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2021年2月

2月 03 2021

雨あられのごとく降り注ぐ天罰 布施の効用

最近の大手S運輸の皆さん……一体どうされたんでしょうね。

というのも、前からなんか運転手の態度が変だなとは思っていたんですが、昨日でもそうでした。そのS運輸の走ってくるトラック、走ってくるトラックが、私の顔を見るとみな同じように小さな音でブシュとかしていきます。

何でこの連中みんな同じことをしてくるんだろうと、S運輸のトラックの運転手など見ていると実に落着きがありません。私が見ているのが分かると手をあちこち動かしたり、キョロキョロしたり、顔を引きつらせたり、一体どうしたんでしょう。

最近のS運輸のトラック運転手はです。実に態度がおかしいからです。

……だから止まらないんでしょう。病気になるのがです。だから走ってくる運転手、走ってくる運転手の態度が変なんですよね。自分のところの従業員に病気になる(天罰がくだる)人がドンドン出ているからです。

だから私の顔など見るとおとなしくしていられない。(全部それを私のせいにしているから)しかし、思いっきりブシュなどとやれば自分が即座に病気になるかもしれず、だから、そこまでは怖くて出来ない。しかし、ジッともしていられないから小さな音でブシュとかやっていくんですよね。

S運輸の多くのトラックの運転手がです。自分の会社の運転手が(従業員などが)次々に病気になっているからです。

そうなんですよね。それ以外考えられないからです。そのような多くの運転手の多くのおかしな態度はです。

普通なら平気でブシュとしてくるはずだからです。それをしてきた運転手もこれまでは多かったからです。

しかし、最近はおとなしいなと思っていたら、ここ数日はそんな微妙な嫌がらせを多くの運転手がしていきます。

だから止まらなくなったんでしょう。病気になる人がです。

だから感謝して布施しろといっているのです。もうこの辺りは(昨日も書きましたが)災いの町と化しているからです。

あふれているのです。災いがです。この辺りはあまりに罪深い人が多いからです。

そういう状況では、もう神理を(本当の神の教えを)実践して少しでも心をきれいにするしか助かる道はありません。だからいっているのです。感謝して布施しろとです。

神理を説いている私に布施するなら、これだけ神理の愛の実践もないからです。その愛が自分たちを守るのです。

そういえば、このS運輸は運河沿いにありましたよね。その並びには、あの数年間静かだったのに急に怒り出した会社もあります。(少し前に、金山にいってきた帰りに何年も静かだったところが急に怒り出したと書いたことがありますが、その会社の並びにあるのです。このS運輸もです)

その辺りは特に激しく現れ出したのではないですか。天罰がです。だからみな怒り出しているのです。S運輸ばかりでなく、その数年ぶりに怒り出した会社も、その周りの会社もです。

この前の金山からの帰りに確認したのですが、その近辺の会社もみな怒っていたからです。

だからもう天罰が雨あられのごとく降り注ぎ(ふりそそぎ)始めた。そこらだけでなくこの辺りはどこもです。だからどこも激しく怒ったりドン引きしたりしているのです。

すさまじい勢いで現れ出しているようであるからです。多くの災いがです。

だって、昨日などでもそうですもんね。前回怒りたくっていたあの病院の塗装か何かしている業者も、家の近くの大手ディーラーなどもドン引きしているのです。

昨日通ったらです。何をいっても無視です。前回まであれほど怒っていたのにです。(病院の方は一人外に出て来ている作業員がいて、それがブシュ―とかしていましたが。私が通り過ぎた後にです。〔苦笑〕)

それ以外でも怒りたくっているところが多数あり、だからもうボンボン出だしているんではないでしょうか。そこらじゅうのところに災いがです。

それもすさまじい数です。どこもそんな感じであるからです。異様な態度を取っているところがたくさんあるからです。

どちらにしても、もう感謝して布施しないことにはどうにもならないのです。増える一方なのです。その災いは(天罰は)です。

凄い勢いで出だしている様だからです。どこもです。(だからどこかの会社なども大変そうです。昨日も夜遅くまでキレていましたし、今日も朝から急にキレて今はドン引き中です)だから昨日私に嫌がらせした運転手にも(嫌がらせをした人たちにも)すでにドンドン出ているのではないですか。天罰がです。

もう出ないという選択はないはずだからです。このような状況ではです。

だからもうすぐに出さねば、すぐに現れる。それくらいの勢いで広がっているはずであるからです。天罰がです。

だからすぐに感謝の布施を出さないといけないというのです。そうしないともうそのような汚い心のままではドンドン天罰がくだっていくからです。そのような心の汚い人たちにです。

そうなると思いますよ。だってこちらはもうあまり持たないのです。金がです。その金をどうしても布施しないのなら、凄い勢いで天罰が出だすのは必然でしょう。それだけ大切なものであるからです。

この正法神理はです。

その金がこれ以上、入って来なければ、その大切な神理が説けなくなります。

神理を滅ぼすなら、その滅ぼした人たちは当然滅ぼされます。だから雨あられのごとく天罰がくだるのは当然なのです。それほどの罪もないからです。神理を滅ぼそうとしている人たちに対するです。

だから出るでしょうね。凄い勢いでこの辺りは多くのところで多くの人々に天罰がです。いつまでたっても嫌がらせをやめず布施もしようとしないからです。この辺りのブログを見ている人たちがです。

それだけ愛のない罪深い行いもありません。それでは滅ぼされます。だから激しく現れ出しているのです。天罰がです。

だから理屈ではないのです。(残念ではありますが、神理にこの世の理屈は通用しないのです)絶対に改めないといけないものは改めないといけないのです。それを改めなければ滅びる。そういうものもあるのです。

それが嘘ではないということは、今だけではなく、これまで起きて来たことでも分かるはずです。

何度もいいますが、私が無理やり力ずくで何かをしているわけではないのです。勝手に悪いことが次々に起きてくるのです。そこらじゅうにです。

神理を無視しているとです。

そのように自然に起きて来ていることを無視し、逆恨みし(それは私のせいだと)自分本位なことばかりしているから、ドンドン悪いことが起きてくるのです。

その自然に起きてくることとはみな神が行っていることであるからです。自然に起きてくることを無視するということは、それは即ち神を無視していることと同じであるからです。(まあ、そういう人が多いんですが。現代はです)

もう信じてください。奇跡が起きている私のいうことをです。そうして行ってください。私がいっていることをです。そうすれば災いは止まり、皆が幸せになれるからです。

だから布施すれば災いは止まるし、しなければ止まらない。その布施が(愛の行為を行うかどうかが)原因であるからです。この天罰がこちらでこれだけで現れ出しているのはです。

それを信じないなら信じないでいいのですが、では、どうやって止めますか? この凄い勢いで現れ出した天罰をです。

ドンドン広がっているのですよ。天罰がこの辺りの多くのところにです。

私はいま現在でも次々に奇跡が起きています。それこそ私のいうことが正しいという何よりの証拠なのです。

天罰が次々にくだっている人たちは一体何の奇跡が起きているというのでしょう。災いしか起きていませんよね。そのような人たちはです。

それこそ自分たちが間違っているという何よりの証拠なのです。

面白くないことかもしれませんが、どれだけ面白くないことであってもです。従わなければいけないことはあるのです。

仕事などそんなことばかりでしょう。しかし、神の教えはそれ以上なのです。それ以上に(金儲けなどとは比べられないくらい)絶対に従わなければいけないことなのです。

それはこれまで起きていることで分かるはずです。もう理解しませんか。私のいうことをです。皆さん方のそのような意地はこちらもよく分かったからです。

いってはいけませんが、本当によくやりましたよね。この辺りの人たちはです。これだけ滅ぼされていっているのに、それでもまだ神理に逆らうなど普通の人には出来ないからです。

それはそれで歴史に残ると思いますが、しかし、どうせ歴史に残るならです。

神理の流布の方で名を残しませんか。その方がどれだけ多くの人たちに喜ばれるか知れないからです。それだけの頑張りがあるなら、それも出来るはずであるからです。

そのように歴史に名を残すことが出来るのです。誰もこの神理を知っている人たちはです。本気で神理を実践し多くの人々に伝えるならです。(釈尊やキリスト、その弟子たちがよい例です)

その始めとしてです。私のいうことを素直に信じ行ってくれませんか。

まずそこから始めなければ、これだけ起き出した災いを抑えることは出来ないからです。

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2月 02 2021

災いの町 道は一つ

もう布施くらいされてはどうでしょう。

そんな泣きべそかきながら怒っていられてもこちらもどうしようもないからです。どれだけ怒ったって布施してくれないと止まらないからです。その災いは(天罰は)です。

それ以外どうしようもないのだからすればいいでしょう。布施くらいのことです。それで起きてくる災いも起きなくなるのです。ではその方がよほどいいでしょう。怒れば怒るだけ起きてくるからです。

そのような災いはです。だからもう真剣に起きてくることを考え正しい態度を取ってはどうかといっているのです。何度も繰り返しますが、それ以外ないからです。救われる道はです。

家の近くの会社なんですが、そこはちょこちょこ嫌がらせをして来たところなんですが、最近急に静かになって(何か起きたんでしょう)何もして来なくなったと思ったら、昨日また急に怒り出してシュウシュウやり出しました。

そこは怒っていると私が通るとエアーを勢いよく吹き出してシュウシュウやってくるのです。

それで「もう感謝して布施しろよ、そうすれば天罰も止まるから」などといってもききません。怒ってブシュ―とやりっぱなしです。だから「じゃあ、病気になってもいいのか」というとピタリとエアーの音が止まります。

「なら布施しろよ」というとまた怒り出してブシュ―です。

じゃあどうするのか? という話です。

病気になるのも嫌なら布施するのも嫌。そんな子供ではないのですから、どちらか選ばなければいけないものはいけないと、もう理解すべきなのです。これだけ災いが続いているからです。

布施が嫌なら災いは止まらないし災いが止まらないなら、ドンドン自分たちが病気になって最後には滅ぼされるのです。この辺りは周りもそんなところばかりなんですから、そうなるでしょう。

自分たちもです。もう時間の問題なのです。もっと大きな不幸が降りかかってくるのはです。

もはやこの辺りは災いの町と化しているからです。それだけこの辺りにはたくさんの災いが起きているということです。

だから真剣に考えろといっているのです。

病気になり滅ぼされた方がいいのか、それとも感謝して布施して幸せになった方がいいのかをです。

そういう状況なのです。もうこの辺りはです。そういう人が(滅ぼされている人が)次々に出ているんですから、これ以上の事実はないはずです。

だから神理に従うべきであるといっているのです。こういう恐ろしい災いから守れるには神理に(本当の神の教えに)帰依する以外ないからです。

神理に帰依するなら本当に災いから守られ奇跡も起きるのです。この私が、その何よりの証拠なのです。神理に帰依している私には災いなど起きず、奇跡もたくさん起きているからです。

では、これ以上の証拠はないではないですか。

それにもかかわらずです。この辺りの人たちは神理を潰すつもりなんでしょうか? 神理を見るだけ見ていながら、私に嫌がらせを繰り返し、一切の布施を拒むということは、そういうことになるからです。

神理を潰すということにです。

それでは神も許さないでしょうし、第一そのような態度は自分で自分の首を絞めているのと同じなのです。

神理を潰してしまって、あとどうやって救われるというのでしょう。

これまでの信仰で救われますか? 今日は節分ですが(二月二日の節分は百二十四年ぶりだそうですが)鬼は外などといいながら豆をまくだけで、こちらで起きている災いが止まりますか? そんなことで本当に邪気が払われるのですか?

残念ではありますが、豆などいくらまいても邪気が払われ災いがおさまることなどないのです。

その邪気を払い災いをおさめるには自分の心を正しく変えないといけないからです。

そうなってはじめて邪気は払われ災いが止まるのです。

では、その正しく変えるための心の基準は何なのですか? それがこの正法神理であるということです。

だから神理を潰してしまったら、自分たちの首を絞めることになるといっているのです。正しさの(本当の)基準が分からなくなるからです。

その結果が、いま現在なんでしょう。心の正しい基準が分かっていない人が多いため、これだけ混迷し災いが起きる世の中になってしまっているということです。

だからこれだけ災いが起きてくるのです。それだけ心の正しい基準を間違えている人が多いからです。

しかし、心が正しければこのような悪いことは起きて来ないということです。それは何度も書きますが、私が証拠なのです。

神理を知って心を正している私には災いも起きないし、奇跡もちゃんと起きるのです。心が正しければそれでよいという(勝手に邪気は払われるという)何よりの証拠なのです。

だから、その正しい心の基準である神理を潰そうとするなら、それを神が許すはずがありませんし、そんなことをするなら自分たちが潰されます。

だからこういうことになっているのです。この辺りの多くの人たちの態度が神理を潰そうとしている態度、そのままであるからです。

そういう態度を取っていていいことが起きてくるはずがありません。だから、次々に災いが現れ災いの町と化すのです。この辺りはです。

この辺りの人たちの態度が(神から観たら)最低最悪の態度を取っているからです。それだけ神理を潰そうとする態度はいけない(危ない)ことであるということです。

だからそのような自分たちの超がつくほどの危ない態度を反省しないといけないというのです。それだけ危ない態度を取っているからです。この辺りの人たちは知ってか知らずかです。(多分、知らないでしょう。自分たちがそれほど大それたことをしているなどです。しかし、起きてくる現象でそれは理解しないといけないのです。自分たちがしていることがどれだけ悪いかはです。すでにこの辺りは災いの町と化しているのです。では、どれだけ悪いことをしているのか自覚すべきなのです。自分たちが神に対してです)

だから、いつまでも、俺は知らんというような無責任な態度を続けているのではなくです。(ほんと危ない。この状況でそういう態度はです)もっとよく考えないといけないのです。

自分たちの態度をです。

そのような(超危ない)態度を変えない限りは絶対に起きてくることは(超危ない現象は)変わっては来ないからです。

だからどこも一つもいいことが起きて来ない。自分たちのあまりに間違った(神理に対する横柄な)態度を改めないからです。

その典型がどこかの会社などでしょう。もう災いが起きっぱなしのようで、会社の中で小さな音を立てて(哀れです)ずっと怒っています。(そうしてところどころでキレて)止まらないのでしょう。起きてくる災いがです。

そのままでは本当に滅ぼされますよ。こちらはもう布施をもらえねば、やれないところまで来ているからです。もうすぐにでも布施をもらいたいくらいだからです。

神理を説いている者がこれだけ困っているのです。にもかかわらず、神理を見ている者たちが一切それを助けようとしない。それどころか、そんなことなど知らぬ顔で嫌がらせをし続けている。

そのような人たちを神が許すはずがないでしょう。だからこれからはもっと激しくなります。起きている災いはです。

だからもう判断しないといけないのです。そのまま態度を変えず、病気になり、滅びていくのか、それともここで改心し、奇跡が起き栄えていくのか、そのどちらにするのかをです。

改心する気がないのなら、そのままの態度を続ければいいでしょう。そうすれば黙っていても災いが起き滅びていくからです。(そうして死後は確実に地獄行きです)

しかし、改心する気がある人はです。ちゃんと頭を下げ感謝の布施くらいするべきでしょう。

そうすれば神は、これまで神に背いた罪を許してくださり、災いは止まり周りに奇跡も起き栄えていくからです。(そうして死後はもちろん天上界です。ただし、その心が変わらなければという条件付きですが)

どちらがよいのでしょう。しかし、このようなことはきくまでもないのです。

どれだけ強がり意地を張ったところで不幸を喜ぶ人などいないからです。だから元々道は一つなのです。

自分たちが救われる、改心して感謝して布施する以外の道はないということです。

本当に真剣にいま起きていることを考えないと、本当に、本当にです。滅ぼされるのです。もうそのような人たちがこちらにはたくさんいるからです。それだけひどいことをしているのです。

こちらの多くの人たちはです。自分たちに自覚がないだけでです。

そのようなことをもっとしっかり考えないといけないということです。この辺りの一人一人の人がです。

そうして正しい判断をしていかなくてはいけないということです。一人一人がです。(何で私がこれだけ一人一人がということを強調して書くかといえば、もうこのブログは子供まで見ているからです。その子供たちも一人一人が自分で何が正しいのかは判断するしかないのです。この辺りの大人たちは正しい判断が出来ないからです。〔その大人がボンボン滅ぼされているからです。自分たちの間違った判断によってです。そういう大人たちのいうことをきくなら自分も滅ぼされるからです〕間違ったことを書く者に奇跡は起きません。私がいうことが正しいのか、それとも私以外のいっている人のいうことが正しいのかは自分では判断するのです。その判断を間違うと自分にも災いは起きてくるからです)

もうわき目もふらず、神理の道を進みませんか。その道こそ救われる(幸せになれる)唯一の道だからです

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2月 01 2021

神理に逆らう恐ろしさと罪深さ

天罰のことをもう少し書いておきますが、このような天罰は身内に対しても同じなのです。

つまり私の母に対しても同じようにくだるということです。

うちの母も、実は私が夜、祈りなどしていると(私はほとんど毎日、夜になると反省禅定と祈りを三十分ほどしているのです)よくじゃまをしてくるのです。

黙って祈っていると向こうの部屋からゴホゴホとか、ガチャガチャとかやって来て、こちらの部屋から祈りを中断して「そんなことしていると罰が当たるぞ」ということをよくいっていたのですが、そんなことをいっただけではそのような嫌がらせを母は全然やめません。

罰など当たるわけがないと思っていますし、面白くもないのでしょう。私が何をしているのか、母には今一よく分からないからです。(説明しても〔本当の神の教えを説いているとです〕理解しないのですからどうしようもありません…まあ、理解しろという方が無理なんでしょうが。〔笑〕)

金は稼がないし、毎日ブログを書いてあちこちで何か(でかい声で)いい回っているだけで、母から見たら遊んでいるようにも見えるのでしょう。

そうして夜になると急に黙って祈り始める、普通の人から見たら私はどう考えても変人ですよね。(苦笑)

まあ、この時代、しっかり神理を実践している者など変人にしか見えないのでしょうが、それはともかく、あまりにじゃましてくるので一度母を祈ってやろうと祈ったのです。

そうしたら、しばらくしたらです。母が「歯から(歯ぐき)血が出て来て全然止まらない」といいだしました。

ああこれは罰が当たったなと思い「祈りのじゃまなどするもんで罰が当たったんだわ、病院でもいってこい」というと、明日にでも歯医者にいってこようかな、などという話をしていました。

しかし、次の日になるとその歯ぐきからの出血も止まったようで、それで歯医者にいくのはやめたようでした。

そういうことがあってしばらくは静かだったんですが、ちょっとするとまた始めます。喉元(のどもと)過ぎれば熱さを忘れるというやつでしょうか。祈っていると平気でゴホゴホやってくるのです。

だからまた私が「また罰が当たるぞ」といったんですが、全然やめる気などなさそうでした。それで仕方がないのでまた祈ったのです。

そうすると二、三日するとまたじゃまをやめてしまいました。

何でだろうと思っていたらどうもまた歯ぐきから血が出て来たようで、そんなようなことを後でいっていました。

また罰が当たったんだなと思っていたんですが、しかし、またしばらくするとやり始めるのでまた祈ります。

そうするとしばらくするとまた祈りのじゃまをやめるのです。

そうして数日前でしょうか、先月の終わり頃に急に母が歯医者にいくと言い出しました。母は月に一度、歯医者にはいっているのですが、月はじめにいくだけで月に二度もいったことはありません。

先月も月はじめに歯医者にはいきましたので、今月は珍しく二度もいくんだなと思っていたら、これもまた後で分かったんですが、また歯ぐきから血が出て来て、今度は顔まで(歯ぐきまで)はれてしまったとのこと。

それで急きょ歯医者にいってきたようなのです。

だから私が「人の祈りのじゃまばかりしているから罰があったんだわ」といっておいたのですが「とろいこといっとったらかんわ」とかいっていました。(母の言葉の意味は分かりますよね。「とろくさいことをいうな」というい意味です)

しかし、事実は事実です。さすがに三度も続いては母も口では認めなくても祈りのじゃまはしなくなりました。また罰が当たってもいけないからでしょう。

しかし、また時間がたつとしてくるかもしれませんが(すぐ起きたことを忘れますから。年も年ですから母はです。〔苦笑〕)じゃましてくるなら、また祈るだけです。

そうすればもうすぐに天罰がくだるのです。しかし、何度も同じことをするなら、そのくだる天罰は段々ひどくなります。

これ以上はやばいと思うんですが、こればっかりは本人の自覚の問題です。理解してもらうしかありません。神理の祈りのじゃまなどすれば確実に罰が当たるからです。

私の世話をしている母であってもこうなのです。

では、嫌がらせしかしない人たちに罰が当たらないわけがないのであって、だから前回書いたような人たちは次々に罰が当たるのであって、だから、ブシュブシュやっていくトラック連中も、歩いている時にすれ違いざまに嫌がらせしてくる人たちも、こういうことを考えるならみな当たっているんでしょうね。天罰がです。

こちらが確認できていないだけでです。

こういう状況なのです。いくらでも天罰が現れてくるのです。神理に逆らっている人たちにはです。

だからソロソロ現れてはいませんか。様々な天罰がです。このブログを見ている他の地域の一切、布施しようとしない、神理を信じようとしない、多くの人たちにもです。

祈っていますからね、こちらはガンガンにです。(苦笑)

もし何か(悪いことが)現れてくるようなら、ちゃんとこれまでの行いを反省し(神理を無視し続けていたことを)感謝して布施してください。そうしないと、その天罰はドンドンひどくなっていくからです。

もうどこかの会社など怒るに怒れず、それでもところどころでガチャガチャやって嫌がらせだけはしてくるのですが(ずいぶん細かいです)しかし、どういう嫌がらせであろうと、そういう態度を続けるならドンドン天罰は現れて来ます。

もう、これまでの行いを反省し感謝して布施するしかないのです。そうしない限り、その天罰は止まらないからです。

しかし、それをするなら天罰は止まるのです。一体どちらがいいのか、いい加減真剣に考えるべきでしょう。くだらない意地などいつまでも張っているのではなくです。

そのまま天罰が止まらないなら最後には全員滅ぼされるからです。すでに滅ぼされている人たちがこちらにはたくさん出ているからです。

しかし、そういう人がどれだけ出ても分からない。それを責任転嫁し続けている。(すべて私のせい)そういう間違いをしている間は天罰は出続けるのです。

間違いは間違いだからです。その間違いを(そのような天罰はすべて自分たちのせいと)反省出来るまで天罰は出続けるのです。

こちらなどもう顔を引きつらせて怒っている人もいます。泣きそうな顔をして怒っている人もいます。

哀れなものですが、しかし、どういう顔をしていようと怒っている間はその天罰は止まらないのです。それこそ自分の一族郎党が滅ぼされるまで、その天罰は続くのです。

神理に逆らうということは、それほど恐ろしく罪深い(自分のせいで一族郎党が滅ぼされるくらい)ことであるからです。

そうしてその滅ぼされた後は、全員地獄行きです。その地獄で本当の地獄の苦しみを味わうことになるのです。

自分だけでなく自分に縁ある人々がです。神理に逆らった自分のせいでです。

そういうことになってもいいのですか? これは脅しでも何でもなく本当にそうなるのです。

知らないだけなのです。現代の人たちは、神理の恐ろしさをいつまでたっても理解しないからです。これほどのことが起きているにもかかわらずです。

よく考えてみてください。罪の重いことをしているから罰が当たるのです。普通は少々悪いことをしたところで罰など当たらないでしょう。(殺人犯だって、そんなに簡単に罰など当たらないんですから)

しかし、神理に逆らうなら前回も今回も書いたように、すぐに罰が当たるのです。

なぜでしょうか? なぜ神理に逆らっている人たちには次々に罰が当たるのでしょうか?(これは特別私だけの話ではありません。前にウナッシーさんのコメントにも書いてありましたが、ウナッシーさんのお義父さんにも罰が当たったことがあるのです。〔急に歯が痛くなった〕ウナッシーさんの状況も考えずウナッシーさんをなじったからです)

つまりそれほど罪が重いということです。神理に逆らう罪はです。

だから罰が当たるのです。この世のどのような罪よりまだ重いからです。神理に逆らうということはです。それを理解しないだけなのです。現代の人たちはです。

この神理の偉大さをどれだけ書いても理解しようとしないからです。それもまた罪になるのです。

だから理解するまで何度でも書きますが、神理に逆らっているということは、神に直接逆らっていることと同じなのです。

それが正しいのです。だからこれだけ簡単に(身内であろうと誰であろうと)次々に天罰がくだるのです。

それだけ神理に逆らう罪は重く深いからです。

私がいっていることは正しいのです。だから、このまま神理に逆らい続けるなら、自分だけではなく自分の縁につながる一族郎党まで滅ぼされ、深い地獄に堕とされるといっているのです。

確実にそうなるからです。多くの人たちが今のような神理に対する横柄な態度を改めない限りはです。

それを信じないだけなのです。このブログを見ている多くの人たちはです。だからこれだけの天罰もくだるのです。

それだけ物分かりが悪く罪の重い行いもないからです。神理を(長年見ていながら)いつまでたっても、その神理を信じない。

それだけ神に対する罪深い態度もないからです。

先々月は(去年の十二月は)ずいぶんこのブログの訪問者が減ったとこのブログに書きましたが、先月はもっと減っているようです。(先々月より三~四十人は減っているようです)

まあ、このブログが面白くないので読まなくなったのならいいのですが、そうではなく、このブログを読んでいる人がそれだけ滅ぼされたのかもしれません。先月も過ぎ越しの祭が起きているところはいくつもあったからです。

そのような天罰は確実にくだっているのです。いま現在においてもです。

この天罰を止めるには自分の心と行いを改めるしかないのです。いつまでも悪魔の思想に踊らされ、やけくそのような態度を取り続けているのではなくです。

正しい態度を取りませんか。特に神理に対してはです。だからもう神理を正しく理解しないといけないということです。そういう時が来ているのです。

そうしないと、このブログを見ている多くの人たちの罪はどれだけ深くなっていくか知れないからです。

その通りの(罪深い)現象が次々に現れています。

しかし、私の周りには相変わらず愛ある奇跡があふれています。早くこちら側に来ませんか。

神理に従うならこれだけ楽しいこともないからです。

(苦しいのではなく楽しいのです。神理に従えば従うだけです。私たちは元々神から出ている神の子です。ではその神の心を実践するのですから、これだけ楽しいことは神の子である私たち人間にはないのです。それを知らないだけなのです。悪魔に騙されている多くの人たちはです)

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