9月 15 2010
ゴルフトーナメントを観に行って⑥
釈尊やキリストは、当時の無学文盲な奴隷階級の人々から、バラモンやユダヤ教を勉強している学者に至るまで、分かりやすく神の心である慈悲と愛を、より深く説かれたに過ぎません。
無学文盲な人たちにはより分かりやすく、そして教養がある人たちには、少々難しい例えをもちいながら、すべての人に神の心が理解されるように法を説かれたのです。しかし、神の心に反する意見を言う者には、それは違うということを、あるときはやさしくまたあるときには激しく、そのような考えが間違いであるということを諭しました。
例えば、あるゴルフのトーナメント(女子)で、次のようなことをした選手を観たことがあります。
その選手の打ったボールが深いラフに入り、そのラフからその選手はボールを打ったのですが、その選手が打ったボールはラフに食われあまり飛びませんでした。
すると、その選手は腹が立ったのか、思いっきりその深いラフを蹴飛ばしたのです。私は、その選手の態度に驚くと同時にあきれました。この選手は芝も生きているということを知らないのでしょうか。
細い田んぼのあぜ道のような所を、一人で歩いている人がいました。すると、その人の前からかわいい小さな子犬が一匹歩いてきました。ところが細い道を歩いてきたその人は、自分が歩くのに邪魔だということで、その小さなかわいい子犬を蹴飛ばして、横の田んぼに蹴落としてしまったのです。このようなことをする人を皆さんはどう思うでしょうか?
「なんと心無いことをする人だ」「この人はやさしさというものを持ち合わせていないのか」と、そう思われるのではないでしょうか。しかし、先の芝を蹴飛ばした選手は、これと同じことをしているのです。
植物は我々や動物のように、自分の意志を表に現すということはできません。(もちろん神がそのようにつくられたからです)しかし、我々と同じように意識があり、意志があるのです。
この芝を蹴飛ばした選手はゴルフの選手です。ということは、いつも芝の上でプレーしているということです。いつも、生きている芝を踏みつけ、あるときはクラブでざっくり芝を削ってしまい、またあるときはその芝があったためにボールが打ちやすくなり、よいショットが打てたときもあるでしょう。このゴルフの選手は、一体どれほどこの芝にお世話になっていると思っているのでしょう。
この選手はそれが分からないのでしょうか?この選手が、芝になど世話になっていないというなら、岩だらけの土がむき出しのところでゴルフをしてみるといいでしょう。芝のありがたみがよく分かると思います。
いつも世話になり、生きている芝に感謝もできない選手が、よい成績を上げれるはずがありません。(当然、芝も味方をしてくれないでしょうし)その大会でもこの選手は、よい成績を上げれなかったのですが、このような、芝にどれだけお世話になっているかまるで分かっていない、愛の足らない、やさしさの足らない女子選手に、そういう考えはいけませんと優しく教えるのが法です(笑)
しかし、こういう選手を観るにつけ法を多くの人に伝えなければならない、と思う反面、こういうことも分からない人に、法を伝えても伝わるのであろうか?とも思ってしまいます。
キリストは「愛のない者に福音を伝えてはいけない」といわれました。釈尊は「縁無き衆生救いがたし」といわれました。
これはどういう意味かと申しますと、まだキリストの言われる「愛」や釈尊の言われる「慈悲」を理解できるまで成長していない魂もあり、そのような心の持ち主に法を説いても、法が理解できずその人の怒りをかってしまい、かえってその人のマイナスになってしまうので、そのような(まだ心が成長しきっていない)人に法を説いてはいけない、とキリストも釈尊も言われたのです。
人の永い輪廻転生を考えれば、キリストや釈尊の説かれた法に縁のない人は一人もおりませんが、今生だけを考えると法に縁のない人はいるのです。
今週は南愛知カントリーで、女子のゴルフトーナメントがあります。私はいくつもりですが、女子のトーナメントに行くのもこれを最後にしようと思っています。というのも何年も変わらず、私の方をボーっと観てるだけで、やることといえばボールを打ち込んでくるくらいなものです。法に興味があるなら私が近くにいるのだから聞きにくればいいものを、何か分かりませんが、遠くから頭を下げているような仕草をしているだけです。このようなことを何年も続けているということは、法に興味がないのでしょう。(あれば私のところに聞きに来ているはずですから)
法に興味(縁)がない人たちのところに、何年も顔を出していたところで私の目的は果たせません。断っておきますが、ではあなたがもっと積極的に法を話してまわればいいではないか、などという意見は正しくありません。なぜなら、仮に、私のブログを熱心に読んでいる人が、その女子プロゴルファーの中にいるとして、その選手を私が知っていたとします。その選手が私のブログを熱心に読んでいるからとはいえ、その選手のところにいって、無理やり「私の話す法を聞きなさい」といって話しをしたとしても、これは法を話したことにはならないのです。
相手が法を聞くには法を聞きたいと自ら望んで、そのような気持ちが強くないと心に法が入っていかないからです。自分の自主性が大きく問われるのです。その相手の自主性を無視して法を説いても意味がないのです。だから私はこのブログで何度も呼びかけているのです。もっと、聞く気を持ってください、と。少なくとも私はやることはやったと思っています。
私の話を聞きたいと思っていられる女子プロゴルファーの方が、もしいられるなら、ジロジロ私を見ているだけではなく、また、こちらにボールを打ち込むという危険なことをするではなく、遠くで誰に頭を下げているのか分からないような態度を取るでもなく、堂々と私の前に来て話を聞かせてほしいと一言言ってください。「どうすれば成績がよくなりますか」でも何でも言いのです。聞きに来てくださる人には、それなりにアドバイスをさせていただきます。私のアドバイスによって大きく変わる人もいるのです。(現実にあるプロ野球選手は変わりました)しかし、そのような人が一人もいないということであれば、もう私はそのトーナメントに行くことはないでしょう、法に縁のない人たちに長い時間をとることはできませんし、他のところにもいかなければならないからです。
私が思うことは唯一つです。「法を多くの人に伝えたい」それのみです。
その私の思いに少しでも賛同してくださる人がいるならば、どうぞ、今度のゴルフトーナメントで声をかけてください。そのような人が一人でもあることを私は願ってやみません。



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