10月 01 2013
地獄界
昨日のようなブログを書けば、ただでさえ多くの人に嫌われているのに、それプラス宗教団体の信者の人たちにも嫌われることになります。まったくどれだけ多くの人に嫌われればすむのでしょう。本当に因果な性格です。(仕方ありません。正しい教えを拡げるためです)
しかし、お年寄りの皆さん、間違った教えを勉強しているということは、オレオレ詐欺に引っかかっているのと同じで、実際は金を騙し取られているのです。それでもよろしいんでしょうか?
オレオレ詐欺はお金を取るだけですが、間違った宗教を信じてしまうと、お金プラス自身の魂まで腐らせてしまいます。間違った宗教は、オレオレ詐欺などとは比べものにならないくらい悪いものなのです。(だから、間違ったことを教えた教祖は、普通の人以上に地獄で苦しい修業をしなければならないのです)
これだけのことが日本に起きているのです。(それにただ怒っているだけの人も多いんですが)もうこれまでの考え方から信仰に至るまで、ご破算で願いましては、にした方がよいのではないでしょうか?
間違った教えを信じていれば、現在も、そうして死後の世界も救われません。爺ちゃん婆ちゃんなど、この世での生活の時間が短いというだけで、その後の魂の修行は永遠に続くのです。ここで正しい教えを知ることがどれだけの得(徳)となるのか、その自覚はもたれた方がいいでしょう。(こういうチャンスは、もういつ訪れるか分からないからです。それほどこの世で如来の説かれた法と出会うことは難しいのです)
地獄行きなどと簡単に書いていますが、そのような世界は、それはそれは苦しい世界です。そんなに簡単に行くものではないと思いますが、よく古いお寺などに地獄絵図というものがあります。
地獄界とは本当にあのような世界なのです。
この世界にないものは人々の想像の中に現れてきません。この世界(三次元以降多次元の世界)のどこかにあるから、それが心に浮かび絵などに描かれるのです。あのような地獄界はこの世(三次元)にはありませんが、あの世(四次元以降多次元の世界)のどこかに存在しているのです。
灼熱地獄に寒冷地獄、真っ暗で物音一つしない場所で、一人ずっといなければならなかったり、虫だらけの場所があったり(私、行かされましたけど、しかも二回ほど〔汗〕)血の池地獄(私など血の大河を観たことがあります。その激しく流れる血の河の中を、あの未来のおばちゃん〔北村氏〕が凄い形相で流されていきました)や放火魔などが行く火炎地獄など、もうありとあらゆる恐ろしい場所やゾッとするくらい気持ちの悪い場所が地獄にはあるのです。
そんなに簡単に「地獄に行くのもかまわない」などとはいえないでしょう。(しかもそのような場所で、数年から数十年、人によっては数百年も苦しい修行をしなければいけないのです。ゾッとしませんか?)
小さなことにこだわり、心を変えようとしなければ百人が百人、死ねばその地獄界のどこかの場所に行くことになります。
もちろん例外などありません。それがこの世に出てきた魂の修行だからです。その修行に失敗すれば、そのような場所で自らの魂を磨くのです。
本人にその自覚があろうがなかろうが、悪いことは悪いことだし、よいことはよいことなのです。この世の修行の結果は死ねば分かります。自分が今を生きている、その一分一秒がすべて(よいことか悪いことかの)試験であり、その時の思いと行いすべてが自分の心に記録されているのです。それを死後、自分で確認し(臨死体験者がよくいう自分の一生を振り返るというやつです)悪い思いと行いをたくさんしているのであれば、地獄で修行しなければいけないし、悪いことを思ってもそれを反省し、よい行いをたくさんしてきたのであれば、その人は天上界に行くということです。
そのような悪いことの中でも、神に関することは特に罪が重いのです。
知らずに間違った教えを勉強し、それで死んでから知りませんでした、というのはまったく通用しないのです。それは知らない人が悪いからです。(私たちがこの世に生まれた最大の目的は、正しい神の教えを知るということだからです)何があろうと正しい教えは勉強してこなければならないし、間違った教えを正しい教えと信じて勉強していたのなら、それはその人の判断が悪かったということです。
知らなかったの分からなかったの、どのような言い訳も通用しません。そのようなことを含めてすべて自分の心の勉強だからです。
このようなことを知るのであれば、今の私の周りで次々に起きている現象の意味が分かります。
本物の神の使いの法の流布の邪魔はする、嫌がらせはするでは、いいこと起きるわけがありません。先ほどもいいましたように、本当の神の教えは、すべての人が絶対に知らなければいけないことだからです。この世に生まれた一番大事な目的だからです。その流布の邪魔をし嫌がらせをしているのです。どうやったらいいことがその場所に起きてくるのでしょうか?(今日も一生懸命邪魔してます)
こういうことも含めて、すべて自分の試験なのです。これはいけないと思い、そのような態度を改めるか、それとも、そんなこと関係あるか、と邪魔や嫌がらせを続けるか(そういう人がほとんどなんですけどね)それが自分の判断であり試験なのです。
しかし、そのことが正しいか正しくないかは天が教えています。(そのように天は常に私たちを正しい方向に導こうと努力しているのです。この世に出てきた人が、それが分からず無視しているだけです。しかし、それを理解することも試験の一つなのです)
その天の行為を無視しているなら、当然そのような人たちは、よい方向には行かないということです。(というか行きようがありません。よりにもよって、この世で一番してはいけないことをしているのですから)
このように考えるのであれば、その本当の神の教えを教えてもらいながら(現在進行形です)それに少しも感謝しないということも罪になると思われないでしょうか?
この世の目的の一番大事なことを教えてもらって、それでその教えてもらった人に何もしないということは、自分がしなければいけない、最低限の義務さえ果たしていないということで、これもやはり罪となり、そのようなことを続けている人は最終的には不幸になり、死ねば地獄に行くことになります。
そのようなこともすべて自分の判断にゆだねられているということです。(すべてこの世の試験です)
法の流布の邪魔や嫌がらせなどは論外ですが、法と知りながら、それを平気で黙って見続けた人も罪となり、最後には地獄に堕ちるのです。
この世の修行とはそれほど難しく、また難解なのですが、それがこの世の修行です。泣き言をいっていても始まらないし、それをすることが心の成長につながるのです。
人がみていようといまいとよいことはしなければいけないし、悪いことはしてはいけないのです。そうして、そのやっていることが正しいか正しくないのか、これも自分自身で知らなければいけないことなのです。
そうすることが自分の成長の証となり天上界への道となります。しかし、私たちは地獄界に行きたくないからそうするのではなく、そのような正しい道を進むことが、神の子の人間として真の道だからそうするのです。
正しい道を進むことは、私たち人間の当たり前のあるべき姿なのです。



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