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11月 16 2013

神の慈悲

10:57 AM ブログ

昨日、使命を持った人が動こうとしなければ、その国は滅ぶと書いたんですが、そうしたらまた昨日は凄かったですね。(夕方から夜にかけてです)サイレンが鳴りっぱなしでした。(本当に滅びそうです)

あのように異常にサイレンがしだすと(というか今日も朝からよくしてますけど)もう皆さん怒り心頭みたいな感じで、嫌がらせしてくる人ばかりになるんですが、しかし、よくそれだけ怒れますね。怖くはないのでしょうか?(この寒いのに、わざわざ家から出てきて、私に嫌がらせをしにくる人もいるようです。私の帰り道や時間を皆知ってますから)

普通なら、こういうことが毎日起きれば(毎日起きてるんですよ)恐れる人ばかりになってもおかしくはないのですが、恐れるどころか怒っているんですから呆れてしまいます。ちょっと考えられないくらい神の業を甘く見ています。

神の業を人のせいにして反抗しっぱなしなのです。よくこういうことが続けていられると驚きます。

こういう経験がないから、といってしまえばそれまでですが、それにしても年寄りが率先してそんなことをしてくるんですから、これまでよほど神を神と思わず生活してきたのだなと改めて思います。

普通は、この世の経験が長い年寄りが、そんなことをしてはいけないと皆を諭すんですが、その年寄りが私に、わざわざ嫌がらせをしにきているんですから話になりません。これまでの信仰が、いかに間違っていたかよく分かる出来事です。

年寄りだけではないのでしょうが、神を神と思わず、神を自分のはしためのように思い、自分に都合のいいことを望むだけ。つまり神に対し、尊敬の念も畏敬の念もないのです。神とは、ただ自分の都合をきいてもらうだけの存在としか思っていないのです。

これでは神の業を恐れるはずがありません。神は、そんな恐ろしいことをする存在だとは誰も思っていないからです。

まさに末法の信仰です。神は自分の都合だけきいて(その都合もきいてもらえるかどうか分からない)それ以外は何もしないと思っているんですから。

しかし、神はそのような存在ではありません。神は私たちの願いもきいてくれますが(それが正しい願いであるならばです)気づきも与えられるということです。いつまでも神に対し、不遜な思いを持ち続けているのであれば、当然それではいけないという現象も現されるということです。

多くの皆さんは、自分たちは何も悪いことはしていないと思っているようですが、では、これまで神に対し、どのような思いを持っていられたのですか?

神を、私がここに書いたような(自分の都合だけをきいてくれる便利な)存在としか思っていなかったのではないのでしょうか?

もし、そうではないと、自分はいつも神に対し、畏敬の念を持ち感謝しているというのであれば、何が起きようと恐れることも、また怒りを感じることもないはずです。

そのような心であるならば、何も恐れるものはないからです。(私たちが唯一恐れる存在は神以外ないからです)

しかし、これだけのことが起こり、そうして、それに対し怒りや恐れの心をもし持つのであれば、それは普段から神のことをしっかり思っていない証拠なのです。だから、自分や家族に何か起きたらどうしようと、不安な気持ちになり怒りや恐れが出てくるのです。

そのような思いを持つこと自体、それがすでに間違った心である証拠なのです。

だから私は、どれだけ救急車のサイレンが響こうが、そのような思いにかられたことなど一度もありません。

ただ、私のように法を知らない人たちはさぞ不安なんだろうと、それを思って、このブログに今起きていること、そうして、それがどうしたら解決できるのかを書いているだけです。(皆さん一向に聞こうとされませんが)

今しがたもサイレンが響いていました。最近はサイレンがしだすと、もう尋常じゃないほど立て続けにサイレンが鳴り響きます。(それだけ急病人が病院に運ばれているということです)

いつまで神に逆らわれるのですか?

神の心に逆らっている間は、この恐ろしい現象は収まりません。この現象を収めるには神の心に従うほかないのです。神に従順になるしかないのです。

「お前のいうことなど聞けるか」その心がすでに、神に反抗しているということを知ってください。(では、そのようにいう人たちに何か手立てがあるのでしょうか?)

今も、前の会社の連中など、このブログを書くのを邪魔し嫌がらせを続けているのです。このブログを書いている最中でさえ、神に反抗し続けている人たちがいるのです。こんなことをしていては、それこそこの名古屋の人々がいなくなるまで、この恐ろしい現象は続くでしょう。(それだけ恐ろしいことを、この連中は何も分からず平気でし続けているということです。名古屋の人々を滅ぼすほどのことをです)

自分たちがしていることの(神に対する認識の甘さ、自分たちのしていることの罪の重さ)重大さをよく知ってください。

今名古屋の人々がしていることは(私に対する嫌がらせ)それほど軽いことではないのです。名古屋を滅ぼしてしまうほどのことなのです。

現在の日本も同じですが、名古屋にこれだけの神の業が集中して現れています。

では、その神の慈悲の心をよく理解して(神が、名古屋の人々を気づかせねばという慈悲の心が、それだけ現れているということですから)名古屋の人たちは、一番にその神の心に気づくべきではないでしょうか。

また、そうしなければ、神の心に報いることはできないのです。

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