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9月 22 2013

偏った見方

10:48 AM ブログ

何かこの辺り、雰囲気がかなり変なんですが(険悪な人多そうなんですけど)一~二日前によほど何かあったんですかね。しかし(毎度のことですが)一方的に私を悪者にするのもどうなんでしょう。では、何かあった人は何も悪くなかったんでしょうか?

皆そうなのです。一方的なのです。この辺りに何か起きると必ず私が悪者なのです。では、その悪いことが起きた人は私に何もしなかったんでしょうか?

例えば、奈良の大仏や鎌倉の大仏に、落書きばかりしていた人がいたとします。(実際は、そんなことする人がいたら捕まるんでしょうが)その人はいくら注意しても、そのような行動をやめようとはしませんでした。

長い間、そのようなことをやり続けていたら、その人に悪いことが起こりました。

さて、これは大仏に落書きしていた人が悪いのでしょうか?それとも大仏が悪いのでしょうか?

このように書けば分かりやすいと思います。これで大仏が悪いと思う人はまずいないでしょう。ほとんどの人が「そんなことばかりしているから罰が当たった」と、そんな大仏に落書きばかりしていた人が悪いと思われるでしょう。

今この辺りで、私にかかわり不幸に遭った人はこれと同じことをしているのです。

そうではないでしょうか?私が何もしていない人たちをいきなり祈って、そうしてその人に何か不幸が起きたというなら、それは私が悪いでしょう。しかし、私にかかわって不幸になったという人たちは、百人が百人、私に嫌がらせのような態度を取り続けている人たちばかりなのです。そういう人たちが不幸になっているのです。

今回、何か起きたのではないか、と思われる人もそうです。(多分前の会社の人だと思いますので、その人たちだと仮定して書きます)

その人たちは、私がブログを書くのを毎日のように邪魔しているのです。(それももう何年にもわたってです)その邪魔の仕方がまた凄いのです。それこそ町中に響くほどのでかい音を立てる時もあるのです。(少し前まで、そのようなことを夜中の十二時頃でもやっていました。さすがにそれは私が苦情をいいましたのでやめましたが)そのようなことをしている人たちは、私のみならず、多くの人たちに迷惑をかけているのです。そのような非常識なことを、この人たちはやり続けているのです。

このような人たちを、私が祈り何か起きたらからとはいえ、それで私が百パーセント悪いといえるのでしょうか?

この人たちも悪いと誰も思わないのでしょうか?

この人たちばかりではありません。私にかかわり不幸になったという人は、すべての人がそうなのです。それこそ皆回りのことなど考えず、私が近くを通るとでかい音を立てて平気でいたり、私は何もしていないのに一方的に嫌がらせしてきたり、そのような人たちばかりなのです。

なぜ、その人たちがそのようなことをするのか?私のブログを読み(こういうことをするほとんどの人は私のブログを読んでいます)怒る人もいるでしょうし、妬み、ひがみの思いからそういうことをする人もいるでしょう。そのような個人的な小さな考えから、そのような悪いことを長い間続け、そうして不幸なことが起きたという人ばかりなのです。

それに対し、では、私がそのような人たちに何か嫌がらせをしたのか、といえば、私はその人たちにも、また誰に対しても嫌がらせなどしたことありません。それどころか、そのような心ではいけないと思い「このような人たちを正しくお導きください」と神にまで祈っているのです。

そのような私の態度の一体どこがいけないというのでしょうか?もし「お前が祈るからいけない」というのであれば、その祈りをせず多くの人に好き放題やらせておくなら、日本に何が起きてくるか分かりません。(それこそ南海トラフ大地震のような大災害が起きるかもしれないのです)それでもいいといわれるのでしょうか?

多くの人は、その起きた結果ばかり見て、それまでの過程をまるで見ないのです。それこそ一方的に、片方の人たちばかりに不幸なことが起きるものですから、その起きていない方が悪いと単純に思っているだけなのです。

しかし、そのような結果こそ、真実を物語っているのではないでしょうか。一方的に、片方の人たちばかりに悪い結果が出ているというのであれば、それは片方の人たちが、全面的に悪いからそのような結果が現れているのであり、もう片方が何も悪くないから、その者には悪い結果が現れてこないのではないでしょうか。

そうでなければ、起きてることの辻褄が合わないでしょう。天が一方に全面的に味方するなどありえません。天は常に公平なのです。それは釈尊やキリストにおいても同じなのです。あのような方々に天が味方しているように見えるのは、その方々の心が人よりきれいで高いから、そのように見えるのであって、もし、その心が曇ってしまえば、釈尊やキリストといえども天は味方しません。

その心が曇れば、釈尊やキリストもただの人となってしまうのです。しかし、悟られてからの釈尊やキリストは、生涯正しい法を説き偉大な力を現し続けたのです。それは「釈尊やキリストだったからそうなのだ」というのではなく、あの方々のお心が生涯変わりなくきれいで高かったから、あのような偉大な力を生涯発揮できたのです。

その人の心と行いがすべてであり、それを観て天は判断するのです。

私にかかわり、不幸になった人たちはどうなのでしょう。釈尊やキリスト並とはいいませんが、悪いことをしていなかったのでしょうか?まったく逆です。このような人たちは悪いことをし続けたのです。だから、悪いことが起きたのです。その起きていることとは人が起こしているわけではないからです。すべて天が起こしていることだからです。

私は再三「このブログを書くのを邪魔してはいけない」「私に嫌がらせなどしてはいけない」「このブログを読むのであれば、お気持ちだけ結構ですから寄付してください」といい続けてきました。しかし、この不幸になっている人たちは、そのどれも聞かなかったのです。まったく聞く耳を持とうとしなかったのです。

それどころか、こういうことを私が書けば、それに逆らい、よけいにやってはいけないということをやったのです。

そういうことをした人たちが、まるで悪くないとは一体どれだけ偏った見方なのでしょうか。

多くの人は、その不幸が起きるまでの過程を知らないのです。

「入会しないと罰が当たる」と強引な勧誘をして、問題になっている宗教団体がありますが、このような偽の教えはともかく、本物の教えに逆らってばかりいると、本当にそのような現象が現れるのです。

だから私は、そういうことが起きてもいけないと思い、何度も警告し、現在もそれをし続けているのです。

しかし、多くの人はそれを真剣に聞こうとしません。その結果、現在の日本は不幸な現象が続出しているのです。

いつまで人のせいにしているつもりですか?どれだけ人のせいしようと、悪いことをしなければ、その人に悪いことは起きません。その人たちに悪いことが起きるのは、その人たちが悪い原因を自らつくっているからです。

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