12月 01 2013
親の責任
例の、大阪の教師の体罰で自殺した高校の、その自殺した子供の両親が大阪市を提訴したらしいですね。
市長もやぶ蛇ですね。こういうことになるから、両親は被害者でまったく悪くないという言い方はよくないのです。
辛いのを承知で、その両親の責任もはっきりさせておかないといけないのです。(市長さん、これも天罰です。大阪市が敗訴するようなら自腹きってください。一億五千万でしたっけ?)
両親がこのように、自分たちの責任を認めないまま責任転嫁をしていれば、浮かばれないのは、その自殺した子供なのです。この子が自殺したのは両親の愛が足りなかったというのが、その大半の原因なんですから、両親がそれに気づかないと、自殺した子はいつまでも地獄で苦しむことになります。(それが証拠に、これまでの子は誰も自殺していません。この子だけが自殺したのです。これまでの子と、その自殺した子の学校での状況は何も変わりません。ただ親だけが違ったのです)
このように責任の所在を間違ってしまうと、後々大変なことになるということは多々あります。
その典型が名古屋でしょう。責任の所在を完全に間違えています。いつまでたっても、自分を反省しようとせず人のせいにしています。これではサイレンは止まらないでしょう。
先ほどの親の責任ではありませんが、わずか四~五歳くらいの子供でも私の顔を見ると、いきなり大きな音を立てたり、咳き込んだりして平気で嫌がらせをしてくるのです。一緒にいる親が、あわててその子を止めているという光景まで見ますが、こんな小さな子が、私の顔を見たとたん嫌がらせを始めるということは、結局その両親が、その子の前で私の悪口を散々いってるから、その子は私の顔を見たとたん嫌がらせを始めるのであって、そういう悪口をいっていなければ、そんな小さな子が私に積極的に嫌がらせをするわけがないのです。
では、その子の責任は即ち親の責任ということになります。
親が子供に与える影響は、その子が小さければ小さいほど大きいのです。私からすれば、その子の親は子供を愛していないのでは、としか思えませんね。
そうではないでしょうか。これほどの現象が名古屋に現れているのです。その原因といわれている者に、小さな子供が積極的に嫌がらせをしてくるのです。そんなことをすれば、その子に何が起きるか分かりませんし、また、その子が将来、平気で人に嫌がらせができる、そんな子供に育つということにもなります。(当然ですよね、小さい時から、そんなことを大人に平気でしているんですから)
そんなことを人にしていれば、結局その罪はいずれ自分自身に返ってきます。(善因善果、悪因悪果)
親が人の悪口を、子供の前でいえばいうほど、その子を不幸にしているのです。
私に嫌がらせをしてくる子など、すでに大分、心に曇りをつくってしまっているといわざるを得ません。(そうして神にずっと逆らっているということにもなります。そんな小さな時から神に逆らうのです。その子の将来どう転んでもよい方にいかないでしょう)
そのような心になれば、当然のことではありますが、どんな災いが降りかかるか分からないのです。(神に散々逆らってもいるし)
ただ、お前が悪い、といっているのではなく(本当に私が悪いのかどうかは分からないでしょう。こんな現象起きたことないんですから)少しは自分たちも悪いところがあるのではないか?となぜ思えないのでしょうか。そんな謙虚な心が少しでも出てくれば(特に母親ですが)その子の心も大分変わってくるのです。
しかし、大半の人が傲慢な心しか持っていません。親がそうなら子の心も当然そうなるでしょう。親の責任は非常に大きいのではないでしょうか。(子の現在から未来に至るまで影響を与えるのですから)
心が変われば起きてくることも変わってくるのですが、どの人も皆、お前が悪い、そればかりのようです。それでは子供の心にも悪影響しか与えません。(全部責任転嫁なんですから。自分の責任を一つも認めようとしないんですから)
今日も朝から何度もサイレンが聞こえています。
いつまでも同じ心でよいのでしょうか。
(今日はサラッと流しておきます。〔そうでもないですかね?〕今日も朝から凄いですからね、サイレンが。〔何かずっとしているみたいです〕心を変える人が出てこないと、本当に名古屋は危ないんじゃないでしょうか?これだけサイレンが続いているのです。もう少し起きている現象の意味を、真剣に考えないと、何度もいいますが、本当に名古屋やばいでしょ…しかし、これだけ恐ろしい現象が続いています。いい加減反省する人出てこないんでしょうか?)



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