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2018年11月

11月 29 2018

本当に起きている恐ろしい話

もう、これ以上、ここに書いていることを無視するのはやめた方がいいでしょう。

何度もいっていますが、ここに書いていることは現実に起きているのです。マンガやテレビを見ているのとはわけが違うのです。

それなのに、いつまでもテレビを見ている視聴者のように、ただ楽しんでこのブログを見ているだけでは(楽しんでいない人も多そうですが)その人自身も不幸になるのです。

実際に不幸になっている人がたくさんいます。このブログに書いていることを無視しているからです。

しかし、そのここに書いることを無視しているばかりに、不幸は不幸でも大変恐ろしい不幸が起きている人がたくさんいるようなのです。

その恐ろしく不幸な出来事をちょっと書いておきましょう。

昨日もそうだったんですが、ここ最近はどの道路も車が少なくてガラガラなのです。(それはもう何度も書いていますが)

どこの道路も少し前まではトラックで一杯だったのに、今は見る影もありません。ちょっと信じられないくらいです。ここ数ヶ月で車がドンドン減っていっているからです。

不景気でそれで車が減っているというのなら話も分かりますが、現在の日本はとりあえず(とりあえずです)景気はいいんですよね。(大企業だけは)

アベノミクスでです。(デフレで中小企業や個人にはお金が回っていない〔単に忙しいだけで儲かっていない〕ということは置いておいてです)

不景気でもないのに(景気がいいのに)走っている車がドンドン減っていくというのですから、一体、何が起きているのか?ということになります。

それで昨日のことなんですが、どこかの会社がずいぶん怒っていたので(次から次に何か起きているようです)「それだけ癌になる奴が出ているのなら、死んだ奴もいるんだろうな」と声をかけたのです。

私は何気なくそういっただけなのですが、そうしたらです。

もうドン引きしているのです。(一変に雰囲気が変わりました)

ずいぶん引いているので「そんなに死んだ奴がいるのか?おい、大丈夫かよ」と、ドンドン突っ込んでいったら、ドンドン引いていくのです。

「どんだけ死んでんだ?」とこちらが焦りました。(汗)

その後もかなり引いていましたから、死んだ者がずいぶん出ているのではないでしょうか。この連中はです。

しかし、そう考えるのならです。あの激減しているトラックの運転手連中なども同じで、死んだ者がたくさんいるのではないでしょうか。

これだけ車が減っているのなら、死ぬ人が出ていても不思議ではないからです。

むしろ出ていない方がおかしいからです。(そうでなければこれだけ減らないでしょう。車がです)

分かりますか?その恐ろしさがです。こちらは走っている車が激減していますが、その激減している車の運転手の中で死んだ人も(下手すればたくさん)いるということなのです。

そればかりでなく(どこかの会社だけではなく)やたら怒っている人がそこらじゅうにいますが、ではそういう人たちも、身内や友人に亡くなる人が出ているということなのでしょうか。

単に癌になったということだけではなくです。

だから、怒っている(またはドン引きしている)ということなのでしょうか。少なくとも、どこかの会社など死んでいる人がたくさん出ているようであるからです。(今も確認しましたが、またドン引きしましたので間違いないでしょう)

そこは、はっきりしませんが(そういう人たちに直接きいたわけではないので)どちらにしてもいいことは起きていないでしょう。

いいことが起きているのに、それだけ怒っている(またはドン引きしている)人などいないからです。

しかし、そうであるならまだこれから、どれだけ多くの人が死ぬか分からないということになります。そういう現象(車が減るだけではなく、そこらじゅうの人が怒っている)がまだまだ続いているからです。

また、こちらの人たちは謙虚でへりくだった態度など取りません。横柄で傲慢な態度ばかり取っています。

そのような不遜な態度を取り続けているのなら、絶対にいい方にはいかないのです。(どこかの会社もいまだ嫌がらせをやめません。今日などずいぶん引いているのに、それでも嫌がらせはやめようとしません。そういう人たちがこの辺りは多いのですが、こういう人ばかりだとドンドン悪い方に導かれていきます。つまり一度、癌などになれば病状が悪化する方にしかいかないということです。そういう心では奇跡など起きないからです)

私も同じ地域に住んでいますので当事者なのですが、実際、こちらではこういうことが起きてきています。

それでも、私のいうことをきくのは嫌ですか?本当の神の教えなどくそくらえでしょうか?

それはかまいませんが、正味な話、こちらではこのような恐ろしいことが次々に起きているということだけは知っておいてください。

今年は有名人もたくさん死んでいます。

では、同じことが起きていても別に不思議ではないでしょう。(ちょっとこちらは起き方が激しいのですが…)

もうそういう時代になっているからです。

追伸…しかし、それだけ死んでいる人がたくさん出ているようだとよけいやばいですね。

何がやばいかって、そのように死んでいった人たちは、みな地獄に堕ちています。(これは断言できます)

そうすると、そういう人(霊)たちは、その地獄が苦しいばかりに(例えば、癌で死んだ人などいまだ地獄でその癌の痛みに苦しんでいるでしょうから)この世に出てきて親しかった人たち(身内や友人)に憑いてしまうからです。(この世でもそうですが、苦しい時は親しい人を頼りにします。それは死んでも〔霊になっても〕同じなのです。苦しいからと親しい人のところに来るのですが〔助けてくれとです〕身内や友人が心がきれいなら、その地獄霊は憑くことは出来ませんが〔波長が合わないからです〕汚いでしょう。どの人もです。では、ほとんどの人が憑かれてしまうのです)

癌になっている霊に憑かれれば、その憑かれた人も同じ症状が現れてきます。

そういうこともあって、この辺りは癌になる人がよけい増えているのではないでしょうか。癌になって死んだ人に憑かれて、憑かれた人も癌になる、負の連鎖です。(そういうことは起きるのです。よく家族に癌になる人が出ると、その家族も癌になるといわれます。それは遺伝だの、食事の問題だの、いろいろいわれていますが、そういう物質的な問題ではなく、同じような心〔家族だからよく心癖が似ているのです。同じような心を持っていると同じ病気になるのです〕と、その癌で死んだ人が同じ家族に憑くから同じように癌になる人が家族から出てくるのです。つまり心さえ変えることが出来れば、そのようなことはなくなるということです)

どちらにしても、そのような負の連鎖を断ち切るには心を変える以外にありません。

でも、この教えを勉強するのは嫌なんですよね。このブログを見ている人たちはです。(苦笑)

では、お気をつけください。ずいぶん癌が流行っている(癌になった地獄霊がウロウロしている)ようだからです。

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11月 27 2018

思ってもみないこと

しかし、ここ二ヶ月ほどはほんと静かになりましたよね。

災害大国であったはずの日本に、災害らしい災害が起きていないからです。少々のことはあってもです。

これでは災害大国の名が泣きますね。(苦笑)

これだけ静かだったのはいつ以来でしょう。少なくとも東日本大震災(2011年)以後はこんなことなかったですもんね。

もう次から次に(ひどい)災害ばかりが起きて来てです。

東日本大震災以前も、二ヶ月近くも災害らしい災害が起きなかったなんてなかったんじゃないですか?

2000年以降はほんと異常気象が続いていましたから。

どうしたんでしょうね。本当にその分、何か恐ろしい現象が現れてくるんじゃないかと心配ですが、その心配通り、そちらが静かになれば、今度はこちらが激しくなります。

昨日も本当に車が少なかったです。

段々、走っている車が減っていくように感じますが、やはり私のいうことは(正法神理を知っている者のいうことは)きいた方がいいと思うんですが、どうでしょうか?

書いた通りのことが起きているからです。(先ほど茨城で震度4の地震が起きましたが、私は茨城はよく地震が起きるようになるとずいぶん前からいっています。これもまた書いた通りのことが起きています)

誰も(災害大国とまでいわれ)次から次に災害が起きていた日本に、急に災害が起きなくなるなどとは思わなかったでしょう。今年はエルニーニョまで発生しているんですから。(異常気象が起きる条件が揃っています)

それに、こちらで起きていることもこれだけ急に増えだすとは誰も思わなかったはずです。

しかし、私がそうなると書いたとたん、本当にそうなっているのです。

では、きいた方がいいのではないですか。私のいうことをです。

いった通りのことが起きているからです。

実際に、私のいうことをしっかりきいている人たちにはちゃんと奇跡が起きています。

その反面、逆らっている人たちにはしっかり災いが起きているのです。(今日はどこかの会社など朝からドン引きです…この会社が引いているなどよほどのことが起きているのでしょう)

それは特別この辺りだけではありません。日本中そうなのです。このブログを見ているほとんどの人が私のいうことをきかないからです。

それでは災いは現れます。時代と心が合わないからです。

正法の世になれば正法神理を実践しない限り、よいことが起きてこないのは必然なのです。

それを多くの人が理解しようとしないのです。これだけここに書いていることが当たっているにもかかわらずです。

それでもここに書いたことを理解しようとせず無視しています。それではよい事は起きてこないのです。

このブログを見ているほとんどの人たちが、前時代(末法の世)の考えのまま行いも何も変えようとしないからです。

だから、次々に災いが起きているのです。(日本中にです)多くの人たちが時代が変わったことに気づかず、変わった時代に合わせて心と行いを変えようとしないからです。

実際、この正法神理に従っている人には(もちろん私も含めてですが)よいこと(奇跡)が起きているのですから、いっていることが正しいというこれ以上の証拠もないのです。(そうして、私のいっていることに露骨に逆らっている人たちには、まともに災いが起きているのですから、これもまたその人たちが間違っているというこれ以上の証拠もありません)

少しはこの教えに従ってはどうでしょう。そうすれば少なくともこの辺りで起きている災いくらいは収まるからです。

そうしないと大変そうな人たちがこの辺り(だけでも)たくさんいるからです。

これ以降も無視を続けるなら、災いはドンドン現れてきます。そういう時代になっているからです。

もう本当のユートピアが出現する時代が迫っているのです。そうなれば、間違ったことをしている人たちには次々に災いが現れてきます。

そのような心ではこの時代を生きるのは困難であるからです。

だからこれほどのことが起きてきたのです。日本にもそうして世界にもです。天変地変は自然現象ではありません。

神の意志を皆に知らしめるため、現れている天の導きなのです。(気づきの現象)

2000年代に入り、そのような次々に奇跡が現れる時代が(本当のユートピアが出現する時代が)すでに始まっているのです。

だから、自分が望む、望まないにかかわらず、これほどの現象が現れて来ているのであるし、それなら、その時代に合わせなければ幸せにはならないでしょう。

時が来て時代が変わりつつあるのに、前時代のやり方しかしないのであれば、それはうまくいかなくなるのは、どのような世界でも同じであるからです。

それがどれだけ理解出来ないことであっても、そういう(自分の理解を超えた)ことが起きるのが、この世界であるのです。

自分の知っている範囲など狭いということを理解すべきなのです。知らない世界など誰にでもあるはずだからです。

皆それぞれ知っていることは多いのでしょうが、それでも知らないことはあると謙虚に学ぶ姿勢を忘れてはならないのです。

自分たちが思ってもいないことが、実は大きく作用していた、などということは大いに有り得る話であるからです。(しかもこの話は三次元だけの話ではありません。四次元以降の話も混ざっていますから)

そうして、その思ってもいないこと(神の力)が大きく作用する時代にすでになっているのです。

だから、これだけ信じられない現象も起きてくるのだし、その信じられないことをいっている者のいうこともよく当たるのです。

その者のいっていることは正しいからです。(正しくなければ当たりませんから)

思ってもいない大きな力が、大きく作用する時代となっています。

そんなバカなことがあるかと否定する前に、少しは聞く耳を持ってください。

これからは、そのような人たち(柔らかい心の持ち主)だけが救われていく時代になっていくからです。

追伸…この正法神理が拡がるなら、自分たちの周りに次々に奇跡が起きることはもちろんですが、例えば赤字国債を減らすために(別に赤字国債などあわてて減らさなくとも日本が破綻するわけでもないのにです。外債ではなく国債だからです)消費税を上げるだの(軽減税率などわけが分からないし)種子法廃止だの(これ廃止すると相当やばいみたいですね)外国人材の受け入れ拡大の入管難民法を改正するだの、水道事業を民営化するだの、わけの分からないことをいっている(日本のためにならないことをいっている)政治家などを皆で祈れば、その政治家たちに様々な現象が現れ、天が正しい方向に導いてくださるからです。

そうすれば日本が間違った方向に行くのを正すことも出来ます。(政治がよい方にいけば当然日本はよい方にいきますから)

そのような政治や経済や教育(だからいじめ問題なども解決していきます。いじめられている人が祈ればいいのですから。そうすればいじめている人たちに様々な現象が現れ、そのような行いを反省させられていくからです)などなど、すべてによい方に(正しい方に)導かれていくのです。

そこに神の力が作用してくるからです。

どうですか?よい事尽くしなのではないでしょうか。この正法神理を実践するならです。

そういう(どこも神の力が作用する)堅苦しい生き方は嫌だなどと思っている人もいるかもしれませんが、それは大いなる誤解なのであって、そういう生活こそ本当の正しい生活であり、神の子である私たちが一番生活しやすい場なのです。

それはなれば分かります。(そのような生活こそ、本当に自立した自由な幸せな生活の場なのであるとです)

だからこそ、多くの人にこの教えを学んでほしいのです。その喜びを(神と共にあると確実に実感できる)多くの人たちに知ってほしいからです。(それにこの教えを学ばないともう危ないですし)

とにかく少しずつでも実践されませんか?そうすれば、本当の神の教えを実践する喜びは少しずつでも分かってくるからです。

(行わないと永遠にその喜びは分かりませんから)

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11月 25 2018

大きな恩

昨日のことです。家の近くの交差点を渡って何気なく前を見るとずっと向こうまでよく見えるのです。(近所の人は分かると思いますが、蜆橋の通りです。太平通りの交差点を渡って前を見たら、その蜆橋の向こうまで見えました)

ずいぶん見晴らしがいいので少し驚いたんですが、その道に車がほとんど通っていなかったのです。だから、そんな向こうまでよく見えたんですが、これだけ向こうまで見えることは正月くらいしかないですね。

その道は広くはないのですが、普段からわりと車の通りは多いのです。(トラックもよく通ります)それが昨日はそのくらい(正月くらい)その道を走っている車は少なかったということです。

帰りも同じ道を通ったんですが、同じようにすいていました。本当にガラガラで正月のようでした。

その後、一号線を歩いていったんですが、やはり道路の先の方を見るとよく見えるのです。

しかし、一号線の場合は車が少ないというよりも(車もたしかに少なかったんですけどね)トラックが少ないのです。(ほとんど走っていませんでした)だから先の方までよく見えたのですが、本当に異様ですね。

いくら三連休の中日(なかび)とはいえです。

いくらなんでもすきすぎでしょう。ただの休日だというのに、あちこちの道路は正月三箇日(さんがにち)くらいの車しか走っていないというのですから。

もうトラックの運転手の顔をまともに見られないですね。(バスの運転手も同じですが)あまりに哀れでです。

だってそうでしょう。これだけトラックが減ってしまっては、もういつその走っているトラックの(私にブシュとやってくるトラックのです)運転手もいなくなるかしれないからです。

ムッとした顔をしてブシュブシュやっていく人もいれば、普通の顔をしてやっていく人もいますが、内心はもう怖くて仕方ないでしょう。

これだけトラックが減っていれば怖くないはずがないからです。

自分たちが乗っているトラックが、ドンドン周りからいなくなっていく。そういう状況で(そういう異様な状況で)普通でいられるわけがないのですが、それでも誰も態度を変えようとしない。本当に哀れというしかありません。

だから、運転手の顔をまともに見られなくなってきたといっているのです。

無理をしていることがアリアリと分かるからです。

私に対し、そういう態度は絶対見せないのでしょうが(見せたくないのでしょうが)この状況で怖くないはずがないのです。(運転手連中は何でトラックがいなくなっているのか?その理由もよく知っているでしょうから)もう無理をせず、頭を下げられてはどうでしょう。

素直に自分が悪かったと認めるなら、そこから救われる道がついてくるからです。

それは歩いている人も同じでしょう。難しい顔をして歩いている人が増えてきました。

ムッとして嫌がらせをしていく人も(または普通の顔をして嫌がらせをしていく人も)まだいますが、ずいぶん減りましたね。

そういう人もです。

そういうことをしていても、もう自分が危ないだけだと、どれだけ私のせいにしていても、もう悪いことは止まらないと、理解する人が増えてきているからでしょう。

これだけ悪いことが増えてきては、誰だってそれは分かるでしょう。それが分からず、いまだに私に嫌がらせなどしてくる人は、相当心が低い人たちです。

心が低いから、そのような冷静な判断が出来ないのです。

だってもう小学生だって頭を下げてきますから。(たくさん出てきましたよ。頭を下げてくる小学生がです。調子に乗って嫌がらせしてくるのもいるにはいますが)

小学生でもこの危ない、どうにもならない状況は理解できるのです。

それが大人が出来ないというのですから、そういう人たちは相当心が低いといわざるをえません。

それでどうされるのですか?

怒っている人たちは(心の低い人たちは)ほっとけばいいのですが(そういう人たちはもう少し時間が必要ですから)難しい顔をしている人たちはです。

モタモタしていると、手遅れになります。難しい顔をして歩いているだけでは救われないからです。

また、私に頭を下げていく小学生たちは救われていくでしょうが、いまだに私の顔を見ると嫌がらせをしてくる小学生など、やはり運転手同様、近いうちにいなくなるでしょう。

そういう現象は、運転手だけではなく、学生たちにも同じように現れているはずだからです。(だから学生連中もみな怒っていたのでしょう。ずいぶん前からです)

傲慢で心が汚い者たちは、もうこの時代と合わなくなり、いなくなっていくのです。(病気になっていくのです。それもひどいです)

しかし、私に頭を下げられるくらいの謙虚さと素直さを持ち合わせているのであれば、そのような者たちは救われて行きます。

だから私は、先ほど、私に頭を下げる小学生は救われると書いたのです。そのような心が自分を救うからです。

しかし、そのような心を持ち合わせていない者たちは、救われることはありません。必ずどこかで災いは現れるでしょう。

だから学生たちは、最低、そのくらいの(このブログを読めたことに素直に感謝して謙虚に頭を下げられるくらいの)心にならないといけないのです。

何度もいいますが、そういう心が自分自身を救うからです。

しかし、大人はそれではいけません。大人の人たちも、たしかに最近は頭を下げる人が増えてきましたが、それだけではダメでしょう。

大人の場合は、ちゃんと私に感謝しないと救われないからです。それには報恩の行為は必要であるからです。

もう何度も書いていますので、クドクド書きませんが、子供たちは私に謙虚な心で感謝できれば、それで救われていくのでしょうが、大人たちは謙虚な心で感謝するというのなら、それは報恩の行為が必要です。

大人の場合、そこまで出来て、はじめて感謝したと認められるからです。

では、大人たちは私に報恩の行為まで出来て、はじめて救われるということになります。

されてはどうですか?もうソロソロです。そういう人たちはみな私のブログを読み(または噂をきいて)多かれ少なかれ心を救われている人たちばかりであるからです。

心が救われたのなら、感謝しないといけません。

それをしないから(心が救われた人に対してです)これだけ悪いことが起きているのです。

それだけ自分たちは、その人から受けた恩は大きかったからです。だから、これだけ悪いことがたくさん起きているのです。

多くの人が、その受けている恩の大きさに気づいていないからです。

大きな恩を受けているにもかかわらず、その恩のお返しをいつまでもしようとしなければ、その恩のお返しをしなければいけないという、気づきの現象は、当然、激しくなります。

それがこの辺りには特によく起きているのでしょう。それだけ大きな恩を受けている人たちがたくさんいるからです。(まあ、それを認めない人たちばかりですが。〔苦笑〕)

そういう人が多ければ多いほど、起きる現象も多くなります。その気づきの現象が次々に起きているのが、この辺りでしょう。

だから、それをしない限り(私に対する感謝と報恩の行為)この辺りで起きている災いは止まらないと、私は何度も(何十度も)いっているのです。

それが事実であるからです。

神の教えを知るということは(しかもこれだけしっかりです)生きている間だけではなく、死んだ後まで救われ、その後、輪廻転生して行ったその先まで救われていくことになるのです。

ここで知った正法神理は、自分の心の中に永遠に残るからです。

自分の心の中に正法神理が残っているのなら、その正法神理は、自分の心がある程度のレベルに達するなら、いつでも取り出せるようになります。

そうであるなら、その人はもう未来永劫、救われていくということになります。

この教えはどういう問題に対しても正しい対処の仕方を教えてくれるものであるからです。どこにいようとすぐに神の力が現れてくる、そのような教えであるからです。

ではどこにいても、またどんな状況でも救われていくということになります。

だから、尊ばないといけないというのです。この教えを知るなら、その後、救われる道が永遠についてくるからです。

そういうことが事実であるから、私には奇跡が起きているのだし、私に逆らっている人たちには災いが起きているのです。

それでもまだ突っ張るつもりですか?

それでは逆に、永遠に救われることはないのです。

(この教えをきいていることの有難さ〔有難いとは、有ることが難しい、本当に稀であるという意味ですから〕を理解できない間は救われることはないのです。滅びる前に気づいてください。この教えの本当の有難さをです)

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11月 23 2018

ローマとエジプトと日本と。歴史は繰り返す

昨日は歩いていると引いている人が多かったですね。

これだけ車が減っていては、それはそうなんでしょうが、その反面、トラックの運転手連中などみな怒っているのです。(怒っている人がほとんどでした)

これもまたそれはそうなのでしょう。トラックがこれだけ減っていてはもういつ自分に何か起きるかしれないからです。

しかし、それなら怒っているのではなく、この教えを実践されたらどうですか?

この教えを実践するなら、神の光が現れてきて神から守られ、不幸が起きることもないからです。

それは歩いている人たちも同じなのです。この教えを実践するなら神から守られることになります。

しかし、多くの人が逆の態度を取っているから逆の目が出ているのです。

この教えを実践する以外、もう救われる道はないのです。いい加減、それを理解されてはどうでしょう。

それは歴史が証明していることであるからです。

キリストを十字架にかけ、弟子たちを迫害したローマはベスビオ火山の大噴火によって滅びました。

同じようにモーゼの教えをきこうとしなかったエジプトは、モーゼの大奇跡により多くの人々が滅びていったのです。

しかし、キリストやモーゼのいわれることをきいた人たちはみな幸せになっています。

だから、本当の神の教えはきかないといけないといっているのです。本当の神の教えをきくのであれば多くの奇跡も現れてくるからです。

しかし、過去のローマやエジプトと同じように、今の日本の人たちもどれだけ私が本当の神の教えを説いているといっても(そうして次々に奇跡が現れているにもかかわらず)それを認めようとしません。

本当の神の教えなどそっちのけで自分たちのことばかりしているのです。

では、そのような人たちがどうなるのかは歴史が証明しています。

そういう不遜な態度を取り続けた人たちの多くは滅び(天に引き上げられ)そうして最後に残った人たちは、その教えに従うのです。

本当の神の教えに逆らうことは何人(なにびと)たりとも出来ないからです。だから従わざるをえないのです。

本当の神の教えには、この世のすべての人が従う。(特別それは人間だけではありませんが。動物、植物、鉱物みなそうです)それがこの世界をつくられた神のルール(法則)であり、それが唯一の幸せの道であるからです。

従うべきところは従う、そうしないと必ず不幸になるのです。

その神の教えに従っていないのはもはや人間だけなのです。(植物、鉱物はもちろんですが〔動かず言葉も発せないため分からないだけです〕動物たちまでちゃんと従っています。私に喜んで寄ってくるのがその何よりの証拠です)

だから最近、少し天変地変が静かになったと思ったら、今度は車が(人が)減るのが増えだすなどという不幸なことが次から次に起きだすのです。

日本には本当の神の教えが出現しているにもかかわらず、多くの人々がいつまでたっても、その神の教えに従おうとしないからです。(日本に本当の神の教えが出現したという意義を、もっと日本の人たちは重く受け止めるべきなのです。あまりにそのことを軽く考えすぎているのです)

ローマやエジプトもそうでした。同じような人が多かったがため同じようなことが起きていたのです。

凄まじい天変地変が次々に起き、多くの人々が疫病や災害で命を落としたのです。まるで現在の日本と同じではないですか。

同じことが起きるのです。ローマの人々も、エジプトの人々も、同じようにキリストやモーゼのいわれることを(起される奇跡を)無視していたからです。

その教えに逆らい、奇跡をただのマジックだのなんだの、ケチをつけて認めなかったからです。

その結果が、多くの不幸となって現れたのです。

本当の神の教えと、それに伴って起きる奇跡を尊ばなかったからです。

それでは次々に天罰はくだります。その通りのことがローマやエジプトに起きたのです。

それと同じことが現在の日本に起きているのです。

残念ではありますが、ローマやエジプトにいたような人たちと、同じような人たちが現在の日本にもたくさんいるからです。(ローマやエジプトでキリストやモーゼをバカにした人たちが、輪廻転生して現在の日本に生まれて来ているのかもしれませんが…では、そのような人たちはまた同じ間違いを犯しているということになります)

しかし、過去の人たちと同じ間違いを繰り返すのなら、同じ不幸が起きてきます。

では、やらない方がよいのではないでしょうか。好んで不幸になることもないからです。

それと同じ間違いを繰り返していては進歩も成長もないからです。

本当の神の教えに従おうとしない人たちは必ず不幸になります。それは歴史が証明しているのです。

しかし、神の教えに従うなら幸福になります。これもまた歴史が証明しているのです。

それでもまだこの教えに従おうとはしないのですか?自分のことが優先なのでしょうか?

それほど不幸な行いもないのです。

本当の神の教えが出現したということは、何ものにもかえられないほどの喜び以外の何ものでもないからです。

これ以上の幸福はこの世に存在しないからです。

これ以上の神の恵みはありません。その価値をあまりに多くの人々が理解しないでいるのです。

その無理解が、多くの不幸を呼んでいるのです。過去も現在においてもです。

それだけ価値あるものを無視しているから、それほどの不幸が現れてくるのです。その起きる不幸の多さで、神の教えの価値を理解しないといけないのです。

その神の教えを大いに活用するなら、どれだけ多くの幸福がえられるか分からないからです。

これ以上、間違った歴史を繰り返してはならないのです。

「神の教えほど価値あるものはこの世に存在しない」ということを多くの人たちは理解しないといけないのです。

(それをいつまでも理解しないから〔認めないから〕これだけ多くの不幸が起きているのです)

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11月 22 2018

順 序

本当に道路がすいていますね。

昨日もそうでしたし、一昨日など松葉公園の辺りを歩いていましたが、道路はガラガラでトラックなどたまにしか走ってこないのです。(普通車に比べて二~三割どころではありませんでした)

いつも行くところと違うところを歩くと道路のすき方が増しているのがよく分かります。もう周りで歩いている人たちもドン引きでした。(なんせ、そこはトラックで一杯だった道路ですから)

本当に恐ろしいことが起きているのですが、この辺りの皆さん(釈尊とキリストが説かれた教えだけを純粋に説いている)この本当の神の教えを勉強しなくて大丈夫ですか?

このままでは、そのドン引きしている人たちまでいなくなってしまいそうであるからです。

この辺りの運転手連中はどうも次々に神隠しにあっているようだからです。(何でこれだけ車が減っていくのかよく分からないんですから、これはもう神隠し以外の何ものでもないでしょう)

神隠しにあっているのなら、それを防ぐには、本当の神の教えを勉強し行う以外ありません。早く心変わりしてくれることを願うばかりです。

そういえば前回抜粋した正法誌の中に、もう一つ面白いエピソードが書かれてありますので、それも抜粋しておきましょう。

その面白いエピソードとは、園頭先生とあの「雨ニモ負ケズ」の宮沢賢治氏との話です。

同じく正法誌の1986年、五月号より抜粋。

<私の青年時代の一つの目標は、宮沢賢治先生の「雨ニモ負ケズ」にある人間のようになることであった。

雨ニモ負ケズ

風ニモ負ケズ

雪ニモ

夏ノ暑サニモ負ケヌ

丈夫ナ身体ヲ持チ

欲ハナク

決シテ イカラズ

イツモシズカニ

笑ッテイル     以下略

私はこの詩をはじめて読んだ時、まるで俺のことをいっているみたいだなと思ったものである。そう思ったことがいつか宮沢先生の生地に行ってみたいと思うことになったのであるが、それには昭和十二年から二十年までの戦争を経験し、生長の家の講師になることによって達成されることになったわけである。昭和四十八年一月、高橋先生のことを知って、三月、当時のGLA関西本部に行った時、事務所の机の上に「雨ニモ負ケズ」の詩を書いた置物があり、幹部の自宅に行ったらそこにもあった。どうして関西本部の人たちはこの詩を愛しているのだろうかと思っていたら、それは高橋先生が「宮沢賢治という人は菩薩界の人ですよ」といって「雨ニモ負ケズ」の詩をすすめられたということであった。

その話をきいて、そうであれば自分が青年期、この詩に心を魅かれても当然だったのだなと思うことであった。

当時、生長の家の花巻の幹部の方が賢治先生の弟の清六さんと昵懇(じっこん)で連れて行ってくださったのであった。賢治先生の話をしているうちに、話はその日の新聞に載っていたことに移って行った。丁度その日の新聞に、菊池寛先生の未亡人と出版社との裁判問題が載っていた。菊池寛先生の本の再版について、出版社が未亡人にいった冊数よりもたくさん部数を印刷して、印税をごまかした、というものであった。その記事を見て清六さんが、これはきちんと書類で契約しないで、口先だけでやるからこういう問題が出てくるんですよ。私は一々念を押して契約するから、兄の出版物についてトラブルがあったことは一度もありませんといって、自分がそうだったのはなぜであるかを話された。

中学三年生の時「人生」ということに疑問を持って、街はずれにある禅寺に話をききに行った。そうしたら和尚さんが次のような話をされた。

「旅の僧があって、あるところでやっと、にぎりめしの布施にありついた。腹が減っていたので、ガブリと嚙みついたら、そのとたんにうんこをしたくなった。うんこをこらえながらにぎりめしを喰ってもうまくないし、さて、どっちから先にしようかなと思ったが、どうせどっちみちやらなければならないことだから、別々にやるよりも一緒にやってしまえと、便所にしゃがんで、一方では出しながらにぎりめしを喰った。ところがふとしたはずみに、そのにぎりめしがすとんと便壺に落ちてしまった。「しまった」と思ったが、そこは座禅をやっていただけのことはあって悟りが早かった。」

(やあ、どうせどっちみちあそこに行くんだから、こっちの方が早さばけでいいわい)

そういう話をして、その和尚さんいわく、

どうせどっちみちあそこに行くには間違いないが、しかし、自分の腹を通さずに、ストレートに便壺に行ってしまったんではわが身がもたんのである。

すべて物事には順序がある。

この頃の若い者は、やれ歌手になりたい、やれ野球選手になりたいなど、結果だけは一生懸命に思う。ごはん一つ炊くにしても順序があるのであって、順序を間違えたらごはんにならないのである。

良識を持った人、常識のある人とは、ものごとの順序をよくわきまえている人のことである。歌手や野球選手になるには、まず自分にその才能があるのか、そんなことも考えずに能力もないくせにただやたらに結果だけを求めたがる。

さて次は、では現在からどのようなことをしたらそうなれるのか、目標に達成するには今から何を、どういう順序でやらなければいけないのか、目標に達成するまでの途中の順序方法をよく考えなければいけない。その順序方法が間違うと目的は達成できないのである」と。

ですから私は兄の本を再版発行する時は、ちゃんと契約書をつくって、この本の再版が何冊、その印税がいくら、支払い方法はこうでと、一つ一つ確かめて契約するから一ぺんも出版社との間でトラブルを起したことはありませんという話であった。

思うことは具体的でなければならないという話の時に、私はよくこの話をするが、思うことが実現しないのは、その思っていることが実現の可能性のないものであるか、あったとしても具体的な実現の努力が足りなかったからである。

たとえ実現の可能性のあるものであっても、思ったからといってすぐそれが実現するものではない。なにごとも実現するには時間がかかる。簡単なものはすぐ出来るが、むずかしい大きな問題になればなるほど時間がかかる。

(中  略)

「こうありたい」「ああなりたい」という目標を思うことは一回でよろしい。朝から晩まで、来る日も来る日も「こうありたい」「ああなりたい」と思い続ける必要はない。思い続けなければならないのは、その目的、目標を実現するためには、どういうことを、どういう順序でしなければならないかということである。何ごとも、順序が一つ狂うとものごとは実現しないのである。

すべてのものごとが実現するには、それを実現させる順序方法がある。それを真剣に思わなければならない>

物事を行うには、順序が大切であるということを園頭先生は書かれているのですが、そのような何か行う時の順序もたしかに大切なことなのですが、いま現在の日本は神から大変な順序をいただいているのです。

その神からいただいている順序を無視して自分のことばかりしていて本当に大丈夫なんでしょうか?

日本の人々はです。

だから、これほどひどいことが起きているのです。多くの人が神からいただいている順序をまるっきり無視しているからです。

その神からいただいている順序を正しく書いているのは、ここに書いている本当の神の教えだけなのです。

だから、ここに書いていることに従う人には奇跡が起き、逆らう人には災いが起きているのです。

この教えに逆らう人があまりに多くて凄まじいことが日本に起きています。

神からいただいている順序は絶対に無視してはならないのです。

追伸…段々、このパソコン、ブログを書いている時に文章が(勝手に)とんでしまうことが増えてきました。

壊れかけているのでしょう。

もう一つのパソコンも壊れているし、これでこのパソコンまで壊れたら、法を伝えることが出来なくなります。

これだけ激しい現象がこの辺りで現れてきたのも道理でしょう。法が説けなくなったら、何が日本に起きてくるかしれないからです。(そういえば、このように車が減りだしたのも、私がしばらくブログを書かなかった時からでしたね。法を説かなくなれば〔全国的に〕このようなことが起きるということを暗示しているのかもしれません。〔汗〕)

いい加減、このブログを読んでいる人たちは(本当の神の教えを伝えられている人たちは)布施くらいしていただけないでしょうか。

布施が入らないとパソコンも直せずブログも書けなくなるからです。

ブログが書けなくなるなら、日本に起きる現象は、きっとこの程度ではすまなくなるからです。(恐)

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