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10月 11 2013

共産思想の恐ろしさ

10:59 AM ブログ

それにしても、今日はやけに朝から救急車のサイレンが響きますね。(つい今しがたもしていました)もう何度も聞こえてきますが一体何が起きているんでしょうか?

まるで分からないんですが、週刊誌などよいネタになりそうですがどこも書こうとしませんね。「救急車のサイレンが何度も響く名古屋の怪」とか何とか題名つけて記事にしてもらえませんかね。それはそれで興味を引く内容になると思いますよ。(週刊誌にでも書かれないと、このブログに書いているだけでは誰もビビりませんからね。一人で心配していて段々アホらしくなってきました)

これだけサイレンが響いているにもかかわらず、いくら私がいっても誰もなんとも思わないようです。しばらくほっておきましょう。

昨日も書いたのですが、どうせ今の世相とこのブログは相容れません。世相に逆らいついでに、もう少し今の世相のおかしさを書いておきましょう。

現在の教育が男女平等、同権などと教えるものですから、男の仕事も女の仕事も区別がなくなり、何でもかんでも一緒にやろうとしていますが、男も女もそれぞれ特性があり、その特性を生かさないと自分の能力も出ません。

そのそれぞれ自分の能力を生かすには、男の仕事は男がやり、女の仕事は女がやり、ともにできる仕事は一緒にやればいいのであって、そのように区別した方がいいと思います。(その区別を差別にしてしまったのが間違いなのです)

例えば、最近は妻の出産に立ちあう夫が増えましたがあれはどうなのでしょう。

現在はもう子供の出産は病院で行うのですが、昔は嫁が産気づけば産婆さんが来て、男連中は外に出てくれといわれ、女たちだけで子供の出産を行いました。夫は子供が生まれるのを、外でハラハラして待っているだけで、それを行うのはすべて女の仕事でした。

結局、子供の出産とは女のそれこそ一世一代の大仕事なのです。それに男がしゃしゃり出てそれを見ているというのは、やはりおかしいのでないかと思えてなりません。

妻を信じて女の仕事は女に任せ、そうして、それを立派にやりとげ元気な赤ちゃんを産んでくれたのなら、その子供の誕生とともによくやってくれたと、妻が女としての仕事を立派に果たしてくれたことを褒め、共に喜び合えばよいのではないでしょうか。

それをわざわざ妻の出産に夫が立ちあうのでは、それでは、夫が仕事をしているのを横で妻がジッと見ていることと同じで、やはりおかしなことといわざるを得ません。自分の仕事は自分でしっかりこなさなければいけないし、その仕事にいちいち夫や妻が立ちあわなければいけないということになれば、その人は、自分の仕事を自分一人ではできない半人前に見られてしまいます。

それではいけないでしょう。自分の仕事は自分でやる、そのように互いを信頼し、任せるものは任せた方がいいと思います。そうしないと、それぞれの能力も伸びないということです。

このように、最近は一事が万事、一緒にやるとか、夫が何もしてくれないから家事育児ができないとか、いろいろ言い訳がましく自分の仕事ができないのを棚に上げ、責任転嫁していますが(ここでも得意の責任転嫁です)しかし、自分の仕事は自分でこなさないと心の勉強になりません。(また自分の使命も果たせません)

それには男の仕事、女の仕事をはっきりさせ、一緒にやれるものは一緒にやるが、男として自分でやらなければいけないことは自分一人でもやる(つらいです。〔涙〕)そうして女としてやらなければいけないことは自分一人でもやる、という区別は必要ではないかと思います。

最近はそのような区別もなければ順序もなくなりました。それが最近の世相の混乱と不調和の原因と思えてなりません。

そうではないでしょうか。昔からいわれているように夫婦になったのなら、妻は夫に従えということになれば、そこに順序ができます。そうなれば、夫のいうことを妻が聞き、という風にスムーズにことが運びますが、それが男女平等、同権では夫婦となっても、夫婦がすべて同じ考えということはありえないのですから、互いに自分の意見を主張して、意地の張り合いにしかならないのではないでしょうか?(そうなるとたいがい妻の方が勝つのですが)

現在のように、我の強い方のいうことを聞くでは、正しい夫婦のあり方にはなりません。

昔からいわれる、妻は夫のいうことを聞く(妻は夫を一とする)ということは神理なのです。(つまりそのような順序、法則がある、ということです。ということはそれに逆らえば不幸になるということです)

昔からいわれている、夫婦のあり方は実は神理であったものが多かったのです。昔からの言い伝えとは、やはり、そのような偉大な人の言葉を元にしたものが多いからです。(また、そのような正しいことでなければ長く言い伝えられないでしょうし)

しかし、それを壊してしまったのが戦後の共産思想です。

戦前の考えは古くて人々を縛るものでしかない、というデマを流し、男女平等、同権を唱えました。しかし、この共産思想をよく考えれば、この思想こそ悪魔の思想でしかないということが分かるのです。

先ほどもいいましたが、夫婦の序列をなくせば当然もめます。夫婦でさえもめるのです。この思想を親子、兄弟、そうして周りの人たちに拡げるのであれば、その不調和は周り中に広がるのです。(一頃よくいわれた友達のような夫婦、親子というやつです。しかし夫婦は、夫は夫としての立場があり、妻は妻としての立場があります。それを無視しては混乱するだけですし、親も親としての立場、また威厳がなければ子供をしっかり教育できないでしょう。そんな夫婦や親子が友達のようになってしまって、それでお互いのいうことを聞くでしょうか?自分に都合のいいことは聞いても、都合の悪いことは聞きません。しかし、それではまともな夫婦生活や親子の生活はできなくなるのです)

夫婦はもちろん親子は平等で同権でしょうか?学校の先生と生徒は平等で同権でしょうか?会社の上司と部下は平等で同権でしょうか?この組み合わせのどれ一つとっても平等で同権のものなどないのです。

それを無理やり平等、同権を当てはめようとしているのですから、もめないわけがないのです。(そこへ持ってきて、個人の自由の尊重まで入れるのです。百パーセントもめます)

このように世間はすべて不平等で、序列があったのに、それをすべて悪と決め付け自由、平等、同権の最初からまとまらない思想を入れて、バラバラにするのが共産思想です。

現在はその悪魔の思想である、共産思想の天下であり、それが男も女も区別をなくさせ、一人立ちを阻害させ、不調和を広げている原因ともなっています。

しかし、私たちはその悪魔の思想にいい加減気づかなければいけないのです。共産思想をいつまでも信じていては、まとまるものもまとまらず、自分たちも成長していかないのです。

やはり昔から伝えられていた夫婦、親子のあり方こそ正しかったのであり、神理であったのです。それを私たちはもう一度思いださなければいけないのです。そうして、釈尊、キリストが説かれた慈悲と愛を忘れてはならないのです。

共産思想に愛も慈悲も調和もありません。そのような思想を信じていては不幸になるだけなのです。

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