11月 03 2013
心と行いのあり方
ハロウィン、ハロウィンと大騒ぎしていましたがそれも終わりましたかね。
あれなど他国のお祭りでしょう?いつから日本でもはやりだしたんでしょうか?(まだ最近ですよね)
魔女やお化けの格好をして、悪霊を払うなどの意味合いがあるようですが、あんな気持ち悪い格好をして、気味悪いかぼちゃなど並べたら、それではまさに地獄界をそのまま現していることになり、逆に悪霊を呼び込むことになります。
祭りも結構ですが、やはり本当の神の教えを知らないと、危ないことも平気でやってしまうのです。
日本の祭りでもそうですが、天狗やおかめやひょっとこの面をかぶって、騒いでいるお祭りなどありますが、あれなど本当にそのような者たちが来ているそうです。(と高橋先生がいわれていました)
あの世には天狗界とか仙界という地獄の世界もあります。その世界にいる者たちと、似たような格好をして騒げば、そのような世界から、本当にそこに住む化け物を呼び寄せてしまうのです。心のあり方もそうですが、その姿かたちも、おかしな格好をしていてはいけないのです。
そう考えると、おかしなものを祭る祭りはたくさんありますが、本当の神や天使を祭るお祭りは少ないですね。
ドイツなどには、偉人を祭るお祭りがあるそうですが、そのような偉人やエル・ランティーや七大天使を祭る祭りが(釈尊やキリストなどはもうどこでも祭られていますので)あってもいいのではないかと思います。(そのような祭りをすれば、そのような方々が本当に来てくれますからね)
そういう祭りもぜひやってみたいものですが(奇跡が次々に起きたりしてね)何せ私は嫌われています。人が集まらなくては話になりませんね。
しかし、私を嫌っている人にお聞きしたいのですが、それではそのような人はそれほどいい人なのでしょうか?私が気に食わなくて嫌がらせしていく人はたくさんいますが、では、そのような人は、自分は正しいと思っているのでしょうか?
自分が正しく、私が間違っていると思っているから、そのような人たちは私に嫌がらせをしてくるんですよね。(まさか、ねたみやひがみだけで、そんなことをしてくるとは思えませんので)
しかし、自分に間違いがなく、正しいことをしているのであれば、自分の周りに次々に奇跡が起きてこなければいけません。逆に私の周りに奇跡が起き、嫌がらせをしている人たちの周りに災いが起きているというのは、その私に嫌がらせしている人たちが間違っている証拠です。
私に嫌がらせをする前に、もう少し自分自身の心と行いを反省されてはいかがでしょうか。
私にそのようなことをしてくる、ほぼ全員の人が心は真っ黒だと思います。反省するということを知らないからです。若かろうが年を取っていようが同じです。反省の心をもたないと心は汚れていくばかりなのです。「自分が悪かった」という反省の心だけが唯一心を浄化するのであって、自分は悪くないと思い続けていればいるほど、その人の心は汚れていくのです。(だから、若い人より年寄りの方が心の汚れている人が多いと思います。年を取れば取るほど、反省しない人はその期間が長くなるからです。その分心の汚れはひどくなります)
ですから、どれだけかわいらしい顔をしていても、善人のような顔をしていても、その心を観るならば案外真っ黒な人も多く(反省を知らない人が多いですから)心がまともに現れるあの世に帰れば(死ねばということです)地獄に堕ちる人も多いということです。
外面だけよくして心が真っ黒では、それもまた格好が悪い話です。先ほどの話ではありませんが、格好がおかしくてもいけなければ、格好だけつけてても(外面だけよくても)いけない、心と格好(行い)が両方ともよくないといけないということです。
しかし、そのような両方よいという人には何がしかの奇跡が起きてきます。巷には不幸なことばかりではなく、そのような奇跡的なことが起きていることも、よくある話なのではないでしょうか。
何か運がよいことがあった、仕事が思った以上に進んだ、このようなことも奇跡です。そう考えれば、そのような小さな奇跡であろうと奇跡は奇跡であり、逆にそのようなことが何も起きてこない人には、やはりどこか心のあり方、行いの仕方に悪いところがあるのであり、そうして悪いことばかり起きてくる人には、その心と行いを徹底的に直さなければいけない部分があるということです。
私に、嫌がらせをしている人には悪いことがよく起きているようですが、では、そのような人の心と行いのどこかを、徹底的に直さなければいけない部分があるのではないでしょうか?
悪いことが起きてくるのも、よいことが起きてくるのも、その原因はすべて自分自身の心と行いにあります。
責任転嫁をして、人のせいにしていても何も変わることはないのです。



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