11月 23 2013
格好に囚われる愚かさ
別に、この話題しかないわけではありませんが、こうも聞こえてきてはねぇ。(名古屋の皆さん大丈夫ですか?)ずいぶん聞こえてきます。サイレンが。
昨日も凄かったですし今日も朝から何度も聞いています。多くの人は、一体いつまで天に逆らうつもりなのでしょうか?(こういうことが続いていても、ちっとも態度を変えようともしません。そこらへんが名古屋の人たちもの凄いです)
昨夜など、妙に人通りも少なく車も少なかったように感じましたが、ついに多くの人から避けられるようになりましたかね、私も。(私の帰る時間や帰り道など多くの人が知ってますから)
昨夜でも、あれだけサイレンが、立て続けに聞こえてきてはそうなるんでしょうが、それでもまだ怒っている人もたくさんいるようです。
このサイレンが私のせいなら私のせいでいいでしょう。それならそれで、そんなことができる者に怒るんですか?嫌がらせするんですか?そんなことよくできますね、それはそれでおかしな行為だと思います。
だってそうでしょう、例えば、数万人もの人を病院送りにしたやくざがいたとしたら、そのやくざに怒ったり嫌がらせしたりできる人がいるんでしょうか?あるいは、祈って数万の人を病院送りにできる修行僧がいたとしたら、その修行僧に逆らったり嫌がらせしたりできる人がいるのでしょうか?
やくざに怒って嫌がらせなどしたら何をされるか分かりません。また修行僧も同じでしょう。そんな修行僧に嫌がらせなどしたら自分に何が起きるか分からないのです。(誰でもそんな人に何かすれば罰が当たると思いますよね、現に次々に当たっているんですから)
だから、そういう人たちが、もし私と同じことをしていれば、とっくに多くの人はビビり、その人のいうことを聞いていたということです。
しかし、私は普通の格好をしている一般人にしか見えません。その格好だけ見て多くの人は、怒ったり嫌がらせしたりしているに過ぎないのです。
しかし今回ほど、普通の格好をしていてはいけなかった、と思うことはありません。
私が普通の格好をしていたばかりに、多くの人の決断を鈍らせ、より多くの被害(神の業)を出しているのですから。(私も修行僧のような格好をして「臨・兵・闘・者・皆・陣…」と九字でも切って大袈裟に祈れば、多くの人が私のいうことを聞いたんでしょうが…)
しかし、格好をどれだけつけようと所詮は格好だけです。その人の本質を見抜く目を、それぞれの人が持つようににならないと、結局自分が救われることはありません。やはり自分で気づいて自分でやるしかないのです。
昨日も書きましたが、その人の心を観ないとダメなのです。仮に、名古屋で起きている今のようなことを、すべて私が起こしているのであれば、ではなぜ、私はこんなことをしているのでしょうか?(何か意味があるから、こんなことが起きているんでしょう?)
ただ単純に、こんなことをしているからダメ、ではこんなことが起きている意味はまったく分かりませんし、それでは全員が病院送りになります。
そんな答えは子供でも出せます。大人であれば、もう少し違う答えがあるのではないですか?また、なければならないと思います。
それが分かる人が多ければ名古屋は救われますが、少なければ(というか今の状況ではゼロなんですが)救われないでしょう。こんなことがもう一年以上も続いているのです。この現象が、ほっとけば収まる、などという状況はとっくに通り越していると思います。
もう何かをしなければ収まらないでしょう、この現象は。
では、その何かとは何か?ということです。(少なくとも私に対する嫌がらせではないですよね。それをしているばかりに、この現象が収まらないばかりか、激しくなっています。では、それをしてはいけないということです)
何をすればこの現象が収まるのでしょうか?
先ほど書きましたが、私の格好に囚われていてはそれは分かりません。その私が一般人のようではなく、坊さんのような格好をしていたらどうなるのでしょうか?
もし私が、坊さんであれば今のように嫌われるのではなく、逆に“偉大な神通力を持つ高僧”などという高い評価を受けていたのではないでしょうか。(私は説法もしているんですから。むしろそちらに比重を置いているんですから。毎日説法〔ブログ〕してます)
つまり、その人の格好が違うだけで、今とまったく逆の評価を受けることもあるということです。
だから、格好だけに囚われてはいけないといっているのです。
その人の格好だけで判断しては、異常なことが起きている意味も分からなければ、その人の本質も見抜けません。
もし私が坊さんであるなら、その坊さんに何をしなければいけないのでしょうか?その坊さんに何をすれば異常な現象が収まるのでしょうか?
そう考えるのであれば、何でこのようなことが起きているのか?何をすればこの異常な現象は収まるのか分かるはずです。(私のブログ、それは説法と同じなのですから、それを読めば分かるということです)
自分で考え自分で行う、自分を救うのは自分しかありません。自分で行った正しい行為だけが自分を救うのです。
そうして、そのような人が増えれば増えるほど大きな救いとなるのです。
(自分は救われたという人が多ければ多いほど、世の中はよくなっていきます。結局、一人一人の人が救われないと世の中はよくなっていかないのです。自分を救うのは自分〔自力〕しかありません。一人一人の正しい判断を望むばかりです)



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