11月 02 2013
脱原発をいう人の無責任さ
今政界は天皇陛下に手紙を渡した国会議員のことで大騒ぎになっています。
世が世なら切腹ものですよね。あの国会議員、どういうつもりでそれをしたのか知りませんが、憲法や国会議員うんぬんというより日本人としてあまりに非常識です。
こういう人が国会議員をしていては、またどんな問題を起こすか分かったものではありません。(とても常識のある日本人とは思えませんから)少なくとも、もう国会議員でいてはいけないでしょう。
どうせこの人脱原発としかいわないのです。国会議員としての資質にもかけると思われますが、どうしてこの人が国会議員として選ばれたのでしょうか?
ただ知名度があって、その時の人受けのすることさえいえば、選挙で選ばれてしまいます。これが民主主義の怖いところです。
しかし、こういう非常識な人が出てくると、なぜ、こんな非常識な人を国会議員として選んだのか?脱原発をいっている人は非常識な人が多いのではないか?と思われてしまいます。脱原発をいう人たちにとっては、この人の行為はかなりマイナスだったでしょう。
しかし、脱原発をいう人は、やはり少し常識に欠け無責任に見えるのですが、そこはどうなのでしょうか。
よく、脱原発をいう人は「原発を動かせば核廃棄物が出る、その処理方法がないのに原発を動かすのは無責任だ」といわれますが、逆にお聞きしますが、では、脱原発をいわれる人は、その核廃棄物の処理方法があるのでしょうか?
ないからそういっているというのは無責任でしょう。だってすでに核廃棄物は大量に発生しているのですから。(しかも世界中にです)
もちろんそれは、ほっておける問題ではありませんが、原発をやめても核廃棄物は残るのです。そうであるなら脱原発をいわれる人は、その大量にある核廃棄物の処理方法をいわなければ、当然無責任ということになります。
しかし、脱原発をいう人は、この核廃棄物の処理方法をまるでいおうとしないのです。だから私は、脱原発をいう人の方がよほど無責任だと感じるのです。
だってエネルギー問題以上に、原発で一番問題なのはこの核廃棄物の処理問題なのです。
しかし、脱原発をいう人は、その一番の問題の解決方法をいおうとせず、ただ原発はトイレのないマンションと同じで核廃棄物が出るからやめろだの、核燃料サイクルなどできっこないからやめろだのいっているだけです。これでは仮に原発をやめたところで、何も解決されないのではないですか、原発問題は。
だから私は脱原発をいう人の方がよほど無責任だといっているのです。
この核廃棄物の処理がしっかりできて、はじめて脱原発に舵を切れるのであって、それができていないのに脱原発をしてしまえば、後に残った大量の核廃棄物はどうするのでしょう。それに日本が原発をやめても原発を推進している国はいくらでもあります。ということは核廃棄物は出続けるのです。ではそちらの処理はどうするのでしょうか?(他国のことは知らない、ではすまされませんよね。ご存知のように放射能汚染は一国だけの問題ではなく、地球規模の問題だからです)
だから私は原発は進めなければいけないといっているのです。原発を進め原発技術の向上を進めなければ、核廃棄物の処理方法など開発されるわけありません。
そんなことできない、無理、ではないのです。もうそれを、やらなければいけないところまで来ているのではないでしょうか?日本だけではなく世界がです。
脱原発をいう人は、あまりに見てる世界が狭すぎるのではないでしょうか。(だから、天皇陛下に直接手紙を渡すなどの行為が平気でできるのです。視野が狭いからです)
原発は日本だけの問題ではなく、世界規模の問題なのです。それを他国よりも原発技術が高い日本が原発をやめてしまうなど、無責任以外の何ものでもないのです。
この原発問題は日本だけの話ではありません。それこそ世界の問題なのであり、多くの人々がもっと広い視野を持って、考えていかなければいけない問題であると思います。
それだけ多くの人の智慧がなければ、この原発問題の真の解決方法は出てきません。
あまりに多くの人が、原発問題を小さく考えすぎているのではないでしょうか。
この原発問題(核廃棄物問題)は、世界規模で考えていかなければいけない問題であるといえるのです。



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