11月 09 2013
智慧と役割
やはり昨日も、北海道など強風が吹き荒れたようですね。今日は大丈夫そうですが、明日からまた北海道や東北は、強い寒気と爆弾低気圧の影響で、大雨や大雪、激しい雷や強風で大荒れの天気となる予報が出ています。
昨日も書きましたが、神を無視し続けている怖さを、いい加減ご理解いただけないでしょうか。
この辺りなど、それに嫌がらせがプラスされます。この辺りの人どれだけ恐ろしいことをしているのか、まったく理解できませんね。
昨日はずいぶんサイレンが聞こえてきました。(夜中トイレに起きた時にも聞こえていました)今日も朝から何度もしています。
救急車だけなのか、それとも消防やパトカーのサイレンも加わっているのかよく分かりませんが、どちらにしても恐ろしいことです。
昨日も書きましたが、このような現象が何年も続けば江戸時代の人などは、さすがに自分たちが悪かったと(神に対してです)反省されるのですが(だから大飢饉などの現象も収まるんでしょうが)現代の人は何が起きても反省しようとしません。
何せ、唯物無神論などという超・責任転嫁論がまかり通っているうえに、自由平等、個人の尊重という共産思想まではびこっています。
こういう人たちを反省させるのは至難の業でしょう。
とはいえ、こういう現象がもう何年も続いているのです。(しかも最近はその激しさを増しています)いい加減、恐れ入ってもよいのではないでしょうか。
と思うんですが、相変わらずの異常気象は地球温暖化、次々に救急車で人が運ばれるという異常現象は、皆私のせいという責任転嫁が続いています。
これではいつまでたっても状況は変わりませんね。
昨日など、小、中学生とよくすれ違ったのですが、その大半が私に嫌がらせをしていくのです。まったく目上の者を何だと思っているのでしょうか?なんでも平等という、このような共産思想だけでも何とかしないといけませんね。(しかし、こういう子供が、なぜこんなことが起きているのか意味が分かるのでしょうか?大人でも全然分かっていないのに。残念ですね、まだ先がある子たちがまったく神を理解しようとせず、私に平気で嫌がらせをしてくるのです。では、この子たち、この先あまりよい人生は送れないということになります。平気で神の心に逆らっているからです)
園頭先生は次のように書いていられます。「正法と結婚の原理」から抜粋します。
<正法会では、神を大宇宙大神霊という。大宇宙大神霊(以下神と称す)は理念的な存在である。宇宙の最始源には理念(イデア)があったといってよい。その理念に順って大宇宙は整然として一定の秩序を持って組成された。
秩序即ち上下左右の順序があるということは、智慧があるということである。幼児はまだ智慧が発達していないから、取り出した玩具をまた元のあったところに整然と始末するということはできない。だんだん大きくなりにつれて「自分で直しなさい」といわれると、ちゃんと直すことができる。それは、これはこうすればいいのだという智慧が発達してくるからである。物を置くには、上のものは上に、下のものは下に、右のものは右に、左のものは左に、整然と順序よく置かないと整理されない。上も下も、右も左もなく、ごちゃごちゃにしていたのでは整理したとはいえない。物を上下左右きちんと揃えて整理することができるのは、それだけの智慧があるということである。上下左右の区別をして上のものは上に、下のものは下に……というように整理するのを、順序よくとか秩序よくという。
物を置くにも上下左右の順序が必要であると同じように、人間関係においても上下左右の秩序が大事である。親は親として、子は子として、親と子という上下の関係が必要であり、夫は夫として、妻は妻としての左右の関係が大事であり、職場に行けば上役と部下という関係があり、同じ子供だといっても兄弟姉妹の順序があるのであり、人間はすべて平等だというが決して平等ではない。親は親であって決して子供ではないし、子供は子供であって決して親ではない。それぞれの役割がある。
終戦後の自由平等化の波に乗って、役割があるからいけないという悪平等論が横行しているが、役割があるからこそ社会は整然と秩序が保たれるのであって、役割がなくなってすべて平等だとなったら世の中は混乱するだけである。>
現在は、園頭先生がいわれる智慧もなければ(智慧がない人が多いから、同じことをずっと繰り返しているんですもんね)役割もなくなっています。(だから私に、小中学生が平気で嫌がらせしてくるんですよね。上下の関係は知らないし、私が神の教えを説いているということも知らないんですから)
それでは、このような混乱した世の中になるのも仕方ないでしょう。(神と人両方で混乱しています)
今も異常気象は続き、この辺りの異常現象も続いています。
このような混乱を抑えるには、一人一人が智慧を出し、そうして人それぞれの役割を認めるしかないのです。



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