかくです。

日本に無神論の人はいても無信仰の人はいない、それだけは確かでしょう。

では、同じことなのではないですか。(信仰していることには変わりがないのですから)そのしている(間違った)信仰をこの正しい教えに合わせればいいのです。

そうすれば間違った信仰が正しい信仰になって奇跡が起きてくるからです。

間違った信仰を続けているから悪いことが起きるのです。では、正しい信仰をすればいいのです。

そうすれば悪いことなど起きなくなり、奇跡が起きて幸せになれるからです。

仏壇に線香を上げ、お経を上げている暇があるなら、心を落ち着けて禅定し、日ごろの行いの反省(またはこれまでの行いの反省)でもすればいいのだし、お寺や神社に行ってお参りするくらいなら、どこでもいいので静かなところに行き天に向かって祈ればいいのです。

後は自身の日ごろの行いです。その行いを正し、愛ある行いをしていけばいいのです。

それで信仰は事足りるからです。

それなのに間違った信仰を続け、なおかつ心を正そうともせず、日ごろの行いも悪いまま(犯罪まではしなくても、悪口はいうわ、少し気に食わないと嫌がらせなどするわ〔今よく話題になる不倫なども、もちろんそうです〕などなど、それも十分悪いことです)それではいいことは起きてきません。

もう、そういう(悪いことが現象として現れる)時代になっているからです。(だからいいことが起きてこないのです。特にどこかの会社などです。〔このブログを書いている最中だけでも大変そうですが大丈夫ですか?〕間違った行いをし続けているからです)

すでに時代が変わっているのだから、そんな(間違った)生活を続けているのなら、悪いことは起こります。

それをいくら責任転嫁(私のせいや温暖化などの天気のせいに)しても悪いことは止まらないのです。その悪いことは、自分たちの間違った行いが現していることであるからです。

だからもう正しい信仰をしないといけないのです。正しい信仰をしない限り、日ごろの行いは改まらないし、日ごろの行いが改まらない限り、悪いことは止まらないからです。

結局、神などいないとか、宗教などに頼っている人は心が弱いなどと強がったところで、その根本には皆、神があるのです。

だから、その神の心である何がしかの信仰を皆がしているのであり(それが熱心かどうかは別にして)そうであるならもう格好(かっこう)をつけていても仕方ないでしょう。

その信仰を正しいものとすればいいのです。そうすればみな幸せになれるからです。

特別な信仰はしていなくても、どうせ皆さん、神社や寺など行ってお参りするんでしょう。(それも信仰なんですが……)そんなところにいくら行っても、いま起きている災難からは逃れられません。

しかし、正しい信仰をするのなら、そのような災難から逃れることが出来、なおかつ奇跡まで起きるのです。

考え方一つなのです。自分たちはこれまでも信仰をしていたのだし、これからも信仰はしていくのです。

だからといって、これまでの信仰を変えたら罰が当たるなどとはもう考えなくていいのです。

なぜなら、すでに罰など当たっているからです。(これだけ激しい罰はありません。凄まじい天変地変にこの辺りなど次々に人が病気になる、そんじょそこらの半端な罰ではないのです)

これ以上何の罰が怖いというのでしょう。いま起きている罰の方がよほど怖いのです。

このままこの天罰を放置しておけば、これからまだどれだけ多くの人に災いが現われるか分からないのです。

ご先祖様に申し訳がないなどもう考えなくていいのです。正しい信仰を行い奇跡など起きてくれば、そのご先祖様も喜んでくださるからです。(釈尊やキリストが説かれた本当の神の教えを勉強するのが何が申し訳ないのですか?申し訳ないどころかご先祖様は喜ばれるのです。よくぞ正しい教えに辿りついたとです)

毒にも薬にもならない、これまでのような信仰は(毒にも薬にもなりませんよね、祈ろうが何をしようが何も起きないんですから)もう捨てないといけないのです。

またそのような信仰を続けていても、これからはそのような(間違った)信仰は毒にしかならないからです。(もう間違った信仰を続けていては罰が当たる時代になりましたから)

どうせ信仰をするのなら、正しいものをされませんか。

そうすれば、本当の幸せが現われてくるからです。

(正しい信仰をしないともう幸せは来ないのです。間違った信仰をしていることがどれだけ災いかを早く気づいてください)

追伸…二年前に歴代最高得点を連発し、神がかり的なフィギュアスケートを行った、あの選手が、今度は練習で転倒してけがをしたそうですね。

今日から開幕のグランプリシリーズに出場するかどうかは分かりませんが(ニュースで転倒を見た感じでは無理っぽいんですが…大きなけがにつながっていないか心配です)それにしても、あれから(神ががり的なスケートを見せてから)段々つきがなくなっていますよね。あの選手…。

ちゃんとお礼をしないからそうなるのです。

心を入れかえ少しくらいのお礼をしたらどうでしょう。そうすればまた神がかり的なスケートも出来るようになるからです。

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